本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『ほんとうの心の力』(中村天風)

 お薦めの本の紹介です。
 中村天風先生の『ほんとうの心の力』です。

 中村天風(なかむら・てんぷう)先生は、日本の思想家、実業家です。
 日本初のヨーガ行者でもあり、「心身統一法」と呼ばれる実践哲学を広められたことでも有名な方です。

人生は「心の有りよう」で決まる

 “天風哲学”とは、宮本武蔵の『五輪書』を範とした、武士の思想や精神をベースに、インドのヨガでの修行の成果やいくつかの思想や宗教を「打って一丸」として、具現化する考え方と手法を集積したものです。

 天風先生が最も重視したのは、「心」です。
 人間存在の根源を「心の有りよう」に求め、私たちの人生は「心の支配」を受けていると断じます。
 
 本書は、「心の力」をテーマに、天風先生の講演や著作の中から、選(よ)りすぐった珠玉(しゅぎょく)の名言をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「天命」と「宿命」

 天風先生は、「運命」にはどうしても逃れられないものと、逃れられるものとがあると述べています。

 かわしきれない運命は「天命」という。絶対的なもので、これは人力ではどうにもしようがないもの。女が女に生まれ、男が男に生まれたのも天命。この現代に生まれたのも天命なら、昔に生まれたのも天命。また末の世に生まれるのも天命だ。これはどうともすることはできない。
 しかし、絶対に逃れることのできない天命的なものばかりが人生に襲いかかるんじゃない。多くの人が苦しみ悩む、いわゆる運命は「宿命」なんだ。宿命というのは、人間の力で打ち拓いていくことができるもの、絶対的でない、相対的なものなんだ。
 ところが、今の人は、打ち拓くことのできる宿命にぶつかったときでも、それを天命と言う。自分の努力が足らないことは棚に上げて、どうにも仕様がないと言うのである。
 そういう人間が人生に生きるとき、ただ偶然ということのみを頼りにして、その結果、自分じゃ気がつかないが、いつか自分の心が迷信的になって、すぐ神や仏にすがりつこうとするのである。

 『ほんとうの心の力』 運命をひらくために より 中村天風:著 財団法人天風会:監 PHP研究所:刊

 人は、自分の思い通りにならないことが起こると、すぐに諦めがちです。

 降りかかった困難は、受け入れるべき「天命」なのか。
 それとも、自力で打ち開くべき「宿命」なのか。

 しっかり見極めることが大事です。

「人事を尽くして天命を待つ」

 つねに、その意識を持っていたいですね。

「笑い」の効用

 天風先生は、悲しいことやつらいことがあったら、いつにも増して、笑ってごらん。悲しいこと、つらいことのほうから逃げていくからと、笑いの効用を強調します。

 多く言うまでもなく、笑えば心持ちは、何となくのびのびと朗らかになります。すなわち鬱(うつ)な気が開けるんです。試しに、おかしくもなんともないときに、「アハハ」って笑ってみてごらん。笑うにつれ腹が立ってくるとか、悲しくなってくるとか、つらくなってくるってことは、絶対にないんです。
 この笑いの効用を応用すれば、すこぶるいい結果を人生に招くことができるんですよ。このことに気づいている人が少ないようですなあ。
 考えてみればすぐおわかりになられることなのですが、そもそもこの笑いというものは、生きとし生けるすべての生物のなかで、我々人間にだけ与えられている特殊の作用なんですぜ。他の生物の世界には、人間のように笑うという表情をもって、心の喜びを表現する特別の作用は断然ありません。
 こうした事実を厳粛(げんしゅく)に考えますと、笑いというものは人間にのみ与えられた特権だってことがわかるでしょう。ですから、これを本当に応用せず、また使わない人生に生きるというのは、あまりにも馬鹿げた話だと思いやしませんか?

