本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】「斎藤一人 どうでもいいどっちでもいいどうせうまくいくから」(斎藤一人、柴村恵美子)

お薦めの本の紹介です。
斎藤一人さんと柴村恵美子さんの『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいいどうせうまくいくから 「絶対肯定の波動」で人生が変わる!』です。

斎藤一人(さいとう・ひとり)さんは、実業家で、「銀座まるかん」(日本漢方研究所)の創業者です。

柴村恵美子(しばむら・えみこ)さんは、著述家・講演家です。
斎藤一人さんの一番弟子にして、「銀座まるかん」柴村グループ代表です。

「絶対肯定の波動」で、人生が変わる!

私たちの人生は、決断の連続です。

「どっちを選べばうまくいくのか」
「これは正解なのか、失敗なのか」

かつての柴村さんも、そんなふうにいつも答えを探していた、とのこと。

 何かを決めるたびに不安になり、
「もっといい選択肢があるんじゃないか」
と迷い、人生を“ジャッジの連続”で過ごしていたのです。
でも、あるとき気づいたんです。
神さまは、そんな私を、一度も責めていなかった。
どの道を選んでも、ちゃんと光のほうへ導いてくれていた。
うまくいっているときも、失敗したと思っていたときも、
すべては魂の学びのために完璧だったんです。

「どっちでもよかったのかもしれない」
「どうでもいいことで悩みすぎていたのかもしれない」
そして最後には
「どうせうまくいくようになっている」
そう信じられるようになったとき、私の人生は、驚くほど軽やかに流れ出したのです。

この本では、私自身が歩いてきた道の途中で出合った“気づき”や“神さまとの対話”、そして、そこから生まれた「人生を信じる力」について、やさしく、正直につづっていきたいと思います。
もし、あなたが、今何かを決めかねていたり、過去の選択に後悔をしていたり、未来に不安を感じているのなら、私の師匠、斎藤一人さんから教わったこの言葉を思い出してみてください。

どうでもいい
 どっちでもいい
 どうせうまくいくから

この言葉は、無責任なあきらめではありません。
一人さん曰く、この言葉は、絶対的な肯定の言霊です。
絶対的な肯定とは、神さまの視点から見たときに、
すべては愛の計画のなかで進んでいる、ということ。
そして、神さまの愛に対する、深い信頼なのです。

読んでいるうちに、あなたのなかに絶対肯定の波動がしみわたり、“本当の自分”が目覚めるでしょう。

どうか、気楽にページをめくってみてくださいね。
それでは、はじめていきましょう。

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 はじめに より 斎藤一人、柴村恵美子:著

「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

この言葉は、一人さんが日ごろ無意識のうちに思っていることであり、“口グセ”ともいってもいいものです。

本書は、人生を好転させる秘訣である「絶対的な肯定」を身につけ、思い通りの人生を手に入れるためのノウハウをまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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迷ったときは「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

長い人生の旅路の途中で、“分かれ道”が出てくることがあります。

右へ行くべきか、左へ行くべきか。
そんな迷いが生じるのは、「自分に自信がない」からです。

一人さんは、自分に自信が持てない一つの大きな要因として「経験が足りない」ことを挙げています。

 世の中をぐるっと見渡すと、“経験知”をもっているの。経験や実績を積み重ねたなかで磨かれた勘(かん)であるとか、知恵をたくさんもっている。

たとえば、これまで多くのお店を繁盛させてきた経験のある、居酒屋の社長がいるんだよね。
その人は、過去の経験から得たデータと“経験知”を使い、繁盛街にお店を出すなら、この戦略でいけばいいとか、路地裏でお店を出すには路地裏でもお客さんが喜んで来てくれるこの戦略で行こうとか、あるいは景気の潮目を読み、これからウチの店はこの路線でいこうとか、決めていくんだよ。
必要な対策を瞬時に打てるのは“経験知”があるからなの。
“経験知”があるから、銀座だろうが、新小岩だろうが、店を繁盛させることができるんだよね。

ひとりさんのなかにも、“経験知”というものがあるんです。
居酒屋の社長さんと同じように、一人さんも仕事に関する“経験知”がある。
その他に、一人さんは、人生の成功に関する“経験知”ももっているの。
たとえば、一人さんはよく、「自分が『やりたい』と思ったことは何でも成功するよ」って言うんだけど、これも人生の“経験知”の一つなんだよね。

人間の思いってね、すごいんだよ。
自分が「やりたい」と思ったり、思い描いた夢は「やがて必ずかなう」と決まっているんだよ。
それがもし、うまくいっていないのだとしたら、何かがおかしい。

何がおかしいのか、というと。
うまくいかない人を見ているとね、「たった一回のトライで成功させよう」とする傾向があるんです。

本当はね、「自分はこれをこうしたい」とか、「こういう事業をはじめたい」と言う思いをもったら、試しにやってみればいいだよね。
そして、目指す場所に一歩ずつ、近づいていけばいいの。
ところが、うまくいかない人は、一回で成功させようとするんだよ。
失敗しないためにいろんな本を読んだり、いろんな人の話を聞きに行ったりしているうちに、さらに迷い、もっと自信をなくしちゃうの。
それで、最初の一歩がなかなか出せなくなることがあるんだよ。
自信をなくするのは、先に成功している人間のほうがすぐれていて、自分はダメだから、ではないんだよ。
最初の一歩を踏み出さないか、一歩は出したけど、二歩目を出さないか。いずれにしろ経験が足りないんだよ。“経験知”がない。
だから、何が正解なのか、わからないんだよ。

でも、この言霊を唱えてみてごらん。
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
唱えるほどに、体に絶対肯定の波動が入ってくる。
絶対肯定の波動の働きによって、あなたのなかにある“心のブロック”が外れて、いいほうに導かれる。いいひらめきも出てくるかもしれないよ。

