本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『7日間で突然頭がよくなる本』(小川仁志)

 お薦めの本の紹介です。
 小川仁志さんの『7日間で突然頭がよくなる本』です。


 小川仁志(おがわ・ひとし)さんは、商社マン、フリーター、公務員を経た異色の哲学者です。
 現在は、テレビのコメンテーターとしてご活躍される一方、商店街で「哲学カフェ」を主宰するなど、市民のための哲学を実践されています。

「頭がよい=物事の本質をつかめる」

 大学卒業後に入った大手商社で落ちこぼれ。司法試験にも失敗。
 4年半のフリーター生活の末に拾ってもらった名古屋市役所でも落ちこぼれ。

 そんな小川さんを救ったのが『哲学』でした。
 哲学との出会いが、私を「頭のよい人間」に生まれ変わらせてくれたと述べています。

「頭がよい」ということの意味は、物事の本質をつかめる人のこと。

 例えば、会議でも授業でも、いったいいま何が問題になっているのか、何の議論をしているのか、それがきちんとわかることが、本質をつかむということです。

「頭がよい=物事の本質をつかめる」

 その賢さを提供してくれるのが、『哲学』という学問です。
 哲学のもっとも基本的なパワーである「物事の本質をつかむ」という方法をマスターすれば、短期間で頭をよくすることも可能です。

 本書は短期間で哲学の考え方を学び、「物事の本質をつかむ」方法をわかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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社会のことを知らなければならないワケ

 最初にやるべきは「社会のことを知る」ということです。
 小川さんは、社会のことを知るためには、最低限の教養が必要であると指摘しています。

 物事の本質をつかむためには、そのものをいくら眺めていても答えは出てきません。これからじっくり時間をかけてやるように、その物事を分析することが必要になってくるのです。その際求められるのが、対象になっている物事に関連する知識です。例えばリンゴの本質を考えるとき、それがどんなものなのかを知らなければ、何も語ることはできませんし、分析もできないのです。
 赤くて、手のひらサイズで、世界中で見られる果物と知っていれば、まず何らかの分析はできます。でも、それでもまだ足りません。例えば、リンゴが聖書に出てくる禁断の果実で、知恵の象徴と知っていれば、さらにリンゴの姿が立体的になってきます。
 また、史実かどうかは別としてニュートンが実験に使ったエピソードや、ウィリアムテルが射抜いたリンゴの逸話、セザンヌが描いたリンゴ、リンゴを模(かたど)ったビートルズのレコードレーベルのマークや、アップル社のロゴマークなども知っていればよりいいでしょう。
 つまり、こうした知識をもっていると、リンゴがどのように使われてきたのかがわかり、人間にとってリンゴというものがどういう存在なのかがより鮮明になるのです。具体例は多ければ多いほどよいのです。とはいえ、あまり多いと整理するのが大変ですから、象徴的でかつ異なる種類のものが10個くらい挙げられればいいのではないでしょうか。
 物事の本質は一つです。でも、その一つの本質をつかむには、いったんその物事の姿を相対化する必要があるのです。ここでいう相対化とは、そこに複数の姿を読み取るということです。リンゴの顔は一つではありません。江戸川乱歩の小説の登場人物怪人二十面相ではないのですが、果物としてのリンゴ、絵としてのリンゴ、象徴としてのリンゴなど様々な顔を持っているのです。まずはそれを知ることです。
 たった一つの顔しか知らなければ、相手に騙(だま)されてしまいます。この点では怪人二十面相と同じであり、物事の本質を見抜く行為は『怪人二十面相』に登場する名探偵・明智小五郎の推理と何ら変わらないのです。

