【書評】『挑戦する脳』(茂木健一郎)
お薦めの本の紹介です。
茂木健一郎先生の「挑戦する脳」です。
茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)先生は、脳科学者です。
ご自身のご専門に留まらず、幅広い分野で活躍されています。
「挑戦すること」とは?
「挑戦すること」とは、脳の働きにおいて、何を意味するのか?
茂木先生は、脳の働きを一言で表せば、「学習」すること
であり、決して完成することなく、その学習プロセスはオープン・エンド」な「旅」
だと述べています。
そして、挑戦は、私たちが気付かないうちに、日常に忍び込んでいる
ものだと指摘します。
「挑戦」とは、文脈を乗り越えていくことである。「大学入試」や「語学検定」といった特定の「文脈」の中で学習し、次第に正答率を上げていくことも、確かに一つの挑戦ではある。しかし、それは生という現場が私たちに提供する「挑戦」の本来の大らかさからは遠い。文脈にとどまっていては、生の本来の挑戦はできない。文脈を乗り越えること、あるいは、そもそも文脈さえもがないような状況に身をさらし、その中で踊り続けることが、生の本来の挑戦である。
誰も見ていないところで、誰も見ていないからこそ、踊り続けるのだ。
私たちは、困難な時代に生きている。グローバル化に伴うさまざまな混乱は、世界各地に共通のことではあるが、私たち日本人は、そのことを、より一層、骨身にしみて感じているのではないか。「挑戦する脳」 まえがき より 茂木健一郎:著 集英社新書:刊
「挑戦」すること。
それはまさしく、今の日本人にもっとも求められる姿勢です。
本質的に、脳は「挑戦」すること、経験から学習することを欲している。
しかし、実際には多くの人が、リスクを恐れて「挑戦」できずにいます。
それは、なぜか?
脳科学者の立場から、鋭い考察を書き綴ったのが本書です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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暗闇の中を手探りで歩く
人間は生まれると、この新しい世界で自分の存在を確立させようと奮闘します。
経験から学ぶことで、次第に自分の世界が広げていきます。
そして、ある成長の段階で「学ぶ脳」から「挑戦する脳」へと新たな脳の見方を開くことになります。
茂木先生が、初めて「挑戦する脳」に出会い、自らも「挑戦する脳」であることに目覚めることになったきっかけ。
それは、高校2年生の時、同世代のある視覚障害者と触れ合ったことでした。
最初は戸惑い、心細い心持だったという茂木少年も対面してしばらく経つと、さまざまな「気づき」が生まれてきた
と述べています。
日常生活においては、自分がある部分を注視しているということが、相手に対する心理的なメッセージともなる。「見る」「見られる」という関係性が、注視点のやりとりを通してダイナミックに変貌していく。そのような「晴眼者」どうしのコミュニケーションに慣らされている身からは、こちらがどこを見ているのか、全く気にしないかのようなその子の態度は、いかにも大らかでゆったりしたものに感じられた。
(中略)
最初にあった構えが、いつの間にか嘘のように消えていた。急速なこだわりの消滅は、今振り返れば、彼が私の視点の行く先を全く気にかけていなかったことによるとしか思えない。
(中略)
今振り返っても素晴らしいと思うのは、その子が、自分が視覚において「不自由」であるということにこだわっていなかったこと。そんあことは気にせずに、自分の人生を楽しむということに、全身全霊をかけているように見えたこと。
とりわけ、「耳を澄ます」という態度の純度が心を動かした。私たちも、目に見えないものに耳を傾けるということはある。しかし、私たちはあまりにも視覚に依存し、それに左右されているがために、目に見えないものの気配を懸命に探るという態度が、人生の中で時々しか訪れない。「挑戦する脳」 第1章 より 茂木健一郎:著 集英社新書:刊
茂木先生は、見えないからこそ、思い切り挑戦できることがある
し、どんな状況においても、人間の脳は挑戦しようとする
のだと述べています。
偶然を必然とする
オランダの哲学者スピノザがいう、人格を持たない「絶対的な無限」な存在である「神」。
茂木先生は、それと比較する形で、我々人間は「有限」な存在であるとして、ある人間が特定なかたちで存在するということ自体には、何ら必然性もない
のでは、と問いかけます。
そもそも、ある人間が存在すること自体が、必然的なことではない。たとえば、「茂木健一郎」この宇宙にいるのは偶然の結果であって、存在しないことも有り得た。この世界の中にいること自体が、さまざまな事象の作用が重なり合った、いわば「ボーナス」のようなもの。その存在には、本来何の保証もなかったのである。
(中略)
