【書評】「愛を選べ」(雲黒斎)
お薦めの本の紹介です。
雲黒斎さんの『愛を選べ 14歳からの『奇跡のコース』です。
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「愛を選ぶ」ことで奇跡が起こる!
「何度頑張っても、人間関係がうまくいかない・・・・・・」
「どうしていつも、自分ばかりがこんな目に・・・・・・」
そんなふうに感じたとき、私たちはその原因を起きた事象、自分の「外」に求めてしまいがちです。
しかし、黒斎さんは、問題解決の鍵(かぎ)は「外」の世界を変えること
ではなく、答えは、君の心の中にある「怖(おそ)れ」を手放して「愛を選ぶ」ことにある
と指摘します。
・・・・・・って言っても、きっと、「え? なにそれ?」ってなるよね。
この本が提供(ていきょう)するのは、周りの状況(じょうきょう)に振(ふ)り回される人生から抜(ぬ)け出し、君が自分の「心のあり方」を選ぶことで、現実(げんじつ)に対する力を取り戻(もど)すための具体的な方法。
ここで言う「奇跡」とは、何か特別な出来事が起こることじゃない。
君が自分の見方を変えることで、苦しい現実(げんじつ)から抜(ぬ)け出すパワーを手に入れること、それ自体が「奇跡」なんだ。
この物語には、君と同じように、日常(にちじょう)の壁(かべ)にぶつかる高校生たちが登場する。
彼(かれ)らが、一人のカウンセラーとの出会いを通して、自分の思い込(こ)みや過去(かこ)の傷(きず)に気づき、「愛を選ぶ」ことで現実の「体験」が変わっていくプロセスを、君自身の心の冒険(ぼうけん)として感じられるように描(えが)いたつもりです。
さあ、主人公たちと一緒に、自分の中に眠る「奇跡」を起こす力を発見する旅へ。
読み終える頃(ころ)には、きっと世界が違(ちが)って見えるはずだよ。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
九日の朝。夏の残(のこ)り香(が)が漂(ただよ)う風が、オレンジ色に染(そ)まった校舎(こうしゃ)の窓(まど)をすり抜(ぬ)けた。
私立丸彦(しりつまるびこ)大学附属(ふぞく)高校。長い階段(かいだん)を登った丘(おか)の上。緑に囲まれたこの学校は、都内でも屈指(くっし)の進学校として知られている。
今春から新たに赴任してきたスクールカウンセラー・佐久間英蓮(さくまえれん)は、教室の扉(とびら)の前で立ち止まり、ネクタイを結び直していた。何度直しても、結び目はどうしてもねじれる。締めているはずなのに、片側(かたがわ)だけが膨(ふく)らんで、今日もまた「曲がって」しまった。
四十代半ばの彼(かれ)のワイシャツは、洗(あら)いざらしのシワだらけで、眼鏡(めがね)のレンズには指紋(しもん)が付いたまま、手には、温かな紅茶(こうちゃ)が入ったお気に入りのマグカップ。
「まぁ、いっか」そう呟(つぶや)いて、佐久間は誰(だれ)もいない廊下(ろうか)で小さく微笑(ほほえ)んだ。
完璧(かんぺき)さなんて必要ないーーそんな思いを胸(むね)に、カウンセリングルームのドアを開いた。
その日、二年三組には新しい風が吹(ふ)き込(こ)んだ。夏休み明け、転校生かやってきたのだ。
「陽田伊吹(ようだ・いぶき)です。よろしく・・・・・・・お願いします」
教壇(きょうだん)に立った少年は、長めの前髪(まえがみ)に隠(かく)れた目をほとんど上げようとしなかった。
痩(や)せた身体は、制服(せいふく)の中でさらに小さく見えた。声は小さく、最後の言葉はほとんど聞こえないほどだった。
「夏休み明けって、微妙(びみょう)なタイミングだよな」
「クラスの輪、もうできてるしね」
「どこから来たんだろ? 何かあったのかな?」
そんな声が、教室の片隅(かたすみ)から片隅へと波のように広がった。クラスメイトたちの視線が、まるで展示物(てんじぶつ)を見るように彼(かれ)を観察している。
そのとき、誰(だれ)も気づかなかった。このクラスで、ある「奇跡(きせき)」が静かに始まろうとしていることを、華々(はなばな)しく幕(まく)が開くわけでもなく、誰かが声高に予言するわけでもなく、ただ何気ない日常(にちじょう)の中に、小さな変化の種が蒔(ま)かれようとしていた。
物事の「見方」が変わるだけで、世界はまったく別のものになるーーそんな体験を、このクラスの生徒たちが一人、また一人と重ねていくことになるとは、誰にも予測(よそく)できなかった。『愛を選べ』 イントロダクション & プロローグ より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
本書は、世界中で読み継(つ)がれ、たくさんの人の人生を好転させてきた『奇跡(きせき)のコース』という教えの知恵(ちえ)をヒントに、その驚くほどシンプルで、でもパワフルな「ものの見方」の転換(てんかん)を探求(たんきゅう)する物語
です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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人が抱くどんな思いも、現実を作り出す!
ある日、陽田伊吹は、担任から佐久間先生のカウンセリングを受けるよう勧められます。
最初はあまり乗り気はしなかった伊吹でしたが、意を決して、カウンセリングルームの扉を開きます。
「話したくないことは話さなくていいからね。今日は君のペースでいこう」
予想外の言葉に、伊吹は少し顔を上げた。
沈黙(ちんもく)が落ちる。しかし妙(みょう)なことに、苦痛(くつう)ではなかった。時計の秒針(びょうしん)の音だけが静かに響く中、佐久間先生はただマグカップを両手で包んで温めるように持ち、伊吹を見つめていた。
「伊吹くんは・・・・・・・今、何か悩(なや)んでいることはある?」
突然(とつぜん)の問いかけに、伊吹の胸がきゅっと締め付けられた。悩み? それを挙げればきりがない。でも、どう言葉にしたらいいのか。
「・・・・・・」
伊吹の沈黙を見て、佐久間先生は微笑(ほほえ)んだ。
「無理に話さなくてもいいんだ。でももし、少しでも話してみようかなって思えたら・・・・・・聞かせて欲しいな」
その優(やさ)しい声に、伊吹の中で何かが崩(くず)れた。これまで必死に閉(と)じ込(こ)めていた感情(かんじょう)が、少しずつ漏(も)れ始める。
「・・・・・・毎日が、空っぽな感じがします」
震(ふる)える声で言った。まるで他人の声のようだった。自分が何を言っているのか、自分でも驚いていた。
「空っぽ、か」佐久間先生は深く頷(うなず)いた。「いつからそう感じている?」
「・・・・・・わからない。ずっと、かも」
「そっか」
伊吹(いぶき)は膝の上で拳を握りしめた。自分のことなんて、誰も本当に分かってくれないんだ。そう思っていたのに、なぜか言葉が続いた。
「僕(ぼく)なんて・・・・・・生きてる意味、ないんじゃないかって・・・・・・」
その瞬間、予想外のことが起きた。伊吹(いぶき)の頬(ほほ)を熱いものが伝った。涙(なみだ)だった。驚いて手の甲で拭おうとしたが、次から次へと溢れてくる。
「そっか。・・・・・・ずっと、辛(つら)かったんだね」
佐久間先生の声は、これまで聞いたどの大人の声よりも温かかった。
「泣いてもいいんだよ。ここには僕と君しかいないから」
その言葉は、まるで魔法(まほう)のようだった。伊吹の中で、これまで必死に押(お)さえつけてきた感情の壁が一気に崩れ落ちちる。
彼はもう声を抑(おさ)えることもできず、嗚咽(おえつ)を漏らしながら、ただただ泣いていた。悔(くや)しさも、悲しさも、寂(さび)しさも、言葉にならないまま涙になって流れ落ちていく。
自分でも、これほど涙が溜(た)まっていたことに驚いていた。どれくらいの間そうしていただろうか。その間、佐久間先生は何も言わず、ただそこにいた。
急かすでもなく、問い詰めるでもなく、静かに、でも確(たし)かな存在(そんざい)感で、伊吹が嵐(あらし)のような感情を通(とお)り抜(ぬ)け、少しずつ落ち着いていくのを待っていてくれていた。