 『7日間で突然頭がよくなる本』 1日目 より 小川仁志:著 PHP研究所:刊

「リンゴ」ひとつとっても、さまざまな意味や側面を持っています。
 ひとつの側面だけを見て、そのもののすべてを知ったと勘違いしてしまってはいけません。

 常識の範囲で、「最低限の教養」として押さえるべきは、以下の4つの分野です。

  • 自然学(科学)
  • 歴史
  • 文学
  • 時事
  • 「物事の本質」をつかむカギ

     小川さんは、哲学概念のうちから最重要と思われるものを10個挙げています。

     その中のひとつが、「カテゴリー」という概念です。

     通常のカテゴリーは「範疇(はんちゅう)」と訳され、物事を分類する基準という意味で用いられます。頭がよい人は頭の中がきれいに整理されているものです。頭の中に入ってくる情報を瞬時に種類に分け、階層化していくことができるのです。そして本質的な内容を選びとっていくわけです。
     哲学でカテゴリーというと、古代ではアリストテレスの『カテゴリー論』を指します。これは、世の中に存在するあらゆる物事がその下に分類される上位の観念で、基体、量、性質、関係、場所、時間、位置、所持、能動、受動、の10項目が挙げられます。
     たしかに量や性質、場所、時間といった事柄で何でも分類することはできますね。
     近代以降では、カントの「認識的カテゴリー」が有名です。カントは、人間が対象となるものをきちんと認識できるように、量、質、関係、様相の4つの項目と、それに係(かかわ)る各々3つのサブカテゴリーを掲(かか)げました。いわば、人間が物事を理解するための頭の中のモノサシのようなものです。
     したがって、通常の意味で使われるカテゴリーよりは狭く、あくまで認識のための頭の中の分類表である点に注意が必要です。カントのカテゴリー自体は非常に難解で、私たちが日常物事を整理し、分類するのにそのまま使えるとは思えません。
     むしろここで参考にしたいのは、頭の中に自分なりのモノサシを設定するという発想です。例えば、いきなり欲張らなくとも、自分はまず種類と性質に着目して分類するというのでもいいと思います。そしてその各々の下に、サブカテゴリーをぶらさげて階層化してやればいいのです。
     車に関してならば、セダン、ミニバン、スポーツカー、四駆(よんく)、軽自動車という種類に分けて、さらにその各々を細分化していくのです。あるいは性質という面では、ガソリン車と電気自動車という分け方もできます。要は、車と聞いて、瞬時に頭の中にそういうカテゴリー表がパッと展開するかどうかです。

     『7日間で突然頭がよくなる本』 3日目 より 小川仁志:著 PHP研究所:刊

     ただ知識を放り込んだだけでは、頭の中がごちゃごちゃな状態のままです。
     いざというときに、それらを探しだすことが難しいですね。

     知識は単体として覚えるよりも、他の知識と関連付けて階層化しながら覚えることで整理されます。

     頭の中に自分なりのモノサシ、持っておきたいですね。

    「マイナス要素をプラスに転じる」考え方

     小川さんは、ドイツの近代哲学者ヘーゲルが提唱した、「弁証法」という概念を取り上げています。

     問題が生じたときに、それを克服して、さらに一段上のレベルに到達する思考方法を指します。これによって一見相容(あいい)れない二つの対立する問題を、どちらも切り捨てることなく、よりよい解決方法見出すことができるのです。
     ヘーゲルの弁証法は、「正→反→合」、あるいはドイツ語で「テーゼ→アンチテーゼ→ジンテーゼ」などと表現されます。止揚(しよう)するとか、アウフヘーベンするとかいわれることもあります。いわば問題点を生かしつつ保存しようというのです。
     つまり、ある物事(テーゼ)に対して、それに矛盾する事柄、あるいは問題点が存在するような場合に(アンチテーゼ)、これらを取り込んで、矛盾や問題点を克服し、より完璧に近い発展した解決法(ジンテーゼ)を生み出すという方法です。

