本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『確率思考』(アニー・デューク)

 お薦めの本の紹介です。
 アニー・デュークさんの『確率思考 不確かな未来から利益を生みだす』です。

 アニー・デューク(Annie Duke)さんは、ワールドシリーズ・オブ・ポーカー(WSOP)やNBCナショナル・ヘッズアップ・チャンピオンシップなど世界最高峰の大会で優勝した経験を持つ、数少ない女性ポーカープレーヤーです。
 大学院で学んだ心理学の知見を活かして、意思決定のコンサルタントとしてもご活躍中です。

意思決定の質を上げる「賭け型思考」とは?

 デュークさんは、プロのポーカープレーヤーとして20年過ごし、そのキャリアのなかで、何人もの凄腕ポーカープレーヤーと出会いました。

 彼らからは、運と不確定要素への対処法だけでなく、学習したことをどのように意思決定に反映させればいいのかも学んだと述べています。

 やがて、そんなワールドクラスのプレーヤーたちのおかげで、賭けというものの本質を理解することができた。賭けとは、不確実な未来に対する意思決定である。ここから、あらゆる意思決定を賭けとして考えることで、日常の不確実な環境においても学習の機会を見つけられるようになった。さらに、意思決定の際に陥りがちな失敗を避け、より合理的に結果から学び、意思決定プロセスからできるかぎり感情を排除できるようになった。
 2002年、超有名ポーカープレーヤーであり友人でもあるエリック・サイデルがオファーを断ったおかげで、あるヘッジファンドのマネージャーから、証券取引にも適用できるポーカーのテクニックをトレーダーたちに教えるという講演の話が私に回ってきた。それ以来、多くの業界の専門家を前に講演を行い、ポーカーで学んだアプローチを深く見つめ直しながら絶えずそれに磨きをかけ、金融市場、戦略策定、人事、法務、起業などあらゆる領域での意思決定にテクニックを応用する手助けをしてきた。
 自分が下したいと思う決定とその決定を実際に下すことのあいだには溝があるが、幸い、そこに落ちないための回避策は見つけられる。本書を読めば、「賭け型思考」をすることで、人生のさまざまな局面で優れた意思決定ができるようになる。結果の質と意思決定の質をうまく区別できるようになり、「わかりません」ということの力を知り、最高の未来を描き出すための戦略を学び、衝動的な意思決定を減らし、ともに真実を追求する仲間との輪をつくることで意思決定プロセスを向上させ、過去と未来の視点から考えることで感情にまかせた決定を減らすことができる。
 とはいえ私自身も、賭け型の考え方を取り入れたからといって、決して感情を挟まない合理的な人間になったわけではない。過ちはこれまで何度も犯してきたし、今でもそれは変わらない。過ち、感情、敗北――私たちは人間なのだから、これらを避けることはできない。賭け型思考によって、私は客観的かつ正確に、柔軟な頭で考える「方向に向かう」ことができた。やがてそれが積み重なれば、生活に大きな変化が生まれる。
 このように、本書はポーカーの戦略やギャンブルに関する本ではない。テーマとなるのは、意思決定と学習についてポーカーが私に教えてくれたことだ。紫煙にけむるポーカーのプレールームで私が学んだ実践的なテクニックは、優れた意思決定ができるようになろうと願う人にとってもきわめて有効な戦略である。

『確率思考』 はじめに より アニー・デューク:著 長尾莉沙:訳 日経BP社:刊

 賭け型思考をするには、私たちの人生を決定づける二つの要素を認識する必要があります。
 それは、意思決定の質と、運の存在です。

 デュークさんは、この二つの違いを認識することこそ、賭け型思考のすべてだと指摘します。

 本書は、デュークさんがポーカーを通じて学んだ「賭け型思考」を身につけるためのノウハウをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

スポンサーリンク
[ad#kiji-naka-1]

