本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】「存在革命」(竹腰紗智)

お薦めの本の紹介です。
竹腰紗智(HAPPYちゃん)さんの『存在革命』です。

竹腰紗智(たけこし・さち)さんは、瞑想家、エンターテイナー、実業家です。
2014年から「HAPPYちゃん」として活動を開始、「引き寄せの法則」を基盤とする「Happy理論」を生み出します。
現在、瞑想、エンターテイメントやビジネスなどに挑戦する姿や生き様を通し、「本当の幸せとはなにか?」を広める活動されています。

「わたしという存在」を生きるとは?

願望を掲げ、目標を追いかけ、それに向かって走る。
しかし、それらを達成すると、向かう先を見失い、途方にくれてしまう。
そして、外側に目指すべき願望や目標を探し出そうと、必死になる・・・・・・・。

なぜ、このサイクルが人生で繰り返されてしまうのか。
それはあなたの中に、「人生の理念」がないからで、そこに流れつくための「意図の力」が欠けているからです。

考えてみてほしいのです。

会社には「企業理念」が存在します。
ビジョンやミッション、バリューが定められているから社員は同じ方向を向くことができる。
国には「憲法」が存在します。
その国の理念や価値観を共有しているから、国民は権利と義務の基盤を持てる。
しかし、個人の人生ではどうでしょうか。
理念やクレド(Credo)を明確に掲げて生きている人は、驚くほど少ないのです。

それは、なぜかーー。
学校教育や社会では外のルールに従う訓練ばかりで、自分で自分の理念を定めるという発想を育んでこなかったからです。

多くの人は、「人生の目的」を問われた場合、お金持ちになりたい、有名になりたい、世間から認められたいといったことを口にしがちです。
しかし、それらは所詮、世間が決めた豊かな人間の定義にすぎません。

他人や世間が決めた軸ではなく、自分はどういう人間でありたいか、どう生きたいかといった、自分の軸に立って理念を言葉にできる人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
中には、個人理念なんて持つと縛られるのでは、と思う人もいるでしょう。
その考えは逆です。
理念があるからこそ、人生は自由になるのです。

もし、人生の根本に「わたしは幸せに生きる存在である」という理念があったなら。
その方向に流れつく「意図の力」を持っていたならば、願望や目標は、大きな川の流れの中に自然に立ち上がる小さな波にすぎません。
波は次々に生まれ、消えてもまた新しい波が現れます。
だから、燃え尽きることなく、流れの中で無理なく進み続けられるのです。

逆に、「理念」も持たず、「意図」も持たなければ、願望や目標そのものが生きる意味となってしまいます。
そこに到達するまでは必死に頑張れても、辿り着いた途端、足元に道はなくなる。
だ次を探し、また燃え尽き、やがて疲れ果てる。
そんな人生を送っている人は少なくありません。

ここであなたに問いを投げかけます。
あなたには、「わたしは幸せに生きる」という「理念」はありますか?
あなたには、「わたしはこう生きる」という「意図」はありますか?

もし、ないのであれば、あなたに力強く提唱したいです。

「わたしは、わたしとして生きる」
「そして幸せに生きる」
これを人生の基本の理念として掲げ、宣言することを。

本書は、この理念をどのようにして現実に響かせるか、その実践を共に歩むための書です。

私という存在を実感し、ただ生きることの喜びを感じる日々を、あなたに贈ります。

『存在革命』 まえがき より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

ただ「わたし」として「存在」する。
人間には、そのために授けられた「三種の神器」があります。

それは、「意図」「呼吸」「骨」といった三つの柱です。

竹腰さんは、この「三種の神器」が揃ったとき、人は初めて、自分という存在を明確に立ち上げることができると指摘します。

本書は、私たちの中に眠る「三種の神器」を呼び覚ますことで、本当の意味で「私という存在」で生きるための方法をわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「承認欲求」の正体とは?

本来、私たち人間は、「存在するだけで価値がある」ものです。
それが、いつの間にか「存在に基づく生き方」を忘れてしまいました。

わざわざ、外側に自分の存在意義を求めてしまう。
その根底には、「承認欲求」が潜んでいます。

子どもは日常的に、親や大人に「見て見て!」と呼びかける。呼びかけられたほうは「見ているよ」と「承認」の言葉を返す。
よく見かける光景だが、この呼応にこそ「承認欲求」が生み出される秘密が隠れている。
なぜなら、この子どもの「見て見て!」という行為は、「自分という存在が本当に今ここにいるのか?」と、自分の存在を確認したいがために起こる言動だからだ。

