【書評】『大人の精神力』(齋藤孝)
お薦めの本の紹介です。
齋藤孝先生の『大人の精神力』です。
齋藤孝(さいとう・たかし)先生は、専攻が教育学・身体論・コミュニケーション論の大学教授です。
教育やコミュニケーション能力向上に関する著書を多数お書きになっています。
不安の根本原因は、“精神的な拠り所”がなくなったから
齋藤先生は、今の時代を覆っている不安の根本原因は、日本人に“精神的な拠り所”がなくなってしまったことだ
と考えています。
日本人は、戦後の長い平和の中で、それまで築いてきた「精神や身体の技法」を忘れてしまった。
それは、日本社会全体が、精神の拠り所となる本を読まなくなったこと、身体を鍛えなくなったことが大きく関係している
と指摘します。
環境が激変する現代社会。
そのなかでは、不動の精神よりも、むしろ変化に柔軟に対応できる、「しなやかな精神力」こそ重要です。
本書は、先人たちが培ってきた精神の築き方をもとに、10項目の「社会に適応していく力」にまとめた一冊です。
その中からピックアップしていくつかご紹介します。
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日本人の得意分野を取り戻し、不足を強化する
齋藤先生は、「日本人というのは、大陸から押し出されてこの島国にたどり着いた民族である」
と考え、『日本人世界最弱説』という仮説を立てます。
アフリカで生まれた人類は、ユーラシア大陸に渡り、ヨーロッパからアジアへと移動していきました。
その大陸から辺境の島国へ押し出された日本人は、最初の人類であるアフリカ人から最も遠いDNAを持っている。
つまり、それだけ押しが弱い民族と言っていい
とその理由を述べています。
齋藤先生は、日本人は粘り強く協調性があると言われるのも、実は個が弱いからだ
と指摘します。
押しが弱いのを、勤勉さや工夫や協調性といった美徳でカバーし、プラスに転換し、現在の繁栄を築いてきたのが、日本人です。
しかし、今、肝心の精神力が弱くなり、自ら築いてきた美徳を忘れつつある
と警鐘を鳴らします。
そこで、今必要なことは、「文武両道」の精神や、「柔よく剛を制す」という発想の豊かさ、「意志」の強さ、「型」の鍛錬といった日本人の得意分野を、もう一度見直してテコ入れしていくことです。同時に、日本人の最も悪い癖である「ヴィジョンなき暴走」に歯止めをかける「バランス力」を磨いていくことです。
一つの成功体験を収めると、その前例に倣って同じことを繰り返していくというのが、これまでの日本の在り方でした。今必要なのは、戦略的判断です。同じことを繰り返していたのでは、この変化の時代にとてもついていけません。そこで、時代の変化を読み取りながらバランスを取っていく。仕事とプライベートでもバランスをとっていく。これが、精神を安定させるのに、最も大切なことだと思うのです。『大人の精神力』 第一章 より 齋藤孝:著 KKベストセラーズ:刊
「バランス力」について、齋藤先生は、孔子の言葉『中庸の徳為る、其れ至れるかな』という言葉などを引用しています。
過不足なく、偏りのない中庸の大切さを説きます。
極端に走らず、ちょっとしたことで倒れない、バランスのとれた心と身体で、堂々と道の真中を歩いていく。
そんな人生を歩みたいですね。
自分だけの「精神の系譜」を作る
昔の人たちは、『論語』などを暗唱し、言葉を身体に叩きこむことで、タフな精神をつくってきました。
ところが、今の学生たちは、『論語』どころか、本自体をあまり読みません。
携帯電話で友だちとメールをしている時間のほうが長いです。
仲間内との水平的なコミュニケーションが中心の生活。
このような現状を齋藤先生は、本を読んで未知の世界を知り、「なるほど、そうだったのか」「こういうことだったのか」と、深さや高さがある考え方を知るという垂直思考が抜け落ちてしまっている
と憂いています。
水平的な関係性だけで精神の軸が築けるかというと、それはかなり難しいことだからです。
この問題を解決するアイデアとして考えついたのが、名言を引用する形で先人の言葉や志を受け継ぎ、垂直思考の軸を組み込んでいくという方法です。
齋藤先生は、名言を引用するメリットは、「誰かに支えられている」「味方になってもらっている」という感覚を持てることだ
と述べています。
精神力というのは自分ひとりで作るものではありません。誰かの、あるいはある集団の精神を引き継いでいくものです。であれば、誰の精神を引き継いでいくのかを、名言の引用から考えてみる。自分の祖先の系譜をたどっても、多くの場合は普通の農民だったりするのでさして面白くありませんが、精神の系譜であれば、「日本人だけれども、ゲーテの直系だ!」という考え方もできるわけです。
私の場合なら、孔子、兼好法師、ゲーテ、ニーチェ、ドストエフスキー、福澤諭吉、宮沢賢治は、かなり重要な親族。母親とまでは言えませんが、清少納言は遠縁の叔母ぐらい。メルロ・ポンティも遠縁の一人といった感じでしょうか。坂本龍馬がいても、漫画『バガボンド』や『北斗の拳』の主人公たちが親族でもいい。一度、自分の精神の系譜を作ってみると、自分はこういう言葉を大切にしているんだということが、よくわかるはずです。
自分の精神の系譜に入る人が、二、三人できたら、その人物の本をじっくり読んでみる。そうすれば、その人物の考えが把握でき、引用しやすくなります。やがて、壁に当ったときや苦い経験をしたときなど、折に触れて心に溜めておいた名言がふっと口をついて出るようになる。そうすれば、しめたものなのです。『大人の精神力』 第三章 より 齋藤孝:著 KKベストセラーズ:刊
言葉には、その人の人格、人生観がそのまま表れます。