人生は「ポーカー」に似ている

 ポーカーは、不確実な条件のもとに意思決定を行うゲームです。
 そのため、人生の意思決定のモデルに近いといえます。

 デュークさんは、同じく知的競技である「チェス」と比較して、以下のように説明しています。

 チェスは戦略が複雑すぎるため、人生の意思決定のモデルにはふさわしくない。私たちが日常に行う意思決定の大半には隠れた情報が存在し、運の影響も大きい。そのため、チェスには存在しない課題が生まれる。つまり、現実では自分が下した決定と運がそれぞれどのくらい結果に影響したのかを見極めなければならない。
 チェスとは対照的に、ポーカーは「不完全情報」のゲームである。ポーカーは不確実な条件のもとに意思決定を行うゲームで、必然的にゲーム理論におけるゲームの定義に近い。重要な情報は隠され、あらゆる結果に運の要素が絡む。次にどのカードが配られるか予測がつかないので、すべてのゲームで最善の判断を下しても負けることがある。また、ゲームが終了してその結果から学ぼうとするとき、運の影響と意思決定の質を区別するのは難しい。
 チェスの結果は意思決定の質と密接に結びついている。ポーカーでは、運が良くて勝ったり悪くて負けたりする可能性ははるかに高い。人生がチェスのようだったら、信号を無視するたびに必ず事故に遭ったり、少なくとも違反切符を切られたりする。ピート・キャロルがあのパス指示を出すたびに、シーホークスは必ずスーパーボウルに勝つのだろう。
 だが、人生が似ているのはポーカーのほうだ。自社の社長を解任するうえで最も賢明で慎重な決定を下しても、大失敗に終わることがある。信号を無視しても無事に交差点を抜けられたり、すべての交通規制に従っても事故に遭ったりする。誰かにポーカーのルールを5分で教え、世界チャンピオンの選手と1ゲーム(あるいは数ゲームでも)対戦させたら、初心者がチャンピオンに勝つこともある。これはチェスではありえない。
 情報が不完全だと、意思決定そのものだけでなく、過去の決定からの学習も難しくなる。対戦相手のカードを結局知ることがないまま自分のプレーが正しかったのか判断するのがいかに難しいか想像してほしい。自分がチップを賭けたあとに相手がゲームを降りれば、わかるのは自分がチップを得たことだけだ。自分は下手なプレーをしたけれど運が良かったのか? それとも、うまくプレーしたのだろうか?
 どんなゲームでも、そして生活のどんな面においても、意思決定力を上げたいなら結果から学ばなければならない。私たちの生活の質は、意思決定の質と運の総和である。チェスでは運の影響が小さいため、結果から意思決定の質を判断するのは簡単だ。だからこそチェスプレーヤーは合理性を追求する。ミスをすれば、相手のプレーによってそれが明らかになるか、あとで自ら分析できる。理論的に正しい答えが常に存在する。ゲームに負けた場合、自分の意思決定が劣っていたことの他に理由を見出す余地はほとんどない。チェスプレーヤーが「あのゲームで相手にはめられた!」とか「完璧なプレーをしたのに、とにかくついていなかった」と言うのを聞くことはまずない(一方、ポーカーのトーナメントで休憩中に廊下を歩けばしょっちゅう耳にする)。
 チェスとはそういうものだが、人生は違う。人生はポーカーに似ていて、その不確実性のせいで私たちはときに自らを欺き、ときに情報を誤解する。ポーカーでは、犯したミスに結局気づけないこともある。勝ったゲームをあとから分析することはなかなかできないので、すべて正しい選択をしたうえで負けてもミスのせいだと決めつけてしまったりする。ほんのいくつかの結果をもとに自分の意思決定の良し悪しを判断することは、チェスでは非常に合理的な学習法だ。だがそれは、ポーカーや人生には使えない。