人はこの世に生まれるとき、すべてが一体につながった“源”から切り離される。そして、一人になった瞬間に芽生えるのが、「わたしは本当にここにいるのか?」という疑問である。
“源”という親元から切り離され、世界に放り出されたことで、子である人間は存在に確信が持てず、不安を覚えるのだ。
特に生まれたばかりの子どもは身体と意識の結びつきが不安的で、この世界に自分が「在る」感覚が定着していない。そのため、自分の存在を他者の反応を通じて確認しようとする。
「誰かに見てもらわないと生きられない」という感覚は、人が生き延びるためにもともとインプットされた仕組みなのである。

人は、成長するにつれ、他者へ無邪気に存在の確認を求める言動をしなくなる。
なぜなら、この世界で生きていくためには、誰かの役に立つこと、成果を出すことでしか人に見てもらえないと、教わるわけでもなく学んでいくからだ。
そのため、「愛されたい」「人気を得たい」「認められたい」という思いを持つようになり、それが行動の基盤となる。
つまり、子どもの頃に抱いた「存在を確認」するための純粋な行為は、大人になるにつれて「存在意義」を成り立たせるものへと変わっていく。
このように、外側に「存在の承認」を求める行為は、この世界のシステムにも構築されているのだ。
したがって、このシステムの中で生きていく以上、承認欲求が湧き上がるのは当然である。
ただ、誰かに認められたり、評価されたりすると一時的な安心感を得られるが、すぐに次の不安が襲ってくる。
そしてまた、外側へ、他者へと自分の存在意義を求めてしまう。
だから、承認欲求は、永遠に消えないのである。

誰かに承認されて自分が初めて生きるという感覚は、人間だけの話におさまらない。
宇宙を形づくる最小の構成要素である“素粒子”の構造からも同じことがいえる。
量子力学の世界では、素粒子は観測されるまで存在が確定しない。観測されるまでは波のように漂っていて、誰かが見つけることで初めて粒となり、現実に存在が確定されるのだ(下記イラスト(図1)参照)。
振り返れば、わたしたち人間も素粒子でできている。
この観点からも、わたしたちは自分で自分の存在を観測することができず、外側に“観測者”を必要としてしまう理由がわかるだろう。
ただし、人間には意識があり、意図を持つことができる。自分が観測者になって、「わたしという存在」に意識を向けることで、自分の中に「在る」という感覚を持てる。
言い換えれば、この存在ベースの感覚を持つことでしか、自分の意志で自分の人生を形づくることはできないのだ。

現状、多くの人は、無数の“外側の鍵”を通して、自分の存在をつなぎとめようとしている。なにもそれは、他者からの評価だけではない。思考の癖、日常のルーティーン、過去の栄光、未来への希望・・・・・・。
これらを存在の拠り所としている人は多い。

例えば、他者からの評価や視線に鍵を渡している人は、人に見てもらうこと、認められることが存在の証になる。思考に鍵を渡している人は、考え続けることでしか安心できない。日常に鍵を渡している人は、毎日のルーティーンに縛られる。過去に鍵を渡している人は、トラウマや成功体験に自分の存在を結びつける。
未来に鍵を渡している人は、理想や目標があることで、今を保っている。

行動すること、変化することに鍵を渡している人も多い。
一見、変化することはいいことのように思えるが、行動する自分に価値を感じている人は、変化しない人を見るとイライラしてコントロールしたくなる。
その結果、他者に「もっと動いて」「もっと変わるべき」と干渉してしまい、無意識にコントロールする関係を築いてしまい、衝突しやすくなる。
このような行動を起こす理由は、防御反応体。
何かに依存して自分を成り立たせるとき、それに従わない者は、自分を脅かすものに見えてしまう。

このように、存在意義の鍵を自分以外の何かに渡してしまえば、つねにそれに揺り動かされることになる。
これは、不安や衝突を増幅させる原因にほかならない。
存在意義は、他人や何かに与えられるものではない。
存在意義の鍵は、自分の中にこそなくてはならないのだ。

どうしたら自分の中に存在意義の鍵を取り戻せるのか。
それは「わたしはここに在る」と自らに意図することだ。
わたしたちはこれまで、行動すること、成果を出すこと、誰かの役に立つことによって、自分には価値があると感じてきた。「ただ在ること」より「何者かになること」にエネルギーを割いてきたのだ。
しかし、存在ベースの生き方はまさにその逆。
「わたしはここに在る」と自らに意図し、日々の中でこの意図を持つことで、「何かを達成しなくてもわたしには価値がある」という意識が育まれていく。
すると同時に、外側へ答えを求めることがなくなり、湧き上がる承認欲求も自然と溶けていくのだ。
「ただ在る」とは、決して何もしないのではない。
この世で幸せになるための、最も尊い行為である。
「わたしはここに在る」という意図を持ったとき、あなたは初めて人生のスタートラインに立つ。

