本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『自分の壁」の壊し方』(潮凪洋介)

 お薦めの本の紹介です。
 潮凪洋介さんの『自分の壁」の壊し方 堂々と歩け! だれもあなたのことなんか気にしていない!』です。

 潮凪洋介(しおなぎ・ようすけ)さん(@shionagi)は、エッセイスト、講演家、イベントプロデューサーです。
 20代後半で脱サラし、さまざまな大手企業、メディア、行政団体との企画を実現させるなど、多方面でご活躍中です。

「自分の壁」を壊せば、人生は楽しくなる!

 潮凪さんは、人の成長が止まる理由は、自分に「壁」をつくっているからだと述べています。

 壁は、100%自分自身でつくりだしたもの。
 自分の心の中に壁をつくってしまうのは、「過剰な自意識」のせいです。
 多くの人が、身動きがとれなくなって、息苦しい毎日を過ごしています。

「無駄なプライド」
「気遣いのしすぎ」
「勝手な優越感」

 日々成長しながら、人生をさっそうと歩んむ。
 そのためには、これらの無用な重荷を捨て去る必要があります。

 潮凪さんは、自意識過剰をやめれば、人生は10倍楽しくなると指摘しています。

 本書は、「過剰な自意識」に縛られた人生を断ち、人生をやり直すノウハウが詰まった一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「こんな仕事、辞めたい!」という衝動に従え

「人生を悔いなくものにしたい」
「もっと自分の可能性を高めたい」

 そう思うのなら、今までの考え方を180度変える必要があります。
 例えば、「こんな仕事辞めたい!」という破壊的な衝動に素直に従うことが、人生がよい方向に導くことがあります。

 なぜ、こんな幼稚な思考が人生を有意義な方向へと導いてくれるのか。努力を放棄し、マイナスに映る行為が、本当に創造や有意義な人生につながるのか。疑問に思うかもしれない。
 だが、答えは明白である。
 不得意分野、しかも楽しくてやる気も出ない、つまり成果の出ない、劣等生になることが目に見えている職務を離れ、もっと成果が出て楽しく没頭できる分野へと転身するきっかけとなるからである。
 一般的に、途中で投げ出すことは悪いこととして捉えられがちだ。
 ところが、その常識がうだつのあがらない人生に拍車をかけ、人生の「被害者」へと成り下がる一番の原因なのだ。
 あなたがやるべきは「嫌いなことも責任をもって頑張り続けるべき」という固定観念の破壊である。
 じつは、自分に合わない仕事はさっさと辞めたほうがよい。
 自分にとってだけではない。使えないあなたを雇用する雇い主にとってもよい選択なのである。
 人間関係も劣悪だとしよう。
 それだけでも職場を放棄するには十分な理由となる。そんな場所からは、さっさと避難したほうがいい。努力して順応しようとする時間など必要もない。
 かつて、私は「人間関係が劣悪だ」というだけで会社を辞めたことがある。
 破壊的な感情に素直に従って、非常識に会社を辞めてきたのだ。
 会社を裏切ったかもしれないが、自分の気持ちだけは決して裏切っていない。
 まあ、自分でもずいぶんと派手に会社との関係をぶっ壊してきたものだと思う。多少なりとも会社に迷惑をかけたことだけは申し訳ないと思っている。
 しかし、私も生きることに対しては命懸けである。
 とくに筋の通らない、悪意のある言葉を投げかけてくる上司に頭を下げる気持ちなど毛頭ない。円満退社など、ちゃんちゃらおかしい。
 イヤなものはイヤでいい。今でも心底そう思っている。
 破壊衝動に素直に従ってきたからこそ、今があるのだ。
 会社を早く見切ったからこそ、好きな仕事を何度も選ぶ機会に恵まれたのである。
 今では、「そんなに働いては身体に毒ですよ」と人から言われるくらいに仕事が大好きになっている。
 今の自分があるのは、いち早く自分に合わない仕事や人間のタイプに気づき、自分に合う仕事、自分に合うタイプの人間が集う職種と出会う作業を迅速に選別していったからである。
 あなたの心があなた自身に「NO」を突きつける大切なSOS信号、それが破壊的衝動だ。それなのに、努力だの継続だの責任感だの信頼だのという言葉で自分を縛り付けては不毛ではないだろうか。

 『「自分の壁」の壊し方』 Part 1 より  潮凪洋介:著  KADOKAWA:刊

 日本では今でも、「何ごとも、最後までやり通すことが美徳」という考え方が根強いです。
『石の上にも三年』という言葉もありますね。

 嫌いなことや苦手なことでも、辛抱して続けていれば、いつか報われる日が来る。
 この変化の激しい今の時代、そのような考えでは、充実した人生も送ることができません。

「イヤなものはイヤ」
 自分自身が素直にそう認めることが、人生を変える第一歩。
 破壊的な衝動のエネルギーを新しい人生を切り開く原動力として上手に利用したいですね。

