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【書評】『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』(孫崎享)

 お薦めの本の紹介です。
 孫崎享さんの『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』です。

 孫崎享(まごさき・うける)さんは、元外交官で、評論家です。
 外務省にて、国際情報局長や駐イラン大使などをご経験されています。

「領土問題」は、なぜ、解決しないのか?

 領土問題は、単に「領土」の帰属という、司法的問題にとどまりません。
 二国間関係の大きなウェイトを占めていて、対応を一歩間違えば、戦争にまで発展するほどの重大事です。

 しかし、孫崎さんは、日本国民は自国の領土問題について多くの事実が知らされていないと危惧します。

 例えば、日本の領土問題における、米国の認識についてです。

 日本の安全保障の要となる「日米安全保障条約」
 そのなかで、「日本の管轄の下にある領域」に攻撃された時に米国は「自国の憲法上の規定に従って行動する」とあります。

 北方領土と竹島は、日本が管轄していない(実行支配していない)ので、安保条約の対象外となります。
 尖閣諸島に関しては、日中どちらの領土とも判断していないため、「中立」の立場を取っています。

 本書は日本の領土問題について、日本の立場や見解だけでなく、相手国の見解も紹介し、経緯や現状をまとめた一冊です。
 ここでは、尖閣諸島と竹島をめぐる領土問題の発端に焦点を当てて紹介します。

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「尖閣諸島」をめぐる日中のすれ違い

「尖閣諸島が台湾に属するか、沖縄に属するか」

 尖閣諸島(中国では「魚釣島」と呼びます)をめぐる領土問題は、その一点に集約されます。

 尖閣諸島は、人の住んでいない無人島です。
 国際法では、まだ誰にも所有されていないものに対しては、平等な権利をもちます。
 これらは、真に占有した者に属する「先占の原則」があります。

 尖閣諸島をめぐる問題では、どちらが先に「先占」したのかについて、意見の相違がみられます。

 日本は、「清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認した上で、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって、正式に日本の領土に編入しました。(中略)尖閣諸島には、1895年5月発効の下関条約第二条に基づき、日本が清国から割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれません」(外務省「尖閣諸島に関するQ&A」)としている。

 これに対して中国はどう見ているのか。同じく北京週報1996年No.34「魚釣島に対する中国の主権は弁駁を許さない」を見てみたい。
「古賀辰四郎が1884年に“発見した”として沖縄県に借用を申請した。しかし日本政府はすぐ日本の版図にいれると日本が中国を侵略する野望があると疑われることを憂慮した。甲午戦争(日清戦争、1894年ー1895年)が勃発した翌年(1895年)、清朝は敗戦した。日本は時機が来たと見て、まず勝手に魚釣群島を日本の“版図”に入れ、つづいて清朝に迫って不平等の“馬関条約(下関条約)”を締結させ“台湾全島とそれに付随する全ての島嶼”を割譲させた。侵略行為である。近代国際法によれば、侵略行為は合法的権利を生み出せない。第二次大戦後、日本は魚釣島を台湾、澎湖等と一緒に中国に返還しなければならなかったのである」

 『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』 第二章 より  孫崎享:著  筑摩書房:刊

 中国の文献上には、かなり以前から「魚釣島」の名前は見られます。

 孫崎さんも、19世紀末の尖閣諸島の沖縄編入が「“無主の土地”の“先占”に当たる」という日本の主張がどこまで説得力を持つかは疑問だと認めています。

「竹島」の歴史をめぐる日韓の隔たり

 日本と韓国の、竹島(韓国では「独島」と呼びます)をめぐる争いについてです。
 その発端は、太平洋戦争の日本の敗戦まで遡ります。

 1946年1月29日連合軍最高司令部訓令で、竹島が「日本の範囲から除かれる地域」となります。
 それでも、1951年には米国のラスク国務次官補が「我々への情報によれば独島は朝鮮の一部と扱われたことは一度もなく、1905年以降、島根県隠岐島司の所管である」と発言しています。

 つまり、竹島を日本の領土だという、雰囲気は少なからずはあったということです。

 しかし、年月が経つにつれて、形勢は逆転しつつあります。

 まず我が国の立場をみてみたい。外務省ホームページは「日本における竹島の認知」と「竹島の領有」の項で次のように説明している。
 ・現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。「改正日本興地路程(よちろてい)全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。
(中略)
 では、韓国側はどの様な主張を行なっているか。金学俊(仁川大学総長、韓国政治学会長、東亜日報社長)著『独島/竹島 韓国の論理』(論創社)は次のように記述している。
 ・『三国史記』(1145年)に「于山島」(竹島)の記述がある。『高麗史』(1451年)に「鬱陵島」以外に「于山島」があるということを韓国の史書で明示した初めての事例である。『世宗実録』(1454年)は「于山、武陵二島在県正東海中」と記している。
 ・1900年10月25日大韓帝国は勅令で管轄地を「鬱稜全島」と石島とした。石島が竹島である。
 以上を見ると、韓国学者が極めて詳細に調査していることを示している。韓国では外交当局や学者の努力によって、かつてラスク国務次官補「独島は朝鮮の一部と扱われたことは一度もなく、1905年以降島根県隠岐司の所管にある」と書簡に書かれた韓国は、今や米国地名委員会が竹島を韓国領と書くに至っている。

 『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』 第四章 より  孫崎享:著  筑摩書房:刊

 米国の地名委員会は、竹島の所属国を大韓民国であると定めています。
 今となっては、どちらが先に竹島を見つけたかなど、証明しようがありません。

 なので、どちらかの主張が完全に受け入れられるということは考えにくいですね。

領土問題に上手に向き合うためには

 領土問題には、複雑な利権や国民の対抗意識、さまざまな感情が絡み合っています。
 不用意に近づいたり、刺激をしたりすると、いつ爆発するかしれない危険物と同じです。

 それを踏まえた上で、孫崎さんは、最後に、領土問題を平和的な解決に結びつけるための手段をいくつか提案します。

 武力紛争に持ち込まないという意識を持ちつつ、各々の分野で協力を推進することが、平和維持の担保となる。
 領土問題の重要なポイントは、領土問題をできるだけナショナリズムと結びつけないことである。
(中略)
 しかし、政治家の中には、自己の努力を強め、自己が推進したいと思う政策を推進するために意識的に領土問題を煽る人々がいる。1969年の中ソ国境紛争では林彪国防相が中ソ国境での緊張を強め、これで国防相としての自分の地位を高め、毛沢東の後継者としての地位を獲得した。
(中略)
 日本も同様である。領土問題の緊張を、時に自己の地位向上のために使う。さらには中国、ロシアの緊張を図ることによって、国民を日米軍事協力の強化に利用しようとする努力もある。
 私たちは、政治家が領土問題で強行発言をする時、彼はこれで何を達成しようとしているかを見極める必要がある。

 『日本の国境問題ー尖閣・竹島・北方領土』 第六章 より  孫崎享:著  筑摩書房:刊

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 争いごとは何でもそうですが、感情的になり過ぎないことです。

 熱くなって相手に詰め寄っても、相手も熱くなるだけで、議論はヒートアップします。
 あくまでも冷静にいく必要がありますね。

 そのためには、問題の本質は何なのかを把握しておく必要があります。

 孫崎さんもおっしゃるように、両国間の緊張が高まると利益を得る人たちがいることも事実です。

 二国間の関係を、領土問題にフォーカスしないこと。
 経済面や安全保障面なども考慮して、関係国も含めた、広い視野でとらえたいですね。

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