本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『サーチ・インサイド・ユアセルフ』(チャディー・メン・タン)

 お薦めの本の紹介です。
 チャディー・メン・タンさんの『サーチ・インサイド・ユアセルフ――仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法』です。

 チャディー・メン・タン(Chade-Meng Tan)さんは、元グーグルのフェロー、自己開発責任者です。
「陽気な善人」という独自の肩書で、同社の人材育成に大きな貢献を果たされました。

サーチ・インサイド・ユアセルフ

 グーグルで、エンジニアとして大きな成功を収めたメンさん。
 そのメンさんが、マインドフルネスに基づき、いわゆる「EQ(情動的知能)」のカリキュラムを開発しました。
 その名が、「サーチ・インサイド・ユアセルフ(己の内を探れ)」、略して、「SIY」です。

 私のようなエンジニアにSIYのような講座を教えさせるのには思いがけない利点があることがわかった。第一に、私はとても疑い深くて、科学的な頭をもっているので、何であろうと、確固たる科学的基盤のないものを教えたりしたら面目丸つぶれだ。だから、SIYは科学にしっかり基づいている。第二に、グーグルの古参のエンジニアとして長いキャリアをもっているから、日々の仕事で製品を生み出したり、チームを管理したり、上司に昇給を求めたりと、さまざまなことをするにあたってEQを応用する確かな実践経験を積んでいる。したがって、SIYはストレステストに合格し、日常生活にいつでも応用可能だった。第三に、私はエンジニアリング向けの頭をもっているおかげで、瞑想の伝統的な言語で書かれた教えを、私のように極端なまでに実際的な人間でも処理できる言葉に翻訳できた。たとえば、伝統的な瞑想家なら「情動のより深い自覚」と言うところを、私は「情動のプロセスを高い解像度で知覚すること」と言い、情動が湧き起こってくる瞬間と消えていく瞬間にその情動を知覚する能力と、情動が続いているあいだに起こるその情動の微妙な変化のいっさいを知覚する能力というふうに、さらに説明を加えた。
 だからSIYは、科学に基盤を置き、とても実践的で、私でも理解できる言葉で表されているという素晴らしい特徴をもっているのだ。エンジニアリングの学位がきっと何かのためになるとは思っていたが、こうしてりっぱに役立ったわけだ。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 イントロダクション より チャディー・メン・タン:著 柴田裕之:訳 英治出版:刊

 エンジニアならではの科学的な調査に裏付けされた、新しいマインドフルネスの切り口。
 それが、「SIY」のカリキュラムです。

 本書は、SIYに基づき、創造性や生産性や幸せを高めるノウハウを具体的にまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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幸せのお膳立てをする能力

 マインドフルネスは、EQを飛躍的に向上させます。
 この分野の草分け的存在である、ダニエル・ゴールマンは、EQを以下の五つの領域に分類しています。

  1. 自己認識――自分の内面の状態、好み、資質、直感を知ること
  2. 自己統制――自分の内面の状態、衝動、資質、管理すること
  3. モチベーション(動機づけ)――目標達成をもたらしたり助けたりする情動的な傾向
  4. 共感――他人の気持ち、欲求、関心を認識すること
  5. 社会的技能――他人から望ましい反応を引き出すのに熟達していること

