本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『寿司修行3カ月でミシュランに載った理由』(宇都裕昭)

 お薦めの本の紹介です。
 宇都裕昭さんの『寿司修行3カ月でミシュランに載った理由』です。

 宇都裕昭(うと・ひろあき)さんは、起業家、会社経営者です。
 現在は、「RETOWN HUMAN(リタウンヒューマン)」の代表取締役として、飲食業界に従事する人を対象に就職・転職支援の「飲食人キャリア」、短期調理スクール「飲食人大学」などのサービスを手掛けられています。

「寿司修行3カ月」でミシュランに載った理由

 たった3ヶ月の修行を経た寿司職人たちだけで始めた、小さな寿司屋。
 それがオープン早々、『ミシュランガイド京都・大阪2016』に採用、掲載された。

 そんな衝撃的なニュースが、世の中を駆け巡りました。

 その店「鮨 千陽」がミシュランで取り上げられたことを奇跡のように言う方もいます。しかし、こう言うと不遜に聞こえるかもしれませんが、実は最初から私たちはミシュランに掲載してもらうことを狙っていました。
 とは言っても、ミシュランに載るためにはこんなことをすれば良いという明確なものは当然ながら何もわかりません。あくまでこうすればミシュラン掲載の確率を高められるだろうという程度の予測のもとに動いたにすぎません。
 そして、このミシュラン戦略の肝は「鮨 千陽」というよりは、むしろそこで働いているスタッフたちが卒業した「飲食人大学」の授業内容にあります。すなわち、江戸前の高級寿司を握る技術をたかだか3ヶ月で習得する飲食人大学の授業カリキュラムのつくり方からミシュラン戦略はスタートしているのです。
(中略)
 ところで、飲食人大学と「鮨 千陽」が生まれた背景には、飲食業界の根深い構造的な問題が横たわっています。なぜなら、飲食業界で当たり前とされていたことに対して私が感じていたムダや違和感が疑問をどうすれば解消できるのかというところから、飲食人大学も「鮨 千陽」もスタートしているからです。
 つまり、3ヶ月の修業を経ただけの寿司職人で布陣を固めたチームにとってミシュラン掲載は業界の問題をクリアする一つのハードルでもあったわけです。
 この本は飲食業界の方だけにとどまらず、その外にいる方々にもぜひ読んで頂けたらと思っています。
 なぜなら、どの業界、どの業種にも、さまざまな問題を含みながらも何の疑問も抱かれず習慣的に当たり前のようになされていることがきっとあるはずだからです。そんな問題点に気づき、それを変えていくことで必ず新しいビジネスのチャンスが生まれてくることもこの本で強くお伝えしたいことです。

『寿司修行3ヶ月でミシュランに載った理由』 まえがき より ポプラ社:著 宇都裕昭:刊

 本書は、「鮨 千陽」が、いかにしてミシュラン掲載に至ったのか、その舞台裏を明かした一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「3ヶ月の修行」が厳しく問われる場所

 高級感を押し出しながら、同時に、3ヶ月で養成された職人が握るお店である。
 それが、「鮨 千陽」の売りです。

 その意味では、飲食人大学における教育の質が、お客様から厳しく問われる場となります。

 もし「やはり3ヶ月だけの修行で学んだレベルの寿司だな」と思われたら、完全に失敗です。
「いや、これだけの寿司が3ヶ月の修行で握れるのか?」と驚かれるようなことがなければ、わざわざ飲食人大学の看板を出す必要はありません。その点においても「鮨 千陽」を任されているスタッフたちはかなりのプレッシャーになっているはずです。
 店のカウンター席と職人が仕事をするつけ場とのあいだにはショーケースなどさえぎるものが何もありません。切ったり、握ったりという一連の手仕事は一から十まですべてお客様から丸見えです。
「鮨 千陽」に来られるお客様は食通の人が少なくありません。一流の料理人は舌が肥え厳しい目を持った客によって鍛えられるとよくいわれますが、実際お客様の目線、感想、批評といったものほど職人を鍛えてくれるものはないのです。
 その意味ではスタッフにとって店は、飲食人大学よりさらに厳しい修行の場になっているのです。