時折、先生が静かに息を吐く音が聞こえ、それが不思議と伊吹を安心させた。
「・・・・・・すみません」ようやく落ち着いて、伊吹は赤くなった目をこすりながら謝った。こんな、みっともない姿(すがた)を見せてしまったことが恥(は)ずかしかった。
「謝ることなんてないさ」佐久間先生は首を振(ふ)った。「涙は、心が自分を癒(いや)そうとしてくれてるんだ。誰かが言ってたよ、『涙は心の傷が溶(と)け出した証拠(しょうこ)だ』ってね」
伊吹は恥(は)ずかしさで俯(うつむ)いたまま、小さく頷いた。
窓の外は、いつの間にか夕暮(ゆうぐ)れになっていた。オレンジ色に染(そ)まった空が、カウンセリングルームの壁に優(やさ)しい光を投げかけている。
「君が勇気を出して話してくれたこと、本当に嬉(うれ)しく思うよ」佐久間先生の言葉に、伊吹の胸が熱くなった。勇気? 自分にそんなものがあっただろうか。
「生きる意味がない、か・・・・・・」佐久間先生は一瞬、遠くを見つめるような表情(ひょうじょう)になったが、すぐに優(やさ)しい笑顔に戻った。
「伊吹くんがそう感じてしまうのも、無理はないことかもしれないね」
伊吹は思わず顔を上げた。否定(ひてい)されるのではないかと思っていたのに。
「人は自分を責(せ)め続けると、本当に大切なことが見えなくなってしまうんだ」佐久間先生は穏(おだ)やかに続けた。「特に、君のように辛い経験(けいけん)をした人は」
前の学校でのことーー。伊吹の胸に、急に痛(いた)みが走った。
頭の中に、クラスメイトの嘲笑(ちょうしょう)、SNSに書き込まれた悪意のある言葉、ひとりぼっちの給食時間の記憶(きおく)が鮮明(せんめい)によみがえる。
「でもね、伊吹くん」先生は少し身を乗り出した。「もしさ、『奇跡』ってやつに、難(むずか)しいも簡単(かんたん)もないとしたら、どう思う?」
突然出てきた謎(なぞ)めいた言葉に、伊吹は戸惑(とまど)った。
「え・・・・・・? どういう・・・・・意味ですか? 奇跡なんて、そんな・・・・・・」
「うん、まぁ、わかるよ、そう思うよね。でもさ、たとえば、軽い捻挫(ねんざ)も複雑骨折(ふくざつこっせつ)も、『治る力っていうのは同じように働いてる』みたいな感じかな? 心の傷も、大きい小さいに関係なく、それを癒す力は君の中に元々ある、っていう・・・・・・まあ、ちょっと変なたとえだけど」先生は少し照れたように頭を掻(か)いた。
「問題の大小は関係ない。どんな悩みも、どんな傷も『同じように癒されていい』ってことなんだ。奇跡(きせき)に難しさの序列(じょれつ)はないんだから」
奇跡に難しさの序列はないーーその言葉が、どこか伊吹の心に触(ふ)れた。
もしそれが本当なら、自分でさえも変われるのかもしれない。そんな考えが、小さな可能性(かのうせい)の種のように心に落ちた。
佐久間先生は伊吹の表情(ひょうじょう)を見て、にっこりと笑った。
「少し難しかったかな?」
「いえ・・・・・・」伊吹は率直(そっちょく)に答えた。「わからないけど・・・・・・でも、聞いてみたいです」
「そうか、それはよかった」佐久間先生は満足そうに頷(うなず)いた。
「君は自分を守るために、心に壁を作ってるんだと思う。それは自然なことだよ。誰でも傷付いたら、もう二度と痛(いた)い思いをしたくないって思う」
伊吹は無言で頷いた。図星だった。人との距離(きょり)を保(たも)つのは、自分を守るためだった。それをこんなにも簡単(かんたん)に見透(みす)かされるとは。
「たぶんね、君は今、エゴの声に捕(つか)まってるんだ」
「・・・・・・エゴ?」
「うん、これは『奇跡のコース』っていう本の考え方なだけと、『怖(おそ)れから来てる考え方のクセ』、みたいな感じで捉(とら)えるんだ。自分を守ろうとしすぎて、逆(ぎゃく)にガチガチに閉じ込めちゃう、心のディフェンスシステム、みたいな?」
佐久間先生はゆっくりと続けた。
「エゴは『僕には価値がない』『僕は愛されない』『僕は間違っている』と囁(ささや)く。でも、それは真実じゃない。エゴの声は、ほんとうの君が願っている、人とつながりたい、愛したい、信じたいという気持ちを隠(かく)してしまうんだ」
伊吹の頭の中で、何かが「カチッ」と音を立てた気がした。愛すること、信じることーーそれはもうできないと思っていた。でも本当はどうなのだろう?
「怖れに支配(しはい)されていることに気づくことができれば、そこから抜け出す第一歩になる。それに、怖れに支配されているのは君だけじゃない。きっとみんな、何かしら自分との戦いがあるのだよ」佐久間先生は優しく微笑んだ。
「君はここに来た。それだけで、もう変わり始めているんだよ」
変わるということは、そんなに単純(たんじゅん)なことなのだろうか?
伊吹は半信半疑(はんしんはんぎ)だった。でも、何かが心の奥底(おくそこ)で動き始めている感覚があった。
「大事なことを教えるね」佐久間先生はまっすぐ伊吹の目を見た。
「君の抱くどんな考えにも力がある。世界を変える力が」
その言葉に、伊吹は息を呑(の)んだ。
「人が抱くどんな思いも、現実を作り出す」先生は続けた。「伊吹くんが『自分には価値がない』と思い続ければ、その考えの力で本当に自分の価値を見失ってしまう。逆に『自分には、少しでも価値があるかもしれない』と思えたら、その考えの力で、君は自分の中に光を見つけていくことができる」
伊吹の胸がしくしくと痛んだ。先生の言葉は、まるで刃(は)のように心に突(つ)き刺(さ)さった。でも同時に、不思議と温かさも感じた。
「難しいことかもしれないけどね」先生は優しく笑った。
「今日はこのくらいにしておこうか」
伊吹は窓の外を見た。いつの間にか日が暮れ、空は深い紺色(こんいろ)に染(そ)まり始めていた。長い時間、話していたことに気づいて慌(あわ)てた。
「ありがとうございました・・・・・・」伊吹は深々と頭を下げた。
「いつでもおいで」佐久間先生は立ち上がって、伊吹を送り出した。
「君が自分を見つめる勇気を持ったこと、それは君が思っている以上にすごいことだよ。僕はいつでもここで待っているから」
伊吹は何も言えず、小さく頷いて部屋を出た。人気のない校舎(こうしゃ)の廊下(ろうか)を歩く。窓の外の夕焼けは、いつもより明るく感じられた。
頬(ほほ)にはもう涙はない。あれほど重かった足取りが、不思議と軽くなっている気がした。
胸の奥で、何かが少しだけ変わり始めていた。自分なんていなくてもいいと、ずっと思っていた。でもーー。伊吹は立ち止まり、深く息を吸(す)った。
いつもならすぐに目を伏(ふ)せてしまうのに、なぜか今日はその光を見つめていた。
ポケットを探(さぐ)り、スマホを取り出す。SNSを開くでもなく、ゲームをするでもなく、ただLINEを開いた。
トーク履歴(りれき)の一番上には、母からの『ご飯、温めて食べてね』という短いメッセージ。既読(きどく)はつけていたが、返信はしていなかった。
指が少し震(古く)えた。ほんの一瞬迷(まよ)ってから、『うん』とだけ打ち込み、送信ボタンを押した。たった二文字。でも、彼にとっては大きな一歩だった。
「・・・・・・また明日も、行ってみようかな」。
誰ともなく呟(つぶや)いた声は、自分でも静かで、でも、少しだけ温かかった。
閉ざされていた世界に、本当に小さな、小さな光が差し込んだ気がした。『愛を選べ』 第1章 より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
私たちは、世界をありのままに見ていて、その見え方は誰にでも同じだと考えてしまいがちです。
しかし、真実は逆です。
恐怖を抱いていれば、恐怖に包まれた世界を作り出します。
喜びを抱いていれば、喜びに満ちた世界を作り出します。
自分自身についても同様です。
自分が考えている自分に、自分自身を作り出しています。
私たちが感じたり考えているように、世界は姿を現す。
それは、私たちの考え方や感じ方を変えれば、世界が変わるということを意味しています。
心が癒されたとき、身体も癒される!