一人さんは、自分自身のことを
「しかし、運がいい人間だなあ」
と思うことがあるんです。
なぜ、そう思うのかというと、一人さんは困ったことがないからなの。

一人さんが困らないのは、困る前にひらめきが先にきちゃうんだよ。

たとえば、「自分がこうしたいと思ったら、やってみる。そうすると、自分の思ったことが正しいのかどうかわかる」とか。
それから、「一回やっただけで、成功するわけじゃない。一回やったら、何度も改良を繰り返した結果、うまくいくんだ」とか。
「今回は、これぐらい改良を繰り返すと、成功するな」とか。
そういう、ひらめきが先にきて、実際に、一歩、足を踏み出してみるんだよ。その後も、改良に改良を重ねていくのね。
その結果、想像以上に早く、目指していたところに到達できちゃうの。

みんなも、やりたいことがある、仕事のアイディアがあるのなら、やってみればいいの。
そして、うまくいくまで改良すればいい。
成功って、ただ、それだけなの。

ただ、やったことがないと、いろいろ考えてしまって、なかなか、踏み出せないこともあるよね。
だから、自分に言い聞かせるんだよ。
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」って。

そして、自分が思ったやり方で、うまくいかどうかを試してみるの。
やってみた結果、うまくいかなかったときは、そのやり方はやめるんだよ。そして別のやり方で、うまくいく方法は何だろうって探して、見つかったら、やってみるんだよ。
それでうまくいったら、そのやり方をしばらく続けるの。
しばらくしたら、
「ここは、もう少し、なんとかならないかな」
「もっとよくしたいな」
って、自分が思うか、お客さんが思うから、また改良する。
そういうふうに、改良して、また改良して改良を重ねていくと、やがて必ず成功するんだよ。
まず、この流れをしっかり頭に入れておくこと。

そして、迷ったときは、この言霊を唱えるんだよ。
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

あなたが言った言葉が、あなたの人生をつくる。
あなたは右へ行こうが、左へ行こうが、どっちにしても成功するようになってるの。

“運のいい人”って、いるでしょう。
“運のいい人”でも問題が起きないわけではないんだよ。
転ばないこと、イコール、“運がいいこと”ではないの。
転ばないことがいい人生ではないんだ。

それよりも、転んだときに「それをどう生かすか」が、人生なの。

“運のいい人”というのは、転んだときに、ただでは起きないんだよ。
転んだことによって何かに気づいたり、人生の方向転換をしたり、強くなったりと、自分にとって“いいもの”を得るんだよね。
そして、昨日の自分より、もっと幸せで豊かになる。
“運のいい人”というのは、転んだ経験をいいふうに生かすのが、うまいんだ。

そういう“運のいい人”になりたい人に伝えたいことがあります。
実をいうと、誰でも“運のいい人”になれるんです。
その秘訣を伝えます。
“運のいい人”になる秘訣は、“転んだ場所”で宝物を探すことなんです。

たとえば、道端でつまずいて転んだとするでしょ?
そのとき、“運の悪い人”は、「痛い」とか、「最悪だ〜」「ついてない」とか、「なんで私だけ?」って文句を言ってお終いなんだよ。
ところが、“運のいい人”は、そうじゃない。自分が転んだところをよーく見て、
「この石につまづいちゃったんだな。
このままだと、他の人も転ぶかもしれない」
とか考えて、その石を拾うんだよ。
そして、その石が、実は金運アップのパワーストーンだった、ということが後になってわかり、大喜びするんだよね(笑)。
そういうシーンが、小説やドラマのなかにはあるけれど、あれは単なるフィクションではないんだよ。
現実に、“運のいい人”は、宝物を手にするんだよ。

「このやり方では、うまくいかないから、次はこうすればいいんだな」と、改善策を見つけだす“運のいい人”がいる。
あるいは、改善策を必要としている人に教えたら喜ばれて、仕事の依頼が増えた、という”運のいい人”もいる。
自分が転んだときから、どうやって立ち直ったかを本に書き、いろんな人に伝えた結果、その本がベストセラーになった“運のいい人”もいるんだよ。
ともかく、“転んだ場所”には必ず宝物が落ちている。
それを探すか、どうかなの。
“運のいい人”は転んだときに、宝物を探すんだよ。
だから、宝物をゲットするの。
だから、あなたも探してみてごらん。
きっと見つかるよ。

「宝物なんて、あるわけがない」と思っている人には、宝物は見えないよ。
でも、今、あなたは「宝物がある」ということを知ったよね。
そういう人が探せば、必ず宝物を見つけだす。
あなたは“運のいい人”になれるんだ。

「人はみな幸せになるために生まれてきた」
一人さんは、お弟子さんにたちに、そう言ってきました。
ただ、人生って、うまくいくときばかりじゃないよね。
誰だって転ぶことがあるの。

それでも、一人さんは、
「人はみな幸せになるために生まれてきた」
と言うんです。
それはどうしてなのか。

転ぶことは、「気づいてほしいな」という神さまのサインなの。
神さまってね、たまにわざと転ばせてくれることがあるんだよ。
意地悪で、転ばせるんじゃないよ。
その人の魂を成長させようとして、転ばせる。
それって、神さまの愛なんだよね。

このことが納得できようが、できなかろうが、どっちでもいいの。
それよりも重要なことは、自分が転んだときに、それをどうとらえるか、なんだよ。
なぜなら、どうとらえるかで、人生は違ってきちゃうから。

たとえば、お昼に楽しみにしていた、おにぎりを食べようとしたら、落としちゃったとする。
それを「うわ〜最悪!!」と否定的にとらえると、文句も言いたくなるし、イライラしちゃうんだよ。
ところが、「おにぎり落としたのは、きっと“食べすぎ注意”ってことだわ」と、肯定的にとらえてみたら、別にイライラしないんだよね。文句だって出てこない。笑ってお終いなんだよ。

人生において“転ぶ”こともそうなの。
それを肯定的にとらえるか、否定的にとらえるか。
それによって、その後の展開が全然、変わってきちゃう。
“運がいい人”は、転んでも、それを肯定的にとらえるの。
だからこそ、何か“いいもの”を拾うんじゃないかな。
一人さんはそう思うのよ。

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 第一章 より 斎藤一人、柴村恵美子:著 ヴォイス:刊

世の中には、いいことも悪いことも、成功も失敗もありません。
ただ起こった「出来事」があるだけで、それに意味づけしているのは、私たち自身です。

起こっている出来事は、それ自体はニュートラル。
自分でいかにポジティブに捉えることができるか,つまり「絶対肯定の波動」を身につけることが鍵になります。

「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

この言霊は、唱えれば唱えるほど、威力を増していきます。

一人さんの”教えない教え”とは?