承認欲求は生まれる前から人体にインプットされ、この世界と宇宙に構築されたシステムであった。
だから、人は「わたしは在る」ではなく、「何者かになりたい」という「願望」から行動を始める。しかし、それは“今の自分では足りない”という前提に基づく生き方である。
このような従来ベースの生き方では、自分の幸せに基づいた行動をとっているつもりでも、意識が「他者に認められたい」「成功したい」という“外側”にあるため、行動しても空回りする結果に陥ってしまう。
なぜなら、自分の中身が“空っぽ”のため、直感が正常に働かないからだ。
従来ベースの生き方をしていては、自分を変えたいと思って“ピンと来た”セミナーに参加しても、スピリチュアルな行動に走ってみても、何も変わらない。
一時的な満足感を得られても、本質的に変わることは永遠にないのだ。

「存在ベース」は「従来ベース」と全く異なる出発点を持つ。それは“欠け”や“不足”からではなく、すでに「“完全”な自分」から始める生き方だからだ。
まず、「わたしは、わたしで在る」という意図を持つ。
ここで自分の存在そのものを定めるから、そこが起点となる行動は自然で無理がなくなる。
同時に、行動の目的が外側に依存しなくなるため、“認められたい”ではなく、「わたしを全うする」行動をとり、“外側”に揺り動かされることがなくなる。
そこでようやく、直感が正しく機能するののだ。
内側から湧き上がる存在理由を目的とし、“存在を全うするために何をしたらいいか”という存在の声を道標や目標とした手段がとれるようになる。

〈出発点〉
従来型:「何者かになりたい」=願望(欠けている)
存在型:「わたしは、わたしで在る」=意図(完全である)

〈目的〉
従来型:「認められるため」=他者依存
存在型:「わたしを全うするため」=内的動機

〈直感〉
従来型:「方法論として使う」=外側の声
存在型:「存在の道標として使う」=内側の声

『存在革命』 第一部 第1章 より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

図1.量子力学の「観測問題(波束の収縮)」
(『存在革命』 第一部 第1章 より抜粋)
 他人から認められないと、存在価値がない。
周囲に貢献しないと、生きている意味がない。

私たちは、そんな考え方の根強い社会の中で生きてきました。

「自分には欠けている」
「自分は不十分である」

承認欲求は、私たち潜在意識に眠る、そんな思考の表れです。

人生は「震えの質」で決まっていく!

素粒子の集合体であるわたしたちの存在は、つねに震えている振動体です。
感情は固有の周波数(振動)となって身体全体に影響を及ぼします。

竹腰さんは、存在がいかに震え、どう震えるかで、人生は変わっていき、判断基準、人間関係のパターン、その人の生き方は「震えの質」によって決まると述べています。

 そもそも、存在意義の鍵を他者に渡している場合、生き方の基準は他者にあり、「震源」もまた他者にある。
まずは、自分の中に震源を置くこと。
自分の中の震源を感じること。
それは、自分が何をしているときに「わたしはここに在る」と感じられるかを知ることでもある。
あなたという存在が人生の主導権を取り戻し、幸福な未来を進むための一歩を踏み出そう。

震えは「生命のバロメーター」ともいえる。
存在意義が自分の中にあり自分の中の震源を感じて震えているとき、肉体はエネルギーに満ち溢れている。
一方、存在意義の鍵が外側にあって存在の所在がわからないとき、震えは止まり、エネルギーは枯れ落ちている。
このように、意識と肉体が結びついて震えは起きるのだ。

何をやっても無意味だと感じる「心に穴が空いたよう」という言葉があるが、これはまさに、自分の中に震源がない状態を表している。
心に穴が空いたような感覚のとき、「わたしは在る」の意識が肉体から断絶しているからだ。
そもそも心の穴を埋めようと必死になっても、人の心は満たされない。なぜなら、心はそもそも自分の内側から満たされるものであって、外側から何かを持ってきて埋められるものではないからだ。
「“わたしはここに在る”を実感できた」ときに、初めて心と身体は満たされる。震源が自分の中にあってこそ、初めて存在ベースの生き方ができるのだ。

「わたしはここに在る」という確信は、過去と未来にはなく、「今この瞬間」にしか得られない。このように、震えは「今ここ」にしか起きないのである。
逆にいえば、「今」を感じられているときは、あなたが「震えている」ときでもある。
深く震えれば、今への集中度が高くなり、何度も震えることができれば、今というときが重なり、人生の深みが増していく。
すべては、どれだけ「今に在り」、どれだけ「震える」か。
これが、あなたの人生を変えるキーワードである。

他人の評価、過去の物語、未来の理想、成果や変化。
それらすべてを手放したとき、ただ「わたしはここに在る」という意識だけが残る。
そこに立ち還ったとき、震えの質は高まり、行動は震えに則った自然なものへと変わっていく。
誰かの顔色を見て立ち居振る舞いを決めることや、誰かに負けないように無理する必要がなくなる。
すべては自分の「震え」から始まるのだ。
震源の外側から内側へと戻るとき、人は初めて、本当の自由を手にする。