雨瀬千花(あませ・ちか)は、アトピー性の皮膚炎に悩まされています。
毎日、全身にクリームや薬を塗って生活していますが、肌の赤みや匂いが周囲の注意を引くことを恐れていました。
彼女も、佐久間先生のカウンセリングを受けることになりました。
カウンセリングルームの前で立ち止まる。ドアには「愛を選ぼうーー大丈夫(だいじょうぶ)、君には奇跡(きせき)を起こす力がある」という手書きの言葉が貼られていた。千花はその言葉に眉(まゆ)をひそめた。「奇跡」なんて、現実的(げんじつてき)ではない言葉だ。アトピーに奇跡なんて起きるはずがない。科学的な治療法も、完全な解決策(かいけつさく)も見つかっていないのに。
それでも、恐る恐る千花は手を伸ばした。ノックする前に、中から声が聞こえた。
「どうぞ、開いてるよ」
その声に、千花は驚いて一歩後ずさりした。誰かに見られていたのだろうか? でも扉(とびら)はすでに少し開いていて、中からは暖かな光と紅茶(こうちゃ)の香(かお)りが漂(ただよ)ってきた。
勇気を振り絞って、千花はドアを開けた。
部屋の中は、想像(そうぞう)していたものとはまったく違(ちが)った。
保健室のような無機質(むきしつ)な空間ではなく、まるで小さな隠(かく)れ家のような居心地の良さがそこにはあった。観葉植物がいくつか窓辺(まどべ)に置かれ、陽光が柔(やわ)らかなカーテン越(ご)しに差(さ)し込(こ)んでいる。壁(かべ)には少し変わった絵が飾(かざ)られ、それが不思議と部屋に温かみを与(あた)えていた。
そして、リラックスチェアの向こうには一人の中年男性(ちゅうねんだんせい)。千花の想像(そうぞう)したカウンセラー像(ぞう)とはかけ離(はな)れていた。シワだらけのワイシャツに、ゆるんだネクタイ。眼鏡(めがね)の奥の目は優(やさ)しく、どこか遠くを見つめているような深みがあった。
「雨瀬千花さん、だよね。よく来たね」
その声には、押しつけがましさがなかった。
「どうぞ、座(すわ)って。話したくないことは話さなくていいからね」
「・・・・・・はい」千花はぎこちなく椅子(いす)に座った。身体を小さく縮(ちぢ)こませるようにして、できるだけ肌(はだ)が見えないように注意した。
佐久間先生はゆっくりと紅茶(こうちゃ)を淹れ始めた。ポットからカップに注がれるお湯の音が、静かな部屋に心地よく響(ひび)いた。湯気の立ち上る様子を見ていると、不思議と千花の呼吸(こきゅう)が少し楽になった気がした。
「保険の先生から、頻繁(ひんぱん)に薬を塗りに来てるって聞いたよ」先生は紅茶をテーブルに置きながら言った。
「はい。・・・・・・アトピーなんです」千花は小さな声で認(みと)めた。普段(ふだん)は「アトピー」という言葉を口にするのも嫌(いや)だったが、この部屋では少し違(ちが)う気がした。
「ずっと悩(なや)んでるんだね」
それは質問(しつもん)ではなく、共感のような言葉だった。そのニュアンスに、千花は少し心を開いた。
「小さな頃(ころ)からです。でも、最近、特に悪化してて・・・・・・」
「それは、身体だけじゃなくて、心も疲れるのかもしれないね」
その言葉に、千花は顔を上げた。普段(ふだん)なら「心のせいにするな」と反発するところだったが、佐久間先生の言い方には非難(ひなん)めいたところがなかった。ただの観察として伝えられた言葉だった。
「どういう意味ですか?」
佐久間先生は少し考えるように、紅茶を一口飲んだ。
「僕(ぼく)は医者じゃないから、あんまり医学的なことは言えないけどね」佐久間先生は前置きした。「ても、僕自身が大きく影響(えいきょう)を受けた『奇跡のコース』という本があってね。その中に、「病とは、真理に対する防御(ぼうぎょ)です』という言葉があるんだ」
「・・・・・・それ、どういう意味ですか?」千花は眉(まゆ)をひそめた。非科学的(ひかがくてき)な話が始まるのかと警戒(けいかい)した。
「身体の症状が、『自分が本当に感じていること』から目をそらすために現(あらわ)れることがある、という考え方なんだ」佐久間先生は静かに説明した。「ちょっと分かりにくいかもしれないけど」
「・・・・・・じゃあ、やっぱり、私のせいってことですか?」千花の声には防御(ぼうぎょ)の色が濃(こ)くなった。「私の心がダメだからアトピーになってるってこと?」
これまで何人かの大人から「病は気から」「ストレスのせいじゃないの?」「気にしすぎなんじゃない?」と言われて、深く傷ついた経験があった。またそんな話をされるのかと思うと、胸が締(し)め付けられた。
「ううん、全くそうじゃない。千花さんが悪いって意味じゃないんだ、絶対(ぜったい)にね。そう考えると苦しくなっちゃうから」佐久間先生は、千花の不安を察したように、より一層(いっそう)優しく首を振(ふ)った。「そう考えるんじゃなくて、これは身体からの『サイン』なんだって捉(とら)えてみない? 心が『言えないこと』や『頼(たよ)れないこと』を抱(かか)えている時、身体が『気づいて』って教えてくれることがあるんだ」
千花は黙(だま)ってしまった。そんなふうに考えたことは、一度もなかった。薬を塗り、悪化する原因を避(さ)け、見られる恥ずかしさと戦うーーそのサイクルの中で、「心からのメッセージ」なんて考える余裕はなかった。肌の状態が「何かを伝えようとしている」という見方は、新鮮(しんせん)だった。
しばしの沈黙(ちんもく)が流れる。
「もしかして」ふと佐久間先生が静かに言った。「教室で、つらい思いをしてる?」
その言葉に、千花の胸がギュッと締(し)め付けられた。まるで心を見透(みす)かされたような、不思議な感覚。
「・・・・・・どうして分かったんですか?」千花は思わず聞き返した。
「誰かの言葉が、直接(ちょくせつ)じゃないけど、自分に向けられてる気がすることない? 肌のことで」
千花の目が大きく見開かれた。先生は的確(てきかく)に彼女の日常(にちじょう)を言い当てていた。黒瀬たちの会話、クラスメイトのささやき、間接的(かんせつてき)なからかいーーそれらがどれほど千花を傷つけているか、佐久間先生は理解(りかい)していた。
「・・・・・・毎日です」千花は初めて自分の感情を認(みと)めた。
「でも、私が気にしすぎなのかもしれないって、自分に言い聞かせてます」
「それが一番つらいよね」佐久間先生は深く頷(うなず)いた。「はっきり言われたわけじゃないから、反論(はんろん)もできない。『冗談(じょうだん)だよ』って笑われるのが見えてるから、黙(だま)るしかない」
「・・・・・・・はい」千花の声が震(ふる)えた。こんなにも正確(せいかく)に自分の状況を理解してくれる人に出会ったのは初めてだった。
「本当は、言い返したかった?」
「もちろん・・・・・・」千花の目に涙(なみだ)が浮(う)かんだ。「言いたいことなんて、山ほどあります」
千花は泣きたくなかった。これまで何度も独(ひと)りで泣いてきたけれど、誰かの前で弱みを見せることだけは避(さ)けてきた。でも、その誓(ちか)いは今、溶(と)けていくようだった。
佐久間先生は黙って千花を見守りながら、ティッシュを差し出した。
「そっか・・・・・・。ちなみに、これは千花さん自身の感覚として、もし思い当たることがあればでいいんだけど・・・・・・例えば教室で、心ない言葉を聞いた後とか、何か言いたいことをぐっと堪(た)えなければならなかった後で、無意識(むいしき)に肌を掻いてしまったり、痒みがぶり返したり・・・・・・そんな風に感じた経験(けいけん)はあるかな?」
「・・・・・・?」千花は核心(かくしん)を突(つ)かれたように息を呑んだ。「・・・・・・言われてみれば、確(たし)かに、あります、嫌なことがあった日の夜とか・・・・・・。友達と言い合いになって、言いたいことが言えなかった後とか・・・・・・・。そういう時に、いつもよりひどくなる気が・・・・・・します」
彼女の声は、自分でも驚くほどの確信を含(ふく)んでいた。ストレスで症状が悪化するというのは聞いていたが、「言えない言葉」と「肌の痒み」を結びつけて考えたことなんてなかった。
「『奇跡のコース』では、『心が癒(いや)されたとき、身体も癒される』という考え方があるんだ」
「・・・・・・じゃあ、どうやって癒すんですか?」千花は初めて積極的に質問(しつもん)した。もしそれが本当なら、少しでも楽になりたかった。
「そうだね」佐久間先生は微笑(ほほえ)んだ。「まず何より大切なのは・・・・・・。千花さん、自分を責めちゃっていないかな?『私のせいだ』とか「私が我慢(がまん)すれば』とか・・・・・・」
「・・・・・・それは・・・・・・・思います、正直」千花は少し俯(うつむ)きながら認めた。
「うん、そこをね。ちょっとだけ、『責めなくてもいいんだ』って思えたら、すごい一歩だと思うんだ。それと・・・・・・心の声、かな。『痒い』とか『痛い』とか、そういう自分の感覚を、もっと『言っていいんだ』って、自分に許可(きょか)してあげる感じ?」
「許可・・・・・・ですか?」
「そう、誰かにじゃなくて、自分で自分にね。『痒いって感じていいよ』『痛いのも、辛いのも、隠(かく)さなくていいよ』って。身体のサインも、心の声も、どっちも千花さんの大事な一部だからさ」
その言葉はまるで呪文(じゅもん)のように、千花の心に染み入った。これまでずっと我慢(がまん)してきた。
「他の人は平気なのに、私だけがダメなんだ」と思ってきた。でも、もし、「感じていること」を正直に認めることが、癒しの第一歩だとしたら?
