本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『魂活の教科書』(真印)

お薦めの本の紹介です。
真印さんの『魂活の教科書』です。

風の時代を軽やかに生きる「魂活」の教科書

真印(まいん)さんは、スピリチュアル・カウンセラーです。

「世界の価値観」が変わる瞬間!

「土の時代」から「風の時代」へ。

2020年12月に、木星と土星が重なる200年に一度の節目、いわゆる「グレート・コンジャンクション」が起こました。

真印さんは、「風の時代」には、「目に見える物事だけではなく、直感的に、あなた自身が心から愛せる選択をすること」こそが、あなた自身やあなたの大切な人、そして世界が良い方向へと動いていくためにとても重要なことだと述べています。

 目には見えないけれど何か感じ取れるもの。
「風の時代」を象徴するのは、非物質です。
「最近、なんだか風向きが変わった?
と感じている人や、新しい目標を立てたり、チャレンジをしようとしている人も多いのではないでしょうか。今、自由に羽を広げて新しい世界に飛び出そうとしているあなたを後押ししたくて、この本を書くことにしました。
スピリチュアルの世界というと、つい身構えてしまう人もいるかも知れません。でも、怪しいことでも、不思議なことでも、特別なことでもないんです。本来、古来より私たちは自然と対し、自らの感性を信じて、見えない力を使うことが得意だったのですから。
そして、その力は、今は意識して使っていないかもしれないけれど、絶対にあなたの中にもある。心の底では、そういうものに支えられながら生きているはずなんです。

私が伝えたいことは一つ。
何かにすがることなくても、あなたは自分で自分の魂とつながり、自分で自分を幸せに導く力があるのだということです。
多様な価値観が共存する時代。「あなたと私は違う。でも、それぞれの自由や幸せを尊重ながら、一緒に生きていこう」と言い合える時代。ネットワークの時代、共生の時代。
この時代って、実は、「目には見えないもの」ともつながりやすい時代なのです。
私は「土の時代」から「風の時代」になったことを、角が取れてまぁるくつながれる時代という意味で、「△の時代」から「◯の時代」へと呼んでいます。「風の時代」は「サークル(つながり)の時代」でもあるんですね。

さて、この本の説明に入る前にかんたんに自己紹介をさせてください。私はスピリチュアルカウンセラーとして、故郷である愛媛・松山と東京の二つの拠点で活動しています。
私の祖母は、戦後、田舎に医療施設が充実していなかったころ、松山で、困りごとや病を抱える地域の人たちを癒やし、時には“よくないものを祓(はら)う”という仕事をしていました。
古代の日本、飛鳥時代のように政治と信仰が近い関係にあった頃のこと、采女(うねめ)といって宮中にお仕えして、自然や神さまの声をお聞きするお役目があったのですが、私の一族は、その末裔(まつえい)だと聞いています。今の時代でいうと、お医者さま、薬剤師さん、カウンセラー、巫女(みこ)さんのようなお仕事といったらいいでしょうか。
ともかく代々、ご縁があって、「目に見えない世界」と向き合う役割を与えられてきた家系のようです。
でも実は、律令制以前の時代には、人々はスピリチュアルカウンセラーがいなくても、それぞれに「自然や神さまの声を聞く力」を持っていたんだそうです。時代の変化によって徐々に失われていったというその力を、現代人一人ひとりが取り戻すためのサポートをしたい、というのが私の願いです。

『魂活の教科書』 プロローグ より 真印:著 大和書房:刊

生まれるとは、魂が肉体に宿ること。
死ぬとは、魂が肉体から離れること。

真印さんは、「魂活(こんかつ)」、つまり魂が肉体に留まっているまさに今、充実した人生を送るために、大切な役割を担(にな)ってくれている魂の存在を意識し、フル活用させることを勧めています。

本書は、見えない世界も含めたこの世の仕組みを解説し、「魂活」の具体的な方法についてわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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人間を構成する「3つの要素」とは?