『確率思考』 第1章 より アニー・デューク:著 長尾莉沙:訳 日経BP社:刊

 実力がほとんどそのまま反映され、敗因や勝因をすべて検証できるチェス。
 配られた手札や場から引くカードなど、不確定要素が勝敗に大きく左右するポーカー。

 たしかに、人生はポーカーに似ているとい言えますね。

 どんなに最善を尽くしても、失敗や敗北は避けられない。
 そのリスクを最小限に抑えて、成功を見出す。

 ポーカーで必要な能力は、まさに私たちに必要な能力そのものです。

すべての意思決定は「賭け」である

「賭け」と聞くと、カジノ、競馬や競艇、宝くじなど、自分に直接関係のない出来事の結果を予想して金銭を賭けることを思い浮かべます。

 しかし、実際の「賭け」の定義は、それよりもはるかに広いです。

 広義の「賭け」の定義は、将来起こる可能性にあるものに対する検討から生まれた選択であり、何かが起こる、あるいは真実であるという見解に基づいて決定を下すことです。

 ポーカーやカジノといったなじみのある賭けとどれほどかけ離れていても、私たちが行う意思決定はすべて賭けである。私たちは日常的に複数の選択肢から決定を下し、自分の持つリソースをリスクにさらし、さまざまな結果の可能性を考慮して、自分にとって最も価値あるものが何かを考える。本質的に、どのような決定をしたとしても、それによって他の選択肢は選べなくなる。賭けをしないとしても、賭けをしないというその決定自体が賭けである。映画館に行くという選択をするなら、その2時間にできる他のあらゆる行動を選択しないということだ。新たな仕事のオファーを受ける場合も、同時に他のすべての選択肢を排除している。つまり、現在の仕事をそのまま続けることも、今の職場で待遇改善を交渉することも、他のオファーをもらうことも受けることも、まったく別の職種に挑戦することも、しばらく仕事を休むこともしないわけだ。他の可能性を捨てて一つの道を選ぶとき、そこには常に機会費用が伴う。
 選択、確率、リスクなど、意思決定における賭けの要素が他より明らかな状況もある。たとえば、投資はわかりやすい賭けである。株式に関する決定(購入するか、購入しないか、売却するか、持ちつづけるか、もちろん他の専門的な選択肢も含めて)には、金銭的資源を最も有効に利用するための選択が必要だ。だが、情報の不完全性や自分ではどうしようもない要因によって、投資におけるあらゆる選択肢は不確実なものになる。そのなかで自分にできることが何かを検討し、資金を最も増やせると思う投資手段を見つけて実行する。同様に、投資をしないことや株を売らないと決めることも賭けである。これは、ポーカーで与えられる選択肢、つまり、フォールド(ゲームから降りる)、チェック(賭けずにパスをする)、ベット(自分が最初にチップを賭ける)、コール(対戦相手と同額を賭ける)、レイズ(相手が賭けた額に上乗せした額を賭ける)と同じだ。
 私たちは育児における選択を賭けとは考えないが、実際には子育ても賭けである。子供を世に送り出すとき、彼らには幸せで生産的な大人になっていてほしい。子育ての選択(しつけ、食事、学校、育児哲学、住む場所など)を行うたびに、時間、お金、労力という限られた資源を、自分が望む子供の将来に最もつながりそうな選択肢に賭けているのである。
 転職や転居の決定も賭けである。商談と契約も、家の購入も、ビーフステーキの代わりにチキンを注文することも、すべては賭けである。

『確率思考』 第2章 より アニー・デューク:著 長尾莉沙:訳 日経BP社:刊

 私たちの人生は、「選択」つまり「意思決定」の連続です。
 日々の選択の積み重ねが、人生そのものと言ってもいいくらいです。

 時間、お金、労力。
 それらの資源(つまりチップ)を、より将来のリターンの大きいと思われることに使う。

 なかなか自覚できませんが、私たちが普段していることは、「賭け」そのものですね。
 賭けであるから、選択によって、受け取る結果も変わってきます。

 勝つ確率が高い選択、自分にメリットのある選択はどちらか。
 そんな視点をつねに持つことは、人生の質を上げるために必要なことです。

「運」か「スキル」か――原因を正しく見極める

 私たちの人生に変化をもたらす結果には、「意思決定」「運」の2種類の原因があります。

 デュークさんは、私たちがコントロールできないもの(他人の行動、天気、遺伝子など)によって結果が出た場合、その原因は運だと述べています。

図1 学習サイクル2 確率思考 第3章
図1.学習サイクル2
(『確率思考』 第3章 より抜粋)