     これは単なる二者択一による妥協や折衷(せっちゅう)案とは違います。物事は何でも矛盾を抱えています。正の側面もあれば、他方で必ず負の側面も有しているのです。それでも物事は存在しています。いい換えるならば、いかなる問題も乗り越えられないはずがないのです。
     さらにいうならば、この弁証法のプロセスは一回きりで完結するものとして想定されてはいません。矛盾、問題点は常に生じてきます。したがって、そこには永遠に続く円環を描くことができるのです。

     つまり、アンチテーゼはテーゼの否定ですが、それと同時にさらなるテーゼとジンテーゼを媒介(ばいかい)するものとして位置づけることができるのです。このように捉えると、実は最初のテーゼが、抽象的なレベルではあるものの、その後の展開をすべて内包しているともいえます。あたかも種子が結実した果実をすでに内包しているように。

     『7日間で突然頭がよくなる本』 3日目 より 小川仁志:著 PHP研究所:刊

     この世の中には、矛盾のないもの、完璧なものはありません。

     ヘーゲルの弁証法は、ものごとの矛盾点を「テーゼ」と「アンチテーゼ」というわかりやすい形で取り出すことで、問題の本質への道筋を明瞭にしてくれます。

    「常識を疑う」力を持つこと

     物事の本質をつかむためには、複数の側面から対象を眺めることが大前提です。
     小川さんは、「頭がよい人ほど常識を疑う力を持っている」と述べています。

    「雪は熱い」
    「人間に水は不要」

     そんな突拍子もない考えが、新発見の始まりであり、本質をつかむための糸口となります。

     フランスの哲学者デカルトは、まさにこの方法によって、物事の本質を捉えるための確固たる方法を発見しました。もともとデカルトは、科学の根拠さえも疑わしくなってきた時代に、何か一つくらい、決して疑うことのできないしっかりとした核のようなものがあるのではないかと考えた人物です。
     そしてその核を発見するためにこそ、逆に徹底的に疑うことにしたのです。いつか疑えないものが見つかるだろうというわけです。その疑いぶりは徹底しています。人間は実はロボットじゃないかとか、存在しないんじゃないかというふうに。もはや常識を疑っているとしかいいようがありません。
     そうやって彼は、最終的に「我思う、ゆえに我あり」というスローガンで有名な、絶対不動の私の意識を発見したのです。私の意識は絶対に疑えないゆえに、物事の本質だというわけです。

     ここで常識を疑う例についていくつか挙げておきましょう。例えば、有るものを無いとする、反対のことを言う、食べられないものを食べられるとする、変化しないものを変化するとする、正しいことを間違いとする、役立つものを役に立たないとする、公共のものを自分のものとする、状態を行為にする・・・・・といった具合です。
     大まかにいうなら、自分が日ごろ思っていること、知っていることの正反対の立場に立てばいいのです。リンゴの例でいうなら、食べられないとみなしたり、変化しないとみなすことです。
     通常リンゴは食べられますし、変化もします。でも、そうはとらえないことで、果物を超えたリンゴの意義が浮かび上がってくるわけです。

     『7日間で突然頭がよくなる本』 4日目 より 小川仁志:著 PHP研究所:刊

     私たちは、無意識のうちに物事を偏った見方で判断してしまいがちです。

     普段、何気なく考えていることでも、「もし、そうではなかったら・・・」と疑ってみる。
     そのような意識を持ち続けることが、頭を柔らかくし、世間の常識にとらわれない独創的な発想に結びつきます。

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     ギリシャの偉大な哲学者、ソクラテスが活躍していたのは2500年以上も前。
     それから現在に至るまで、哲学は絶えることなく現在まで引き継がれ、世界の思想に大きな影響を与え続けています。

     大昔の哲学者の考え方が今でも尊重され続けるのは、彼らの考え方が普遍的な価値を持つからです。

     本書には、歴史の荒波にも負けず輝き続ける、数々の哲学的思想のオイシイ部分が詰まっています。
     哲学という“魔法”の力を借りて「物事の本質をつかむ」力を身につけたいですね。

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