真印さんは、この世の中に生きて生まれてくる生き物は、肉体(アニマル)と心(メンタル)、そして魂(スピリット)の3つの要素で構成されていると述べています。

【魂=スピリット】
魂というのは、生き通しで死なない存在。それぞれの魂は、その魂固有のベクトル(進むべき方向)のようなものを持っていて、ずっとそのベクトルに進み続けていきます。それ人は、「ミッション」「使命」という言い方をすることもあるかもしれません。

【肉体=アニマル】
それに対して、肉体という器には寿命があります。肉体は、今世の器のこと。器としての役目を終えると死を迎えます。
たとえば、おいしいものを食べること、健康でいること、恋をすること、おしゃれすること。そういったことはアニマル側の欲求であると考えます。この器を食べさせて機嫌良く健康に生きていくことは、魂にとってとても重要なことになります。
ただし、このアニマルが、なかなかの曲者(くせもの)。ときどき魂の足を引っ張ります。ラクをして現状維持に流されそうになったり、思い通りにならないことに憤ったり。そうした、いわゆる“人間くさい”煩悩は、アニマルの仕業(しわざ)だと捉えてください。私たちは自分のアニマルにしつけをして、自分を律することも必要になってきます。

肉体が滅んでも、魂は滅ばず、また次の肉体を自ら選び、自分の使命を果たすときまで、何巡も地上に生まれては巡り続けていきます。肉体が死んだら次の肉体に移る。入れ物が変わるだけ。「今回はこの入れ物をお借りして、自分の魂の方向性にこの子を向き合わせる」という考え方で、魂が、次に生まれて出るための肉体を選ぶんですね。
そうして、幾多(いくた)の肉体を経て、魂が自らのベクトルを進み切った後、使命を果たした先には、長い旅路からの「卒業」が待っています。

【心=メンタル】
心というのは肉体と魂の世界を結ぶ架け橋。ノズル部分だともいえます。実は、このノズルが詰まっていると、スピリットの世界からのメッセージを聞くことができなくなります。だから心が喜んでいる状態、クリーンな状態であることは、魂のベクトルに沿ってスムーズに生きていくために、とても重要なことなんですね。
そして、心が健康であるためには、肉体(アニマル)が健康でなければならない。アニマルがご機嫌になるとメンタルが明るくなる。メンタルが明るくなってはじめて、メンタルの奥の架け橋にある魂にアタックする(つながる)ことができるんです。
メンタルは照明ライトのイメージ。あなたの心に調光器があって、そのボリュームを上げていくとパーッと明るくなっていくのです。

たとえば、健康を害してしまったり、今の自分への不満やストレスを抱えていたりする状態は肉体側のリクエストに翻弄(ほんろう)されて、器のご機嫌を取れていない状態です。
そうすると、明かりが弱くなって、心という架け橋が詰まってしまう。そんな状態ですから、スピリットの要望も聞こえてこない。本当に自分がやるべきこと、心から、魂からやりたいと願うことに到達できないのです。
それが、ほとんどの現代人の状態だともいえます。ノズル掃除をしてやりさえすれば、自分のやるべきミッションというものは、自(おの)ずと見えてくるものです。だから「ご機嫌さんのプロ」になり、自分を満たしてあげることは、すべての大前提になるくらい超・重要なことなんですよね。

目に見えないけれど私たちを守ってくれる存在。一人ひとりについて、守ってくださっている存在についてもお話しておきましょう。
人は昔からそういう存在を様々に呼び、信仰を寄せてきました。神さま、守護霊さま、大いなる人、サムシング・グレート、創造主・・・・・etc。それらは、実は同じようなものを指しているではないかと私は思っています。
私にとって一番しっくりくる呼び方は、「高次の存在」。つまり高い次元から私たちのことを守ってくれる方たちという意味です。
三次元、四次元を超えるともう目に見えない世界になってくる。そういう場所から私たちにアドバイスをくださる方々がいます。その声を聞くことが、自分の魂が高い次元へと「魂は死なない」と先ほどお話しましたね。魂は滅びずに、課せられた試練をくぐり抜けていった先には、肉体を必要としない次元に到達することができます。
「卒業」した魂が「高次の存在」なのです。つまり、「高次の存在」とは、先輩の魂。もともと肉体を持ち、今の私たちと同じように地上で修行をしてきた人たちなんですね。
そういう人たちが上から、「がんばれー!」って応援をしてくれる。そして、私たち一人ひとりがより高い次元に到達できるように、根気強く丁寧に導いてくれます。

