【書評】『たった一人の熱狂』(見城徹)
お薦めの本の紹介です。
見城徹さんの『たった一人の熱狂-仕事と人生に効く51の言葉-』です。
見城徹(けんじょう・とおる)さんは、雑誌・本の編集者です。
大手出版社を経て幻冬舎を設立、数々の話題作、ミリオンセラーを世に送り出されています。
「755」にはまった理由
見城さんが、堀江貴文さんと藤田晋さんが立ち上げた新しいSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)「755」を開始したのは、2014年8月。
以降、投稿を繰り返し、それに反応する他のユーザーとの交流を重ねてきました。
「見城です。今日から始めます。宜しくお願いします。」
たった24文字をスマートフォンで打ち込むだけで、大変な時間がかかった。実に億劫だった。755の世界では、幻冬舎はともかく見城徹という名前を一度も聞いたこともない人たちも多いだろう。まさにアウェイだ。
人から頼まれ、まったくの利害関係なしで755を始めたからといって、せっかく「やじコメ」を投げかけてくれる人に無下(むげ)な対応をしたり無視したくはない。僕は基本的にすべての「やじコメ」に応え、真剣勝負でユーザーと切り結ぶことを決めた。
僕を茶化すことが目的の匿名ユーザーもいる。忙しかったり眠かったりして、きちんと返事をできない時もある。だが僕はできる限り、自分の肉声によって相手が問うていることに真摯(しんし)に答えようと努力してきた。
僕の存在は、SNSの世界ではかなり特殊だと思う。本業を抱えて忙しい中、僕ほど755と真剣に向き合っている人はいないだろうという自負がある。いつしか755は、ユーザーと見城徹によるガチンコの人生問答と化していった。手前味噌だが「見城徹の千本ノック道場」と呼ぶ人もいる。「奇跡のSNS」とも言われた。
しかし、そもそも僕にはSNSがどんなものなのか解らなかった。
ただ僕は相手が無名だろうが、自分の孫くらいに年齢が離れていようが、頭を高くふんぞり返りたくはないだけだ。
彼ら無名の人々と交流を重ねるうちに、僕は755の魅力にはまり込んでいった。人生に真剣に悩む彼らにボールを打ち返すうちに、実は僕の方こそ彼らから教えられていることに気付いたのだ。『たった一人の熱狂』 はじめに より 見城徹:著 双葉社:刊
見城さんの、人生に対して真正面から向き合う強い姿勢、熱い情熱が多くのユーザーの心を掴んだのですね。
本書は、見城さんが「755」で発した言葉を再構成し、テーマごとにまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「結果が出ない努力」に意味はない
見城さんは、誰よりも「発行部数」という数字にこだわり、驚異的な結果を出し続けてきました。
その裏づけとなったのが、人知れず重ねてきた「圧倒的努力」です。
圧倒的努力とは何か。人が寝ているときに寝ないで働く。人が休んでいるときに休まずに動く。どこから手をつけたらいいのか解らない膨大なものに、手をつけてやり切る。「無理だ」「不可能だ」と人があきらめる仕事を敢えて選び、その仕事をねじ伏せる。人があきらめたとしても、自分だけはあきらめない。
こうした圧倒的努力は、当然のことながら苦難を極める。辛さでのたうち廻り、連日悪夢にうなされることもしばしばだ。
だが、僕は圧倒的努力をやめない。覚悟を決め、自分がやるべき仕事と対座する。憂鬱(ゆううつ)でなければ、仕事じゃない。毎日辛くて、毎日憂鬱な仕事をやり切った時、結果は厳然とあらわれる。
今でこそ会いたい人には会えるようになったが、僕だって最初は誰からも相手にしてもらえなかった。この世には2種類の人間しかいない。圧倒的努力を続ける人と、途中で努力を放棄する人だ。苦しくても努力を続ければ、必ずチャンスは巡って来る。死ぬ気で努力するから、大きなチャンスをこの手でつかめるし、圧倒的努力が10重なった時、初めて結果が出るのだ。
若い頃の僕は、どうしても五木寛之さんと仕事をしたくて25通もの手紙を書き続けた。どんなに短いエッセイでも対談でも、上下2巻にわたる長編小説の書き下ろしでも、五木さんの新しい原稿が発表された時には、5日以内に必ず感想書いて送ると決めた。五木寛之という名前の「五」になぞらえたのだ。
手紙には、通り一遍の感想を書いたところで意味がない。作家にとって新しい発見と新しい刺激が手紙に書き込まれていなければ、並み居る編集者の中から無名の僕が指名されることはない。相手を刺激する感想を書くというのは大変なことだ。
僕は高校時代に五木さんの『さらばモスクワ愚連隊』を読んで以来、熱狂していたから編集者として絶対に一緒に仕事をしたいと思った。結果、五木さんにはそれまで付き合いがなかった角川書店に原稿を書いて頂き、単行本は50万部の大ヒットになった。