佐久間先生は、メモに何かを書き始めた。そして小さな紙を千花に差し出した。
ーー『いまのあなたに、いちばんかけてあげてほしい言葉』
「これはね」佐久間先生は静かに説明した。「千花さんが自分自身に向けて言ってあげてほしい言葉なんだ。例えば、『痒くて辛いよね、それでも今日もよく頑張(がんば)ったね』とか、『痒くても、私の身体は私の味方だよ』とか」
千花はその紙を見つめた。自分に優しい言葉をかけるなんて、考えたこともなかった。いつも「もっと気をつけなきゃ」「もっと我慢(がまん)しなきゃ」「もっと隠(かく)さなきゃ」と、自分を追い詰めてばかりだった。
「・・・・・・そんなこと、できるでしょうか」千花は不安そうに呟(つぶや)いた。
「すぐにはできないかもしれない」佐久間先生は認めた。「でも、できなくても自分を責めないこと。それが大事なんだ。小さな一歩から始めよう」カウンセリングの時間が終わり、千花は紙を制服のポケットに入れた。
まるで大切な暗号のように、その言葉を胸に抱いている気分だった。
肌の痒みは、まだそこにあった。誰かに見られる不安も、明日の朝にまた戻ってくるだろう。
だけど、今日は何かが少し変わった気がした。「自分が見ている自分」の目が、少しだけ優しくなった気がした。まだ言葉にはならないけれど、いまの自分を、少しだけ許(ゆる)してみたいと思った。
教室へ戻る途中(とちゅう)、いつものように無意識に腕の内側を掻きそうになり、ハッと手が止まる。違(ちが)う、そうじゃない。彼女はゆっくりと手のひらで、赤くなった部分をそっと撫(な)でた。
「・・・・・・大丈夫だよ」。誰に言うでもなく、小さな声が漏(も)れた。それは、自分の中から自然に出てきた。初めての優しい響きだった。
千花は『いまのあなたに、いちばんかけてあげてほしい言葉』と書かれた紙をポケットから取り出し、そこに自分の言葉を書き込(こ)んだ。
「痒くて辛いね。でもそれは、あなたが何かを伝えようとしている声かもしれない。今日も一日、よく頑張ったね」『愛を選べ』 第3章 より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
心と体は、私たちが思っている以上に、密接につながっています。
心の奥底、潜在意識に眠っているネガティブな感情や考え方。
それらが体の不調という形をとって現れ出ているということです。
体からのメッセージは、私たちが無視している間は、止まることはありません。
受け入れて認めることから、すべてが始まります。
「ゆるす」ことの本当の意味とは?
冬野星羅(ふゆの・せいら)は、恋人に振られたことが原因で、体調を崩しがちになります。
保健の山田先生は、そんな彼女にカウンセリングを受けるよう勧めます。
カウンセリングルームの前に立った星羅は、ふと入口の横に貼(は)られた紙に目にした。
「愛を選ぼうーー大丈夫、君には奇跡(きせき)を起こす力がある」という手書きの標語を見て、密(ひそ)かに鼻で笑った。何の説得力も感じない。「なにが、愛を選ぼう、だ」。すでに愛を選んでいた私から、あの子は彼を、その愛を奪(うば)ったのだから。
それでも、彼女は衝動的(しょうどうてき)に扉(とびら)をノックした。もしかしたら、いままさにこの標語を見て感じた苛立(いらだ)ちをぶつけたくなったのかもしれない。
部屋に入ると、そこはこれまで想像していた「カウンセリングルーム」とは大きく異なっていた。冷たい照明と無味乾燥(むみかんそう)な空間ではなく、柔(やわ)らかな自然光が差し込(こ)む居心地(いごこち)の良い場所。観葉植物が窓辺(まどべ)に置かれ、温かな色調の家具が配置されていた。
思わず唖然(あぜん)として部屋の中を凝視してしてしまう。本棚(ほんだな)には、『習慣と脳科学』『カウンセリングと心理療法(りょうほう)』『交流分析(ぶんせき)とエゴグラム』『がんと向き合う心理学』『末期患者のメンタルケア』、その他にもたくさんの難(むずか)しそうな医学書や洋書が並(なら)んでいる。そして、部屋全体には紅茶の香(かお)りが優(やさ)しく漂(ただよ)っていた。
「こんにちは。冬野星羅さん、だね」
眼鏡(めがね)の奥(おく)に優(やさ)しい目をした中年の男性(だんせい)が、にこやかに挨拶(あいさつ)した。そのネクタイはゆるんでいて、結び目も少し曲がっていた。完璧(かんぺき)さからは程遠い姿(すがた)だったが、それがかえって安心感を与(あた)えた。
「はい。・・・・・・よろしくお願いします」星羅は儀礼的(ぎれいてき)に頭を下げた。
「どうぞ、お好きな席に。お茶でも飲む?」先生は穏(おだ)やかに言った。
「・・・・・・はい、お願いします」星羅は少し戸惑(とまど)いながら答えた。
佐久間先生はゆっくりとポットからカップへ湯を注いだ。その所作には無駄(むだ)がなく、ある種の美しさがあった。湯気が立ち上る様子を見ていると、不思議と星羅の緊張(きんちょう)が少しずつほぐれていくのを感じた。
「星羅さんは・・・・・・」佐久間先生はカップを手渡しながら言った。
「今、どんな風に過(す)ごしてる?」
「別に、相談っていうほどのことじゃないんですけど・・・・・・」星羅は言葉を選んだ。
「うん、それでいいよ。無理に話すことはないから」佐久間先生は優(やさ)しく言った。
「ここは、話すかどうかも自分で選べる場所だよ」
その言葉に、星羅はなぜか少し安心した。彼女は小さく息を吐(は)き出した。
「最近、ちょっとだけ『無理してるな』って思うことがあって」
「どんなとき?」佐久間先生は単純(たんじゅん)に尋(たず)ねた。
星羅は一瞬(いっしゅん)躊躇(ためら)った後、静かに言葉を紡(つむ)いだ。
「・・・・・・誰かに『平気そう』って言われたとき」
「そう」佐久間先生は深く頷(うなず)いた。
「ほんとは全然平気じゃないのに、『そういうふうにしておかないと』って思ってる自分がいて」星羅は手元のカップを見つめながら言った。
「その『平気な自分』って、どこから来てると思う?」
「・・・・・・わかんない。でも、そうしてないと置いてかれる気がする」
「置いてかれたことが、あった?」
その言葉に、星羅は顔を上げた。
佐久間先生の眼差(まなざ)しには責めるものは何もなく、ただ真摯(しんし)な関心だけがあった。
星羅は紅茶のカップを両手で包むように持ち、少し黙(だま)った。
「・・・・・・去年の冬、ちょっとだけ、仲よかった子に裏切(うらぎ)られて」
「うん」佐久間先生は静かに頷(うなず)いた。
「彼氏(かれし)をとられたとか、そういう話。別にたいしたことじゃないです。星羅は冷静に言った。しかし、その声には微(かす)かな震(ふる)えがあった。
「たいしたことないように話すのが、『平気な自分』ってやつかな」
その言葉に、星羅の心が少し揺(ゆ)れた。「・・・・・・かもしれないですね」彼女は小さく認(みと)めた。
沈黙(ちんもく)が落ちた。しかし不思議と居心地(いごこち)の悪いものではなかった。佐久間先生はただ静かに待っていた。星羅がいつか話したくなるまで、急かさずに。
「・・・・・・いまだに夢(ゆめ)に出てくるんです」星羅は突然(とつぜん)言葉を紡(つむ)ぎ始めた。
「あの子と彼が一緒(いっしょ)に笑ってて、私はなぜか黙(だま)って見てるっていう夢」
「うん」佐久間先生はただそう返した。
「で、朝起きると、『もう終わったことだから』って思おうとするんですけど、でも心がついてこない」
「そうだよね」佐久間先生の声には、理解(りかい)と受容(じゅよう)が含(ふく)まれていた。
「あのときの私、何が足りなかったんでしょう。見た目? 性格(せいかく)? それとも・・・・・・全部?」星羅の声が少し震(ふる)えた。
「なにかが足りなかった、って思いたいんだね」佐久間先生は静かに問いかけた。
