本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』(苫米地英人)

 お薦めの本の紹介です。
 苫米地英人先生の『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める!』です。

 苫米地英人(とまべち・ひでと)先生(@DrTomabechi)は、著名な脳科学者です。
 ご専門は機能脳科学や認知心理学、人工知能など多岐に渡ります。

頭の「ゴミ掃除」を始めよう!

「頭の中がいつも、イライラ、モヤモヤしている」
「大事なことを考えている途中で、頭がゴチャゴチャしてきて、考えがまとまらない」
「仕事や勉強に集中したいのに、集中できない」

 多くの人は、そのような悩みの原因を、頭の良し悪しや意志の弱さ、周りの環境などのせいにしてしまいがちですが、それは間違いです。

 苫米地先生は、あなたの集中力、思考力、生産性、生きる充実感を低下させているのは「頭のゴミ」だと指摘しています。

 掃除機でも、フィルターにゴミがたくさん詰まると、吸引能力が落ちていきます。
 そのままの状態で稼働させると、その機器の持っている性能をフルに活かすことができませんから、大きなゴミを吸い取れなくなったり、消費電力が極端に多くなったりします。

 人間の頭の中も、それと同じだということですね。
 思考の流れを邪魔する不要なもの(=ゴミ)を取り除いてあげれば、頭がクリアになりストレスのない快適な人生を送れるようになります。

 本書は、「頭のゴミ」を掃除して、「クリアな頭で生きていく」ための方法を解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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ゴールと関係ないものは「ゴミ」

 世の中には、感情をある程度コントロールできる人と、簡単に左右されてしまう人がいます。
 感情に支配されて生きている人は、論理をつかさどる新しい脳(前頭前野)より、古い脳(扁桃体、へんとうたい)に支配されています。
 苫米地先生は、感情に振り回されてしまっている人のことを、「抽象度が低い」と表現しています。

 抽象度とは、情報量の「多い」・「少ない」のことです。例えば、

  特定の個人(Aさん) → 人類 → 哺乳類 → 生物

 というように、矢印が進むほど情報量が少なくなっていきますね。
 情報量が多い状態を「抽象度が低い」といい、情報量が少ない状態を「抽象度が高い」といいます。

 抽象度の高さは「視点の高さ」と言い換えられます。
 多くの人は、抽象度の低い状態、つまり視点が低く、目先の情報に追われて生きています。
 そのため、感情の支配を強く受けてしまっているというわけです。

 では、抽象度を上げて感情というゴミを捨てるには、どうすればよいでしょう?
 実はそのために欠かせないことがあります。
 それは、ゴールを持つことです。
 そして、常にゴールのために行動することです。
 なぜゴールが大事なの? と思われる読者も多いでしょう。
 ゴールとは、自分が重要だと考えている目的や目標のことです。
 目的や目標があれば、それに合わせて視点があがります。つまり、抽象度が上がります。そうすれば、そのゴールの実現にマイナスな感情に振り回されることはありません。心底実現したいことがあるときに、ひたすら昼寝をする人はいないはずです。
 同じように、自分にとって目の前のプレゼンの成功が絶対に重要なのであれば、同僚に嫌味を言われて気分が萎えたなどと言ってはいられないはず。
 たとえ感情を乱される出来事があっても、プレゼンの本番ではパフォーマンスを落とすことはないはずです。それが、ゴールを持っている人の強さです。

 しかし実際には、目の前の目標すら持たず漫然と過ごしている人の、なんと多いことでしょうか。
 英語が話せるようになりたいでも、会社を起こして成功したいでも、今関わっているプロジェクトを成功させたいでも、なんでもかまいません。
 自分が本当に重要だと思えるゴールを意識し、そのゴールに向かって進もうとすれば、それだけで頭のゴミはかなり減ります。
 嫌なことがあるとその気分を引きずってしまう。気分をうまく切り替えられるようになりたい・・・・。そういうあなたは、自分がゴールを意識して生きているか。ゴールのために行動しているか。まずはそれを自問すべきです。
 ゴールがないから、あなたの一瞬一瞬がゴールのためではないから、感情に振り回されてしまうのです。

