【書評】「なぜ、J-POPは世界の心をつかむのか」(久道りょう)
お薦めの本の紹介です。
久道りょうさんの『なぜ、J-POPは世界の心をつかむのか』です。
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久道りょう(ひさみち・りょう)さんは、音楽評論家、声鑑定家です。
なぜ、世界はJ-POPに熱くなるのか?
YOASOBIの『アイドル』、Adoの『新世界』、藤井風の『死ぬのがいいわ』・・・・・・。
これらの曲に代表されるように、J-POP、それも日本語の歌詞の曲が、世界中で流れ、多くの人に聴かれるようになりました。
では、どうして今、J-POPに世界の人々が心惹かれているのでしょうか。
久道さんは、日本語のまま世界に届くようになった背景には、音楽そのものの構造と、人々の“耳の変化”
があったと指摘します。
この現象の起点をたどると、必ずシティポップの再評価に行き着きます。
1980年代、日本の都市生活の空気を映し出すように誕生したシティポップは、当時の日本人にとっては「大衆音楽の一ジャンル」にしか過ぎませんでした。そして、それはバブル期の記憶と共に懐かしく振り返られる「よく知っている曲」たちとして存在しているものでした。ところが、2010年代後半、YouTubeやSpotifyを通じて、山下達郎や竹内まりやなどが偶然、海外の若い世代に発見されます。
象徴的なのは、竹内まりやの『Plastic Love』。ファンが投稿した非公式動画が数千万回以上再生され、「都会的でメランコリックなメロディー」「今まで聴いたことのない新しいポップス」として世界に広がりました。
その切なさと洗練さが、欧米のリスナーにとっては、「懐かしさ」と「新しさ」が同居する未知の体験だったのです。
一方、山下達郎の『RIDE ON TIME』『SPARKLE』は、ジャズやソウルを聴き込んだ欧米の音楽ファンを驚かせました。
完璧に計算されたリズムと緻密なサウンドメイク。当時は、シンセサイザーの開発が進み、多くの現場で使われていたため、クオリティの高いサウンドが生み出されていたのです。
このように、洋楽の流れに根ざしながらも日本独自の感性を織り込んだ音楽は、「アジアから、こんな洗練された音楽が生まれていたのか」と世界の聴衆の耳を奪いました。そして、この“再発見の連鎖”は他の名曲にも波及しました。
松原みきの『真夜中のドア〜Stay With Me』や大瀧詠一の『君は天然色』など、SNSをきっかけに世界的に再浮上し、プレイリスト経由で若い世代にも聴かれる導線が整っていきました。こうしてシティポップは、世界がJ-POPにアクセスする最初の入口になったのです。
中古レコード店には外国人が殺到し、東京や大阪でのレコード・ディグが観光コースになったほどです。
日本にとっては「懐古」でしかなかった音楽が、世界では「新しい未来のサウンド」として息を吹き返したのです。
さらにコロナ禍が、この流れを加速させました。
ライブ活動が制限され、アーティストはネット配信へと舵を切り、結果として国外のリスナーと接点を持つ機会が急速に増えました。
そこに日本のアニメ作品の国際的ヒットが重なります。
Netflixで『君の名は。』『鬼滅の刃』『呪術廻戦』などが配信され、主題歌とともにJ-POPが世界へ届けられました。アニメと音楽の結びつきは、J-POPを広げる強力な翼となったのです。
こうした現象は、世界各地でそれぞれの形をとって表れています。
アメリカ西海岸では、シティポップが「ドライブ・ミュージック」として浸透し、SpotifyやYouTubeでの再生数は今も伸び続けています。
ヨーロッパでは、フランスやイタリアの若者がシティポップを「アート志向のポップ」として受容し、レコード再発見とリンクしたカルチャー現象になりました。
さらにアジアでは、台湾・タイ・インドネシアの若者が、TikTokやYouTube経由でJ-POPに触れ、YOASOBIやAdoの日本語曲を歌う動画が無数に投稿されています。
韓国でも、長らく放送制限されていた日本語曲が、YOASOBI『アイドル』のヒットを契機に少しずつオンエアされ、日本語の響きそのものが見直され始めているのです。
このような現象は、シティポップを入口として、今まで人々が知ることのなかったJ-POPが、日本の文化として世界中に拡散している状況を表しています。ただし、シティポップやアニメ人気だけでは、今のJ-POPの評価を説明しきれません。
本当に重要なのは、多くの楽曲が日本語のまま歌われていることです。
かつては「海外進出には英語が必須」と信じられていました。(日本語のままでヒットした坂本九の『上を向いて歩こう』はあるものの・・・・・・)。
松田聖子の全米デビューをはじめ、英語化は避けられない条件と考えられたのです。けれども今、RADWIMPSの野田洋次郎は「英語で歌おうとしたら観客が“日本語で歌ってほしい”と言った」と語り、AdoやYOASOBIも、日本語のままで熱狂的に迎えられています。
また、全米最大の音楽フェスティバル「コーチェラ」に出場したNumber_iやVaundyのように、国内のトップアーティストが、英語に頼らず日本語のまま世界の舞台に立ち、日本語のリズムで観客を魅了しています。
さらに女性ラッパーAwichに対する熱い歓迎や、世界的ヒットとなったCreepy Nutsの『Bling-Bling-Bang-Born』への賞賛・・・・・・いまや世界のステージで日本語の大合唱は当たり前の光景になりつつあるのです。では、なぜ日本語の歌がここまで通じるようになったのでしょうか。
ここで、他の言語と少し比べてみましょう。
英語は、音の強弱が大きく、その「強勢のリズム」がビートを生みます。だから英語の歌は、言葉そのものがリズムを刻み、ロックやヒップホップのような 力強さと結びついてきました。
一方、フランス語は鼻濁音を含む母音の流れが滑らかで、音と音が途切れずに続き、詩を朗読するように感情を運びます。その流麗な響きが、旋律に溶け込む“美しさ”を生み出しています。