「・・・・・・はい。でないと、こんな扱(あつか)いをされた理由が説明できないから」星羅は紅茶に映(うつ)る自分の顔を見つめた。
「それは、『問題解決(かいけつ)』というより、『自分を責(せ)めるための理由探(さが)し』かもしれないね」
星羅はカップをテーブルに置いた。佐久間先生の言葉が胸(むね)に刺(さ)さったが、彼女は表情を変えなかった。
「でも、私が何も言わなかったのは、本当は『ゆるしてた』わけじゃなくて、『怒(いか)りや悲しみを抑(おさ)えてた』だけだった気がするんです。ずっと、我慢(がまん)してた」
「そのことに気づいてるのは、すごいことだよ」佐久間先生は目を輝(かがや)かせた。
「多くの人は一生、そのことに気づかないまま生きていくから」
星羅は少し驚(おどろ)いた。自分の気づきを肯定(こうてい)されるとは思っていなかった。
佐久間先生は静かに続けた。「その中に、『攻撃(こうげき)とは、助けを求める叫(さけ)びです』っていう言葉があるんだ」
「・・・・・・どういう意味ですか?」星羅は眉(まゆ)を寄(よ)せた。
「もちろん,裏切(うらぎ)られた側、攻撃(こうげき)された側が辛(つら)いのは当然のことだよ。それを前提(ぜんてい)として、もし別の見方をするとしたら、彼らもまた、愛の欠乏(けつぼう)感から不器用な形で助けを求めていた・・・・・・そういう可能性(かのうせい)もあるのかもしれない、ということなんだ」
「それ、綺麗(きれい)事だと思います」星羅はきっぱりと言った。
「うん。そう思うよね」佐久間先生は真摯(しんし)に頷(うなず)いた。「無理もないよ、星羅さんがそう感じるのは。 ・・・・・・ただね、もし、『ゆるさないぞ』って拳(こぶし)を握(にぎ)り締(し)め続けることで、その拳が自分の心も締め付けて苦しい・・・・・・なんてことが、あったりしないかな?」
星羅は黙(だま)ってしまった。先生の言葉に反論(はんろん)したかったが、彼女自身、その通りだということに気がついていた。あの二人を許せないという思いを抱え続けることで、自分もまた傷ついていた。もう何ヶ月もの間、その傷を引きずっている。
「・・・・・・例えばさ、『ゆるす』って聞くと、『忘(わす)れてあげる』とか『水に流さなきゃ』みたいなイメージ、ある?』先生が尋ねる。
「そういうことじゃないんですか? 『ゆるしてあげる』って・・・・・・偉(えら)そうですけど」星羅は少し皮肉っぽく答えた。
「あはは、たしかに、ちょっと上から目線に聞こえるかもね。だけど、『奇跡のコース』で言う『ゆるし』は、ちょっと・・・・・・いや、だいぶ違(ちが)う角度なんだ。無理に『いいよ』って言うことじゃなくてね・・・・・・」先生は少し言葉を選んだ。
「例えば、すごく嫌(いや)な夢を見たとするでしょ? 起きた瞬間はドキドキしてるけど、『あ、夢だったんだ』って気づいたら、その夢の内容がリアルじゃなくなる。そんな感じに近いかな・・・・・・」俯(うつむ)いたままのセイラを見つめながら先生は続けた。
「起きた出来事が『夢(幻想(げんそう))だった』って、心の底から理解すること。それが、『本当の君』を傷つけることはできなかったって気づくこと。それが、本当の『ゆるし』。 ・・・・・・ごめん、余計(よけい)わかりにくいかな」
「・・・・・・夢って、 ・・・・・・でも、現実に起きたことです。実際に傷ついたんです、私は。夢なんかじゃない」そう言って星羅はそっぽを向いた。
「うん、そうだよね。痛みは現実だ。そこは絶対にごまかせない。ただ、その痛みに『今も』縛(しば)られ続けてる自分を、そこから自由にしてあげる・・・・・・そういう選択肢(せんたくし)もあるかもしれない、って話なんだ」
「でも、『いま』その私が、実際に傷ついているんです! 傷つけられているんです!」
佐久間先生は、紙にさらっと一言書いて、星羅に渡(わた)した。
ーー『私を傷つけているのは、私の見方かもしれない』
「意味がわからなくてもいいから、この言葉、今日だけでいいから持って帰って」
星羅はその紙を見つめた。その文字列を完全に理解(りかい)することも、信じることもできなかった。でも、なぜか彼女はその紙を丁寧(ていねい)にポケットにしまった。
「何も起きなかったと理解する」なんて、そんなことできないし、信じたくない。でも、『そういうふうに見ることもできる』という選択肢が、初めて現(あらわ)れたことは確かだった。
彼女はこれまで、傷ついた心を守るために、完璧(かんぺき)な仮面をつけ、完全に閉(と)ざされた世界を創(つく)り上げてきた。でも今日初めて、その鉄壁(てっぺき)の仮面に、ほんの小さな亀裂(きれつ)が入った気がした。帰り道、見慣(みな)れた廊下の角を曲がった時、偶然にも例の「元親友」と鉢合(はちあ)わせになった。
以前なら、完璧な笑顔で平静を装(よそお)い、相手が気まずそうに眼を逸(そ)らすのを内心で見下していただろう。今日も反射的(はんしゃてき)に笑顔を作ろうとした唇(くちびる)が、一瞬(いっしゅん)だけ、止まった。
「・・・・・・・」。何も言わず、ただ相手の目を見る。ほんの数秒。
その瞳(ひとみ)の中に、かつて自分が信頼(しんらい)していた面影(おもかげ)と、今はもう違う何かが見えた気がした。先に目を逸らしたのは、やはり彼女の方だった。
すれ違いざま、星羅は自分の胸に手を当てた。鼓動(こどう)が少し速い。怒(いか)りでも、悲しみでもない、何か名前のつけられない感覚。
「・・・・・・何も起きなかった、わけじゃない」
でも、もしかしたら、あの出来事が『今の私』の全てを定義(ていぎ)するわけじゃないのかもしれない。ポケットの中のメモの感触(かんしょく)を確(たし)かめる。
心に差し込む光はまだ頼(たよ)りないけれど、暗闇(くらやみ)の中にいるわけではない。
そんな静かな予感が、星羅の心に宿った。『愛を選べ』 第7章 より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
「傷ついた」「許さない」「悲しい」。
他人にされた行為によって、そのように感じることは、誰でもあります。
それを抱え続けることで「恨み」になります。
恨みを抱えて生きることは、苦しいものです。
そこから解放される方法は、ただ一つ。
原因となった相手への感情を手放すことです。
相手へのネガティブな感情を手放すことが「許し」です。
許すことは、相手の行為を認めることでなく、行為によって生じた感情を認めること。
相手のためではなく、自分のために許しましょう。
「強さ」とは、心をひらくこと
クラスの中心的人物として絶大な影響力を持っている黒瀬美玲(くろせ・みれい)。
彼女も、担任の高橋先生にカウンセリングを受けることを提案されます。
カウンセリングルームのドアの前で、美玲は一瞬(いっしゅん)立ち止まった。
「愛を選ぼう」という手書きの言葉に、思わず鼻で笑った。「ウザ」。なんて陳腐(ちんぷ)な言葉。彼女の得意技だった。
ドアをノックする前に、深呼吸(しんこきゅう)をして「素直(すなお)で反省している生徒」の顔を作る。これも彼女の得意技(わざ)だった。
部屋に入ると、意外な空間が広がっていた。無機質な白い部屋ではなく、温かみのある内装で、何より紅茶の香りが漂っていた。
「こんにちは、黒瀬美玲さん、だね? どうぞ、お好きな席に」
眼鏡(めがね)をかけた中年の男性(だんせい)が、ゆったりとした口調で迎(むか)えた。ネクタイはゆるみ、シャツにはシワがあった。美玲の想像(そうぞう)していたカウンセラー像(ぞう)とはだいぶ違(ちが)っていた。
「どうも」美玲は、わざと少し投げやりに答えた。
「飲み物、紅茶でいい? コーヒーやココアもあるけど」佐久間先生は優(やさ)しく尋(たず)ねた。
「なんでもいいです」美玲は椅子(いす)に座(すわ)りながら答えた。
「じゃあ、紅茶にしようかな」佐久間先生はポットからお湯を注ぎ始めた。
