本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『バカとつき合うな』(堀江貴文、西野亮廣)

 お薦めの本の紹介です。
 堀江貴文さんと西野亮廣さんの『バカとつき合うな』です。

 堀江貴文(ほりえ・たかふみ)さんは、実業家です。
「ホリエモン」の愛称で知られ、宇宙ロケット開発や、スマホアプリのプロデュースなど、多岐にわたってご活躍中です。

 西野亮廣(にしの・あきひろ)さんは、芸人です。
 絵本作家として活動されるなど、さまざまなビジネスや表現活動を展開されています。

普遍的な「バカ」という存在

 私たち人間は、本来、何者にも邪魔されない「自由な存在」です。
 しかし、実際にはさまざまな障害に邪魔され、不自由な人生を送っている人がほとんどです。

 堀江さんは、その理由をバカと付き合っているからだと指摘します。

 あなたがいま、何歳だとしても、どこでどんな仕事をしているとしても、あなたがこれを読んでいるのが何年のことだとしても。
 あなたの自由を邪魔するものはつねに、バカの存在です。

 楽しくないでしょうけど、思い出してみてください。
 バカはいつでもいたはずです。
 10代で出会ったバカ、20代で出会ったバカ、30代で出会ったバカ、40代で出会ったバカ。
 あなたがいま何歳であろうとも、バカがいない年代などなかったでしょう。
 歴史的にも、空間的にもそうなのだと思います。
 つまり、バカは偏在(へんざい)する。
 バカはある意味、普遍(ふへん)なんです。

 バカはいつでもどこでもいる。
 大きな話をするなら、そんなバカの存在が、人類文化の足を引っ張り続けてきたんだと思います。正確に言うなら、人類の自由を邪魔しつづけてきた。同じ人類でありながら。
 とはいえ、そういう人に石を投げてはいけないのは当然のことだし、一方で、だからといって、彼らを仕方なく受け入れなければいけないということもありません。

 だから、あなたができることはただふたつだけ。

「バカと付き合わないこと」と、
「バカにならないこと」です。
(中略)
 時代はずっと変わりつづけているし、人間はずっと変わっていない。
 本書はある意味、人間の変わらないバカさについて語っています。
 バカを考えることは、人間を考えることです。思った以上に、そうでした。
 アインシュタインは、かぎられた条件下だけで成り立つ「特殊相対性理論」を完成させた10年後に、どのような条件下でも一般的に成り立つ「一般相対性理論」を完成させました。
『バカとつき合うな』は、これになぞられるなら、西野くんという仲間を得て、時間をかけて、やっと完成させた一般相対性理論のようなものです。

『バカとつき合うな』 はじめに より 堀江貴文、西野亮廣:著 徳間書店:刊

 バカを考えることは、人間を考えること。

 本書は、この世にあふれる「バカ」の本質を解説し、「バカ」に邪魔されずに生きるためのレシピをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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バカばっかりの環境に居続けるバカ

 堀江さんは、いっさいバカとは付き合わないし、その結果、すごく自由な人生を送っています。

 そして、環境や付き合う人間を選べないと考えてしまうのは、バカの思考だと言い切ります。

 あなたをバカと決めつけたいわけではないし、ぼくも最初からいまのように振る舞えたわけではありません。ぼくもバカと付き合ってきた。付き合わされてきた。
 ぼくの人生はある意味、バカとの戦いとともに始まりました。
 小学校はバカばっかり、同級生だけではありません。教師もバカ。家に帰ると、父親も母親もバカ。
 小学生なんて完全に無力だかたら、運が悪かったら、一番理不尽にさらされる時期です。父親もぼくが口答えをしたらすぐに手を上げる人だったし、母親は急に思い立ってぼくを無理やり柔道道場に通わせました。その道場ではいまの時代だったらありえないレベルの体罰を受けた。
 よくケンカもしました。所詮小学生だから、自分を取り囲む理不尽にどうすればいいのかわからなかったんでしょう。いつも苛立っていたと思います。

