【書評】「真空のからくり」(山田克哉)
お薦めの本の紹介です。
山田克哉さんの『真空のからくり』です。
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山田克哉(やまだ・かつや)さんは、理論物理学がご専門の理学博士です。
すべては「真空」から生まれた!
真空とは、空気はもとより、あらゆる物質やエネルギーを完全に取り除き、完全に空っぽになった空間
です。
これまで、光を含むすべてのエネルギーを取り去られ
ており、真っ暗闇で、どんな観測器や検出器も反応
しないと信じられてきました。
ところが、20世紀に入り、真空に関してとんでもないことがわかってきました。
それは、真空が「無言」でざわめいているという事実
です。
私たち人類が見出したのは、二つの驚くべき事実でした。一つは、「真空のいたるところで多数の粒子がひんぱんに出没している」ということ。二つめは、「空間から一切のものを取り除いても、“発生源のないエネルギー”が取り残されてしまう」ということです。さらには、「真空に出没している無数の粒子」と「発生源のないエネルギー」とが同じものだというのですから、困惑を覚えずにはいられません。
真空から粒子が現れるとは、まさに「無から有が生じる」ことですが、本当でしょうか? ふしぎなことに、たとえ真空にエネルギーが取り残されていても、あるいは真空から粒子が出没していても、その空間には温度がなく、真空であることには変わりがないというのです。なぜなら、真空に出没する無数の粒子(=真空に取り残された発生源のないエネルギー)は、絶対に直接観測されることはなく、温度も観測しえないからです(温度の定義は第1章参照)。
人間の五感にも観測器にも訴えることなく、まったく観測不可能であるというなら、それは「無」と同じです。真空内に得体の知れないエネルギーが存在していても(無数の粒子が出没していても)、真空はなお真空なのです!
「場の量子論」という物理理論によれば、発生源のないエネルギーの量は「無限大」です。真空の中に無限大のエネルギーが潜んでいるなんて信じられますか? しかも、無限大のエネルギーをもつにもかかわらず、真空には温度が存在しないのです!
さらに驚くことに、この発生源のない真空のエネルギーは単なる机上の理論ではなく、“実在”することが判明しました。真空のエネルギーが実際の物体に何らかの影響を及ぼした「結果」を観測することに成功したのです。
真空に潜む発生源のないエネルギー・・・・・・、まるで“幽霊エネルギー”です。真空にエネルギーがあることはわかっているのに、取り出すことはおろか観測することさえできないーーだからこその真空である。・・・・・・何とももどかしい話です。音の存在しない、まったく静寂な世界である真空がゆらぎ、音を立てることなくざわめいている。謎めく「真空」の正体とは、いったい何なのでしょうか?『真空のからくり』 はじめに より 山田克哉:著 講談社:刊
「真空」という“無”のなかに、何かが存在する。
本書は、最新の科学から導かれた「真空のからくり」を、わかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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真空には「構造」がある!
真空を知るためには、絶対ゼロ度における「真空の“ふるまい”」を知ることが不可欠
です。
まずは、絶対ゼロ度の定義から解説していきます。
すべての物体は、膨大な数の原子や分子から構成されています。これらをひっくるめて、単に“粒子”と呼ぶことにしましょう。物体内の粒子はランダムな運動や振動をしており、これらの運動や振動に対応するエネルギーを「運動エネルギー」といいます。物体を構成している個々の粒子の運動エネルギーがまったく同じであることはありえないので、各粒子の運動エネルギーの平均値を考えると、この平均運動エネルギーがその物体の温度を決めます。粒子が速く運動/振動していると平均運動エネルギーは大きく(高く)なり、その物体の温度が高くなります(逆の場合は温度が低くなります)。
粒子のもつ運動エネルギーは、つねにプラスの値です。運動エネルギーは当然、粒子の速度に関係し、物理学では質量mキログラムの粒子の速度が秒速vメートルである場合、その運動エネルギーはmv2/2として表され、質量mも速度の2乗v2もつねにプラスの量なので、運動エネルギーは必ずプラスの量になります。
いま、物体内のすべての粒子が、一つ残らず完全静止している場合を考えましょう。速度vがゼロなので、すべての粒子の運動エネルギーがゼロとなります。当然、平均運動エネルギーはゼロで、物体の温度もゼロとなります。この「全粒子完全静止」に対応する温度より低い温度は存在せず、これが「絶対ゼロ度」です。
しかし、量子力学が登場してからは「粒子の完全静止は不可能である」ことが明らかになりました。そのため、どんな手段を講じても、ある物体からいかなる量の熱エネルギーをも取り出すことのできない状態にあるとき、その物体の温度を絶対ゼロ度と決めています。絶対ゼロ度を基準にして定義された温度が「絶対温度」です。絶対ゼロ度以上の温度はすべてプラスであり、絶対温度計にマイナスの目盛りはありません。摂氏の温度では、絶対ゼロ度はマイナス273.15度に相当し、これ以下の温度は存在しません。絶対温度と摂氏温度(℃)との関係は、
絶対温度=273.15 + 摂氏温度
と表され、摂氏マイナス273.15度のとき、絶対温度はぴったりゼロ度になります。特に断りのないかぎり、この本では「温度」は必ず「絶対温度」を意味しています。
ところで、熱力学の立場から物体の温度をぴったり絶対ゼロ度にまで下げるのは、理論的にも技術的にも不可能であることがわかっています。温度はまた、何兆個から何十兆個、それ以上の多数の粒子から構成される「物理系」にだけ適用できるものであり、完全に隔離された電子1個や原子1個に対しては定義できません。温度の元はあくまでも物質粒子(質量をもつ粒子)の運動ですから、物質粒子が存在しないかぎり温度も存在しえません!「エネルギーとは何か」を説明するのはたいへん難しいのですが、エネルギーには、電気エネルギーや熱エネルギー、動力エネルギーなど、さまざまに形態の異なるものがあります。どんなエネルギーにも「発生源」があり、エネルギーが「無」から発生することはありません。また、どんなエネルギーも決して消滅することはありません。ただし、たとえば熱エネルギーが動力エネルギーに変わるなど、エネルギーの形態は変化しえます。
「エネルギー保存の法則」と呼ばれるこれらの“自然の掟(おきて)”が、必ずしも守られていない驚くべき状況が存在します。それが、「絶対ゼロ度における真空内」なのです。絶対ゼロ度における真空のこのような性質こそが、「発生源のないエネルギー」をもたらし、真空のいたるところで粒子の発生・消滅がランダムに繰り返される事態を引き起こします。
なぜそのようなことが起こるのでしょうか?
この謎を解明するカギは、「はじめに」で述べた「真空の構造」が握っています。実は真空は、エネルギーをもっていないくせに、ほんの短い時間だけ「真空にエネルギーを貸す」のです。もっていないものを貸す、すなわち「無」が「無」にエネルギーを貸すことは、「エネルギーは無から発生してはならない」という自然の掟を破っています。こうして、「エネルギー保存の法則」が破られます。
真空からエネルギーを借りることによって、真空は粒子を発生させています。しかし、借りたエネルギーはすぐさま真空に返さなければならないために、発生した粒子はほんのつかの間だけ生存し、すぐに消滅してしまいます。真空はいわば、お金がなくてもきわめて短期間だけお金を貸し、すぐまた返済させる銀行のような存在なのです。
真空からエネルギーを借りて粒子が発生し、はかない命を“全う(まっとう)”して消滅するーーにわかには信じがたいこのような現象が、真空のあちこちで繰り返されています。「真空に構造がある」とは、このような現象が生じることを示す表現です。
ところで、エネルギー同様、保存法則が存在するものとして「電荷」が挙げられます。電荷は、電気力や磁力(電磁力)を生み出す源で、いわば「電気の量」に相当します。コンピュータを含むすべての電化製品や電磁現象は、「電荷」の働きによるものです。電荷そのものが何であるかはわかっていませんが、「電荷保存の法則」に従い、決して「無」から発生することはなく、消滅することも絶対にない、とされている点でエネルギーとよく似ています。
摩訶(まか)不思議な空間である真空では、電荷保存の法則も破られているのでしょうか? 思わす期待してしまいますが、残念ながら?この法則は厳密に守られています。真空の各点には電荷が存在せず、電気的に中性ですから、さすがの真空も「無」から単独の電荷を発生させるなどという芸当は披露できないというわけです。ここで、原子の構成要素一つである「電子」という極微の粒子について考えてみます(77ページ図2-5、下図を参照)。電子はマイナスの電荷を有していますが、この世にはプラスの電荷をもつ電子も存在しています。プラスの電荷をもつ電子は「陽電子」と呼ばれていますが、陽電子のもつ電荷と普通の電子の電荷はまったく同じ量で、唯一、符号が逆になっている点だけが異なります(電子はマイナス、陽電子はプラス)。
電子と陽電子は瓜(うり)二つで、その物理的性格はまったく同じです。質量にも電荷にも違いはありません。このように、電荷の符号(プラスかマイナスか)だけが互いに逆になっている二つの粒子を「反粒子」の関係にあるといい、普通の電子に対して、陽電子を「反電子」と呼びます。電子のみならず、すべての粒子に反粒子が存在します。
ただし、「光子(こうし)」(粒子としてふるまう光。41ページ参照)のように電荷をもたない粒子の場合は、粒子もその反粒子もまったく同じものと解釈されています。粒子のもつ電荷と、その反粒子のもつ電荷を足し合わせると、正味の電荷はゼロとなります。
反粒子の特徴は、対(つい)をなす粒子(反電子にとっての電子)と合体すると消滅してしまう点にあります。それぞれがもつプラスとマイナスの電荷が相殺され、両者が消滅した場所から電荷ゼロの二つの光子が現れます。光子も質量もゼロで、すなわち物質粒子ではないので、この消滅は物質の消滅ということになり、「対消滅(ついしょうめつ)」と呼ばれています。
逆に、十分に高いエネルギーをもつ光子(物質ではない!)は突然、「質量をもつ粒子」と「その反粒子」のペア(対)に変わることがあり、これを「対発生(ついはっせい)」といいます。現在の宇宙に存在する粒子のほとんどは粒子で、反粒子の数はゼロに近いほど少なく、たとえ反粒子が存在してもあっという間にそれに対応する粒子と合体して消滅してしまい、そこに光子が現れます。実験室で反粒子を”生産”しても、近くにある同種の粒子と合体してすぐ消滅してしまうため、大量の“反粒子”を溜め込むのはきわめて難しいことなのです。1秒間がどれくらいの時間間隔であるかは、誰でも容易に感じとることができるでしょう。では、その半分の0.5秒は? まあ、大体の見当はつきますよね。オリンピックの陸上競技、たとえば100メートル競争などの記録で用いられる「100分の1秒」あたりでも、感覚を超えるほどの時間間隔ではないでしょう。
これが「1000分の1秒」になるとどうでしょうか? そろそろ感じとれる限界を超えてきそうです。あなたの目の前に、たとえば1万分の1秒間だけ何かが現れても、その姿を目撃することはできないでしょう。でも、ナノテクノロジーを使った特殊装置であれば記録可能です。肉眼では見えないというだけのことで、そこにはまだ「何のふしぎさ」も生じません。
ところが、真空から何らかの粒子が10億分の1秒や100億分の1秒、いやもっと短い時間間隔で現れているといったら? もはや「見える」とか「見えない」とかの問題ではありません。「エネルギー保存の法則」を破って「無」から生じた粒子たちが、真空のあちこちに10兆分の1秒というごく短い時間間隔で発生・消滅を繰り返しているのです。外部から一切の邪魔だてをせずに、ありのままの真空の“姿”を観測することは不可能です。ですが、観測不可能ではあっても、決してSF的な出来事ではなく現実に起きていることなのです。
前述のとおり、電荷の存在しない真空は電気的にプラスでもマイナスでもなく、中性です。このため、プラスあるいはマイナスの電荷をもつ粒子は、単独で真空に発生することは許されません。「電荷をもつ単独の粒子」が真空から発生することは、すなわち「無から電荷が発生する」ことであり、たちどころに電荷保存の法則に違反してしまうからです。「エネルギー保存の法則」を破りうる真空をもってしても、「電荷保存の法則」は絶対に破ることができないのです。
電荷保存の法則を遵守するためには、たとえば電子(マイナス電荷)の場合なら、その反粒子である陽電子(プラス電荷)と対になって真空から発生しなければなりません。「電子-陽電子」の対がもつ全電荷はゼロであるため、電荷ゼロの真空から「電子-陽電子」対が発生しても、ゼロ=ゼロで電荷は正確に保存されます。「電子-陽電子」の対は、「電子対(でんしつい)」と呼ばれます(図1−1、下図を参照)。
電子ばかりではなく、他の「粒子-反粒子」対にもまったく同じことが起きています。つまり、「電荷保存の法則」が厳守されるために、真空から発生する粒子は必ず「粒子-反粒子」の対になっていなければならないということです(ただし、後出する仮想光子の場合だけは、質量ももっていないために単独での出没が起こります)。
しかし、粒子もその反粒子もエネルギーをもっているため、その「粒子-反粒子」対はエネルギーの発生源がない真空から発生していることになります。これは、発生した「粒子-反粒子」対がエネルギーのない真空からエネルギーを借りていることを意味します。「無」からエネルギーを引き出すこの行為が「エネルギー保存の法則」を破っていますが、借りたものは返さねばならないので、発生したエネルギーはすぐに真空中に消えてしまい、すなわち「粒子-反粒子」の対も真空に消えていきます。この「粒子-反粒子」対の生存期間が、10兆分の1秒などのようにきわめて短いのです。
真空では、「対発生」と「対消滅」がランダムに繰り返されています。真空から発生した「粒子-反粒子」対のどちらも、「仮想粒子」と呼ばれています。なぜなら、このような「粒子-反粒子」の生の姿を実際に観測することはまったく不可能であるからです。絶対に観測できない仮想粒子は、物質粒子とは見なされません。絶対に観測できないものは「無」と同じですから、「粒子-反粒子」対が真空のいたるところで発生・消滅(出没)していても、真空は真空なのです。したがって、膨大な仮想粒子が寄り集まって物質を構成するなどということはありえません。物質が構成されるはるか以前に、すべての仮想粒子は消滅してしまうからです。
結局、真空ではいたるところで仮想光子と仮想粒子の出没がひんぱんに起きていることになり、これが発生源のない真空のエネルギーの元となっています。仮想光子が仮想電子対に化けて出て、その仮想電子対がふたたび仮想光子に戻り、それがまた仮想電子対に化けて出る、というようなことも起こっています。『真空のからくり』 第1章 より 山田克哉:著 講談社:刊


この仮想粒子の生成と消滅は、いたるところで頻繁に起こっており、「真空のゆらぎ」とも言われています。
「カシミール効果」とは?
