本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』(中島正明)

 お薦めの本の紹介です。
 中島正明さんの『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』です。

 中島正明(なかじま・まさあき)さんは、ヨガマスター、瞑想指導者です。

「瞑想」は科学である

 中島さんは、本来の自分を取り戻したのちに、無限に広がる自分の可能性から望む未来を選びとり、夢を実現させていく。それを可能にする力を秘めているのが「瞑想」だと述べています。

「瞑想は、科学である」

 中島さんは、そう力説し、その根拠を、以下のように示しています。

 私たちが学生時代に学んだ数学。
 その中には重要な科学的思考法が含まれています。
 その代表例が演繹法(えんえきほう)と帰納法です。
 演繹法は、まず仮設を立て、一般論や大前提となるルールに観察した結果を加えて結論を導く思考方法です。
 それに対して帰納法はというと、多くの観察事項から類似点をまとめることで結論を引き出すという方法です。
 その考え方からすれば4500年前のインダス文明の時代からヨガや瞑想をおこなってきて、それが廃れていないという事実は、やはり心や身体に明らかな効果をもたらすがゆえだとはいえないでしょうか。

 何人かがヨガや瞑想を実行して、効果のあった方がどれぐらいの人数だったという正確な統計はないけれど、しかし実践者自身が効果を感じ、周囲も納得するからこそ、また新たな実践者が生まれる。
 この繰り返しだったに違いありません。
 データのあるなしの相違だけで、これは西洋医学の治験となんら変わりがないと思いませんか?

 効果を感じた人の割合が数字で算出されていなくても、効果自体がないとは言い切れない。
 誰がやっても、多くの場合に効果がある。
 瞑想というインプットがあって、その結果として得られる効果というアウトプットには再現性がある。
 その意味で“瞑想は科学”なのです。

 また瞑想は技術でもあります。
 やみくもに何かをやっているわけではなくて、確立された方法がある。
 1つひとつのステップを確実に踏んでいけば効果が出るのです。
 ただし技術ですから、人によって上手・下手があるのは事実です。
 でも、各ステップをいわれたとおりにきちんとやっていれば、技術は必ず向上しますし効果も出やすくなります。

 そして、瞑想は幸福実現のツールでもあります。
 くわしくは後述しますが、人はいろいろな概念に縛られています。
 単純明快な良い概念、悪い概念というものはありませんが、私たちは社会から植えつけられた概念によって縛られています。そのせいで潜在意識のもと、自分で自分にブレーキをかけてしまっているのです。
 けれども瞑想をすることで、そのブレーキに気づくことができます。
 ブレーキがかかっていることに気づけば、外すこともできます。
 そして本当に自分が望むものに向けて、あらためてアクセルを踏み込むことが可能になるのです。
 ブレーキさえ外せれば、エンジンの力はそのままタイヤに伝わりますから、あなたをぐっと夢へと近づけてくれるはずです。

『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 プロローグ より 中島正明:著 サンマーク出版:刊

 本書は、中島さんが独自に編み出した、「リセット&インストール瞑想」をわかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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なぜ、ヨガや瞑想は私たちに「いいもの」なのか?

 中島さんは、ヨガと瞑想は切っても切り離せない関係にあって、めざしているとことろは同じだと述べています。

 では、なぜ、それらは「いいもの」だといえるのでしょうか。

 中島さんは、その理由を脳科学の知見から、以下のように説明しています。

 私たちの脳は仕事や勉強など、何かに熱中しているときは、当然ですがその対象に集中しています。ところが一方で、集中していないときやボーっとしているときというのは、脳の中でも内側前頭前野、後部帯状回などから構成される回路が活発に働いています。
 何もしていなければ脳は休んでいると考えていた方には、意外なことではないでしょうか。脳の回路というのは、何かをしていないときにも活発に働いているのです。

