【書評】『運を超えた本当の強さ』(桜井章一)
お薦めの本の紹介です。
桜井章一さんの『運を超えた本当の強さ』です。
桜井章一(さくらい・しょういち)さんは、かつて有名な雀士として名を馳せた方です。
20年以上に渡って一度も負けたことがないという無敗伝説を作るなど数々の伝説を作り、「雀鬼」の異名を持ちます。
「運を超えた本当の強さ」はどこから来る?
実力だけではなく、「時の運」が大きく左右する、勝負の世界。
本書は、そのなかで、長期間に渡って勝ちつづけた桜井さんの「強さ」の秘訣をインタビューを通じて解き明かした一冊です。
インタビュワーは、こちらも超一流の勝負師である将棋の羽生善治さんです。
それぞれの分野で頂点を究めた、“超一流の勝負師”の対談らしく、見所が多く中身の濃い内容となっています。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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偶然とは、自然の微妙な動きが重なり合った「必然」
麻雀は、4人で卓を囲んで一人ずつ順番に牌を引いて場に捨てていくゲームです。
偶然の要素が多くを占めるゲームといえるでしょう。
ところが、桜井さんは、「偶然」という現象が起こる前には、よく見ていくとその前にそこへ至る微妙な流れがあり、「本当の意味での偶然は起きていない」
と考えています。
——運を予想するのは天気を予想するようなものなのでしょうか? そうです。天気は運について教えてくれます。海に行って浜辺で寝ころがりながら空を見上げていると雲が動いているのが見えますよね。風があれば雲はじっと止まっていません。時おり、流れる雲に太陽が隠れて暗くなることもあります。 そのとき、日の当たる場所にいたいと思って、雲と一緒に移動することは不可能です。しかし、少し待てば雲がまた動いて日がさしてくることが分かります。もちろん待っても駄目で、自分から遠くへ移動しないと太陽を拝めないことだってある。 このように、自然が教えてくれることはたくさんあります。動いても駄目なとき、待たなければいけないとき、自分で動いていくしかないとき、ひとつの構えだけでは駄目だということを教えてくれます。 自分で動くのは、変化がないときです。麻雀であれば、どの方向に自分が座るかで場の調整をしたりします。一局前に恵まれた場に、弱った人を座らせたりすることもします。あるいは自分がちょっとした動きを入れる牌を切る。字牌とか、この人に必要だなという牌をわざと切る。そんなことをしていると動きが出てきます。
『運を超えた本当の強さ』 第1章 より 桜井章一:著 日本実業出版社:刊
「因果の法則」
つまり、世の中で起こった「結果」には必ず「原因」があるということに通じます。
天気は、変わりやすく、思い通りにならないようにみえます。
しかし、雲の動きや風の向きなど天気を決定する要素は、全て自然の法則に完全に従っていて、すべて理に適ったものです。
私たちが天気を「気紛れ」と思うのは、ただ単にそれらを全体的に把握し切れず、変化に気づく鋭敏な感覚を持ち合わせていないだけです。
微細な変化に気づく鋭敏な感覚。
それを持ち合わせているほど、場に漂う偶然を掴み取ることができます。
倒そうとせず、意識を消して相手の変化に合わせる
どんな分野でも、仕草と姿勢だけで素人とプロの違いは、一見しただけでわかってしまうもの。
麻雀の世界でもそれは同じです。
桜井さんも牌の持ち方ひとつで相手の力量が分かってしまう
と述べています。
桜井さんが大事にしているのは、余計な力が入らずに自然体であること。
体と意識の関係についても、日常生活ではつい力に頼ってしまいますし、意識の力もあります。実はそれらがないほうが、スムーズに動けるのです。意識をいかに手放すか
だと述べています。
どこかに意識があると、必ず身体のどこかにそれが出ます。たとえば相手の身体を触ると、「意識が入っているな」「まだ力が入っているな」と分かります。意識が消え、力がフッと抜けたときにやると、いろいろなことが難なくできるのです。 現在のスポーツは力づくだったり、筋肉トレーニングを主流としてやっていますが、そういうのはいりません。逆に、「力が入ったら、偽者だ」くらいの感覚でいいと思います。 我々も身体を動かしていて、ちょっとでも力が入っていたら偽者だと思っています。麻雀もそうだし、人と触れ合うのもそう。
『運を超えた本当の強さ』 第2章 より 桜井章一:著 日本実業出版社:刊
どの分野においても、「一流」といわれる人は一見、無防備にみえるほど力が抜けています。
構えに余分な力がまったく入っていません。
無用な力を抜くためには、「勝ちたい」とか「上手くやりたい」という気持ちだけでなく、意識すら邪魔になります。
