【書評】『あした死ぬかもよ?』(ひすいこたろう)

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 お薦めの本の紹介です。
 ひすいこたろうさんの『あした死ぬかもよ?』です。

 ひすいこたろうさんは、作家、コピーライター、漢字セラピストです。
 心理カウンセラーの資格もお持ちで、数多くの著書をお持ちです。
 無料配信されている、『3秒でHappy?名言セラピー』は多くの注目を集められています。

死は、生を完全燃焼させるための「スイッチ」


 ほんとうにやりたいことをやる人生と、ほんとうはやりたくないことをやる人生。
 どちらかを選べと言われたなら、すべての人が前者を選びますね。
 しかし現実にはそうならないことも多いです。

 米国での、ある90歳以上のご老人に聞いたアンケートで、「90年の人生を振り返って唯一後悔していることはなんですか?」という質問に対して、なんと90%の人が同じ答えでした。

 その答えとは、「もっと冒険しておけばよかった」です。

 ひすいさんは、この世の最大の不幸は、死が間近に迫ったときに、自分の人生に後悔することだと指摘し、それを避ける方法がたったひとつだけあると述べています。

 それは、「いま、この場でしっかり自分の死を想像してみること」です。

 ひすいさんは、死を真剣に見つめることで、あなたは自分の「本心」(ハートの声)に気づくことができると述べています。

 死は避けることのできない運命。
 ならば、それを積極的に活用し、より充実した人生を送れれば、それに越したことありません。

 ひすいさんは、死は、生を完全燃焼させるための、最高の「スイッチ」にできると強調します。

 本書は、死と向き合うことで、人生最後の日に笑って迎える方法をまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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あと何回桜を見られるだろう?


 曹洞宗を開祖した道元は、すべての人は仏性、つまり「生まれながらに持っている、仏となることのできる性質」を持っているにもかかわらず、それを発揮できる人と発揮できない人がいる理由は、『人間は必ず死ぬ』ということを本当の意味で知っているか、知っていないかの差だと指摘しました。

 また、古代ローマでは、戦争に勝った将軍が、凱旋(がいせん)の際、従者にある言葉を必ずささやかせたそうです。
 それは、「メメント・モリ」(memento mori)。「死を忘れるな」という意味です。

 今日亡くなる方は世界で約15万人います。
 人生最後の日は必ず来ます。それは残念ながら、必ず、です。

 もし、あなたが30代だとしたら、桜をあと50回も見られないかもしれない。
 地球があと太陽の周りを50周する間に、人生は幕を閉じます。
 地球が、グランドを50周する間にです。
 さあ、ここまで読み進めてくる間にも、あなたの寿命は10分縮まっています。
 それが現実です。この現実から目を背けてはいけない。
 その自覚こそが「差」となる。

「命がけで生きる」という言葉がありますが、僕らは、みんな、生まれたときから命がけなんです。

 鼻くそをほじっていたって、寿命は縮まっている。
 鼻くそをほじっていたって、それは命がけでやっているんです。
 だから、いま、あなたはこの本を命がけで読んでいる。

 現実を見よう。
「メメント・モリ」。死を忘れるな。

 『あした死ぬかもよ?』 第1章 より ひすいこたろう:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

 人間はいつか必ず死にます。例外はありません。
 その事実を意識しながら生きている人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

 1日経ったら1日分、2日経ったら2日分、確実に自分の寿命は縮まっている。
 その現実に目を向けて生きていれば、どんな瞬間もおろそかにはできませんね。

あなたは、なにによって憶えられたいですか?


 流れ星に願い事をいうと叶う、といいますが、それにはちゃんと理屈があります。
 それは、流れ星が現れるその一瞬の間に願い事をいえるということは、何を叶えたいかが明確になっているからです。

 つまり、どこに行きたいかがわかっている人は、必ず目的地にたどり着けるということ。

 心からそこへ行きたいと望むところ、それこそ心の北極星です。
「いちばん大事なものに いちばん大事な命をかける」。
 これはあいだみつをさんの言葉ですが、一番大事なものがわかってこそ、そこに向かえる。そこに命をかけることができるんです。

 逆をいえば、命とは時間のことですから、今までなにに一番時間をかけてきたのかを見つめ直せば、あなたが無意識に大事にしてきたことを見いだすことができます。

 僕の例でいうならば、もともとの性格が暗かったこともあり、どのような考え方、ものの見方をすれば、明るく楽しく生きられるのだろうかという探索(研究?)に時間の多くを費やしてきました。
 また、僕は、営業、そしてコピーライターの仕事をしてきたので、「伝えること」「書くこと」に多くの時間を費やしています。
 つまり、僕は、「ものの見方を学ぶこと」と、「伝えること」に多くの時間をかけてきたわけです(命は時間ですから、そこに命をかけてきたわけです)。
 これまで費やしてきた時間を振り返ることで、見出される僕の強みは・・・・・、
「ものの見方を学ぶこと」×「伝えること」=「ものの見方を伝えること」。
 そして、これこそ心の北極星、僕が一生かけて向かいたい方角です。

 経営の神様と呼ばれた経営学者ドラッカーもいっています。
「なにによって憶えられたいのかを問い続けろ」

 僕の場合でいうなら、「こんな考え方をするとラクになるよ」って、あなたの心に革命を起こした人として憶えられたい。
 何によって憶えられていのか、それこそあなたが一番大事にしたいもののはずです。
 それが明確になったとき、あなたの命の使い道が明確になります。

 『あした死ぬかもよ?』 第2章 より ひすいこたろう:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

 時間は命であり、命は時間です。

 限りある命=時間を有意義に使うには、自分にとっての「一番大事なもの」を知る必要があります。
 それを見つける手がかりになるのが、『「自分は何によって憶えられたいか」という問い』です。

 自分はどこから来て、どこに向かいたいのか、改めて見つめ直したいですね。

死後、あなたは、誰の記憶に残るだろう?


