本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

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【書評】『プロフェッショナルの条件』(P・F・ドラッカー)

 お薦めの本の紹介です。
 P・F・ドラッカー教授の『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか (はじめて読むドラッカー (自己実現編))』です。

 P・F・ドラッカー教授(1909〜2005)は、20世紀を代表する大思想家です。
 東西冷戦の集結、転換期の到来、社会の高齢化をいち早く知らせるとともに、「分権化」「目標管理」「知識労働者」など、現在も使われているマネジメントの概念を生み出し、発展させてきました。

「知的労働者」として成果をあげるために必要なこと

 ドラッカー教授は、「二十世紀最大のできごと」として、「人口革命」を挙げています。

 人口革命では、
 量的な変化として、「世界人口の爆発的な増加」「平均寿命の爆発的な伸び」
 質的な変化として、「先進社会における労働力人口の中身の変化」「肉体労働者から知識労働者への重心の移動」

 があり、重要なのは、前者よりもむしろ後者です。

 現在は、最先端の先進国においては40%以上を占めるに至っています。
 このような大量の知的労働者が存在する社会は、いまだかつてありません。

 ドラッカー教授は、知的労働者の特徴として、彼らは生産手段を所有する。知識を所有しているからである。しかも、その知識は携行品であり、頭の中にあると指摘します。

 自分の持つ知識にふさわしい環境であれば、どんな場所、組織でも活躍できます。
 知識労働者の平均寿命が大幅に伸びる一方、組織が繁栄できる期間は短くなっています。

 グローバル化と競争激化。
 急激なイノベーションと技術変化。

 それらの波の中で、組織の寿命は、いっそう短いものになっていきます。

「最初に入った会社で定年まで働き続ける」
 そのような終身雇用制度を維持することは、今後ますます難しくなることが予想されます。

 知識労働者が生き残るために求められること。
 それは、いかなる組織でも必要とされる存在となる、すなわち、いかなる状況でも成果を上げることです。

 本書は、これからの社会における組織のあり方の変化を解説し、いかなる組織の中においても知識労働者として成果をあげ、貢献し、自己実現をしていくための方法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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何が産業革命をもたらしたか

 これまでの西洋の歴史の中では、数百年に一度、際立った転換が起こっています。

 例えば、産業革命が起こった1750年から1900年までの150年。
 その間に、資本主義と技術革新は世界を征服し、新しい世界文明をもたらしました。

 この150年間の資本主義と技術革新は、伝播の速度と、文明、階層、地理を越えたその到達度において、それまでに例がないものでした。

 この転換は、知識の適用によってもたらされた。東西両洋において、知識とは常に存在に関わるものだった。ところが一夜にして、それが行為に関わるものとなった。知識は資源となり、実用となった。常に私的な財であった知識が、ほとんど一夜にして公的な財になった。
 第一の段階として、知識は百年にわたって、道具、工程、製品に適用された。その結果、産業革命が生まれた。同時に、カール・マルクス(1818~1883年)のいわゆる疎外、階級闘争、共産主義がもたらされた。
 第二の段階、すなわち1880年ごろに始まり、第二次大戦の末期を頂点として、知識は装いを新たにし、仕事に適用された。その結果、生産性革命がもたらされた。この75年間において、プロレタリア階級は、上流階級に匹敵した所得を手にするブルジョワ階級となった。こうして生産性革命が、階級と闘争と共産主義を打ち破った。
 第三の段階として、第二次大戦後、知識は知識そのものに適用されるようになった。それがマネジメント革命だった。知識は、土地と資本と労働をさしおいて、最大の生産要素となった。
 しかしまだ、われわれの時代を知識社会と呼ぶのは尚早である。傲慢でさえある。われわれは、いまだ知識経済をもつにすぎない。とはいえ、われわれの社会が、すでに資本主義社会でないことは間違いない。