 彼らは自分たちが職人として何をもっと磨くべきかをよくわかっています。
 たとえば、店ではコースメニューで順番に料理を出しますから、寿司を握ったり、料理をつくるスピードがあまり身につかないところがあります。回転寿司ならつけ場の向こうのあちらこちらから「トロ!」とか「カツオ!」とかお客様の注文が次々と飛んできますから、握るスピードが相当鍛えられます。
 そんなことも含めて彼らは自分たちに何が足りないかがわかっているので、それらを克服するために、営業していない時間も自分を磨くことに余念がありません。
 閉店後、シャリを握る練習をしたり、自宅で魚をさばく練習をしたり、休日でも市場に魚を見に行ったり、料理のレシピを考案したり、おそらく1日24時間、睡眠以外はほとんど寿司のことだけを考える生活をしているのです。なかには接客技術を磨くためにアルバイトをしている者もいます。

『寿司修行3ヶ月でミシュランに載った理由』 第1章 より ポプラ社:著 宇都裕昭:刊

 まさに、「習うより慣れろ」です。
 本番のプレッシャーほど、人を育てるものは、ありません。

 下手なりに、自分の持っている実力をすべて出す。
 未熟な部分を自覚し、それを克服する努力を惜しまない。
 目標をつねに、最高レベルに置く。

 そんな意識の高い努力の継続が、圧倒的な成長を生みます。

「現場のライブ感」を授業に取り入れる

 飲食人大学の設備は、大手の調理師学校のような、立派ではありません。
 それは、「徹底した実践」をカリキュラムの軸にしているからでもあります。

 なぜなら設備が整っていない環境というのは非常に実践の勉強に役立ちます。卒業生が将来仕事をする店にはみな機能が優れた良い設備や道具があるわけではありません。昔ながらの古い道具しかなく、ちゃんとしたまともな設備もないような店で働く可能性だって十分あるはずです。
 設備が整っていない環境で修行をすれば、逆にそれだけいろいろな技術を身につけられます。
 たとえば、魚の鱗(うろこ)を簡単に取ってしまう鱗取りという道具がありますが、そうしたものは基礎を覚え終わるまで飲食人大学では使いません。鱗取りを包丁でさせることで、包丁の技術が磨かれるし、魚の構造や肉質をより深く感覚的につかむことができます。
 つまり便利な道具や設備に頼らなければ、その分、人は自分の手や目や舌を動かしますから、料理人としての技術やセンスは間違いなく向上します。それによってどんな厳しい現場でも柔軟に対応できる力がつくのです。

 一般の調理師学校では講師は生徒をお客様扱いすると思いますが、飲食人大学では講師と生徒のやり取りは実際の飲食店の調理場の雰囲気さながらです。
 たとえば普通、調理師学校では授業は、学校側が使う道具や食器の準備を丁寧にお膳立てした上で行いますが、うちではそうはしません。実践教育の観点からわざとそうしているのです。
 実際の現場ではシェフから「ちょっとあれ取って」といった感じでボールがボンボン飛んできます。それと同じように授業も講師がわざと生徒に「次、あの準備して」といった具合に進められます。
 飲食人大学の授業がそういう雰囲気の下に行われるのは、現場で求められる瞬発性や勘を少しでも養っておいてもらいたいからです。実際の現場は厳しいですから、早い段階でそうしたものにいくらかでも馴染み、免疫をつけておくことは大事です。