 そんなバカばっかりの環境の中、ひとりの例外に出会います。小学3年の時の担任の星野先生。彼女はこう言ってくれました。
「あなたの場所はここではない」
 学校の勉強が簡単すぎる様子のぼくに、進学塾に通って、進学校の中学を目指すよう薦めてくれたんですね。
 環境は、選べるし、変えられる。いまのぼくには言うまでもないほどの当然のことですけど、記憶を辿れば、それを最初に教えてくれたのはこの先生だったと思います。
 目の前の環境が唯一のものではないし、ほかにも選択肢はある。でもそれは、偶然教わったものでもあった。星野先生が教えてくれなかったら、そのまま地元の中学校に進学していたかもしれないわけです。そっち側の分岐の道を想像すると、いまでも恐ろしいですね。遅かれ早かれそのことに自分で気づいていったとしても、彼女が小学3年の時点で教えてくれたことには感謝していますし、ラッキーだったと思います。
 ただ、今後の人生を運任せにするわけにはいかない。不運だったらそこで行き止まりの人生なんて嫌です。
 それが嫌なら、ほかの選択肢を、自分のほうから考え、探していくしかない。情報を自分から取りにいくしかない。そう意識する最初のきっかけになりました。
 情報を取りにいくということは、運任せにしないということです。成功している人って、運がいい人ではなく、運任せにせずに勝つための情報を集めにいった人なんです。

『バカとつき合うな』 第1章 より 堀江貴文、西野亮廣:著 徳間書店:刊

 バカばかりの環境に居続けるのは、「バカ」である証拠だということですね。
 そんな「バカ」を脱する第一歩は、他の選択肢を探す、つまり「情報を取りにいく」です。

 堀江さんは、「バカ」とは情報を取りにいくことに消極的で、運任せで、その結果、想像力がない人のことを呼ぶと述べています。

 自分の人生は、自分で切り開く。
 そんな積極的な意識を持つことが、「バカ」脱出の突破口となります。

人生の配分ができないバカ

 私たちは、一見、自分が行きたい学校を自由に選び、働きたい会社を自由に選んでいます。
 でも、それは表面的な「主体的選択」でしかありません。

 堀江さんは、社会は、そういう目先の自由を感じさせることで、大事な問題に気づかせないようにしていると指摘します。

 その大事な問題というのが、時間のことです。
 人生とはなにか。人生とは単純に、時間のことです。まどろっこしい哲学なんて関係ない。
 ポイントは、それが無限ではなく有限で、たかだか80年程度のものだということ。大学を出て企業に終身雇用されるというライフモデルを愚直(ぐちょく)に受け入れるなら、小学校〜大学で学校教育に16年間、それから企業に43年間。人生の時間を仮に80年とするなら、そのうち60年近い期間、つまり人生の4分3を、学校と労働に明け渡す。
 それ、長すぎませんか? 自分で考えて納得した配分ですか?

 日本では、「普通はこういうもの」という通念が、時間に関してはもっとも深く根を張っています。
 それを象徴するのが、日本の高校以前の学校に、飛び級がないこと。だから学校には、年齢の多様性がない。大学も結局、18、19歳で入学する人がほとんど。
 優秀層だけの問題ではありません。逆に、勉強が苦手な子どもが、小学校を12年かけて18歳で卒業するということも許されない。年次はほぼ強制的なに上がっていくから、結果、初歩でつまづいた子どもは、それ以後の授業を聞いても理解できるわけがないのに、無駄な時間を取られつづける。
 そんな時間があるなら、好きな仕事の訓練でもしたほうがいい。だから、ぼくが主宰するゼロ高等学院はそういう機会を提供していくんです。

 そして、学校や企業は、あなたの時間の主導権を握ります。
「1週間のうち月曜から金曜を、1日のうち9時から18時までを、こちらに譲り渡しなさい」。そうやって、あなたの時間の使い方を、あなたより先に決めてしまう。
 牛肉で言えば、サーロインとかヒレとかの美味しい部位を先に、企業が取っていくわけです。残っているのは内臓。いわゆるホルモン(語源は大阪弁の「ほる=捨てる」もの)ですよね。残り物しか自分のものにならなくて、それだけが「自分の自由な時間」。
 つまり、「他者に時間の主導権を握られている人」にとってのプライベートって、ホルモンなんです。