 ゴルフでティーショットを打つとき、初心者にとってもプロにとっても、ボールが着地する場所にはスキルと運のいずれもが影響する。スキルの要素、つまりプレーヤーのコントロール力に直接関わる要素としては、クラブの選択、打つときの構え方、スイングのスピードや正確さなどがある。運の要素には、突風が吹く、スイングの瞬間に名前を呼ばれる、ボールが地面の窪みにはまったりスプリンクラーに当たったりする、プレーヤーの年齢や遺伝子が影響するなど、打つときに起こるあらゆることが含まれる。
 体重の減少という結果では、食生活の変化や運動量の増加(スキル)、代謝の急激な変化や飢饉の発生(運)が直接的な原因になりうる。交通事故は、自分の信号無視(スキル)や相手の信号無視(運)などによって発生する。テストの結果が悪ければ、勉強しなかったこと(スキル)や教師が意地悪だったこと(運)が原因かもしれない。ポーカーで負けたなら、自分が意思決定を誤ったか、あるいは他のプレーヤーの運が良かったのかもしれない。
 結果の原因はスキルだとみなせば、その責任は自分にある。運が原因だと考えるなら、自分にはどうしようもなかったということだ。どんな結果が出ても、私たちにはまずこの判断が求められる。結果が「運」のカテゴリに属するのか、「スキル」のカテゴリに入るのかを決める賭けだ。ニック・ザ・グリークが過ちを犯したのはここである。
 この場合の学習サイクルは上図のように表せる(上の図1を参照)。
 自分が野球の外野手だとして、ランナーがいる場面でフライボールをキャッチしたと考えてみてほしい。どこにボールを投げるべきか、とっさの判断が求められる。中継の内野手に投げるか、塁に戻るランナーを刺すか、進塁するランナーをアウトにするか。キャッチしたボールをどこに送球するかは外野手にとっての賭けである。
 私たちも「結果」というボールをどこに投げ込むか賭けをしている。自分に責任がある「スキル」のバケツに入れるか、自分に責任のない「運」のバケツに入れるか。この選別作業によって、何かを学べる経験(スキルの結果)に注目し、そうでないもの(運の結果)を無視することができる。これがうまくいけば経験を積むごとにどんな「もっと」にでも近づける。もっとよく、もっと賢く、もっと健康に、もっと幸せに、もっと裕福になれる。
 だが、これをうまくやるのは難しい。全知全能でないかぎり、起こった結果の原因を突き止めることは困難だ。不確実な要素があるせいで、結果を「スキル」と「運」どちらのバケツに振り分けるかという賭けはややこしくなる。