中国語は、一つひとつの音節に声の高低(声調)があり、言葉そのものがメロディのように上下します。話すだけで自然にリズムが生まれるため、歌と語りの境目がない、独特の抑揚の文化が育まれました。そして日本語は、拍の等間隔と母音の響きによって、感情の波を静かに運ぶ言葉です。リズムや技巧よりも間合い。ひとつひとつの音が空気に溶け、心に沁みていく。
英語の速い拍に慣れた世界の耳には、新鮮なやすらぎとして届いているのではないでしょうか。
音楽は言語の数だけ姿を変えます。
英語が力強さを、フランス語が流麗さを、中国語がリズムの妙を奏でるなら、日本語は“心のゆらぎ”を 奏でる言葉です。
そのゆらぎこそが、いま世界に新しい調和をもたらしている。
それが、J-POPが日本語のまま愛されている理由。私はそう思うのです。『なぜ、J-POPは 世界の心をつかむのか』 序章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
本書は、今、J-POPが世界で注目を集め、多くの人に聴かれるようになったのか、具体例を挙げてわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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言葉の壁もジャンルの壁も超越した存在感
J-POPが世界に飛び出す、その先駆けともいえる存在の一人が藤井風さんです。
藤井さんの魅力は、彼の人柄や音楽が創り出す、独特な“雰囲気”にあります。
藤井風のライブに足を踏み入れると、まず空気の質が変わるのを感じます。
それは日産スタジアムで彼が多くの観客の座るスタンド席のひとつに腰をかけているのをみた瞬間から・・・・・・。
それは、彼がスタンドを降りて、アリーナの中央に置かれたピアノの椅子に座り、鍵盤の一音目が鳴った瞬間から・・・・・・。
観客の息がそろって止まり、その後に解放される歓声が会場を包み込んでいきます。彼のステージは、ただ音楽を聴く場ではなく、観客が「彼と一緒の空間に生き、音楽を体感する時間」へと変わるのです。
ピアノ一台で観客を黙らせる瞬間があるかと思えば、バンドと共に会場全体を祝祭に変える瞬間もある。観客はただ音楽を聴くのではなく、藤井風という人間の「生き方」に触れている感覚を覚えます。
特に『まつり』の躍動的な音楽に身を投じ、熱気の中にアレンジされた『旅路』の耳慣れたメロディーに懐かしさを覚え、さらに『満ちてゆく』の穏やかな時間が流れていく。彼の音楽に包み込まれるような瞬間、ファンは彼と共に生きていると感じるのです。
2024年8月、日産スタジアムでわずか2日間開かれたライブ。
スタジアムにいたファンも、配信で参加したファンも、世界中のファンが彼の音楽に包まれるとき、彼が存在していることの奇跡を感じる。それが藤井風のステージです。『きらり』『死ぬのがいいわ』に象徴されるように、藤井風の作品は日常の感情を鮮やかにすくい取っていきます。岡山弁をそのまま取り入れた詩には飾り気がなく、リアリティにあふれています。
藤井風の歌詞は、平易な言葉で真実を描くことに特徴があります。
『何なんw』のユーモア、『帰ろう』の死生観、『旅路』の祈り。そして、『満ちてゆく』の無償の愛。いずれも難解さを避け、誰もが自分の人生に引き寄せられる表現になっています。
藤井風の楽曲の中で、国内外の注目を集めた『死ぬのがいいわ』。日本的な言い回しと衝撃的なタイトルが海外のリスナーにとっては新鮮で、日本よりも海外でTikTokを中心に爆発的に拡散しました。
そのタイトルに込められた“愛”と“自己対話”のストレートさは、むしろ海外の感性に近いものでした。
この曲に描かれている“あなた”は、彼にとって「自分の中にいる愛しい人。自分の中にいる最強の人」。理想の自分を忘れてしまっては死んだも同然で、自分自身との対話が歌詞に込められていると話しています(『(NHK MUSIC SPECIAL)藤井風いざ、世界へ』)。
タイトルがあまりにストレートなことばのせいか日本人には、馴染みにくかったのかもしれません。
彼の作る歌詞は、どれも非常にストレート。それは、むしろ海外の感覚に似ているかもしれず、その感覚で使う彼のことばは、日本語の新たな魅力を伝えているのです。
その真っすぐなことばが、世界の聴き手の心を震わせ、欧米やアジアのライブ会場では、日本語の歌詞を観客がそのまま合唱する光景が生まれました。SNSでは世界中のファンが「Shinu no ga ii wa」と口ずさむ動画を投稿しています。
英語を自然に混ぜることも多く、国際的に受け入れられやすい柔軟さを持ちます。藤井風の歌声は、しなやかさと力強さが共存する稀有なものです。中低音域は柔らかく、高音域に入ると清らかに突き抜けるような響きに変わります。上質なビブラートを全体に持つ響きのバリトン(男性の中音域の声)で、ストレートに近い濃厚な色彩の幅も艶もある歌声です。豊かな声量は、そのまま彼の歌声の芳醇な響きを表しており、「歌う」「声を出す」ことに何の余分な力も入っていません。ナチュラルで自然体な発声が、聴く人に何の負荷もかけずに、自然に歌声が入ってくるのです。
また、彼の日本語のタンギング(歌の場合でタンギングは、舌を使って空気の流れをコントロールし、発声にメリハリや強いアタックをつけることを言う。言葉の子音の部分の発声に使われる)は非常に滑らかで、音楽のリズムに何の抵抗もなく、ことばが乗っていきます。これが彼の豊かな声質と相まって、音楽のあたたかさを醸し出しています(この特徴は、英語歌詞でも変わりません)。
最近のJ-POP歌手には少ないバリトンの歌声は、ハイトーンボイスを聴き慣れた耳には非常に心地よく、それだけで落ち着いた大人の音楽を感じさせます。聴く人が抱擁感を抱くような幅のある響き。彼の歌声の持つグルーヴ感は、そのまま音楽のゆらぎとなって聴く人の心をゆさぶり、感情の波を押し上げていきます。
「歌声」と「ことば」が一体になり太い帯となった音の世界。私たちはその何もかもを呑み込むような”スケールの大きさ”に包み込まれてしまうのです。彼がデビューした2020年前後は、コロナ禍で人々が孤独を強く意識した時代でした。そのような中、ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』は一躍注目を集め、2ndアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』で確固たる地位を築きました。