『バカとつき合うな』 第1章 より 堀江貴文、西野亮廣:著 徳間書店:刊

 周りの人が皆そうしているから、自分もそうしなければならない。
 そう考える時点で、思考停止している、つまり「バカ」の思考にはまっているということ。

 誰にとっても、最も大切な資源が「時間」です。
 その配分を考えることが、すなわち人生を考えることです。

 自分の「時間」を取り戻し、人生の主導権を取り戻しましょう。

未来を予測するな、現在だけを生きろ!

 世の中には、「いいバカ」と「悪いバカ」がいます。

 堀江さんは、西野さんのことを現代で一番見本になる、最良のバカのひとりだと述べています。

 この本でも、未来を予測するな、現在だけを生きろと述べました。なまじ先のことを予測して、その想像力に縛(しば)られて、いま動けなくなる。あるいはほかの人と同じことしかできなくなる。そういうあり方を「未来に縛(しば)られている」と表現しました。
 はっきり言って、どんなチャレンジでも、100%確実に成功する保証があるものなんてどこにもありません。成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。これは、あらゆるものがそうです。ということは、本来それは「考えてもしょうがないこと」のはずです。論理的にしっかりと考え詰められる人は、そのことを客観的に理解できる。
 でも未来に縛(しば)られる人は、「失敗するかもしれない可能性」に縛(しば)られてしまう。ぼくに言わせれば、それは考え方が足りないから。中途半端にしか考えてない。考え詰めれば、それを考えてもしょうがないことに必ず行き当たるはずです。考えることは利口の特権ですが、ほとんどの人が「小利口」止まりなんです。そして足踏みする。

 そんな小利口をやるくらいなら、最初からなにも考えなくていい。先のことを考えず突進していくバカは、その意味で強い。結果的に、「考えても意味がない」という考え詰めた利口と同じ結論を持っている。その上、考えることに時間を費やさなかった分、バカのほうが利口より時間コスパがいい。利口が考え詰めているあいだ、そして小利口がちょっと考えて結局足踏みしているあいだ、バカはもう行動しています。「過去と未来に縛(しば)られず現在だけを生きよ」なんて、この本を読まなくても、いいバカはすでに現在だけを生きているんです。

 そうやって、バカは人より多くバッターボックスに立つ。バットを振らなきゃヒットを打てないんだから、バットを振った回数が多い人ほど成功する。これだって、論理的に考えればごく当然のことです。
 ここまで読んで、誰か思い当たりませんか?
 そう、西野くんです。西野亮廣そのもの。
 彼はとにかく、バットを振るんです。絵本はもちろんのこと、単独公演のチケット手売りとか、美術館建設とか、町作りとか、はっきり言って、彼がこれまでどんなことにチャレンジしてきたか、全部は把握(はあく)していません。多すぎて(笑)。
 中には失敗したものもあるでしょう。ただそんなこと、ぼくからすれば単なる「当たり前」のことで、彼のイメージを損なうものではいっさいありません。全部が成功するわけではないなんて、同じようにたくさんのことを手がけているぼくが一番よく知っています。

『バカとつき合うな』 第2章 より 堀江貴文、西野亮廣:著 徳間書店:刊

「うまくいかなかったら・・・・」

 先のことを考えると、そんな余計なことが頭をよぎります。
 結局、二の足を踏んでしまい、何もできなくなってしまいます。

 どんなに思考を巡らせても、その通りにならないのが人生です。

 ならば、今、やりたいことを即実行する。
 そんな「先のことを考えず突進してくバカ」が最強といえますね。

 私たちも、「小利口」ではなく、「いいバカ」を目指しましょう。

バカだったおかげで、「考える力」を得た

 西野さんは、自分のことを子どものときから、後先を考えないバカだったと述べています。

 バカだったおかげで得られた最大のものは、考える力だと思います。ある意味、バカは頭がよくなるんです。
「言っちゃった・・・・」って少し後悔しながら、宣言を本当にするためにずっとあれこれ考える。そういうことを繰り返すうちに、徹底的に考える癖がついたんだと思います。
 つまり、バカなのが先にあって、ロジカルシンキングが後からついてきた。そのあたり、堀江さんとは順番が違うのかもしれませんね。

