【書評】『原発ゼロ』(小出裕章)
お薦めの本の紹介です。
小出裕章さんの『原発ゼロ』です。
小出裕章(こいで・ひろあき)さんは、放射線計測、原子力安全がご専門の工学者です。
原子力の平和利用を夢に抱いて、原子核工学科に入学するも、反原発集会へ参加されたことを機に、「反原発」にご転身されました。
以来40年以上にわたり、一貫して「原子力をやめることに役立つ研究」を続けていらっしゃいます。
福島の事故は、「終わったこと」なのか?
2011年3月に起こった東日本大震災。
地震による巨大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所のトラブル。
日本国内のみならず、世界中を震撼(しんかん)させる重大事故となりました。
「原発は安全だ」
「原発は事故を起こさない」
これまで私たちは、政府や電力会社のそんな言葉を鵜呑(うの)みにして、原発の危険性を知ることがありませんでした。
しかし、この事故で、放射能汚染の恐ろしさを身を持って体験することとなりました。
2011年12月には、政府は「福島の事故は収束した」と宣言。
今後は随時、全国の原発を再稼働させ、これからも原発を推進する方針を示しています。
その一方で福島第一原発内では、毎日約300人の作業員が、今も被曝(ひばく)しながら収束作業にあたっており、廃炉に向けた長く厳しい道のりはまだ始まったばかりといえる状況です。
2013年の9月、安倍晋三首相は東京オリンピック招致の最終プレゼンテーションで、「福島の事故は、完全にコントロールされている」と強調しました。
福島第一原発事故から三年以上経った今、政府だけでなく、世の中が「原発事故はすでに終わったこと」という空気が漂い始めています。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
本書は、長年、原発をなくすための研究をしてきた小出さんが、原発の危険性や放射能汚染の現実について解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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追い詰められる汚染水との闘い
福島第一原発を巡っては、度々、汚染水の漏(ろう)えい事故のニュースが取り上げられます。
このような事態が起こってしまう大きな原因のひとつが、地上に設置したタンクの構造でした。
今でも、増え続ける汚染水を入れるために、それを貯めるためのタンクをどんどん増設しています。
その多くが、間にパッキンを入れて鋼板をボルトでつなぎ合わせただけの、非常に応急的なタンク
です。
タンク設置する作業員の作業時間が極端に制限され、鋼板同士を溶接するなどの時間のかかる作業が難しいのが、その理由です。
福島第一原発の敷地内は、いまだに放射線量が猛烈に高いままです。
東電の方針としては、設置の容易な簡易タンクをとりあえず設置し、後から、しっかりした溶接タンクに切り替えようということのようです。
作業員はアラームメーターをつけて入りますが、場所によっては、作業できる時間が分刻みとなるところもあります。
そうして作業員の被曝の代償につくられた、この円筒形のフランジ型と呼ばれる簡易タンクを含む汚染水タンクが、2013年10月末の時点で1048基、福島第一原子力発電所の敷地内に置かれていました。このうち、1〜4号機から出た汚染水を貯めているのは958基で容量は約33万トン。そしてこれが、炉心を冷やすために注入され続けている水と、とめどなく流れ込む地下水とで満杯になるのは時間の問題と危ぶまれていた中、度重なる台風が次々と豪雨をもたらしました。
この時、タンク周りの堰(せき)に溜まった汚染水が海に流れ出る、あるいは濃度が測られないで排出されるいう不手際が起こりましたが、その後さらに困ったのは、どこへも行かずに堰(せき)に溜まったままの汚染水のやり場です。それで東京電力は仕方なく、汚染水が漏れたからもう使わないと一度は決めた地下貯水槽に、この溜まった汚染水を再び入れたのです。
これはあくまでも一時的な処置ということで、今も簡易タンクを溶接タンクに置き換える、さらにタンクを増やすという作業が進められていますが、この間にも、どんどん汚染水は漏れているわけです。それでいて、炉心を冷やすためにはとにかく水を入れ続けなければなりません。そのうえ地下水も入り込んでいます。そうして一日に増え続ける汚染水の量は約400トン。簡易なフランジ型のタンクをスピーディにつくったとしても、その一基あたりの容量は450トンです。より大容量のタンクをしっかり溶接してつくるのには時間がかかり、タンクの容易が遅れれば、汚染水の貯蔵ができなくなります。そして仮に作業員が、甚大(じんだい)な被曝をしながら間に合うペースでつくっていけたとしても、タンクを置くスペースには限りがあります。いつまでもこの方法を続けていては、いずれ破綻(はたん)することは目に見えています。『原発ゼロ』 第一章 より 小出裕章:著 幻冬舎:刊
すでに1000基近いタンクに、約33万トンの汚染水が溜め込まれています。
しかも、毎日400トンもの汚染水が増え続けているとのこと。
私たちの想像を超えるものすごい量の汚染水ですね。
このまま自転車操業を続けていても、いつかは限界がきます。
早急な抜本的対策が望まれますね。
放出したセシウムの量はどれくらい?