 この一連の脳の回路は「デフォルトモードネットワーク」(Default Mode Network、以下「DMN」と略します)と呼ばれています。
 これは、過去の記憶を呼び出したり将来の展望を描いたりするのに重要な働きをする回路で、学習したことを定着させるためには必要であるといわれています。
 そして、その機能自体は良くも悪くもありません。
 ところが、困ったことに、この「DMN」はよく暴走するのです。「DMN」が過活動をはじめてしまうと、私たちはとめどもなく過去や未来に思いをめぐらせてしまい、考え事のおよそ7割はネガティブな内容になるといわれています。
 つまり、過去を思い出せば後悔し、未来を思い描くと不安になる。
 “過去に戻ってやり直すことはできない”のに後悔し、“まだ実現もしていない心配事”に頭を悩ませ、憂鬱な気分におちいるのです。
 そう考えると、「DMN」の暴走ほど私たちにストレスを与えるものはありません。
 では、「DMN」を暴走させないためにはどうしたらよいのでしょうか?
 簡単です。
 それは、物事に集中すること!
 集中さえしていれば、「DMN」はその裏側で活動を安定させます。
 ここで思い出していただきたいのがヨガの定義です。
 それは「心の働きの停止」でしたね。
 ヨガをすれば「DMN」は暴走を止めます。
 それは瞑想でも同じことなのです。

『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第1章 より 中島正明:著 サンマーク出版:刊

図1 デフォルトモードネットワークの回路 第1章P35
図1.デフォルトモードネットワークの回路
(『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第1章 より抜粋)

 ヨガは、身体という物理的な側面からのアプローチです。
 瞑想は、ダイレクトに脳の状態にアプローチします。

 両者のアプローチに違いはあれど、「心の働きの停止」という目指すべき目的は、同じです。

自分の過去を「リセット」する瞑想

 私たちが、この世に生まれてきたとき。
 心は、無垢でまっさらな状態でした。

 しかし、成長する過程で、いろいろな概念や教えを取り込んできました。

 中島さんは、その概念や教えが根づいているせいで、私たちは自分自身のことをあらためて考えてもよくわからないようになってしまったと指摘します。

 縛られている概念から解放され、自分の本質を知る。
 そのための方法が、「リセット瞑想」です。

 では、リセット瞑想とはどのようなものなのでしょうか。
 自分の心を見つめて理解する。さらに、本来の自分を発見するというものです。
 瞑想の種類でいえば、止める瞑想である「サマタ瞑想」と観る瞑想である「ヴィパッサナー瞑想」です。
 揺れ動いてブレブレの状態の自分の心は見たくても見られません。まずは止める瞑想で心を鎮めて、そして観る瞑想で心をしっかりと見つめる。
 自由自在といいますが、まずは自分の在るところや在り方を観てあげなければ自由にはなれないのです。

 止める瞑想である「サマタ瞑想」のやり方を簡単に説明しましょう。
 まず、背筋を伸ばして無理のない姿勢で座ります。
 次に、目を閉じ、呼吸に意識を向けたり、周囲の音を聴いたり、特定の言葉(マントラ、真言)を唱えたりして、心を一点に集中するのです。
 実際には一点に集中するといっても、ふとした考えが浮かんだり、外の音などに気がそれたりするようになこともあると思います。そのような場合は、それに気づいたらまた集中対象(呼吸なら呼吸)に戻ってくればいいのです。
 始めから終わりまで無心でいるのは不可能に近いですし、無心でいようとするあまり、そのことに注意が行きすぎるとかえって集中しにくくなりかねないので、「雑念が浮かんでも大丈夫」と思ってやってみてください。
 時々、気がそれたこと自体を気に病んだり、その原因を分析したりする人もいますが、その必要はありません。たんたんと集中対象に意識を集め、対象とひとつになることが大事なので、気がそれたらまた集中すればよいのです。
 サマタ瞑想だけでも、前頭前野の左側が活性化されてストレスが減少し、幸福感の増大が期待できるといわれています。
 最初から100パーセント完璧になどはもちろん無理ですから、繰り返し繰り返しやってみながら、コツをつかんでいってもらえばよいと思います。