起源においては「偶然」であったにもかかわらず、いったんそのように存在してしまった以上、それが最初からの「必然」だったかのように作用し始める。このように、「偶然」から「必然」への命がけの跳躍が介在すること、すなわち「偶有性」こそが人間本来の本質である。「挑戦する脳」 第6章 より 茂木健一郎:著 集英社新書:刊
今、ここに生まれたのは、「偶然」かもしれない。
けれど、人間の脳は、今、ここにいることを、最初から「必然」であったかのように作用します。
そのギャップを埋めるのが、「挑戦する」ことです。
茂木先生は、それを「偶有性」と表現しています。
このような「偶有性」の時代に求められているのは、ある決まった知識を身に付けることではない。むしろ、大量の情報に接し、取捨選択し、自らの行動を決定していく能力である。異なる文化的バックグラウンドの人たちと行き交い、コミュニケーションしていく能力である。
そのような時代に、日本の教育現場の実態は「偶有性」から逃げてばかりいる。初等教育から高等教育まで、「標準化」と「管理」が支配的なモチーフであり、子どもたちが偶有性に適応するための能力が磨かれていない。旧態依然の教育観、学力観によって、時代遅れの教育が行われているのである。それでは「挑戦する脳」は育たない。「挑戦する脳」 第11章 より 茂木健一郎:著 集英社新書:刊
人間は、もともと時間的にも、肉体的にも、精神的にも、「有限」で「偶然」の存在であります。
しかし、その中で自らを「必然」である理由を見つけなければなりません。
そこに「挑戦」することの、大きな価値があります。
日本の教育は、残念ながら、世の中解らないことだらけで、答えが予め決まっていることなんてほとんどないし、自分で答えを創らなければいけないことがほとんどなんだよ
という、最も大事なことを教えていません。
地震の後で
自ら「挑戦する脳」を体現している茂木先生。
しかし、「3.11」の東日本大震災の時には、事態の深刻さから受けた衝撃と無力感から、しばらくの間地震のこと以外は何も考えられなくなった
といいます。
回復は、突然にやってきました。
佐賀の空港から降り立って、有明海に沈む美しい夕日を見たとき、「あっ」と思ったそうです。
その時に感じたことを、以下のように書き綴っています。
私たちの命は、そして意識は、何という奇跡に満ちていることだろう。確かに、この世は時に凄まじい。何も保証されているわけではない。大切なものも、奪われいってしまうこともある。すべてはつながっている。自然法則は、生きているものと死んでいるものを区別しない。悪意や、邪念があるわけではない。いつかは衰える。破壊される。死ぬ。しかし、その凄まじい世界の中で、私たちは生きている。震える意識を持っている。美しい、夕日が沈むその光景を目にして、涙することもある。
踊ろう、と思った。この世は、畢竟(ひっきょう)、無意味かもしれない。やがては、全ては熱的死に飲み込まれてしまうかもしれない。永遠などない。やがてはもろもろが失われる。しかし、だからこそ、私たちは、「今、ここ」にあることの軌跡を、打ち震える魂の中でつかむことができる。
目の前のことをしっかりやろうと思った。いつか、また、「その時」が来るかもしれない。それまでの、つかの間の日だまりのような日常。たとえ、それが、神様から与えられた執行猶予に過ぎないとしても、私は、「今、ここ」があたかも宇宙の万有であるかのように、踊り続けたいと思う。
意味を問うな。踊れ。人生のさまざまことに悩みを深化させていた高校生のときに、フリードリヒ・ニーチェに教えてもらったこと。踊ることが、生きることの偶有性に対する、最も「強靭な」答えであり得ること。
意味は、重力の魔である。負けてはいけない。踊れ。目の前の人を救え。生活を、立て直せ。エネルギーの将来を、必死になって考えよ。恋せよ。酒を呑め。花を見よ。愛せ。走れ。微睡(まどろ)め。空を見上げろ。「今、ここ」に没入せよ。耳に聞こえない音楽に合わせて、内側に耳を傾けて、踊れ。
日本は必ず立ち直る。いつかまた、日だまりの中で、花を眺めて、みんなで笑えるときが来る。そのときまで、みんなで踊れ。「挑戦する脳」 第18章 より 茂木健一郎:著 集英社新書:刊
本当に美しい文章ですね。
しかも、何とも力強い。
こんなに気持ちのこもった人を勇気づける文章には、なかなかお目にかかれません。
茂木先生ならではの、素晴らしい文章です。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
人生を生きることに、絶対的な意味など、ないのかもしれない。
そこに、自ら意味を吹き込むこと。
それが、私たちの使命であり、「挑戦」です。
『意味を問うな。踊れ。』
『「今、ここ」に没入せよ。』
茂木先生の熱い想いが、ひしひしと伝わってきます。
私たちも、その気持ちに応えなければなりません。
「挑戦すること」を諦めない。
人生に意味を持たせるのは、自分自身である。
そのことを肝に銘じて一日一日、踊り続けたいですね。
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