本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『がんばらない成長論』(心屋仁之助)

 お薦めの本の紹介です。
 心屋仁之助さんの『がんばらない成長論』です。

 心屋仁之助(こころや・じんのすけ)さんは、心理カウンセラーです。
 全国各地でセミナー、講演活動をされるかたわら、カウンセリングスクールを運営されています。

「成長」の大前提を、180度裏返してみる

『成長』とは、「武器を増やすこと」「素晴らしい人間になること」。
 ほとんどの人は、そのようなイメージを持っているのではないでしょうか。
 心屋さんも、以前は、そのような一人で、

「成長することが正しい」
「成長すると認めてもらえる」
「成長すると幸せになれる」
 
 そう信じ、歯を食いしばって努力を積み重ねてきました。

 でも、そんなある日、ふと思ったのです。
「それ、本当か?」と。
 そう、僕が長年信じてきたこと、「成長しなければだめだ」「役に立たなければいけない」「まだまだ努力が足りない」って、ほんとか? と。
 そう言い換えると「ほんとに、そんなに、自分は、ダメな人間なのか?!」ということでした。「そんなにがんばらないと、ココに居られないのか?!」と。

 考えてみれば、毎日のようにぶらぶらしているのに、大したこともしていないのに、みんなに愛されて認められていて、結果まで残している人がいる。
 こっちのほうが結果を残しているのに、こっちのほうがまじめに働いているのに、こっちのほうががんばっているに、おかしくないか?
 でも、そこには、自分自身の中に、言葉にできないほどの恐怖がありました。
「こちらのほうががんばっているに、がんばっていない人のほうが認められているということは、自分という人間に、どれだけ魅力がないということなのだろう」という恐怖でした。
 だから、その「魅力のなさ」をカバーするために、魅力のなさを認めたくないために、「ただ、必死に」走りつづけていたのです。
 そして、そのことに気づいたとき、気づいてしまったとき、ありえないほどの絶望を感じました。そして、その絶望を感じ、感じきったときに、ふと思ったのです。
「それ、本当か?」と。

 そこから僕は、「成長する必要はない」「そんなことしなくても、自分は愛されている、認められている」という「前提」に変えたのです。
 今までは「成長しなければ、そのままの自分は嫌われ見捨てられる」という「前提」、おそろしいほどの自己否定感を握りしめていたのです。
 それを180度、裏返してみた。
 そうすると、今まで読んできた、ポジティブな本や、自己啓発書に書かれているような「成長」と、今回お話する「本来の成長」は、まったく意味が違うということに気づいたのです。
 それは「大前提の違い」でした。

 『がんばらない成長論』 はじめに より 心屋仁之助:著 学研プラス:刊

「本来の成長」に気づいた心屋さんは、これまでとは逆に、どんどん仕事を減らしていきます。
 なのに、会社の売り上げが、以前の50倍にも膨れ上がりました。

 心屋さんは、その理由を、今までしていた努力を、学びを、武器を、全部捨てたら、まるで重りをはずした気球のように大空高く舞い上がることができたからだと述べています。

 本書は、これまでの「がんばり」とは無縁の、心屋流「新・成長論」をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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なんとなく楽しんでいたら、いつの間にか成長していた

 なんとなく楽しんでいたら、いつの間にか成長してしまっていた。
 心屋さんが勧めるのは、そんな「ゆるゆるな成長論」です。

 目標を定め、一方向に進むという成長も、すばらしいと思います。努力して、あるレベルに到達すれば達成感もあり、人生の充実を感じられますね。
 ただ、これはあくまでも「今の自分の視野」がとらえる成長像。僕としては、それとは別の、もう一つの可能性も示したいのです。
 今の自分では、およそ理解できないような世界に飛び込んでみることで得られる、想像の範囲を超えた新しい成長の可能性、というものを。
(ただし、今までみなさんが信じてきたことの真逆であるので、容易に信じられないし、理解もできないと思いますが、ここは「そういうものがあるのか」という感じで、ぜひ読み進めてほしいのです)