「最近どう? 何か面白いことあった?」
この質問(しつもん)は、美玲の予想外だった。「問題行動」を責(せ)められると身構(みがま)えていたのに、普通(ふつう)の会話から始まるとは。
「特には」美玲は慎重(しんちょう)に答えた。
「うん。僕くも最近は特に変わったことないな」佐久間先生は穏(おだ)やかに微笑(ほほえ)んだ。
「ところで、最近、言葉のことでちょっと行き違(ちが)いがあったって聞いたけど」
ああ、やっぱり。美玲は内心息をついた。いよいよ本題が来た。
「『いじめた』とか思われてるなら、ちょっと心外です。私、そんなつもりなかったし」
「うん。美玲さんとしては、悪気はなかったんだよね」
「もちろんです。私ただ、率直(そっちょく)に思ったこと言っただけだし。それに、周りも内心そう思ってるんですよ。たぶん。それなのに、私が悪いんですか」美玲は少し声のトーンを上げた。
「いや、誰が悪いっていう話じゃない」佐久間先生は静かに言った。
「ただ、少し考えてみるだけでも、何かが変わることもあるかなって」
「それ、どういう意味ですか?」
「どういう意味って・・・・・・たとえば、自分の言葉が相手にどう届(とど)いたか、想像(そうぞう)してみるってことかな」
「どう届いたかどうかなんて、わかんないじゃないですか。そんなの、受け取る側の問題じゃありません?」美玲は言い返した。
「うん。たしかに」佐久間先生は穏(おだ)やかに認(みと)めた。
「でもね。だからこそ、僕(ぼく)たちには、言葉に対する注意が必要なんだ。言葉って、『どう届いたか』よりも、『どう出したか』のほうが、ずっと重要なんだよ」
「・・・・・・意味わかんないですけど」美玲は腕(うで)を組んだ。
「君が発した言葉を、一番耳にしているのは誰だと思う?・・・・・・それは他者じゃない。君自身なんだ。どんな言葉にも、それ相応(そうおう)の力がある。だからね、その・・・・・・なんていうか、トゲのある言葉って、言った後で、美玲さん自身の気持ちがほんのちょっとだけチクッとしたり、重くなったり、みたいな経験(けいけん)って、正直、あったりしないかな?」
この質問(しつもん)は、美玲の胸(むね)に小さな針(はり)を刺(さ)した。でも、そんな弱みは見せられない。
「別に? 私は、はっきり言ったほうがスッキリします」美玲はきっぱりと言った。
「そっか、ごめん。 ・・・・・・じゃあ、ちょっと話を変えようか。美玲さんにとって、『強い人』ってどんなイメージ?」佐久間先生は、少し考えてから言った。
「強い人? うーん・・・・・・自分の意見をちゃんと言えて、周りに流されなくて、ナメられない人、ですかね」
「なるほどね。意見を言う、流されない、ナメられない・・・・・・。たしかにそれも強さだね。・・・・・・僕が好きな本にはね、ちょっと違う強さが書いてあってさ。『本当の強さっていうのは、ガッチリ鎧(よろい)を着て守ることじゃなくて、むしろ、心をオープンにできることなんだ』って・・・・・・。どう思う? ちょっと理想論(りそうろん)っぽいかな?」
「は? 心をオープンに? ・・・・・・それって、ただの隙(すき)だらけじゃないですか。そんなんじゃ、やっていけないですよ、この世界」美玲は反射的(はんしゃてき)に笑った。
「うん。たしかにそう感じるくらい、現代(げんだい)っていう社会は、『守ること』に慣(な)れすぎてるのかもしれないね。でも、『自分の弱さ』を見せるくことができたとき、本当の意味で誰(だれ)かとつながれるんだよ」
「つながれなくくていいです。裏切(うらぎ)られるくらいなら、最初から頼(たよ)りません」
その言葉は、美玲自身も予想していなかったほど強い感情(かんじょう)を伴(ともな)っていた。胸(むね)の奥(おく)に隠(かく)していた何かが、少しだけ顔を覗(のぞ)かせた瞬間(しゅんかん)だった。
「・・・・・・裏切られて、怖(こわ)い思いをしたことがある?」佐久間先生の声は柔(やわ)らかく、しかし核心(かくしん)を衝(つ)いていた。
「誰だってありますよ。先生だってあるでしょ」美玲は必死に平静を装(よそお)った。
佐久間先生は黙(だま)って、カップを持ち直した。
「だけどね。怖(おそ)れと愛は共存(きょうぞん)できません」
「・・・・・・・なにそれ」美玲は驚(おどろ)いて聞き返した。
「さっき話した本に出てくる言葉。人と関わるとき、『この人に嫌(きら)われたくない』って怖れから動くと、心は閉(と)じちゃう。でも、『この人とつながりたい』って愛から動くと、心はひらく。どっちを選ぶかで、同じ場面でも全然違(ちが)うものになる」
「じゃあ、私は怖れから動いてるって言いたいんですか?」美玲は身を乗り出して問いただした。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」佐久間先生は柔(やわ)らかく答えた。
「ただ、自分の中に『どんな動機があるか』に気づくと、選びなおせるってこと」
「・・・・・・よくわからない」美玲は椅子に深く座り直した。動揺していることを認(みと)めたくなかった。
「うん。今はそれでいいよ」そう言って先生は、紙に一言だけ書いて美玲に渡(わた)した。
ーー『強く見せることより、正直でいることのほうが、ずっと勇気がいる』
「信じなくていい。ただ、ポケットに入れといて」
美玲は思わず紙を見つめた。「強く見せる」ことーーそれは彼女の生存戦略そのものだった。強く見せなければ、弱く見られる。弱く見られれば、攻撃(こうげき)される。それが彼女の信条(しんじょう)だった。帰り道。美玲は制服(せいふく)のポケットの中の紙を、時々確(たし)かめるように触(さわ)った。
「私はなにも悪くない」彼女はいつものように自分に言い聞かせた。でも今日は、その言葉が少しだけ揺(ゆ)れていることに気づいた。
カウンセリングルームでの会話が、頭の中でリピートされていた。
「怖れと愛は共存できません」「強さとは、心をひらくこと」
スマホを取り出し、クラスのグループチャットを開く。ちょうど、少し前に自分が揶揄(やゆ)した子の話題で盛(も)り上がっていた。『やっぱ、あの前髪(まえがみ)ないわー笑』と打ちかけて、指が止まる。
(・・・・・・怖(おそ)れ、から?)自分の心に浮(う)かんだ小さな問いに、ドキリとした。
別に、今ここで「愛」を選ぶなんて、そんな大げさなことはできない。でも・・・・・・。
彼女は打っていた文字を全部消し、代わりに当たり障(さわ)りのないスタンプを一つだけ送った。既読(きど)はついたが、特に反応(はんのう)はない。まあ、そんなものか。
いつものような妙(みょう)な達成感や優越(ゆうえつ)感はなかった。ただ、少しだけ、胸のあたりが静かになった気がした。
夕暮(ゆうぐ)れの空に、最初の星が輝(かがや)き始めている。美玲は空を見上げ、小さく息を吐(は)いた。鎧(よろい)を脱(ぬ)ぐのはまだ怖い。でも、その鎧が、もしかしたら自分を苦しめているのかもしれない。そんな、今まで考えもしなかった可能性が、星の光のように、心にかすかに届(とど)いていた。『愛を選べ』 第10章 より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
人は、傷つくと自然と心を閉じて、これ以上傷つかないようとします。
心に鎧をまとって、外部からの攻撃をシャットアウトする。
そうすれば、これ以上傷つかなくなるかもしれません。
ただ、その鎧が他人との”心の壁”になることも事実です。
心の鎧を脱がなければ、本当の意味て、他人の気持ちを感じ取ることはできないし、自分の感情を伝えることせできません。
「強さとは、心をひらくこと」
本当に強い人は、傷つくことを恐れず、心を開き続けている人のことです。
心が現実を創っているとしたら・・・・?