「不快な人間関係」の維持は時間のムダ

 周囲の人との関係を良好に保つことは、「仕事」や「作業」を遂行するために必要なことです。
 しかし潮凪さんは、すべての人々とよい関係を維持しようとするとバカをみると指摘しています。

 どんなバカをみるというのか。
 一つは、あなたにとっての不毛な手間、ストレスである。もっとウマが合う人、楽しい人達と有意義な人生を過ごせるのに、それを放棄することになる。
 ウマが合う人とたくさん出会って人生を楽しくできるにもかかわらず、それを放棄し、わざわざ不快な周波数の発信元に愛を注ごうとする。つくり笑いで心を殺してプライベートタイムも過ごしてしまうのだ。
 これではイヤな取引先や上司、部下と顔を合わせて過ごす職場と何ら変わりがない。人生の時間をドブに捨てているのと変わらない。
 そして、もう一つ不毛な現実が待っている。
 あなたと仲良くしたいとは思っていない相手に、ストレスを押し付けることにもなる。
 相手も本心では「わざわざそこまでして仲良くしたくないのに面倒です」と思っているかもしれない。
 もっと広い世界を見よう。
 好きな人とだけ出会い続けたとしても、出会い切れないほどの人間で世の中は溢(あふ)れている。
 それにもかかわらず、心地よいとはいえない相手の毒を浴び、せっかくのプライベートの時間を過ごす。絆を固めたつもりになって眠りにつく。これが不健康でスカッとしない毎日をつくる。
 はっきり言おう。
 あなたの毎日がスッキリしないのは、プライベートでの人間関係が原因である。
 多くの感情は結局、人間が運んでくる。
「でも、そうは言っても情があるから・・・・・」
「ここで人間関係を切るのは非常すぎる・・・・」
 そんな考えを捨てることだ。ただの淀んだ惰性関係であるならば、あるいは決定的にイヤな思いをさせられるのなら、関係を捨ててしまったほうがいい。
 そのとき、人は誰でも罪悪感を抱く。
 虫を殺すときのような、生きたままの魚をさばくときのような、そんな残酷感が身体中をかけめぐる。
 しかし思いきって関係を捨ててみれば、今までいかに自分が「無駄に人に優しくしていたか」に気づく。
 あなたがやるべきは極度の不快感をもたらす人間関係の破壊である。
 試しに、いくつか人間関係を“間引き”してみよう。
 日々のストレス軽減の成果を、自分自身で確かめてみよう。 
 きっと、明らかな効果に驚くはずだ。

 『「自分の壁」の壊し方』 Part 2 より  潮凪洋介:著  KADOKAWA:刊

 新しい人間関係を築くために、最初にしなければならないこと。
 それが、古い人間関係を断ち切ることです。

 新しいことを取り入れるためには、まず、古いものを捨てなければなりません。

「人間関係」もモノと同様、「もう使わない」というものはバッサリ捨て去ること。
 いつでも整理整頓、さっぱりとしておきたいですね。

「歌える、踊れる、バカができる人」になれ!

 潮凪さんは10代の頃、「歌える、踊れる、バカができる人」を選んで友達になっていたそうです。
 踊る、歌うという行為は、人間の原始的かつ本能的な表現で、それをできない人は、周囲と壁をつくり、殻に閉じこもる人だと考えたからです。

 潮凪さんは、「踊らない、歌わない人」は「会話をしない」くらいの自己表現の放棄をしていると感じているとのこと。

 日本人は、とにかく無駄に照れ屋で、無駄に自意識過剰である。
 世界を見てほしい。「私は踊らない、歌わない」などと主張するのは、日本人を含む、ごく少数の国だけである。
「踊りが得意でない」「音痴だから」などの理由は単に自意識過剰だからである。楽しむ心がないから、そんなことばかりに目がいってしまうのだ。
 たとえ音痴だとしても、カラオケを楽しく盛り上げる人もいる。踊りが下手でもその場を楽しく盛り上げる人もいる。
 歌や踊りを通じて、遊びを楽しむ心と絆が生まれる。人生を謳歌(おうか)しようという気持ちが生まれ、出会いへの感謝が生まれる。
「踊りも歌も習ったことがない」
 そんな言い訳をする20代にも驚く。
 歌も、踊りも本来、習うものではない。
 遊び心から自然に生まれるものではないだろうか。
 歌も踊りも、自分が楽しむためだけにやればいい。習い事の範疇(はんちゅう)で捉えた瞬間、遊びではなくなってしまう。
 歌を習った人、合唱部の人だって、カラオケでぎこちない人もいる。ダンス教室に通ったからといって、場違いなダンスをクラブでやってしまう「イタイ人」もいる。
 要は、肝心の「遊び心」を持っていないのだ。
 ダンスや歌の技術があったとしても、「人生を楽しもうとする意欲」がない。だから、行動がぎこちなくなったり、「イタイ人」になったりしてしまう。
 踊りも歌も、あくまで「自分を解放する」ためのツールに過ぎない。
 自分の心の躍動をありのままに自由に表現しさえすればいい。
 決して、スクールに通うことを否定しているのではない。仲間と楽しく、自発的に自分を解放し、カッコイイコミュニケーションができる自分を「習う」のではなく「遊び」ながらつくってほしい。