仮想粒子は、観測することはできませんが、決して、「幽霊」でも「空想」でもなく、確かに“存在”する粒子
です。
仮想粒子の存在を証明する現象として有名なのが「カシミール効果」です。
カシミール効果とは、真空内に平行に置かれた2枚の金属板の間に、外部から何のエネルギーを与えなくても引力が働く
現象のことです。
山田さんは、カシミール効果を最も論理的、かつ簡単に説明するには電磁波を使うのがいちばん
だとして、以下のように解説しています。
話を簡潔化するために、金属でできた六面体の箱を考えます。(図1−5、下図を参照)。フタ(これも金属)がついているので箱の開閉が可能で、さらに一つの面の中央には小さな穴があけられています。当然ながら、フタを開けると穴は明るくなり、閉じると穴は真っ黒です。以下の議論はすべて、金属はこのフタが閉められているものとして進めます。
箱の金属壁の内部には多数の電子があります。桁数としては、1024ぐらいの電子数です。マイナスの電荷をもつ電子、すなわち電荷が振動すると、その電荷によってもたらされる電場と磁場が交互に振動し、その振動は真空中を光の速さで伝播(でんぱ)していきます。
電荷の振動がもたらす波である電磁波そのものは物質ではありませんが、エネルギーをもっています。波である以上、電磁波は「振動数」と「波長」をもっています。電磁波にはさまざまに異なる種類があり、個々の電磁波それぞれに特有の振動数と波長をもっています。したがって、光も物質ではありませんが、太陽から注がれる光のおかげで地上の生物が生存できることを考えると、光(電磁波)には明らかにエネルギーがあります。
さて、この金属箱全体を真空に配置し、真空内である実験を行います。当然ながら、箱の内外は真空です。フタをして密閉したまま、金属箱に熱を加えて温度を上げていきます。金属板内の電子は熱エネルギーを受け取って振動を開始し、多数の電子の振動による電磁波が発生します。振動は「加速」と「減速」の繰り返しですが、電磁気理論によれば電荷をもつ粒子(荷電粒子)は加速されても減速されても、電磁波を放出します(拙書『光と電気のからくり』ブルーバックス参照)。
その結果、密閉された金属箱の内部は多数の電磁波で埋め尽くされます。異なった振動数と波長をもつ多数の電磁波が入り乱れていますが、個々の電磁波は他の電磁波から独立しています。特定の振動数(あるいは波長)をもつ電磁波は、たくさんの電磁波が入り乱れている中でもその同一性(アイデンティティ)を失うことは絶対にないのです(この性質のおかげで、空中にさまざまな電波が入り乱れていても、各テレビ局の電波を“選局”できるのです)。たとえある電磁波が他の電磁波とぶつかっても、その進路が曲げられることはありません(劇場の二つのスポットライトから出る光は、衝突しても直進しますよね)。
ただし、金属板から飛び出た電磁波は、他の金属板にぶつかるとそこで反射されます。つまり、金属はこの内部空間では、多数の異なった波長をもつ電磁波が反射による往復を繰り返しています。この金属箱の内部が真空であることを思い出してください。同時に、電磁波(光)は物質ではないことも思い出してください。
つまり、真空になっている金属はこの内部が電磁波で埋め尽くされても、その空間は相変わらず真空のままであるということです。ただし、これらの電磁波には明白な発生源があります。金属内の電子の振動です。この振動は熱が原因であるために「熱振動」と呼ばれています。密閉された金属箱の内部では無数の電磁波が飛び交っていて、金属壁の間で往復を繰り返しています(図1−6、下図を参照)。つまり、金属箱の内部空間にはありとあらゆる波長(振動数)をもつ電磁波が充満していることになります。しかし、金属の内壁は電磁波を発生するばかりではなく、吸収もします。
時間がたつと、金属の内壁から発生する電磁波の数と内壁に吸収される電磁波の数は同じになり、平衡状態に達します(熱平衡)。金属箱の内部はどこも同じ温度になり、一定に保たれます。
箱の一つの面にある穴の大きさは十分に小さく、内部の電磁波がこの穴を通して外部に漏れ出ることはあっても、いったん外に出ていった電磁波はこの穴を通してふたたび箱の中に戻ってくることはないものとします。箱の温度を一定保つかぎり、その小さな穴からはありとあらゆる振動数をもつ電磁波が放出されます。「空洞放射」と呼ばれる現象です。
振動数の違いによって、箱の外に飛び出た電磁波の強度(光でいえば明るさ)は異なります。ある振動数をもつ電磁波の強度は大きく、別の振動数をもつ電磁波の強度は小さいというように、電磁波の強度は振動数に依存します。可視光線でいえば、光の明るさは色によって異なるということです。
ここで、四つの金属箱を用意します(図1−7、下図を参照)。四つの箱の温度はそれぞれ異なり、一定に保たれています。それぞれの箱の小さな穴から放出される電磁波の強度(明るさ)を測定します。
図1−8(下図を参照)に示すように、一つ一つの金属箱の小さな穴から放射される電磁波に関して、縦軸に放出された電磁波の強度を、横軸に電磁波の振動数をとった四つのグラフを1枚のグラフ用紙に描きます。一つのグラフは一つの金属箱の温度に対応します。図1−8では、背の低いグラフほど金属箱の温度が低く、温度が高いほどグラフは上に膨らんでいます。これは、温度が高いほど小さな穴から出てくる電磁波の強度(明るさ)が大きくなることを意味しています。
どの温度に対応するグラフにもピークがあり、ピークの両側では箱の穴から放射された電磁波の強度は小さく、あるいは「減少」しています。ある一定の温度の下で穴から放射される電磁波のうち、ある特定の振動数をもつ電磁波の強度(明るさ)が最も大きい(ピーク値)ことを示しています。金属箱の温度が高いほどピークは高くなり、またピークの位置が右側に(振動数の高いほうに)ずれていきます。
これらすべてのグラフは、理想的な完全黒体を熱したときにその表面の単位面積(たとえば1平方センチメートルあたり)から放射される電磁波のグラフとまったく同じになっていることから、密閉された金属箱の小さな穴から電磁波が放出される現象を「黒体放射」と呼びます。「完全黒体」はすべての振動数をもつ電磁波を放射しますが、金属箱の温度が絶対ゼロ度の場合には、逆に外部からすべての振動数をもつ電磁波を穴を通して100%吸収し、反射はまったく起こしません。したがって、完全黒体から光が放射されることはなく、吸収のみで穴は真っ黒に見えます。
金属箱全体ではなく、1ヵ所にあけられた小さな穴の部分が黒体に相当します。黒体放射理論によれば、黒体の形状や黒体を形成している物質の種類にまったく関係なく、図1−8とまったく同じグラフが得られることがわかっています。つまり、どんな形状でもどんな物質でも自由に選べるということで、話を簡素化するために六面体の金属箱を考えてきたわけです。
これらのグラフは実際に実験を行ったデータから作成されたグラフであることを強調しておきます。決して理論的考察によって得られたものではありません。問題は、なぜグラフがこのような形をしていなければならないかということです。どんな物体でもそれがどんな形状をしていても、熱せられるとそこから電磁波が発生し、振動数に対する電磁波の強度を示すグラフは、図1−8とまったく同じ形状になるのです。その裏には、何か深い物理理論が隠されているような気がしませんか?幾多の物理学者たちの挑戦をはねつけてきたこのグラフの謎が、ついに解き明かされるときが来ました。ドイツのマックス・プランク(1858〜1947)が、図1−8のグラフを数式で表すことに成功したのです。しかも、その数式には、実にとんでもない事実が隠されていました。読者のみなさんの中には、数式を見た瞬間に頭が痛くなるという人もいらっしゃるでしょうが、世紀の発見と呼ぶべき「数式」ですから、ぜひともその“姿”を見ていただきたいと思います。
式1−1が、プランクの発見した数式です。金属箱の小さな穴から出てくる電磁波の強度Iを表したものです。この式には、電磁波の振動数ν(ニュー)と金属箱(黒体)の絶対温度Tが入っています。式中のアルファベットhは、「プランクの定数」と呼ばれています。
この数式に隠されていた重要な事実ーーそれは、電磁波のもつエネルギーの量は連続的には変化できず、不連続的にしか変化しないということです。お金になぞらえて考えてみましょう。日本の通貨「円」はその最低量が1円で、すべての物価は1円の整数倍になっています。76.34円などという値段の商品はありません。76円の次は77円で、円は1円間隔で飛び飛びに変化し、決して連続的に変化しません。
電磁波のエネルギーもこれと同じで、ある間隔=単位をもって不連続にしか変化しないのです。電磁波の振動数(=周波数)は、1秒間あたりの振動回数を表します(電磁波の場合、振動する“モノ”は磁場と電場で、この両者が交互に振動するのですが、詳細は拙書『光と電気のからくり』を参照してください)。電磁波はある振動数で振動し、その振動が真空を光の速さで伝播します。振動数の高い電磁波も低い電磁波も、すべての電磁波は同じ光速度(秒速30万キロメートル。1秒間に赤道のまわりを7回り半する)で真空を伝播します。
いま、ある特定の電磁波を考えてみましょう。その振動数をνで表すと、振動数νは1秒間にν回振動することを意味します。虹に見られるように光(可視光)にはさまざまな異なる色の光が混合されており、混合された光は無色になります。一つの特定色をもつ光は、特定の振動数を持っています。つまり、振動数が光の色を決めるのです。
振動数νにプランクの定数hをかけると、エネルギーの単位になり、hνは一つのエネルギーの量を表します。振動数(ν(1秒間にν回振動する)が多いほど(速く振動するほど)、その電磁波のエネルギーは大きく、小さいほど(ゆっくり振動するほど)小さくなります。特定の振動数ν(光の場合は特定の色)をもつ一つの電磁波のエネルギーの量の変化は、次のように連続的ではなく飛び飛びに変化します。
0、hν、2hν、3hν、4hν、5hν、・・・・・(νはすべて同じ値)
エネルギー変化の間隔はhνです(これは、通貨「円」の最小単位が1円であることに相当します)。ここで注意すべきは、右に掲げた飛び飛びのエネルキーのすべてに入っている振動数νが、いずれもまったく同じ振動数(同じ値)であるということです。つまり、一つの確定した振動数で振動している電磁波のエネルギー量は、飛び飛びにしか変化できないのです。
これを「エネルギーは量子化されている」と表現します。エネルギーが量子化されているということは、いったい何を意味するのでしょうか? 熱せられた金属箱の内部を飛び交う電磁波の吸収や放射について話していたことを思い出してください。プランクが見出した数式は、物体が光を吸収したり、あるい放射したりするときに、一度に吸収・放射できる最低量はhνであり、決して1.7hνとか0.3hνといった値のエネルギーにはならないことを示していたのです。1円の次が2円であるように、hνの次は2hνです。熱せられた物体は、光を不連続にしか吸収・放射できないのです。
「プランクの黒体放射理論」と呼ばれるこの理論は、「量子力学」の幕開けとなりました。時に、1900年12月のことでした。そして、この不連続に変化するエネルギーこそ、本書のメインテーマである真空の構造を解き明かすカギを握っていたのです。『真空のからくり』 第1章 より 山田克哉:著 講談社:刊




エネルギーの不連続性つまり量子化。
それが現在の量子論につながっていきます。
「位置」も「運動量」も本質的に決められない!
「真空のエネルギー」は量子力学から生じる結果です。
その中でも、「真空のからくり」を暴き出すために不可欠
な法則として、「不確定性原理」があります。
不確定性原理には、「粒子(量子)の位置とその運動量」に関するものと、「粒子(量子)のエネルギーと時間」との間のものと、二つの存在がある
ことがわかっています。
山田さんは、シュレディンガーの量子力学に基づく「不確定性原理」を以下のように解説しています。
大きな水たまり(あるいはスイミング・プール)のど真ん中に石を落とすと、そこから同心円状の波が外側に向かって水面上を伝播していきます。このように、「波」というものは決して1点に留まることはありません。この波の広がりこそが、真空のエネルギーを暴き出すカギになることを覚えておいてください。
まず、位置と運動量に関する不確定性原理から説明しましょう。
“量子”と称されるほど小さな粒子に対しては量子力学しか適用できず、そのような粒子は波としてもふるまいます。波は「空間の1点」に存在することはできず、必ず「ある広がり」をもって存在します。したがって、量子においては「粒子がどこそこの1点に存在する」とはいえなくなります。量子であるがゆえに、粒子の存在位置にあやふやさが出てきてしまうのです。「その粒子はだいたいこの位置からあの位置までの範囲内に存在するが、ハッキリ特定できない」ということです。
注意していただきたいのは、粒子があまりに小さすぎる結果、その位置決定に技術的困難が伴って位置にあやふやさが出るわけではなく、測定技術にまったく関係なく、粒子の位置は本質的に正確に決定することができないということです。これが、粒子の「位置の不確定さ(あやふやさ)」です。
一方、粒子というものは運動できます。ある速度をもって動くことができます。粒子の運動の強さ=「運動量」は、その粒子の速度と質量の積で表されるのでした。少し難しい表現になりますが、数学に「フーリエ変換」という操作があり、粒子の位置の不確定さをフーリエ変換すると、その粒子の運動量も波のように表れされるようになります。
波は広がりをもつため、運動量にも不確定性さが現れるのです。運動量の不確定さは、そのまま量子の速度の不確定さになります。たとえば、ある粒子の運動速度が目安として秒速20〜60センチメートルの範囲内にあることはわかるけれど、キチッとしたひとつの値としての速度は本質的に決定できないということです。これが、粒子の「運動量の不確定性さ」です。
もう一つ重要なこととして、「粒子の位置の不確定性さ」と「その粒子の運動量の不確定性さ」との積は一定であることが理論から導かれるのです。しかも、そこにはあのおなじみの定数が登場します。
「位置の不確定性さ」 × 「運動量の不確定性さ」 = h
そうです、プランクの定数hです。右辺がプランクの定数で一定不変であることになります。「位置の不確定性さ」が増大してあやふやになればなるほど、「運動量の不確定性さ」は逆に減少し、より確定値に近づくことになります(その逆も成り立ちます)。
これが、「位置」と「運動量」の間に成り立つ不確定性原理です。粒子の「波動性」のために、その位置と運動量(速度)は同時に正確に知ることができないことを示しています。「位置のあやふやさ」と「運動量のあやふやさ」は同時に起こり、「位置がハッキリわかっているのに、運動量(速度)はハッキリしない」というようなことはありえません。逆に、「運動量が確定していて位置があやふや」ということも起こりえないのです。どちらも不確定なのです。
ところで、プランクの定数h=6.626×10-34J・sでした。小数点以下にゼロが33個も並ぶ10-34という桁数は、私たちの感覚をはるかに超えた小さな値です。人間の感覚ではゼロに等しいといえるでしょう。他方、“電子”の質量はどうでしょうか?