 『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める』 Step.1 より 苫米地英人:著 徳間書店:刊

 目標を持たずに生きることは、なにも持たずに船で大海原を航海するようなものです。
 ちょっと海が荒れただけで、自分の進むべき方角を見失ってしまいます。

 ゴールは、航海でいう“羅針盤”です。
 つねに進むべき方向が決まっていれば、余計なことに惑わされることも少なくなります。

「部屋の中」を見れば「頭の中」が分かる

 私たちは、「これが私です!」と断言できるように「自分」を言い表すことはできません。
「◯◯という名前で、◯◯に住んでいて、◯◯が好きで・・・・」のように自分に関する情報を引っ張り出してきても、それらはどれも、「自分という存在そのもの」の情報ではなく、「自分と関係のある存在」に関する情報です。

「自分」とは、「他者との関係にまつわる情報」が寄り集まったもの、つまり、自分という点は自分とつながっている「他者の点」を用いることでしか定義することができません。
 苫米地先生は、『自分』とは情報の網の目の一部であると指摘し、以下のように説明しています。

 お父さん、お母さん、兄弟、友達などの点が、点と線でつながっています。さらに、会社、住所、ハワイ、おでんなどの点が、点と線でつながっています。
 点は無数にあります。
 芸術が好きな人なら画家や音楽家の名前が自分の点とつながっているでしょう。ビジネスに興味のある人なら尊敬する経営者が、旅行が好きな人ならお気に入りの旅先が、自分の点と線でつながっています。

 そのようにして、無数にある点の中から、自分を定義する点を選び出しているのは、自分自身です。私たちは自分にとって重要なものだけに意識を向けています。
 脳には、無数の情報の中から自分にとって重要な情報だけを認識するスクリーニングシステムが備わっています。
 そのシステムをつかさどる部位は脳の基底部にあり、RAS(網様体賦活系、もうようたいふかつけい)と呼ばれています。
 RASは、自分にとって重要な情報かどうかをより分けるフィルターです。
 私たちは、RASの働きによって、自分に関係があると思う情報だけ受け取るようにできているのです。自分に関係がないと思う情報は無意識のうちにシャットアウトされています。

 取引先の新しい担当者の趣味がスキューバーダイビングと聞いた途端に、スキューバーダイビング専門店やTV番組が目につくようになります。担当者と親しくなろう、という意識が、その存在を認識させたのです。
 あるいは、「そろそろ新しい腕時計を買おうかな」と思い始めると、急に他人の腕時計が気になりだします。いつも通っていた道に腕時計のブランドショップがあったことに気づいたり、雑誌の腕時計の広告がパッと目に入るようになったりします。
(中略)
 そんなふうに、私たちは自分にとって重要なものだけに意識を向け、自分にとって重要な情報だけを頭の中に取り込んでいます。
 同じ場所に並んで立って、同じ風景を見ていても、他人と自分とでは別のものを見ています。私たちはみな自分にとって重要なものだけを見ているのです。そのとき、目や耳に入ってくる無数の情報に対して、無意識のうちに優先順位をつけています。
 その無意識の優先順位の結果が、私たちの頭の中です。
 同時に、あなたが見ている目の前の世界がそのまま、あなたの頭の中なのです。なぜなら、私たちは、私たちを取り囲むさまざまな情報の中から、自分にとって重要なものだけを無意識のうちに選別して、頭に取り込むものだけを見て、聴いているからです。
 例えば、あなたの部屋があなたの頭の中そのものです。
 なぜなら、私たちの部屋は、大事にしている思い出の写真、大事にしている洋服、大事にしている本、大事にしているCDなど、自分が大事だと思うもので埋め尽くされているからです。
 あなたが見ている世界は、あなたが重要だと思っているものだけが見えている世界であり、その世界はあなたの頭の中がそのまま反映されているのです

