本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

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【書評】『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』(ディーパック・チョプラ)

 お薦めの本の紹介です。
 ディーパック・チョプラ博士の『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』です。

 ディーパック・チョプラ(Deepak Chopra) 博士は、米国の著名なスピリチュアルリーダーであり、医学博士です。
 五十冊以上の著書のほとんどが、NYタイムスなどのベストセラーにランクインしてされるなど、作家としても世界的に有名な方です。

望みを叶えるための近道とは?

 私たちは一人ひとり、欲しがっているものや望んでいることはまちまちです。
 しかし、それらが「なぜ欲しいのか」を繰り返し突き詰めていくと、すべての人が、「幸せになりたいから」という究極の答えにたどり着きます。

 幸福は、誰もが求める最終ゴールのように見えますが、それにもかかわらずほとんどの人は回り道をしてい幸せを求めます。
 私たちには物質的な目標があります。たとえば、もっと良い家が欲しいとか、もっと良い車が欲しいとか、贅沢(ぜいたく)品の数々を欲します。
 私たちには人間関係における目標があります。私たちは安全と感じたいし、所属していると感じたいものです。
 私たちは自分自身を自由に、創造的に表現したいと感じます。私たちのうち何人かは富や力を欲しがるかもしれませんし、名声を求めるかもしれません。しかし、その人たちになぜそういったものが欲しいのかを質問すれば、究極の答えはやはり同じなのです。彼らはそれらのものを手に入れれば、幸せになれると信じているのです。
 人々と話をするうちに、私は「幸せを第一目標にすればいいんじゃないか?」「なぜ幸せをすべての二次的な方法を通して求めるのだろう?」と考えはじめ、さらにもっと興味深いことを発見しました。
 もし私たちが幸せを二次的な目標ではなく第一目標にしたら、私たちが望むすべてのことが簡単に達成できてしまうのです。
 多くのスピリチュアルの言い伝えでは、最高のものを最初に求めればすべてのものが手に入ると言います。たとえば新約聖書では、キリストが「天国の王国を最初に求めよ、さればすべてのものがもたらされるであろう」と言っています。ここで言う天国の王国というのは、どこか遠く離れた宇宙の果てにあるものではなく、意識の状態を表しています。
 そして「幸せ」もそれと同じことなのです。

 『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』 第1章 より  ディーパック・チョプラ:著 渡邊愛子:訳 フォレスト出版:刊

 幸せは、物やお金、力など自分以外のものから得られるものではなはありません。
 本当の幸せとは、意識の状態であり、「内なる自分」とのつながりから得られるものです。

「何々があるから幸せ」「誰々がいるから幸せ」
 このような「条件つきの幸せ」は本当の幸せとは呼べません。
 根拠となる部分がなくなるとあっという間に崩れ去る、“砂上の楼閣(ろうかく)”のようなもの。

 本当の幸せとは、「内なる幸せ」のことです。
 それは、美しい朝日が雲に隠れてしまうように、あらゆる種類の邪魔なものに覆われてしまいます。
 チョプラ博士は、内なる幸せの表現が、宇宙の創造のパワーとつながっている感覚を呼び起こすのだと指摘しています。

 本書は、「内なる自分」とつながり、宇宙の創造のパワーを手に入れる方法について、具体的にまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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私たちは「無限の意識」を持っている

 誰かが「あなたは誰ですか?」と聞いてきたら、私たちの答えは「私の名前は◯◯です。私は日本人です」といったようなものになるのが普通です。
 このように自分をセルフイメージや、特定の対象物で認知することを「対象依存」と呼びます。