石原慎太郎さんに初めて会いにいった時には、50本のバラの花束を持って行った。そんなプレゼントは、所詮は若造の浅知恵である。石原さんは「男に花をもらったのは初めてだな」と苦笑していたが、こんなことぐらいで作家の胸を打つことはできない。
僕は花束を持って行っただけでなく、石原さんの『太陽の季節』と『処刑の部屋』を目の前で全文暗誦(あんしょう)しようとした。「竜哉が強く英子に魅かれたのはー」という書き出しから何行かで終わりにするのではなく、文字どおり全文を諳(そら)んじようとしたのだ。
『太陽の季節』を全文暗誦し始めた時、石原さんは「わかった。もういい。お前とは仕事をするよ」と言ってくれた。
(中略)
圧倒的努力ができるかどうかは、要は心の問題なのだ。どんなに苦しくても仕事を途中で放り出さず、誰よりも自分に厳しく途方もない努力を重ねる。できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決するのだ。『たった一人の熱狂』 第一章 より 見城徹:著 双葉社:刊
「できるかできないかではなく、やるかやらないかの差が勝負を決する」
誰も真似のできない圧倒的努力を積み重ねて、結果を出し続けてきた、見城さんらしい考えです。
「結果が出ない」と悩んでいる程度の努力では、努力していることになりません。
そんなことを考えている暇があるなら、その分努力をしろということです。
必死に考え、行動する人の前に、道は開かれるもの。
見城さんの、とことん結果にこだわる姿勢は、見習いたいですね。
嫉妬されるな。おごり高ぶるな。
どこの世界にも、他人に嫉妬して足を引っ張ろうとする人はいるものです。
人から嫉妬されるのは、周りと大した実力の差がないのに注目されるから。
見城さんは、有無を言わせない圧倒的な差をつければ「あいつの仕事には誰もかなわない」と周囲の目はあきらめに変わる
と述べています。
出版界では「10万部の壁」という言い方がある。ヒット作がどんどん増刷重ねて8万部、9万部と伸びても、10万部を突破するベストセラーにするのは容易ではないのだ。僕は常々「10万部のヒットを1回出せた編集者は、それから何度でも10万部の本を作れる。30万部のヒットを1回出せた編集者は、それから何度でも30万部の本を作れる」と言っている。
ひとたび成功体験を得れば、壁を突破するための方程式が見える。それが肉体化する。原稿の中身を吟味するのは当然のこととして、タイトルのつけ方ひとつで読者の興味はグッと変わる。どの装丁家にデザインを依頼し、どんな装丁にするのか。表紙の帯にはどんなキャッチコピーをつけるのか。新聞広告をどう打つのか。爆発的に話題になるプロモーションをどう仕掛けるのか。あの手この手で作戦を考え、1冊でも多く著者の本を売る。
圧倒的結果を出せば、社内で僕の足を引っ張る妬みの輩(やから)などいなくなる。なにしろ角川書店の売上年間ベスト10のうち、僕が担当した本が毎年、7割は占めていたのだ。会社のためにずば抜けて利益を上げていることは誰もが認める客観的事実だった。
だから1人5万円はかかる名店「京味」で何度会食しようが、月400万円近く経費を使おうが、誰も文句は言わなかった。文句は言わせなかった。
「職場でやりたい仕事を担当させてもらえない」とか「希望の部署に行けない」と不満を抱えている読者もいると思う。
そんな人は、まずは今任されている仕事で圧倒的な結果を出して欲しい。中途半端な結果ではない。圧倒的な結果を残せば、おのずと希望のポストは手に入るものだ。やりたい仕事は向こうから舞い込んでくる。社内筆頭の稼ぎ頭になれば、あらゆる不満は消えてなくなるはずだ。
ただし、圧倒的結果を出したからといって決しておごってはいけない。僕はこれまで沢山の成功した起業家と付き合ってきた。彼らは一様に、成功したからといって調子に乗ることはない。おごる者は、知らず知らずのうちに見えない敵を作る。
いい気になっておごり高ぶる傲慢(ごうまん)な人間は、必ず堕(お)ちていく。トップランナーであり続ける成功者ほど、みな謙虚だ。褒められても「いやいや、たいしたことはないですから」と静かに笑い、自分の話は早々に切り上げる。
傲慢な人間から仲間は離れ、謙虚な人の周りには協力者が集まる。ビジネスの世界を勝ち抜く本当のしたたかさを持っていれば謙虚に振舞うのは当然だろう。おごれる者は久しからず。謙虚であることは、成功を続けるために必須の条件なのである。『たった一人の熱狂』 第二章 より 見城徹:著 双葉社:刊
「出る杭は打たれる」
この言葉のとおり、突き抜けようとすると、必ずそれを邪魔する力が働きます。
とはいえ、叩かれるのは、突き抜け方が中途半端だから。
誰の手も届かないくらい、圧倒的に突き抜けてしまえば、叩く人もいなくなります。
周囲を圧倒する努力を続け、しかも謙虚に振る舞う。
それが自分のやりたい仕事をして、成功し続ける秘訣ですね。
現実と格闘しろ!