『確率思考』 第3章 より アニー・デューク:著 長尾莉沙:訳 日経BP社:刊

 自分がコントロールできないもの(運)を、いくら変えようとしても無理です。
 自分がコントロールできるもの(スキル)を、他の何かのせいにしても改善はしません。

 結果を「スキル」と「運」のバケツに振り分ける。
 成功の確率を上げる秘訣ですね。

「説明責任」があると意思決定力が向上する

 意図的な理由づけと自己奉仕バイアスを取り払い、「賭け型思考」を強化する。

 著者は、そのための方法のひとつに「説明責任を負う」ことを挙げています。

 デイヴィッド・グレイは賭け金の大きいポーカー大会でプレーするプロのギャンブラーであり、仲のいい私の友人でもある。ある晩、ニュージャージーの競馬場とボーリング場で遊び終わったデイヴィッドと何人かのギャンブラー仲間はおなかが減っていた。遅い時間だった。誰かがハンバーガーチェーンのホワイト・キャッスルに行かないかと言った。それをきっかけに、彼らのなかで一番の大食いであるアイラ・ザ・ホエールがいくつハンバーガーを食べられるかという話になった。
 100個ならいけるとアイラが言うと(ホワイト・キャッスルのハンバーガーは小さめだ)、当然ながら、仲間たちは食べられないほうに賭けることにした。しかしデイヴィッドは違った。「僕はまだ若く、ギャンブルも始めたばかりだった。当時の僕には50ドルさえ大金だった。アイラ・ザ・ホエールが失敗するほうには2000ドルの賭け金が積み上がっていた。でも僕は彼が成功すると思ったから、そっちに200ドルを賭けた」と彼は語る。
 ホワイト・キャッスルに着くと、アイラ・ザ・ホエールは一度に20個ずつハンバーガー頼むことにした。アイラが最初の注文をしたとき、デイヴィッドは勝利を確信した。彼はハンバーガーの他にシェイクとフライドポテトも頼んだからだ。
 100個を食べ切り、デイヴィッドとともに賭け金を手に入れたあと、アイラは「妻に」と言ってさらにハンバーガーを20個テイクアウトした。
 説明責任とは、自分の行動や考えの根拠を他者に伝える意思と義務を意味する。賭けることは説明責任を果たす手段の一つだ。自分の意見にこだわっていると賭けで損をする。アイラ・ザ・ホエールのギャンブラー仲間たちは、彼がハンバーガーを100個食べられるかどうかという考えに責任を負ったのである。ジョン・ヘニガンがデイモンに(短期間)移住したのも、責任を果たすためだ。そのような状況下でしばらく過ごすと、自分の主観への自信の度合いにきわめて敏感になる。普通は賭けを強要されることはないが、その心構えでいることで、自分の主観や言葉の正確さに常に責任を負う準備ができる。口だけでなく行動で証明する覚悟ができるのである。
 いつでも賭けを挑まれかねない環境にいると、意図的な理由づけが行われにくくなる。そのような環境は、自らの主観に反する情報を見るときのフレームを変化させ、真実を追求する仲間たちから賛同される考え方を確立させてくれる。むしろ優れた賭けができる可能性を高めるので、役立つ情報だとみなされる。そして賭けに勝てば、それがさらに主観のアップデートにつながる。
 説明責任を負っていると、一人で意思決定や情報処理をするときにも、あとから仲間たちに行動の根拠を説明しなければならないと「事前にわかっている」ため優れた選択ができる。私のキャリアがまだ浅いころ、ゲームで負けているときに自己奉仕バイアスの影響を避ける方法として、あらかじめ「損失限度額」を決めておくといいとグループから勧められた。損失が600ドルに達したらその時点でゲームを降りるというものだ。助言をくれた賢い熟練プレーヤーたちは、負けている最中の私にはその原因が不運なのか自分のプレーなのか合理的に判断できないとわかっていた。もっとも、損失限度額をあらかじめ決めておけばむやみに深追いしていないかチェックできるものの、自己規制には限界があり、実際には賭けを続けることもできてしまう。持ち金がまだあれば使ってしまうかもしれない。手持ちがなくなっても、カジノにはATMがあるし、クレジットカードで現金の前借りができる機械もある。また、ポーカープレーヤーは負けているプレーヤーにかなり気前よく金を貸してやるものだ。
 だが、私は仲間たちへの説明責任があるとわかっていたので、損失限度額を超えてブレーを続けることはきわめて少なかった。限度額に達したときに私の内なる声が「今はいい流れが来ているから、もっとお金をかけてプレーを続けなきゃ」と言っても、尊敬するプレーヤーたちにあとからその決定を説明しなければならないと思い出した。説明責任があるおかげで、彼らがその場にいれば交わされるだろう会話が頭に浮かんだ。今は運が巡ってきていないだけだと説明する私に、その判断にはバイアスがかかっていると脳内の仲間たちが示してくれたおかげで、チップをもっと買いたいという衝動に抗うことができた。その後、負け試合を終えて家に帰ってからも、ゲームを降りた決断を称えてくれる仲間たちの言葉を想像すれば負けた苦痛もいくらか和らいだ。
 グループ内での会話を想像することで、一人のときも自分のミスに素早く気づきやすくなる。

『確率思考』 第4章 より アニー・デューク:著 長尾莉沙:訳 日経BP社:刊

 人間は、自分が思っているより、精神的に弱いもの。
 事前にルールを決めていても、場の雰囲気や感情に流されてしまうこともあります。

「説明責任を負う」ことは、意思決定の前に一呼吸を置き、客観的に状況を判断すること。
 外部の撹乱(かくらん)要因から身を守る“歯止め”になりますね。

スポンサーリンク
[ad#kiji-shita-1]
☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 デュークさんは、未来を確実に予測することは決してできないと理解すれば、私たちはもっと順調で幸せな人生を送ることができるとおっしゃっています。

 人生は、ポーカーと同じで、一つの長いゲームです。
 負けることもたくさんあるし、最善を尽くしてもうまくいかないこともあります。

 うまくいかない可能性は、どれだけあるか。
 うまくいかなかった場合、どれだけの損失を被るか。

 それらを事前に想定して、リスク管理を徹底する。
 そのうえで、期待値が最も高くなる選択肢を選ぶ。

 そんな「賭け型思考」を身につけることが、人生を成功に導く秘訣です。

 人間は、「主観的なものの見方」から逃れることはできません。
 ポーカーでも、人生でも、最後に勝つのは、それらを律し、確率の高い方に賭け続けた人です。

 一寸先は闇。
 昨日の常識は、今日の非常識。

 本書の内容は、そんな変化の激しい時代を生き抜くために必携のノウハウといえます。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ(←気に入ってもらえたら、左のボタンを押して頂けると嬉しいです)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です