「ご先祖さまの声を聞く」とか「困ったときの神頼み」といった言い方が昔からありますけれど、守り導こうとしてくださる存在というのは、一人ひとりに縁のある「高次の存在」なんですね。
「高次の存在」からのメッセージは、基本的に、私たちは人間に平等に注がれている。でも、受け止める側の私たちの器は、本当に人それぞれ。
お猪口(ちょこ)サイズなのか、たらいサイズなのか。そもそも受け取りやすい器なのか、そうでないのか・・・・・。それぞれに違っているんです。魂活をして、日々の心のメンテナンスをすることで、このメッセージを受け止める器を大きくすることができます。

魂の要望を聞くためには、肉体と魂をつないでいる心(メンタル)というノズルが詰まっていないことが必要だと述べました。
魂の世界とつながれるようになると、自分を守ろうとしてくれている存在からの助言をどんどん受け取ることができるようになります。これは、すごく特殊なことに聞こえるかもしれませんが、実はそんなに難しいことではありません。
たとえば、「高次の存在」とつながれている、メッセージを受け取れているかもしれない例として、こんな瞬間があります。あなたはこんな経験ありますか?
・何かに腹が立って感情的になっているにもかかわらず、(あぁ、いま自分怒ってるなぁ・・・・・)と、あたかも実況中継するかのように俯瞰(ふかん)して感情的な自分を観察した経験
・普段ならまずしないような選択肢をとった結果、物事が予想しない方向にうまく展開した経験
・ふとひらめいたこと、思い立ったことを行動に移した結果、いろんな物事のタイミングがうまく噛(か)み合った経験
・・・・・etc.
これらは、魂側の要求を聞くことができている状態かもしれません。感情的になることや食欲などの欲はアニマル(肉体)的なものですが、肉体を俯瞰した状態で自分が本来進むべき道を問うことができる状態は、スピリット(魂)優位の状態だといえます。

『魂活の教科書』 第1章 より 真印:著 大和書房:刊

私たちが「自分」というとき、体と心の2つの要素として認識しがちです。
しかし、それでは十分ではありません。

「魂」の存在を認識して、はじめて「自分」を知ることができるということですね。
むしろ「魂」こそが、自分の大部分を占める部分「本当の自分」といえるかもしれません。

風の時代の「いい波」に乗る方法

真印さんは、「ちょっとした違和感」や、反対に「今がタイミングだ!」と自分に来ている「いい波」を感じ取るセンスは、これからの「風の時代」にますます重要になってくると述べています。

 自然の中に立っていると、木や磐座(いわくら)のように、悠久(ゆうきゅう)の昔から、ずっとそこに存在しているものに対する畏敬(いけい)の念が湧いてくることがあります。自然に触れるだけで、すごくありがたい。私たちは本来そういう存在だったのだという意識が蘇(よみがえ)ってくる。
特別な能力なんていらない。私たちは誰でもみんな、その感覚を延長していくことで、「自分を守ってくれる存在」にアクセスができるようになっていくんです。
「高次の存在」は、時間や空間に縛られていないので、私たちがアクセスすれば、どこからでもつながることができます。「高次の存在」にアクセスできるようになると、いろんなメッセージが降ってきます。
「あっちへ行きなさい」
「これを勉強しなさい」
「この人に会ってきなさい」

こういったメッセージは、前述したように明確な言葉で聞こえるわけではありません。
「コンコン、これがメッセージですよ」みたいに具体的に降ってきてくれたらわかりやすくていいのでしょうけれど(苦笑)。そうではない。
最も多いのが、ふとしたひらめきや思い付き。ほかには、たまたま耳にした他人の言葉、何気なく開いた本の1ページ、目に飛び込んできた交通広告のワンフレーズ。もしくは自然現象といった形となって、あなたに降ってきます。
「高次の存在」が、何かや誰かを郵便配達人にして、あなたにメッセージを届けてくれるイメージですね。

とにかく、「何か気になる」と思ったら、その直感を疑わないこと。
私たちはとかく、「思考」を働かせがちです。「それをしたらどうなるんだろう?」とか「どんなトクになるんだろう?」とか。
私はこれを、「“頭”を外して!」と表現し、人にアドバイスするのですが、とにかく、こうした損得勘定に足を引っ張られないこと。
「高次の存在」からの采配は、とにかくスケールが大きく、そのやり方はいつも私たちの想定外。だから、私たち人間の持つ桁(けた)の小さなそろばんで、計算をはじめないことです。
「風の時代」の成功法則は少々風変わり。でも、とてもシンプルです。
こうした指示をキャッチしたら、その通りに動けばいいだけ。
疑わずに動く。