「幻冬舎」を立ち上げ、起業家として成功を収めた見城さん。
ただ、圧倒的努力と破産してもいいという覚悟がなければ起業などすべきではない
と釘を差します。
755では「就職が決まらなくて困っています」嘆く人もいる。こんなことを僕に質問する時点でおかしい。こういう質問を受けると、「今の人たちはずいぶん希薄に生きているのだな」と悲しくなる。今の日本で、普通に大学を卒業した人なら、少し努力をすれば就職先なんて見つかるに決まっている。
厳しい言い方だが、何も仕事が見つからない人は背筋が曲がっているのではなかろうか。すべては生き方の集積だ。現状に甘んじ、当たり前の努力すらできない生き方をまず変えるべきなのである。
就職か決まらないのは誰のせいでもない。君のせいだ。君がまったく方向違いの生き方をして来たせいで、どこの企業にも採用してもらえない。うまくいかない原因は自分にあるにもかかわらず、世の中のせいにしたり、ベンチャー企業を立ち上げてみようと夢想するだけでは、甘えるのもいい加減にしろと言いたい。
今までの生き方の集積が君の結果になっているのだ。それを受け止めるべきだ。
逆に言えば、今から生き方を変えればいいのである。そうすれば未来の結果も少しずつ変わって来る。
まずはとにかく、自分が現時点で就ける仕事で結果を出す。かなりのエキスパートになった段階で、起業などの選択肢も出てくる。手に職も付いていない人がいきなり起業したところで、誰が相手にしてくれるというのだろう。
斜陽産業でも何でもいい。君が「この世界であれば日本一になれる」という仕事を見つけ、圧倒的努力を重ね頭角を現せば、その職場を辞めてからも別の職場で成功できるはずだ。
自分を痛めつけてでも何かに熱狂する。自分の内なる声に耳を澄ませない限り、転職など出会えるわけがないのだ。
女性の下着に異様に興奮する性癖があるのなら、下着に関する該博(がいはく)な知識を生かして下着会社に就職すればいい。石炭の質感や匂いにたまらない興奮を覚える人は、今から石炭関連の仕事をやればいいではないか。
どんな世界であれ「××の世界に△△あり」と言われるくらいの日本一の働き手になることを目指そう。
覚悟を持って現実と格闘した先にしか大きな結果はない。
「覚悟」とは、このためには死んでもいいと心に決めることである。『たった一人の熱狂』 第三章 より 見城徹:著 双葉社:刊
並外れた実績を残す人は、どこにいても頭角を現すもの。
逆にいうと、今いる場所で、並外れた実績を残せなければ、どこでも一緒です。
起業なんてもってのほか、だということですね。
まずは今の仕事、今の職場で圧倒的な実力を身につける。
自分の進みたい道に進むのは、その後です。
「その時」が来たときに、覚悟を決めて決断できる。
その実力は、磨けるだけ磨いておきたいですね。
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ページの端々から発せられる圧倒的な情熱、そして強烈な存在感。
そこには、自分が信じた道を真っ直ぐに突き詰める男の人生のエキスがぎっしり詰まっています。
結果にこだわり、妥協することなく今を精一杯生きる見城さんの言葉は、読み手を魅了する説得力と爽快感がありますね。
「言葉」にこだわり続ける見城さんらしい、練りに練られた文章の数々。
「一編集者として、どこまでも成長していきたい。いい本を世に出し続けたい」
その一途な情熱が、私たちの中に眠っている“情熱の炎”を燃え上がらせてくれます。
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