 『プロフェッショナルの条件』 Part1 1章 より P・F・ドラッカー:著 上田惇生:訳 ダイヤモンド社:刊

 現在は、産業革命以来の“転換期”のまっただ中です。

 資本主義を超えた社会、知識を主たる資源とした本格的な「知識主義社会」。
 土地、労働、資本といった資源は、知識という中核に据えるべき資源によって手に入る時代です。

 ドラッカー教授は、この事実は、社会の構造を根本的から変える。新しい社会の力学を生みだし、新しい経済の力学を生む。そして新しい政治を生むと述べています。

「成果をあげる能力」は習得できる

 ドラッカー教授は、さまざまなタイプの「成果をあげる人たち」に会い、成果をあげる人間のタイプなどというものは存在しないことに気づきました。

 成果をあげる人に共通しているのは、自らの能力や存在を成果に結びつけるうえで必要とされる習慣的な力である。企業や政府機関で働いていようと、病院の理事長や大学の学長であろうと、まったく同じである。私の知るかぎり、知能や勤勉さ、想像力や知識がいかに優れようと、そのような習慣的な力に欠ける人は成果をあげることができなかった。
 言いかえるならば、成果をあげることは一つの習慣である。習慣的な能力の集積である。そして習慣的な能力は、常に修得に努めることが必要である。習慣的な能力は単純である。あきれるほどに単純である。七歳の子供でも理解できる。掛け算の九九(くく)を習ったときのように、練習による修得が必要となるだけである。「六、六、三六」が、何も考えずに言える条件反射として身につかなければならない。習慣になるまで、いやになるほど反復しなければならない。

 私は小さいころ、ピアノの先生にこう言われた。
「残念ながら、君はモーツァルトをシュナーベルのように弾けるようにはならない。でも音階は違う。音階はシュナーベルのように弾かなければならない」。この言葉は、あらゆる仕事に当てはまる。しかし、おそらくあまりに当たり前のことだったためであろうが、彼女がつけ加えなかったことがある。それは、偉大なピアニストたちでさえ、練習に練習を重ねなかったならば、あのように弾けるようにはならなかったということである。

 どんな分野でも、普通の人であれば並の能力は身につけられる。卓越することはできないかもしれない。卓越するには、特別の才能が必要だからである。だが、成果をあげるには、成果をあげるための並の能力で十分である。音階が弾ければよい。

 『プロフェッショナルの条件』 Part2 2章 より P・F・ドラッカー:著 上田惇生:訳 ダイヤモンド社:刊

 卓越する能力を身につけるためには、生まれもった才能が必要かもしれません。
 ただ、成果をあげることは才能関係なく、誰にでも習得できるものです。

 そのために必要なのは習慣的な能力、つまり、「ひたすら反復する」こと。
 どんな技術も、体に沁み込むくらい繰り返さないと成果をあげるレベルまで到達できません。

時間を無駄にしているヒマはない

 ドラッカー教授は、成果をあげるための秘訣として、「集中」を挙げています。

 成果をあげる人は、もっとも重要なことから始め、しかも、一度にひとつのことしかしないとのこと。

 集中は、あまりに多くの仕事に囲まれているからこそ必要となる。なぜなら、一度に一つのことを行うことによってのみ、早く仕事ができるからである。時間と労力と資源を集中するほど、実際にやれる仕事の数や種類は多くなる。これこそ困難な仕事をいくつも行う人たちの秘訣である。彼らは一時に一つの仕事をする。その結果、ほかの人たちよりも少ない時間しか必要としない。

 かえって、いかなる成果もあげられない人のほうがよく働いている。成果のあがらない人は、第一に、一つの仕事に必要な時間を過小評価する。すべてがうまくいくものと楽観する。だが誰もが知っているように、うまくいくものなど一つもない。予期しないことが、常に起こる。しかも、予期しないことは、ほとんど常に、愉快なことではない。したがって、成果をあげるためには、実際に必要な時間よりも余裕を見なければならない。
 第二に、彼らは急ごうとする。そのため、さらに遅れる。成果をあげる者は、時間と競争しない。ゆっくり進む。
 第三に、彼らは同時にいくつかのことをする。そのため手がけている仕事のどれ一つにも、まとまった時間を割けない。いずれか一つが問題にぶつかると、すべてがストップする。