閉塞感の中で、彼の音楽は「やさしさ」と「肯定感」を前面に出し、人々に寄り添ったのです。
(中略)
藤井風は1997年、岡山県浅口郡里庄町で4人兄姉の末っ子として生まれました。両親は、空、海、陸、と続いた4番目の彼を風と名付けたのです。地方の小さな町で育ち、父の影響でクラシックやジャズ、J-POPなど、ありとあらゆる曲を耳にしながら独学で音楽を身につけました。
どんなジャンルも分け隔てなく聴き込んだ幼少期の感覚は、彼の肉体の一部に取り込まれていきます。その後、YouTube動画から、全国に知られるようになりました。
音楽業界の慣習に染まりきらない自然体のキャラクターは、ステージ裏の素顔でもあります。周囲に流されず、柔らかな笑顔で「音楽で人を癒したい」と言いながら、内側に確固たる自分というものを持つ姿は、彼の作品そのものを体現しています。自然体と既存の価値観に流されない独自の感覚が、藤井風の大きな人間力を表しているのです。*
藤井風の登場は、J–POPの未来を大きく変えたと言えるでしょう。YouTubeというデジタル時代の象徴ともいうべき媒体で登場してきた彼は、岡山の風土の中で、何の枠も持たずに音楽性を育んできました。そのスケールの大きさは、日本の音楽業界の慣習を呑み込み、世界へJ-POPを届ける原動力になっています。もし、彼の登場がなければ、コロナ禍の中で日本の音楽のグローバル化は、もっと遅れていたかもしれません。
何の障壁も持たない雄大なスケールの藤井風の登場は、時代が、世界が、必要としたものだったのです。『なぜ、J-POPは世界の心をつかむのか』 第1章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
久道さんは、藤井風の登場は、J-POPが「デジタル発」から「グローバル発」へと変わるタイミングに重なって
いると指摘します。
藤井さんのキャリアは、YouTubeカバー動画から始まり、SNSを通じて世界へ広がっていきました。
まさに“風”が大空を駆けるように、海も国境も超えて、自由に広がっていく。
そんな藤井さんのこれからの活躍にも期待したいですね。
「伝えたいメッセージ」を見事に切り取るボーカリスト
DREAMS COME TRUEは、1988年に結成され、リーダーの中村正人さんとボーカルの吉田美和さんの2人で構成されているバンドです。
『未来予想図Ⅱ』『うれしい!たのしい!大好き!』『うれしはずかし朝帰り』
などなど、数々の名曲を送り出し,長年にわたり、日本の音楽シーンをリードしてきた“ドリカム”。
久道さんは、DREAMS COME TRUEの音楽は、“人生の情景”をていねいにすくいあげ、歌へと昇華させてきた
と指摘します。
ことばが、心に刺さってくる。最初に目に飛び込んでくるタイトルには、人々の心に直球で真っ向から勝負してくる強さがあります。
『未来予想図』『うれしはずかし朝帰り』『うれしい!たのしい!大好き!』『決戦は金曜日』『何度でも』『晴れたらいいね』『好きなだけじゃだめなんだ』など、タイトルを見ただけで、ワクワクするものから、『やさしいキスをして』『あなたに会いたくて』『なんて恋したんだろ』など、2人の恋愛模様の切なさを感じさせるタイトル、『未来予想図』『LOVE LOVE LOVE』『あなたとトゥラッタッタ♪』のように2人の未来を想像させるものまで、タイトルだけで多種多様な世界をリスナーにイメージさせる感性は、彼女ならではのものです。
また珍しくタイトルに地名がつけられた『大阪LOVER』は、東京に住む女性が大阪にいる彼の元へと通ってくる心模様を描いたもの。慣れない大阪弁で彼への気持ちを紡いでいく歌詞は、メロディーの変化が主人公のうまくない大阪弁のイントネーションを見事に表現している秀逸な1曲です。
たったひと言、たった一音節で、伝えたいメッセージを切り取る力。
この日本語力は、吉田美和という作詞家の最強の武器です。
吉田美和の作り出すことばの世界を、吉田美和が歌う。
これがドリカムの世界です。そしてそこに描かれているのは、誰もが日常に経験したことのある、ごくありふれた感情の世界なのです。
「音楽は発表した後は僕らのものではないというのが基本的な考え方でねよね」(「中村正人氏スペシャルロングインタビューvol.2」)(*7)と語る中村のことばにあるように、ドリカムの楽曲は、聴き手のその時その時の思い出と重なりあって、自分だけの特別な1曲苦になっていくのが特徴です。
これは、誰もが抱く特別でない些細な感情や、特別でない1日の風景が見事に切り取られ音楽に乗せられていくからで、曲と共に大切な思い出が心の中にしまい込まれていく。
そんな風景がドリカムが多くの人に支持される理由なのかもしれません。吉田美和の歌声は、そのことばに魂を宿らせます。
力強くまっすぐに突き抜けるストレーとボイスでありながら、どこか儚さを含みます。
彼女の歌声をデビュー当初からいろいろ聴いてみると、確かに20代前半のデビュー当初の歌声は今よりも明るく高めです。ですが、その声から受ける透明感やハスキーさ、さらに響きの音色というものは、50代の現在もそれほど変わったという印象を持ちません。
やや全体に響きが太く深くなったのを感じますが、他の歌手のように声帯の加齢によって色彩が変わったようには聴こえないのです。彼女の持ち味であるストレートボイスの少しハスキー気味の歌声が時に力強く、時には儚く聞こえる色彩を持っています。
また彼女の歌い方は独特で、メロディーの高低の変化に対して直角的に音程を取り、正確に音程を刻むため、ことばが際立って聞こえてくるのです。
さらにパワフルな幅の広い直線的な響きと、甘く鼻に少しかかった響きの2つを持っています。
この鼻腔に響く音色はなんとも言えない甘さを感じさせ、哀愁が漂うのです。
この響きは、楽曲によっては、切なさよりも甘さや明るさ、軽さを感じさせる色に変化します。