一人さんの一番弟子である恵美子さんは、一人さんはふだん、“教えない教え”を実践していると述べています。

 一人さんの“教えない教え”って何ですかって?
それは、読んで字のごとく、一人さんは、私たち弟子に何かを教えようとはしないのです。

知り合った頃の私は何も知らなかったので、一人さんはいろいろ教えてくれたのですが、いつからか一人さんは「弟子に教える」ということをしなくなりました。
一人さんに会いにいっても、一人さんは、ひたすら、ふつうにしているんです。私は師匠のそばにいて時間と空間を共有する、ただ、それだけです。
一人さんが「それがいい」と言うのです。

ところで、この“教えない教え”は、主に伝統的な文化や技術を受け継いでいる、その道の達人たちが、お弟子さんたちに対して、そのように接しているのだと、一人さんから教わりました。

たとえば、国宝級の寺社の再建工事に携わる宮大工の、小川三夫さんという方がいるのですが、この方は高校生のとき見た法隆寺の五重塔にビビッときたのがきっかけで、その後、紆余曲折を経て、ある宮大工の内弟子になりました。
お師匠さんは、代々、法隆寺の修理などに携わる宮大工の家に生まれた方。若い頃に寺の建物の修理痕を目で見て触れて、飛鳥時代から修理に携わってきた宮大工たちが、どのようにして、この建物を未来に残そうとしてきたのかを学んできた超達人なのですね。
そんなお師匠さんが、小川さんに教えたことはたった一つ、小川さんの前でカンナを引いて見せ、一枚のカンナ屑をくれたこと、だったそうです。
しかし、師匠と寝食をともにしているうちに、小川さんは工事に携わるようになり、さらにその後、国宝クラスの寺社の再建棟梁を務めるようになりました。

ちなみに、小川さんは、サラリーマン家庭で育ち、学校で建築学を学んだ経験もありませんでした。にもかかわらず、小川さんは、宮大工の棟梁になれた。それは、なぜなのでしょうか。

一人さんに聞いてみたところ、
「それは、師匠のそばにいて、時間と空間を共有していたからなのかもしれないね」
と言っていました。
つまり、師匠といっしょに、ある一定期間、過ごしていると、弟子は知らないうちに、師匠の思いと波動を受けとるんです。
それによって、弟子に想像以上の変化が起きてくるのだそう。

一人さんはこう言います。
「師匠の波動に刺激されて、弟子の志(こころざし)が高くなり、波動が上がると、それに応じて優秀な守護霊、優秀な指導霊がつき、本人が目指す場所へと導いてくれるんだよ」

言われてみれば、確かに、私もそうでした。
一人さんが作った『心が豊かになる会』の会員第一号、つまり一番弟子となり、以来、師匠である一人さんの波動を受けながら、自分の人生を開拓していったように思います。

私の場合、人生がより楽しく豊かになっていったのは、自分が受け取った師匠の波動を、自分一人だけのものにせず、ご縁のある方々にお福分けしていった結果だと思っています。
一人さんの言葉には絶対肯定の波動が宿っている(と、私は信じて疑いません)から、
「この前、うちの師匠がこんなことを言っててね」
会う人、会う人に一人さんの話をしながら、一人さんの絶対肯定の波動を伝えていきました。
私から一人さんの話を聞いた方たちは、
「今の私に必要なお話です」
そうおっしゃってくれて、さらに、その後の人生が、より楽しく豊かになっていきました。
このように、一人さんの絶対肯定の波動を受け取った方が増えていくにしたがって、私の人生もさらに豊かになっていったんです。

何が言いたいのかというと、一人さんの本は数百冊、世の中に出ていて、YouTubeの検索ボックスに「斎藤一人」と入力してポン! ってすれば、一人さんの声も聞ける。一人さんのそばにいなくちゃ、一人さんの絶対肯定の波動は受け取れない、なんてことはないのです。
このことを、頭の隅っこ、いいえ、ハラのど真ん中に置いて、どうぞ、ご自分の人生を謳歌してください。

みなさんを応援させていただくために、わたし柴村恵美子は、この後もさらに一人さんの思い、そして絶対肯定の波動を、読者のみなさんにお届けしますからね。

いつ頃だったか、忘れてしまったのですが、一人さんとドライブ中、車内であるゲームをして遊んでいたことがあります。
それは、質問係の人が質問を10個作ってくるんです。
その質問に対して、一人さんや同乗している弟子が答える。
その答えに対して、質問係の人は一回以上「それはどうしてですか?」と、深掘りの質問をして、私たちがまた答えるんです。

このゲームをやっていると、質問係の人は楽しみながら質問の腕が上がり、回答する人は楽しく自分自身の考えを深掘りしていくことができる、というゲームで、考案者は、もちろん、一人さんです。
確か、一人さんはこのゲームを“質問ゲーム”と呼んでいたかと思います。
ある日のドライブ中も“質問ゲーム”を楽しみました。
その日は、「自分を知るための10の質問」というのを、質問係の人が用意していました。
そのなかに、
「明日、自分が光の国に逝くとしたら、今のうちに謝っておきたい人はいますか?」
という質問があったんです。
この質問に、私は「はい」と答えました。

そのとき、私は誰に謝りたかったのかというと、「一人さん」でした。
なぜ、「一人さん」と答えたのかというと、若気の至りと申しましょうか、一人さんの言うことを聞かない時期があったからです。

自分が「こうだ!」と思ったことは、周りが何と言おうと、私は、やっちゃうのです。
その結果、あっちぶつかり、こっちぶつかりすることがたくさんありました。
もしかすると、あっちぶつかり、こっちぶつかりしてきた経験の数でいうと、一人さんの弟子のなかでは私が一番多いかもしれません(笑)。