電子の質量=9.1×10-31キログラム
これまたとてつもなく小さな値です。運動量は「質量と速度の積」ですから、仮に電子の速度が秒速1万キロメートルとしても、質量が極端に小さいために電子の運動量はまだ相当に小さな値に留まります。電子の”感覚”からすると、プランクの定数hは決して小さな値ではないのです。「量子」に分類されるほど小さな粒子に、「位置の不確定性さ」と「運動量の不確定性さ」が必ず同時に現れるのはそのためです。具体例として水素原子を取り上げてみましょう。水素原子の中心には陽子があり、そのまわりを1個の電子が回っています。水素原子の直径は大雑把に1億分の1センチメートルほどです。電子、陽子、水素原子のいずれも量子として扱われるので、水素原子全体は「不確定性原理」に従います。電子は、水素原子内のどこかにいることはわかっていますが、正確にどこにいるかは確定できません。わかるのは直径1億分の1センチメートル以内のどこかにいるということで、電子の位置の不確定性さ(あやふやさ)は1億分の1センチメートルということになります。
同時に、不確定性原理に従って電子の運動量(速度)にも不確定性さが現れます。完全静止状態の速度は、正確にゼロです。速度が正確にゼロのときは、運動量も正確にゼロです。「正確にゼロ」ということは「確定値」です。運動量(速度)が正確にゼロということは運動量が確定していることになり、そこには「運動量の不確定性さ」がまったく存在しないことになります。
しかし、電子の位置に1億分の1センチメートル不確定性さがあるために、電子にはあやふやさのまったくない、すなわち「確定値ゼロの運動量」をもつことは許されません。水素原子内での位置が確定されない以上、電子には静止する(運動量がゼロになる)ことは許されず、水素原子内でたえず動き回っていなければならなくなるのです。
一方、人間の感覚に訴えることのできるような大きさの質量をもつ野球のボールやバスケットのボールなどに量子力学を適用すると、波長はボールの直径よりも桁外れに小さく出てきます。そんな短い波長をもつ波を、人間が波として観測することは不可能です。したがって、日常生活において肉眼でハッキリと見えるような物体には、不確定性原理の効果は現れません。当然ながら、野球のボールを完全静止(運動量の不確定性さがゼロ)させることは容易に可能です。
不確定性原理の効果がまともに現れる量子が、絶対ゼロ度の完全真空内に置かれた場合にはどうなるのでしょうか? 量子は、絶対ゼロ度であっても完全静止することはありません。ならば、一定速度で動き続けるのかというと、それも違います。「一定速度」もまた確定した速度ですから、一定速度の運動量に不確定性さ(あやふやさ)が入り込む余地はないからです。
したがって、絶対ゼロ度における量子の速度にムラがあり、速度はときに大きくなったり小さくなったり、あるいは一時的に停止したりするような運動をしています。このような運動の代表例が「振動」です。つまり量子は、絶対ゼロ度においても永久に振動を続けており、これが「ゼロ点振動」の正体なのです。
あらゆる量子の行動を律する不確定性原理の効果によって、絶対ゼロ度(つまり熱の存在しない)環境下でも、永遠に止められぬ振動を続ける粒子たちーーゼロ点振動が描き出す量子の姿は、少しうら寂しいものかもしれません。
しかし、このゼロ点振動こそ、真空をざわめかせる賑やかな存在なのです。ここに、アインシュタインの最も有名な数式であるE=mc2をどうしても登場させなければなりません。この式は、質量mキログラムの物質は100%エネルギーに変換されうることを示し、同時に、純粋なエネルギー(たとえば電磁波エネルギー)は100%物質(質量)に変換されうることを示しています。
原子爆弾のエネルギーは、ウランやプルトニウムといった物質の質量の一部が100%熱や光線、爆風や放射線などのエネルギーに変換されたものです。そのエネルギーのすさまじさは悲しい歴史が証明しているとおりですが、他方、そのまったく逆の現象として「電子対創生」があります(図2−1、下図を参照)。
光子は質量も電荷ももっていませんが、エネルギーと運動量をもっています。つまり光子は、物質粒子ではないけれどもエネルギーの塊のような存在なのです。前述のとおり、光子1個のもつエネルギーはhνで表され、光(電磁波)の振動数νに比例します。電磁波の一つに、振動数の非常に高い(νの値が大きい)「ガンマ線」があります。電磁波である以上、ガンマ線も粒子(光子)としてふるまうことがあり、特に「ガンマ光子」と呼ばれます。振動数が高いということは、個々のガンマ光子のエネルギーが大きいことを意味します。
ガンマ光子は、E=mc2を通して質量をもつ物質粒子に変換されます。エネルギーの大きなガンマ光子1個が原子核の近傍を通過する際、光子は跡形もなく完全に消滅して、そこに質量をもつ「電子ー陽電子」対が現れます(図2−1、下図を参照)。質量のない光子が質量をもつ物質粒子に変わるのです。この現象が起こるためには、光子は最低限、電子と陽電子の質量を作り出す程度のエネルギーをもっていなければなりません。私たちの目に感じる範囲の可視光線程度では、エネルギーが小さすぎて電子対創生は発生しないのです。
電子対創生は、物質ではない光子のもつエネルギーがE=mc2を通して物質化し、二つの物質粒子に変化したことを意味しています。原子爆弾は「物質のエネルギー化」ですが、電子対創生はその逆の「エネルギー(光)の物質化」なのです。
ここで大いに注意しなければならないことは、原子爆弾に代表される物質のエネルギー化も、電子対創生に代表されるエネルギーの物質化も、すべて「実粒子」に対するものであって、仮想粒子に対するものではないということです。したがって、エネルギーは完全に保存されています。
ところで、E=mc2の中のcは「光速度」を表しています。しかし、E=mc2中ではcは2乗されており、その値は、式2−2に示すようにとてつもなく大きな値になります。エネルギーは質量の1017となって現れるというのですから、ほんの少しの質量がエネルギーに変換されただけで、大きなエネルギーとなって現れることを意味しています。だからこそ、たった1発の原子爆弾が瞬時に大都市を壊滅させることができるほどのエネルギーを生み出すのです。
E=mc2という式からは、質量mキログラムの粒子がじっと静止していてもエネルギーを秘めていることが示されています。これを「静止エネルギー」といいます。エネルギーを測定するには、それ相応の時間がかかります。より正確にエネルギーを測定しようと思えば、それだけ長く時間を費やさなければなりません。つまり、エネルギーをどれだけ正確に測定できるかは、「測定時間の長さ」に関係しています。測定時間が短いほどエネルギーの値はあやふやになり、長いほどエネルギーはより確定値に近づきます。
すなわち、「エネルギーの不確定性さ」と「測定時間の長さ」はお互いに反比例し、ここにエネルギーと時間の間に成り立つ、第二の「不確定性原理」が登場するのです。
量子力学では、エネルギーや運動量などの「物理量」は数学的な「演算子」として表すことができます。ところが、「時間」には形も重さも色も大きさもないため、「時間」を見ることはできず、物理量とは見なされません。時間は「概念量」ということになります。この世からすべての時間を取り去って、時刻を指し示すものが一切なくなっても時間は存在します。したがって、時間は演算子に置き換えることはできないのです。
さらに、「時間間隔」には(「時間」ではなく!)、少なくとも原理的には何のあやふやさもありません。現在のナノテクノロジーを使えば、時間間隔は相当正確に測定できます。ですから、この本では便宜上、「時間の不確定性さ」ではなく単に「時間間隔」と呼ぶことにします。すると「エネルギー」と「時間」の間の不確定性原理は次のように表されます。
「エネルギーの不確定性さ」 × 「時間間隔」 = h
もうおなじみの右辺のhは、もちろんプランクの定数で一定値です。
「エネルギーの不確定性さ」(エネルギーの値のあやふやさ)とは、エネルギーの値が正確な一定値には定まらず、ある幅をもつということです。エネルギーの単位は「ジュール」ですので、たとえば不確定の幅が5ジュールだとすると、エネルギーの値が100〜105ジュールの間にある、あるいは0〜5ジュールの間にあることを意味します。
しかし、不確定性原理によって、「エネルギーの不確定性さ」(エネルギーの取りうる値の幅)と「時間間隔」は互いに反比例する関係にあります。時間間隔が長いほどエネルギーの値の幅が狭くなり、不確定性さが小さくなってより正確なエネルギー値が近づきます。逆に時間間隔が短くなると、エネルギー値の幅が大きくなってエネルギーの不確定性さがより大きくなり、エネルギーの値がますますあやふやになってしまいます。
そこでいま、エネルギーのあやふやさの度合い、すなわちエネルギー幅をΔEと書きます。たとえば、エネルギー幅の最低値が0で、最高値がEである場合のエネルギー幅(ΔE)は、ΔE=E-0と書け、ΔE=Eとなって、エネルギー幅の最高値そのものがエネルギーの不確定性さになります。
エネルギーの値が定まらず、幅があるということ、「不確定性原理」が許す範囲内でエネルギーが保存されないことを意味します。不確定性原理に従う「時間間隔」内ではエネルギーが保存されず、エネルギーはその最低値0から最高値Eの幅に収まるどんな値でも取りうるということです。ここに「発生源のないエネルギー」が存在しうる秘密が隠されています。
時間間隔が短いほどエネルギー幅は大きくなり、取りうるエネルギーの最高値Eも大きくなります。逆に、時間間隔が長くなるほどエネルギー幅は小さくなり、取りうるエネルギーの最高値Eは小さくなります。
「不確定性原理に従う『時間間隔』内であれば、どんな値のエネルギーも現れる」ということは、その時間間隔内であれば「無」、すなわち完全なる真空からのエネルギーが放出されることを意味します。無(真空)からエネルギーが生じることは、完全に「エネルギー保存の法則」に違反しますが、不確定性原理が許す時間間隔内ではエネルギー保存の法則を破って無からエネルギーが生じうるのです。
E=mc2によれば、エネルギーEは質量mに等価(すなわち、エネルギーは物質化する)ですから、真空から出たエネルギーは「質量をもつ粒子」に置き換えられることになります。つまり、真空から粒子が“湧き出る”のです。しかし、真空から湧き出た粒子が“生存”できるのは、不確定性原理によって許されるごくわずかな時間間隔の間だけですから、たちどころに元の真空に戻って消滅してしまいます。
第1章で、「真空はお金がなくとも、きわめて短期間だけお金を貸す銀行のような存在」だとご紹介しました。そのたとえでいえば、「きわめて短期間」の“返済猶予”が、不確定性原理が許す時間間隔内ということなのです。その返済猶予の間だけ、粒子は真空から“湧き出る”のですが、きわめて短い期限のうちにエネルギーを真空に返さねばならないために、あっという間に消滅してしまいます。不確定性原理に従って、真空は時間間隔が短いほど大きなエネルギーを貸してくれるので、超短時間の時間間隔なら質量の大きな(重い)粒子が湧き出ます。逆に、時間間隔が長くなるほど、真空から湧き出る粒子の質量は小さい(軽い)のです。
ところがです! すでに紹介したように、光子はエネルギーはもっていますが、質量をもっていません。電磁波が粒子化(量子化)した姿である光子に対しては、E=mc2が成り立たないのです。このため、質量をもつ粒子に比べ、光子は真空から飛び出しやすいのですが、不確定性原理の許す時間間隔内にふたたび真空に戻り、消滅してしまう点では変わりません。『真空のからくり』 第2章 より 山田克哉:著 講談社:刊

逆に、測定時間を短くすると、エネルギーの測定値は不正確になります。
測定時間とエネルギーは、同時に正確には測れないという「不確定性原理」から生じるエネルギーの揺らぎ。
これが真空が無から有を生み出す“からくり”の秘密だったのですね。
「4つの“自然の力”」とは?
真空にも「構造」があります。
その構造ゆえに、真空はざわめき、ゆらぎます。
山田さんは、真空に二つの粒子が“ある距離”を隔てて存在するとき、両者に一切の物理接触はなくとも、「力」が伝わっていく「相互作用」が起こ
ると指摘します(下の図4−1を参照)。

「相互作用」とは、少なくとも二つの粒子の間に力が働くことによって起こる物理現象です。便宜上、二つの粒子だけを考えて相互作用について議論しています。
最も簡単でなじみのある2粒子間の相互作用は、電荷をもつ二つの粒子の間に働く電気力でしょう。たとえば、二つの電子は接触していなくても、互いに相手の電子から真空を通して電気力を受けます。電子はマイナスの電荷を有しているので、二つの電子は接触していなくとも相手の電子から電気反発力を受けて、互いに退け合います。そのまま放っておくと、二つの電子はどんどん離れていってしまいます。
動いている電荷は、電気力のみならず磁力も生み出します。水素原子内の電子は、動いているために電気力だけでなく、磁力も受けています。電気力と磁力は総称して「電磁力」と呼ばれていますので、以後「電荷」に基づく力はすべて「電磁力」と記します。電磁力を通して起こる相互作用は「電磁相互作用」と呼ばれています。
ここで重要なのは、まさに電荷がそうであるように、相互作用を引き起こす力の源は粒子自身に存在するということです。このような力は、人為的な力とはまったく関係ありません。もともとこの自然界に存在している力なので、“自然の力”と呼ぶことにしましょう。自然の力には、力の強さの順に、①強い力、②電磁力、③弱い力、④重力の四つが存在します。重力が最も弱いのですが、ここでは素粒子レベルの重力を指していることに注意してください。
これら四つの力は、すべて何らの接触なしで相互作用を行います。アイザック・ニュートン(1642〜1727)の定義では、「力」とは物体を加速させる能力のことでした。しかし、素粒子のレベルでは、「力」とは相互作用を引き起こす原因であるといえましょう。
ここで77ページ図2−5(上図を参照)に示した原子と原子核の構造に戻ります。私たちが観測できるすべての物質は、膨大な数の原子の寄り集まりでできています。三つのクォークが集まって陽子や中性子を構成しますが、グルーオンという質量をもたない粒子の働きによってクォークによってクォーク間に引力が働き、陽子や中性子の構造が保たれています。グルーオンの働きによる引力は「強い力」と呼ばれ、この強い力によってクォーク間に「強い相互作用」が発生する結果、陽子は陽子としての、中性子は中性子としての存在が可能になるのです。
陽子や中性子(中性子同士や陽子同士も含む)の間には、湯川博士によって解明された「核力」という引力が働いており、その力によって陽子や中性子は強く結びつけられて原子核を形成します。その後の研究によって、「核力」はクォーク間に働く「強い力」の二次的な表れであることがわかっています。陽子や中性子を結びつける「核力」が及ぶ空間的な範囲はきわめて狭く、事実上、核力が原子核の外側まで及ぶことはありません。
一方、電磁力の及ぶ範囲は核力に比べてずっと広く、実に無限大の距離まで働きます。プラスに帯電した陽子のために全体として電気的にプラスになっている原子核と、マイナス電荷をもつ電子とが、「電気引力」によって強く結びつけられ、決して離れることがないのはこのためです。
結局、原子を構成する基本粒子の間に「強い相互作用」と「電磁相互作用」がつねに働いていることで、原子はその構造を保っていることになります。二つのクォークの間に作用する「強い力」には、クォーク間の距離が短いほど(接近するほど)弱く、逆に距離が大きいほど(離れれば離れるほど)かえって強くなる奇妙な性質が備わっています。考えうるクォーク間の最大の距離は10-15メートルで、このときの強い力を考えてみましょう。いったいどのくらいの強さなのでしょうか?
