【書評】『そなえ』(野村克也)
お薦めの本の紹介です。
野村克也さんの『そなえ ~35歳までに学んでおくべきこと~』です。
野村克也(のむら・かつや)さんは、元プロ野球の選手・監督です。
現役時代はキャッチャーとして、戦後初の三冠王に輝くなど数々の実績を残されています。 現役引退後、解説者としてもご活躍され、1990年にヤクルトスワローズ監督に就任し、「データ重視の考える野球」をスローガンにリーグ優勝4回(日本一3回)へと導き、常勝軍団を作り上げられました。
「そなえる」ことの大切さ
現役時代はパッとした実績を残さなくても、監督やコーチ、解説者として引く手あまた。
そういう人がいる一方で、選手としては超一流であっても、指導者や解説・評論家としてはお呼びがかからない人間もいます。
野村さんは、その差は、それまでの毎日の過ごし方、つまり「人が自分を見ている」という意識があるかどうか
だと述べています。
何事でも、スキルを身につけるには、「基礎」「基本」「応用」というステップを順に踏んでいくことが重要です。
基礎作り・基本作りの20代なら、たとえ大きなミスをしても「若さ」を理由に許されます。
しかし、「応用」となる本当の仕事をしなければならない30歳を過ぎると、ミスが許されないケースが次第に増えていきます。
「誰かが必ず自分を見ている」
そんな意識を持つことが非常に大事になってきます。
言葉を換えればそれは、「いかにそなえるか」ということです。
野村さんにとって、「そなえ」とは、「確率の高いものを選択する」ことです。
本書は、野村さんが自らの野球人生で実践して会得した貴重な経験から、実り多い後半生を送るためのヒントがつまった一冊です。
その中からいくつかご紹介します。
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ほめられているうちは半人前と自覚せよ
近年は、「ほめて育てる」のが、人材育成の主流になっています。
最近の若い人は、叱られることに慣れていません。
そのため、ちょっとでも叱られると、意気消沈する傾向があります。
しかし、野村さんはあえて、「叱って育てる」を指導の基本方針
にしています。
野村さんにとって、「叱る」は「ほめる」と同義語。
どちらも「愛情」が源泉となっているからです。
野村さんは、ほめられているあいだは半人前もしくは二流である
と述べています。
そして、「人間は、無視・賞賛・非難の順で試される」と指摘します。
一人前になれば、周囲からの要求は当然高くなる。それまでと同じことをしていては、周囲は満足してくれない。いきおい、周囲は厳しく接するようになる。期待に応えられない場合は、激しく叱責されることもあるだろう。30代というのは、人生のなかで、ちょうどそうした時期に当たるのではないか。 その人間が、さらに成長できるか、そこで終わるかを分けるのは、批判されたときにどう思うかだ。「こんちくしょう」という気持ちをどこにぶつけるか、だ。「もうダメだ」と気落ちしたり、「悪いのはおれじゃない」と不平を口にしたりするなら、それまでだ。 そうではなく、「いまに見ていろよ」「絶対に見返してやる!」と強く思い、「どうして叱られたのだろう」「何がいけなかったのだろう。何が足りなかったのだろう」と自問自答できる人間は、絶対に伸びる。 繰り返すが、ほめられて喜んでいるうちは半人前。非難されてはじめて一人前と認められるのであり、その非難をどのようにとらえるかで、その人間の真価は決まるのである。
『そなえ』 Chapter-1 より 野村克也:著 大和書房:刊
「ほめられた」ということは、ようやく周りの関心を引くことができたという程度のこと。
周りから叩かれたり、バッシングを受けるようになって、ようやく一人前です。
本当の試練は、周りから一斉に批判されるようになったときから始まります。
それを肥やしに、さらに成長できるかが勝負です。
いろいろな意味で、勘違いはしないようにしないといけません。
「失敗」と書いて「せいちょう(成長)」と読む
野村さんは、結果よりプロセスを重視するため、「結果論」で選手を叱ることを強く戒めていました。
同じ三振という結果でも、どういうプロセスをたどって三振に至ったのかを、しっかり見た上で評価することを徹底していました。
人間とは、失敗してはじめて自分の間違いに気づくものだ。逆に言えば、失敗しなければなかなか反省しようとはしない。失敗を経験することで、どうしてうまくいかなかったのか、何が悪かったのか、真剣に考える。 成功したときは、どうしてうまくいったのか、何がよかったのか、振り返ることはあまりないはずだ。スランプのときなどに、調子のいいときのビデオを見たりすることでよいイメージを取り戻そうとすることはあるし、私自身、勝ったときに勝因は何だったのかと考えることがなかったわけではないが、そんなに深くは突き詰めなかった。負けたときに較べれば、原因解明に対する真剣味がまったく違った。 やはり成功から学ぶことより、失敗から学ぶことのほうがはるかに多いのだ。(中略) 「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし」 私はよく言うが、勝利にはラッキーで勝利を疲労ものがあるけれど、敗北には必ず原因がある。だから、勝ったときは謙虚な気持ちを忘れず、負けたときには「なぜ?」と敗因を突き詰め、分析し、対策を講じることで、勝ちにつなげることが大切なのである。
『そなえ』 Chapter-2 より 野村克也:著 大和書房:刊