それでも一人さんは「恵美子さんの思った通りに生きるんだよ」と言ってくれていたようです。
昔、録った音源を聞き直すと、そう言っているのです。
「恵美子さんのなかにいる、神さまは絶対肯定なんだ。常に楽しくて幸せで、豊かなほうを向いている神さまがいるんだ。
だから、一人さんの言った通りのことをやらなきゃ、ということはないよ。
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから

私の記憶からすっかり抜け落ちていたのですが、(一人さん。ごめんなさい・笑)、一人さんはたびたび、私に言ってくれていたんですね。
そのことに気づいたのは、実は、つい最近のことでした。

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 第二章 より 斎藤一人、柴村恵美子:著 ヴォイス:刊

願望実現のための最短コースは、それをすでに達成している人の真似をすること。
それも、いつも側にいて、その人の波動を感じることができれば、最高です。

朱に交われば赤くなる。

どんな種類の人間になるかは、身を置く環境や付き合う人で決まります。
普段から意識したいですね。

人間関係をスムーズにする「空間の法則」とは?

いつの世も、人間関係は悩みの種です。
なぜ、人は、わかりあえないのでしょうか。

 理由はいろいろ開くと思うのですが、たとえば、日本では古くから「以心伝心」とか、「空気を読む」ようなことが大切にされてきたでしょう。
その反面、「互いの考えや気持ちを直接、伝えあう」ことを積極的にしようとしないことがあるのです。
これが「わかりあえない」問題が起きる、大きな要因の一つではないかと私は思っています。

と言いますのは、
「うちの上司(あるいは同僚、部下、友人・知人)とうまくつきあっていきたいのですが、どうしたらいいでしょうか?
というような質問をいただくなら、それでいいんですよ。
でも、うまくいっていないのだとしたら、なぜ、うまくやっていきたい相手の方に直接、聞かないのかな、って、私は思ってしまうのです。
たとえば、上司とうまくやっていたいのであれば、その上司に直接、
「課長とうまくやっていたいのですが、課長とうまくやっていくには、どうしたらいいですか?」
と、聞いてみるのです。
課長さんは、悪い気はしないでしょう。むしろ、喜ぶと思いますよ。
そして、「じゃあ、たまに仕事帰りに飲みに行こうか」とか、「あいさつと返事がしっかりできれば、それでいいんだよ」とか、本人が「こうして欲しい」と思っていることを答えてくれることでしょう。

第三者の意見を聞くと、うまくやっていきたい相手の方と“ボタンの掛け違い”が起きる可能性が高いのですが、本人に直接聞けば、そのような心配はほとんどないのですよ。
それを、第三者の意見だけ聞いたり、一人でわずかな事実から相手の気持ちを推理しようとするから、うまくいかないのです。
たとえば、会社に行くと、課長がブスッとした顔をしていたとします。
そのときに、課長、どうしたんだろう。機嫌が悪いのかな、とか。
それとも自分は課長の機嫌を損ねるようなことをしたんだろうか、とか。
頭のなかであれこれ考えていると、こちらの気が枯れてきます。自分のエネルギーが減ってきて元気が出なくなってくる。それって、嫌でしょう?

だから、頭のなかであれこれ考えているばかりではなくて、
「課長、もしかしてお疲れですか?」
とか、本人に聞いてみるのです。
すると、「いや、ちょっと寝不足で」とか、相手の事情や気持ちがわかってきます。

逆に、自分の事情や気持ちを相手に伝えようとしないで、相手がわかってくれることを期待しても、その期待に相手は応えられません。
ちゃんと伝えようと思わないと、人には伝わらないし、対面で、ひと言、ふた言程度、言ったぐらいでは、相手に伝わらないこともあるのです。

たとえば、以前こんなことがありました。ほほえましいエピソードです。
私の知りあいが、上司に
「おいしいコーヒーが飲みたいです」
と言いました。
上司は、
「おやすい御用だよ」
と言って、コーヒーショップでコーヒーを買ってきて、
「はい、どうぞ」
と、知りあいに渡したそうです。
実を言うと、知りあいは、コーヒーのおいしい喫茶店に連れていって欲しかったのだそう。
そのことを後日、私が上司の方に伝えたところ、その方はこう言いました。
「なんだ、喫茶店に連れてってと言ってくれたらよかったのに」

言葉で言っても、そう簡単にわかりあえないのが人間なのです。
だからこそ、相手に伝わるように話すこと、そして、ラインやメールばかりでなく、対面で話しあうことを面倒くさがってはいけないなと思うのです。

「あの人には、何度も説明しているのですが、わかってもらえません」
そんなお悩みをお持ちの方も、なかにはいるのではないでしょうか。
もちろん、私も“何度も説明したが、わかってくれない人”と出会ったことがあります。

相手がわからないのは、わからないだけの事情があるのです。
今世だけの問題ではなく、過去世から抱えていた課題に、今ここで取り組んでいる可能性もあるかもしれません。
いずれにしろ、相手には相手の事情があり、この世に生まれてきた目的と使命があります。相手のそれは、自分が生まれてきた目的と使命とは違うのです。

このように、他人と自分の違いを受け入れることを、「差とり」と言うんだよって、私は一人さんから教わりました。
教わった、ということは、私は失敗したのですね(笑)。
師匠の一人さんが、「恵美子さん、もうやめなよ」と言ってくれたのに、私は「この人はこうだから」「ああだから」と、やめない理由を探しだし、わかってくれない相手に「こうだよ」「ああだよ」と諭し続けました。
「ちゃんと教えてあげれば、きっとわかってもらえる!」
私は相手が変わることを、期待するばかりで、相手の事情や気持ちも考えずに、言い続けました。
その結果、相手は変わらず、私は疲れ果ててしまったんです。
どういう事情で相手が変わらないのかを理解する気力も体力も私にはなく、ただ、「この人と、私は違うんだな」と思い、その人と距離を置きました。
空間的な距離を置くのはもちろんのこと、頭のなかでもその人から離れようと、距離を置きました。
毎日、仕事に没頭し、よき仲間たちと会って、楽しい時間を過ごしていたら、やがて、その人が気にならなくなりました。
そして数年後、その人と再会したときには、お互いが心を開いて話しあえるようになっていたのです。

