【書評】『怒らない 禅の作法』(枡野俊明)

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 お薦めの本の紹介です。
 枡野俊明さんの『怒らない 禅の作法』です。

 枡野俊明(ますの・しゅんみょう)さんは、曹洞宗徳雄山健功寺の住職です。
 庭園デザイナーとして、国内外から高い評価を受けられている禅僧でもおられます。

「怒りの感情」を解放する禅の教え


「禅の心」とは、物事にとらわれず今この瞬間を大切に生きること。執着を手放し日々満足して生きること。よけいなものをそぎ落としシンプルに生きることです。

 禅には、心が楽になり、安らかな気持ちで毎日を送るヒントがたくさんあります。

 きつい修行をしなくても、毎日の中でできることから取り組んでいく。
 そうすれば、どんな人でも必ず変化を感じることができます。

「それまで感情的になっていた場面で、冷静さを保てるようになりたい」
「カチンときてしまっても、すぐに平常心に戻れるようになりたい」

 そんな多くの人たちの願いを、禅の教えが導いてくれます。

 本書は、禅門での逸話や禅話も織り交ぜ、怒りから自由になるための作法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「すぐ怒る人」と「いつも心穏やかな人」の違いとは?


「怒り」は、ちょっとしたことで私たちの心の中に湧き起こります。

 いつも機嫌のいい人と、ちょっとしたことでイラッとしてしまう人。
 枡野さんは、両者の違いは、普段その人がどんな心の状態にあるかの違いだと指摘します。

 両端を思い切り引っ張って、ピーンと張り切ったゴムを想像してみてください。
 すぐに怒ってしまう人は、そんな張り切ったゴムのような状態です。両端からギューッと引っ張られているため、当然苦しくて仕方ありません。常にプレッシャーがかけられ、余裕がなくいっぱいいっぱいです。ですから、ささいなきっかけでパチンと切れてしまうのです。
 一方、いつも平常心でいられる人は、しなやかに伸びたり縮んだりするゴムのように、どんな状況にも臨機応変に対応できます。
 現代社会で生きる私たちの心は、極限まで引っ張ったゴムのような状態なのです。心にしなやかさを取り戻すことが、怒りから自由になるための大きなポイントと言えます。

  『怒らない禅の作法』 第1章 より  枡野俊明:著  河出書房新社:刊

 怒るということは、心に余裕がない証拠です。

 水がいっぱいまで入ったコップにさらに水を入れると外にこぼれ出してしまいます。
 それと同じで、ネガティブな感情で一杯になった心に、怒りを注ぎ込むと外にあふれ出してしまいます。

 どんなときも心に余裕を持ってしなやかに、柔軟に。
 普段の生活から心掛けたいですね。

頭に来たら、一呼吸置く


 怒りという感情はコントロールすることが難しいものです。
 頭ではわかっていても、ふとしたきっかけでいったん怒りが生まれると、つい感情的になって口調も激しくなってしまいます。

 枡野さんは、怒りに振り回されない自分になるための秘訣として、不愉快なこと、腹の立つことがあった時、何かを言う前にまず一呼吸置くことを勧めています。

 浅い呼吸では効果がありません。おなかをゆっくり動かしながら、大きく丹田で深呼吸します。この「間」が重要です。
「それができれば、苦労はない」と思うかもしれません。
 しかし、私の尊敬する大本山總持寺の元貫主をされた板橋興宗禅師は、怒りを収めるために実際にこの方法を使っていました。私が知る限りまったく怒ったことのない禅師にその理由を訊ねると、頭に来ることがあったらおなかで呼吸をしながら、「ありがとさん、ありがとさん、ありがとさん」と三回くり返しているのだと教えてくれたのです。
 くり返すうちに、言おうと思った言葉も引っ込んでしまうのだそうです。
「ちょっと待て」「大丈夫」「我慢」・・・・・。くり返す言葉は何でもいい。おなかで呼吸をして、頭に怒りを上げないことが大切なのです。
 一度口に出た言葉は、取り戻すことができません。「悪かった、今のナシ!」と後から叫んでも、いったん崩れた信頼や壊れた人間関係が、そうそう簡単に修復できるはずもありません。
 ほんの少しの「間」が、取れるかどうか。あなたが怒りから自由になれるかどうかのポイントは、まずそこにあります。

