【書評】『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』(上杉隆)
お薦めの本の紹介です。
上杉隆さんの『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』です。
上杉隆(うえすぎ・たかし)さんは、フリーのジャーナリストです。
大学卒業後、NHK報道局や「ニューヨーク・タイムス」東京支局の取材記者などを経験、2002年にフリーに転身し活躍の場を広げられています。
ジャーナリストを休業したきっかけ
上杉さんは、ジャーナリストを無期休業宣言しました。
そのきっかけについて、以下のように述べています。
いま、この国で「ジャーナリスト」と呼ばれる記者クラブメディア(主に新聞・テレビ)の記者たちと同業であることに、一線を引くため。これが理由である。
(中略)
私がジャーナリストを休業する決意を固めたのは、東日本大震災ならびに福島第一原発事故が起こった「3.11」の直後だった。マスメディアによる「ウソ」がこれほど罪深いものであったことは、戦時中を除いて、はたしてこれまであっただろうか。
(中略)
日本の記者クラブメディアが日々行っていることは、ジャーナリズムではない―少しでも多くの方に、このことを理解してもらいたい。同時に同業者(当時)として、彼らの暴走を止めることができなかった責任を私は感じている。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 はじめに より 上杉隆:著 PHP新書:刊
つまり、「あの人たちと一緒にされたくはない」ということですね。
たしかに、震災や原発事故を巡る、日本を代表する大手マスコミの報道は、酷いものでした。
今の日本のメディアを牛耳っているのは「記者クラブ」という組織です。
政府などの公式な会見は、記者クラブ会員のメディアしか参加できません。
この仕組みは、国内外で度々批判の対象となっています。
それにしても、上杉さんが日本の記者クラブメディアが日々行っていることは、ジャーナリズムではない
と言い放ち、職を辞すほど強い憤りを感じたのは、なぜなのでしょうか。
本書は、「記者クラブ制度」が日本のメディア界を支配している事実を糾弾する一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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現場記者の「仕事」とは?
上杉さんは、政治家などへの現場の取材をする記者たちの仕事を、以下のように説明しています。
彼らがやっていること、それは話を聞きながら言葉をメモに起こす「聞き打ち」、あるいは、その取材をICレコーダーに録音して、あとで詳細な起こしを行う「書き起こし」などだけ。いわば「速記起こし屋」なのである。そうしたメモを、現場の記者たちはひたすらデスクに上げつづける。そのとき彼らは、みずからの頭をまったく働かせていない。
このようなマシン的な仕事は本来、共同通信や時事通信など通信社の仕事であり、彼らがそれを行うことは当然の仕事であって、なんら問題ない。実際、私は過去に通信社をこの点で批判したことは一度もない。
しかし、ジャーナリストたる新聞記者がそれと同じ行動をとれば、意味するところはまったく違ってくる。それが政府だろうが、東京電力の発言だろうが、あるいは、もし会見を行っている人物の発言が完全にウソだと分かっていても、その発言どおりに書き起こせば、それで彼らの仕事は完了してしまうからだ。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第1章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
これが、日本の新聞はどれを読んでも、内容が同じ
理由です。
たしかに、これだけなら別に新聞記者でなくてもできます。
「ジャーナリスト」と呼ぶには、あまりに寂しい機械的な仕事です。
大手メディア「番記者」達のもたれ合い
上杉さんは、問題視すべきは、「番記者」達による「談合」
だと指摘します。
たとえば閣僚クラスの政治家ともなると、メディア各社が一人ずつ「番記者」をつけるようになる。番記者立ちは四六時中、行動を共にするわけで、必然的に記者どうしの交流が生まれる。
そのうちに「申し訳ないけれど、今日の夜は女房とご飯を食べにいかなきゃならないから、夜回りにでておいてくれないか。代わりに明日の朝は俺が行くから」と、異なる社の記者どうしが取引を始めるようになるのだ。
そのような取引は、徐々にシステム化されていく。
(中略)
そう、これこそがまさに、各社の記事がほぼ同じになってしまう構造の根っこにある「談合」なのだ。
もちろん、表現が各社すべて、まったく同じになってはマズいので、使用部分を微妙に摺り合わせたりすることもある。あるいは、少しずつ語尾を変える、フォントを変更する、さらには、自社のフォーマットに落とし込むといった「工夫」をメモに施す記者もいる。そうすれば、これは自分がやりました、と上司に対して堂々と報告できるからだ。
この程度の認識で仕事をしているのが、日本でジャーナリストと呼ばれる記者たちの実態なのである。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第1章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
最初から、各社が労力を省くため、「協力して同じ内容のものを同じ値段で売ることを裏で示し合わせている」ことになりますね。
これが事実なら、公共工事などで問題となっている「談合」とまったく一緒です。
「記者クラブ制度」という、閉じられた社会の弊害です。
本人たちが気づかないうちに、モラルも低下したのでしょう。
既存メディアと権力のもたれ合い
上杉さんは、政治と大手メディアとの癒着についても、厳しく指摘します。
絶対に外してはならないポイントは、この記者クラブ制度は、メディアと権力双方にとってメリットのある仕組みとなっている点である。権力の側は、新聞やテレビを使って世論操作を仕掛けていく。統治という観点で見れば、これほどみごとな仕組みはない。
