本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方』(渋谷昌三)

 お薦めの本の紹介です。
 渋谷昌三先生の『人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方』です。

 渋谷昌三(しぶや・しょうぞう)先生は、心理学者、文学博士です。

「話が通じない」は、相手のせいではない

 誰でも、自分の顔や体は、客観的な判断がしやすいので、自分でも気にします。

 しかし、「自分の話し方」は、なかなか気にすることはありません。
 ましてや、「話し方の技術」というものを、きちんと学んだ人はいないでしょう。

 自分の話が通じない、もしくは、自分の意図と違う伝わり方をした。
 それは、相手の受け取り方の問題である、と考えている人がほとんどです。
 
 渋谷先生は、「自分の話し方」と「相手への伝わり方」とは想像以上の落差があるので、自分の話し方を客観的にとらえて悪い癖を直す努力をすべきだと強調します。

 本書は、場面、場面での「話し方」のチェックポイントを、具体例を交えながらまとめた一冊です。

 自分の「話し方」をチェックする“姿見”として、おおいに参考になるものばかりです。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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相手の目を見て話すか、見ないで話すか

「大事なことは、相手の目を見て話せ」

 とよく言われます。

 相手の目を見て話すとは、心理学的には、相手に訴えることがある場合であったり、コミュニケーション欲求が強い場合であったりすることがほとんどです。 

 視線を合わせるということは、気持ちも合わせようとする行為であり、にらみつけて「こっちを見ろ」というのは「オレの気持ちになってみろ!」であり、「ねえ、あなた、こっちを向いて」というのは「私の気持ちをわかって」なのです。
 恋をしたり、怒ったりという感情の高まった時というのは、人の心が見えやすいものです。心の中のことが、しぐさとなって出てしまうからです。
(中略)
 目を見て話した方が気持ちがいいと分かっているのに、それができないのは、コミュニケーション力が欠落しているか、相手に対する温かい気持ちがないからです。
 仕事を指示するときにも、よそ見をしながら「これ、やっといて」と、机の上に書類をポンと置くような態度は粗暴な感じがするものです。やって当然の仕事でも、相手の顔をしっかりと見て、「これ、お願いね」とにっこりとほほえむほうが品格が出ます。

  「人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方」 第1章 より  渋谷昌三:著  WAC:刊

 どんなに忙しくても、少しの間だけ、会話中に相手の目を見る。
 それだけで、「自分へ関心を持ってもらえている」という安心感を与えます。

 それぐらいの気持ちの余裕は、持っていたいものです。

「だって」「でも」の話し方では、人はうんざりする

 人間関係を円滑に運ぶ、「得する話し方」のコツ。
 それは、「まず肯定する」ところから話を始めることです。

「だって」
「でも」
「しかし」

 それらの否定の言葉から話を始める人は、誤解やトラブルを招く「損をする話し方」の人です。
 

 実際の話、「そうですね」「なるほど」と肯定の言葉から話を始める人のほうが好感を持たれることは、実験でも証明されています。
 話の内容はほとんど変わらないのに、最初の台詞が肯定から入る人の意見のほうが賛成を得られやすいのです。
(中略)
 「だって」「でも」の恐ろしいところは、言い続けているうちに本当に口癖になってしまうところです。上司や先輩が親切にアドバイスしてくれて、自分でも内心では納得しているのに、思わず「だって」「でも」と口をつくようになり、いいわけや口答えするような物いいになってしまうのです。これでは上司や先輩も、もうアドバイスするのはやめようと思います。そのぶん、人間関係に破綻が出やすい環境になります。
 そのうち、自分の心の中でも「だって」「でも」を連発するようになってきます。
 「でも、私なんか、どうせ誰も相手にしてくれないし・・・・」
 「だって、仕事が忙しいから、そんなことはやりたくてもできない・・・・」
(中略)
 呪文ではないけれども、否定の言葉ばかりをつぶやいている人は否定的な人生を歩み、肯定的な言葉を使っている人は前向きな人生を歩むものです。言葉には、それほどの力があるということです。どちらが得であるかは、考えるまでもないと思うのです。

  「人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方」 第4章 より  渋谷昌三:著  WAC:刊

 自分のしゃべった言葉は、相手に伝わることはもちろん、自分の耳にも、しっかりインプットされます。

 否定的な言葉ばかりを使う人は、自分自身に否定的な催眠術を掛けています。
 まさに「呪文」というのに、ふさわしいですね。

 普段から意識したいです。

「すいません」よりも、「ありがとう」でいこう!