 その成長では、自分がどの方向に向かっているのか、わかりません。
 先々に、何が待ち受けているのかも、予測できません。
 ただ、一つだけ確かなのは、その道は、まったく不安でも、苦しくも、困難に満ちたものでもない、ということ。

 今の自分のままで、なんとなーく、ゆるゆる、ふわふわと楽しんでいたら、いつの間にか、ここにたどり着いていた。
 その場所には、びっくりするくらい居心地がよくて幸福感に満ちていた――。
 そんな「なまぬるい」世界です。ね、ダメでしょ?

 先に到着地がわかっているのではなく、ある場所にたどり着いてみたら、そこは想像を超えた、でも、いちばんほしかった、とてつもなくいい場所だったと気づく。
 これからお話する成長とは、そんなイメージです。
 つまり、「目標」の未来をはるかに超える、「予測不能」な未来に行くのです。

 その一歩を踏み出すか。
 それとも、今の世界にとどまり、今の自分の視野がとらえる範囲の成長を目指すか。
 すべて、あなた次第です。

 『がんばらない成長論』 1章 より 心屋仁之助:著 学研プラス:刊

 目標に向かって、流れに逆らいながらも、がんばって泳ぐ。
 それが従来の成長論の考え方です。

 そうではなく、力を抜き、ただ流れに乗って浮いている。
 すると、私たちの想像を超えた場所にたどり着けるということ。

 必要なのは、これまでの努力を手放し、自分の知らない世界へ飛び込む勇気。
 大きな意識の転換が必要ですね。

人生の濁流に飛び込む勇気

 がんばることが普通になっていると、がんばることをやめるのは難しいものです。
 心屋さんは、成長しようとがんばってしまう人を、「部屋に迷い込んだ蚊トンボ」に例えています。

 どうやったって成長してしまう流れ、いつの間にやら大きな成長を引き寄せてしまう流れは、じつは、つねに自分の周りにあります。
 それなのに流れに乗らない。
 あくまでも今の自分が見えている経験の範囲内で、その範囲に収まる程度の成長を求めてがんばってしまう。
 ほら、やっぱり、表の自由な世界へと誘う手があるのに、狭い部屋に留まろうとがんばる蚊トンボ、そのものでしょう?

 しかも、私たちの周りにつねにある、本来の自分らしさという流れは、蚊トンボを外へ誘う手ほど生易しいものではありません。
 言うなれば、ごうごうと唸りをあげて流れる濁流です。
 そんなの、今、自分に見えている世界に留まるほうが安心ですよね。
 自分をどこへ連れていくともわからない流れ、それも濁流に乗るなんて、今の自分からすれば、正気の沙汰ではありません。
 だから、まるで大きな川の脇の池でチャプチャプ遊ぶようにして、今いる小さな世界に留まろうとします。あえて濁流に身を任せるなんて冒険は、絶対にしません。
 でも、大きく成長するのは、むしろザブンと濁流に飛び込んでしまうような、やぶれかぶれの決意をしたときなのです。
 では、どうしたら濁流に飛び込むことができるのでしょう。
 濁流をも泳ぎきるくらいの力をつけてから?
 それくらい成長してからだったら、安心して飛び込める?
 いえ、そうではありません。

 もう、いいです!!
 もうがんばりません、踏ん張りません。目標もいりません。
 もうぜーんぶ、行き先もわからない流れにお任せしまーす。
 という、「死んでもいい」ぐらいの大損をする覚悟、それが「手放す」です。

 すると一気に濁流にさらわれます。想像もつかないような混乱もします。でも大丈夫です。というのも、人間の体は水に浮くようにできているから。浮き上がろうとして、もがくと溺れてしまいますが、思い切って力を抜いて流れに身を任せれば溺れません。
 これは、あながち冗談ではなく、つまり、あなたは、もともと流れに乗ることができるようになっているのです。