原発の燃料であるウランが核分裂をすると、200種類に及ぶ放射性物質ができます。
福島第一原発の事故で大気中に放出された主な放射性物質は、希ガス、ヨウ素、セシウム、ストロンチウム、プルトニウムなどです(下表2参照)。
小出さんは、その中でも「セシウム137」が人類にとっては最も危険が大きい核種
であると指摘しています。
セシウム137は、大気に放出された量が多く、半減期も30年と長いためです。
では、この危険なセシウム137が福島第一原子力発電所からどれだけ噴出したのか、先ほどの表2(下表2参照)から値を取り出してみます。図8(下図8参照)を見てください。数字だけでは多分みなさんピンとこないでしょうから、わかりやすくわかりやすくするために量の違いを面積で表してみました。数字は無視して頂いて結構ですので、面積を比べてみてください。
まず、左下に小さい四角を書きました。これは広島原爆が大気中にまき散らしたセシウム137の量です。それで、福島第一原子力発電所がどれだけ放出したかというと、1号機だけで広島原爆の6発分から7発分。そして何と言っても大量に出したのが2号機で、もう広島原爆の四角が何個入るのかわからないくらいの大きさです。そして2号機に比べればずっと少ないですが3号機からも噴出して、1号機から3号機まで合わせると、広島原爆の168発分になります。
これでも十分驚く量ですが、この数字は日本政府が発表したもので、私は信じていません。なぜなら、政府はこれまで原子力発電は絶対安全たと言って、この小さな国土に58基もの原子力発電所を認可してつくらせた張本人です。責任があるというのでは甘く、「犯罪」と呼ぶべきことをやったのです。犯罪者が自らの罪を正しく申告する道理はありません。私は政府が発表した数字の2倍から3倍はあると思っていますが、実際に2倍、3倍という評価を出していることろもあります。私はそちらが正しいだろうと思っています。つまり、広島に落ちた原爆がまき散らした死の灰の、400倍、500倍もの量が、福島第一原子力発電所から大気に放出された。これは本当に大変な事故なのです。『原発ゼロ』 第二章 より 小出裕章:著 幻冬舎:刊
表2.大気中への放射性物質の放出量の試算値 図8.大気中に放出したセシウム137の量の比較
(『原発ゼロ』 幻冬舎:刊 P61、63 よりそれぞれ抜粋)
放射性物質は目には見えません。
福島第一原発事故が実際にどの程度の被害だったのか、なかなかイメージできませんね。
広島に落ちた原爆がまき散らしたセシウム137の200倍近く、もしかしたら400〜500倍が放出されたと聞かされると、ことの重大さに改めて気付かされます。
「プールの底に眠る放射能」は、どれくらい?
炉心溶融(メルトダウン)が起こっている福島第一原発の1号機から3号機の汚染水は、早々に解決しなければならない重大問題です。
しかし、それらを上回る緊急性を要しているのが4号機の使用済み核燃料の処置です。
4号機は、事故が起こった時には定期点検中で停止しており、原子炉の炉心にあった核燃料はすべて、同じ建屋の上階にある使用済み核燃料プールに移されていて、今も、大量の核燃料がプールの底に沈められています。
4号機のプールに眠っている使用済み核燃料の数は、じつに1331体にもなります。
算出された使用済み核燃料の放射能の総量は、広島原爆の14000発分にも上ります。
もう一つ、4号機の使用済み核燃料プールでは心配なことがあります。それは、プールがいわば宙吊(ちゅうづ)り状態になっていることです。事故当時、4号機は定期検査中で、炉心の中に核燃料は一切入っていなかったわけですが、それでも原子炉建屋で爆発が起こり、建屋が大規模に破壊されてしまいました。それもかなり特殊な壊れ方で、最上階にはオペレーションフロアというのがあったのですが、1号機と3号機はそのフロアだけ吹き飛んだのに、4号機の場合には、そのフロアとさらにその下の階の壁までが吹き飛んでしまいました。そして壁が吹き飛ばされたその階に埋め込まれていたのが使用済み核燃料プールです。
事故直後、消防庁や自衛隊が大量の水をかけている映像が流れましたが、これは、この4号機の使用済み核燃料プールへの対応でした。プールが万一どこか破損して水が漏れているようなことがあれば、大量の核燃料が溶け出すことになり、大変な惨事を招くことになるからです。でも、幸いプール自体は大きく壊れてはいませんでした。しかし、次にまた大きな地震がくれば倒壊するかもしれないという、大変不安定な状態にあります。東京電力も危機感を持ち、事故直後に応急耐震補強工事をやりましたが、被曝環境での突貫工事だったためにきちんと工事ができたかどうかがまず不安ですし、工事ができたのはプールの半分だけで、今も半分が宙吊りのままです。現在も福島第一原子力発電所周辺では毎日のように余震が起きているわけですけれども、もし大きな余震が起きて使用済み核燃料プールが崩れ落ちてしまえば、これまでの放出量とはケタ違いの放射能がまた噴き出してきてしまうことになるわけです。ですから、4号機の使用済み核燃料プールに沈んでいる核燃料は、少しでも危険の少ないところに一刻も早く移さなければいけないということで、この作業は行われています。『原発ゼロ』 第三章 より 小出裕章:著 幻冬舎:刊
