本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『執着しないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ)

 お薦めの本の紹介です。
 アルボムッレ・スマナサーラさんの『執着しないこと』です。

 アルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)の長老です。
 1980年に来日し、現在は日本テーラワーダ仏教協会で初期仏教の伝導と瞑想指導に従事されるかたわら、メディア出演や全国での講演活動をするなど精力的に活動されています。

人は驚異的なエネルギーを持って生まれる

 すべての人が、ものすごいエネルギーを持って生まれている。

 生まれたばかりの赤ちゃんの元気さや周りの人への影響力の大きさ。
それを考えると、それも納得がいきますね。

 ところが、そのエネルギーは、年齢を経るごとに弱っていきます。 
 その理由は成長するにつれて、エネルギーがどんどん漏電していってしまうからです。

 大人になっても、子どものようにエネルギーを満たし続けることはできます。

 いくつになっても、人生を楽しみ、エネルギーに満ちあふれている人たち。
 彼らの秘密は、「明るさ」です。

 さまざまな怒りや悩み、不安などを吹き飛ばすだけの明るさ。
 彼らは、それを持っているからこそ、生きることを楽しているのです。

 この明るさは、仏教的にいえば「捨てる道」を選択し、あらゆることに対して執着しない潔さから生まれています。

 本書は、「執着しないこと」を身につけるための方法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「妄想」から脱することはできるのか?

 人間にとって「考える」という行為は非常に重要です。
 ただ、考えれば考えるほど、現実から離れていき、「妄想」の世界に入っていきます。

 妄想は猛毒です。
 私たちは妄想によって苦しめられ、人生を生きにくくしています。

 たとえば、ある人と会話していて、その人の言葉にあなたがカチンときたとしましょう。
「この人は私を侮辱している」
「この人の命令するような口調が気に食わない」
「この人はなぜ、こんな自慢話ばかりをするんだ」・・・・etc.

 でも、こう思ってしまうのは、あくまであなたの主観ですよね。
 相手にそうした意図があったのかどうかを確かめたわけではありません。あなたが勝手に自分の頭の中で妄想しているだけなのです。
 そして、その妄想によって、あなたは怒りを感じてしまっている。
 心の中に怒りがあるだけでかなり苦痛ですし、それを相手に向けて発してしまえば、人間関係さえも壊れてしまいます。
 怒りはロクな結果を私たちにもたらさないのです。

 こうした妄想を止めるにはどうしたらいいのでしょうか。
 それは、「主観」の殻を破り、理性的に客観的に判断する能力をつけることです。つまり、物事を判断する際に、主観を入れ込まない。

 『執着しないこと』 第1章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 中経出版:刊

 主観がストップすると、妄想もストップします。
 その瞬間、心が無色透明のきれいな状態になり、「智慧」があらわれます。

 智慧とは、「目の前で起きている出来事に対して、何をすべきかが瞬間的にひらめくこと」です。

「自分」へのこだわりを捨てるには?

 スマナサーラさんは、「自分」というものをあまりに強く意識しすぎるから、怒ったり、悩んだり、際限ない欲望を感じたりと、私たちは苦しくなると指摘します。

 自分を客観的に意識するために、「自分を外に出す」という訓練があります。

 たとえば、あなたの名前が「田中」だとしましょう。
 そのあなたが、恋人との関係がうまくいかず、悩んでいるとします。そのときは、「田中が悩んでいますね」と言葉に出すのです。
 あるいは、焦って気持ちが動転しているときだったら、そのまま突っ走らないで「田中が焦っています」と実況中継をします。
 蚊に刺されて、無茶苦茶かゆいときであれば、「田中がかゆがっています」と、面白おかしく、いまの自分を説明しましょう。
 上司に怒られてズドンと落ち込んだら、とりあえず「田中が落ち込んでいます」とつぶやいてみましょう。

 こんな具合に、自分の心に浮かんだ感情や、自分のいまの行動や状況を、三人称で客観的に述べるのです。
 すると、そのときに生じた問題が、スーッときれいに解消されていきます。
 また、プレゼンテーションや試験であがってしまいそうなときにも、この方法は使えます。
 胸がどきどきしてきたら、「田中が緊張しています」と言葉にするのです。

 緊張すると、人は「どうしよう、どうしよう」と悩みます。緊張をほぐす方法に、手のひらに「人」という字を書いて飲み込むというのがありますが、これでは緊張はなかなかほぐれません。
 緊張をほぐすもっとも簡単な方法は、「私は緊張している」と自分で確認することです。いま感じている感覚が「緊張」とわかると、面白いことに緊張がスッと消えるのです。