 その濁流がどんなものであるかは、人それぞれです。
 大きなチャンスや転機を想像するかもしれませんが、そうした明確なきっかけが訪れるとは限りません。その流れは、だいたい「大きな損をしそう」な流れだと思っておいたほうがいいです。
 ただ、大損する覚悟をしたときに、人は乗るべき大きな流れに乗るんだと考えておいてください。

 成長できたら、何か大きなチャンスがやってくるのてはありません。
 まず、何も考えずに、流れに飛び込むことが先。
 今の自分「で」いいんだ、と、自分を認めることが先、なのです。

 『がんばらない成長論』 2章 より 心屋仁之助:著 学研プラス:刊

 濁流の中に飛び込むか、飛び込まないか。
 最後は、二つに一つ。大きな決断が必要になります。

 成長の大きな流れは、「大きな損をしそう」な流れです。
 何も考えずに、その流れに飛び込むこと。

 人生の転機となる大きなチャンスを逃さないようにしたいですね。

世間は意外と、甘いもの

 現状が気に入らないのであれば、自分の思考や行動を変える必要があります。
 その中のひとつが、今まで一生懸命、避けてきた「断る」「わがままになる」をやってみようということです。

 仕事だけではありません。たとえば気の乗らない飲み会を断るのでも、大きな一歩になるでしょう。
「体調が悪い」などのウソの一つくらい、ついてみてください。
 あるいは理由など言わなくても、「なんか嫌」「なんか気乗りしない」でも大丈夫です。実際、僕も、そんな理由で断ることがたくさんあります。
 このように、大なり小なり、気の乗らないことはしない、というわがままを押し通してみたら・・・・・、さて、どうなるでしょうか。
 結論から言いましょう。びっくりするくらい、何も悪いことは起こりません(笑)。
 評価が下がることもなく、嫌われることもなく、えらいことになんて、少しもならないのです。
 あなたも、きっと、すぐに気づくことでしょう。
「世間は、意外と甘いんだ」「やさしいんだ」ということに。
 世の中を甘く見るな、厳しい世間を生き抜け、なんてよく言われていますね。
 でも、いろいろなわがままを言ってきて、僕は「意外と・・・・・っていうか、世間は全然厳しくない」という結論に至りました。厳しいどころか、ゆるゆるの甘々です。

 不思議なことに、こうして「世間は意外と甘い」と思っていると、本当に「甘いこと」ばかりが起こりはじめます。
 切符をなくしたけれど、駅員さんに話したら通してくれた。
 新幹線に乗り遅れたけれど(指定席)、一本あとの新幹線で指定席に座っていても見逃してもらえた。
 レストランのコース料理で、わがままなお願いを聞いてもらえた。
「世間は甘い」と思っているから甘いことばかり記憶に残るのか、実際に、甘いことばかり起こっているのかは、定かではありません。
 ただし、自分を見ても周囲を見ても、どうも心のあり方が変わると、実際に現実も変わってくる気がするのです。
 なぜかいつも運の悪い人、なぜかいつも運のいい人というのは、じつは、こんなシンプルな心のあり方によって分かれている。人生、そんなものなのです。
 で、運のいい人は、そんな甘い世界にいっぱい甘えて「ありがとう」と感謝ばかりしているのです。だって、みんなやさしくしてくれるから。

 『がんばらない成長論』 3章 より 心屋仁之助:著 学研プラス:刊

 よく、「現実は、自分の心の中を映す鏡」と言われます。
「世間は厳しい」と見るか、「世間は甘い」と見るか。

 どちらを取るかで、世界は正反対の表情を見せるということです。
 世間の厳しさを嘆いている人は、まず、自分自身の世間に対する見方をチェックしてみましょう。

周囲に頼り、迷惑をかけると、自分自身に変化が起こる

 誰でも、人のために働くことは、うれしいものです。
 心屋さんは、周囲に頼るほど、迷惑をかけるほど、いまだかつて経験したことがないほどの笑顔が周囲にあふれていくと述べています。