 EQを向上させることにより、発揮できる技能は、大きく次の三つです。

  • 優れた職務遂行能力
  • 抜群のリーダーシップ
  • 幸せのお膳立てをする能力

 メンさんは、その中の、「幸せのお膳立てをする能力」について、以下のように説明しています。

 おそらくこれが一番重要なのだろうが、EQは、私たちが自分自身の持続可能な幸せのお膳立てをするのを助ける技能をもたらしてくれる。マチウ・リカールは、幸せとは「ずば抜けて健全な心から湧き起こる、好調の極みにあるという深い感覚・・・・・ただの気持ちの良い感覚やはかない情動、あるいは気分ではなく、最適の存在状態」と定義している。そして、その最適の存在状態は「心が機能するかを鋭敏に理解することで到達する深遠な情動バランス」だという。
 マチウの経験では、幸せはトレーニングで身につけることのできる技能だ。そのトレーニングは心や情動、現象の経験に対する深い洞察で始まり、それがその後、私たちの内面の健やかさを深い水準で最大化する練習を促進し、最終的には、持続可能な幸せと思いやりを生み出す。
 私自身の経験もマチウのものに似ている。若いころの私は、当然とても不幸せだった。何も良いことが起こらないと、基本設定によって不幸せになった。ところが、今はまったく逆だ。何も悪いことが起こらないと、基本設定によって幸せでいられる。あまりにも自然に陽気でいられるので、「陽気な善人」というのがグーグルでの仕事の肩書の一部になった。誰もが、愉快な経験の強烈な幸福感や、不愉快な経験の痛みが薄れたあとに戻り着く、幸せの設定値というものをもっている。私たちの多くは、この設定値は固定されていると思い込んでいるが、私の個人的な経験からも、また、マチウをはじめとする大勢の人の経験からも、意識的なトレーニングによって変えられることがわかる。
 幸い、EQを養うのに役立つ技能は、健やかさの深い感覚に貢献する内面の要因を識別して育むのにも役立つ。EQを鍛えてくれるのと同じものが、私たち自身の幸せのお膳立てをするを助けてくれる。したがって、幸せはEQを養うのに伴う、避けようのない副作用なのかもしれない。回復力、楽観、優しさなど、副作用はほかにもある(かかりつけの医師に電話して、幸せになっても大丈夫かどうか確かめたほうがいいかもしれない)。
 じつを言うと、EQがもたらしてくれる三つの良いことのうち、これにこそ私は一番関心がある(シーッ! あなたひとりと、残る100万人の読者の胸の内に収めておいてほしいのだが、優れた職務遂行能力と抜群のリーダーシップという最初のふたつは、役には立つし、本物だし、科学的な証拠の裏づけもあるが、私はそれをおもに、上層部の承認を得るために使っている)。私がほんとうに関心があるのは、同僚の幸せだ。だからEQに私は胸を躍らせている。EQは、仕事で素晴らしい成功を収めるお膳立てをするだけではない。すべての人の個人的な幸せを実現するためのお膳立てにもなる。そして、私は幸せが大好きだ。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 1章 より チャディー・メン・タン:著 柴田裕之:訳 英治出版:刊

「幸せ」が嫌いな人は、いないでしょう。
 EQの能力の高い人は、自分自身を幸せな状態にすることに長けているだけでありません。
 他人の幸せを、自分の幸せに感じることができる、高い共感性を持ち合わせています。

 EQを鍛えることは、すなわち、幸せを感じる能力を高めること。
 幸せになるためのカギは、自分の心の中にあります。
 まさに、「サーチ・インサイド・ユアセルフ(己の中を探れ)」ですね。

マインドフルネス瞑想のプロセス

 メンさんは、瞑想は、いわば心の運動だと述べています。
 筋肉は、ウェイトトレーニングでダンベルの重さに抵抗して収縮させるたびに、少しずつ強くなります。
 心も同様に、呼吸から注意がそれ、それを戻すたびに、注意の「筋肉」が少し強くなります。

 マインドフルネス瞑想のプロセスは、下図に示したとおり、とても単純です。

マインドフルネス瞑想のプロセスモデル 2章 P71
図.マインドフルネス瞑想のプロセスモデル
(『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 2章 より抜粋)