口から発する言葉によって、その人の人生が決まる。
そう言っても過言ではないほどの力を持っています。
歴史に名を残すような偉人や、それぞれの分野で実績を残して「一流」と呼ばれている人々。
その人たちの言葉には、計り知れないほどの大きな力が秘められています。
「名言」を心の支えや自分の進むべき人生の道標にする。
それは、しっかりしたブレない精神の軸を作る上で大きな効果があります。
調子のよさを引き出す習慣を持つ
習慣力というのは、一つのことを繰り返して定着させることで「ワザ化」し、一生使える「財産」にしてくれる力
のことです。
自分の技や財産を増やし、快適に生きていくための習慣をどれだけ持てるか。
それは、人生の後半戦を豊かにする鍵でもあります。
齋藤先生が自らも実践していて、周りにも勧めている習慣に、「喫茶店で勉強する習慣」があります。
以前は、喫茶店のように雑音があるところで仕事ができるのだろうかと思う人もいるかもしれませんが、いざやってみると、人目がある場所のほうが、だらけずに仕事ができる。しかも、喫茶店はBGMなども流れていてリラックスできますし、ある程度の時間的制約もあって集中できる。
仕事というのは取りかかるまでが大変なのです。自宅にいるとついついテレビを見てしまったり、気になる本に手を伸ばしてしまう。職場にいても、人に声を掛けられたり電話に出たりしているとなかなか一つのことに集中できません。そこで今は、15~30分時間が空けば喫茶店を活用しています。
(中略)
スポーツ選手は、集中して調子がいい状態を、「ゾーンに入った」と表現することがあります。周囲の雑音が気にならなくなり、時間がゆっくり感じられ、意識が覚醒していて、心は静かに落ち着いているような状態のときです。最高のゾーンの感覚を味わうところまでいかなくても、調子がいい状態を引き出す習慣を持っていると、仕事の効率が上がりますし、時間を有意義に使うことができます。『大人の精神力』 第六章 より 齋藤孝:著 KKベストセラーズ:刊
あえて人目のある場所で仕事をすることによって、より集中して作業することができる。
齋藤先生の説は、なるほど、的を射ています。
気を散らすような余計なものがないことも、仕事をする環境に向いています。
「ゆる神」的な日本の神力こそ、バランスがいい
日本人が精神的に弱いのは、たしかな宗教を持っていないからだ、と言われることがあります。
日本では、古代から太陽を天照大神(あまてらすおおみかみ)とし、山にも川にも木にも神が宿ると考えて、畏敬の念を持って自然を崇めてきました。
「畏敬」とは「かしこまって尊敬する」という意味です。
日本の神というのは、「かしこまって穢れを清める、身を清める」こととセットになっています。
もともと八百万の神の国である日本は、神の締めつけが「ゆるい」です。
齋藤先生は、この「ゆる神」的な神力が、日本人のしなやかで強い精神を育むと指摘します。
神というのは、古来から人間の心の弱さを保護する装置として機能してきたわけです。神がいるから心が安定して自立できるとも言えるし、一方では、神に服従して自由を失ってしまうこともある。一つの神を信じ切ってしまうと対立を寛容さで溶かしていくことができなくなり、紛争の火種となることもある。
そんな中で日本は、八百万の神を受け入れてこだわらない。神社でもお寺でも、ご来光にも手を合わせて、教会に行っても手を合わせてすべてを否定しない。争わない。神の圧力がゆるい、「ゆる神」的な神力は、合理主義的な考えとも共存でき、日本人が幸福に暮らしていくには、マインドコントロールされてしまわないちょうどいい神的バランスだと思います。
「日本人世界最弱説」を立てた私としては、日本人は弱いからこそ、絶対的な神を作らず、八百万の神を味方にしてきたのだと思っています。この、しなやかな日本の神力をひと言で言うと、「お陰さま」ということになるわけです。伊勢神宮にも「お蔭参り」というのがあります。江戸時代にお金を積み立てて集団でお参りに行くのがブームになったことが始まりで、当時は、信心の旅ということで、旅の途中で施しをしてくれる人もいました。
こうして旅をできるのも「お陰さま」。しかし江戸時代の人たちは、伊勢神宮に祀られている天照大神のおかげとは限定していません。それは先祖のおかげかもしれないし、周囲にいる人のおかげ、途中で助けてくれる人のおかげということで、誰とは限定しない。自然にも、人にも感謝し、「お陰さまで今日まで生きられます」と助け合っていくのが、古来からの日本人の道徳心でもあるわけです。『大人の精神力』 第十章 より 齋藤孝:著 KKベストセラーズ:刊
最近は、「お陰さま」という意識も、「清め」という考え方も遠くなっています。
しかし、齋藤先生は、このような日本の神の在り方を知って積極的に日常生活に取り入れてみると、もっと神力がいかせるのでないか
と述べています。
「お陰さま」
何をするにも、身近な人や物に感謝する気持ちを忘れないようにしたいですね。
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齋藤先生は、不安な時代であるからこそ、地に足をつけ、失敗しながらでも経験を積むことで、精神力が養われていくのだ
とおっしゃっています。
「経験は、精神の最大の栄養」
これは、本書の中の齋藤先生の言葉です。
心に響く名言ですね。
「温故知新」
故(ふる)きを尋ねて新しきを知る。
謙虚な姿勢で先人たちに学び、人類の積み重ねてきた歴史の叡智を自分の力とする。
何事にも動じないしなやかで強い、「大人の精神力」を身につけたいですね。
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