 次に、観る瞑想である「ヴィパッサナー瞑想」を説明しましょう。
 ヴィパッサナー(Vipassana)とは“Vi”(ありのままに)+“Passana”(観察する)という意味ですので、「起きていることをありのままに観る」瞑想です。
 一切の思考や判断を入れず、基本的な観察対象を決め、その対象をとらえ続けるために注意を向け、その状態を保つ。そうしていると、まだ起きてもいない未来について心配することや、過去の記憶とそれにともなう感情に不快にされるというようなことは妄想にすぎないと気づくことが出来るようになります。
 一般的には呼吸などを集中の対象としながら、聞こえてくる音やただよってくる香り、身体が何かに触れている感覚、自分の身体の様子、思考や感情など、意識上に浮かんできたことを、言葉に表してしっかりとらえます。それが終わったならば、また集中の対象に戻って注意を向けるのです。

 この一連の行いにより、感じられたことは感じられたままで止まり、聞こえたものは聞こえたままに止まります。
 この「そこで止まる」ようになることが大事です。これができるようになると、起こった出来事に左右されにくくなります。何が起こっても、起こったこと自体を見て判断できるので、自分で勝手に心の中でドラマやストーリーをつくりあげるということがなくなります。そうなれば、心の苦しみや思考の入るスキがなくなって「今、ここ」に集中することができるようになるのです。

『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第2章 より 中島正明:著 サンマーク出版:刊

図2 サマタ瞑想 第2章P95
図2.サマタ瞑想
(「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第2章 より抜粋)

図3 ヴィパッサナー瞑想 第2章P97
図3.ヴィパッサナー瞑想
(「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第2章 より抜粋)

 ひと口に「瞑想」といっても、目的によって、さまざまなやり方があります。
 しっかりと使い分けたいですね。

「未来に向かう」のではなく、「未来がやってくる」という感覚

 中村さんが編み出した、願望を叶えるための最強ツール。
 それが「インストール瞑想」です。

 インストール瞑想は、脳や潜在意識を書き換えることで夢実現へのスピードアップをはかるための瞑想です。

 具体的なやり方は、以下のとおりです。

 リセット瞑想をして変性意識状態に入ります。
 まずは内的時間の流れを書き換えます。過去の自分のままでは未来も同じ自分でしかないということ。それはあなたの時間が過去→現在→未来と流れているからです。
 ホメオスタシス(恒常性維持機能)は私たちの心にも働くので、そのままにしていたら「ああだったから」「あのせいで」という過去の出来事を引きずった状態で未来を形成してしまいます。自分の中に存在する「できなかった記憶」を引っ張ってきてしまうので、結局、未来はほとんど変わりません。
 そこで、時間の流れを逆向きにしてやるのです。
 逆向きとはどういうことかというと、「あなたが今このページを読んでいること、つまり現在はこれまでの行動の結果である」と思うのではなく、「今はまだ来ていない未来が、1時間後にはここに到来している」「そして、今このページを読んでいることは過去になっている」と考える、ということです。
 時間の流れに関する自分の認識をそのように変えるのです。
 今ここでおこなっていることの原因を、過去ではなく未来に持っていくのです。

 過去の記憶があてにならないように、時間もあてになりません。
 時間と空間はゆがんでいるという相対性理論に加え、私たちの内的時間の感覚も不確実です。楽しい時間はあっという間に過ぎても、月曜日の仕事はとにかく長く感じたりするでしょう? これは時間感覚の不確実さの証拠にほかならないといえます。
 そこを逆手にとって、リセット瞑想で変性意識状態に入って、時間とは未来→現在→過去の方向に向いて流れていくものという認識に潜在意識を書き換えます。
 自分より前の空間が未来、自分の腕を広げたライン上が現在、そして自分より後ろは過去です。未来というものが前方からやってきて、そして現在、そう、自分のいるところで確定し、過去(後方)へ流れ去っていく――。
 あくまでも、時間が未来からやってくるというイメージです。自分から進んでいくことはできない。
 たとえていうなら、東京ディズニーランドのアトラクション「スター・ツアーズ」のような感じでしょうか。
 途中には高速で宇宙空間を疾走するというイメージがありますが、実際に座席に腰を下ろしている私たちが物理的に進むことはできないので、スクリーン上の星がこちらに流れてくるという演出になっています。
 星と時間という違いはあるけれど、時間がやっていくるさまをあのようにイメージしてください。