 日本人はよく、「すいません」という表現をします。
 相手に粗相をしてしまったならともかく、ちょっとした親切をしてもらったときにも使われます。

 私たちは何となく使っていますが、よくよく考えると、少し違和感があります。 

 ところが最近は、相手が自分に何かをしてくれたとき、お礼の言葉として「すいません」という人をよく見かけます。自分が落としたものを拾ってもらったとき、贈り物をもらったときなどにも、「すいません」。
 これはおそらく、「お手をわずらわせて、すいません」「気をつかわせて、すいません」という意味で使っているのでしょうが、その前に「ありがとう」といって感謝の気持ちを表すのが適切だろうと思います。
(中略)
 「感謝の気持ちでいっているんだから、いいではないか」・・・・という人もいるでしょうが、「いう人」はそうでも、「いわれた人」は必ずしもそう受け取るわけではないということを考えれば、やはり「ありがとう」といったほうが適切です。
 どうせ感謝の気持ちを表すのであれば、相手にもその喜びを味わってもらいたい、というのが「思いやり」です。そのためにも、「すいません」より「ありがとう」なのです。

  「人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方」 第5章 より  渋谷昌三:著  WAC:刊

 感謝の気持ちを表す表現は、「ありがとう」が適切です。

「すいません」という言葉は、いろいろな場面で使えて、便利です。
 ただ、逆にいうと、自分の本当の気持ちが伝わらない恐れも、大です。

 気を付けたいですね。

「ごめんなさい」をいい過ぎる人は、あやまりベタの人

 外国人からは、日本人は些細なことで謝り過ぎる、と言われます。

 もちろん、自分の過失に対する謝罪の気持ちですから、相手に十分伝わることが最も大事です。
 しかし、だからといって謝り過ぎは、相手の心象を悪くするだけです。

「悪いことをしてしまった」という気持ちは十分にあるのに、それがうまく相手に伝わらない「あやまりベタ」の人は、どこがいけないのでしょうか。
 そのヒントは、私たちの習慣に見つけることができます。私たちは、お祝いごとで祝儀をもらったときは、その金額に応じてお返しの品も変わってきます。基本的にはこれと同じで、あやまるにしても、相手が受けた被害のレベルによってそれ相応のあやまり方があるということです。そのバランスがとれていないと、相手に納得してもらうことができない、そういうことです。
(中略)
 相手はもう忘れようとしているのに(もしくは忘れかけているのに)、いつまでも「あのときは、本当にすいませんでした」と、その話題を持ち出す人のことです。
(中略)
 すでに落着した「昔の話」なのに、当人がわざわざ蒸し返してあやまるのですから、イライラいもつのります。そのうちに苦手意識も生まれ、あの人とは会いたくない・・・・という気持ちにもなってきます。

  「人を傷つける話し方、人に喜ばれる話し方」 第5章 より  渋谷昌三:著  WAC:刊

 謝り過ぎは、一見、相手のことを第一に考えての行為に見えます。
 しかし、実は、そうではありません。

 謝るという行為のポイント。
 それは、「相手に仕方がない」と納得してもらい、快く水に流してもらうことです。

 それ以上、謝罪重ねることは蛇足であり、逆に、相手を不快にさせます。

 謝ること以外の表現も、同様ですね。
 必要以上に強調したり、繰り返したりすることは、逆効果となります。

 つねに相手の視点に立ち、どの程度の表現が適切か、判断したいです。

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 渋谷先生は、相手が自分に対して持つ印象は「何を話したか」よりも「話すときの雰囲気」によってほぼ決まってしまうとおっしゃっています。

 自分の内面を磨くことは、もちろん大事なことです。
 ただ、それが相手に伝わるかどうかは、「話し方」一つ。
 そのことは、頭に入れておかなければいけません。

 皆さんも、もしかしたら、「話し方」で損をしているかも。
 本書を片手に、チェックしてみてはいかがでしょうか。

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