 このプロセスは意図から始まる。まず、意図(マインドフルネスの状態でいたいと望む理由)を生み出す。たとえば、ストレスを減らすことでもいいし、自分の健やかさを増すことでもいい。あなたは楽しみと実利のためにEQを養いたいのかもしれない。あるいは、世界平和か何かのお膳立てをしたいと願っているだけかもしれない。
 じつは、ほんとうに面倒だったり、時間がなかったり、その両方だったりするなら、これでもう瞑想は終わったと言ってしまってもかまわない。良い意図を生み出すという行為自体が、瞑想の一形態なのだ。意図を生み出すたびに、あなたは心の習慣をそっと形作ったり強化したりしている。同じ意図を何度も生み出せば、いずれそれが習慣化し、さまざまな状況で心の中に湧き起こり、あなたの行動を導いてくれるようになる。たとえば、自分の健やかさを気づかう意図を一日に何度も生み出せば、しばらくすると、どんな状況にあっても、あるいは、どんな決定を下すときにも、健やかさを増すような行動や決定に向かって(無意識のうちにかもしれないが)すべてを偏らせるようになるだろう。そしてそのせいで、あなたの健やかさが現に増す。
 あなたの意図が他人の健やかさに向かっているときには、その傾向がさらに強まる。その意図をたっぷり生み出すだけで、ほかに何もしなくても、(やはりときには無意識のうちに)他人に対して自分が少しずつ優しく親切になっているのに、あなたはきづくかもしれない。ほどなく、多くの人があなたに好感を抱き、あなたと一緒にいたがるようになるのに、あなたにはさっぱり理由がわからないこともあるだろう。私のルックスの良さに惹かれているのだろうなどと思うだけかもしれない。
 意図を生み出したら、今度は呼吸をたどる。呼吸のプロセスにそっと注意を向けるだけでいい。それだけだ。
 このプロセスの古典的なたとえは、町の入り口に立って出入りする人を見張っている門番だ。門番は何をするわけでもなく、出入りする人にただ目を光らせている。これと同じように、心のことを、息の出入りに目を光らせている門番と考えればいい。強そうに感じたければ、丈夫な棍棒(こんぼう)を手にしているふりをしてもかまわない。私の友人でSIYの講師仲間のイヴォンヌ・ギンズバーグのもっときれいなたとえを使うと、このプロセスは、花びらにとまった蝶の体が、そよ風で上下しているところ、ということになる。あなたの注意が蝶で、花びらが息にあたる。
 この時点で、注意が増してくる。気がつくと、心が穏やかで集中した状態になっている。フローの状態に入り、ただひたすら呼吸とひとつになってさえいるかもしれない。練習を積むと、この状態は長く続くが、たいていの人は数秒だけだ。そして、気が散った状態に陥る。
 その状態で、私たちはあれこれ思いを巡らせたり、心配したり、空想に耽ったりする。私は心配していないところを空想することさえある。しばらくすると、注意がそれたことに気づく。そのとき、たいていの人が見せる、基本設定された反応は、自己批判だ。私は瞑想するのがとても下手だ、だから、とくに良い人間でもないという話を自分に語り始める。幸い、これにはうまい対策がある。
 第一にやるべきなのは、呼吸のプロセスに注意を戻し、たんに注意の集中を回復することだ。第二に、この章ですでに述べた重要な洞察を思い出す。さまよう注意をもとに戻すこのプロセスは、筋力トレーニングで筋肉をぎゅっと収縮させるのに等しい。これはけっして失敗ではなく、成長のプロセスであり、強力な心の「筋肉」を発達させているのだ。
 第三に、自分自身に対する態度を自覚することだ。自分をどう扱っているか、自分についてどれほど頻繁にひどい陰口をつぶやいているか、考えてみる。できれば、その態度を、自分に向けた優しさと好奇心に替えてほしい。この変化自体も瞑想だ。そして、これまた心の習慣を形作ることにほかならない。自分に対する優しい態度を生み出すたびに、その習慣が少しずつ深まり、それを繰り返せば、自己嫌悪の多くを克服できるし、自分の親友になることさえできる(映画『スペースボール』のとてもおかしい台詞(せりふ)が頭に浮かんでくる。「犬は人間にとって最良の友と言うが、私は半分人間で半分犬だから、自分自身の最良の友というわけだ」)。
 これにはいろいろやり方があるが、美しい方法として、禅の人たちが「老婆心」と呼ぶものを生み出すという手が挙げられる。愛情に満ちた祖母の心を取り入れるのだ。愛情に満ちた祖母にとって、あなたはあらゆる意味で美しく、申し分ない。どれだけ悪さをしても、あなたは非の打ち所がなく、祖母はあるがままのあなたを愛してくれる。あなたの欠点が目に入らないわけではないし、あなたが自分を傷つけるのを黙認するわけでもない。ときには断固として口を出し、あなたが大きな面倒を起こすのを防ぐことさえある。とはいえ、何があろうと、祖母にとってあなたは申し分がなく、祖母はあなたのことを愛してくれる。そんな愛情に満ちた祖母の目で自分を眺めるというのが、この練習だ。
 そして最後に、自分の呼吸をたどるところに戻り、役立ちそうなときにはいつも、自分の意図を思い起こす。お帰りなさい。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 2章 より チャディー・メン・タン:著 柴田裕之:訳 英治出版:刊