『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第3章 より 中島正明:著 サンマーク出版:刊

図4 インストール瞑想① 第3章P147

図5 インストール瞑想② 第3章P149
図4.インストール瞑想
(「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第3章 より抜粋)


 インストール瞑想を始めるタイミングは、リセット瞑想をしばらくやってみて、十分に心を落ち着かせられるようになったときが目安です。

「過去の自分」は、変わりません。
 しかし、「未来の自分」は、いくらでも変えることができます。

 必要なのは、自分自身を縛る思い込みや、固定観念を塗り替えることだけです。

 未来を変える「インストール瞑想」。
 ぜひ、チャレンジしたいですね。

基本的な坐禅の手法「数息観」

 瞑想には、たくさんの種類があります。
 その中のひとつが「数息観(すそくかん)」です。

 やり方は、以下のとおりです。

【数息観】
 禅宗の修行道場で、入門したばかりの修行僧・雲水がおこなう坐禅修行の方法のひとつです。
 呼吸を整えて、心を集中させます。
 坐禅は、高い坐布に座り、1メートルから1.5メートル先に視線を落とし、見ているのでも見ていないのでもない状態、すなわち半眼でおこないます。
 呼吸は腹式呼吸が望ましいですが、慣れないと「腹式呼吸をしなければ」ということに注意が行ってしまうので、その際は無理せず自然な呼吸でOKです。息をしっかりとへそ下の丹田に吐きおろし、どっしりとした状態をつくります。
 息を吸うときは丹田から気が広がることをイメージし、吐き切ったことで自然と大きく息が入るところまで吸います。
 坐禅は、曹洞宗(そうとうしゅう)や臨済宗という宗派による違い、またお寺の伝統によって修行方法が異なりますが、数息観は基本的な坐禅の手法です。

 ①楽な姿勢、ラクな坐法で座り、骨盤の位置や背骨がまっすぐに伸びていることを確認してください。目は半眼にします。
 ②「ひと―――」と心に唱え息を吸います。「つ―――」と心で唱え息を吐きます。
 ③吐きながら「ふた―――」、吸いながら「つ―――」と心で唱え息を吐きます。
 ④それ以降は「み―――っつ―――」「よ―――っつ―――」そして「とお―――」まで唱えます。
 ⑤ふたたび「ひと―――つ―――」に戻り、新しくはじめます。

 このとき、「ひと―――つ―――」の際は「1」ではなくて、「ひと―――つ―――」、そしてそれになりきります。また「ふた―――つ―――」の際は「2」ではなく、「ふた―――つ―――」になりきるのです。
 数字の概念から抜けて、呼吸と自分とがピタッとひとつになるのです。

『「脳が目覚める瞑想」で、願った未来がやってくる』 第4章 より 中島正明:著 サンマーク出版:刊

 息を数える、という単純作業の繰り返し。
 ですから、初心者でも簡単にできますね。

 いろいろ試してみて、自分に合った方法を見つけましょう。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 中島さんは、「リセット瞑想」をすることで、“いのち”にへばりついて、しかもブレーキまでかけている概念などが徐々に外れていき、私たちの本当の“いのち”がやっと顔を出すとおっしゃっています。

 さらに「インストール瞑想」によって、“いのち”の理想の姿が確定している様子、つまりゴールの位置と姿がはっきり指し示されるとのこと。

 これまで、霧がかかって見通しが悪かった、未来へ通じる道。
 それが瞑想によって、鮮やかに、くっきりと、見えるようになります。

 精神的な安定や、インスピレーションの向上に目が向きがちな、瞑想の効果。
 ですが、それ以上の大きな力を秘めていることが、本書を読むとわかります。

 私たちも、科学的にも証明されている、瞑想という究極のツールを駆使し、思い通りの人生を歩みたいですね。

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