今、1立方メートル(1m×1m×1m=1m3)の体積をもつ、壁の厚さゼロの容器を想定し、この容器のみの重さはゼロであると仮定します(図4−2、下図を参照)。この容器を純粋な水で満杯にすると、体積1立方メートルの水の質量はちょうど1000キログラム(1トン)になります。最重量級の重量挙げの選手でも、世界記録は300キログラムに達していませんから、1トンの水が入ったこの容器はとうてい持ち上げることができません。
ところが! 先ほどの強い力の最大値(二つのクォーク間の距離が10-15メートルのときに働く力)を計算してみると、この1トンの水を持ち上げるのに必要な力に匹敵する大きさなのです。クォーク同士を結びつけている強い力はかくも強く、文字どおり「強い力」なのです。大きさをもたない点粒子であるクォークが作り出す力の巨大さに驚くとともに、その力を伝える真空の構造のふしぎさにますます興味がわいてきませんか?「強い力」の強力な引力によってその構造を保っている陽子や中性子(総称して核子)ですが、ときにその姿を変えて、原子核の「崩壊」現象を起こすものがあります。しかも、崩壊という何だかすごそうな名前の現象を起こすのが「弱い力」だというのです。いったい何が生じるのでしょうか?
原子核が崩壊を起こすと、崩壊後の原子は別種の原子に変わってしまいます。原子の種類が変わるということは、原子核を構成している陽子の数に変化が現れることを意味します(原子核内の陽子の数が原子の種類を決定しているからです)。原子核が崩壊する最、その原子核からは「放射線」が放出されます。原子核の崩壊にはいくつかの種類がありますが、ここでは「ベータ崩壊」という現象を例に考えてみましょう。
ベータ崩壊を起こすと、原子核内の一つの中性子が陽子に変容し、その結果、中性子が一つ減って陽子が一つ増えることになります。このとき、電子と「反ニュートリノ」(後出するニュートリノの反粒子です)が放出されます(原子核の中には電子も反ニュートリノも入っていませんから、これら飛び出していく両者は原子核が崩壊する際に創生されるのです!)。原子核から放出された電子や反ニュートリノは、放射線を形成する粒子です。
このように、原子核がベータ崩壊を引き起こす力は「弱い力」と呼ばれています。「弱い力」も強い力と同様、原子核の内部にしか存在しません。原子核がベータ崩壊を起こすと、原子核内の一つの中性子が陽子に変わるのですが、こうしてみると「弱い力」というのは粒子同士を結びつける力というよりも粒子の種類を変えてしまう力ということになります。
「弱い力」を通して起こる原子核のベータ崩壊は「弱い相互作用」と呼ばれます。つまり、放射性物質を構成する核から放射線が出るのは、原子核内で起こる「弱い相互作用」です。この「弱い相互作用」とヒッグス場との間のからくりを解き明かすことが本書の主題の一つですので、「弱い相互作用」については、のちほどもっと深く掘り下げて議論していきます。四つの“自然の力”の中で、最も弱いのが重力です。
素粒子とは桁違いにスケールの大きい太陽系や銀河など、現在の宇宙は「重力による相互作用」によって成り立っています。この重力には、電磁力とは違って引力のみで、反発力がないという特徴があります。その観点から話題になっている「暗黒エネルギー」について、簡単にご紹介しておきましょう。
現在の宇宙は加速膨張していることが判明しており、引力しかもたない重力以外の力、つまり、重力に逆らって宇宙を膨らませている何らかの力(反発力)が作用しているはずです。これが「暗黒エネルギー」ですが、その正体はまだわかっていません(だから“暗黒”なのです)。
ただし、“有力候補”は存在します。今や私たちになじみの深い存在となった本書の主人公「真空のエネルギー」です。たとえば風船を膨らませるのならば、風船の中に空気を送り込めばいいのですが、空気の存在しない真空空間である宇宙を膨張させるのに空気に頼るわけにはいきません。実は、「宇宙が膨張する」という際には、宇宙そのもの、すなわち真空そのものが膨張しているのです(その意味では、「宇宙の膨張」より「空間の膨張」のほうが正確な表現です)。
真空そのものが膨張しているということは、真空自身が新しい空間=「真空」を次々と創り出していることになります。実際、現在の宇宙論によれば、宇宙全体の真空のエネルギーはどんどん増加しています(エネルギー密度は一定に保たれています)。この真空のエネルギー=暗黒エネルギーならば話は早いのですが、現時点でははっきりしたことはいえません。
そこには、現在の物理学が直面している最大の問題の一つが横たわっているからです。この本で議論している「真空のエネルギー」は「場の量子論」に基づいており、場の量子論は量子力学と特殊相対性理論との組み合わせで成り立っています。一方、宇宙の構造に関して重要な役割をはたしている「重力」は「一般相対性理論」によって説明されています。
宇宙膨張の原因となる「暗黒エネルギー」を語るにあたっては、重力の理論が無視できないのですが、「真空のエネルギー」の理論には、まだ重力が含まれていないのです。「真空のエネルギー」と「暗黒エネルギー」を結びつけるためには、「量子重力理論」と呼ばれる重力の理論が欠かせませんが、残念ながらこの理論はまだ確立されていません。謎に満ちた者同士である二つのエネルギーの関係が解き明かされる日が楽しみですね。
さて、この宇宙にはさらに、普通の原子ではなく未知の物質からできている「暗黒物質」も存在しています。暗黒物質は光(電磁波)を発することも反射することもしないため、望遠鏡での直接観測は100%不可能ですが、質量をもっていることから重力相互作用を起こします。暗黒物質による重力相互作用が銀河の形成に大きく関わっていることがわかっていますが、暗黒エネルギー同様、暗黒物質の正体もわかっていません(両者の関連性もまだわからない状況です)。
現時点で判明しているのは、宇宙の“成分”の72%を暗黒エネルギーが占め、23%が暗黒物質、原子からできている普通の物質はわずか4.6%で、残る0.4%がニュートリノであるということです。『真空のからくり』 第4章 より 山田克哉:著 講談社:刊

自然界に存在する、この4つの力は、真空においても働きます。
これらの力が、真空から仮想粒子を生み出す原因になります。
「力が真空を伝わる」とは、どういうことか?
山田さんは、相互作用を引き起こす力の源は粒子自身に存在する
と指摘します。
粒子自身に存在する力の源
のことを、「荷(か)」と呼びます。
山田さんは、この「荷」こそが、粒子自身に備わった力の源
だと指摘します。
力の種類によって「荷」も異なります。電磁力を生み出す「荷」は「電荷」です。強い力を生み出すのは「色荷(しきか)」で、弱い力は「弱荷(じゃくか)」から発生します。その伝で、重力を生み出すのは「重力荷」・・・・・といいたいところですが、“重力荷”に相当するのは「質量」です。重力は質量から生み出されます。
こうして「荷」から生み出される力が、どのようにして真空を通して伝わっていくのでしょうか? ここに「場」の概念が登場します。力の元となる「荷」は、その粒子の周囲の真空に「力の場」を発生させるのです。「荷」によって発生した「場」は、真空の各点を占めます。「力を伝える場」は物体ではありませんから、場があっても真空は相変わらず真空です。
この「場」こそが、力そのものといえます。力は必ず方向をもっているので、場も方向をもっています。したがって「場」には、「強さ」の他に方向もあります(「ベクトル場」といいます)。二つの粒子の相互作用を考えるとき、それぞれの粒子はその周囲の空間に「場」を作り出し、この場が粒子と作用して粒子に力を及ぼすのです。相互作用する二つの粒子の一つ一つは、互いに相手の作った場にどっぷりと浸かっていて、相手の作った場から力を受け取っています。
力の種類に対応して、それぞれの「場」が存在します。電荷をもつ粒子はその周囲に「電磁場」を作り出します。クォークから構成されている陽子や中性子の内部では、「強い力の場」が発生しています。各クォークには、他のクォークのもつ「色荷」が空間に作り出した「強い力の場」が作用して力が働くのです。
放射性元素の原子核が放射線を出して崩壊する際には、「弱い力の場」を通して弱い力が伝わります。原子の構成要素である電子とクォークは、すべて弱荷をもっています(クォークは、電荷と色荷ももっています)。
物体のもつ質量は、その周囲の空間(真空)に「重力場」を作り出します。重力は「重力場」を通して真空を伝わります。たとえば太陽系では、太陽や惑星のもつ質量が、それらの周囲の空間に重力場を作り出しています。太陽系全体は目に見えない重力場に埋め尽くされており、その重力場が太陽、および地球を含むその他の惑星を、今いる空間内に“押し込めて”いるために、どの惑星も太陽系から逃げ去ることができないのです。粒子が「荷」を備えていて、その「荷」が「場」を生み出す。そしてその「場」を通して、力は真空を伝わっていくーー。ならば、「場」の本質とは何なのか? 多くの読者の方が、このような疑問を感じていらっしゃることと思います。まったく奇妙なことですが、この「場」が再度、粒子へと置き換えられるというのです。まるで“メビウスの環(わ)”のような果てしない円環構造が待ち受けているのでしょうか?