伊吹や千花や星羅、美玲など佐久間先生から直接指導を受けた生徒たちがカウンセリングルームに集まります。
佐久間先生は、彼らのために「奇跡のしくみ」について簡単な実験をします。
「今から『奇跡(きせき)のしくみ』について、簡単(かんたん)な実験をしたいと思います」
佐久間先生は机(つくえ)の引き出しから、赤、青、黄色の三枚(さんまい)の半透明(はんとうめい)な下敷(したじ)きを取り出した。そして、涼に声をかけた。
「涼くん、そこの照明のスイッチ、切ってくれる?」
「え? あ・・・・・・はい」
涼が立ち上がり、スイッチに手を伸(の)ばした。カチリという音とともに、部屋は暗くなった。窓(まど)のカーテンからわずかに漏(も)れる以外、光はほとんど残っていない。
そのとき、佐久間先生がスマートフォンのライトを点けた。小さな光が闇(やみ)の中で浮(う)かび上(あ)がる。先生はそのライトを壁(かべ)に向けて光を当てた。白い光の円が、教室の壁(かべ)に映(うつ)し出された
「このライトが僕たちの『心の光』だとしましょう」佐久間先生の声が静かに響(ひび)く。
「そして、この光が映(うつ)る向こうの壁(かべ)が、僕たちが日常的に見ている『現実(げんじつ)』だとします」
生徒たちは固唾を呑んで見守っていた。佐久間先生は続ける。
「さて、ここで一つ実験を」
そう言って、スマホと壁(かべ)の間に赤い下敷(したじ)きをかざす。白い壁(かべ)に映(うつ)し出(だ)された光の円が、下敷きを通した途端(とたん)、鮮(あざ)やかな赤色に染(そ)まった。
「見て、白かった壁(かべ)が赤くなったね?」
全員が無言で頷(うなず)いた。
「では、今度はこれで」
今度は青い下敷きに変えた。壁(かべ)の光は鮮(あざ)やかな青色に変わった。
「光自体は、何も変わってません。でも、下敷きを通すことで、見えるものが変わる。僕(ぼく)たちが見ている世界って、こういうものなんです」
ことねが小さく「あ」と声を上げた。理解(りかい)の光が彼女の目に宿った。
「つまり・・・・・・その『心の下敷き』で、世界が変わって見えるということですか?」千花が慎重に言葉を選んで尋ねた。
「そう」佐久間先生は頷(うなず)いた。「白い光が『本当の現実』であり、唯一(ゆいいつ)の実在(じつざい)。壁が、僕たちが現実だと思い込んでいる『幻想(げんそう)の世界』で、下敷きが『心のフィルター』。そして、僕(ぼく)たちはいつもこの下敷きを通して世界を見ている。『人間関係』も、『自分自身』も、『取(と)り巻(ま)く環境』も、全部この下敷き越(ご)しにね」
そして佐久間先生は、持っていた三枚(まい)の下敷きを重ねてスマホのライトを壁(かべ)に当てた。下敷きを重ねると、壁の光はみるみる暗く、濁(にご)った色へと変わっていった。
「この心の下敷きが、何枚(まい)も重なれば、世界はどんどん暗く見えてしまう。だけど、それは心の光が消えてしまったからじゃない。光を閉ざしてしまう原因(げんいん)が、僕(ぼく)たちの心に残っているんだ」
「カルマとか、投影(とうえい)とか、引き寄(よ)せとかって、そういうことですか!」ことねが興奮(こうふん)して言った。今までの彼女の知識(ちしき)が、ようやく実感として理解(りかい)できたようだった。
「・・・・・・それって、すごくシンプルな話ですね」涼がぽつりと言った。
佐久間先生はにこっと笑った。
「うん、しくみ自体は、驚(おどろ)くほどシンプル。だけど、『それを自覚しながら生きる』ってなると、話はまったく違(ちが)ってくるんだ」
星羅が口をはさんだ。
「たしかに、だって、イラついてるときとかに、『今、私は怒(いか)りのフィルターを通して見てるな〜』なんて冷静に思えないし」
「そう。だから気づいた瞬間(しゅんかん)が大事。気づき続けることが大切。『あ、自分、今フィルターかかってた』って立ち止まれること。そこからはじめて『選びなおし』ができる」
理央が静かに呟(つぶや)いた。「『今の見方を、変えることができる』って、そういう意味だったんですね。ちょっと難(むずか)しいけど・・・・・・希望もある」
「まさにそれが、『奇跡のしくみ』なんです」
佐久間先生はスマホのライトを消した。部屋は再(ふたた)び、静かな薄暗(うすぐ)さに包まれた。その沈黙(ちんもく)の中、誰かが小さく息を吸い込んだのが聞こえた。
「・・・・・・心が現実(げんじつ)を創(つく)るって、本当にそうなら・・・・・・人生って、もっと自由になれるかも」
誰の言葉でもなかった。でも、たしかにそこにいた全員が、その言葉を感じていた。
しばらくのあいだ、誰も何も言わなかった。でも、誰の顔にも、『なにかが揺(ゆ)れている』気配があった。暗闇(くらやみ)の中で、それぞれの心の中に小さな光が灯り始めていた。「照明、つけてもいいかな」佐久間先生が優(やさ)しく言った。
涼が立ち上がり、スイッチを入れる。突然(とつぜん)の明るさに、みんな少し目を細めた。
「さて、みんながこれまで感じてきた『苦しみ』や『悲しみ』って、どこからきてたと思う?」佐久間先生はゆっくりと元の席に戻(もど)りながら問いかけた。
「たとえばね、『相手のせいだ』『状況(じょうきょう)のせいだ』『自分のせいだ』って思ってたもの。・・・・・・もしかしたらそれ、『心の下敷き』が創っていただけかもしれないって思えない?」
伊吹が初めて声を上げた。
「・・・・・・先生、僕、気づきました。僕は自分で自分を『価値がない』って見てたから、周りの人の言動も、全部『僕を拒絶(きょぜつ)してる』ように見えてたんだって」
佐久間先生は深く頷いた。
「そう、『自分には価値(かち)がない』という下敷きを通して世界を見ていたんだね」
「でも、本当はそうじゃなかったかもしれない・・・・・・」伊吹の声には、新しい可能性(かのうせい)への気づきが含(ふく)まれていた。
ことねも手を挙げるように前のめりになった。
「私、『誰よりも知ってる人』になりたかったんです。だから『知らない』ことを認(みと)められなくて・・・・・・本当は、もっとシンプルに『つながりたい』だけだったのかも」
「『わかってる自分』という下敷きを通して、世界も人間関係も見ていたんだね」佐久間先生が優(やさ)しく微笑(ほほえ)む。
部屋の空気が変わり始めた。一人、また一人と、自分の「下敷き」に気づき始めている。それは告白のようでもあり、発見のようでもあった。
「私は・・・・・・」星羅が静かに言った。「『裏切(うらぎ)られた』という下敷きを通して、すべての人間関係を見るようになっていました。だから、誰も信じられなくなっていたんです」
「うん」佐久間先生は深く頷(うなず)いた。「『起きた出来事』は変えられない。でも、その意味は、いまこの瞬間、選びなおすことができる」
「・・・・・・選びなおす」星羅が繰(く)り返した。