たとえば、『晴れたらいいね』と『やさしいキスをして』では、その音色に明らかな違いがあります。
『晴れたらいいね』は、躍動感のある明るい色調で、ポップな曲調に合わせた希望やポジティブさを感じさせます。
これに対し、『やさしいキスをして』は、冒頭の歌声から深くやさしい音色で甘さを醸し出しています。
『晴れたらいいね』には縦の動きの音楽である「動」のイメージを、『やさしいキスをして』には横になみなみと流れる「静」のイメージを、歌声の音色の変化によって曲全体に与える。これが聴く人の琴線に触れてたまらない魅力となっています。
このように自由自在に歌声を操る彼女のボーカリストとしての表現力が、ことばの描きだす世界を忠実に再現していくのです。ドリカムの真骨頂は、なんと言っても、やはりライブにあります。
4年に一度開催される「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND」は、ただのコンサートではありません。
巨大な舞台装置に彩られ、吉田美和が宙を舞いながら歌う姿は、文字通りの祝祭を現実に変えてしまいます。WONDERLAND開催のファンファーレが鳴った瞬間、観客は、夢の世界の住人になるのです。
2023年の「DREAMS COME TRUE WONDERLAND」。東京ドームの宙を軽々と華麗に舞う彼女からは、還暦間近という言葉は全く不釣り合い。歌う姿は、夢先案内人。
次々と繰り広げられる数々のヒット曲と共に、3時間の夢の時間を与えてくれる。
ステージのスケールの大きさに、東京ドームはテーマパークと化すのです。
ドリカムの結成周年とWONDERLANDが重なるのは50周年だと言います。
その時、中村は81歳、吉田は74歳。74歳の吉田が宙を飛び交い歌い舞う世界を、ライブ会場で多くの人は目にするかもしれません。吉田美和は高校の卒業文集に「BIGなシンガーになる」「ユーミンなんかに負けるもんか」と書いています。中村正人は彼女と初めて会った時のことを「出会った瞬間からすごかった」と話しています(「radiko news」2019.3.25)。
当時、彼は、「とんねるず」のコンサートで、セッションミュージシャンとしてサポートメンバーを務めていました。
彼曰く「俺はセッションミュージシャンで食いたくなかったんですよ。下手くそだから。それで周りの事務所を見てるとすごい儲かっているから、”これはひとり素晴らしいアーティストを見つけて儲けよう”と思って。そしたら吉田美和を見つけて、『これで食える』って(笑)」
この時、地下鉄で彼女が中村の前で歌ったのが『うれしはずかし朝帰り』で、ドリカムの原点とも言われている曲です。
この出会いこそが、ドリカムが誕生する運命的な出会いだったのです(このエピソードは、ファンなら誰もが知っていることでしょう)。吉田美和を見つけた彼が、裏方のマネージャーに徹しようとしたのを彼女が阻止し、バンド結成を持ちかけて今の形になりました。
楽譜も読めない彼女の作り出す音楽を中村が採譜し、書き留めていく。
この二人の信頼関係こそが、ドリカムの音楽を生み出す原点です。
吉田美和の綴ることばの表現力と中村正人の緻密なアレンジによるサウンドは、ポップスとR&Bを融合させた新しい音楽を私たちに提供し、日本のポップス界を牽引し続けてきたのです。*
彼らがデビューした1989年は、バブル経済の余韻が残り、人々が高揚感と不安を抱えていた時代でした。日本の音楽市場ではまだカセットテープによる曲の販売がありつつも、CDが台頭しはじめた頃です。
ドリカムは、そんな社会に「夢はかなう」というシンプルで力強いメッセージを届け、数々のヒットを飛ばしていきました。
1992年のアルバム『The Swinging Star』は、オリコン史上初の累計300万枚を突破。多くの人たちがドリカムの音楽に勇気づけられ、希望と夢を抱いたのです。
恋の始まりや、別れの日。また、結婚式や新しい旅立ちなど、人生の節目の感情の揺れを切り取り、音楽にしていく。
ドリカムの楽曲は、いつも私たちの人生の中にあります。
日常生活のワンシーンに寄り添うように作られていく曲は、時に私たちを勇気づけ、励まし、一緒に悲しみ、喜び、片時もそばを離れようとはしない。
そんなドリカムの音楽にこれからも多くの人が共感していくことでしょう。
そして吉田美和の綴ることばの力強さや優しさが、今後も世界へと広がっていくのです。『なぜ、J-POPは 世界の心をつかむのか』 第2章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
ドリカムの代表作のいくつかは、吉田さんが高校生の頃に、すでに作られていたというのは驚きです。
歌詞のメッセージ性とメロディーの軽快さ。
吉田さんの多彩な表現力を誇る“レインボーボイス”。
これらがかけ合わさって、ドリカムの音楽は出来上がっているのですね。
多彩な歌声て進化し続ける歌姫
日本を代表する歌姫の一人、平原綾香さん。
広い声域を駆使した圧倒的な歌唱力で知られる平原さん。
久道さんは、その圧倒的な声の魅力を以下のように解説しています。
平原綾香の歌声に触れると、まず感じるのは透明感と深みの2つの音色です。
柔らかな低音、真っすぐに伸びる中音、澄んだ高音。その幅広い声域は、一本調子になることがなく、曲ごとにまるで絵の具の色を変えるかのよう。
平原綾香が19歳で『Jupiter』でデビューした頃は、彼女の歌声は今と違って、もっと響きや音色の薄いものでした。
音域的にはソプラノ、又は高めのメゾソプラノ。そして、ソフトな幅のある音質が特徴的です。
しかし、実は彼女は、大学ではサックスを学び、声楽出身ではありません。彼女はデビュー当時のことを、インタビューで次のように答えています。
「昔は歌のド素人だったので、悩んでいたんです。どうやって歌ったらいいかわからなかったし、かと言って先生にも習ってないし、習う時間もなければ習うっていう以前の問題だとも思っていたから。その、ある意味、変な真面目さはサックスを吹いていたからだと思います。サックスは1日2日じゃ吹けない。訓練して訓練して、初めて自分のものになっていくというのを実感していたから」(「BARKS」インタビュー 2021.6.10)