 本当の私たちは、体や、考えや感覚だけではなく、それ以上の存在です。
 つまり、わたしたちの存在は、すべての可能性の場、つまり純粋意識そのもの

「純粋意識の場」とは、すべての存在の根源でもあり、宇宙の無限の多様性として表現されている場のことです。

 存在の最も深いレベルでは、あなたは存在そのもので、あなたは同時にどこにもいず、どこにでもいるのです。
 宇宙全体がある以外、その他の「あなた」は存在しません。
 広大な宇宙の心が物理的な宇宙をつくり出し、個人の心が物理的な宇宙を経験します。しかし実際には、広大な宇宙の心と個人の心の両方に「無限の意識」が浸透しています。「無限の意識」が私たちの源であり、すべての創造はその中にもともと備わっているのです。
 自分自身を観察している「無限の意識」が、「観察者(魂)」、「観察するというプロセス(心)」、そして「観察されているもの(体と世界)」という概念をつくり出します。
「観察者」と「観察されているもの」は自分たち自身の間に「関係」をつくり出し、この関係が空間となります。そしてこれらの関係をつくり出す動きが「出来事」をつくり出し、時間となるのです。
 しかしつくり出されたすべてのものは、「無限の意識」そのものにほかなりません。
 言い換えると、私たちはある時空間に局在化された視点を持った「無限の意識」です。無限の意識であるにもかかわらず、私たちの思考回路は「観察者」と「観察されているもの」を分け隔て、無限の意識さえも時間と空間で分けられている物質世界の中で分類しようとします。
 知性は私たちを架空のイメージの檻(おり)の中、息が詰まるような空間と時間と因果関係のからくりの中に閉じ込めます。その結果私たちは、現実の真の性質――パワフルで、境界がなく、不滅で、自由であること――との接触を失ってしまうのです。

 『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』 第2章 より  ディーパック・チョプラ:著 渡邊愛子:訳 フォレスト出版:刊

 私たちは「無限の意識」の一部であり、すべてとつながっています。
 それでも、自分自身を他と区別された存在として認識できるのは、身体や精神があるから。

 感覚器官を通じて知覚できるのは、現実のほんの断片です。
 例えば、人間の目に見える光は、「可視光」と呼ばれる限られた範囲の波長の光だけです。
 この「制限された自分」という意識(「自我」のこと)が、現実をつくり出す「無限の意識」の力にアクセスする障害となります。

「自己完結」が幸せの条件

 対象依存の反対は、「自己完結」です。
 チョプラ博士は、「自己完結的」でいるとき、私たちは自分を、変わることのない魂の本質である内なる自己によって認知できると述べています。

 なぜ常に素晴らしい気分でいられるのでしょう? それはじぶんのことを置かれている状況で認知せず、状況から分離された「静かな目撃者」として存在しているからです。それは自分が何者であるかについて誰からもおびやかされることのない安全な状態です。そして、そのことを誰かに証明しようとする願望もない状態です。
 もし私たちに自分が何者であるかについて誰かに証明したいという願望がある場合は、私たちは再び自分を、他人の目を通して評価することになるでしょう。自己完結的でいることは喜びの根底となる内側の意識状態であり、理由のある幸せと異なります。
 もちろん、幸せに感じる理由は常に存在します。誰かに「あなたが好きです」と言われたら、あなたは幸せに感じるでしょう。宝くじで一億円当たったら、あなたは幸せに感じるでしょう。この種の幸せは、あなたがこうだから、ああだから幸せだという対象依存的な表現です。
 しかし内なる喜びは情勢や、状況や、環境や、人びとや物事から独立しています。あなたが内なる喜びを経験するとき、あなたは理由もなく幸せです。ただ単に、生きていて星を見つめ、この世界の美を経験しているという事実や、生命の奇跡の中で生きていることを実感していることがあなたの幸せなのです。

 『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』 第6章 より  ディーパック・チョプラ:著 渡邊愛子:訳 フォレスト出版:刊

 この世のすべてのもの、出来事は変化します。
 変わらないのは、「自分」という存在だけです。

 幸せと悲しみは「無限の意識」の二つの異なる顔で、どちらも一過性のもの。
 私たちはそのどちらでもなく、「すべての状態を表現している意識そのもの」です。

 チョプラ博士は、私たちは海の中の一つの波でも、一滴の水でもなく、海の「水という性質」そのものなのだと指摘しています。

結果を求めなければ願望は叶う

 チョプラ博士は、私たちは、心配しはじめるとき、トラブルを予期しはじめるとき、「何か良くないことが起こったら」と考えはじめるときに、宇宙の知性の流れを妨げてしまうと指摘しています。