ただそれだけで、どんどん自分の未来が拓けていくようになります。

そして、あなたの感性のアンテナに無条件で惹かれてきたものたちには、不思議と類似性を感じると思います。なぜかというと、それらはすべて、あなたのミッションに関する事柄だからなんですね。
「肉体」と「魂」のコラボレーションが、今のあなた。そのあなたが、様々な角度から興味を持ったものにアプローチすると、より一層、自分の中のツール、すなわち、あなたの魂が求めてやまない、今世の与えられた課題が浮き彫(ぼ)りになってくるでしょう。それはまさに、自然な方法で、前世からの引き継ぎをしているような感じです。
もちろんそれは、あなたの今の仕事に役立つはずですし、次のステップへと連れて行ってくれるはず。
(中略)
私がメッセージを受け取るときの感覚は、耳から入る音ではありません。また、自分が「こうなってほしい」「こんなふうに後押ししてほしい」と思っている通りの助言がくることは、実はほとんどないのです。そういうときは妄想だと思ったほうがいいかもしれない(笑)。
逆に、まるで想定外な、自分の中では出てこないような言葉やひらめき、アイデアを受け取ったときこそ、「シンクロしたんだ、つながったんだな」そう思っていいと思います。
「メンタル」というノズルがクリーンで、「高次の存在」との架け橋がつながったとき。
私たちの魂が優位に立ち、「高次の存在」ともつながって、
「これがあなたの本来のミッションね。それを追うあなたをサポートします」
そんな形の送受信が、はじめてできる。
ちなみに、アニマルとスピリットは、どちらが優位なときも必要です。葛藤しながらコロコロとその上下が変わっていく状態を繰り返して進んでいくのが通常。
そうすることで魂が螺旋(らせん)状の階段をぐるぐると上に向かって上がっていくようにして、魂のベクトルの方向へと進んでいくことができます。

様々な異なる宗教や文化の中に、異なる名前にもかかわらず、「どうやらこれらは同じような感覚を指しているな」と思える教えというのがあります。
たとえば、仏教思想の中に、空(くう)と色(しき)という考え方がありますよね。私がいう「アニマル」は色、「スピリット」は空に近いのではないかと思っています。
意識と肉体、精神と物質。色と見えるものは本来、空であって、世の中には執着する対象なんて本来存在しないという教えが、色即是空(しきそくぜくう)。
人は、色欲に遊ばれ、空であることを学ぶ。その繰り返しで運動が生じて、魂が転がっていくんです。コロコロと回転をしていくときには必ず、色と空が横並びになって、8の字、無限マークみたいになる瞬間があります。その瞬間に、私たちの魂、スピリットの次元が上昇するためのヒントがあるような感じがしています。

アクシデントが起きることを、人は普通嫌います。
でも、感情が揺さぶられるようなアクシデントをたくさん経験することは、魂が本来、行きたいところに到達するためには避けて通れない、大事なことなんです。
肉体の欲や負の感情、執着などに引っ張られて大きな苦しみが生じるーー。誰しもが避けたいネガティブな経験ですが、そんなときにこそ、私たちは試されています。
いかに上手に、肉体に左右されずに自分を俯瞰するか。
自分の中の、その野性的な本能みたいなものを俯瞰しようともがいているとき、そしてまたそれが達成できた瞬間というのは、スピリットが活性化しています。それは、非常に重要なことが起きている時間なのです。
だから、困難にあうと、私は心の中で「ラッキー」と思います。そして、
「この困難は、今、私にどんな問題提起しているのだろう?」
「このミッションをクリアするには何をすべき?」

そう、冷静に考えるんですよね。つらい別れも、悲しい経験も、腹立たしい出来事も、
「自分の、この魂や肉体を成長させるためには必要なツールだったんだね」
と、“都合よく”受け止めることが大事です。だって実際、そうなんですから。
私たちは、自分がかつて愛したりした人を、時に乗り越えることがあります。それは、私たちが“前進しているから”なんですね。
(中略)
多くの人は、トラブルをできるだけ避けて、「災いがないのが幸せ」というふうに捉えがちだけれど、決してそうではない。
アクシデントこそがチャンスである。
繰り返しになりますが、私は相談者さんにいつもそうお伝えします。
これってたとえるなら、ブランコや振り子のようなもの。一度、大きくネガティブに揺れるからこそ、その後、大きな幸せをつかむことができるのです。