頭のなかの雑音を消して、相手を含めたその場を感じることだけに集中する。
それが相手の出方に、どのようにでも対応するための極意です。
感覚とは、起きたことに対する触れ方
桜井さんは、人並みはずれた鋭敏な感覚の持ち主です。
感覚が研ぎ澄まされていると、対局中に、ふすまの向こうの部屋での、人の出入りや誰が今座ったかが、映像のごとく分かった
そうですから、驚異的ですね。
——感覚的なものがゼロなのと、一でも二でもあるのとでは、ものすごく違う気がします。技術が100で感覚がゼロなのと、技術や知識が99で感覚が1か2でも持っているのとでは、全然違うのではないでしょうか? そうかもしれませんが、感覚はみな自分の中にもともと持っているものです。感覚には、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚という五感もありますし、五感ではないものもあります。後者は、触ったものに対して感じるもの、起きたことに対する触れ方といったシンプルなもの。たとえば、「今、けっこう強い風が吹いているな」というような微妙なものです。 そうしたことを感じられるかどうかですよ。現代人はこうした感覚がやはり弱くなっています。どこかに置いてきてしまったのかもしれませんね。 ——感覚は自分のものではないのでしょうか。自分のものとしてはっきり自覚できるものではないということでしょうか? そうかもしれませんね。もしかしたら我々だって、そんなには感覚がなくて、ここにおきたことに触れる感覚を、多少持ち合わせているくらいのものなのかもしれない。 自然、そして生を持っているものはすべて動いています。動かないものもありますが、生命を持っている以上、動いている。少なくとも一部には、必ず変化が起きている。ちょっとでも動いたということは、変化したということです。 感覚によって、その変化をとらえる。あるいは組み立てる。いろいろあると思います。
『運を超えた本当の強さ』 第3章 より 桜井章一:著 日本実業出版社:刊
現代人は自然と触れ合う機会が少なくなった、といわれます。
失ってしまった感覚を取り戻すために、自然にできるだけ触れるように心掛ける。
普段の生活から日常のちょっとした「違い」に気付こうとする。
そんな意識を持つことが大切です。
勝負に臨む一番いい状態は、場に溶け込んでいるとき
桜井さんは、一番いい状態で勝負に臨めているときは、自分自身がその場に溶け込んでしまっているとき
だといいます。
そのような状態のときは、勝負するタイミングが自然と「つかめる」のだそうです。
——勝負する際にタイミングを合わせる、つかむとはどういうことでしょうか?タイミングを分かっていなくて、たまたまつかんでいる人もいると思います。また、野球のバッターのように、ここでバットを振ると当たる、と分かってバットを振っている人もいます。 バランスや軸があって初めて、タイミングが合うのだと思います。軸がない人には、タイミングすら分からないかもしれません。タイミングは見えないものですから、肌で実感できる人と、素通りしている人がいる。ほとんどの人はタイミングがきているかどうかが分からないでしょう。 これは普段から勝負をしていないと、分からない感覚だと思います。もっとも「人生は勝負だ」という言葉はあっても、本当の勝負をしている人はほとんどいません。野球だって、あれは試合であって、勝負ではありませんから。
『運を超えた本当の強さ』 第4章 より 桜井章一:著 日本実業出版社:刊
相手に勝とう。
いい格好しよう。
そんな余計なことを考えているうちは、まだまだです。
一流の演奏者は、よく「楽器と一体となる」といいます。
「楽器を弾く」という意識すらない。
自らが楽器になったかのような感覚で音を鳴らしている。
そんな瞬間が、最高に集中したベストな状態なのでしょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
本書を読むと、桜井さんは「感覚」をとても大事にされている方だということがよくわかります。
麻雀は、頭を使うゲームです。
しかし、桜井さんの場合は、「考えること」よりも「感じること」に全精力を傾けて勝負に臨むという印象です。
人間が本来持っている「感覚」を取り戻すことに全てを注ぐ。
そして、その感覚を武器に、勝負の世界を生き抜いてきた桜井さん。
「感覚」を取り戻すために、生きるか死ぬかの厳しい世界に、敢えて飛び込んだという方が適切かもしれません。
考えることに追われながら暮らす、私たちが忘れている「感覚」。
本書は、それを呼び覚まさせる刺激を与えてくれる一冊です。
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