本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『人生を変える練習。』(アルボムッレ・スマナサーラ)

 お薦めの本の紹介です。
 アルボムッレ・スマナサーラさんの『人生を変える練習。 ~ブッダの「意志」強化術』です。

 アルボムッレ・スマナサーラさんは、スリランカ上座部仏教の長老です。
 1980年に来日され、現在は、日本で上座部仏教の普及と瞑想指導に従事されています。

「ブッダの意志強化術」は幸せになるためのツール

 日々希望や願望を持ち、それをかなえるために一生懸命がんばる。

 それは、大きな意志力を必要とするため、とても大変なことです。
 しかし、だからこそ、とても大きな意味があります。

 スマナサーラさんは、意志の強化は自分の意志をどの方向に強化するかということに注意しなければいけないと強調しています。

「お金持ちになりたい」「いつまでも若々しくありたい」という自分本位の動機は単なる「欲」です。
 それらを育てることは「意志の強化」ではなく「欲の強化」となります。

 「〜したい」「〜しよう」という思いが、「意志」なのか「欲」なのか。この違いをきちんと理解することが、意志を強化するときには非常に大切なことです。

 スマナサーラさんは、意志の力を「欲=汚れた願い」を満たすために利用するのではなく、「善=幸せ」のために強化すれば、軽やかに、清々しく、幸せに生きることができると強調しています。

 本書は、「意志」とは何か、「意志」はどのように鍛えられるかを、お釈迦さまの教えに従い、論理的な脳科学的アプローチによって解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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目標を設定すると、すべきことの優先順位が変わる!

 スマナサーラさんは、意志の強化は、目的を達成するために行うもので、正しい目的が定まれば、自分がするべきことの優先順位が決まってくるので、やめる力を強化しなくても、必要のないことは自然とやらなくなると述べています。

 一日は24時間しかありません。その中で、どんな人間であれ、まずは生きるために食べたり、寝たりしなければなりません。生きていくためにはお金が必要ですから、仕事もしなければなりません。これだけで、かなりの時間を費やすことになるでしょう。
 さらに、自分が定めた目的を達成するために行動する時間をつくらなければなりません。
 それは、新しい語学を習うことであったり、何かの運動やデモに参加することであったり、目的は人それぞれだと思いますが、それなりに時間を要するでしょう。
 このように、すべきことの優先順位に従って行動していれば、一日はけっこう忙しいものであり、テレビを何時間も見ている暇などなくなるのです。それは、「やめる力」を育てたのではなく、人生の目的が決まったから、テレビを見るという優先順位が低くなり、後回しになったということです。
 テレビを見ることが、いいとか悪いとか言っているのではありません。テレビを見ること自体は、善でも悪でもありません。しかし、だらだら見続けてしまう自分に嫌気がさしているのであれば、人生の優先順位を決めると、自然にテレビを見る時間は限られてくるということです。
 テレビを見るなり、音楽を聴くなり、ゲームをするなり、何をしてもけっこうです。余った時間なので、問題はありません。しかし、正しく優先順位をつくって、有意義に生きる人にとっては、それほど時間は余らないのです。

 『人生を変える練習』 第1章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 大和書房:刊

 例えば、テレビを何となくダラダラ観てしまう。
 それも、自分がするべきことの優先順位が決まっていないことが原因です。

 単なる「欲」ではない「正しい目的」をしっかりと定めること。
 まずは、そこから始めたいですね。

意志は、次のステップに変化するためのエネルギー

「意志というのは、一つの仕事(目的)を成し遂げるためのもの」です。

 私たちは「手を動かす」「歩く」「座る」といった意思を生み出すことで身体を動かしています。

 私たちの心も常に、ものすごいスピードで変化していっています。「歩く」「座る」といった行動を引き起こすためには心のはたらきが必要ですが、それ以外にも「暑い」「寒い」とか、「きれいだ」とか「気に入らない」とか、実にさまざまなことを考えたり、感じたりしています。
 意志とは、すべて心に常にあるものです。心に溶けているものを仏教用語では「心所(しんじょ)」といい、意志は心所の一つです。
 心も物質や肉体と同じように常に不安定なので、安定を求めて変化し、一瞬の安定を得れば、また不安定になり安定を求めて変化していきます。その次のステップに変化するためエネルギーが意思そのものですから、意志は「ポテンシャル」だとも理解することができます。
 ポテンシャルというのは、「潜在的に秘めている能力」「可能性としての能力」のことです。
 たとえば、テーブルの端にコップを置いたとしましょう。このコップはグラグラ揺れて不安定になりますから、安定を求めて床に落ちます。そのとき、コップは割れるかもしれませんし、割れないかもしれません。割れるか割れないかは、その物質の持っているポテンシャル(エネルギー)によって決まるのです。
 それと同じように、意志が次にどのように変化するかは、今ある意思のポテンシャル(エネルギー)によって決まります。ですから、意志は意志によって強化することができるのです。
「意志を強化したい」という意志が生まれれば、その次の意志を強くする方向に変化させることができます。意志は自動的に次から次へと生産されていきますが、その中で「意志を強くする」という流れに変えることができるのです。

 『人生を変える練習』 第2章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 大和書房:刊

 意志は、行動する度に、その都度その都度生み出されるものです。
 生まれる意志は、その人の意志のポテンシャル、「心所」で決まります。

 強い意志を生み出すためには、普段から自分の望む方向へ心を向け続ける必要があります。

「善」か「悪」かで決める

 人の心と身体は、瞬間、瞬間に変化し続け、一瞬たりとも止まることがありません。
 仏教では、その決して止まることのない流れに対し、「どうせ変化し続けているのだから、その流れにちょっと手を加えて進化させる方向に変えましょう」と教えています。