 瞑想をしているとき、気が散るのは当たり前です。
 意識が呼吸から離れたことに気づいたら、すぐにまた呼吸に意識を戻す。
 その作業が、「心の筋肉」を鍛えます。

 最初から完ぺきにできる人はいません。
 毎日繰り返して、少しずつ上達していきたいですね。

「集中した注意」と「開放的な注意」の両方をマスターする

「注意」には、互いに補うふたつの種類があります。
「集中した注意」「開放的な注意」です。

 メンさんは、瞑想の達人になるには、その両方が優れているのが望ましいと述べています。

 集中した注意というのは、特定の対象に対する強烈な集中を意味する。それは、安定していて、強く、揺らぐことがない。レンズを通して一点に集中し、強烈に輝いている太陽の光のようであり、風を受けてもびくともしない、どっしりした岩のようだ。それは、賓客しか入ることを許されず、ほかの人はすべて丁重に、しかしきっぱりと退けられる、守りの堅い王宮のような心だ。
 開放的な注意というのは、心や五感を訪れるものなら何にでも喜んで応じる注意を意味する。開放的で、柔軟で、あらゆるものを惹きつける。万物に降り注ぐ日差しや、たえず風にそっと揺れている草、どんなときにも喜んでどんな形もとる水のようだ。それは、訪れる人が誰でも大切なお客として親切な主人に歓迎される、開放的な家のような心だ。
 幸い、マインドフルネスの瞑想をやっていると、集中した注意と開放的な注意の両方を同時に鍛えることができる(まさに一挙両得!)マインドフルネスの瞑想には両方の要素が含まれているからだ。そこには、一瞬一瞬の注意をたえずもとに戻すという要素があり、それが集中した注意を鍛える。評価や判断とは無縁で、執着を捨てる要素もあり、それが開放的な注意を鍛える。というわけで、マインドフルネスの瞑想をするだけで大丈夫なのだ。
 ただし、そうは言ってもSIYの参加者には、両者の違いを経験して、やりたければどちらか一方を鍛えることに重点を置いた手立てに親しんでもらうと、とても効果的であるのがわかっている。私たちが考え出したエクササイズは、一部の運動選手がやるサーキットトレーニングに似ている。サーキットトレーニングは、同じセッションの中に、循環機能を高める激しいカーディオ・トレーニングと筋肉に負荷をかける激しいレジスタンス・トレーニングを両方組み込んだものだ。ありふれた方法には、次のようなものがある。トラックを一周し(カーディオ)、次に腕立て伏せをし(レジスタンス)、またトラックを走り(カーディオ)、今度は腹筋運動をし(レジスタンス)・・・・・という具合だ。こうして、カーディオ・トレーニングとレジスタンス・トレーニングを交互に繰り返し、強さとスタミナの両方を同時に伸ばす。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 3章 より チャディー・メン・タン:著 柴田裕之:訳 英治出版:刊

 マインドフルネス瞑想は、この2つの注意のどちらも鍛えることができるのですね。

 注意力を高める「サーキットトレーニング」の具体的なやり方は、以下のとおりです。

 まず、楽にして座り、(それが何を意味するかは人それぞれでしょうが)リラックスできてしかも隙のない状態になれる姿勢をとります。
 さあ、心を落ち着かせましょう。お望みなら、呼吸を休息の場所かクッション、あるいはマットレスと見なし、その上で心を休ませます。
(ここで少し間を置く)

 次に、集中した注意に移ります。注意を呼吸に、あるいは何であれ自分が瞑想の対象に選んだものに向けてください。その注意を岩のように安定させ、何物にも気を散らさせてはいけません。もし気が散ったら、優しく、それでいてきっぱりと、心をもとに戻します。このエクササイズを三分間続けましょう。
(ここで長い間を置く)

 今度は開放的な注意に移ります。何であれ、自分が経験しているものや心に浮かぶものに注意を向けてください。その注意は、風にそよぐ草のように柔軟にしましょう。この心の中には、気を散らすものなどありません。あなたが経験する対象はどれも瞑想の対象です。どんなものも格好の対象です。このエクササイズを三分間続けましょう。
(ここでも長い間を置く)

(そのあと三分間、集中した注意に移り、それから三分間、開放的な注意に移る)
 心を落ち着けることでこの練習をおしまいにします。お望みならまた、呼吸を休息の場所かクッション、あるいはマットレスと見なし、その上で心を休ませます。
(ここで長い間を置く)

 おつかれさまでした。

 『サーチ・インサイド・ユアセルフ』 3章 より チャディー・メン・タン:著 柴田裕之:訳 英治出版:刊

 このエクササイズをする際のポイントは、「努力とリラクゼーションのバランスをとること」です。

 頑張りすぎてもだめ、力を抜き過ぎてもだめ。
 ちょうどいい心の張り具合で、ゲームのように楽しみながらやるのがコツです。

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 メンさんは、瞑想を多くの人にやってもらえるようにするには、科学の一分野にする必要があるとおっしゃっています。
 今日、毎日の適度な運動は、健康にとって有益であることは、多くの研究で明らかになっています。
 科学的根拠が、多くの人を運動へと向かわせる原動力のひとつであることは、間違いありません。

 瞑想についても、同様のことがいえます。
 毎日の瞑想の習慣が、EQの向上やメンタルヘルスの改善に役立つ。
 そんな科学的根拠が多く見いだされれば、より多くの人が習慣にすることになるでしょう。

 本書には、“心の運動”ともいえる瞑想が、科学的に、しかもより具体的に、わかりやすくまとめられています。
 瞑想の素晴らしさを知るための入門書として、最適な一冊といえます。

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