【書評】『心配事の9割は起こらない』(枡野俊明)

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 お薦めの本の紹介です。
 枡野俊明さんの『心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』です。

 枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんは、曹洞宗徳雄山健功寺の住職です。
 庭園デザイナーとして、国内外から高い評価を受けられている禅僧でもおられます。

「禅の教え」は、心配事を手放す知恵の宝庫


 枡野さんは、禅僧という立場もあり、たくさんの人からさまざまな相談を受けます。
 そのほとんどが、実は「妄想」や「思い込み」、「勘違い」や「取り越し苦労」にすぎないものでした。

 本人にとっては切実で、重大な問題に思えても、周りの目から見ると「なんでもないこと」に振り回されているだけ・・・実際にそんなことも多々あります。

 ふとした言葉や行動がきっかけとなって、嘘みたいに心が軽くなった。
「禅の教え」は、そんなきっかけの宝庫です。

 禅というと、敷居が高くとっつきにくいイメージがありますが、そうではありません。
 とても身近なところにあり、日々の暮らしとしっかりと結びついているものです。

 本書は、「限りなくシンプルに生きる」ための禅の教えを、テーマごとにまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「いい加減」を心得るということ


 枡野さんは仕事をするうえで自分の「力量」を知っておくということはきわめて大切だと述べています。

 自分の力量を超える仕事をする場合、相手に多大な迷惑をかけるだけでなく、自分自身も「できない」ことへのあせりや苛立ち、悔しさや情けなさにさいなまれ、心に大きな負担がかかってしまいます。
 そんな事態に陥らないためのカギが「いい加減」を知る、つまり、「いい加減を心得る」こと。

「いい加減」を知るとは、自分の力量を的確に把握していることです。
 枡野さんは、「いい加減」とどのように向き合えばいいのか、以下のように述べています。

「自分の“力量”を超えないようにすればいいのでしょう?」 たしかに、それはそうなのですが、私は少し幅を持たせて考えたほうがいい、と思っています。つまり、「伸びしろ」を見ておくのです。
 たとえば、自分の力量が「10」だと理解しているときに、「12」の能力を必要とする仕事のオファーがあったとします。
 ここで、「これは、自分の“いい加減”を超えてしまうから、断るべきだろうな」とすぐに判断するのはどうでしょうか。
 なぜなら、その時点での、自分の「力量」と、能力の「限界値」は違うからです。いま持っている力量だけでは難しいかもしれませんが、挑戦心をもって必死に努力すればなんとかカバーできる。
「限界値」はそんなところにあるのだ、と思います。 もちろん、必要な能力が「15」「18」ということになったら、「10」の力量では手も足も出ない。到底、こなすことはできないでしょう。
 しかし、「10」の力量で、「12」の能力を必要とすることにチャレンジするならなんとかなる範囲、あえて、「いい加減」を超えるところに足を踏み入れてみる価値は十分にある、と、私はそう思うのですが、いかがでしょう。
 一度そのレベルをクリアすると、実績にもなりますし、自信もつきます。そう、力量が上がるのです。当然、限界値もより高いレベルに上がっています。今度はその限界値に向かって挑んでいったらいいのです。
「いい加減」を知ることは大事です。
 しかし、その先の「限界値」を見据えておくことも、同じように大切です。
 そのことをしっかり胸に刻んでおいてください。

 『心配事の9割は起こらない』 第1章 より 枡野俊明:著 三笠書房:刊

 身の程をわきまえることももちろん重要です。
 しかし、つねに安全圏にばかりいたのでは、それ以上の成長は得られません。

 自分の限界を知ったうえで、それより「ちょっと上」にチャレンジしてみること。
 それも重要だということですね。

情報の“暴飲暴食”はやめる


 現代社会は、「超」という字がつくほどの高度情報時代に突入しています。
 必要な情報が簡単に手に入り、利便性が増しました。

 その反面、「有り余る情報が判断力を弱めている」という副作用もあります。
 多すぎる情報は“迷い”のもとになるということ。

 枡野さんは、情報がありすぎるからかえって、心をどこに置いたらよいのかわからなくなると警鐘を鳴らします。

 もちろん、選択肢が多いことは可能性を広げる、という面からも大切です。ただし、選択肢は絞り込むことが重要。「心の置きどころ」を定めるということに力点を置いて、そのために必要と思われる情報だけを集め、選択肢を広げる、というふうに考えたらどうでしょう。
 置きどころが定まった心に問いかけて選んだ仕事、あるいはやると決めた行動なら、たとえすぐには思うような結果が出なくても、ブレるということがなくなります。  そのことに一生懸命になれる。
 ここが大事なところです。
「随処(ずいしょ)に主(しゅ)となれば、立処(りつしょ)みな真(しん)なり」
 という、臨済宗の開祖である臨済義玄禅師の言葉があります。
 その意味は、どんなところにあっても、「いま」「ここ」でできることを一生懸命にやっていれば、自分が主人公になって生きられる、ということです。
“主人公”の視線は飛び交う情報に惑わされて、あちらこちらにキョロキョロと宙を泳ぐようなことはありません。しっかりと一定方向を見据えています。
“主人公”が踏みしめる大地にはくっきりとした乱れのない足跡が刻まれます。たしかな足どりで人生を歩んでいけるといってもいいですね。
 いつだって、どこでだって、誰もが主人公になれるのです。
 まず、「心の置きどころ」を定める。「いま」できることに集中する。
 そこから始めませんか?