「そう、『ゆるし』っていうのは、『相手をゆるしてあげる』ことじゃなくて、自分がその下敷き、『幻想』から自由になるっていうことなんだ。『私は傷(きず)つけられた』という見方を、もう握(にぎ)りしめないって決めること」
「・・・・・・でも、そんな簡単(かんたん)に許せないよ」星羅が吐(は)き出すように言った。
「うん。簡単じゃない。でも、『ゆるしたい』って思うことから、すべてが始まる。『このままじゃいたくない』って思えたなら、それが『選びなおすスタート』なんだよ」誰もが、何かを思い出すように沈黙(ちんもく)していた中、菫がぽつりと呟(つぶや)いた。
「『できない』って思ったこと、本当は『私にはできない』って決めつけていただけだったのかもしれない。現実(げんじつ)のせいじゃなくて、心が先に諦(あきら)めてたんだ」
涼が、小さく眉(まゆ)をひそめる。「心の、見方・・・・・・」
「うん。心が、自分の『信じてるもの』を映(うつ)し出してたとしたら・・・・・・」ことねが静かに言った。「『自分は間違っちゃいけない』『わかってる側にいなきゃいけない』って、ずっと思ってた気がする」
「うん、それって、『正しさ』のフィルターだよね」佐久間先生が応(おう)じる。
「間違うことを怖(おそ)れてると、世界中がジャッジの目に見える。自分も他人からも、つねに評価(ひょうか)・採点(さいてん)されてるように感じられてしまう」
千花は、自分の両手を見つめながら呟(つぶや)いた。「『アトピーの自分』を、ずっと責(せ)めてた。自分の身体に対しても、人の目に対しても。『こんな私じゃダメだ』って。 ・・・・・・でも、それをいちばん言ってたの、私自身だった」
伊吹がそっと続けた。「・・・・・・『生きてる意味がない』って思ってた。でも、それって誰かに言われたわけじゃなかった。自分の中にそういう声があっただけで。 ・・・・・・でも、そう思いたいわけじゃなかった」
佐久間先生は静かに頷(うなず)いた。「『奇跡のコース』では、『私たちは心の中の幻想を外側に投影(とうえい)している』って言う。つまり、『私は愛されない』という思い込(こ)みがあると、それを裏(うら)づけるような出来事ばかりが目に入ってくる。 ・・・・・・でも、それは現実(げんじつ)じゃない。『心が作り出したフィルター』でしかない。これは、最新の脳認知(のうにんち)科学でも証明(しょうめい)されていることなんだ」
理央が少し苦笑した。「俺、誰より『特別』になりたかった。でも、特別であるってことが『孤独(こどく)』の証明になるなんて、思ってなかった」
「『特別』って、裏(うら)を返せば『分離(ぶんり)』なんだよね。特に別、なんだから」佐久間先生が言う。
「『奇跡のコース』では、『私たちはひとつ』というメッセージが一貫(いっかん)してある。愛とは、つながり。エゴは、分離。『特別』という幻想は、心を孤立(こりつ)させる。孤立(こりつ)してると思うから、怖(おそ)れが生じるんだ。『同じ心の光が見えてきたとき』、僕たちは、ほんとうの意味で出会える」
部屋の中には、これまでになかったつながりの感覚が生まれていた。これまで個別に佐久間先生と話してきた彼らが、今、共通の理解の場にいる。その感覚は、言葉以上のものだった。
美玲が、ずっと黙っていたが、ようやく口を開いた。「私、強がってるつもりじゃなかった。強くないと生きていけないと思ってた・・・・・・」
彼女の声には、これまで聞いたことのない弱さが混(ま)じっていた。でもそれは弱さではなく、正直さだった。
「強さという下敷きを通して、すべてを見ていたんだね」佐久間先生は優(やさ)しく言った。
「でも、本当の強さは・・・・・・」美玲は言葉に詰(つ)まる。
「本当の強さは、弱さを認(みと)められることかもしれないね」佐久間先生がそっと言った。
「あのときの先生の言葉が、ようやく理解(りかい)できました」美玲の目に、小さな涙(なみだ)が光った。
佐久間先生は静かに続けた。「みんなが気づき始めてる、この『心の見方を選びなおす』っていうこと・・・・・・これこそか奇跡(きせき)なんだ」
「心が変われば、世界が変わる・・・・・・」伊吹(いぶき)がつぶやいた。
佐久間先生は頷(うなず)いた。「奇跡っていうのは、『外側の状況が変わること』じゃない。『いまこの瞬間(しゅんかん)の見方が変わる』ーーそれに気づけることが、ほんとうの奇跡なんだ」
午後の光は、さらに柔(やわ)らかく変わっていた。窓(まど)の外は金色に輝(かがや)き、部屋の中に優(やさ)しい光を投げかけていた。
佐久間先生は何かを思い出すような表情で続けた。
「僕はね、こう思ってるんだ。僕たちの人生は、『愛や、ほんとうの自分を思い出すための学び場』なんじゃないかって。苦悩は、『愛から離れてるよ』っていうサイン。そして、奇跡は、『ちゃんと愛を選べたよ』っていう、お知らせじゃないかって」
誰も言葉を返さなかった。けれど、その静けさは、かつての沈黙(ちんもく)とはまるで違(ちが)っていた。それは重たい沈黙(ちんもく)ではなく、新しい可能性に満ちた静けさだった。
佐久間先生は微笑(ほほえ)みながら、もう一度ポットを手に取った。
「さあ、もう一杯(ぱい)紅茶を飲みながら、これからのことを少し話してみようか」『愛を選べ』 第13章 より 雲黒斎:著 徳間書店:刊
この世界は一つだ。
多くの人たちはそう信じていますが、それは違います。
誰もが、その人だけの“下敷き”、つまり「心のフィルター」を持っていて、そのフィルターを通して世界を見ています。
つまり、私たちは、同じ世界にいながら、それぞれ異なる世界を生きているということ。
違う世界を生きている者同士、分かり合えないことがあって当然です。
同じ世界は見ることはできないとすれば、分かり合うためには「違っていて当然」という認識を持つことが大切です。
「自分が正しい」という偏った信念を捨てる。
そこから、本当の奇跡が始まります。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
本書のベースにあるのは『奇跡のコース』という、米国人女性ヘレン・シャックマンさんが7年の歳月をかけて完成させた世界的名著です。
『奇跡のコース』の最も重要なテーマ。
それが「愛を選びなさい」ということ。
黒斎さんは、それはつまり、ほんとうの自分を思い出すこと
であり、『怖(おそ)れ』から『愛』へ、見方を変えていくこと
だとおっしゃっています。
奇跡を起こすのに、世界が変わる必要はありません。
ただ、自分の見方を『怖れ』から『愛』へ変えてあげればいいだけ。
伊吹ら生徒たちは、それを佐久間先生から教わり、人生を変えました。
次は、私たちの番です。
ぜひ、本書を読んで「愛を選び続ける」レッスンを受け、人生に奇跡を起こしましょう。
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【書評】「存在革命」(竹腰紗智) 【書評】『「考える腸」が脳を動かす』(菊池志乃)