  『怒らない禅の作法』 第2章 より  枡野俊明:著  河出書房新社:刊

 自分の中に溜まった怒りをその場で吐き出せば、多少は楽になります。
 ただ、後で悔やむことも多いです。

 まさに「後悔先に立たず」ですね。

 口に出すその前に、おなかで大きく息を吸って、同じ言葉を三回くり返す。
 ぜひ、実践したいですね。

手を合わせて、感謝する


 枡野さんは、「心の安定を保つには、どうしたらいいのか」という問いに対して、手をあわせる習慣を持ちましょうと答えています。

「胸の前で右手と左手をあわせて合掌する」

 これだけのことで、心がスッと落ち着くのだそうです。

 日本人にあまりにもなじんだ、この手をあわせるという行為には、実は深い意味があります。右手は仏様や自分以外の人を、左手は自分自身を表します。合掌とは、両者をひとつにあわせることを意味するのです。
 神仏に手をあわせる時には、尊い存在と自分がひとつになるように、お墓や仏壇ではご先祖様寄り添うように・・・・。そうやって、私たちは感謝と祈りを届けていたのですね。
 この美しい習慣を見直してみましょう。
 朝は、「今日も一日、元気に過ごせますように」と祈りを込めて、夜寝る時は一日の無事に感謝して、そして食事の前後には「いただきます」「ごちそうさまでした」と、命をくれた食材や作ってくれた人への御礼とともに、力まず、恥ずかしがらず、自然な気持ちで手を合わせてみてください。
 ざわざわしていた心がチューニングされ、静かになっていくのを感じるでしょう。

  『怒らない禅の作法』 第2章 より  枡野俊明:著  河出書房新社:刊

 朝と晩に一回ずつ、朝昼晩の食事の前後にも胸の前で右手と左手をあわせて合掌する。

 合掌の意味を知って、手を合わせると自然と感謝の気持ちが湧いてきます。
 誰にでもできることなので、ぜひ実践したいですね。

歩く時、自分を「蓮の花」だと考える


 今の世の中は、社会全体がせわしなく、誰もが苛立ちを抱えている状況です。
 わずかなきっかけで怒鳴りあいが起きかねない。そんな殺伐とした雰囲気さえあります。

 枡野さんは、周りの雰囲気がどんなにすさんでいても、自分の心ひとつで、それに惑わされることなく過ごせるようになると述べています。

 これから、町を歩く時は、自分が蓮の花だと考えてみてください。
 仏教では、仏の教えの象徴として蓮の花をとても大事にします。仏様が乗っている蓮華台は、蓮の花をかたどったものです。
 蓮が育つのは、清らかな水ではなく濁った泥の中。それでも蓮は、泥にまみれることなく、花芽を伸ばして気高く美しい花を咲かせます。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」。
 自分の仏性を磨いていけば、どんな環境にいてもその影響を受けることなく、心穏やかに自分の花を聞かせることができるのです。
 肩がぶつかった時に、「失敬」で済ませることができない人は、心の中によほどのストレスを抱えているのでしょう。そう考えれば、もし怒鳴られたとしても「気が立っているんだろうな」「気の毒だな」と思えてきませんか?
(中略)
 自分自身を灯りとしていけば、どんな時も自分で自分の心を照らすことができます。それだけでなく、あなたの周りも明るく照らすことができるのです。あなたを怒鳴ったその人のことも、あたたかな光で照らせるようになったら素晴らしいですね。

  『怒らない禅の作法』 第3章 より  枡野俊明:著  河出書房新社:刊

 すぐに怒る人は、心に余裕のない人です。
 その怒りに惑わされたり、同じように怒り返したりする人も、結局は、同じレベルの人間だということ。

 怒りの感情から自由になるためには、泥にまみれても泥に染まらない、そんな心掛けが必要になりますね。

「蓮は泥より出でて泥に染まらず」

 泥の中に咲く一輪の蓮の花をイメージして、どんな環境にいてもその影響を受けることなく心穏やかにいたいものです。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 仏教では、人の心の中に『貪(どん)・瞋(じん)・癡(ち)』の三つの毒があると考えます。

「貪」は、尽きることのない貪りの心、欲望
「瞋」が、怒り
「癡」は、愚かさや迷い


 枡野さんは、この三つの毒に心が支配されている限り、私たちが今という瞬間に満足し、幸せに生きることはできないとおっしゃっています。

 本書に述べられているのは、「怒り」についての内容ですが、他の“毒”の解消についても役立つものばかりです。
 ぜひ、日々の生活に取り入れて、周りの状況に左右されずに、心穏やかに過ごせるようにしたいものです。

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