 人生を振り返ったときに、「あの日が運命を分ける日だったな」ということがあります。
 ひすいさんにとっての“あの日”は、小林正観さんの「見方道合宿」に参加することを決めた日でした。
 ひすいさんは、その合宿に参加した五日間で、人生観が変わるほどの衝撃を受けたとのこと。

 かつて僕は、何ものにかならなければ幸せにはなれないと思っていました。でも、正観さんはこう教えてくれました。
「淡々と過ぎていく普通の毎日が幸せの本質です」

 目の見えないカップルの方々は、ずっと相手の顔を触っているのだそうです。「相手の顔を一秒でもいいから見たい」というのが彼らの夢なんです。小児ガンの病棟にいる子どもたちの夢は、「お父さんとお母さんとラーメン屋に行きたい」「家に帰りたい」「大人になりたい」というものです。

 見えること、聞こえること、話せること、歩けること、友だちがいること、今日ごはんが食べられること、家に帰れること・・・・・。
 もう、いま、すでに幸せに囲まれていたんです。
 僕らはいま、夢のような毎日を過ごしている。
 幸せは、未来になるものではなく、いまなるものだったんです。
 いま幸せになれる。なぜなら、幸せは気づくものだから。
 そのことを、僕は、正観さんから教えてもらいました。

 人生は、幸せになるのが目的じゃない。
 幸せがスタート地点。幸せから夢へ向かうんです。
 いまが不満だから幸せを目指すという人は、夢を成し遂げても、そこに見えるのは、新しい不満です。

 だから、幸せから始めよう。

 正観さんのお葬式、目が腫れるほど泣きました。
 でも、今は寂しくありません。僕の心の中で生きているからです。

 あなたは死後、誰の記憶に残るでしょうか?
 また、誰の記憶に残りたいですか?

 『あした死ぬかもよ?』 第3章 より ひすいこたろう:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

 幸せになることは、目的ではなく、「スタート地点」です。

 幸せを「探す」のではなく、今、自分が幸せであることに「気づく」こと。
 今の自分と自分を支えてくれている人を大切にし、何気ない日常に感謝しながら、日々を過ごしていきたいですね。

誰になろうとしているんですか?


 ひすいさんは、どう死ぬかとは、どう生きるかということであり、どう生きるかとは、どう、ありのままの自分を受け入れるか、そこが出発点だと述べています。

 ありのままの自分に素直になれたとき、あなたのハートは開放されるとして、以下のような「自分の嫌な感情とのつきあい方」を紹介しています。

 例えば、嫉妬しているときや、くよくよ不安を感じているときなど、嫌な感情が出てきたときに、今度、その感情が体のどこにあるか感じてみてください。

 感情は体の感覚とリンクしています。

 例えば、緊張や極度の責任感は、肩や首すじに表れやすい。「肩の荷がおりる」「借金で首が回らない」という表現があるのは、文字通り、感情と体がつながっているからです。
 愛情の欠乏、孤独感、自己嫌悪は胸に出やすい。だから「胸が痛む」とか「胸にポカんと穴があいたような孤独感」などと表現される。
 また、いいたいことがいえない、自己表現の抑圧などはのどに、やりたくないことを我慢してやっている場合は胃に、不安や怖れ、怒りは下腹に出やすい。

 この嫌な感情が出てきたときは、その感情を嫌うのではなく、無視するのでもなく、感情が現れている体の部位に手を当てて、いい、悪いの価値判断をせずに、感情をひたすら感じてあげればいいのです。
「あなたはいま、◯◯って感じているんだね」と、感じてる体の部位に伝えてあげればいい。その嫌な感情に「居場所」を作ってあげればいいんです。
 実は、嫌な感情を体のどこで感じているのかと、体の部位を特定した瞬間に、「自分が寂しいのではなくて、自分の胸が寂しいんだ」と、嫌な感情と自分に一段距離を置き、客観的に見られるようになっていきます。

 自分の嫌な感情は、中学校や高校にいたヤンキー君たちのような存在です。
 ヤンキー君たちは、存在を受け入れてくれない先生の前ではワルさをしますが、受け入れてくれる先生の前ではめっちゃいい人だったりしますよね? それと同じ。

 いつか死ぬんです。
 ならば、自分じゃない自分を偽って成功するよりも、むしろ、失敗しちゃっても、ありのままの自分で生きたほうがかっこよくないですが?

 『あした死ぬかもよ?』 第4章 より ひすいこたろう:著 ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊

 自分にとって都合の悪い事実から目をそむけていては、問題はいつになっても解決しませんし、ありのままの自分に素直になることもできませんね。

 本当の自分の感情を見てみないフリをして偽っても無駄です。
 頭はだますことができますが、体はだませないからです。

 体の不調は、本当の自分からのメッセージ。
 無視せずに、耳を傾けてあげたいですね。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

「死」と「生」は、正反対のものではなく、同じものを別側面から捉えたものです。
 コインの表と裏のような関係であり、決して切り離して考えることができないもの。

 死は、人は生きている限り、避けては通れない現実です。
 死を恐れるあまり、死から遠ざかろうと、冒険をせずに無難な人生を送っている人は、生きることから遠ざかってしまっているということになります。
 ほとんどの人が、その事実に気づくのが死の間際であるということは、人生の皮肉ですね。

 ひすいさんは、「人生は、どんな質問を自分に投げかけるかで決まる」とおっしゃっています。

 死を問い続けること、死から目を背けないこと。
 死を考えることは、生を考えることです。
 充実した人生を送るために、どんなときでも、忘れないようにしたいですね。


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