『Jupiter』でデビューした頃は歌に関しては手探り状態だったようです。
しかし、その後、呼吸法や発声を独自に身につけ、今では、実に多種多様な響きを持っています。
全体的な歌声がソフトで透明感の大きい響きが主体です。尖った部分がなく、非常に滑らかで幅広い響き。しかし、その声の中央には明確に色を持った芯のある響きが存在していて、曲目によって全面的に顔を出したり、メロディーの一部分だけに使われていたりします。
このように、今は、響きを使って多種多様な色彩の歌声を操れるようになっていますが、それまでには、彼女のたゆまぬ努力があったことが伺えるのです。
そして、デビュー当初はブレス音が主流だった低音域の響きも、今はとても魅力的でソフトな深い歌声になっています。さらに近年では、ホイッスルボイスも使っています。字面の通り、笛を吹くような歌声ですが、彼女は、このホイッスルボイスをヴォーカリーズの部分によく使います。
ヴォーカリーズとは、歌詞がなく、アー、とかウーとかの母音だけで音階を行ったり来たりしながら歌う唱法のことで、楽曲のクライマックスによく使われます。この唱法ができる人は非常に限られており、女性ボーカリストでは、彼女とMISIAが代表的です。
彼女は、低音域のチェストボイスから、中音域のミックスボイス、さらには高音域のヘッドボイス、そしてホイッスルボイスなど、メロディーが広い音域に移動しても、これらの歌声を使いこなせるだけのテクニックを持ち、それが、クラシックのカバーから、ジャズ、J-POP、R&B、ミュージカルというような、多様な種類の楽曲をこなせる要因と言えるでしょう。
特に代表曲『Jupiter』の最近の歌声は、これらの多彩な色合いの歌声を堪能できるものになっています。この曲はデビュー曲でありながら、歌手・平原綾香の集大成ともいうべき曲に進化したのです。平原綾香のライブには、派手な演出は何もありません。
ハンドを従えて、マイクとスポットライトだけ。派手なレーザービームもなければ、ダンサーもいない。非常にシンプルなステージです。
一切の装飾を取り払い、彼女の歌声と音楽だけの世界。
そして、彼女の歌声だけでさまざまな情景が映し出されていく。
多彩な歌声を純粋に堪能できる場所。それが平原綾香のステージです。
イメージは、まさにジャズステージのワンシーンです。ホールの隅々まで彼女の真っ直ぐな歌声が響いていく。その心地よい歌声に包まれ、酔いしれる場所。
純粋に音楽を楽しめる大人の本物志向のステージなのです。『Jupiter』に象徴されるように、彼女の作品は恋愛にとどまらず“生きる意味”や“希望”を描くものが多いです。
印象的だったのは、2023年12月のツアーファイナル。
大阪のフェスティバルホールで歌われた『CHRISTMAS LIST』(2006年発売)。
前年に始まったウクライナ紛争、そしてガザ地区の大規模な戦災など、クリスマスという誰もが平和に楽しく過ごす一夜を過ごせない人々がいる。そんな情勢の中、この曲を彼女はアニバーサリーコンサートの最後の最後に歌いました。
この曲は、戦争が起きないように、戦争によって引き裂かれないように、子どもの頃のクリスマスの思いを大人になった今、どうしても叶えてほしい、と願う曲です。
シンプルなことばで平和を願う気持ちが、彼女の透明的ながらも芯のあるしっかりとしたアカペラの歌声で会場の隅々まで届けられた夜。
ステージと客席とのギリギリの場所まで出てきて祈るように歌った彼女の姿は、歌によって平和を願う歌姫そのものだったのを記憶しています。そんな彼女の歌に対するストイックさは、そのまま自己管理にも現れています。
「就寝中にはマスクを着け、声帯の乾燥を防ぎ、さらに夏でも長袖のパジャマを着用、首にはスカーフを巻いて体が冷えないようにしている」とTVで話すほど、自分の声帯のコンディションを常に良い状態に保っておくことを厳しく自分に課しています。
就寝中の声帯の管理は、歌手にとっては非常に気を遣うものです。
空調や季節の変わりめに声帯や喉が乾燥してしまい、朝起きたら喉が痛かった、という経験は誰でもあるものですが、歌手にとってはそれがその日の歌に直結する問題です。
声帯に全く気を遣わない歌手もいますが、彼女は、常に自分の身体や声帯のコンディションも大切にするタイプであり、そこには音楽や歌への向き合い方同様、真摯なスタンスが現れています。2000年代初頭、ポップシーンはR&Bやダンスチューンが主流でした。
そのような時期、『Jupiter』は、西洋クラシックの旋律に日本語の歌詞を乗せるという異例の試みで大ヒット。この曲は、流行に左右されないクラシックの音楽の普遍性が根底に流れ、その音楽の強さが人々の記憶に残る名曲になったのです。
その後、彼女は、『新世界』や『カタリ・カタリ』、オペラ『トゥーランドット』のアリア『誰も寝てはならぬ』の有名な旋律を組み込んだ『ミオ・アモーレ』を発売。単にクラシックの名曲をそのままカバーするのではなく、彼女自身の楽曲として歌詞を書き、全くオリジナルな楽曲に作りあげました。
クラシックの名曲をポップス曲にするという古典と現代の融合、さらに彼女の歌声が新鮮に響きJ-POPの可能性を広げていったのです。*
平原綾香を「人生の大切な場面で支えてくれる声」と語るファンは多いです。結婚式や卒業式、災害復興の祈りの場など、彼女の楽曲は人々の記憶に寄り添い続けてきました。
特に『Jupiter』は、発売後に新潟震災、東日本大震災などが起き、避難所でこの曲を聴いて前を向くことができた、自殺を思いとどまることができたなど、この曲の持つ癒しのエネルギーが人々の心を満たしました。
玉置浩二が彼女に贈った楽曲『マスカット』は、幼少時から彼女を可愛がってきた玉置が彼女の成長を葡萄に喩えて作った曲ですが、高度なテクニックを要求される難曲です。この曲を見事に歌いこなす彼女は、単に技巧の誇示ではなく、声そのものを人生の物語として差し出す歌手なのです。『なぜ、J-POPは 世界の心をつかむのか』 第3章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
平原さんの声は、それ自体にとても強い力を持っています。