今の人は、波風が立たないように気をつけて、「無難」や「安定」を目指して生きている人が多い(それが「土の時代」に支配的な価値観でしたから、仕方ないのですが・・・・・)。
しかし変化を避け、無難を追い求める人生は、魂がレベルアップする経験に遭遇することもないので、成長できる因子もないということ。大きな喜びや幸せ、充実感を感じながら生きることは難しいといえます。
不幸じゃないけど、幸せでもない。毎日が同じことの繰り返しで退屈。今より明るい未来を想像できない。いまも、心のどこかで漠然とした不安や停滞感を抱えている・・・・・。
最近そんな人が増えているのは、そのせいかもしれません。

悩み事はあくまで、あなたのスピリットが成長するための糧(かて)でしかない。そのことを忘れないでください。繰り返しますが、平坦な道、無難な道を選び続ける人生は、イコール無成長ということですから。
自分で解決できない問題は目の前には生じません。そして、それをクリアした後につながったものが、あなたをまた次の展開へと連れていくようにできています。
たとえうまくいかなくて、自分の思ったような結果にならなかったとしても、その「もがいた過程」に意味があることは多いものです。その「プロセスで得たこと」が、あなたを次のステージへ連れていってくれるのですから。
とにかく小さな「ゲームクリア」を積み重ねていくこと以外、前に進む方法はない。
すごく当たり前のことを言っているようですけど、とにかく、自分で絶望して、自分にストップをかけないこと。いちいち騒がない。まやかしの“不幸”に浸らないことです。淡々と休み、整え、自立して、自分と対話をし、行動を起こし、ゲームをクリアしていく。
その「当たり前のこと」を実践することが、現代では結構、強さのいることになってしまっていますね。

ちなみに、見落とされがちなのですが、あらゆる経験に「いい・悪い」はありません。それらはすべて、あなたにとって必要だからやってくるのです。そして、「高次の存在」の采配ですから、逃れることはできません。逃げたり誤魔化(ごまか)したりしても、形を変えてまたやってくる。
だから、「宿題」のレベルがまだ簡単なうちに、腰をすえて対処しておくこと。それさえ頭の片隅にとどめておいてもらえたら、どんなことに遭遇しても、落ち着いて対応できるようになると思います。

『魂活の教科書』 第1章 より 真印:著 大和書房:刊

私たちが、この世の中で経験することは、魂が創り出したもの。

魂は、経験を求めている。
それが魂の成長、レベルアップには必要不可欠だからです。

悩みや困難にぶち当たったときに感じる苦しみの感情。
そこから抜け出すための色々なチャレンジや学び。

それこそが魂が望んでいるもの。
トラブルに取り組んだ過程こそ、宝物だということです。

トラブルも含めて、人生で起こるすべてを前向きに対処していきたいですね。

必要なのは「自分を信じるという強さ」

「風の時代」により重要になってくること。

それは、自分の魂に判断を委(ゆだ)ねて行動し、結果は“お任せ”するという感覚で、自分を信じるという強さです。

「厄年(やくどし)には神社にお参りしてお祓いをしないといけない」
「大殺界の時期は、引っ越しや転職といった大きな決断をしてはいけない」
たとえばこうした習慣、習慣が、まるで絶対の「決まり」であるかのように言われることがありますね。
もちろん、古くからある儀礼や季節の習慣には昔の人の知恵が込められていて、大切な意味はあります。でも、やみくもに信じる必要はない、というのが私の考えです。
こうした相談を受けたら、私はこう尋ね返します。
「それで、あなたはどうしたい思っているの?」
つまり、「決まりだから」とか「昔からこうなっているから」よりも、「あなた自身の意志や感覚」を大切にしてほしいのです。
こうした習慣に従うかどうかも、「決まりだから〇〇しないといけない」とか、人に言われて行動するよりも、自分自身の感覚を信じて、「自分がしたくなったとき」に行動を起こしたほうが断然、うまくいく。
たとえば前述の「厄年にお祓いは必要か」という疑問でいうならば、私の答えはこうです。
自分自身で何かの必然性を感じるとき、節目の時があるならば、そのときに、心から誠意を向けて、自分がご縁を感じている神社に行って神さまに挨拶をする。それで大丈夫です。