わかりあえない相手とは、無理やり仲よくしようとしても、たいがいは、うまくいかない。互いに傷つけあう可能性のほうが高いのです。
また、距離を置くのは、それぞれが、自分の「生」をまっとうするために必要だと私は思っています。
人はこの世に「生」を受けたと同時に、空間を与えられます(「空間」という言葉がピンとこなかったら、環境という言葉と入れ替えてもらってもかまいません)。その空間は、一人ひとり違います。
自分は自分に与えられた空間を使って、自分が生まれた目的と使命を果たしたり、いろいろな経験から気づきを得て、自分の人生を創造していくのです。
他人に与えられた空間は、その人のものであって、当人が自分の人生を創造していきます。
いい関係性を築くには、相手に入り込み過ぎないことが大切なのです。わかりますか?

人は、自分以外の人を変えることはできないのに、他人に対して「こう変えよう」「ああいうふうに変えよう」とする、その行いは、他人の空間に入り込みすぎなのです。
これをやると、相手はもちろん、自分自身も、自分の「生」をまっとうすることができません。
だから、相手と距離を置くのです。

距離を置くと同時に、相手が、自分の願い通りに変わろうが、変わるまいが「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
と唱えると、言霊の波動により、心がゆるんできます。
そして、離れている間、互いに自分の空間でいろんな経験をし、気づきを得て成長します。お互い、人間ができてくるのです。
そして、何年か後には、話しあえるときが訪れます。

ちなみに、これを「空間の法則」といいます。
そんなことも失敗から学んだことなのです。

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 第三章 より 斎藤一人、柴村恵美子:著 ヴォイス:刊

自分と他人は、別の存在です。
当然、好みも違えば、考え方も違います。
「自分がこう思っているから、相手もこう思っているだろう」は通用しません。

相手は自分とは違う考えや感性を持っていて、当たり前。
それを受け入れたうえで、波長の合う人や気の合う人とだけ深く付き合っていく。

それが人間関係を円滑にするコツです。

運命を変える、一人さん的「肯定論」とは?

一人さんは、肯定的とは、簡単に言うと、神さまが与えてくれたものを、どうやって生かすかなんだと指摘します。

「神さまが与えてくれたものを生かす」とは、どういうことなのでしょうか。
恵美子さんは、自身の経験を例題として、以下のように説明しています。

 私は子どもの頃から、周りの大人たちに「落ち着きがない」と言われていました。
「落ち着きがない」と言われただけで、別にそれが「いい」とか、「悪い」とか、評価されたわけではありません。
ただ、私は、「落ち着きがない」と言った大人たちの雰囲気を見て、「落ち着きがないのはダメなんだ」と思ってしまったのです。
そして、「もっと落ち着きのある人間になろう」と思って、自分なりに努力してみたこともありました。
その結果、わかったことは、「生まれもった性格は、そう簡単には変わらない」ということでした。
この経験と「落ち着きがない」という個性が、私、柴村恵美子が神さまから与えられたものです。
これらを、私はこのように生かします。

自分の周りを見ると、部屋にこもって研究活動に没頭したり、針仕事など細かい作業を何時間もしたり、あるいは一日じゅう本を読んだり、考えごとをしているとか、じっとしているのが苦手ではない人がいるんですね。
私はそのようなことができないので、できる人たちに「すごいですね」ってほめます。
また逆に、じっとしているのが苦ではない人は、行動することが苦手な方が少なくありません。そのことで何か困っていることがあったら、困ったときはお互いさまの精神で、「私にできることがあったら言ってね」と声かけたり、「手を貸すよ」って助けるのです。
助けるといっても、自分ができる範囲で助けるんですよ。できることなら、長く続けられるような、手の貸し方をしたほうがいいと、私は思っています。
一度、貸したら、自分が困ってしまうような手の貸し方では、長くは続かないので、貸しても貸してもなくならない、そんな手の貸し方をするのが理想的だと思います。
「そんな手の貸し方なんか、ありませんよ」と思うかもしれませんが、「ある」という前提で探してみると、結構、見つかるかもしれません。
たとえば、ほら、笑顔があるでしょう。それから・・・・・・。
一人さんは幸せで豊かになる言霊をたくさん公表しています。これらは、あげてもあげてもなくなることはありません。

とにもかくにも、自分に与えられたもの、あれやこれやを使って、自分と自分に関わる人の幸せに貢献することです。
自分と周りの人が明るく楽しくなるために、自分の長所はもちろん、弱みや欠点、くやしかったこと、悲しかったことですら利用するんだ、というつもりで、そういう心構えで毎日を過ごすといいですよ。

心構えだけで、本当にうまくいくの? と思うかもしれませんが、これがとてもうまくいくのです。
なぜなら、守護霊さんや指導霊さんが交代するからです。
あなたのその志(こころざし)の高さに合った守護霊さんと、指導霊さんが、あなたについてくれて、その志をとげられるようバックアップしてくれるのですから。

実際、私がこの心構えをするようになってから、私の運命は変わりました。“気さくな指圧師の恵美ちゃん”と呼ばれていた私が、一人さんが開発した商品を販売する会社を立ち上げ、さらに、たくさんの税金を納める経営者になり、本を書いたり、講演活動を行ったりと、想像だにしなかった展開になってきたのです。

昔から、自分は運のいい人間だと思っていたのですが、最近、自分が歩いてきた道をふりかえると、しみじみ「私って、めちゃくちゃ運がいい人間だな」と思うようになりました。
何をもって「運がいい」と思うのかというと、「そう簡単に悟れない、今の自分」です。
悟ったつもりが、次、次、次と学ぶことが起きてきて、その都度、自問自答し、畑を耕しています。
そんな自分で「よかったな」「私って運がいいな」と思っているのです。
だって、悟ってしまったら、この地球(ほし)で勉強するカリキュラムが終了してしまうから、次にここに生まれてこれないのです。