『Jupiter』のような、普遍的で壮大なテーマの曲ほど、その真価を発揮します。
日々の鍛錬と身体と喉のケアの積み重ねが生み出す最高の味わい。
まさに特上のワインのような平原さんの歌声を、これからも楽しみたいですね。
新しいものと古き良きものの融合
令和の時代の女性シンガーソングライターの第一人者、あいみょん。
久道さんは、あいみょんの曲の魅力は、シンプルなことばとアコースティックな響き
にあり、昭和歌謡やニューミュージックを思わせる懐かしさを内に秘めながら、平成・令和の感性で描かれる歌詞は世代を超えた共感を呼ぶ
と指摘します。
「両親が非常に歌謡曲が好きで、幼い頃より歌謡曲をたくさん聴いて育った」「私自身も歌謡曲が好き」という彼女の作る楽曲には、どこか懐かしさが感じられ、どこかで聴いたことのあるような既視感を覚えます。
「父親が浜田省吾の大ファンだった」と話し、影響を受けたアーティストに浜田省吾、平井堅、原田真二、スピッツ、ユーミンなど、いわゆるJ-POPの王道を行くシンガーソングライターの名前がずらりと並び、さらには岡本太郎の名前も。
岡本太郎の「太陽の塔」に衝撃を受け、その型破りな生き方や言葉に強く影響を受けたと話す彼女は、岡本太郎をテーマにした『tower of the sun』『今日の芸術』という曲を作るほど傾倒しているのです。
既視感と新鮮さを併せ持つ彼女の音楽性は、時代を映し出す“逆行する新しさ”として受け入れられたのです。彼女はインディーズデビュー作『貴方解剖純愛歌〜死ね〜』の衝撃的な歌詞で注目を集め、メジャーデビュー曲『生きていたんだよな』では社会の痛みを真正面から描きました。
彼女が広く知られるようになったのは、2018年にリリースされた5枚目のシングル『マリーゴールド』。夏の風景をテーマに男女の恋愛模様を描いた楽曲で、前年の『君はロックを聴かない』とは全く違った切り口の、夏特有のノスタルジーや恋愛の切なさなどを感じたままに描き出した曲です。
なぜ、タイトル名に夏の定番であるひまわりを選ばなかったのかといえば、彼女の中に、最初にふと浮かんだサビの部分の歌詞。その歌詞の情景の中に出てくる女の子の麦わら帽子の形がマリーゴールドに似ていると感じたことから、タイトル名をマリーゴールドにしました。
マリーゴールドが一年草で花の色によって花言葉が違うことから、曲を聴いた人がそれぞれの捉え方をしてくれることを願ってつけたというタイトル。
彼女の繊細でいて、かつ鋭い感性を表すエピソードです(※14)。
聴き手によっては悲しい恋愛の歌にも幸せな歌にもなり、その違いがマリーゴールドそのものの違いを連想させるような楽曲になりました。
この曲は、2019年6月にはストリーミング再生累計回数1億回を突破し、Billboard JAPANが集計を開始して以来、日本国内アーティスト初の達成となり、『紅白歌合戦』に出演を果たしました。
また、彼女の曲はアレンジを意識的に80年代や90年代のニューミュージックや歌謡曲のテイストを入れて、テンポ感をレイドバックさせています。これが彼女の楽曲に既視感を与え、誰もが口ずさみたくなるような曲に仕上がっているのです。
日本人のDNAに刷り込まれてきた歌謡曲の要素が自身の歌謡曲好きとあいまって、聴く人に新鮮さを感じさせています。
彼女の曲には、「死」や「愛」など感情が強く揺さぶられる世界観の歌詞が多いにもかかわらず深刻さはなく、それより淡々と歌い上げていくことで、聴き手がイメージを描く余白を残した歌になっているのが特徴です。
彼女自身の思いは歌詞の中でことばとして描き、歌はあくまでも冷静にことばを綴っていく。
直情的な表現を取らない歌い方は、かえって聞き手の心にことばが残っていく。
自分の感じたものをそのままことばにする、という彼女の感覚と、既視感にあふれた楽曲の世界が10代から中高年の幅広い世代に支持されているのです。彼女の歌声は、少し鼻にかかった甘い音色の中音域が中心です。
音域的には、それほど高いタイプではなく、中音域が中心のメロディーラインで作られている楽曲が多いのも、彼女の持ち声の音域に合わせていると想像します。
これがハイトーンボイスに慣らされた聴き手には心地良い響きとなって耳に残るのです。
彼女の歌声は、インディーズでデビューした頃と、現在では明らかに音色に違いが見られるのも特徴です。
インディーズの頃は、全体的に今より鼻声気味でストレートな響きで、単一色という印象を受けます。いわゆる地声(チェストボイス)の要素が強い持ち声で歌っていて、歌手としての未完成さを感じます。
ところが、メジャーデビューした1年後からは印象が変わり、楽曲によって歌声の色彩が変わっていきます。
たとえば、メジャーデビュー曲『生きていたんだよな』では、まだ鼻にかかった響きが主流で、語りのフレーズの話し声と歌のフレーズの声には差異がほとんと感じられません。短く現れるファルセット(裏声)のフレーズの音色は、明らかに他のフレーズの歌声に比べてボリュームダウンを感じさせます。この曲では、チェストボイスの要素が強いことが感じられ、これが歌詞の内容の強さとあいまってインパクトの強い歌声になっています。
ところが3枚目の『君はロックを聴かない』になると、明らかに響きが統一されて、綺麗なミックスボイスになっているのです。
この楽曲では、全体に女性の低音域のアルト色の強い伸びやかな歌声になっています。また、中音域は響きが内にこもらず、パンと通りの良い声になっており、音色に統一されています。この声がその後の彼女の主流となっており、伸びやかで若々しく清純な音色の印象を与えているのです。
その一方で、弾き語りで歌われる『恋をしたから』では、少し違った歌声も見られます。
訥々と一つひとつのことばを大事に置いていくような歌い方で、全体にいつもより細めで響きは明るく混じり気のない綺麗な音色になるのです。
さらに『裸の心』では、少し扁平的な優しい歌声が披露されています。サビの前の高音部のフレーズでは、伸びやかで細い音色になり、サビの部分では響きを少し抜いたハスキー気味の声も聴くことができます。また後半のサビでは、明るく真っ直ぐに伸びた安定した響きになるのです。