存在意義の鍵を自分の中に取り戻せると、自分以外の何かに揺さぶられなくなる。自分の中の震源に耳を澄まし、感じることがすべてになるからだ。
存在ベースの生き方を確定できた人は、たとえ相手が違う意見を持っていても、自分とは違うペースでも、相手を信じて、尊重する。
つまり、「わたしが在る」だけでなく、「あなたも在る」とありのままを受け入れることができる。
この状態こそ、“存在が自立している証”だ。
何かの役割を演じるでもなく、誰かの期待に応えるでもなく、「わたしはここに在る」と内側の「震え」を感じること。ここにすべての真実がある。

わかりやすく「震え」をとらえるならば、震えがそのまま形になったのが「芸術」である。
創作しているとき、芸術家は“何か”とつながっている。
それは、他人の視線でも評価でもない。
ただ、「在る」という感覚。
自分がこの世界に存在しているという、圧倒的で、純粋で、代えがたい確信。
筆を持つ、音を鳴らす、踊り舞う、言葉を紡ぐ。
その瞬間、思考は消え、存在そのものが鳴り響く。
「わたしはここに在る」という感覚が、技術ではなく「震え」として身体を通るのだ。
このとき芸術家は、自分が世界そのものであるような深い没入感を覚える。これはまさに、自分の中の震源を感じきっている瞬間といえよう。
芸術とは、存在の内側から起こる震えが肉体を通過した記録である。その震えが深いほど、作品に触れた者も大きく震えるのだ。

創作ができる人にのみ、震えが起きるわけではない。
誰もが「わたしはここに在る」という意図を持って生きることで、次第に存在の鍵は自分の中に戻る。
そして震源に耳を澄ますうちに、存在そのものの震えを感じ取れるようになるのだ。
芸術家であっても、四六時中、震えを感じているわけではない。それどころから、創作時と日常のギャップに苦しめられる場合も多い。
創作のあいだにだけ、自分がいる。
作品に没頭しているあいだだけ、空虚が消える。
それが終わると、世界は急に無音になってしまう。
共鳴が止まり、熱が消え、“存在の扉”が閉じてしまい、強烈な喪失感が襲ってくる。
本来、創作とは、存在が震えたときに起きる“副作用”にすぎない。
創作がないと存在できないのではなく、存在があるからこそ、創作ができる。
“創れるわたし”が素晴らしいのではなく、“震えるわたし”がここに在ることが素晴らしいのだ。
「存在あってこその震え」という事実を忘れないように。

芸術が内部から湧き起こる存在の震えだとすれば、外部から無理やり震えを起こすのが、いわゆる「ドラッグ」である。
ドラッグは一時的に感覚を拡張させ、時間の感覚を曖昧にし、自我の境界を薄める。
そして、「今ここ」に没入する状態を作り出す。
これにより、短期的には「わたしはここに在る」と感じられるが、それは単なる幻影である。
ドラッグの作用が切れたあとは揺り戻しが大きく、存在の所在がより不安定になる。それにより、つねに強い刺激を必要とし、ますます依存していく。

ドラッグのような外部の刺激を使わずに、また、芸術家のように表現に秀でていなくても、震えを感じられる方法がある。以下の①〜⑥のステップを踏む。

「震えを感じるステップ」

①意識を「思考」から「振動」に下ろす
最初に必要なのは、「考える」から「感じる」へと、
意識の焦点を切り替えること。
「わたしは震えて在る」という感覚を持ち、
わたしという存在を周波数の波として認識する。

②「音」ではなく「沈黙」を聴く
外側からの刺激ではなく、自分の内側に広がる
「静寂」に耳を澄ます。このとき、脳のβ波がα〜θ波へと自然と遷移していく。
静けさがある空間こそが、震えの発生する場所である。

③呼吸を意識の通路として使う
呼吸は、自分の意思でコントロールできる。
呼吸を意識的に使って、存在の波を身体に通す。
存在の震えを取り込むように息を吸って
存在の波を身体中に広げるように息を吐く。
特に丹田(たんでん、へその下)に意識を集中させて呼吸すると、
「わたしはここに在る」感覚が目覚めていく。

④身体を“感じる受信機”に戻す
頭の中に意識がある限り、存在の感覚は上滑りする。
足の裏、骨盤、背骨、手の平へと、意識を下ろしていく。
身体が「今ここ」に戻ったとき、外界の刺激なしで
日常の自分とは異なる意識と肉体の一致が起きる。

⑤目を閉じ、光ではなく、震えを見る
目から入る情報を遮断すると、
外の世界や他人の評価を閉じることができる。
そのとき、存在が震える感覚が前面に出てくる。

⑥存在確定のマントラを宣言する
「わたしはこの身体に宿り、ここに在る」と宣言する。
この言葉を身体全体に広げるように言うと、
言葉の波が細胞に染み込み、定着していく。

