本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』(井内由佳)

 お薦めの本の紹介です。
 井内由佳さんの『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』です。

 井内由佳(いうち・ゆか)さんは、自動車販売会社の経営者です。
 25歳のときに神さまからの“お告げ”が降りるようになり、以後、さまざまな人々の人生相談に応じられています。

お金と“いい関係”を築く方法とは?

 お金は、生きていくうえでかけがえのない、大切なものです。
 お金といい関係を保ち、仲良くしていくことは、人生に大きな安心感と幸福感を与えてくれます。

 井内さんは、「お金をたくさん得る」ための近道だと、世間でいわれている常識や習慣は、実は、あなたを貧しくさせていることも少なくないと指摘しています。
 努力が実を結んで、いい結果を生むためには、神さまが教えてくださる「人が豊かになる、幸せになるための正しい習慣」を知って、身につけることが必要です。

 本来、私たちの手元へ入ってくるお金に限度はありません。
 ただ、神さまがつくった「お金の真理」を知らないために、自分で入ってくるお金を減らしているとのこと。

 本書は、神さまが教える「お金の真理」を具体的な事例を交えてまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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お金持ちになるために「倹約」は必要?

 多くの人は、「お金持ちになるためには、倹約して質素な暮らしをすべき」と考えています。
 しかし井内さんは、「この考え方は必ずしも正しくはない」と指摘しています。

「倹約して、質素な生活をすることが悪いこと」だとは、もちろん、神さまはおっしゃいません。かといって、倹約して質素な暮らしをした方がいい(more better)ということはないのだそうです。
 借金があって、人にお金をかえさなければならない人は、倹約すべき(must)だと神さまはおっしゃいますが、収入が乏しくなく、生活が苦しくないのであれば、貯金をするための倹約は、ほどほどがいいのだそうです。

 貯金をしたいという理由で、生活を豊かにしてくれる、電気、ガス、水道などの倹約に躍起になってしまうと、生活の質が落ちてしまいます。
 すると、外へ出歩くときに美しく装っても、醸(かも)し出す雰囲気がくすんでしまい、豊かな心や表情が保てなくなってしまうのです。
 だんだん、お金を使うことが嫌になり、交際費や外食費などを惜しむようになります。お金は貯まるかもしれませんが、心はやせ細ってしまいます。

 気を配ったほうがいいのは、光熱費を100円、200円倹約することより、まとめて購入すると安いという理由で必要以上に物を買って、結局はムダにしてしまったり、同じようなものを持っているのに、よく吟味せず、洋服を衝動買いしてしまうこと。
 そうしたことに気をつけたほうがずっと無駄な出費は減るのです。

 倹約すべきところは「無駄なもの」「たくさん持っているもの」です。
 同じようなものを買う癖を直すことが何より効果的です。
 倹約ばかりに意識を向けないことが、自分自身がしぼんでいかないための心掛けになります。それよりも、自分にいま与えられた仕事で、精一杯の努力をし、知恵を絞り続けることによって、収入のアップを図ること。
 豊かで少しくらい贅沢を味わえる生活のほうが、自分の心も喜びますし、家族も、周りの人も喜びますから、そのほうがずっといいのです。

 貯金をするために、倹約し、質素を貫いても、使うべきところ(お世話になった人への冠婚葬祭、盆暮れのあいさつはじめ、人への御礼など)で使わないと、「不意の出費」でお金が出ていくことになります。倹約質素も過ぎると、もっとお金がなくなると神さまは教えてくださいます。

 『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』 第Ⅰ章 より  井内由佳:著  総合法令出版:刊

 何ごともほどほどが肝心です。「倹約」も例外ではありません。

 安いからといって、不必要なものまで買わないよう心がけること。
 必要な出費はケチらないこと。

 お金の使い道の「質」を上げることが、お金を呼びこむ重要なポイントです。

上手くいっているときの行いほど重要

 井内さんは、上手くいったり、願いが叶った後の行いが、その人の本当の心を現すと述べています。
 これは、お金だけではなく、人生全般にいえるとのこと。

 仕事がないとき、お金がないときは、多くの人が「仕事が上手くいったら、お金がたくさんあったら、こうする、ああする」と思ったり、いったりするものです。
 しかし、お金ができると、自分が喜ぶことは催促されなくても、いの一番にやってしまうのに、誰かに対してのことになると、お金がたくさん入ってきても、他の理由をつけて先延ばしにしてしまう人がいます。
 その一方で、まだお金がそんなになく、「お金があったらこうしてあげよう」と思っていた、他人に対することを、先に実行する人もいます。
 このどちらのタイプになるかによって、今後良い状態が続くか、ここがピークで、これから下降線をたどるのかが決まってくるのだそうです。
 なぜかというと、神さまは、その人のいったことを素直にそのまま受け取ります。
 そして、それを前提に次に起こる出来事を作ります。この場合、「お金が入ったら、人のためにこんなことをします」といえば、「なんていい心がけ。それなら、そうできるように早くしてあげましょう」とそんな流れを作ってくださいます。
 しかし、それを裏切れば、「あなたも裏切ってほしいのね」と判断し、誰かに裏切られたり、考えていたことと違う結果が出てきます。