地震大国の日本ですから、いつまた、あのような大地震が襲ってくるかわかりません。
宙吊りのプールの中にある、使用済み核燃料の安全性が気になるところですね。
東電の廃炉への工程表では、この4号炉の燃料取り出しは、2014年末までに終えるとしています。
予定通り、無事に終わることを祈るばかりですね。
家庭で食材の「ベクレル」を測る方法はあるのか?
放射能は、目には見えませんが、専用の測定器があれば測定することはできます。
「3.11」以降、簡易的な放射能測定器が、一般の家庭にまで広まっています。
実際に、野菜などの食材をそのような機器を使って簡単に放射能を測定できるのでしょうか。
申し訳ありませんが、ありません。みなさん、もちろん知りたいと思うでしょうし、実際、多くの人たちが測定器を購入したりして測ろうとしてきたと思います。今でも測ってくださっている人たちもいらっしゃるわけですけれども、そういう測定器で食べ物の汚染が測定できるということは、基本的にありません。正確に放射能を測定するのは、大変難しいことなのです。一般の人が簡単に放射能を測定できるというふうには、むしろ思わないでいただきたいと思います。やはり、しかるべきところで測ってもらわないといけないという、そういうものです。
(中略)
私たちの命は遺伝情報によって支えられており、その遺伝情報を支えているDNAは数エレクトロンボルトという単位のエネルギーで分子結合しています。それに比べて放射線、例えばセシウム137のガンマ線が発するエネルギーは、66万1000エレクトロンボルトと数10万倍も高いのです。みなさん、どなたでも、ちょっと風邪をひいて体温が1度上がることがあると思います。でも、死なないですね。しかし、放射線からエネルギーを受けると、1000分の2度体温が上がるだけで遺伝情報がズタズタに切り裂かれてしまい、100パーセント人間は死んでしまうのです。放射能は五感に感じられないとよく言われます。私たちが「放射能」と呼んでいるものは正しく呼ぶと放射性物質です。物質である以上、形もあれば色もあります。場合によっては臭いだって感じられるはずです。しかし、放射線は生命体に対して圧倒的に有害であるため、もし五感で感じられるほどに放射能が存在していれば、人間は生きていられません。福島第一原子力発電所の事故で大気中に放出されたセシウム137は総量でも5キログラムしかありません。そのうち東北地方、関東地方の広大な地域に降り注いだセシウム137はわずか1キログラムしかないのです。到底目で見えるようなものではありません。そういうものを相手にしているわけで、目に見えるなんていうことは決してありませんし、簡単に測定できることもないと思ってください。『原発ゼロ』 第四章 より 小出裕章:著 幻冬舎:刊
放射能は、過度に恐れる必要はありませんが、決して侮ってはいけないもの。
たった数キログラム、空中に放出されただけで、これほどの重大事故になってしまいます。
人体に及ぼす危険性は、私たちの想像を絶しますね。
放射線による内部被曝の影響はすぐには現れず、時間とともに徐々に明らかになります。
被害の少ないことを願うばかりです。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
人間は慣れる生き物です。
福島第一原発事故の発生から月日が経った今、多くの日本人は、そのショックから立ち直り、以前と変わらない生活に戻っています。
テレビや新聞でも、原発事故に触れるものはほとんどなくなりました。
震災関連の話題も被災地の「復興」ばかりが取り上げられています。
福島の事故は、このまま「過去の出来事」として、多くの人の記憶の彼方へ消え去り、日本各地に散らばっている原発は再び動き出す・・・・めでたしめでたし。
しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
原発の問題は「3.11」から月日が経った今だからこそ、一人ひとりが向き合うべき課題です。
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