『存在革命』 第一部 第6章 より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

私たちの身体は、しっかりとした固い物質からできていて、変化しにくいものというイメージがあります。
しかし、それは間違った解釈で、身体を構成する素粒子が振動しながら常に動き回っています。

この世の中に存在するあらゆるものは「エネルギー」でできています。
つまり、波動(振動数)の存在ですから、振動しています。
私たちの身体も、もちろん例外ではありません。

そして、波動は同じ質の波動を引き寄せます。
「震えの質」が人生を決めるということですね。

意図とは「剣」である

人が人生に迷うのは、選択肢が多すぎるからではありません。
「行き先が定まっていないから」です。

人生における“羅針盤”。
それが「意図」です。

竹腰さんは、意図は「あなたという存在が人生において、どう生きるのか」という方向性そのものだと指摘します。

意図を持つことは、何かを選び取り、何かを捨て去ることであり、一つの方向に進むことでもあります。

「意図を定めているとき」。それは、「存在意義が自分の中にあるとき」である。
意図は誰かに決められるものではない。
人生という航路の中で、あなたが決める進路だ。
あなたが決めた意図は、他人から理解されなくても、心の奥底で静かに燃やし続けるものである。たとえ意図を持って行動したことで失敗したとしても、その歩みは意味を持つ。
日々の出来事すべてが“存在の証”として積み重なり、時間をかけて人生の航路を進んでいくのだ。

“幸せになりたい”“愛されたい”といった「〜したい」という思いは、すべて「願望」から発せられる。
意図は願望ではなく、自分への「宣言」。
つまり、言い切ることが重要となる。
「幸せになりたい」ではなく「幸せな存在で生きる」。
「褒められたい」ではなく、「わたしは自分を愛する」。
相手や外側にその気持ちを委ねるのではなく、意識を自分に向けていくことも大切なポイントだ。

意図の力は、「方向 × 強度 × 継続性」で決まる。

方向:どこに向かうのか
強度:どれだけ深く思うのか
継続性:どれほど長く思い続けるのか

意図は強度が強く、継続性が長いほど大きな力となる。
たとえ、一場面では小さな力しか発揮できなくても、継続して同じ方向に歩み続けるなら、現実はその方向に揃っていく。
反対に、強度がどれだけ高くても方向が定まらなければ、意味がない。力が分散され、成果を結ばないからだ。
まず、意図で「方向」を決める。これが最も重要だ。

握る手から意識が伝わり、振り方に影響を及ぼすことから「剣には精神が宿る」といわれている。
まさに、意図とは人生を切り拓く「剣」である。
剣は己の行く道に立ちはだかる敵を倒し、道を切り拓くための武器である。
最もまた、迷いや恐れといった気持ちを断ち切り、進むべき道を指し示す。
意図を持つ人は、たとえ行く道が荒野であっても、自分の意図の力を信じ、道を切り拓く。
意図を持たない者は、他者の意図に翻弄されながら、彷徨い続けることだろう。
意図を持つとは、自分の人生の手綱(たづな)を引くということ。
意図の剣をしっかりと握れば、自ずと自分がどう生きたいかが見えてくるだろう。

意図には、よく似た概念がある。
それは「願望」と「目標」だ。
人は幸せを得るために願望や目標を積み上げるが、この二つを糧にしては、存在は満たされない。
なぜなら、願望と目標は意図と本質的に異なるからだ。
改めて、意図とは「あなたという存在がどう生きるのか」、人生の大きな方向性を指し示すものである。

願望は、一時的に燃え上がる感情の欲求である。
「新しい服が欲しい」「認められたい」「地位や名声を手に入れたい」といった欠乏から生じるものであり、他者との比較や不安に支配されているときに湧き起こる。
願望は叶ったとしても一瞬の快楽しか生まない。
そのため、願望を糧に生きる人は、つねに「足りない」という前提に立ち続ける。
満たされてもすぐに新しい欲求が生まれてしまうのだ。

目標は「到達点」である。
「3ヶ月で5kg体重を減らす」ことも、「仕事の売上で月額100万円を達成する」ことも、目標の範疇に入る。目標は期限や数値を伴い、達成すれば消え去ってしまうものである。
目標は具体的な行動指針を決める点で有効だが、あくまで“成果の到達点”にすぎない。
そのため、目標が達成された瞬間は一時的な満足感を得られるが、すぐ次の目標を掲げなければ虚しさが訪れる。「燃え尽き症候群」と呼ばれるものは、まさにこれのこと。
目標を糧に生きる人は、終わりなきタスクの階段を永遠に上り続けることになる。

意図を深く長く保てれば、長期的に安定した方向へ進む。
一方、願望を糧にした生き方だと、目先の目標を立てて、達成するといった短期的な結果しか生まない。
例えば、「成功したい」という願望の場合、意図との違いを以下のように書き分けられる。