量子力学の台頭からほどなくして、「場の量子論」が誕生しました。最初に現れたのが、朝永振一郎博士(1906〜79)らによって築き上げられた「量子電気力学」です。量子電気力学は、電磁相互作用と相対論的量子力学を結びつけたものです。場の量子論においては、「力の場」は「ゲージ場」と呼ばれ、ゲージ場はすべて「ゲージ粒子」と呼ばれる粒子に置き換えられます。
ふたたび、二つの粒子の間の相互作用を考えましょう。それぞれの粒子が周囲の空間に「場」を作りますが、場の量子論によれば、このとき、どちらの粒子からも「力を伝達する粒子」が飛び出します。この力を伝達する粒子が「ゲージ粒子」です。
つまり、粒子のまわりにはその粒子によってゲージ場(力の場)が発生しますが、その場は「ゲージ粒子」に置き換えられるのです。場の量子論に従えば、それぞれの粒子から飛び出たゲージ粒子が二つの粒子の間で交換されることよって相互作用が起こるということなのです。相互作用にあずかる“粒子”はいずれも何らかの「荷」をもっていますが、その“荷”からゲージ粒子が発生したり吸収・消滅したりするのです。
ここでは、素粒子間の相互作用を考えます。素粒子とは、内部構造をもたない“点”のような粒子です。したがって、二つの粒子A、Bはそれぞれ「荷」をもっていても、“ゲージ粒子”なる粒子は粒子A、Bいずれの中にも存在していません! ゲージ粒子はあらかじめ存在するのではなく、二つの粒子A、Bから生成されたり消滅したりするのです(図4−3、下図を参照)。
たとえば、粒子A、Bが電子のような荷電粒子の場合には、光子というゲージ粒子(そう、光子もゲージ粒子なのです!)が二つの電荷の間を“往来”することで「電磁力」が“運搬”されます。「強い力」の場に対応するゲージ粒子はグルーオンで、「弱い力」を運ぶゲージ粒子にはW+ボゾンとW-ボソンの3種類があります。「重力」を運ぶゲージ粒子は「重力子」です。ゲージ粒子の交換を具体的にイメージしていただくために、二人の少年がキャッチボールするようすにたとえてみましょう。まず、ボールをもっているA君がB君に向かってボールを投げます。投げる瞬間、その反動によってA君は後ろ向きに力を受けます。A君からのボールを受け取ったB君もまた、受け取った瞬間に後ろ向きに力を受けます。B君がA君にボールを投げ返すときも反動による力を受け、そのボールをA君が受け取るときも後ろ向きに力を受けます。
ボールをお互いに投げ合うことによって二人の少年が“反発力”を受け、相互作用しているようすを、ある観測者がヘリコプターに乗って上空から眺めているとしましょう。高度が高いため、ヘリコプターからはボールは見えません。ヘリコプター上の観測者には、二人の少年の間に空間を通して(物理的接触なしに)反発力が働いているようすだけが見えることになります。
ここで最も重要なことは、それぞれの少年が力を感ずるのは、ボールを投げた瞬間とボールをキャッチした瞬間だけだということです。ボールが空間を飛んでいる最中は、二人の少年が力を感じることはありません。
ゲージ粒子の交換でも、まったく同じことがいえます。相互作用している粒子が力を感ずるのは、ゲージ粒子が発生した瞬間とゲージ粒子を吸収した瞬間だけなのです。ただし、キャッチボールのたとえとは、根本的に異なる点が存在します。それは、キャッチボールに使われるボールは「創生」されたわけではなく、初めから存在していたものであるということです。ボールには、「創生」も「消滅」も起こりえません。一方のゲージ粒子は、「創生」されたり「消滅」したりします。
結論としていえることは、「粒子間」の相互作用は、いずれもゲージ粒子の交換によって生ずるものであるということです。力を運ぶゲージ粒子は相互作用する二つの素粒子から「創生」または「吸収・消滅」されるので、あたかも交換されているように見えるというわけです。
ところで、「創生」あるいは「吸収・消滅」と聞いてピンと来た人は、もうかなり「真空のからくり」に精通しています! 実はゲージ粒子は、「不確定性原理」によって許される時間内のみ存在できる、観測不可能なあの粒子、すなわち「仮想粒子」なのです。すべてのゲージ粒子は仮想粒子であり、見方を変えれば、粒子から発生したたくさんの仮想粒子(ゲージ粒子)が「場」(ゲージ場)を形成しているともいえます。
一方、仮想粒子(ゲージ粒子)を放出したり吸収したりする側の粒子(図4−3でいえば粒子A、B)は、「フェルミ粒子」と呼ばれています。フェルミ粒子には、電子やクォーク、ニュートリノ、陽子や中性子が含まれ、物質を構成している粒子の一群です。
二つのフェルミ粒子の間で相互作用が発生する(=力が働く)とは、一方のフェルミ粒子から仮想粒子(ゲージ粒子)が発生(生成)し、その仮想粒子がきわめて短時間のうちにもう一方のフェルミ粒子に吸収(消滅)され、これとまったく同じことが逆の方向にも起こることです。一連の流れをまとめておきましょう。
真空→力の場→ゲージ場→ゲージ粒子の交換→相互作用
問題は、二つのフェルミ粒子が真空を通して相互作用している間、私たちは決してそのようすを観測することはできないということです。絶対に観測できない現象について、何が起きているのかを知るためには「数学的な手段」に訴えるしかありません。そのようにしてできあがったのが「場の量子論」であり、この理論の追究の結果、相互作用は仮想粒子の交換によって生じているという結論に達したのです。
不確定性原理に従う仮想粒子は、十分なエネルギーがなくとも一つの粒子から発生してもう一つの粒子に吸収(消滅)され、この間、エネルギーは保存されていません。エネルギー保存の法則が破られる結果、ゲージ粒子(仮想粒子)の質量が相互作用する粒子自身の質量よりもはるかに大きい場合がありえます。ただし、相互作用全体で見ると、エネルギーは確実に保存されています。
相互作用における仮想粒子の出現は、数学的解析の結果を物理的に解釈したものであるといえ、こうして見てくると、現在の理論物理学の主体は「相互作用の研究」といってもよいのではないかと思います。真空を通して行われる相互作用=ゲージ粒子の交換は、仮想粒子による瞬時の現象ですから、決して観測することはかないません。この観測不可能な現象のプロセスをきわめてわかりやすく図式化できる手段として、「ファインマン図」をご紹介しましょう。
84ページで登場したリチャード・ファインマンの構想によるファインマン図は、“時空”に描かれた図です。3次元の空間はx軸、y軸、z軸の三つの直交する座標系(空間軸)で表され、ファインマン図は本来、これに時間軸(t)をかわえた「4次元時空」(x、y、z、t)で構成されます。ただし、ここで議論しているような粒子の位置を表すには、x軸上のどの点にあるかだけを考えれば十分です。本書では、図4−4(下図を参照)に示すような縦軸に時間t、横軸に位置xをとったファインマン図を使用することにします。
さて、粒子が1カ所に静止してまったく運動していなくても、時間は静止することなくどんどん過ぎ去っていきます(私たち人間も、じっとしていても年をとります!)。したがって、静止している粒子のファインマン図は時間軸(縦軸)に平行な1本の縦線で現されます(図4−4左、下図を参照)。
また、一定速度で平面上(x軸上)を動いている粒子は、粒子の位置と時間が同時に増えていくので図4−4右(下図を参照)のようなファインマン図になります。直線の勾配の逆数(1/勾配)はスピードを表し、勾配(傾き)が小さいほどスピードは大きくなります。
ところで、二つの粒子がx軸上を反対方向に一定スピードで互いに近づくように走り、正面衝突して相手を突き飛ばした結果、互いに反対方向に衝突前と同じスピードで走り去る衝突現象を考えてみましょう。衝突現象を真上から観測すると、図4−5(下図を参照)のように表されますね。ファインマン図では、図4−6(下図を参照)のように描けます。
図4−5(下図を参照)と見比べると、実際の衝突現象とはずいぶん印象が変わってしまいます。これからわかるように、ファインマン図は実際に目に映る衝突現象をそのままトレースしたものではありません。ファインマン図では時間が下から上に向かって流れていますから、時間が経つにつれて二つの粒子がどんどん近づいていき、ある時刻(図4−6中のtc)において衝突し、その後は時間が経過するほど互いに離れていきます。
ファインマン図の利点は、時間軸が存在するおかげで、瞬間瞬間における個々の粒子の位置が克明にわかることです。つまり、二つの粒子の過去の状態(図の下に描かれる)、現在の状態、そして未来(図の上側に描かれる)がすべてわかります。
一方、一定速度で走る「反粒子」の運動状態をファインマン図で表すと、図4−7(下図を参照)のようになります。あれっ、先程の説明とは反対に、矢印が下側に向いていますね。現在から過去に向かって粒子が走っている?
「反粒子」という“概念”はもともと、「相対性理論」にマッチした量子力学を築き上げる際に必然的に出てきたものです。相対性理論によれば、まったく同じ粒子でもプラスのエネルギーをもつ状態とマイナスのエネルギーをもつ状態が考えられ、前者が通常の粒子、後者がその粒子の反粒子になります。このため、反粒子は、元の粒子とは電荷の符号が逆になっています。
マイナスの電荷をもつ電子の反粒子=「陽電子」の電荷はプラスです。「陽電子」は宇宙船の中で実際に観測されており、その他すべての反粒子も、架空の粒子ではなく実在可能な粒子であることが実験的に確かめられています。
さて、反粒子はなぜ、ファンインマン図上で時間を逆行するのでしょうか?
後出するディラックの相対論的量子力学で、プラスのエネルギーをもつ電子(普通の電子)とマイナスのエネルギーをもつ電子を含んでいます。マイナスのエネルギーをもつ電子は時間を逆行し、未来から過去に向かうのです(未来→現在→過去)。このような電子が反電子に相当するのですが、ファインマンはマイナスのエネルギーをもつプラスの電荷をもつ電子(つまり陽電子)が時間を順行(過去→現在→未来)するのと同じであるという結論を得たのです。
このファインマンのアイデアでは、普通の電子も反電子である陽電子も、ともに時間を順行することになります。ファインマン図においては、すべての反粒子(ここでは陽電子)は「反粒子」であることを強調するために時間を逆行するように描かれているのです。そうすることで、「粒子」の運動と「反粒子」の運動がハッキリと区別できるからです。いずれにしても、ファインマン図では素粒子は“点”で表されるのではなく、“線”で表されることに留意してください。『真空のからくり』 第4章 より 山田克哉:著 講談社:刊





ゲージ粒子は「仮想粒子」であり、「粒子」と「反粒子」が対となって発生する。
その粒子と反粒子が「創生」し、「吸収(消滅)」することで、相互作用が起こる。
これが真空で力が伝わる“からくり”です。
決して目には見えない事象ですが、「ファインマン図」で考えるとわかりやすいですね。
「ゲージ対称性」とは何か?
真空に生じる「場」を理解するうえできわめて重要なポイントの一つ。
それは、力を運搬する粒子は質量をもっていない
ということです。
「ゲージ粒子」と「質量」をめぐる謎を解き明かしていくにあたって不可欠な存在が「ゲージ対称性」と呼ばれる概念です。
山田さんは、このゲージ対称性を以下のように解説しています。
ここで一つの「系」について考えてます。系とは、物理的組織システムを意味します。一つの系を対象にする場合、その系は外部との接触ややり取りがまったくなく、外部から完全に隔離されているものと考えます。たとえば、原子そのものを対象とする場合、単独の隔離された原子を考え、その原子が「系」となります。半導体の実験装置でいえば、電源を含めた装置全体も一つの「系」です。
それぞれの系で生じる物理現象は、系の環境下における「物理法則」に従います。いま、一つの「系」に何らかの物理操作(たとえば回転)を施して、変化を与えてみることにします。物理操作(変化)を与えたにもかかわらず、その系に対応する物理法則にまったく変化が現れない場合、それの物理法則は与えられた変化に対して「対称」(シンメトリー)であるといいます。その物理法則は、「系」に施した変化に対して「不変」であり、物理法則が不変性を保つことを「物理法則は対称性を維持する」と表現するのです。
たとえば、ある方程式で表された物理法則は、時間が経過しても何の変化も生じません。物理法則は時間変化に対して不変であり、「時間変換に対して対称である」といいます。本書でも重要な役割をはたしているE=mc2がまざまざと証明しているように、一つの物理法則は100年前も現在も、そして100年後も変化しません。そして、「時間変換に対して対称である」ことの背景には「エネルギーが保存される」ことが含まれています。「保存される」とは、一定のままで変化しないということです。
また、ある物理法則に従う粒子の運動を扱う実験装置を、直線的に一定速度で動かして場所を変えても、その装置が従う物理法則はまったく変わりません。実験結果は場所を変えても同じです。この場合、物理法則は場所を変えても不変であり、「物理法則は場所の変換に対して対称である」といいます。この対称性の背後には「運動量保存の法則」が含まれています。
このように、「対称性」の陰では、必ずある物理量が保存されています。ドイツの女性数学者、エミー・ネーター(1882〜1935)によって発見されたこの関係は、「ネーターの定理」として知られています。この対称性の概念を、真空における重要な「系」である「力の場」、すなわちゲージ場に適用して考えてみましょう。
たとえば、電磁場(電磁力を伝える力の場)の存在する空間に電子を“ポン”と置くと、電子はすぐにその電磁場と作用して力を受け、電磁場と作用して力を受け、電磁場の方向に加速されます。実は、これは古典的な考え方です。「場」というものをまったく考えずに電子を波(電子波)として考え、その波の位相(波のズレ角度)を空間の「各点」で「別々の時間」に勝手に変えてしまっても、その電子波が従う物理法則をまったく同じにするーーつまり、対称性を保つーーためには、その空間に電磁場(ゲージ場)を導入せざるを得なくなるのです。
ここが重要なポイントですが、場(ゲージ場)は、理論的には初めからそこに存在しているのではなく、対称性を維持するために後から出てきた概念なのです。そのようなゲージ場を考察する理論を「ゲージ場理論」と呼びます。「ゲージ」とは、物を測る際に基準となる何らかの“ものさし”のことですが、ここでは、説明を簡素化するために“ゲージ”そのものは使わずに説明します。
まん円(まる)い巨大な紙を、その中心軸に対してどんな角度で回転しても(その角度が大きくても小さくても)、紙の形はまったく変わりません。なぜなら、円い紙上の各点(すべての点)がまったく同じ角度で回転するからです。この場合、この円い紙は「グローバルな回転」に対して対称であるといいます。「グローバル」とは、部分ごとに違った変化をするのではなく、「系」全体の各点をまったく同時に、まったく同じ量だけ変化させることを意味しています。
「対称」とは、ある系に対して何らかの物理操作を施した際に、操作の前後で何の変化も現れず、前後の系にいっさい区別がつかない状態を指します。先ほどのまん円い紙を回転させる例では、きれいに対称性が保たれているように思われますが、一つ重大な問題をはらんでいます。
それは、「何事も、伝播するのに決して光速度(有限速度)を超えない」という相対性理論の要求を満たしていないことです。グローバルな変化では、一つの点から遠く離れた点まで時間を隔てずに一挙に変化が伝わってしまうことになるからです。この不都合を解消するためには、紙の「各点」で「別々の時間」に「それぞれ違った角度」て回転するようにする他ありません。つまり、紙上の小さな各部分を破れないようにして、それぞれ違った角度で少しずつ回転してみるわけです。
全体に一挙に変化を加えた先ほどの「グローバルな回転」に対して、このような操作を「局所的(ローカル)な回転」と呼びます。各部分の回転角度が異なるのですから、紙の形は「いびつ」になってしまい、もはや元の円形を保てません。つまり、紙は対称性を失います。
対称性を失った紙は、しわくちゃになっていることでしょう。そこでこんどは、このしわを伸ばして、紙を元の円形に戻すことを考えます。みなさんならどうしますか? そう、しわになった紙の各部分(局所)に“新たな力”を加えて、しわを伸ばしてやりますよね。すべてのしわを伸ばし終われば、紙は元の円い形に戻ります。
「新たに加えられた力」の大きさは、紙の各部分、つまりしわの生じ具合によって異なります。しわくちゃになった各点それぞれに応じた力を導入すると元の円い形に戻り、紙は対称性を維持できます。先ほど「対称性を保つためには、その空間にゲージ場を導入せざるを得なくなる」といいました。もうおわかりかと思いますが、ここでしわを伸ばして紙を元の円い形に戻すために(つまり、対称性を維持するために)導入された力が「ゲージ場」に相当するのです。ゲージ場を導入することによって維持され対称性を「ゲージ対称性」と呼びます。ゲージ対称性が必要とされる理由を、もう少し詳しく探っていきましょう。
原子や分子、それらを構成するより小さな粒子の運動は、量子力学による波動方程式に支配されます。各粒子に対する波動方程式を解くと、その粒子に対応する数式で表された波、すなわち「波動関数」が得られます。この波は、普通の波と同じく時間と空間(位置)の変化に応じて形(位相)を変化させます。
量子力学によれば、運動量は波の波動に相当し、エネルギーは波の振動数に相当しますので、粒子に対応する波の位相は粒子のもつ運動量やエネルギーによって決定されます。「位相を変化させる」ことは、粒子の運動量やエネルギーを変化させることと同じです。
この波を、空間の各場所(実際には“時空”ごとに、波の「位相」を勝手に変化させます。場所と時間によって変える位相(ズレ)の大きさが異なるようにします。すなわち、「局所的(ローカル)な変換」を加えるわけです(グローバルな変換ではなく!)。局所的な変換を加えられることによって、波は当然ながら元の波動方程式を満足しなくなってしまいます。
これはたいへんな問題です。なぜなら、量子の運動を支配する波動方程式を満足しないということは、「自然の法則」に違反することになるからです! この非常に「困った」問題を解消するために、波の存在する空間の各場所、各時間でそれぞれに位相を変化させた分を打ち消すような何らかのものを導入しなければなりません。しわくちゃになった紙を元の円い形に戻す際に導入した力と同じようにーー。
そのようにして導入されたのが「ゲージ場」です。ゲージ場を導入することで、位相が変わってしまった波は再度、元の波動方程式を満足するようになり、元の物理法則も変化しないですみます。「変化しない」ということは、「対称性」が存在するということです。すなわち、位相の局所的な変換の前後で対称性を維持するために導入されたのが「ゲージ場」であり、このゲージ場を扱う理論が「ゲージ場理論」なのです。ゲージ場の概念は、粒子を粒子として扱うかぎり、まったく必要ありません。粒子を「波」として扱ったからこそ、ゲージ場理論が不可欠となったのです。
素粒子のふるまいはある物理法則に従い、その素粒子は波動関数で表されます。その波動関数に何らかの変化(この変化を「ゲージ変換」と呼びます)を与えても、変化した波動関数はやはり元の同じ物理法則に従わねばなりません(そうでなければ「自然の法則」を破ってしまう!)。その物理法則が不変であり続ける(対称性を維持する)ために、「ゲージ場」が導入されるのです。
このとき、「ゲージ変換に対して物理法則は対称である」といいます。ゲージ場が力を伝達する役目を担うわけですが、場の量子論に従えば、ゲージ場は量子化されて粒子としてふるまいます。「ゲージ粒子」です。ゲージ粒子はすべて「仮想粒子」です。粒子間に働く「力」は、実にこの「ゲージ対称性」によってすべて説明できることになります。つまり、ゲージ場理論は「ゲージ粒子」を生み出す理論であり、同時に「力の起源」を説明する理論であるといえましょう。力を伝達する粒子であるゲージ粒子の質量がゼロであるかぎり、電磁場も、これから説明する「強い力の場」も「弱い力の場」も、すべて「ゲージ場」となります。『真空のからくり』 第5章 より 山田克哉:著 講談社:刊
「ゲージ場理論」では、ゲージ場は無限空間にわたって現れ
ます。
なので、ゲージ粒子も、無限大の距離まで及ぶ必要があり、質量がゼロであることが求められます。
ところが、ある状況下では、ゲージ粒子が質量をもつことがあります。
これを「ゲージ対称性の破れ」と呼びます。
「弱い力」が「対称性の破れ」を起こす!