誤解しないでくださいね。
「悟る」ことがいけない、と言っているのではないですよ。
私は、もっと”柴村恵美子”という人生を楽しみたいのです。
おっちょこちょいで、本を読むのが実はそんなに好きではない(笑)。アクティブで行動力があって、でも飽き性で、つまらないと、すぐやめる。
仕事でも、何でも、うまくいかないと、つまらなくなって、すぐ方針を変えて、自分が納得がいくまで、欲しいものを手に入れるまで「こうしよう」「ああしよう」とやっている。
さらに、そのうえに、もっと洋服が欲しい、アクセサリーやバッグもほしい、そして、キレイで若くて健康でいたい。
恋もしたくて、だけど結婚にしばられたくなくて、もっと自由に、もっと伸び伸びとして、もっと幸せで、もっともっと豊かになりたい。
そして、来世、生まれ変わってきたときは、商人として、もう一回り大きくなって生まれてくる。
そんな野望を持っている、柴村恵美子を謳歌したいのです。

そんなふうに思えるようになると、不思議ですね。昔の自分を見ているかのような、がんばり屋さんと出会うことが増えてきたのです。
どういうことかというと、今、いろんな情報が、あちらこちらから入ってくるでしょう?
「こうじゃなきゃ幸せになれない」とか。
「こうじゃなきゃ、お金持ちになれない」とか。
「宇宙と一体になりたいなら、心に一点の曇りもない状態にならないといけない」とか。
それから、SNSで、ステキな人の、ステキな日常の一コマを見たり、聞いたりして、自分も幸せや豊かさに向かって歩き出したはいいものの、なかには、「まだ幸せになれないのか」「まだ豊かになれないのか」「まだか」と焦り、自分で自分を追い詰める人がいるのです。

私も以前は、自分よりすぐれている人を見て、「自分もそうならなきゃ」と焦り、いろんなことをして、自分を見失いそうになったことがありました。
そんなとき、一人さんがこう言ってくれたのです。
「焦らない、振り回されない、巻き込まれないことだよ。
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから。
この言霊を唱えてみてごらん」

「早く悟ろう」という向上心は、ステキです。
ただ、誰かと自分を比較対照するための向上心は、ともすると、他人軸で生きるーー誰かの評価や意見を気にして、本来の自分ではない、あり方や行動を選択してしまうーーことになりがちです。
自分軸(自分の価値観や意志)をどこかに置き忘れてしまい、周りの行動を見ては「自分はこれができていない」「もっとがんばらなきゃ」と焦ったり、他人の評価や意見に振り回されたり、他人の人生に巻き込まれたりすることがあるのです。あなたに与えられた人生は、あなたのための人生なのに。

自分の人生の舵をとるのは自分なんです。
それを、他人に舵を握らせていたら、なんのために生まれてきたんだか・・・・・・。

人生の舵を自分が握るには、まず誰かと自分を比べないことです。
そのために、覚えておくといいことがあります。
神さまは、人よりも早く出世したとか、人よりもたくさん財産を持っているとか、人よりも何かにすぐれていることを評価するわけではありません。
神さまが見ているのは、魂が成長しているかどうかなのです。
今の自分より一歩、前に行こうという姿勢を示した人を「えらいぞ!!」とほめてくれるのが、神さまなんだよ、って、一人さんから教わりました。

そして、一人さんはこう言うのです。「人間の魂というのは、経験して、経験して、生まれ変わって、また経験して、ということを繰り返して、やっと悟るようになっているんだよ。
今世だけやって、悟れるようなものではないんだよ。
生まれ変わりのなかで、学校の勉強が苦手な子を持つ親になったり、逆に自分か勉強が苦手な子どもになったり、子どもをコントロールしようとして反発をくらったり、いろいろな人生を経験して、悟るんだよ。
それを、たった一回の経験で悟らなきゃいけないとか、何回も生まれ変わってわかることを一代ですまそうなんて、ある意味、サボりだよ(笑)」

年齢を重ねると、自然と、健康でいられることが「ありがたい」と思えるようになるのですが、なかには、若いうちから健康のありがたみを知る人がいるんです。
そういう人は、病気になったり、ここが痛いとか、体調を崩した経験が過去にある人が多いです。

お金や仕事、友だちもそうですよね。
「そばにあるものだ」と思っていたものを無くしかけた経験が、「みんな、かけがえのないものだ」ということを教えてくれる。

自分自身だってそうです。
口では「自分なんて」と言っていても、
「そんなに嫌なら、こっちに戻って、初期設定からやり直すかい?」
と、お空の上の神さまに呼ばれるようなことがあると、
「お願いですから、まだ、呼ばないでください。
こちらで、もっと自分を生きていたいんです」
この自分を生きていることが輝きだ、ということがわかる。

ただし、一人さんの話によれば、一回の経験で「ありがたみがわかる」ということは、ほとんどないのだそうです。

たとえば、今世、「お金はありがたいものだ」とわかって生まれてきている人は、何代も前から、お金の大切さを学んできた人なんだそうです。
私の場合、治療院を開業したときに内装にお金をかけすぎてしまって、貯金はゼロ、手持ちのお金が3,000円しかない、というピンチを経験しました。
それによって、仕事をするには運転資金(事業を運営するために必要な資金)が必要だということ、そして、お金が入ってきたら、来月ないし再来月の運転資金のためにその一部をためておく、ということを覚えました。
一人さんによると、今世、たった一度の経験で、覚えられるのは、物覚えがいいのだそうです。

一人さんはこう言います。
「お金の大切さを知っている人はね、お金がないときより、お金があるときにわかるんだよ。
何がわかるかって、悟っているかどうか。
悟っていない人は、お金を持ったときに、ものすごい無駄づかいをはじめちゃうの。
逆に、今世一度の経験で、お金は大切だと悟ったんだとしたら、お金に対して物覚えがいいんだよ。
物覚えが早い人は、何代か前から経験を積んで学んできた人なんだよ。
悟りというのは、過去生からの積み重ねなんだ」