 『「自分の壁」の壊し方』 Part 4 より  潮凪洋介:著  KADOKAWA:刊

 人前で歌える、踊れるというのは、上手、下手の問題ではありません。
 いかに場数を踏むか、つまり、慣れの問題です。

 誰でも初めてのことをやるときは緊張するものです。
 それでも勇気を出して最初の一歩を踏み出し、自分の殻を突き破りたいですね。

「どうせ、すべては変わりゆく」と考えてみる

 長い人生、どんな人でも悩んだり苦しんだりする時期はあります。
 潮凪さんは、そのようなとき、「どうせこんなことは長く続かない」と少々投げやりになってみるとよいと述べています。

 ミスをせず、仕事を生涯やりきったとしても、いつか退職する。
 すべては例外なく変わりゆく。一つとして同じものはない。
 これは仏教の考え方である。
「すべては変わりゆく」と思えば、無駄な力みと憂鬱(ゆううつ)なプレッシャーが消える。
「全力を出し切って、最善の結果を目指し、完全燃焼をする。そして成果を得るけれど、どんなにあがいても、その状態すらも変わりゆく」
 このような静かな心で目の前の努力に向かうことができるようになる。
「変わってもよいのだ」という気持ちで余計なプレッシャーを感じることなく努力を続けられるのだ。
 さらにもう一つ。
 今あなたがどん底だと思っていることを頭に思い浮かべてみよう。
 思い出したくないほどの最悪なことかもしれない。
 ところが、その「最悪」ですらも変わりゆく。
 たとえば、ハラワタが煮えくり返るほどに憎らしい人物がいたとする。
 その相手への怒りは永遠に収まらないように思えるだろう。
 だが、おそらく1年後、あなたはその怒りを抱いてはいない。それどころか、その人の存在すら忘れ、別のことに気をとられているはずだ。
「すべては変わりゆく」と思うことで「うまくいっていることの維持へのプレッシャー」は和らぎ、「目を背けたくなるようなどん底の痛み」への絶望すらも和らぐ。
「どうせ変わるんだから」とあえて思ってみてほしい。

 前向きな思考は正しい。人生が有意義になる。
 しかし、「すべては変わりゆく」と悟りながらの努力は、必ずもっと賢明な人生を引き寄せる。
 すべては変化する。
 だから、そんな自分を責めなくてもいい。
 心配などせず、やれる努力を悔いなくすればいい。
 できる限りの工夫を、できる範囲でやればいい。
 あきらめないという前提で、前向きな人生を歩めば、一瞬一瞬に輝きをつくれるのである。その集計が、悔いのない人生となる。

 『「自分の壁」の壊し方』 Part 6 より  潮凪洋介:著  KADOKAWA:刊

 いいことも悪いことも、すべて一時的な出来事に過ぎません。
 有頂天になってはいけないし、絶望してしまってもいけません。

 この世のすべては「諸行無常」です。
 だからこそ、「今」、この瞬間を大切にすることに大きな意義があります。

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 よく、「今は、生きにくい世の中だ」という人がいます。
 しかし、本当にそうなのでしょうか。

 私たちは、世の中の常識を無条件に信じているため、そう思い込んでいますが、実際には違います。
 毎日楽しく、エネルギーにあふれて幸せに暮らしている人は、たくさんいますね。

「生きにくい世の中」などというものはありません。
 結局、自分が勝手に「生きにくい」と決めつけてしまっているだけの話です。

 すべては自分の考え方次第。
 窮屈なのは、自分の中にいくつもそびえ立つ高い「壁」があるから。
 それらを壊さないかぎり、その向こうにある広い世界は見えてきません。

 自分の壁を壊すのは、勇気のいることです。
 しかし、そこから逃げていては、何も変わりません。

「自分を変えたい」
「もっと自由に生きたい」

 そう願う人にすべてに、手にとって頂きたい一冊です。

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