願望:「成功したい」
目標:SNSのフォロワー数を伸ばす目標を立てる。
結果⇨短期的な成果が生まれる可能性はあるが、目標の達成後に空虚感を抱きやすく、疲弊しやすい。

意図:人生において「自分の存在を生かす」と定める。
結果⇨日常の中で意図に基づく選択をし、行動するようになる。時間はかかるが、安定した成果をえられるようになる。

このように、意図とは、願望や目標の奥底に隠れた存在を根本から満たすものなのである。

また、願望と目標は水平のサイクルを描く。この横軸にいる人は物質や時間の世界で生きていくことになる。
一方、意図は垂直な軸を描いていく。この縦軸にいる人は自分の存在で世界を構築していける。
だからこそ、この垂直の軸が立ったとき、人生は大きく変わるのだ(下の図2を参照)。

わたしたちが人生という長い航路を船に乗って進んでいるならば、願望は燃料であり、目標は一時的な到達点。
それらを正しく導くための「羅針盤=意図」がなければ、船は迷走することになる。
だからこそ、意図を正しく持つことが肝心なのだ。
願望に振り回されず、目標に縛られず、意図して生きる。
これこそが、存在意義を自分の内側から満たす生き方につながっていくのだ。

『存在革命』 第二部 第1章〜第2章 より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

図2.願望と目標は「横軸」、意図は「縦軸」
(『存在革命』 第二部 第2章 より抜粋)
 願望や目標は、あくまで一時的なもの。
叶ってしまえばなくなるし、諦めてしまってもなくなります。
時間とともに変化もしていきます。

一方、意図は、人生全体を貫く永久的なもの。
意図を持つということは、「自分は何者であるか」という存在を定義することです。

強く深い意図は、“羅針盤”。
正しい意図を定めることは、人生において何よりも重要であり、最初にすべきものです。

呼吸とは「鏡」である

呼吸とは、生命の中に込められた宇宙の律動で、以下の三つの要素で成り立っています。

①吸う
②吐く
③間

①吸うは、外から光を迎える行為であり、世界を取り込み、自己を開くことにつながります。
②吐くは、内から自分という存在を世界に差し出す行為。不要なものを手放せる瞬間でもあります。
③間は、「吸う」と「吐く」のあいだに訪れる沈黙で、このあいだに、「今という永遠」が存在します。

竹腰さんは、呼吸は今のあなたの心をありのままに映す“鏡”だと指摘します。

あなたは、今、どのような呼吸をしているだろうか。
1分間、呼吸を繰り返してみよう。
吸って、止めて、吐く。
呼吸しているあいだ、目を閉じて身体に意識を向ける。
胸と腹、どちらが大きく動いているか、速さや深さ、広がりはどうかを観察してみる。
もし、呼吸が浅かったり荒かったりと乱れがちであれば、何かしらの不安を抱えていることだろう。
このように、呼吸を観るだけで、自分の心の状態が明らかになる。
呼吸とは、「心の検査表」でもある。

感情の乱れを呼吸から読み取っても、無理に抑えることはなかなかできない。しかし、呼吸はすぐに変えられる。呼吸を澄ませば、心は自然と整っていく。
呼吸を変えることは、心を変えることに直結する。

心の乱れを整える呼吸のポイントは、以下だ。

心を整える基本の呼吸法

①新しい光を迎え、心を開くように吸う。
②溜まった思考や感情を手放すようにはく。
③静けさに触れ、心をリセットするように間を置く。

呼吸が感情と連動しているからこそ、呼吸により感情のエネルギーを解放し、変容させることができる。
ネガティブな感情に襲われた際は、以下の呼吸法を試してみる。

ネガティブなときの呼吸法

◎不安なとき:背中に向けて大きく背中へ
広がるように吸い、大地に向かって吐く。
◎怒りに駆られているとき:腹に静けさを
迎え入れるように長く吐き出す。
吸う息は、腹に静けさが戻ったときに自然に訪れるので、
無理に吸わせない。
吐ききるほうに意識を置く。
◎悲しいとき:内にこもった息を吐き切って、
自然に訪れる吸うときを待つ。

また、嬉しい、喜ばしいといった気持ちのときも、呼吸により、その気持ちを増幅させることができる。

ポジティブなときの呼吸法

◎喜ばしい、嬉しい、楽しいとき:
全身を広げるように吸って、
今の気持ちを世界と呼応するように吐く。

呼吸は心を映す鏡である。
その鏡を磨き澄ますことで、心は自然に調律される。
怒りも悲しみも、不安も喜びも、呼吸を通して穏やかな感情へと変わっていく。
呼吸を知ることは、心を知ること。
呼吸を整えることは、心を整え、生き直すということ。