仏事でも、神事でも、ある種の「ビジネスの部分」が存在することは確か。今は神社仏閣も自分で経済活動をしないと、つまり「お客さま」を集めてお金を集め、商売をしないと、経営が成り立たなくなっています。
ですから、たとえ元々は由緒(ゆいしょ)ある慣習であったとしても、今ではそれが信仰というより、ビジネスのためのものになってしまっているものだって、中にはあるのです。それが自分に必要なものであるかどうかは、自分で見極めなければなりません。
「慣習や決まり事はどうしても守らなくては」とか、「権威ある人にこう言われたから、そのようにしなくては」なんて、あまりに神経質になりすぎないこと。
これは、スピリチュアルの世界でも同様です。
他人が決めたことや世間の情報に、振り回されないようにしましょう。

人と接するときに、私が気をつけていることがあります。
今、目の前に現れている相手の姿形、言動だけではなくて、その人がここに至るまでの軌跡を想像しながら接する、ということ。
立体的に相手のことを考えるというイメージです。私たちが生きている現世は3D(立体)ですが、ここに「時間の軸」を加えて4D(時空間を超える次の次元)で見てみる感覚ですね。
たとえ一見、不合理なことを言うように思える相手でも、その人がそうならざるを得なかった理由は、必ずある。反対に、すごく成熟して穏やかな人は、そこに至るまでの艱難辛苦(かんなんしんく)があるのかもしれません。人それぞれの歴史を想像してみるのです。

私はカラオケが好きで、一人で歌いにいくことがあります。「歌う」ことは、私的排毒法(デトックス)。そして、呼吸法。体の毒素を吐き出し、「高次の存在」とつながるノズルのお掃除に匹敵します。
そしてまた、歌っているときの感覚は、諸芸をしているときの感覚とすごく似ているなと感じることがあります。「歌うこと」と「書くこと」って似ている。
歌なら、はじめの音が空中に浮いて、次の音までの空間はつながっている感覚で音を出したりする。書芸なら、垂直に筆を上げたりとか、次の点を狙ってそこに力をうんと込めて、ぐっと押し出す、といった感覚。
実際、書道には、「筆脈(ひつみゃく)」といって、筆を上げているときの流れの美しさを言い表す言葉があります。墨(すみ)をすって、墨を付けて字を書く瞬間だけが、書道じゃない。

つまり、可視化されない軌跡や、墨のついていない紙の余白までが立体的に目に飛び込んできて、それが人を惹きつけるんだと思います。
これって、すごく「風の時代」的だと思いませんか。成果ではなくプロセスが大事。なんて言われるようになって久しいですが、スピリットの世界は、そもそも目には見えないもの。「間」にこそあるものですから。
白の領域と黒の領域、平面と立体、陰陽のバランスが拮抗(きっこう)した間に、美しいものが完成する。音も文字も、一見2D(平面)だけど、本当は3D、4Dなんだよねって思うんです。私の人間に対する向き合い方も、この経験や考え方から地続きのような気がします。
大切なものこそ目に見えない。誰も説明してくれない。もちろん、数値化もできない。だから自分自身がライブで、つまりその瞬間、瞬間の肌感覚で、感じ取っていくしかないんですね。

三次元の世界では、時間が経たないと証明できないことが多くて、まだまだ解明されないことばかりです。
でも、直感のほうが早い。魂を優位な状態にしていると、身体の声に耳を傾けやすくなります。
たとえば仕事でも、特にこれといってミスもなければトラブルもないはずなのに、どうしてもやる気がでないときがあります。
このサインを受け止めたら、いったん、立ち止まって休憩しましょう。
「休止符も音符のうち」「踊り場も階段のうち」「保留も時間のうち」なのです。余白、空白、いい加減です。
このゆとりの時間を自分に与えてあげることで、休憩に入る前の延長にあったアクシデントを未然に防ぐことができたのです。サインに気づいた自分をねぎらってください。
決して怠けている訳ではありません(笑)。
「自分、どっちにいくのかな?」
なんて、のんきに構えるんです。
そうやって、自分の中にも「すき間」をつくるように意識してみてください。それは書道や歌の余白のように、必ず必要なものなんです。