 ですから、願いがかなった後、驕(おご)ることなく謙虚な気持ち、いまの自分にしてくれた周りの人に感謝する気持ちを持ち、約束を果たせる人が、いい状態を保ちつつ、さらに飛躍することができるのです。

 『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』 第2章 より  井内由佳:著  総合法令出版:刊

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」といいます。
 苦しい時期やつらい出来事も、それを乗り切って上手くいき始めると、忘れてしまうものです。

 せめて、つらいとき、苦しいときに自分が何を願い、誰に何をしてもらったのかは忘れず、恩返しする謙虚さは忘れないようにしたいですね。

「時間」と「お金」は同じ括り

 井内さんによると、神さまはお金と時間は同じ括りだとおっしゃっています。
 つまり、お金も時間も、他人のものを奪えば自分のも奪われるし、他人に与えればいずれ自分に戻ってくるということです。

 命には限りがあり、自分の持っている時間は、限られたかけがえのないものです。
 ですから、相手から時間を奪うことを軽く考え、平気で人の時間を奪っていると、自分のお金を何らかの形で奪われることになるのです。
 お金に関することでずるいことをすれば、自分がお金のことで泣く目に遭います。そして、お金でしたことはお金でかえってくるだけでなく、時間でかえってくることがあるのです。
 その逆もまた同じです。

 時間に遅れる人も、人の予定を狂わせ、時間を奪っている人です。
 たまたま、アクシデントが起こり、いつも時間を守っている人が一度や二度、時間に遅れたからといって、不意の出費はありませんが、時間にルーズな人は、だいたいお金にもルーズな傾向があり、そして、人を待たせるように、自分もお金を待たなければなりません。
「入金予定のものがなかなか入らない。お金が足りない」と感じるときは、お金と時間の使い方両面から、自分の振る舞いを見なおしてみてください。
 時間の使い方を間違えると、お金でその結果がかえってくることがあるのです。

 『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』 第3章 より  井内由佳:著  総合法令出版:刊

 時間は、お金と違い、他人のものを奪っても、その認識が薄い人が意外と多いですね。
 失ったら戻らないという性質を考えると、時間は、お金以上に貴重な資源です。

 時間のやりくりに悩む人は、知らないうちに他人の時間を奪っているのかもしれません。
 思い当たることがないか、一度振り返ってみるのもいいですね。

神さまのつくった「この世の中の法則」とは?

 井内さんは、「この世の中の法則」は、以下の二つからなっていると述べています。

  • 「したことがされる」
  • 「神さまの力は、相手と自分との差異に対して働く」

「したことがされる」とは、実際に、相手に「したこと」ではなく、相手に対して「思ったこと」「味あわせたこと」が自分にかえってくるのです。
 たとえば、相手にとてもいいことがありました。そのとき、口では「おめでとう」といいながら、心の中では妬(ねた)ましく思っていたとします。そういうときは、口でいった「おめでとう」、つまり、人を「祝福した」ことが、自分にも「祝福される」という形でかえってくるのではありません。心のなかで「妬んだ」ことで、神さまは、あなたが誰かから「妬まれる」という形を作って、おかえしになるのです。

「神さまの力は相手と自分との差異に動く」とは、どういうことでしょうか。
 自分が人からしてもらったことよりも、誰かにしてあげたことが多い人は、そこにプラスの差が生じます。
 そのプラスの分が神さまから与えられる「幸運」なのです。

 してもらったことよりも、してあげた方が少ない人は、そこにマイナスの差が生じます。そのマイナス分が神さまから与えられる「不運」なのです。

 いつも、このことを頭に入れておくと、多少嫌なことがあっても、
「自分も似たようなことを誰かにしたのではないか」
「この世には神さまがいらっしゃるのだから、その分、回りまわって、どこかできっといいことがあるはず」

 という考え方ができるようになるのです。

 ですから、もし、貸したお金が返って来なくても、
1)自分は払うべきお金を払わないことがなかったか、もしくは受け取るべきではないお金を受け取っていなかったかをよく考える
2)取りかえそうとしても、ないものはないのだろうから、1)のことを反省したら、後は、神さまの力が働いて、回りまわってどこかからお金が入ってくると信じ、忘れる

 このように、考えてみてください。

 忘れたころに、思いがけないお金が入ってくるのです。

 『私が神さまから聞いたお金の話をしてもいいですか?』 第5章 より  井内由佳:著  総合法令出版:刊

「情けは人の為ならず」の言葉通り、他人にしたことは回りまわって自分に返ってきます。
 もちろん、良いことも悪いこともです。

 見返りを期待せずに相手にしてあげること。
 そして、他人にしてあげたことは、すぐに忘れること。

 心配しなくても、最後には帳尻が合うようになっているのですね。

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 井内さんによると、お金にも、心があって、好き嫌いがあるとのこと。
 お金が側に近寄りたくなる人、そうでない人は、人が思う好き嫌いと同じ。
 人が「近寄りたくない」と思うような人には、お金も近寄りません。

 お金に好かれるためには、人から好かれる人になること。
 多少時間がかかりますが、安定した豊かさを手に入れるためには、避けては通れません。

 お金は、「物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを表すバロメーター」です。
 自分だけではなく、周りの人も喜ぶようなことにお金を使うよう、心がけたいですね。

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