MANTRA
呼吸は心の鏡。
感情を映し、映したまま澄ませる。
鏡が澄むとき、心は透明になる。

呼吸は「吸う」「吐く」「間」の三要素で形成されている。
しかし、吸うと吐くのあいだにある「間」
を意識する人は多くないだろう。だが、この「間」にこそ、呼吸の核心が隠されている。
吸うでも吐くでもない静かな一瞬のあいだに、「あなたの今」、そして「永遠の今」が現れる。

呼吸における「間」の瞬間、肉体においては何が起こっているのだろうか。
そこでは、自律神経の切り替えが起きている。
息を吸う際に交感神経が優位になり、息を吐く際に副交感神経が優位に切り替わる。
また、息を吐き切ってから一瞬の「間」を作ることで、深く息を吸いこみ、体内へ酸素をしっかり送ることができる。
吸って吐くのあいだにある「間」の瞬間は、心身がほぐされ、心がありのまま表れている瞬間といえる。

呼吸以外にも、「間」は古くから、日本文化において重視されてきた。
茶道や書道、また建物が持つ「間」は、時の流れを遮るものであり、人々はそこに「今ここにある永遠」を感じ取り、美しさを見出してきた。
「間」とは、欠陥ではなく満ちた沈黙。
呼吸の「間」には「永遠の今」が存在するのである。

「間」の意味を理解してたところで、改めて「間」を味わってみよう。
肺に息が満ちわたるように息を吸い、そのまま数秒、「間」にとどまる。吐き切ったあと、自然に吸うときが来るまで待つ。
息を止めるのではなく、ただとどまること。

「間」とは「息を止める」時間ではなく、ただ間に気づく、間に触れる時間である。

意図して方向を決める際、強く決めすぎると息苦しくなってしまう。そんなときは少し「間」を残して意図してみる。
例えば、「こうしなきゃ」「絶対こうするんだ」と力む意図を「そうなれたらいい」「その方向で行こう」と余白のある意図にする。
このように、余白を持った意図は、世界と調和して響き合う。

「呼吸の間」は「意図の力」を心地よく働かせるのにも役立つ。
意図を強く意識しすぎて息苦しさを感じたら、「間」を意識して呼吸をしてみる。そうすれば、呼吸の「間」にありのままの自分が立ち現れ、その瞬間、自分という存在に還ることができる。そこから再び、意図の力を働かせればいいのだ。

「間」は無理に止めるものではない。
ただ、そこに“在る”ことに気づくものだ。
「間」は欠落ではなく、満ち足りた瞬間であり、「永遠の今」を映し出す瞬間でもあった。
吸って吐くあいだの「間」にこそ、存在が強く現れる。
あなたは吸うでも吐くでもない沈黙の中で、自分の存在を静かに強く感じることだろう。

『存在革命』 第三部 第3章、第4章 より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

竹腰さんは、呼吸と心は、互いに鏡となる双方向の関係にあり、呼吸を知ることは、心の現在地を知ることに等しいと述べています。

心の状態で呼吸が変わるのは、まぎれもない事実です。
そうであれば、逆に、呼吸を変えることで、心の状態も変えることができるということです。

ゆっくりと、「間」を意識しながら、一定のリズムで。
私たちも、呼吸を整え、心を整え、「永遠の今」を感じましょう。

骨は「神殿」である

竹腰さんは、人間の肉体は、骨格により「神殿」として働くように設計されていると述べています。

実際、人間の肉体は「神殿」と同じ作りをしています(下の図3を参照)。

図3.人間の骨格は神殿と同じ作りをしている
(『存在革命』 第四部 第1章 より抜粋)

人はしばしば「心が揺れる」「考えが定まらない」状態に陥る。しかし、その揺れの原因は感情ではなく、実は骨の不安定さに由来することが多い。
骨は人間の存在の柱であり、柱が揺らげばその上に築かれた意識・思考・感情も揺れる。骨がズレれば、あなたという存在もまたブレるわけだ。
さまざまな困難に耐え、粘り強く取り組む力がある人のことを「骨がある人」と言うように、何かを奪われてしまうことを「骨抜きにされる」と言うように、骨は心と密接につながっているのである。

姿勢が整うと、呼吸が深まり、自律神経と脳の働きが安定するように、脳の働きは骨格と呼吸に支えられている。
一方、骨にズレや歪みが出ると、集中力が散漫になり、思考はおろそかになってしまう。
骨にズレや歪みが生じる原因は、日頃の姿勢の癖や習慣にある。そしてその癖や習慣は、思考にも作用を及ぼす相関関係にある。
代表的な例は以下の五つだ。

骨と感情の相関関係

①体の軸が左右どちらかに偏る
↔︎意識が散漫になり、決断力が弱くなる。
②体が前後にねじれる
↔︎柔軟性がなくなり、思考が堂々巡りになる。
③腰が反る
↔︎過度に自己主張するようになる。
④背中が丸まる
↔︎視線が下がり、悲観的になり、萎縮が強まる。
⑤関節が詰まっている
↔︎こわばりが出たり、力が出なかったりして、
過緊張状態に陥る。