自分のスピリットにあるミッションに気づき、それを追いかけようと決めた。そうして、「高次の存在」からの応援をダイレクトにもらえるようになった。
そうなってからも、もちろん、日常で起きることすべてがハッピーになるわけではない。小さな「うまくいかないこと」がなくなることはないでしょう。
でも、その「うまくいかないこと」に取り組んだ経験が後々生きてくる、ということが増えてくる。「ああ、だから、あのときは、あの経験や感情が必要だったんだ」ということに、だんだん気づいていく。
すると、それらが、「高次の存在」からのギフトだったんだということが腑に落ちてわかってきます。
こうなれば、「毎日が同じことの繰り返し」なんかではなくなります。自分の成長に合わせて人生のステージがレベルアップしていくのを、肌で感じ取れるようになります。
そのときには、「未来への漠然とした不安」のことは、すっかり忘れているはずです。

「おかげさまで助かりました。ありがとうございます」
なんて言われたとき、心がふっくら膨らみ、幸せに満たされたことってないですか? スピリットが優位に立っているとき、人は本来、無償で誰かのお役に立ちたいと思える生き物です。
しかし、現実的に、ボランティア活動だけでは自分の生活は成立しません。肉体をまとっている以上、食費や家賃などにお金がかかる。
だから、経済活動は必要不可欠ですよね。
だからといって、従来の「土の時代」的な資本主義経済の形に戻る必要はない、というのが私の考え。

では、どうすればいいのか? 私の答えはこうです。
固定観念を外し、「物質的なつながり方」から「精神的なつながり方」へプログラムし直すことです。
魂も身体も喜ぶ豊かな生活をおくり、豊かなコミュニティを築くことです。

豊かさの基準が微妙に面白くて、「今、ないもの」にフォーカスすると、不足、欲望、競争の気持ちが募(つの)ります。従来の「土の時代」の資本主義の原動力になっていたものです。
反対に、「今、あるもの」にフォーカスすると満足、愛、調和の気持ちが芽生えます。これからの「風の時代」に必要なエッセンスです。
「今、あるもの」に感謝した暮らしに変えれば、「おかげさま」「ありがとう」の言葉をたくさんいただき、心に栄養が与えられます。「他人を幸せにすることが、自分の幸せにつながっている」ことが体感できます。
「風の時代」の豊かさはこうした“目に見えないもの”が主流で、物質的な豊かさが重視された「土の時代」の価値観は、今後、より説得力を失っていくと考えられます。

『魂活の教科書』 第2章 より 真印:著 大和書房:刊

何を経験するために、この世の中に肉体を持って生まれてきたのか。

それは、まさに百人百様。
その人の魂だけが知っています。

答えは、自分の外側ではなく内側(魂)にある。

「物質的なつながり」重視から「精神的なつながり」重視へ。
「目に見えるもの」重視から「目に見えないもの」重視へ。

「風の時代」へと大きく舵が切られた今、私たちの価値観も、根本から書き換える必要があるということですね。

お金も価値も「所有」から「共有」へ

真印さんは、「通貨」は「通過」であり、お金は、滞らさずに巡らせるものだと述べています。

お金が持つ、本来のエネルギーを循環させる。
そのためには、自分が「いい」と思う物事にお金をどんどん使って、価値を流通させることが大切です。

 では、よい物事、価値ある物事とは、どのようなものでしょうか?
「高い、安い」という言い方がありますが、ものの価値は、値段によってのみ判断できるものではないと思います。
たとえば、ある地域で、その気候風土を活かして、人々が大切に育てた農作物があるとします。農薬を使わずに在来の作物を育てることは、簡単なことではありません。手間も、元手もかかるかもしれない。
それでも、本当に野菜をつくることが好きで、おいしくて栄養価のあるものを人々に届けたいと願う農家から、直接、野菜を買えるなら、少し高くても、その人から野菜を買いたいと思う人は多いのではないでしょうか?
近年、「良いものにお金をかける」という感覚が育まれつつあることは、とても自然な流れなのです。
そういう生きた経済に参加していくと、良いエネルギーの流れに乗ることができる。自分の元にも、不思議と良い価値が巡ってくるような仕組みになっています。
大量生産品が悪いということではありませんが、きちんと自分の責任で判断できるくらいの小さなコミュニティの中で、信頼できる物や人を探していけば、着実にあなたにとって良い物や事に出会うことができます。そして、自然と、価値を同じくする人たちで支え合う構造が生まれてきます。