 私たちは考えそのものではなく、その考えをつくり出している「存在」です。
「存在」は考えの源で、願望を実現化する源でもあります。
 願望とは、実現を求めている純粋な潜在力のこと。

 チョプラ博士は、自然に願望が叶う力学がすべての願望に備わっていて、必要なことは、注意を向けることと宇宙のパワーを妨げないことだけだと強調しています。

 庭師が種を植えるとき、彼らは芽を出させようと努力はしませんし、種が植物へと育っていくことについて疑ったりもしません。他の人々がどんな意見を言おうとも、一つひとつの種の中に植物を創造する必要なものすべてが入っているという確信を揺るがすことはないでしょう。そして庭師は結果に固執することもなく、結果はそこにあることを知っています。
 私たちも願望を叶える際に、自分のパワーを効率的に使うためにも、結果に対しての執着を手放すことが必要です。だからといって、私たちは結果を望まないというわけではありません。もちろん結果は何よりも欲しいものですが、頑(かたく)なに執着しないということなのです。
 執着とは、恐れ、疑い、心配が形を変えたものです。そして、これが自然の知性の流れを締め付けてしまいます。私たちが願望を持つときは、ただ願望の裏にある意図を認識し、その実現に向けた細々としたことはすべて宇宙が手配してくれることを信頼して、手放せば――宇宙に委ねればよいのです。
 結果について懸念することはありません。ただ単に願望を私たちの心から手放し、宇宙の衝動の一部として私たちを通して流れるに任せるのです。執着を手放せば手放すほど、願望はどんどん自然に叶っていきます。
(中略)
 苦しみに関する古い信念で、「私の目的を達成するには一生懸命働かなくてはならない、そしてよりハードに働けば、私の目的は達成されやすくなる」というものがあります。
 これはとても西洋的な概念ですが、自然はこのようなしくみになっているのでしょうか?
 渡り鳥がシベリアから南アフリカに移住するのに努力している様子が見られますか?私たちの心と体が宇宙全体の動きを察知しながら、無限の細胞の動きを調整している知性の能力に対し何か努力している様子が感じられますか? 一つの種が木となり果実を実らせるのに、何か努力をしている様子がありますか?
 自然は最高に効率良く機能しており、この自然の原理は、より少ない行動でより多くを達成します。これが最小限の努力の法則です。もし私たちが自然の原理を自分たちにも反映させることができれば、すべての創造力の源である沈黙の場に行って、まず願望を持ち、そして手放し、やってくる結果を観察することです。
 そして物事が私たちの望みどおりに進んでいないように見えるとき、「自分が考えているよりもっと大きな絵(全体像や宇宙の計画)があることに気がついていないだけなんだ」ということを信頼して、物事がこうでなければならないという考えを手放すのです。

 『宇宙のパワーと自由にアクセスする方法』 第7章 より  ディーパック・チョプラ:著 渡邊愛子:訳 フォレスト出版:刊

 頑張れば頑張るほど、願望が実現しない。
 そんな皮肉な現象が起こるのは、私たち自身が宇宙の知性の流れを妨げているからです。

 恐れや疑いを捨てて、結果に対する執着を手放すこと。
「望みは叶う」と信じて疑わないこと。

 それが、願望実現の秘訣です。

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 現在の世界は、地球上に生きているすべての人の「集合意識」から成り立っています。
 世界が変わるには、「集合意識」を形成する、私たち一人ひとりの意識が変わる必要があります。
 まず、「自分自身から変われ」ということですね。

 チョプラ博士は、個人の意識の変化が周囲の意識を変え、その連鎖によってクリティカルマス(臨界質量・決定的大多数)に達すると、一気に世界が変わるとおっしゃっています。

 多くの人が「本当の自分」に目覚め、宇宙の創造のパワーにアクセスすることができるようになれば、そんな日は意外と早くやってくるかもしれませんね。

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