このように彼女の歌声は、地声感の強いストレートな声から、次第に楽曲ごとに音色を変化させる柔軟さを獲得し、透明感のあるミックスボイス、柔らかくハスキーな響き、細く澄んだトーンなど多彩な色彩を聴かせるようになるのです。その変化は、楽曲に寄り添いながら声そのものを表現の手段にしている証でもあります。楽曲のストックが400曲以上あるというほどクリエイターとしての才能を持つ彼女ですが、歌手としても非常に魅力のある存在です。
そして、ライブでは派手な演出よりも、ことばと声に比重を置いています。
ギター1本を持ち、淡々と語りかけるように歌う弾き語りは、彼女の音楽のシンプルさを表すものでもあります。
観客はその静けさの中で強い共感を得ていきます。
弾き語りのスタイルは、シンプルなステージに放たれる彼女の歌声の中に紡がれていくことばによって、聴く者自身の物語と重なり合い、“自分の歌”として響いていくのです。ファンは彼女が「自分の感情を代弁してくれる」と感じます。
直情的に叫ぶのではなく、淡々と歌い上げるからこそ言葉や音楽が心に残るのです。
世代を超え、多くの人が自分の人生を彼女の歌に重ねることができるのは、音楽に込められた普遍性と既視感、そして、歌詞に描かれた等身大のリアリティによる日常生活や人生におけるワンシーンだからなのです。
彼女より上の年代のファンは、彼女の歌に過去の自分の人生を重ね、同世代のファンは、現在進行中の体験に重ねていきます。そして彼女より下の世代は、これから来るべき未来を彼女の音楽の持つあたたかさから感じ取っていくのです。*
あいみょんの音楽は、自らの体験や感覚をそのままことばに変える衝動から生まれていきます。そして、そのことばを受け止める声は、多彩な色合いでリスナーに寄り添うのです。
そんな日本人の奥ゆかしさのような歌を、弾き語りというシンプルなスタイルで歌い上げていくのが彼女の音楽の特徴です。
時代に翻弄されることなく、あくまでも自分の音楽のスタイルを貫き通す強さを持つあいみょん。懐かしさと新しさを併せ持つスタイルは、日本の音楽の継承と革新を同時に体現しています。そして、彼女の歌はこれからも、聴く人の心の中で、人生の一部として響き続けていくことでしょう。『なぜ、J-POPは世界の心をつかむのか』 第4章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
あいみょんの曲の歌詞は、どれも何気ない日常を切り取ったものです。
それを日本人に馴染むメロディーに乗せて、親しみのある声で弾き語る。
古き良き日本歌謡の伝統を引き継ぐ、まさにJ-POPの王道を進み続けるあいみょん。
これからの活躍にも期待したいですね。
永遠の若さを保つアイドルのトップ・オブ・トップ
日本のアイドルの元祖といえば、松田聖子さん。
聖子さんは、今なお多くの女性の憧れ
であり、60代を迎えてなお永遠のアイドルであり、J-POP界に燦然(さんぜん)と輝き続けるアーティスト
です。
80年代に青春を過ごした世代にとって、彼女は「時代そのもの」でした。
新曲が出るたびに街にメロディがあふれ、雑誌やテレビを賑わせる姿に、ファンは自身の青春を重ねてきたのです。
彼女の人生は、アイドルとしては順風満帆だったかもしれません。しかし、プライベートでは結婚、出産、離婚だけでなく、最愛の娘を亡くすという最大の悼みを 経験しなければなりませんでした。
幸せな時も辛い時も、どんな時でも彼女は「松田聖子」であり続けなければなりません。
それがアイドルと呼ばれる人の宿命ですが、そんな時もファンはかたときも彼女のそばを離れることなく、悲しみを一緒に受け止め、彼女を見守り続けるのです。
彼女を応援することは、自分たちを肯定すること。そして、その時代時代の思い出を肯定することなのです。
自分達の長い人生のどんな時にも彼女の歌があった。
それは、ファンにとって、松田聖子が人生そのものだからです。松田聖子の歌声は「永遠の少女の声」と表されるほどの透明感があり、それが彼女の最大の魅力です。
60を超えてなお、濁りの見られない歌声は奇跡のよう。透明感あふれる歌声は、10代でデビューしてから現在まで、その響きという点において、何も変わることがありません。
声帯という器官は、加齢に伴って伸縮が悪くなり、音色が重くなっていくのが一般的です。若い頃には透明だった歌声が年齢を重ねるたびに、少しずつ濃厚な響きに変わっていくのです。
しかし、彼女の歌声には「響きが重い」という兆候は全く感じられません。若い頃から持ち続ける清涼感や透明度を、今も保ち続け、中低音の伸びやかな魅力は増すばかりです。
「老化」を知らない歌声。
それが松田聖子の歌声です。
ほぼビブラートの存在しないストレートボイスですが、わずかにフレーズの最後に現れることもあります。
若い頃は伸びやかな高音部が魅力的でしたが、近年は充実した真っすぐな響きの中・低音部が耳に心地よく、好む人が多いのではないでしょうか。
また、彼女のことばのタンギングは独特で、特にS音が子音に来る単語の清涼感は、彼女にしか出せない魅力的なタンギングです。
この独特のタンギングが、ことばの持つエネルギーを高め、明瞭なことばに仕上げていく。だから、ひと言ひと言が引き立ち、彼女のストレートな歌声に乗せられた清涼感あることばが、彼女の歌をさらに魅力的にしているのです。
『瑠璃色の地球』では、彼女の声の透明感と清涼感が、美しい地球の姿を描きだしています。
この特徴は還暦を迎えた現在も変わることがなく、彼女のイメージがその外見とともに、いつまでも若いと感じる要因です。『青い珊瑚礁』『赤いスイートピー』『渚のバルコニー』など、彼女の代表曲には鮮やかな季節感と恋愛のきらめきが詰まっています。
松田聖子の楽曲を語る時、外せないのは、作詞家・松本隆の存在です。
最初のタッグは、『白いパラソル』で、この楽曲以降、多くの楽曲を手がけた松本隆の存在が、松田聖子の音楽の世界を作り上げていきました。
さらに、ユーミンこと松任谷由美と松本隆が組んででき上がった曲が、『赤いスイートピー』です。ニューミュージックの旗頭とアイドルという、全く相容れない世界にいる2人のコラボは、松田聖子の新しい魅力を引き出したと言えるでしょう。