 すると、自分自身にも変化が起こります。
 まず、「何でも一人でがんばらなくては」と肩肘張っていたのが、「どんどん周りに頼っていいんだ」「迷惑かけてもいいんだ」という心のあり方に変わります。
 だから、自分に甘くなります。自然と周囲にも甘くなります。
 何を隠そう、僕も、かつては人の遅刻などが許せなかったのですが、自分が周囲に迷惑をかけはじめたとたん、「いいよ、いいよ〜」と言えるようになりました。
 自分に甘々、周囲にも甘々。
 こうなったら収拾がつかなくなって、仕事は滞り、ミスだらけになり、人間関係は大混乱して、また「えらいことになる!」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。

 心の中に「正義の味方」を住まわせているとイメージしてみてください。
 正義の味方は、悪者を見つけ出しては成敗しようとがんばります。悪者と戦うことこそが、彼らの存在意義だからです。
 今までのあなたは、自分に厳しい分、周囲にも厳しかったため、正義の味方は活躍しっぱなしでした。
 気に食わないこと、イライラすること、腹の立つこと。
 そんな嫌な人や出来事に遭遇したくないと思っているようでいて、実際には、いつも周囲を注意深く見張って、無理やり探し出しているようなものです。
 つまり、知らずと心が「怒りたがっている」んですね。

 ところが、自分が周囲に迷惑をかけはじめると、どうでしょう。
 以前は、あれほど気に食わないこと、イライラすること、腹が立つことばかり見つかっていたのに、いつの間にか、すべて問題でなくなってしまいます。

 問題がなければ、正義の味方の出る幕はありません。悪者がいないのですから。
 かつてのように悪者と戦う必要がなくなるのです。
 こうして、「怒りたがり」は鳴りを潜め、怒る機会はどんどん減っていき、自分の周りが「いいよ、いいよ」の空気に満たされていきます。

 なんだから、ストイックさや真面目さのカケラもない、どうしようもない人間になってしまうように思えるかもしれませんが、それでいいのです。
 きっと長いこと、「ダメだ、ダメだ」と自分のことも、人のことも、小さな器にはめようとしていたのですしょう。
 細かい「自分ルール」に周囲をはめこもうとするほど、許せない人の数も多く、正義の味方は、いつもフル活動だったことでしょう。
 それが自分にも周囲にもゆるゆるの甘々になると、何でも「いいよ、いいよ」と許せるようになっていきます。
 かつては絶対に自分の器に入れたくなかった人までもが、すっぽりと収まるようになります。

 『がんばらない成長論』 4章 より 心屋仁之助:著 学研プラス:刊

 周囲に迷惑を掛けるほど、周囲の迷惑は気にならなくなります。
 つまり、自分を許してあげることで、周囲も許すことができるようになります。

 心屋さんは、幸せになれる成長とは、「何かができるようになること」ではなく、「自分の器を広げること」だと述べています。
 そして、その大きなカギになるのが、「許すこと」です。

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 これまでの常識を超えた、心屋流“新・成長論”を身につけるための秘訣は、「子どもの心」です。

 心屋さんは、子どもの心は、さまざまな縛り、しがらみ、とらわれから自由で、だからこそ最強の心のあり方だとおっしゃっています。

 誰でも、子どもだったことを経験しています。
 ただ、それを忘れてしまっているだけ。
 力が抜けて、ゆるゆるだった、子どもの頃の自分を思い出しましょう。
 成功のカギは、いつでも、自分の中にあります。

 自分がなりたいのは、どんな人なのか。
 自分がやりたいことは、どんなことなのか。

 自分の心に隠された、「子どもの心」という宝物。
 それらをもう一度、掘り起こし、自分の本当の人生を切り拓いていきたいですね。

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