野村さんは、「“失敗”と書いて“せいちょう(成長)”と読む」とも述べています。
人間、失敗することは、避けられないことです。
大事なのは、失敗を避けようとすることではありません。
失敗したときに、なぜその失敗をしたのかを、とことん追求する。
そして、二度と同じ失敗をしないよう心がけることです。
「失敗」それ自体は、悪いことではありません。
何事も恐れずにチャレンジしていきたいですね。
「満足」は最大の敵
伸び悩んでいる選手には、共通点があります。
「自己限定」がそのひとつです。
「自分の力はこの程度だ」
「これで精一杯だ。これ以上は無理だ」
「これくらいやれれば十分だ」
伸び悩んでいる選手は、ほぼ例外なくそう思い込んでいます。
現状に満足してしまうと、「この程度でいい」という低いレベルで「妥協」するようになります。
その妥協が、「これ以上は無理だ」という「自己限定」につながっていきます。
満足は、成長への最大の足かせになります。
そもそも、「これ以上は無理です」「自分の力はこの程度です」などと軽々しく口にするなと言いたい。「限界」というものは、それこそ血を吐くような努力をしてはじめて突き当たるものである。ところが、たいがいの人間は「正しい限界」を知る前に努力するのをやめてしまう。そしてうまくいかなかった理由を才能に求め、あきらめてしまう。「自分にはもうこれ以上は無理だ」と・・・・ しかし、私に言わせれば、それはたんに「未熟」なだけなのだ。「限界」と「未熟」を混同してはいけない。「自分は理想に向かって、ほんとうに極限まで努力をしているのか?」 自分にいつもそう問いかければ、満足することなどありえない。 プロ野球選手になれた、希望する大学や会社に入れた、望む仕事に就けた、というのは、終着点ではない。スタート地点に立ったにすぎないのである。そこを勘違いしてしまうと、満足→妥協→自己限定という負のスパイラルに陥ってしまい、せっかくの持てる才能を存分に開花させることなく終わってしまう可能性があることを忘れてはいけない。「もうダメだ」ではなく「まだダメだ」——つねにそのように考えるべきなのだ。
『そなえ』 Chapter-3 より 野村克也:著 大和書房:刊
野球だけでなく、他の職業においても同じことが言えます。
どんな仕事でも、年数を重ねていくと、ある程度「慣れ」でこなせるようになります。
そして、もうこの仕事は完璧だ、と満足してしまい、それ以上に学んでやろうという気持ちがなくなります。
学ぼうという意識がなくなると、成長できません。
「現状維持は下り坂」です。
肝に銘じたいですね。
不器用は器用に勝つ!
野村さんが「データ重視」の野球に目覚めたきっかけ。
それは、現役時代の若いときに「自分は不器用である」と悟ったことです。
バッティングでも、読みを外されたときに、とっさに反応できる器用さがありませんでした。
悩んだ末に、「だったら、読みの精度をあげればいいのだ」という答えにたどり着きました。
自分が器用であるという意識をもっているなら、それに徹すればいい。だが、そうでない人間が、下手に器用になろうとするのは禁物である。 器用で目先の利く人間は、何でもすばやくそれなりにこなすことができるので、周囲からは重宝され、評価もされるだろう。不器用な人間が、うらやましく感じたり、あこがれたりするのもわからないではない。 けれども、器用貧乏という言葉があるように、器用な人は往々にして「これだけは誰にも負けない」という武器を持てずに終わる。器用なら器用に徹すればいいのだが、なまじ最初から何でもできるだけに、もっと技術を高めようという努力を怠りがちだ。 対して、不器用な人間は何度も失敗を重ねるため、一定のレベルになるまでに時間がかかるが、そのぶん、必然的に努力しなければならないし、失敗のなかから学ぶことも多い。まさしく「ウサギとカメ」のたとえにあるように、長いスパンで見れば、不器用は器用に勝るのである。 不器用な選手や、それほど才能に恵まれていない選手は、器用な選手や才能に恵まれた選手と同じことをやっていては勝てない。同じフィールドで戦っても勝ち目はない。 けれど、自分の特性をしっかり認識し、自分を活かすポジションを見つけられれば、十二分に勝負できる。しかも、人より多く試行錯誤していくなかで、知識や理論、経験則といったものが蓄積されていき、大きな財産となる。最後は不器用が勝つのである。
『そなえ』 Chapter-4 より 野村克也:著 大和書房:刊
どの道でも、一流を究めた人は不器用な方が多いです。
不器用を自覚している人は、「自分にはこの道しかない」ことをわきまえています。
そのため、その道の修練にひたすら打ち込むことができます。
不器用を自覚し、ある一つの方向に脇目も振らずに突き進むこと。
それが成長するための一番の方法なのでしょう。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
天災と同じで、人生の転機はいつ、どんな形でやってくるのか誰にも分かりません。
そのときにパニックになって慌てふためくか、心静かに受け入れることができるか。
それは、「そなえ」が十分にできているかどうかにかかっています。
日頃から、自分のやりたいことや夢の実現に向けて知恵を絞ること。
徹底的に考え抜くこと。
「そなえ」は、そんな試行錯誤から身につくものなのでしょう。
「その時」がきてからでは遅いです。
今からもしっかりと準備をして、「そなえ」ていきたいですね。

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