では、悟るまでの間、人はどう生きるのか。
一人さんによれば、神さまが、人間に求めることがあるのだそうです。
神さまが私たちに「お願いよ」と、リクエストしていることがあるのです。
それは、今を楽しく生きること、なんだそう。

「もうウチの旦那は、こうこうで」
いくら夫婦でも、奥さんは旦那さんの人生を生きられない。奥さんは奥さんの人生を、旦那さんの人生は旦那さんが生きるんです。
「ウチの親は否定的で、進歩がなくて」
親自身が気づかなければ、なかなか変われないものです。
嫌になるほど学んだら、勝手に変わります。
それよりも、旦那さんや親御さんなど、他の人のことを理由に、今を不幸に生きないことです。
「あぁ、もう、どうして、自分はいつもこうなんだろう・・・・・・」
そんな反省は必要ありません。
それより、今から自分を生きるんです。

楽しそうだなと思ったことを、気になることは何でもいいから、「とにかく、やってみよう」と,ふわふわと軽いノリで、ちょっと、やってみるんです(自分のお財布と相談することも忘れずに)。
そうすると、不思議なのですが、自分の思い通りにならない人のことが、
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
と思えるようになるケースが、結構あるのです。

楽しいこと、やりたいことか見つかってから、やります、なんて遠慮はしないほうがいいですよ。
やりたいことを探している間も時間はどんどん過ぎ、ある日、「あのとき、こうしておけばよかった」と思ったりする、かもしれません。
それよりも、今、自分がやれることをやって、今を楽しく生きるんです。
なぜなら、今を楽しく生きることが、神さまの願いだから。

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 第四章 より 斎藤一人、柴村恵美子:著 ヴォイス:刊

私たちは、この地球に経験するために生まれてきました。
生まれた境遇だったり、出会う人たち、生まれ持っての性格や身体的特徴も、すべて今世で経験すべきことを経験するために必要なものです。
短所だ、長所だと簡単に決めつけてしまうのは、もったいないですね。

「すべては、経験すべきことを経験するためのもの」

そういう視点を持つことが、本当の肯定的な生き方です。

「自分の間違いが認められない」へのアドバイス

「自分の間違いが認められない」

そんな悩みを抱えている人への一人さんのアドバイスは、以下のようなものです。

 ひょっとしたら、読者のみなさんのなかにも、知り合いの人と同じことで悩んでいる人がいるかもしれない。

「自分の間違いを認められないんです」
というのは、自分の間違いを見つけるところまでは行けたんです。
ただ、間違いを認めて改良したくない自分がいる、ということが、わかった、ということだよね。

だったら、今はそれで「よし」とすればいいんじゃない?
「今の自分はその段階なんだ」と認めればいいんだよ。

「間違いを認められない自分を『よし』としていいんですか!?」って、あなたの否定的な考え方で、うまくいっていないんでしょ?
だったら、間違いを認めて改良したくない自分を受け入れて、
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
と唱えてみてごらん。

それから、もう一つ、覚えておくといいかなと思うことがあるのね。
それは、人生には“神のしかけ”というものがある、ということです。
自分の間違いを認めないでいると、だんだん自分が苦しくなったり、いろんなことが起きてくることもあるんです。
それでも、あなたは、自分の目的地に確実に向かっているのです。
新大阪行きの新幹線に乗れば、どうしたって新大阪に着きますよね。あれと同じです。
新幹線に乗っていて、「早く、早く」とせっついたところで、これ以上早く新幹線は進めない。
でも、着実に、新幹線は大阪に向かっているんだよ。

だから、焦る必要はないんだよ。なぜなら、人というのは、いろんな人生を経験し、そのなかで成長するようになっているからね。
時間の経過とともに、段々よくなるように、神さまが仕組んでいるんだよ。
今こうしている間に、ちゃんと時間が解決してくれているの。
あなたが今、やることは、「あぁ、今、時間が解決してくれているんだ」と思うことなんだよ。
これを一人さんは「時間を味方につける」と言っています。

それでも、新幹線のなかで地団駄踏みたい衝動にかられるのであれば、
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
を唱えてみてごらん。

知り合いの、自分の間違いを認められなかった人なんですが、“続きの話”があります。

質問をもらってから数週間ほど経ったある日のことです。
その人が再びやってきて、開口一番、私にこう言いました。

「一人さん、言葉って、不思議ですね。
『自分の何がいけなかったんだろう』
『何が間違っているんだろう』
と、自分に問いかけていたときは全然、前に進めなかったのに、
『どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから』
と唱えてみたら、
『私はどうしたいんだっけ? どんな人生を送りたいのか』
という問いが、頭に浮かんだんです。
そして、この問いを自分自身に投げかけました。
そしたら、わかったんです。
自分の気持ちに素直になりたい。もっと楽しいことをしたい。
行きたい場所に、行きたいときに行きたい。
このままの私でいいよ、と言ってくれる、仲間といっしょにいたい。
そういう自分の気持ちに気づいたら、今ここから、どうすべきかが見えてきました」
彼女の表情は明るく、声は弾んでいました。
一人さんもうれしくなりました。

「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
と唱えれば一瞬で、自分が変えている問題の“答え”が出るとは限らない。なかには“答え”がなかなか出てこない場合もあると思うのね。
でもね、井戸を掘るのに時間がかかっても、その分、深く掘った水はキレイなの。わかるかい?