もう一つ、お金について大切な考え方があります。それは、お金とは誰か一人の所有物ではなく、社会全体の共有財産だということです。だから、お金というのは、基本的に、みんなでシェアするものだという感覚を持ってみてください。
誰かが自分のところでストックして停滞させてしまうと、本来流通していれば、みんなのものだったはずの価値の総量が減ってしまう。価値の滞りは、停滞させている本人にとって、マイナスの因果となって跳ね返ってくることになります。

それとは逆に、たとえば、AさんがBさんに価値を提供したとします。BさんはAさんにはお返しをしませんでしたが、どこからかやってきたCさんが、Aさんに対して、AさんがBさんに提供したのと同じだけの価値を与えてくれるケースもあるのです。

ある意味、お金や価値というものは、良いと思う物事や人に対してどんどん使い、分かち合えば、それだけみんなが幸せになる。良い価値こそ分け合う、が基本原理です。
あなた自身が生きていくために最善の環境をつくる活動として、お金にまつわる活動を見直してみてはどうでしょうか。

しかし、今すぐに自分に結果や価値が戻ってこなくても、信じることができる場所でないと、人は不安で経済を回せないですよね。共同体、コミュニティの中で、価値がうまく循環していくためには、共に活動する人同士の価値観の一致が重要になります。

近年、貨幣を介さない経済を模索する動きや小さなコミュニティをつくるということがある種のバズワードのようになった時期がありました。
しかし、その中で不均衡が起きたり、誰かが損をしているような雰囲気になると、コミュニティは、巡りが悪くなって崩壊するしかありません。お金の持つエネルギーをうまく使っていくことのスタートには、自分が重視する価値の観察が重要。
「私は、この場所で、この人たちと一緒に、この価値を流通させたい」という強い意志を持つこと。
私も自分の地元で、松山の面白い場所や良いものをつなぐ「四国の浄化ツアー」のようなものを企画しています。
私は地元の松山が大好き。もっと多くの人に地元の魅力を知ってほしいと思っているし、その入口として、できれば県外から来る人たちに、そういうルートを回ってもらえるといいなと思っています。今はまだ「こんなことができたらいいね」と仲間内で話し合っている段階なのですが、アイデアは盛りだくさんです。
たとえば酵素風呂にグァバ茶、鍼灸(しんきゅう)施術、「うつし身アート」といったユニークなワークを実施している仲間もいますし、ルートの中には、ワークショップのような形で、篠笛(しのぶえ)や太鼓などの音の表現に触れる機会も加えたいと思っています。

価値を共に見つめ、循環させる仲間がいると、それだけで気力がみなぎってワクワクしてきます。毎日がより楽しくなりますね。

『魂活の教科書』 第3章 より 真印:著 大和書房:刊

風の時代は、ネットワークの時代、つながりの時代です。
お金の性質にも、その特性が色濃く出てくるということ。

電子マネーやQRコード決済などの普及は、この風の時代の流れを後押ししています。

お金の概念が変われば、社会全体の概念や仕組みがガラッと変わります。
世の中が、本当の意味で変わるのは、これからだということですね。

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私たちは、幼い子供のころ、誰もが興味と好奇心のかたまりでした。

この幼いころ、つまり経済の心配もなく無邪気でいられた時代というのは、誰しも身体に内包されている魂の記憶が鮮明なのだそうです。

真印さんは、だから、この未就学時代に、「今回、私たちがこの世に生まれ落ちた理由、目的」のヒントが隠されているとおっしゃっています。

あなたが子供のころ、時間も忘れて夢中になったことは、何ですか?
あなたが子供のころ、憧れた人物や物語の登場人物は、誰ですか?

心の奥深くに眠る記憶を辿ってみると、魂がこの世でやりたいこと、つまり、人生の目的が見えてきます。

自分の外側に向けていた目を、自分の内側に向ける。
これまで無視していた魂に気づいてあげる。

それが“魂活”の最初の一歩です。

「風の時代」を自分らしく、エネルギッシュに生きる。
まさに風をはらんで大空を舞い上がる凧のようにですね。

本書には、そのためのノウハウが詰め込まれています。

風の時代を軽やかに生きる「魂活」の教科書


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