では、具体的に「対称性の破れ」とは、どのように起こるのでしょうか。
光子やグルーオンのようなフェルミ粒子に質量がないものと仮定すると、すべてのフェルミ粒子は光速度で真空を走りまわります。
そのとき、そのフェルミ粒子は、スピンの方向によって「右巻きのフェルミ粒子」(下の図5-13を参照)と「左巻きのフェルミ粒子」(図5-14を参照)の2種類に分類されます。

素粒子における右巻き/左巻きのことを、「素粒子のカイラリティ」といいます。素粒子のカイラリティは、スピンの回転方向と素粒子の運動方向に関係した物理量です。
今考えているフェルミ粒子は質量がないものとしているので、右巻きであろうと左巻きであろうとつねに光速度で走っています。相対性理論によれば、光速度以上の速度は存在しないわけですから、いかなる観測者もフェルミ粒子を追い越すことはできません。
質量のないフェルミ粒子は必ず「右巻き」か「左巻き」かのどちらかで、観測の仕方によって右巻きが左巻きに、あるいは左巻きが右巻きに変化するということは絶対に起こりません。右巻きはつねに右巻きで、左巻きはつねに左巻きです(少々ややこしい話ですが、「質量の起源」に関してきわめて重要なことを含んでいますので、しっかり頭に入れてください!)。質量ゼロの場合はカイラリティは変化しないため、「カイラル対称性」が保存されています。
173ページ図5−1(下図を参照)で示したように、クォーク・レベルではdクォークがW–ボゾンを放出し、そのW–ボソンは(W+ボゾンも)左巻きのクォークにしか作用しないのです(下図を参照)。
つまり、弱い相互作用は「左巻き」のフェルミ粒子だけを選り好みするのです。なぜそうなのかはわかっていません。したがって、201ページ図5−10(下図を参照)に示した3世代にわたって二重項を形成するすべてのクォークとレプトンは左巻きです。ただし、反粒子に対しては、弱い相互作用は右巻きの粒子にしか作用しません。
ここで一つ想像力を働かせてみましょう。弱い相互作用が起こるようすーーたとえば放射性物質から電子(左巻き)は反ニュートリノ(反粒子なので右巻き)が飛び出てくるようすーーを鏡に映すとどうなるでしょうか? 左巻きの電子は右巻きに、反粒子で右巻きの反ニュートリノが左巻きに変わるはずですね?
当然のように思えますが、よくよく考えるとこれは実に理不尽なことです。なぜなら、弱い相互作用は左巻きの電子と右巻きの反ニュートリノにしか作用しないからです。つまり、鏡に映し出された弱い相互作用は、現実には絶対に起こりえないのです!
問題はさらに続きます。現実的には、電子も反ニュートリノも質量をもっています。質量をもつ粒子の速度は、必ず光速度以下です。したがって、原理的には観測者は走っている粒子を追い越すことができます。その観測者の観点からは、右巻き粒子は左巻きに、左巻き粒子は右巻きに変わってしまうわけです。
すなわち、素粒子が質量をもつようになると、「カイラル対称性」が破れるからです。質量をもつフェルミ粒子は、観測の仕方いかんによっては右巻きが左巻きに、左巻きが右巻きに変わってしまう・・・・・・。粒子を追い越した観測者の目には、弱い相互作用は右巻き粒子(左巻き反粒子)に作用することになり、弱い相互作用が左巻き粒子(右巻き反粒子)にしか作用しない現実と齟齬(そご)を来してしまうのです。これもまた、まったく理不尽なことです。
フェルミ粒子は質量をもってはいけないのでしょうか?
頭が混乱してきた・・・・・・という読者のために結論をいいますと、質量をもつフェルミ粒子は「左巻き成分」と「右巻き成分」の両方が量子力学的に混じっているということなのです。弱い相互作用は、質量をもつフェルミ粒子の「左巻き成分」、あるいは「(質量をもつフェルミ粒子の)反粒子の右巻き成分」としか作用しないのです。
きわめて興味深いことに、電磁相互作用や強い相互作用は「右巻き粒子」にも「左巻き粒子」にも同等に作用し、選り好みなどしません。素粒子のスピンが及ぼす影響は、実にふしぎな現象を生み出すのです(2013年現在、右巻きニュートリノは観測されていません)。ここで、陽子と中性子の間に働く「核力」を思い出してください。核力に関するかぎり陽子と中性子はまったく区別がつかず、そこに「アイソスピン」という概念が導入されました。アイソスピンが180度回転すると、陽子と中性子が入れ替わるというものです。
そのことを念頭に置きながら、こんどはクォークとレプトンの各世代における「二重項」を思い起こしましょう(201ページ参照)。弱い相互作用に関するかぎり、第1世代にあるdクォークとuクォークは同じ粒子として扱われ、互いに入れ替わってもその間に働く力の強さは変わりません。また電子と電子ニュートリノも同じ粒子として扱われ、両者が入れ替わってもその間に働く弱い力には何の変化も生じません。
したがって、陽子と中性子のときと同様に、アイソスピンを導入することによって、その向きの違いでdクォークとuクォーク、電子と電子ニュートリノを識別するのです(一つの二重項内の二つの粒子の間には質量と電荷の違いが存在しますが、ここでは2粒子間の弱い相互作用だけを考えるので、ひとまず無視することにします)。この弱い相互作用におけるアイソスピンを「弱アイソスピン」と呼びます。
アイソスピン同様、弱アイソスピンも矢で表されるのて、クォークとレプトンの二重項におけるいずれかの粒子が上向きの弱アイソスピンをもち、もう一方が下向きの弱アイソスピンをもちます。矢を180度回転させると弱アイソスピンはひっくり返り、uクォークとdクォークが入れ替わります。電子と電子ニュートリノも同様です。両者が入れ替わっても弱い相互作用の強さは変化せず、入れ替わる際に202ページ図5−11(下図を参照)のようにW–ボゾンが生成・放出されます。
まず、クォーク二重項(uクォークとdクォーク)から考えてみましょう。弱アイソスピン空間(抽象的な内部空間)において、空間の各点にクォークの弱アイソスピンを47度だけ回転してみます。実際の空間における素粒子のスピンと同じように弱アイソスピンも量子力学に従い、弱アイソスピンが47度だけ回転するとuクォークとdクォークが混じり合います。より具体的には、たとえば「uクォークらしさ」が40%で「dクォークらしさ」が60%というように、状態が重なり合うことでどちらの粒子なのかがはっきりしなくなってしまうのです。
弱アイソスピンが180度回転すれば、uクォークとdクォークは完全に入れ替わり、あやふやさはなくなります。まったく同じことがレプトン二重項(電子と電子ニュートリノ)にも起こります。クォーク二重項でuクォークらしさとdクォークらしさの混じり具合を、矢で表現した弱アイソスピンの回転で表します(図5−15、下図を参照)。回転角度の違いで表現した混じり具合の程度(%)を示しています。
(A)dクォークらしさが100%でuクォークらしさが0%。つまり、dクォークそのもの
(B)dクォークらしさが80%でuクォークらしさが20%
(C)dクォークらしさが60%でuクォークらしさが40%
(D)dクォークらしさが40%でuクォークらしさが60%
(F)dクォークらしさが20%でuクォークらしさが80%
(G)dクォークらしさが0%でuクォークらしさが100%。つまり、uクォークそのもの
(A)から始まって(G)まで回転すると、dクォークとuクォークが完全に入れ替わったことになります。これらどの場合でも「弱い相互作用」の強さは変わりません。弱い相互作用の強さは、弱アイソスピンの回転に対して不変だからです。まったく同じ図が、レプトン二重項(電子と電子ニュートリノ)に対しても描かれます。弱い相互作用に参加するクォークやレプトンの二重項は「弱アイソスピン二重項」といいます。
この「状態(らしさ)」の混合(状態の重ね合わせ)は量子力学独特のものです。クォークもレプトンも、量子力学では波として扱われ、したがって「波動関数」で表されます。そこで今、弱アイソスピン二重項における粒子の波動関数に対して、「局所的なゲージ変換」をしてみます。つまり、弱アイソスピン空間の各点・各時間において、弱アイソスピンの回転角度を任意に変えてみるのです(ここでも、回転角度が変わっても矢の長さは変わらないことに注意してください)。
これは、空間の各点・各時間において弱アイソスピンの角度を勝手に変えることで、二重項の二つの粒子を量子力学的に混ぜることに相当します。さらに、波(波動関数)の位相を各点で勝手に変えてみます。波動関数は変化しますが、変化してもなおかつ弱い相互作用(ここでの物理法則)が変化しないよう(すなわち、ゲージ対称性を維持させるために)ゲージ場を導入します。
このゲージ場を粒子化すると、3種のゲージ粒子(W+ボゾン、W–ボゾン、Z0ボゾン)が現れます。「弱い相互作用」は掴みどころがなかなかハッキリせず、物理学者たちを長い間悩ませてきました。したがって、その理論も電磁相互作用より複雑です。「弱い相互作用」において保存されるのは、弱アイソスピンそのものではないのです。少し難しくなりますが、弱アイソスピンは内部空間においてベクトルとして表されます。ベクトルはX成分とY成分、Z成分の三つの成分をもち、弱アイソスピンもこのような三つの成分を有します。不確定性原理によって三つの成分のうち一つの成分しか確定値になりませんが、一般にはZ成分を指定します。Z成分の大きさは1/2です。
「弱い相互作用」において保存されるのは、このZ成分なのです。さらに、このZ成分が弱い相互作用の起こしやすさを決めるため、弱アイソスピンのZ成分のことを「弱荷」と呼びますが、一般には、弱アイソスピンのことを弱荷といっています。
これら一連の考察から、クォークもレプトンも「弱荷」をもっていると解釈されます。電荷が電磁力を発生させるのと同じように「弱荷」が弱い力を発生させるのです。ゲージ場理論に関するかぎり、三つのゲージ粒子(W+ボゾン、W–ボゾン、Z0ボゾン)の質量はゼロになるはずです。
ところがーー、ここで一つの疑問が生じます。ゲージ粒子だけでなく、弱い相互作用に関するかぎり、3世代を構成する二重項のクォークとレプトンにも質量がないものと仮定するとどうなるでしょうか?