松任谷由美が呉田軽穂という別名で引き受けたスローバラードのこの曲は、当時、過密スケジュールで声がかすれ気味だった松田聖子のコンディションを考え、低音域からのしっとりとした歌いだし。後半、どんどん高い音域へと上がっていく構成になっています。さらに松本隆の細部にわたる心の動きなどを書き込んだ歌詞が多くの女性の心をつかみ、女性ファンが増えた曲でした。
アイドルだった彼女が、本物のアーティストへの階段を昇り始めた分岐点の曲でもあります。その後、彼女は、さらにヒットを飛ばしていきます。
そして『SWEET MEMORIES』や『あなたに逢いたくて〜Missing You〜』など切々と心のひだを歌い上げる大人のバラード曲でもヒットを飛ばし、アーティストとしてのポジョンを揺るぎないものにしていったのです。松田聖子のライブは、観客が「青春を追体験する空間」です。
コンサートの冒頭から鳴り響く大歓声、次々展開されていく耳慣れた数々のヒット曲たち。魔法の国のお城に迷い込んだようなメルヘンなセットを背景に、中央で歌い踊る彼女は、まるで過去の時代が蘇ったよう。80年代の記憶を抱えた大人たちと、いま新たにファンとなった若い世代の両方が同じ空間でともに大合唱をする。
ライブの中盤に挟み込まれた恒例のアコースティックコーナーでは、ギターやキーボードと共に椅子に腰掛けた彼女が懐かしい曲を披露します。そして、ファンの掲げたリクエストボードに書かれた過去の数百曲もの中から選んだ曲名を見ながら、ワンフレーズずつ歌っていく。
ファンとの記憶比べのようなこのコーナーは、ファンも彼女も楽しくやり取りする時間です。
アイドルと憧れられる松田聖子も普通の人間なんだと感じられる時間、彼女の優れた記憶力と優しい人間性があふれる時間でもあるのです。
コーナーの最後を締めくくるのは、会場を埋め尽くすコンサートグッズの赤いスイートピー。赤いスイートピーを振りながら、会場全体で一緒に歌う『赤いスイートピー』は、後半のヒット曲メドレーの最後に歌われる『夏の扉』と合わせて、不動のラインナップです。
彼女の歌声を聴きながら、「自分たちの青春がまだここにある」と確認するステージ。
それが永遠のアイドル「松田聖子」のステージです。松田聖子がデビューした1980年は、山口百恵が引退した年。まるで入れ替わるように現れた彼女は、時代が求めた存在だと言えるかもしれません。
彼女の登場によって、日本のアイドルシーンが大きな転換期を迎えたのです。
従来の「清純派アイドル」の枠組みを超え、次々とヒット曲を生み出しながらトレンドを牽引する彼女の存在は、80年代の「アイドル黄金時代」を決定づけました。
3枚目のシングル『風は秋色/Eighteen』から、24枚連続1位という偉業を成し遂げたのも彼女です。
また、財津和夫のプロデュースを受けた『夏の扉』。この楽曲は大ヒットし、その後、彼女が単なるアイドルから時代を背負うトップシンガーへと階段を昇り始めるきっかけとなります。
年齢を重ねるにつれ、アメリカへ渡るなど、アイドルのポジションに甘んじることなく、さらに高みを目指し、アーティストへと転換していく彼女の生き方は、アイドルの新しい形を示したとも言えるでしょう。彼女の人柄を象徴するのは、常に前を向き、自らをアップデートし続けてきた姿勢です。
結婚、出産、離婚・・・・・・松田聖子のプライベートは、何かとスキャンダラスに報道されてきました。しかし、彼女の人生に起きたどんなことも、ファンに共有し、彼女の飾らない人柄が現れるたびに応援の輪が広がっていきました。
「聖子ちゃんが好き」という女性ファンも多く、自分のその時その時の素直な気持ちのままに生きる姿は、憧れの存在でもあります。彼女のように生きたいと思う女性は多いでしょう。*
松田聖子の音楽は、ただ懐かしさを呼び覚ますものではありません。
聴く人それぞれの人生に寄り添い、今もなお投げかけている新しい光。感性で歌を歌ってきた彼女は、「直感的に歌う景色が見える」「その詞の世界に立っている」ような感覚を持っていると言うのだ(※16)。
歌の中の主人公は歳を取らず、いつまでもその時のままでいる。そして彼女が歌を歌う限り、彼女自身もまた、その頃の彼女に戻るのです。
松田聖子が変わらない歌声で歌う限り、聴衆もあの頃の自分に戻れる。フリフリのワンピース姿でステージに立ち、ミニスカートにTシャツ姿でステージの端から端まで走り回り、階段を軽やかに駆け上がっていく彼女は、いつまでも楽曲の中のプリンセス。彼女がステージに立ち続ける限り、誰もが歌の世界の中で永遠に若さを保っていけるーー。
松田聖子は、そんな魔法をかけられる永遠の、そして最強のアイドルなのです。『なぜ、J-POPは世界の心をつかむのか』 第5章 より 久道りょう:著 青春出版社:刊
「松田聖子」は、いつの時代も「松田聖子」。
まさに時代を超越した、“生きる伝説”ですね。
聖子さんの、いつまでも変わらない容姿や声、そしてアイドルとしてのオーラ。
それらは、もちろん本人の弛まない努力の賜物です。
ただ、その背後には、聖子さんを支える多くのファンの存在が支えています。
彼ら彼女らがいる限り、聖子さんは聖子さんであり続けるでしょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
J-POPが世界で受け入れられている理由。
それを一言で言うと、声が日本語を連れて、国境を越える
からです。
久道さんは、もっとも原初的な声と、唯一無二の色彩を持つ日本語
、その二つが出会ったとき、歌は場所も言語も越えて、人を変える力を発揮する
とおっしゃっています。
声は、発する人の性格や性質をダイレクトに表現します。
また、人生で経験してきたさまざまな感情、喜びも苦しみもすべて反映されます。
そう言う意味で、歌声は、“ワイン”に例えられるかもしれません。
持って生まれた声という“葡萄”を、人生という“樽”の中で、ゆっくりと熟成させて作り上げていく。
磨き上げられた歌手の声は、まさに極上のワインそのものです。
これからも、メイド・イン・ジャパンのワイン(歌)が世界に響き渡ることでしょう。
楽しみですね。
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