 『執着しないこと』 第2章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 中経出版:刊

 スマナサーラさんは、自分を「他人」として見ることが大切だ、と述べています。
 仏教で「瞑想」といっているのは、じつはこうした訓練のことです。

 このような方法を繰り返すことで、身体の感覚をそのまま客観的に見る能力を磨きます。

「モノ」は使ってこそ、価値がある

 執着は「物惜しみ」という状態を生みます。

 物惜しみする人は、思考がとても暗くて、排他的です。
 仏教では、そういう思考を、精神的な病気のひとつとして見ます。

 スマナサーラさんは、この世のものはすべて「借り物」で、モノを「借りる」のは「使う」ためであると指摘します。

 たとえば、あなたがレンタカーを借りたとします。それは、そのままガレージにしまっておくためですか? そうではないですよね。それに乗って目的の場所に行くためです。どんな高級な包丁であっても、それを箱に入れて、100年間、棚にしまっておいても意味がありません。包丁は食材を切ってこそ意味があるのです。
 名器として知られるストラディバリウスも、金庫に眠らせておいては意味がありません。誰かがそれで曲を奏でてこそ、すごいバイオリンなのです。
 お金だってそうです。お金が貯まっていくのはうれしいことかもしれませんが、もっとうれしいのは、そのお金でほしいモノが買えたり、願いが叶ったりした瞬間ですよね。
 たとえば、わが子が受験に成功して、貯金の中から学費を払ってあげられた瞬間、親は非常に幸福を感じることでしょう。さらに、わが子から「お父さん、お母さん、ありがとう。こうやって学校に入れてくれたご恩は、一生忘れません」と感謝されようものなら、この上もなく幸せな気持ちになると思います。
 一方、お金を使わずに、貯めることばかりに専心すれば、「このお金を奪われてしまったらどうしよう・・・・」という怯えも出てきます。これは非常に不幸な状態です。

 物惜しみは、その人を確実に不幸にします。
「借り物」は、十分に使わせてもらって、その用事がすんだら、お返しする。
 モノは使うからこそ、私たちは幸せな気持ちになれるのです。

 『執着しないこと』 第4章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 中経出版:刊

 自分の身の回りのモノは、すべて「借り物」。
 自分の身体ですら、死んだら灰となって土に帰るわけですから、借り物です。

 借りた物は大事に使って、用がすんだら自分の手から離す。
 その精神は忘れないようにしたいですね。

あなたがすべきは、「いま」に対処すること

 過去は存在しません。未来もまだ存在しません。
 存在しないものを考えても、意味がありません。
 それこそ、時間とエネルギーの無駄ですね。

 スマナサーラさんは、それよりも、私たちが意識を集中すべきは「いま」です。「いまやるべきこと」にとことんエネルギーを注ぎましょうと強調します。

 というよりも、「いま」起こっていることに対して、即座に対処していかなければ、すべてが瞬時に変化していくこの無常の世界においては、大変なことになってしまいます。
 たとえば、火事に遭遇したとします。そのとき、あれやこれやと考えている時間はありません。火はあっという間に燃え広がっていきます。
 目の前の現実に対して、瞬時に正しい判断ができるか。とっさに正しい行動がとれるか。
 そうした即興の能力があるかどうかが、生死を分けることになります。

 仏教が、「妄想にふけってはならない。主観に支配されてはならない。理性を育てなくてはならない」といっているのは、そうした目の前の出来事に瞬時に対応できるように、能力を向上させるためです。

 『執着しないこと』 第5章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 中経出版:刊

 過去のことを悔やんだり、懐かしんだりする。
 未来のことを不安がったり、期待したりする。

 それらは、すべて現実にはないことを考えている、つまり「妄想」です。

「いま、目の前に起こっていることだけに集中する」

 それが、エネルギーを無駄に使わないための秘訣です。

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「杞憂」という言葉があります。
 中国古代の杞の人が、「天が崩れ落ちてきはしないか」と心配したという「列子」天瑞の故事に由来するものです。
 転じて、心配する必要のないことをあれこれ心配する意味になりました。

 私たちの日々感じている不安も、取り越し苦労であることがほとんどです。
 そういう意味では、「杞憂」のようなものかもしれませんね。

 確実なのは、「いま」この瞬間だけです。
 執着を捨てて、過去や未来にこだわらない生き方を心がけたいですね。

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