 『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める』 Step.2 より 苫米地英人:著 徳間書店:刊

 私たちは、周りの世界をありのままに認識することはできません。
 目や耳などの感覚器官は、自分に重要な情報だけを“切り取って”頭の中に取り込んでいます。
 同じものを見ていても、人それぞれ感じ方が違うのは、そのような理由なのですね。

「未来」が「過去」をつくる

 私たちは一般的に、「時間は過去から現在、未来へと流れている」と考えています。
 これは、古いユダヤ・キリスト教的な考え方にもとづく時間観です。

 一方、アビダルマ仏教哲学では、「時間は未来から現在、過去へと向かって流れている」とされています。
 苫米地先生も、この考え方に賛同し、以下のように説明しています。

 自分が川の真ん中に、上流の方を向いて立っていることを想像してください。
 上流から赤いボールが流れてきます。手を伸ばしてそのボールを取るか否かはあなた次第。仮に、赤いボールを取らなかったとしましょう。
 しばらくすると、次に青いボールが流れてきます。しかし青いボールが流れてきたのは、あなたが赤いボールを取らなかったこととはなんの関係もありません。ただ青いボールが流れてきた。それだけです。つまり、「赤いボールを取らなかった」という過去は、「青いボールが流れてきた」という未来とはなんの関係もなく、過去は未来になんの影響も与えていないのです。
 このように、時間は川の上流という未来から、あなたが立っている現在へ、そしてあなたの後方の過去へと流れているのです。
「そうは言っても、自分は努力しなかったから三流大学にしか入れなかったし、今も三流企業でこき使われているのだ」と言いたくなるかもしれません。

 では、こんなケースを考えてみてください。
 会社の帰り道にサプリメントを買うためにドラッグストアに寄ったりします。
 しかし、たまたまレジの前に行列ができていました。
 あなたは行列に並びしばらく待っていましたが、なかなか前に進まないので面倒になり、サプリメントを棚に戻し、「ついてないなあ」と思いながら、わざわざかなりの遠回りをして別のドラッグストアに行きました。すると、その店では先ほどの店よりも同じサプリメントが二割も安く売っていました。あなたは「ラッキー」と思いながら足どり軽く帰宅しました――。
 この例では、一軒目の店の行列をあなたは「ついてない」と思いました。しかし、二軒目の店で目当ての品が安く売っていたことで、一軒目の「ついてない」が「ラッキー」に変わりました。ということは、「未来によって過去が変わった」ということ。
 過去が未来をつくるのではなく、「未来が過去をつくる」のです。気をつけて見てみると、未来によって過去が変わるという上の例を、私たちは日常的に体験しています。

 『「頭のゴミ」を捨てれば、脳は一瞬で目覚める』 Step.3 より 苫米地英人:著 徳間書店:刊

「過去」が「未来」をつくるのではなく、「未来」が「過去」をつくります。
 現在も過去のどんな出来事も、自分の描いている「未来」に必要だから起こっています。
 未来を最高だと確信すれば、過去も現在も最高だといえますね。
 この逆算的な時間のとらえ方が、過去のしがらみを捨て去り、最高の自分を生きる秘訣です。

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 掃除機のフィルターと違い、「頭のゴミ」は、目には見えないものです。
 頭を切り開いて取り除いてもらうということは、もちろんできませんね。
 そもそも、何が「ゴミ」かという絶対的な基準はないです。
 自身で判断しなければなりません。

 小さい頃から教えこまれた古い価値観の力は、私たちが考えている以上に強いです。
 大人になってもそのまま残り、あたかも自分自身の価値観であるかのように振舞っています。
 それらは、大人となった今では無用の長物、まさに“ゴミ”ですね。

 皆さんも本書を手にとって、頭の中の“大掃除”、してみてはいかがでしょうか?

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