このように、「骨」は「感情」そのものであり、その逆も然(しか)りである。

骨が歪むと、呼吸はすとんと通らなくなる。
呼吸が浅くなると、自我波形が強まり、存在波形が立ち上がらなくなり、決断力も弱まり、意図の力も発揮できなくなるからだ。
骨を整えることは、呼吸を整えることに直結する。
ここで、呼吸しながら、自分の骨を観察してみよう。

①壁に立ち、後頭部・肩・仙骨・かかとが壁につくか確認する。
②片足で立ち、骨盤が傾かないか観察する。
③呼吸を観察し、背中や骨盤に届いているかを確かめる。

まずは骨の状態を知ることが大切である。
次に、骨にズレがあれば改善していく。
骨のズレを放置すると、体も心も蝕む原因となる。
慢性的な痛みをよび、老化が加速しやすくなり、意図が迷走し、感情の乱れが起きやすくなる。そして、存在からかけ離れていき、他者や環境に流されやすくなるなど、存在そのものをブレさせる原因になる。

骨ごとに思考の役割がある。
「意識の柱」として働き、意図を働かせる背骨。
「決断の基盤」であり、心の落ち着きを左右する仙骨。
「思考の天井」であり、考えに影響を与える頭蓋骨。
このように、骨は単なる肉体の支えではなく、“意識そのもの”なのである。
したがって、部位別の呼吸をすれば、おのずと意識を整えることにつながる。

部位別呼吸のやり方

ー共通ポイントー
骨の部位に光を入れるように息を吸い、骨が正しい位置に「すとん」と戻るイメージを持って吐く。

🔹決断の基盤を呼び覚ます「仙骨呼吸」
①仙骨に光を入れるように吸う。
②仙骨を大地に置くイメージで吐く。
type:優柔不断な人、先のばしにする人におすすめ

🔹意識の柱を呼び覚ます「背骨呼吸」
①背骨全体に光を満たすように吸う
②頭頂部から光の波を放射するように吐く。
type:集中力がない人、思考が散漫な人におすすめ

🔹思考を呼び覚ます「頭蓋骨呼吸」
①頭蓋骨に透明な光を入れるように吸う。
②余分な思考を洗い流すように吐く。
type:頭が固いと言われる人、
眠りが浅い人におすすめ

🔹声の力と表現力を呼び覚ます「肋骨呼吸」
①背中の肋骨に光を入れるように吸う。
②胸から声を響かせるように声を出しながら吐く。
type:声が小さい人、本番に弱い人におすすめ

🔹現実に立ち向かう力を呼び覚ます「大腿骨呼吸」
①股関節に光を入れるように吸う
②大地に振動を起こすように思い切り吐く。
type:人間関係がうまくいかない人におすすめ

部位別の呼吸はセットで行うとなおいい。
全身の骨の力を引き出すには、以下の1〜5のセットを合計3分行う。

①足裏三点(指先、土踏まず、かかと)に吐く
②仙骨呼吸を8呼吸
③背骨呼吸を6呼吸
④頭蓋骨呼吸を3呼吸
⑤肋骨呼吸を6呼吸
⑥大腿骨呼吸を6呼吸

これを続けることで、骨の力は徐々に目覚めていく。
1日目には、背骨が軽くなり、呼吸が深まるだろう。
1週間後には、姿勢が自然に安定し、心が静かになり、
1ヶ月後には、声の力がつき、透明度が増し、周囲の反応が変わっていくだろう。
そして、3ヶ月後には、肉体が“光る神殿”となったことを実感するだろう。

思考は骨の支えに従う。決断は仙骨の安定から生まれる。
このように、意識は骨の上に立つ。
骨が揺らげば意識も揺らぎ、骨が定まれば意識が澄み渡る。人間の根本的な判断力とは、知能ではなく、骨の力によるものなのである。

『存在革命』 第四部 第5章 より 竹腰紗智:著 幻冬舎:刊

骨は、意図という方向を定める剣と、呼吸という今を映し出す鏡を祀る肉体を支える骨格です。
すべての土台となるのが「骨」です。

骨のズレは、身体のズレというだけではありません。
意識のズレであり、心のズレです。

日頃のメンテナンスは怠らないようにしたいですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

竹腰さんは、意図は剣、呼吸は鏡、骨は神殿であり、この三種の神器が揃ったとき、人は存在そのものとして立ち上がるとおっしゃっています。

人は「存在そのもの」となったとき、最大限の力を発揮し、自分でも想像できなかった可能性が開けてきます。

「三種の神器」は、どこか自分以外の場所にあるものではありません。
すべて自分の内側にあるものです。

必要なのは、それらを思い出し、使うことです。

私たちの人生を根本から変えてしまう「存在革命」。
次に起こすのは、本書を読んだあなたです。

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