 スマナサーラさんは、心の流れをよい方向に進化させ、成長させるためには「目的設定」が重要であると強調し、以下のように説明しています。

 意志を強化するための目的というと、たいてい「ダイエット」とか「健康」「長生き」「昇進」「お金儲け」といったことをもち出されるでしょう。たしかに、人は健康に生きることを考えたり、生きるためのお金を稼いだりすることが必要ですが、必要以上に健康にこだわったり、稼いだりするのは、健康やお金に執着しているだけです。それは、欲や怒りといった悪の心所に支配されたことになるのです。
 私たちは、貪瞋癡(どんじんち)といった執着心や「不老不死」というかなわない願いを捨てて、真に自由にならなければなりません。人生の目的設定が、「健康」や「お金」では、人間として情けなさ過ぎます。
 健康に生きようと思うことは、人間の基本的な欲求として当たり前のことです。あえて期待する必要がありますか? もし誰かが、「健康はどうでもいい」という生活をするならば、その人の思考はおかしいのです。
 しかし考えてみましょう。「健康に生きる」ということは、生きる目的として設定するには、あまりにも惨め過ぎるのではないでしょうか? 健康でいるだけでは、おもしろくないでしょう。
 何か別なことをめざしたくて、そのために健康でいることが必要だとするならば、理性的です。たとえば、ある医学者が新たな治療方法を研究しているとします。世界に認められる成果が出るまで、研究し続けなくてはなりません。しかし、病気で倒れたならば、すべて水の泡です。ですから、その医学者は、健康でいることに気をつけます。それは理性的です。

 『人生を変える練習』 第3章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 大和書房:刊

 ただ「健康になりたい」「お金持ちになりたい」と願うだけでは、上手くいきません。

「なぜ、健康でいたいのか?」
「なぜ、お金持ちになりたいのか?」

 そういう、もっと根源的な欲求まで遡って明確にする必要があります。
 その理由が単なる「欲」でなく、理性的でなければなりません。

一回限りの意思を大切にする

 スマナサーラさんは、『「意志」は使い捨てである』と強調しています。

 意志はどこまでも強くするものではなく、1時間単位の小さい目的ごとにいつでもテーラーメイドされ(目的に合わせてつくられ)、その仕事が完了したら、もう必要はなくなります。

 たとえば、ジュースを飲むときには、紙コップが必要でしょう。でも、ジュースを飲んだら、その紙コップはもう必要なくなるので捨てるでしょう。紙コップをいつまでももっている必要はありません。次にアイスクリームを食べようと思ったら、違う紙コップを使い、食べ終わったら、その紙コップも捨てるでしょう。
 一つの行為をするたびに、それに合わせた意志が必要となるので、意志は目的ごとに合わせて生まれ、目的を達成したら消えていくのです。
 あなたが何か資格をとりたいと決めたのであれば、試験を受けるところまでは強い意志が必要ですが、試験が終わったらもうその意志は必要ありません。試験の結果が合格であれば、次は「資格を生かした仕事を探す」という別の意思が必要になるからです。もし、不合格であったら、「もう一度試験にチャレンジする」という意思や「違う道を進む」という意志が必要になります。
 意思というのは目的を設定すると自動的に生まれてくるものであり、その意志で一生懸命がんばりますが、目的を達成したらその意志は捨てて、新たに目的設定をしなければならないのです。
 くりかえしになりますが、私たち人間に必要なのは、目的を設定することです。そして、目的を達成しやすくするために1時間、30分、10分などの小さい単位に目的を分割します。小さな単位の目的なら、達するのはいたって簡単であると発見します。そうすると、目的達成するために必要な意思が自然に(自動的に)現れてきます。目的を分割しないで、大きいままで置いておくと、達する見込みが見えなくなります。
 達するのが難しい、達しそうもない、と感じてしまうと、意志には出番がありません。やる気が出てこなくなり、後回しにしたくなるのです。目的を短時間でこなせる小さなに分割すれば、達成するまでに必要な意志がそこに現れています。そして、ただ実行するだけです。

 『人生を変える練習』 第4章 より アルボムッレ・スマナサーラ:著 大和書房:刊

「初志貫徹」

 この言葉があるように、最初に決めたことを最後まで貫くのが素晴らしいとされています。
 しかし、意志は本来使い捨てにすべきもの。

「一つの行動に一つの意志」

 目的までの過程をできるだけ細かく分けて簡潔にし、集中してこなすこと。
 その積み重ねが、困難な大きな目標を成し遂げる力になります。

 普段から心がけたいですね。

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 お釈迦さまが、瞑想によって、人間の心の奥深くまで探求して、ついに「真理」に到達し、悟りを得られたのは2600年も前のこととされています。
 たったお一人で、文明の利器もなにもない時代にそれを成し遂げられたのですから、本当に驚嘆すべきことですね。
 お釈迦さまの知恵は、まさに「人類の宝」です。

 スマナサーラさんは、影が人から離れないように、いつでも自分の心に強い意志がついているはずとおっしゃっています。
「強い意志」の力を発揮するのを妨げているのは、自分自身の心のなかの「欲」や「不安」などの余計な感情です。

 願いがかなわないのは、その願い自体が不自然だから。
 その願いが自分本位の「欲」に根づいたものであるから。

「自分は何をやっても長続きしない」

 そういう方は、本書を読んで、一度自分の心としっかり向き合ってみていかがでしょうか。

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