貴い学びを、あなたはやり遂げたんだよ、って。
それを一人さんは言いたい。

いずれにしろ、世間にはいろんな人がいるんです。
人の数だけ、いろんな考えがあり、いろんな人生がある。
自分の外側で起きていることに、必要以上に振り回されない、巻き込まれない、焦らないこと。
あなたの人生は、あなた舵を握るんだよ。

そのために、どうしたいいのかというと、
「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」
と唱えればいいんだよ。
この言葉を唱えれば、今、あなたの心が明るくなる。
明るく過ごしていれば、“答え”が見つからなくても、必ず“いいこと”か、自分にとって“楽しいこと”が起きてくるようになってるの。
なぜなら、自分で自分の機嫌をとりながら、自分の人生を楽しんでいる人に、神さまは味方をするからね。

誰かから“いいこと”を聞いてやってみたら、自分もうまくいくことがあるでしょう。そうしたら、そのやり方を回りの人にも伝える。
すると、運勢がよくなりますよ。
と、一人さんは言うんです。
恵美子さんをはじめ、私のお弟子さんたちは、お金持ちになる前から、これを実践しています。

実践し続けると、たまに「こんな“いい答え”を教えてあげたのに、あの人はもう・・・・・・」と、言いたくなるようなことが起きることもあるんだよ。
うちのお弟子さんたちもそうだったの。
みんなの話を聞いていて、私はこう思った。

「あの人はもう・・・・・・」と言いたくなるのは、もしかしたら、
「“いい答え”だから、みんな、できる」
そう思っているからではないかと。

相手にとっての“いい答え”とは、本人が「これだったら、自分にもできそうだ」とか、「面白そうだから、ちょっとやってみようかな」とか、いずれにしろ、やりたくなるようなことが“いい答え”なの。
伝える側にとっての“いい答え”と、相手にとっての“いい答え”は、必ずしもイコールではないんだよ。
そして、伝えたいことが、もう一点、あります。
相手は、「やる必要がない」と思って、やらないこともあります。
でも、もしかしたら、「できない」のかもしれないのです。

人には、今世で経験したことの他に、その前から生きてきた歴史、いわゆる過去生というものがあるのです。
だから、今世だけを見て、その人、その人のことが手に取るようにわかる、そんな単純な生き物ではないのです。
過去世をさかのぼっていくと、なるほど、これでは“いいこと”を教わってもできないよな、と納得せざるをえないようなことを経験している人も、なかにはいるんだよ。

早合点はしないでくださいね。
過去世にさかのぼってその理由を探しましょう、という話をしているのではありませんよ。
そうではなくて、人というの、過去にいろんなことを経験してきた結果、今のその人になっているんだ、っていう話をしているんだよ。

だから、一人さんも、過去にいろんなことを経験した結果、今の斎藤一人さんになっている。
恵美子さんもう。
あなたもそう。
みんなそうなのです。
そして、どんな人でも、いま世はもっと幸せになるために生まれてきています。
幸せになろうと、その人なりにがんばって生きているんだよ、って。

相手のためを思って、一生懸命「こうするといいよ」「ああするといいよ」
と、伝えることは“いいこと”だよ。
ぜひ、続けてください。
ただ、人に伝えるとき、肩に力が入り過ぎる人が、結構いるかもしれませんね。
もし、あなたが、そんな自分に気づいたのだとしたら、まず自分自身を楽にすることです。

自分を楽にする方法には、いろいろありますが、一人さん的には言霊をおすすめしています。

自分が気に入っている言葉で、肩の荷がおりるような言葉であれば何でもいいよ。
一人さんが今までお弟子さんたちに教えてきた言霊で言うと、
「この人は、やらないのではなくて、できないんだ。それでも、この人は、このままで十分がんばって生きているんだ」とか、
「あの人がやるかやらないかは、
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから
というのが、おすすめです。
余計な力がふわぁっとゆるみ、心も少し軽くなるでしょう。

「そんな気休め程度のことをして、何になるんだ」と思うかもしれないけどね、実を言うと、気休めって、ものすごく大事なんだよ。

お弟子さんたちに言ってきた、
「あの人がやるかやらないかは、
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから
など、肯定するような言霊を唱えると、ふわぁっと、自分が楽になる。
ふわぁっと楽になった瞬間、神さまとつながるゲート開くんだよ。
そして、神さまは、最後の「うまくいく」という言葉を受け取って、「わかりましたよ、あとは私に任せなさい」と言ってくれる。
つまり、あなたが手間暇をかけるまでもなく、相手がいいふうに変わるかどうかも、どうでもよい、あなたはいいふうに変わっていくのです。

相手が変わるかどうかは一概には言えません。
一人ひとり、違うからね。
ただ、あなたがいいふうに変わることだけは確かだよ。

ありがたいことに、うちのお弟子さんたちは、
「一人さんと知り合ってから、あんなことも、こんなことも、いろんなことができるようになったんです」
と言ってくれます。
お弟子さんたちが変わったのは、理屈ではないんだよね。
私が教えたことで変わったというよりも、波動なの。
「みんな、このままで十分がんばってるんだ」
どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから
という絶対肯定の波動なの。
すごいでしょ。
本当に、すごいんだよ、絶対肯定の波動は!

『斎藤一人 どうでもいいどっちでもいい どうせうまくいくから』 第五章 より 斎藤一人、柴村恵美子:著 ヴォイス:刊

間違いを認めることは、ジャッジしないこと。
つまり、ものごとをフラットな視点で眺め、判断できるようになることです。

良いも悪いも、成功も失敗も、優劣も、それ自体は経験でしかありません。
意味づけしているのは、私たち自身です。

どんな経験も、すべからく平等に尊く、素晴らしいもの。
その考え方が「絶対肯定の波動」を呼び込みます。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

神さまは、私たちに声で教えてくれることはありません。
では、どのような方法で、教えてくれるのでしょうか。

恵美子さんは、たとえば、心がときめいたり、ワクワクしたり、あるいは、あることが妙にやりたくてしょうがないことや怒りが込み上げてきたり、何だかよくわからないけど気持ちが晴れない、モヤモヤすることがあれば、それが神さまの声だとおっしゃっています。

思考ではなく、感情を通じて、私たちに語りかけてくれているということですね。

目的地までたどり着く道は、一つではなく、無数にあります。

神さまのアドバイスに従えば「簡単コース」。
従わなければ「普通コース」。
逆のことをすれば「激むずコース」。

どの道を選ぶかは、私たちが自由に決めることができます。

ただ、どんな道を選んだとしても、目的地へたどり着くことは決まっています。

「どうでもいい、どっちでもいい、どうせうまくいくから」

この言葉が、私たちを“絶対肯定の波動”で覆い、人生における多くの困難から守ってくれます。

ぜひ、口ぐせにして、人生を好転させたいですね。

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