 成果をあげる人は、多くのことをなさなければならないこと、しかも成果をあげなければならないことを知っている。したがって、自らの時間とエネルギー、そして組織全体の時間とエネルギーを、一つのことに集中する。もっとも重要なことを最初に行うべく、集中する。

  『プロフェッショナルの条件』 Part3 4章 より P・F・ドラッカー:著 上田惇生:訳 ダイヤモンド社:刊

 マルチタスク、すなわち二つ以上の作業を同時に平行して進める。
 一見効率がいいように見えますが、トータルで考えると能率は落ちているのかもしれません。

「極力まとまった時間をとって、もっとも重要なことを最初に集中して行う」

 結局はそれが、もっとも効率的で成果の上がる仕事の進め方です。

「柔軟性」と「多様性」をあわせもつ組織

 ドラッカー教授は、これからの組織は、情報を中心とする組織、つまり「情報型組織」になると述べています。
 フラットで、マネジメントの階層が従来の組織より圧倒的に少ない組織になるとのこと。

 情報型組織は、組織内の個人と部門が、自らの目標、優先順位、他との関係、意思の疎通に責任をもつときにのみ有効に機能する。したがって情報型組織においては、みなが「いかなる貢献と業績が期待されているか」「何が責任か」「自分が行おうとしていることを、組織内の誰が知り、理解すれば、協力し合えるか」「組織内の誰に、いかなる情報、知識、技術を求めるべきか」「誰が、自分の情報、知識、技術を求めているか」「誰を支援すべきか」「誰に支援を求めるべきか」を問わなければならない。
 従来の組織は、軍をモデルにしている。ところが情報型組織は、オーケストラに似ている。すべての楽器が同じ楽譜を演奏する。受けもつパートは異なる。いっせいに演奏するものの、同じ音を合奏することはめったにない。バイオリンの数が多いからといって、第一バイオリンがホルンのボスであるわけではない。第一バイオリンは、第二バイオリンのボスでさえない。しかるにオーケストラは、一晩に、演奏様式も楽譜もソロの楽器もみなまったく異なる曲を五つも演奏する。
 ただし、オーケストラにあっては、楽譜はあらかじめ指揮者と演奏者に渡されている。企業にあっては、楽譜は演奏中に書かれていく。情報型組織の中の人間はみな、あらかじめ明確にされ、合意された目標をもって、楽譜を知る手がかりとしなければならない。したがって、目標と自己管理によるマネジメントすなわち目標管理が、当然のこととして、情報型組織を統合する原動力となる。
 かくして情報型組織は、高度の自己管理を要求するがゆえに、迅速な意思決定と対応を可能にする。さらに柔軟性と多様性を内包する。

 『プロフェッショナルの条件』 Part4 3章 より P・F・ドラッカー:著 上田惇生:訳 ダイヤモンド社:刊

 情報型組織は、これまでのようなピラミッド型の強固なものではありません。
 必要に応じて形を変えることが可能な変幻自在なものです。

 他の組織からの人材、フリーランスの人材などを適宜に組み込む。
 そうしながらプロジェクトを進めていくのが主流になるのでしょう。

 私たちも「その他大勢」ではなく、ときには「ソリスト」して活躍できるほどの知識や技術を持ち合わせている必要があります。

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 本書は、ドラッカー教授の過去の膨大な著作の中から、「一人ひとりの人間とそのあげるべき成果、成し遂げるべきこと」に焦点を絞ってまとめられたものです。

 中身については、ドラッカー教授が数十年も前から指摘していることがほとんどです。

 しかし、今読んでもまったく色褪せていません。
 むしろ、この時代だからこそ輝きが増している、そんな気がします。

 あらためて、ドラッカー教授の「時代の先を読む力」に感服させられます。

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