一方のメディア側のメリットとして、まずは「価格を固定することで競争を抑え、新規参入を難しくする」再販制度を維持できる。それに加えて、先に述べた官房機密費をめぐる「利権」も絡んでいた。
だからこそ記者クラブメディアは、新規参入を試みるメディアに対して、徹底的にそれを排除しようとする。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第2章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
くりかえそう。新聞やテレビなどの既存メディアの情報は、2011年3月~4月の2ヶ月間、ほとんど役に立たなかった。いや、いまでもそれは変わらない。あえて「役立たず」と述べたが、「ほんとうはわかっていながら、真実を報じなかった」と言った方が正しい。
これは消費者にしてみれば、欠陥商品を売りつけられたも同然であり、なかば詐欺ではないかと思うのである。
いまの日本の既存メディアにもっとも当てはまる肩書きは、「政府公報」だろう。そのような彼らでも、自称「ジャーナリスト」なのである。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第3章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
「持ちつ持たれつ」というは、こういうことを言うのでしょう。
いろいろ批判されつつも、「記者クラブ制度」を維持しようという意図が透けてみえます。
「メディアが単なる政治の道具となっている」
上杉さんは、強い警鐘を鳴らします。
『既存メディア=社会的な特権者』という思い上がり
上杉さんは、自分にとって都合が悪かろうが、意見が反対だろうが、ジャーナリズムには事実を追い求め、公表しなければならない義務がある
と指摘します。
しかし、残念ながら日本の既存メディアは、その点を完全に取り違え、みずからをたんなる社会的な特権者だと思いこんでいる。とくに記者クラブのなかにいると、自分たちは世の中を動かすプレーヤーであるという錯覚に陥りがちだ。そこでは往々にして、正義の旗を振りかざして、自分たちの敵である「悪者」を裁いてやろうとの思いにとらわれる。
鉢呂氏の「死の町」「放射能」発言に対するメディアの「責任をとれ!」という論調が、その証左だろう。本来ならば「ほんとうに死の町なのか?」「放射能についての発言はあったのか?」と、裏を取るための取材に行くべきなのに、彼らはそうした当然の義務を果たさず、政治的な攻撃のみを仕掛けたのである。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第4章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
そもそも鉢呂氏のこの発言自体、「中央の政治家には、われわれの町がゴーストタウンになってしまっているという認識が足りない。現実を直視して対応してほしい」という被災者や福島の市町村の首長から陳情を受けて生まれたもの
とのこと。
「臭いものにはフタ」的な、政府の対応。
それにメディアが加担していたのだとしたら、これほど罪深いものはありません。
震災で変化した日本人のメディアへの意識
「3.11」の 大震災が起こり、大手メディアへの不信感が高まりました。
上杉さんは、結果、彼らへの視聴者の目が厳しくなり、好ましい変化が生まれた
と指摘します。
だが、一般的にリベラルと言われる『朝日新聞』のなかに、何千人もの記者が存在することを知っているだろうか。「○○新聞は正しい」と考えるのではなく、「○○新聞の○○記者のこの記事はどうか」と、一つひとつ自分で判断することが、やはり望ましいと思うのである。
発信する人物の名前と顔を見て、情報を選びはじめたことは、東日本大震災をきっかけに日本人に生じた好ましい変化だろう。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 第6章 より 上杉隆:著 PHP新書:刊
実際、ネットメディアを利用する人も多くなりました。
結果、フリーの立場のジャーナリストも、情報源として大きな信頼を集めています。
新聞やテレビでの情報を、鵜呑みにしない。
情報の受け取り側一人一人が、しっかり取捨選択をする。
それが大事だということを理解した人は、多いでしょう。
インターネット普及の及ぼす影響
上杉さんは、インターネット、それにフェイスブックやツィッターなどのソーシャルネットワークサービス(SNS)の重要性について、以下のように指摘します。
ひるがえっても、インターネットの役割は大きい。カオスのなかで「2ちゃんねる」が生まれ、政治家がブログでみずから言葉を語り出したのは、わずか十年前のことだ。当時は、その社会的な認知度は高いとはいえず、市民権も得ていなかった。
その後、ツイッターやフェイスブックが登場し、世の中の情報の流れは大きく変わってきた。インターネットというもう一つの流れが、ツイッターやSNS、ニコニコ動画などのツールによって結合され、大きな束になったのだ。
それらネットメディアを駆使する記者たちがいま、自由報道協会に集まっている。彼らは思想も考え方もバラバラだが、「アクセス権から排除された人たち」という意味で強力な共通点をもつ。だから、われわれはいっしょに戦える。『新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか』 おわりに より 上杉隆:著 PHP新書:刊
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10年でこれだけ変わったのだから、10年後は、今とはまったく違うメディア社会となっているはずです。
上杉さん望むように、より開放された自由な制度に生まれ変わっていることを願っています。
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