すべてのフェルミ粒子は「左巻き」ということになります。電荷の相違はあっても、それぞれの二重項内の二つのフェルミ粒子は入れ替わったのちも左巻きのままであり、弱い相互作用に関してはまったく区別がつかなくなります。
たとえば、第1世代においては(くどいようですが弱い相互作用に関するかぎり)uクォークとdクォークは区別がつかなくなり、電子と電子ニュートリノも区別がつかなくなります。「区別がつかない」ということは、二重項内におけるフェルミ粒子は、入れ替えに対して「対称性」をもつということです。
“質量なし”と仮定したことで、ここまでの話における弱い相互作用は、完全に「ヤン-ミルズ理論」に適合しています。しかし現実には、弱い力を運ぶ3種のゲージ粒子は質量をもち、フェルミ粒子もまた質量をもっています。つまり、二重項内における二つのフェルミ粒子は、入れ替えに対して「対称性」が破られているということです。『真空のからくり』 第5章 より 山田克哉:著 講談社:刊




しかし、実際には、右巻きだけしか存在しないというのは不思議ですね。
その鍵を握っているのが「弱い力」です。
弱い力は、「左巻きの素粒子」のみに働き、質量を与えます。
すると、速度は光速よりも遅くなり、観測する方向によって右巻きにも左巻きにも取れるようになります。
これが「カイラル対称性の破れ」だということです。
「相転移」と「自発的対称性の破れ」
質量の起源を探る理論的研究の中から「ヒッグス理論」が登場します。
これは、かつて、質量の存在しなかった宇宙に「ヒッグス場」が生まれ、いくつかの素粒子たちに質量を与えた
という説です。
山田さんは、ヒッグス場が誕生する背景には、「真空」に生じた劇的な変化
があったと指摘します。
つまり、この宇宙のすべては「真空」から生まれてきた
ということになります。
質量とは何でしょうか? 「質量とは物質の量である」という答えは間違ってはいません。
スピードと運動方向を一緒にした物理量を「速度」と呼び、一直線上(同じ方向)を一定のスピード(等速)で運動することを「等速直進運動」といいます。どんな物体も最初に与えられた速度をそのまま永久に保とうとする「欲望」をもっています。「等速直進運動を永久に保ちたい」という欲望を、物体のもつ「慣性」といいます。これがニュートンの発見した「慣性の法則」です。物体になぜ慣性があるのか、その理由はヒッグス場にあるのかもしれません。感情を量的に数値で表したものが、その物体の「質量」になるのです。
たとえば軽自動車と比較した際、荷物を満載した大型トラックのほうがブレーキをかけてもすぐには速度が変化しないことは容易に想像がつきますね。質量の大きな物体ほど、同じ速度を永久に保とうとする慣性が強く、速度変化を嫌うからです。物体のもつ質量とは「同じ速度を永久に保とうとする慣性の度合い」であり、この質量は「慣性質量」と呼ばれ、重力質量と区別されています。
素粒子理論の母体をなす「標準模型」に出てくる質量は、すべて「慣性質量」です。私たちの宇宙は、今から137億年前に誕生しました。宇宙誕生とほぼ同時に「時間」と「空間」、すなわち「時空」が現れましたが、宇宙初期の時空には膨大なエネルギーが秘められていたと考えられています。宇宙初期にはもちろん、一切の物質は存在しませんでしたが、物質の根源となる素粒子が発生したものと考えられます。
物質が存在しないということは、すべての素粒子は質量をもつことなく、質量ゼロのまま、光速度で好き勝手な方向に走り回っていたはずです。当時の宇宙空間には何の“構造的特徴”もなく、もし観測できたとしても、どの地点・角度から見てもまったく同じに見えたはずです。一様に広がったこのような空間は、「完全対称」であるといいます。
ところが、完全対称を保っていた宇宙に劇的な変化が生じる瞬間が訪れます。「真空の相転移」という現象によって、宇宙の完全対称性が自発的に破れるという事態が起きたのです。ここからの重要なキーワードになる「相転移」と「自発的対称性の破れ」について理解しやすい「鉄と磁石の例」でご説明しましょう。
鉄は強磁性という性質をもち、容易に磁石としての性質を示します。磁石はその両端に「磁極」をもっており、その一端がN極、もう一端がS極です。二つの磁極をもっている磁石は「磁気双極子」と呼ばれますが、磁気双極子は方向をもち、S極からN極に向かいます。簡略化して、磁気双極子を「矢」で表すことにしましょう(図6−1、下図を参照)。磁石を磁場のある空間に置くと、磁気双極子(矢)は磁場の方向に向きます。
原子の中心にある原子核のまわりには、電子が回っています。鉄も膨大な数の原子から構成されており、1個の鉄の原子核のまわりには26個の電子が回っています。155ページで紹介したように、電子も磁石である(すなわち磁気双極子である)ことが実験で確かめられ、永久磁石になっていることがわかっています。「強磁性体」と呼ばれる金属である鉄やニッケル、コバルトなどを構成する個々の原子の原子核のまわりを周回する電子が永久磁石になっているために、それらの原子全体も磁石になっているのです。
今、小さな球体の鉄を考え、その鉄を構成する原子すべてが磁気双極子になっているものとします。つまり、磁気双極子の集団のふるまいを考えるのです。
その鉄の温度がある温度以上の場合は、磁気双極子の方向はそれぞれがバラバラで、勝手気ままな方向を向いています。その結果、互いの磁気を「打ち消し合う」ために、鉄球内の正味の磁気の強さはゼロとなり、鉄は完全に磁性を失います。すなわち、磁気双極子を表す矢がそれぞれまったくでたらめな方向を向いているために、その球体をどの方角からどんなふうに見てもまったく同じに見え、鉄球は「対称性」をもちます(図6−2、下図を参照)。
ちなみに、市販されているどんな磁石でも摂氏1000度近くまで熱すると磁石ではなくなり、単なる金属になってしまいます。磁石内の磁気双極子が熱エネルギーによってかき乱され、まったくデタラメに並んでしまうためです。
ところが、この鉄球の温度をどんどん下げていって、ある温度に到達すると“異変”が起こります。全ての磁気双極子の方向が、ある特定の方向にそろってしまう温度が存在するのです。面白いことに、どの方向にそろってしまうかは、まったく偶然によります。磁気双極子がすべて同じ方向になることで、温度が高い状態では保たれていた対称性が失われます(図6−3、下図を参照)。その方向に並ぶ特別な理由がないことから、「自発的対称性の破れ」といいます。
同じ球体ではあっても、対称性が破れたあとの鉄球を回転させると、回転の前後で明らかに違って見えます。磁気双極子がすべて同じ方向に向いているために、鉄球内では個々の磁気双極子の作り出す磁場が強め合い、その結果として鉄内の合成された磁場はゼロではなくなります。つまり、「自発的対称性の破れ」によって、鉄内に磁場が現れたわけです。
高温時には磁石ではなかったものが、ある温度以下に達すると磁石になったということは、鉄の物理状態が変化してしまったことを意味しています。このように物理的状態が変化することを、「相転移」と呼びます。つまり、鉄に相転移が起きたために、「自発的対称性の破れ」が生じたことになります。
温度が下がって液体の水が氷になるのも相転移です。この場合は、「液体相」が「固体相」に相転移します。液体の水では水分子がデタラメに配列されているので「対称性」がありますが、固体(氷)になると水分子が(勝手な方向ではあっても)規則正しく配列されて結晶をなすため、たとえば「回転対称性」が崩れます。すなわち、相転移が生じると、何からの対称性が破られることになります。ロシア(旧ソヴィエト連邦)の生んだ天才物理学者の一人に、レフ・ランダウ(1908〜68)がいます。低温物性物理学に多大な貢献をしたランダウは、1962年のノーベル物理学賞を受賞しました。このランダウこそ、物体に「相転移」が起こると「対称性が変化する」事実を見出した人物なのです。先の例では「ある程度」と表現しましたが、相転移が起こる温度を「転移温度」と呼びます。問題を簡素化するため再度、強磁性体(鉄)の例を用いましょう。
鉄内の磁気双極子(矢)がバラバラの方向ではなく、すべて勢揃いしてある一定の方向に向くのは鉄の温度(転移温度)によるわけですが、鉄内でのエネルギー(自由エネルギーといいます)は磁場がゼロの前者のほうが高く、ゼロでない磁場が生じた後者のほうが低くなっています。個々の磁気双極子が周囲に磁場を発生させ、互いに他の磁気双極子が作った磁場を通して相互作用しています。この相互作用がもたらすエネルギーが、鉄の内部に蓄えられているのです。
鉄の内部エネルギーは、転移温度以上でかつ温度が一定の下では磁気双極子(矢)の並び方に左右されます。温度が一定であれば同じ方向に並ぶ磁気双極子の数が多いほどエネルギーは高くなり、最もでたらめな並び方(正味の磁気がゼロ)になったときに最低値となります。これが図6−4(下図を参照)に示すグラフの縦軸に相当するエネルギーですが、鉄内のエネルギーと鉄の温度を区別してください。
ここでは、転移温度以下になった際に「磁気双極子の方向が全て上向きになる」、もしくは「すべて下向きになる」のいずれかの状態しかない場合を考えます。上向きになった場合の磁気双極子のもたらす磁場をマイナスとし、下向きになった場合の磁気双極子がもたらす磁場をプラスとします。ランダウは、鉄の内部のエネルギーと磁場との関係を図6−4のようなグラフで表したのです(横軸が鉄内の磁場、縦軸が鉄内の自由エネルギー)。
前述のとおり、自然には「エネルギーが最も低い状態を好む」という鉄則があります。エネルギーの最も低い状態が最も安定だからです。
鉄が転移温度以上(熱い!)にある場合を示した図6−4(a)には、エネルギーの最も低い点はたった一つしかなく、それはグラフの原点です。原点の磁場がゼロになっていることに注目してください。これは、磁気双極子(矢)の方向がバラバラの場合で(223ページ図6−2、下図を参照)、鉄は対称性を保っています。
一方、鉄の温度が転移温度以下(冷たい)の場合を示した図6−4(b)では、エネルギーの最も低い点は二つあります。原点をはさんで左右に一つずつです。つまり、(b)のグラフでは自然が最も好む「最もエネルギーの低い点」における磁場はゼロになっていません! 原点の左側にあるエネルギーの最も低い点は磁気双極子(矢)がすべて上を向いた場合を、右の最低点は磁気双極子がもたらした磁場が加算される結果、ゼロにはなりません。
ランダウによって得られたこの相転移のグラフは、この後も重要な役割をはたしますので、しっかりと覚えておいてください。「相転移」が発生して「自発的対称性の破れ」が生じるようすを劇的な形で体感できる現象に、「超伝導」があります。
金属の内部では、多数の「自由電子」が飛び回っています。金属内に「電流」を生み出す源です。ただし、金属内では陽子のもつ電荷によってプラスに帯電した多数の原子が固定されて「結晶格子」を形成しており、いかに“自由”とはいえ、原子にぶつかるなどして自由電子は抵抗を受けます。これが、電流に対する「電気抵抗」となります。
しかし、金属の種類によっては、温度をどんどん下げていってある温度に達すると電気抵抗が突然、正確にゼロになってしまうものがあります。「ある温度」と「突然の状態変化」がふたたび登場しました。そうです、これもまた金属の性質(物理状態)がある温度を境にして突然、変わってしまう「相転移」の一つなのです。
この場合の「ある温度」を「臨界温度」と呼び、電気抵抗がゼロになった金属を「超伝導体」といいます。リング状になった超伝導体にいったん電流が流れると、電気抵抗がないために電源なしで電流が流れ続けます。電源を切っても電流は止まりません。このようなふしぎな現象が、なぜ起こるのでしょうか?
「おいおい、ちょっと待ってくれ! 確かにふしぎな現象だけど、知りたいのは超伝導のしくみじゃない。『真空のからくり』と『質量の起源』の謎なんだ!」ーーそんな声が聞こえてきそうです。でも安心してください! この超伝導のふしぎに魅入られ、探究を進めた結果、「質量の起源」の謎を解明する重要な一歩を物理学史に残したのが、南部陽一郎博士(1921〜)なのです。南部博士の登場まで、もうしばらく超伝導のしくみを解説します。
普通の室温における金属は、プラスに帯電した多数の原子が格子を作って結晶体をなしています。個々の原子は、図6−5(下図を参照)右に示すように格子上に存在しており、多数の自由電子はこの格子の合間を“うろついて”います。格子を形成している個々の原子は、「格子振動」と呼ばれる振動をしています。格子振動が量子化されると粒子のようにふるまい、そのような粒子は「フォノン」と呼ばれます。
金属の温度がマイナス260度程度になると、二つの自由電子はフォノンを媒介にしてペア(対)を組むようになります(図6−6、下図を参照)。二つの電子はいずれもマイナス電荷をもつために、本来は電気反発力が働いてしりぞけ合うはずです。ところが、実にふしぎなことに、格子振動(フォノン)を通して二つの電子の間に“引力”が働くようになるのです。
この奇妙な“引力”が発生する理由は、量子力学でなければ説明できません。192ページで紹介した「ボース-アインシュタイン凝縮」を思い出してください。「パウリの排他律」という規則に従って、同時にまったく同じ物理状態をもつことが許されないフェルミ粒子(スピンが「奇数割る2」になっている)に対し、パウリの排他律が適用除外となっているボース粒子(スピンは整数)には同時にまったく同じ物理状態になる(凝縮する)ことが可能であるというものでした。たくさんの同種のボース粒子がすべて同じエネルギーをもつようになると、個々の粒子の区別はまったくなくなります。
電子はスピン1/2で、徹底的にフェルミ粒子ですから、たくさんの電子が凝縮することはとうてい考えられません。しかし、格子振動(フォノン)との作用によって発生した“引力”によって生じたペアでは、個々の電子のスピン(1/2)の方向が逆向きになっているために、ペアとしての合計スピンは「ゼロ」になっています(1/2-1/2=0)。この「合計ゼロ」がポイントです。
ゼロは整数であり、したがってボース粒子としてのスピンの条件を満たす結果、「スピンの合計ゼロの二つの電子(フェルミ粒子)のペア」が「スピンゼロの1個のボース粒子」と同じようにふるまうのです! 何ともふしぎな現象ではありますが、極低温においてはこのような電子のペアが無数に形成され、すべてのペアがボース粒子と同様のふるまいををします。
多数の同じ種類のボース粒子は凝縮して「同時に同一の物理状態」になることができますが、スピンゼロとなった電子のペアもボース粒子として凝縮します。凝縮後の個々のペアにはもはや好き勝手な行動は許されず、“全員”がまったく同じ行動をとるようになります。量子力学的には、凝縮して一つの量子状態となった無数の電子のペアは、空間的な広がりをもつ一つの量子(波)としてふるまいます。これは、全ての電子対に対応する波の波長がまったく同じであるためです。
そのような無数のペアが存在する電線の両端に電圧をかけると、(無数のペアから成り立っている)一つの量子は何の抵抗もなく電線内を流れます。まるで整列した兵士のパレードのようなこの電流が「超伝導電流」です。このような電子のペアは「超伝導理論」(構築者3人の頭文字から「BCS理論」と呼ばれる)を築き上げた一人であるレオン・クーパー(1930〜)によって提唱されたため、「クーパー対(クーパー・ペア)」と呼ばれています。超伝導現象とは、まさにこのクーパー対によるものなのです。
普通の室温では、金属内の自由電子はランダムに動き回っており、結晶格子にぶつかったりしてジグザグな運動をしています。電子の運動に関するかぎり、(先の磁気双極子と同じように)これらの電子をどの方角から見ても(回転してみても)まったく同じに見えます。すなわち、対称性が保たれています。
ところが、金属の温度がある温度(臨界温度)以下になると、相転移によって無数のクーパー対が発生し、突然、電気抵抗がゼロになってしまいます。すべてのクーパー対がまったく同じ一つの量子状態になっているということは、対称性が破れています。つまり、臨界温度を境に金属は突然、電気抵抗ゼロとなって、自発的に対称性が破れてしまうのです。『真空のからくり』 第6章 より 山田克哉:著 講談社:刊






真空の自発的対称性が破れると・・・・・・
「自発的対称性の破れ」は、超伝導体の内部のみならず、真空にも起こるのではないか?