 『ほんとうの心の力』 困難に出会ったときに より 中村天風:著 財団法人天風会:監 PHP研究所:刊

 人は楽しい気分のときに笑うのは、当たり前のことです。

 悲しいことやつらいことがあったとき。
 あえて、それを表情に見せずに笑うことに大きな意味があります。

 心と体は、密接につながっています。
 人の心の状態は、行動にも顕(あらわ)れます。
 逆に、行動することで、心の状態が変わります。

「幸福」というものは 

 天風先生は、幸福というものは、決して、現在の自分の環境が変わったとか、あるいは富の程度が変わったからということで感じるものではないと述べています。

 なぜかというと、幸福というものは客観断定にあらずして、主観の断定にあるからです。はたからどんなに幸福そうに見えてもそれは幸福とは言えないんですよ。本人がしみじみ、ああ、私は幸せだと思えないかぎりは、本当の幸福を味わうことは出来ない。
 それはちょうど、はたから見て、あの人間は金がありそうだな、と見えても、本人に金がなければ何もならないでしょう。はたから見て、あの人間は丈夫そうだな、と見えても、本人が丈夫でなければ何もならないのと同じことです。
 はたから見て、どんなに幸福そうに見えても、あなた方の精神生命のあり方が、根本的に切り替えられないかぎりは、幸福は来ないのであります。

 『ほんとうの心の力』 幸福な人生をおくるために より 中村天風:著 財団法人天風会:監 PHP研究所:刊

「幸福は、主観の断定にある」

 つまり、本人がどう感じているか、それだけが問題です。
 その人が幸せかどうかは本人にしか分かりません。

「お金持ちだから幸せ」
「子どもがいるから幸せ」

 というわけではありません。

 自分の外側ではなく内側。
「世間のモノサシ」ではなく「自分の心の中のモノサシ」で幸せを測ることが大切です。

「本当の心」のすがた

 天風先生は、本当の心の世界には、人を憎んだり、やたらにくだらないことを怖れたり、つまらないことを怒ったり、悲しんだり、妬んだりするというような消極的なものはひとつもないと述べています。

 ヨガの哲学では、怒りや悲しみや、妬みなどの感情があるように思えるのは「悪魔の心」が入り込んでいるからだ、と説いているとのこと。

 心本来の姿は、八面玲瓏(はちめんれいろう)、磨ける鏡のように清いものだ。その清い心にいろいろ汚いものを思わせたり、考えさせるのは、それは心本来が思ってるんじゃない、悪魔がその心の陰で悪戯してるんだ、と。
 なるほど、この考え方はいい考え方だ。自分が心配したり、怖れたりしているときに、その思い方、考え方を打ち切りさえすれば、もう悪魔はそのまま姿をひそめるわけだねえ。
 光明を人生に輝かせようと思っても、そうした気持ち、心持ちにならないかぎりは輝いてこない。だから、「きょう一日、怒らず、怖れず、悲しまず」と、言っているじゃないか。この「怒らず、怖れず、悲しまず」こそ、正真正銘の心の世界の姿なんだ。
 静かに自分自身、考えなさい。何かで怒ってやしないか。何事かで悲しんでいないか。それとも何か怖れていやしないか。すべて消極的な気持ち、心持ちが心のなかに出れば、自分が批判する前に、自分の心それ自体が非常な不愉快さを感じるからすぐわかるだろう。

 『ほんとうの心の力』 運命をひらくために より 中村天風:著 財団法人天風会:監 PHP研究所:刊

「人は生まれながらにして善である」

 いわゆる性善説的な考え方ですね。
 たしかに、生まれたばかりの子供の心は、磨ける鏡のようにきれいです。

 心を曇らせる、怒りや悲しみ、妬みなどのネガティブな感情。
 それらは、人生経験を積むうちに「外からつけられた汚れ」です。

 後から自分でつけた汚れですから、自分の手で磨き落とすことができます。

「きょう一日、怒らず、怖れず、悲しまず」

 つねに穏やかな気持ちでいることを目標にしたいですね。

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「人間の心」の可能性を信じ、自らを見つめて心の中を深く追求し続けた天風先生。
 亡くなってから四十年以上経ちますが、その言葉はまったく色褪せず、輝きを放っています。

 価値観がめまぐるしく変わり、何を頼りにしていいのか分からない時代。
 自らの力で生きること強く求められる今日です。
 だからこそ、自らの心持ちで人生を切り開く「天風哲学」のエッセンスが必要とされているのでしょう。

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