 『心配事の9割は起こらない』 第2章 より 枡野俊明:著 三笠書房:刊

 自分の人生の主人公は自分自身です。

 自分の中にしっかりした軸がなく、ただ周りの情報に振り回される人。
 その人たちは、他の人が敷いたレールの上をただ歩いているだけの人生と言えます。

 自分の「心の置きどころ」をしっかり定めること。
 心に刻み込んでおきたいですね。

「勝ち負け」より「納得感」が大事!


 仕事では、何らかの結果が求められます。
 今の世の中は、成果主義が幅を利かせている時代。
 つねに誰かと比べながら、成果を競い合って疲弊してしまっている人も多いです。

 枡野さんは、仕事によるストレスのかなりの部分は、「勝ち」「負け」に対する過剰な意識が原因となっていると指摘しています。

 そろそろ、「勝ち」「負け」へのこだわりを捨てませんか?
 こんな禅語があります。
「八風(はっぷう)吹けども動(どう)ぜず」
 生きているうちには、さまざまな風が吹きます。よい風が吹くこともあれば、悪い風が吹きすさぶこともある。しかし、いちいちその風に心動かされることなく、どんな風も楽しんでしまおう、というのがその意味です。
 自分の成績が同僚を上回ったというときは、よい風が吹いていると感じ、逆に同僚に水をあけられたら、悪い風が吹いていると感じるかもしれません。しかし、それは「勝ち」「負け」ということではないのです。
 そのときどきに、それぞれの風が吹いているだけのこと。ですから、どの風も自然に受け止めたらいいのです。
 自然に受け止める、ということは、真摯にその状況と向き合うことだといってもいいでしょう。
 真摯に向き合うためには、目を外側の「誰か」に向けるのではなく、内側の「自分の心」に向けることです。
「今回の仕事に全力投球しただろうか?」
「あの段階で“これでよし”としてしまったけれど、もう少しできることが、なにかあったのではないか?」
 もちろん、すべてに全力投球をした、持てる力を出し切った、と思える仕事はそうそうあるわけではないでしょう。心に問いかけてみて、「まずまず、一生懸命やったな」と感じることができたら、それでいいのです。
 まさしく、それはそのときどきの仕事に対する「納得感」です。
「納得感」がなにより大事だ。私はそう思っています。
 なぜなら、納得感があれば、どんな結果であっても、穏やかな心でそれを受け入れることができるからです。どんな風も楽しむ境地でいられるといってもいいですね。

 『心配事の9割は起こらない』 第3章 より 枡野俊明:著 三笠書房:刊

 勝ち負けは、相手がいてはじめてつくものです。
 自分がどんなに努力して成果を出しても、相手の成果がそれ以上であれば「負け」です。

 判断の基準を自分の内側に置くこと。
「自分のベストは尽くした。結果は結果」と自分自身が納得できること。

 競争のストレスから身を守る秘訣ですね。

「お先にどうぞ」は、最高の人間関係のコツ


 日本では、「謙譲の精神」が美徳とされています。
 なにがなんでも自己主張を通すことに徹すると、うまくいかないことが多いですね。

 枡野さんは、より良い人間関係を築く秘訣について以下のように述べています。

 私は、「お先にどうぞ」といえる二番手が、もっともよいポジションだ、と思っています。前に出るのはひとまず措いて、自分を磨くこと、仕事なら知識や技術、ノウハウを身につけることに一生懸命になる。
 力のある二番手なら、自分が動かなくても、いずれは周囲から前に押し出されることになります。これが最高の強みなのです。自分から先頭に立とうとする人とは違って、押し出された人は、足を引っ張られることがありません。
 それどころか、なにかあれば、周囲は喜んで手を貸してくれる。気がついたら、統率力のあるリーダーになっているのが、「お先にどうぞ」の二番手なのです。
 仕事を離れた人間関係でも、「お先にどうぞ」の精神が周囲を明るく、幸せにします。電車の空いた席に同時に座ろうとして、お互い譲らなければ、空気はどこか険悪なものになります。しかし、「お先にどうぞ」と譲ってあげたら、「ありがとうございます」と笑顔で感謝の言葉が返ってくる。
 仲間や友人たちとの食事会、飲み会でも、われ先にと料理に手をつけるのではなく、「お先にどうぞ」としていたら、必ず、「あの人、ほんとにいい人だったな」という定評が高まるはずです。
 譲られて気持ちがいいと感じない人はいませんし、先を争わないこちらに気持ちの余裕を感じもする。余裕を持って生きている印象を持たれるなんて、かっこよくて、おしゃれじゃないですか。

 『心配事の9割は起こらない』 第4章 より 枡野俊明:著 三笠書房:刊

「出る杭は打たれる」ということわざがあります。

「俺が、俺が・・・」と先頭に立とうとすると、周囲との摩擦も大きくなります。
 結局、後ろから足を引っ張られて、立ち往生することもよくあること。

 逆に、つねに上の人を立て、二番手の位置で実力を蓄えてている人が押し出されて先頭に立った場合、追い風に乗って、スムーズに前に進めます。

 仕事でも、普段の生活でも、「ゆずりあいの精神」が、人間関係を円滑にしてくれます。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

「禅の教え」は、何百年もの前から受け継がれてきた、知恵の宝庫です。
 同時に、悩みや不安を消し去るための多くの偉人たちの努力の結晶でもあります。
 
 禅の言葉は、長い年月を経ても、変わらずに輝きを放っています。
 そして、現代においても多くの人の心のよりどころとなっています。
 人間が生きていく中での悩みは、根本的には、いつの時代も変わりません。

 禅の精神に則(のっと)り、余計なものをそぎ落とす。
 シンプルで心身ともに身軽なライフスタイルを実現したいものですね。

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