日本の南部陽一郎博士は、こんな大胆なアイデアを思い付きます。
このアイデアに、世界の物理学者が触発されます。
そして、1964年、スコットランド・エディンバラ大学の理論物理学者、ピーター・ヒッグス(1929〜)が、素粒子が質量を獲得するメカニズムを説明した論文を発表します。
ヒッグスの功績に敬意を表し、真空に自発的対称性の破れが起こるために発生する「場」を「ヒッグス場」と呼ぶことになりました。
ヒッグスの理論は、宇宙初期の、温度が高い状態にあった真空には発生していなかったヒッグス場が、宇宙が冷えてある温度に達した時に「凝縮」によって現れ、真空の対称性を自発的に破った結果、その場と作用した素粒子が質量を得る
というものでした。
このヒッグス場には、他の場とは異なる大きな特徴があります。
たとえば電磁場は、空間の各点で「方向」をもっています。電荷をもつ粒子(たとえば電子)や磁石(磁気双極子)を電磁場のある空間にそっと置くと、電子や磁気双極子はその点における電磁場の方向に加速されたり回転したりします(神上で砂鉄が描く模様を思い出してください)。電子や磁気双極子の反応の仕方は、電磁場の「方向」に左右されます。すなわち、電磁場は「方向をもつ場」ということになり、そのような場は「ベクトル場」と呼ばれています。
これに対して、ヒッグス場は方向性をまったくもたない「スカラー場」です。ヒッグス場の中にヒッグス粒子以外の粒子があっても、その粒子とヒッグス場との反応は方向にはまったく関係なく、まったく同じ反応の仕方をします。ヒッグス場の第一の特徴は、空間において方向性をもたない場であることです。
第二の特徴は、ヒッグス場が「発生源のない場」であることです。第1章で、真空には「発生源のないエネルギー」が存在することを説明しましたが、ヒッグス場もまた「発生源」をもたないのです。一般に、「場」にはその発生源が存在します。電磁場の発生源は「電荷」です。重力場の発生源は「質量」。強い力の場の発生源は「色荷」で、弱い力の場の発生源は「弱荷」です。
・・・・・・とくれば、“ヒッグス荷”なるものが存在してもよさそうですが、残念ながら?ヒッグス場には発生源がありません(ただし、ヒッグス場と反応する質量のない素粒子は「ヒッグス荷」をもっていると考えられています。「ヒッグス荷」は素粒子の種類によって異なり、だからこそ素粒子の種類によって異なる質量が現れるのです)。ならば、ヒッグス場はどこから生まれてくるのか?
誕生直後の宇宙は、アッという間もなく光速度以上の速さで巨大な大きさまで膨れ上がってしまいました。りんご1個が1秒間に地球の大きさまで膨れ上がった・・・・・・という程度の膨張ではなく、もっと桁外れに大きな規模の大膨張をしたのです。「宇宙のインフレーション」と呼ばれる現象です。
そして、この宇宙のインフレーションの原因となったのが、ヒッグス場だと考えられているのです。つまり、ヒッグス場は宇宙初期にすでに存在していたということなのです。ただし、当時の宇宙の温度があまりにも高かったために、ヒッグス場はまだ凝縮していませんでした。膨張した宇宙が冷えたことで、初めてヒッグス場は凝縮したのです。ヒッグス場と他の場とではさらに大きな違いがあるのですが、その違いを説明する前に「真空の期待値」と呼ばれるものを紹介しなければなりません。ここで「真空のゼロ点振動」を思い出してみましょう(第3章参照)。
真空にはさまざまな「場」がありますが、この宇宙に存在するあらゆるエネルギーの中で、最も低いエネルギー状態にあるのが真空です。「場の量子論」によれば、すべての素粒子は何らかの「場」の励起状態(場の変動による隆起のようなものとお考えください)であると考えられています。たとえば光子は電磁場の励起状態であり、電子は電子場の励起状態です。「粒子の量子論」ではなく、「場の粒子論」と呼ばれるのはこのためです。
それぞれの「場」はエネルギー(ポテンシャル・エネルギー)をもっています。場のエネルギーは量子化されて、非連続的に飛び飛びに変化しますが、その最低エネルギーはゼロではありません。絶対ゼロ度においても、真空にはそれぞれの「場」ごとの最低エネルギー、すなわち「ゼロ点エネルギー」が残っています。
図6−9(下図を参照)を見てください。真空のゼロ点振動によって場は振動しており、その「場の強さ」が横軸にとられています。一方、縦軸は「場の(ポテンシャル・)エネルギー」を表しますが、真空の最低エネルギーはゼロにはならず、ゼロ点エネルギーが残っています。つまり場は、ゼロ点エネルギーの分だけ原点から縦軸を上に離れて、横軸に平行にプラス側とマイナス側を行き来しながら振動しています。
この振動による場の強さの変化の時間的平均をとると、ゼロになってしまいます。量子力学では、平均値のことを「期待値」といいます。したがって、真空内に取り残されている場の強さの平均値=「真空の期待値」はゼロということになります。
同じことが、そのままヒッグス場にも当てはまります。宇宙初期の、温度がまだ非常に高かった時期のヒッグス場のポテンシャル・エネルギーは図6−9のようになり、ヒッグス場の「真空の期待値」はゼロになっています。すなわち、宇宙空間におけるヒッグス場はゼロということです。
ところが、宇宙の温度が下がってヒッグス場が凝縮すると、ヒッグス場とそのポテンシャル・エネルギーを示すグラフは図6−10(下図を参照)に示すように3次元になります。これは理論的に表れた数式をグラフ化したもので、あたかも「ワインボトルの底」や「メキシコ帽(ソンブレロ)」のように見えます。どちらのグラフも、縦軸が「ヒッグス場のポテンシャル・エネルギー」を表し、直行する2本の横軸はともに「ヒッグス場の強さ」を表します。
図中には、ちょうどグラフの隆起のてっぺんの部分にボールが置かれています。ボールの位置は「宇宙の物理状態」、あるいは「真空の物理状態」を表します。メキシコ帽でいえば、表面のどの点にボールがあるかによって(すなわち、ボールの座標によって)、真空における「ヒッグス場の強さ」と「ヒッグス場のポテンシャル・エネルギー」が変わってきます。
隆起のてっぺんにあるとき、ボールは原点の真上にあり、「ヒッグス場の強さ」(横軸座標)はゼロです。このボールの位置から周囲を見ると、すべてはまったく同じに見えます。ワインボトルやメキシコ帽を、隆起のてっぺんを通る縦軸を中心にどんな角度で回転させても、回転の前後で何の変化も生じません。つまり、ボールが隆起のてっぺんにあるとき、縦軸の回転に対して真空の物理状態は完全に対称になっています。
横軸座標はヒッグス場の強さを表すので、ボールが隆起のてっぺん(原点の真上)にあって完全な回転対称状態にある場合のヒッグス場は「ゼロ」になっています。すなわち、ヒッグス場はまだ凝縮していない状態です。しかしこのとき、縦軸座標(高さ)は、エネルギーが非常に高い状態にあることを示しています。対称性が保たれているこの位置は、「ボールがいつ(エネルギーが低い状態に)落っこちるかわからない」きわめて不安定な状態なのです。
繰り返し指摘してきたように、自然が好むのは「エネルギーが最も低い」状態です。二つのグラフでエネルギーが最も低いのは、ワインボトルの縦軸まわりをぐるりと囲む溝(谷)と、メキシコ帽のつばにあたる円形状の溝の底です。したがって、きわめて不安定な(エネルギーの高い)隆起のてっぺんに置かれているとき、ほんのちょっとした刺激で、ボールは立ちどころに転げ落ちて円形状の溝のどこかに落ち込み、エネルギーの最も低い安定な状態に落ち着きます。
ところがこのとき、溝に落ち込んだボールから見ると、周囲の”景色”は見る方角によってまるで変わってきます。回転対称性が完全に失われるからです。エネルギー的に最も安定な状態を手に入れる代わりに、対称性が破られるのです。ボールが溝に落ち込む外的要因は存在せず、ただただ不安定であるがゆえに自ら落ち込みます。ボールが自ら溝に落ち込むと、ただちに対称性は失われ、「自発的対称性の破れ」が生じるわけです。
真空に生じるこの自発的対称性の破れに最初に気づいたのが、南部博士でした。「自発的対称性の破れ」が生じる結果、エネルギーが最低となってきわめて安定な状態になる代わりに、ヒッグス場の強さがゼロではなくなるのです(ボールは横軸の原点、すなわちゼロから離れる。図6−10の点線で描かれたボールを参照)。これが「ヒッグス場が凝縮した状態」であり、凝縮した結果、ヒッグス場の真空の期待値はゼロではなくなります。ゼロではないということは、この宇宙空間のいたるところに、ヒッグス場が”普遍的”に存在していることになります。
この「普遍的である」という事実が、ヒッグス場とその他の場の間に一線を画しています。たとえば電磁場は、人為的にオン/オフすることができますが、すでに普遍的に全空間にわたって存在しているヒッグス場のスイッチを入れたり切ったりすることなど不可能です。
ヒッグス場が真空で凝縮できるのは、方向をもたないスカラー場であるためです。量子化されたスカラー場はスピンゼロのボース粒子となり、「ボース-アインシュタイン凝縮」が起こるのです。
イメージしやすいように、メキシコ帽やワインボトルのグラフを縦の中心軸から真っ二つに切って二次元平面にしてみましょう(図6−11、下図を参照)。こうすると、226ページ図6−4(上図を参照)の(b)に示したランダウの相転移のグラフとまったく同じ形であることに気づきます。ランダウのグラフにおける磁場が、図6−11のヒッグス場に相当します。
宇宙がある温度まで冷えると、真空に「自発的対称性の破れ」が生じ、「真空の期待値がゼロでない」ヒッグス場が表れます。ゼロではない真空の期待値はヒッグス場の“専売特許”で、電磁場など他の場の真空の期待値はすべてゼロです。ゼロではない真空の期待値をもつ「ヒッグス場」は、電磁場と同じように実在する「場」です。
真空の対称性が破れることは真空に「相転移」が起こったことを意味しますが、現在までの理論では、真空の相転移によって発生した「場」はヒッグス場のみとされています。電磁場など他のすべての場は、真空の自発的対称性の破れとは直接は関係ありません。思い出してください! 自然界に存在する四つの力(強い力、電磁力、弱い力、重力)を伝達するゲージ粒子のうち、弱い力を運ぶゲージ粒子(W+、W-、Z0の各ボゾン)だけが質量をもつのはなぜか、という疑問が解決されずに残っていました。
ここでも、「メキシコ帽」が重要な役割をはたします。メキシコ帽の表面にあるボールは、「宇宙(真空)の物理状態」を表すものでした。最もエネルギーの低い溝にボールが落ち込むと、宇宙は安定な状態になり、その“代償”として対称性が失われます(自発的対称性の破れ)。
図6−12(下図を参照)に示すように、この溝を真上から見ると「円形」になっていますので、溝に落ちたボールはこの円の上を周回することが考えられます。この円形の溝は自発的対称性の破れによって生じたものであり、ボールがぐるぐる回るようすは、ボールを固定して円形の溝全体を回転させるのと同じことなので、「グローバルな自発的対称性の破れ」と見なすことができます。
図6−11から明らかなように溝はどこも同じエネルギーなので、溝に沿う振動はきわめて小さく、極限では振動数ゼロになります。量子力学的には、エネルギーはE=hν(νは振動数)で表されるので(41ページ参照)、振動数ゼロはすなわちエネルギーゼロであり、これに対応する粒子(ボールではありません! 要注意)のエネルギーはゼロになります。その粒子はさらに、E=mc2に従って質量ゼロの粒子になります。また、この粒子はスピンもゼロで、したがってボース粒子となります。
これが、「南部-ゴールドストン粒子」です。南部-ゴールドストン粒子には、プラスの電荷をもつもの、マイナスの電荷をもつもの、そして電荷をもたないもの、の3種類があります。3種の南部-ゴールドストン粒子はいずれも、決して観測されることはありません。
宇宙初期の「真空」に自発的対称性の破れが生じ、ゼロではない真空の期待値をもつ「ヒッグス場」が現れると、ボールがメキシコ帽の円形の溝をゆっくり回り始め、真空には、それに対応した質量ゼロの「南部-ゴールドストン粒子」が発生したと考えられます。
弱い相互作用を担う三つのゲージ粒子は、真空に自発的対称性の破れが生じる以前の状態(ゲージ対称性が保たれている間)では質量をもっていません。ところが、自発的対称性の破れが起こって三つの南部-ゴールドストン粒子が現れると、W+、W-、Z0の各ボゾンはそれぞれ一つずつ南部-ゴールドストン粒子を“食べる”ことによって質量を獲得するのです。もともとW+、W-、Z0の各ゲージ粒子の質量はゼロで、光速度で走り、横波成分しかもっていなかったのですが、南部-ゴールドストン粒子を吸収することによって縦波の成分が加わり、その結果、質量を得るのです。ここでは、その吸収のことを「食べる」と表現しています。
もちろんW+ボゾンはプラスの電荷をもつ南部-ゴールドストン粒子を食べ、W-ボゾンはマイナス電荷の南部-ゴールドストン粒子を食べます。そして、Z0ボゾンが電荷をもたない南部-ゴールドストン粒子を食べるのです。当然ながら、食べれば太ります!
結局、真空に起きた「自発的対称性の破れ」によって発生したヒッグス場の働きによって、弱い力を運ぶ三つのゲージ粒子は質量を獲得したことになります。これを「ヒッグス機構」といいます。ヒッグス機構の働きによって、「弱い力」を運ぶゲージ粒子だけが質量をもつこととなったのです。『真空のからくり』 第6章 より 山田克哉:著 講談社:刊




真空に起きた「自発的対称性の破れ」によって発生した「ヒッグス場」の働きによって、弱い力を運ぶ三つのゲージ粒子は質量を獲得した。
これが“真空のからくり”であり、「ヒッグス機構」と呼ばれています。
ヒッグス機構から生まれた質量を持つ粒子の1つ。
それが有名な「ヒッグス粒子」です。
図6−10で示した「メキシコ帽」の隆起のてっぺんから溝に落ち込んだボールが、溝の底から這いあがろうとして
、ある振動数をもった完全な振動現象
が起こります(下の図6-14を参照)。

ヒッグス粒子は、
この、「茶碗の底に置かれたビー玉のような振動」に由来する質量をもつ粒子を指します。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
「ヒッグス粒子(ヒッグス場)が諸々の粒子に質量を与える」
この仮説は、すでに述べてきた通り、南部陽一郎博士が見出した「真空に起きた自発的対称性の破れ」というアイデアを元にして、1960年代初頭に提唱されました。
そして、2012年夏、ついに欧州原子核研究機構(CERN)が大型ハドロン衝突型加速器(LHC、二つの陽子を互いに反対方向に加速して衝突させる円形加速装置)を使ってヒッグス粒子を捉えることに成功しました。
このニュースは、日本でも大きな話題となったので、ご記憶の方も多いでしょう。
ただ、山田さんは、ヒッグス粒子の“正体”には、未解明の部分が多く、解決しなければならない問題がまだまだ山積して
いるとおっしゃっています。
「真空のからくり」の先には、さらに壮大な新たな“からくり”がありそうです。
科学の進歩は、どんな驚きの事実を明らかにしてくれるのでしょうか。
今から楽しみですね。
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