 実践学習でもう一つ大事なことが経営・管理に関することです。生徒たちは教材で使う魚はいくらで仕入れて、それからつくった料理がいくらで売れるのかといった計算を毎日やっています。「客単価5000円の店でこの料理を出せば一皿いくらで売れる」といった感じで講師と生徒が議論するのです。
 そうすることで、売上・原価・粗利(あらり)に対して即座に計算できるよう習慣づけるわけです。
 以前テレビで飲食人大学の授業を取り上げてもらったとき、こんなシーンがありました。
 生徒が捌いた魚の頭をポンと捨てたのを、講師が「簡単に捨てるな!」と怒ったのです。「これはこういう料理にして出せば何百円くらいの品になるのだから、それを捨てるのはお金を捨てるのと同じや」というわけです。
 このような授業を頻繁にやることで生徒は料理を経営という舞台の上で眺める感覚を養うのです。
 料理の世界は同じものをつくるにしても、人によって技法や感覚が違うものです。ですから講師の人たちも教え方が微妙に違ったりします。ある程度の統一は必要ですが、私は、これこれで良いと思っています。一つの方法だけをマニュアル的に学ぶよりも、ある程度振れ幅があるなかで学んでいく方がその人のオリジナルなセンスが磨かれると思うからです。

『寿司修行3ヶ月でミシュランに載った理由』 第2章 より ポプラ社:著 宇都裕昭:刊

 学校というと、「知識を詰め込む場所」というイメージがあります。
 しかし、飲食人大学は、「徹底した実践」重視で、頭ではなく、体に覚え込ませます。

 自分で体験し、改善しながら、学んでいく。
 そんな工夫を、随所にちりばめてある。

 だからこそ、3ヶ月という短期間で一人前の料理人を育てることができるのですね。

「トライ&エラー」を見えないくらい速くする

 宇都さんは、これまでたくさんの経営者と会い、多くのことを学びます。
 とりわけ印象的なのは、優れた経営者ほど失敗から多くのことを学び、強い修正力を持っていることでした。

 もちろん会社を潰すような大きな失敗を、多くのものを背負っている経営者がやってはダメですが、致命的にならない程度の失敗はむしろどんどんしていいんだと彼らを見ているうちに思えるようになりました。
 つまり、どれだけ成功できるかということではなく、どれだけ失敗できるかがとても大事なんだと思います。

 失敗してもいい。その代わりに即座に失敗を認めて回復をはかり、また新しいことへ挑戦する。
 成功している人は間違いなく、この「トライ&エラー」の繰り返しが速いのです。普通の人には見えないくらいめちゃくちゃ速い。失敗を引きずらないのです。
 当然、人間ですから、手痛い失敗があれば、ひどく落胆したり、怒りにかられたりするときもあると思います。でも、それはおそらく一瞬です。
 もし感情にとらわれていたら、失敗の事実をどこかごまかしたり、自分を正当化してなるべく見ないですますかもしれません。それでは失敗からは何も学べません。
「トライ&エラー」の繰り返しが速い人は、瞬間、感情的になっても、その次には冷静になって具体的に何をすればいいかをすぐ考え出します。失敗したときに大事なのは”具体的”に回復する方法を考え、行動することです。感情を引きずる人は、”具体的”に動くことができないのです。
 私も社員には、「とにかくすぐ動け、そして失敗しろ」と口を酸っぱくして言っています。
 もちろん失敗を検証して反省することも大事ですが、そこにとらわれすぎると、「反省」ではなく「後悔」になる危険があります。後悔になった反省から良いものは決して生まれません。
 スピーディな「トライ&エラー」を常に意識して動いていると、失敗から回復して次のトライをするときに必然的に直前の失敗体験が生きてくるものです。ですから、社員には「反省するよりも、また次のトライをしなさい」といつも言っています。