 自分がバカなせいで、ずっと考えなきゃいけなくなって、ずっとそれをやってきたせいなんですかね。いつの間にか、考えること自体がすごく好きになっていましたね。
 世の中がどうしてこういう仕組みになっているのかについて、ぼくはいつも考えています。飲み屋に行って仲間や後輩と飲んでいてもそういう話ばっかりしちゃうんです。
 オンラインサロン(西野亮廣エンタメ研究所)に入ってくれた人の多くは最初、ぼくの記事の投稿頻度がすごく高いことに驚きます。ただ、それもあくまで考えていることの一部。思考でパンパンになった頭のガス抜きをするように記事を書いているところもある。
 そうして発信すると、サロンメンバーのみんながたくさんの意見を返してくれて、それが、次の思考をもたらしてくれる。
 人間ひとりの頭のキャパシティなんて、たかが知れています。いまのぼくに関しては、サロンメンバーがいっしょに考えてくれるおかげで、普通の人よりも思考の絶対量が多い状態を作れていると思います。自分が考えること、人の考えを聞くこと、それを発信することが全部、すっかり一緒くたになっている状態ですね。

 ぼくは、これをやる!とすぐに宣言してしまうし、実際に行動するし、いろんな場所に足を運ぶ。ぼくのことを、いわゆる「考えるより行動派」として認識している人は、とくに一般の方には多いんじゃないかと思います。
 ぼくはたしかに行動派です。ただしぼくの行動の半分以上は、情報収集なんですね。
 情報は、自分自身が行動することによってしか集まってきません。だから行動するし、そのことでよりたくさんの情報を集めようとしている。情報があればもっと思考できるから。それは本書の最初のほうで堀江さんが書いている通り。
「考えるより行動」じゃなくて「行動することで考えている」んです。

 バカは、後先考えないのにほかのことは人一倍考えている。
 自分がそうだったから言えることですが、こういうバカも世の中にはけっこういる。
 言っちゃうと、堀江さんも結局そうじゃないですか。「未来を予測するな!」と言いながら、めっちゃいろんなことを考えている。この本を読めば瞭然(りょうぜん)ですよね。

『バカとつき合うな』 第3章 より 堀江貴文、西野亮廣:著 徳間書店:刊

「考えるより行動」ではなく「行動することで考えている」。

 成功するかしないか、その可能性を考える前に、まず宣言してしまう。
 具体的な戦略ややり方を考えるのは、その後だということですね。

 始める前に考えるのではなく、始めた後に考える。
 それが、これからの時代に成功する秘訣だといえます。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 今でこそ、多方面でマルチに活躍されている西野さん。
 ただ、「自分には特別な才能はなかった」とおっしゃっています。

 西野さんが、子どもの頃から変わらず続けていること。
 それは、「折り合いをつけない方向で可能性を探る」の一点だったそうです。

 子どもの頃は、みんなやりたいことをやりたいときにやって、時間を忘れて遊び回っているものです。
 しかし、いつの間にか、自分に限界を設けたりして、やりたくないことに時間を割くようになります。
 そして、折り合いをつけて、物わかりのいい「大人の自分」になってしまうのですね。

 逆に、堀江さんや西野さんは、折り合いをつけず、自分に正直な子どものまま大人になった人間といえます。

 世間一般には、彼らのような人の方が「バカ」と呼ばれます。
 でも、本当に「バカ」なのは、どちらでしょうか。

 自分が生きたいように、忖度(そんたく)なく正々堂々と生きる。
 私たちも、堀江さんや西野さんを見習い、そんな良い「バカ」を目指したいですね。

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