『寿司修行3ヶ月でミシュランに載った理由』 第4章 より ポプラ社:著 宇都裕昭:刊

 新しいことに全力投球していれば、必ず失敗します。
 問題は、その失敗を、どうとらえるかです。

 失敗を受け入れずに、そのまま同じやり方をし続ける。
 失敗の痛みに絶えられず、挑戦すること自体を、やめてしまう。

 そんな過ちを犯してはいけない、ということです。

 失敗したときに大事なのは、“具体的に”回復する方法を考え、行動すること。
 経営者のみならず、すべての人にとって、成功の秘訣といえます。

オリジナリティは「コピー」から始まる

 企画や商品開発などで重視される、「オリジナリティ」。
 オリジナリティかあるものは、他社との差別化ができるので、独自の価値を持ちます。

 宇都さんは、オリジナルのあるものといってもまったくゼロのところから何かを生み出すことなどできるものではないと指摘します。

 初めはたいていコピーから始まると思います。
 あの天才といわれる画家のピカソや音楽家のモーツァルトにしても、最初は他人の絵や音楽をコピーするところからスタートしています。
 コピーから入っていって、それを自分の感性や経験のフィルターに通すと元のコピーとは微妙に違うものが出てきます。まずはそれでいいと思います。意識的にオリジナリティを出そうとする必要はないと思います。まずは完全に「真似る」のです。
 私は以前は広告ライティングも自分でやっていましたが、丁度、ニュースで中国の偽ブランド問題やディズニーランドのそっくり遊園地などが、取り上げられており、他業界のキャッチコピーやライティングをそのまま活用する私を見て、周りのスタッフから「中国人か!」と突っ込みを入れられるくらい、パクリを恥とも思わず実行する人間です。
 当たり前ですが、法的、倫理的、道義的なことは通す必要がありますが。

 オリジナルなものをつくるには、前提としてできるだけ多くのものをコピーすることだと思います。料理人であれば名人と言われる人の技を盗んでそれを徹底的に練習する。スポーツであればモデルになる人を見つけてその人を真似た練習をたくさんする。そうやってコピーしたものの蓄積が多いほど、たくさんの材料や引き出しを持つことになり自分の財産となります。
 料理でも材料が多ければ多いほど、技の引き出しが多ければ多いほど、バリエーションに富んだ料理がつくれます。それと同じでたくさんコピーをして自分のなかに抱える材料や引き出しを増やすほど、それを自由に組み合わせてオリジナルなものをつくるチャンスは増えるのです。
 そっくりコピーをしてあたかもオリジナルです、みたいな顔をしてはダメですが、コピーすることをバカにしたり、ためらう必要はありません。
 コピーを敬遠する人のなかにははじめからオリジナルをつくろうと頑張る人がいます。しかし、コピーをあまりしないうちから、オリジナルなものを目指そうとしても無理があります。
 目に触れるものでも、耳に聞くものでも、ともかくいいなと思うものがあればどんどんコピーをしてみる。そうやってコピーを繰り返す過程のなかにオリジナリティの芽は必ず潜んでいるはずなのです。

『寿司修行3ヶ月でミシュランに載った理由』 第4章 より ポプラ社:著 宇都裕昭:刊

 ゼロから生み出す。
 というより、すでにあるものに、プラスアルファを加える。

 そのほうがうまくいく確率も高いし、目標に至るまでのスピードも、段違いです。

 我流にこだわらず、名人の技を徹底的にパクること。
 何ごとにおいても、それが上達への一番の近道です。

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 一つの道を極めるには、長い年月をかけた厳しい修行が必要。
 多くの人は、そんな考えを持っているでしょう。

 宇都さんは、そんな常識的な考えに、真っ向から立ち向かいます。
「鮨 千陽」や「飲食人大学」は、従来の飲食店や調理師学校のアンチテーゼです。

「飯炊き3年、握り8年」とも言われる、年功序列の寿司職人の世界。
 そこに、修行わずか3ヶ月の新米調理師たちが乗り込んで店を開きます。

 しかも、瞬く間にミシュラン掲載の人気店になってしまうのですから、飲食業界に与えたインパクトは強烈だったでしょう。

 人手不足や残業規制などで、「生産性の向上」が叫ばれる、今の世の中。
 宇都さんの挑戦には、それを乗り切るためのヒントが、ぎっしりと詰まっています。

 料理関係者だけでなく、すべてのビジネスパーソンにとって「目から鱗」の内容。
 ぜひ、ご一読ください。

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