【書評】『宇宙シナリオからのメッセージ』(賢者テラ)

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 お薦めの本の紹介です。
 賢者テラさんの『宇宙シナリオからのメッセージ』です。

 賢者テラ(@WisemanTerra)さんは、スピリチュアル・メッセンジャーです。
 講演やブログで、「覚醒体験」に基づく独自のスピリチュアル・メッセージを発信し続けていらっしゃいます。

「宇宙シナリオ」からのメッセージ


 賢者テラさんは、ある朝、突然、「自分と宇宙とは別々ではなく、ひとつ。自分と他との分離がない感覚」を体験し、悟りを得て、覚醒者となります。
 その体験を通じて得た驚くべき結論は、以下のようなもの。

「神は外におらず、我が内に。いや自分自身が神そのものであり、宇宙の中心(王)であった」

「覚醒体験」以降、心の中からあふれ出す言葉をブログにつづり、ひたすら書き続けた賢者テラさん。
 その文章は、「自動書記」という霊現象に近いもので、一般常識のみならず、これまでのスピリチュアル世界の常識を覆すものでした。
 
 本書は、これまでの価値観をひっくり返す、賢者テラさん独自の視点による「宇宙論」をわかりやすく解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「意識」と「出来事」の間には、ほぼ関係がない


 賢者テラさんは、「この世界で起こることは、すべて決まっている」とし、意識だけが、起きることのすべてを司(つかさど)っているのではないと指摘します。

 この世界は、あらゆる変化の余地と可能性とに満ちた場所だ。だから、この世界において「絶対」はない。そういう意味で、「ほぼ関係がない」という言葉をあえて使った。
 本音では「まったく関係がない」と言いたいところだ。だがそれは、この世界の流儀では言いすぎになる。

 たとえば、男の子が道を歩いていて、反対側から彼が密かに好意を抱いている女の子が歩いてきたとする。実は男の子は、朝からずっと好きな女の子のことを、心の中で考え続けてきたのだ。道でバッタリ出会うことを期待して。
 実際に願っていたことが起きて、男の子はこう考えるかもしれない。
「そら、僕が心でイメージして願い続けたから、僕があの子を引き寄せたんだ!」
 でも、賢明で冷静な読者諸君なら同意してくれるだろう。それは男の子が願ったからとか意識のパワーがどうした、というお話ではなく、女の子は彼女なりの事情でそこを通りかかっただけのことである、と。
 その単なる事実にすぎず、本来は何の意味もない中立な事象に対し、「勝手に結び付けて、物語を作り上げてしまった」のが、男の子のしたことの正体である。引き寄せでも何でもない。意識が生み出したんでもない。普通に考えたら分かることである。
 星座は、それぞれ星座を構成する星々が「オレ、オリオン座」とか、「私、サソリ座(の女?)」などと自覚していると思うか?
 夜空の星と星を結んで勝手に絵にしてしまったのは、見る人間側の勝手な解釈にすぎず、星そのものとは全然関係ないところでなされている。
 我々が宗教やスピリチュアルでやっていることのほとんどは、この勝手な「意味づけ」である。
 宗教によって、スピリチュアルによって、その意味づけの流儀が千差万別なだけ。どれが本物で、どれがニセモノかとか、ばかばかしい。どんぐりの背比べとはこのことである。自分の都合のいいように現象を解釈し、意味づけするという意味では、どれも似たり寄ったりということである。

 結局、ここで私が一番言いたいことは「意識で現実を変えられるというのは錯覚で、実は起きることはすべて決まっている」ということ。起きることはただ起きているにすぎない。
 そこに自我という面白い機能を持った私たちが、その何でもないただの中立な事象にさまざまな解釈を施し、本来は関係のないものを好きに結び付けたりする。そのおかげで、「自分はすべてができる! 万能だ!」などというスケールの大きな解釈も可能となった。
 だが、その見方は確かにやる気と元気に溢(あふ)れてはいても、起きることが起きるという二元性世界の理(ことわり)から来る実情に合わないのて、頑張りすぎればいずれボロが出て、疲れ果てるようになる。まれに、本当にうまくいってしまう人生シナリオの人もいるだろうが、それはそういう可能性も宇宙には必要、という程度のことであって、数は少ない。
 その少数が、「自分と同じようにやればあなたにも同じことが起きる!」と無責任に言って成功本を出す。それを真似(まね)すれば私もうまくいくのか、と勘違いしてどれくらいの人が騙(だま)されただろう?
 こう言ってもまだ子ども時代まっさかりの意識万能論者は、「いや、できるはずです。ちゃんとやっていないか、努力する量が足りないか、何らかの原因があるはずです」って言うんだろうな。

 『宇宙からのメッセージ』 第1章 より 賢者テラ:著 日本文芸社:刊

 現実に起こること、それ自体は、人間が影響を与えられることはほとんどない。
 意識によって変えられるのは、現象の解釈であり、いかようにも理由付けすることができる。
 それが、「意識」と「現実」の関係に対する、賢者テラさんの意見です。

この世はゲームの世界


 賢者テラさんは、この世はゲームの世界だと述べています。
 つまり、神(この世界を創った何かの創造意識)は、“この世ゲーム”に、自分の分身である「人間」というゲーム・キャラを送り込んだということ。

 神は、何が目的で、そのようなことをしたのでしょうか。

 絶対であり、完全であるということは、我々の想像を超えて苦痛なのだ。
 ヘンな話に聞こえるだろうが、完全であるということは、「そこから何かをちょっとでもしたら、完全性を放棄すること」になる。


 それくらい、完全なる存在にとって「ただ在る」こと以上に何かをするのはリスクが大きいことであった。でも、空(くう)(神)は、そのリスクを承知で、それでもこの二次元性世界を創造した。
 自分の中にある可能性を、余さず観察してみたくなったから、楽しみたかったから。その強烈な思いの前には、創造した世界がおおよそ自身と同じ「完全」とはかけ離れたものになるリスクは、何ほどのものでもなかった。
 で、観察するためには「一(いち)なる存在」のままではいけない。「二」という数以上に分離する必要がある。分離して、その無数の「個」の視点から、あらゆる体験をコレクションしてみたくなった。
 そのような「個としての体験」をするうえで、自分がそもそも完全で絶対で永遠なる存在だということが自覚できている状態では何も怖くない。ということは、せっかくのゲームなのにスリルもワクワクもへったくれもない。面白くない。
 だから、神意識はわざわざ「自分が人間という、全能でもなんでもないちっぽけな存在」というふうに個が思い込むように仕向け、あえて神意識を封印した。人は神としての自分に関してわざと記憶喪失となり、壮大な人類歴史ドラマを繰り広げて今に至る。

 たとえば、初恋の人に告白することを考えてみたらいい。
 心臓がドキドキする。血が沸騰(ふっとう)して、緊張する。フラれたらどうしよう。そしたら、今後同じクラスで同じ空間の中で過ごすのに、気まずい。
 そういういろいろな思考が押し寄せてくる。で、そのネガティブなほうのエネルギーに負けると、結果、告白せずに卒業、ということになる。片思いという、ほろ苦い青春の1ページとして記憶される。
 でも、好きだ! やっぱり言わずにおいたら一生後悔する! そういうエネルギーが、否定的な思考の力を超え、凌駕(りょうが)する場合がある。思い(情的エネルギー)が、ああだこうだという小理屈を吹き飛ばす。で、「好きです!」と告白を実行するという行為となる。
 空(初動の何らかの意思・起爆剤)は、それだけこの世界を創りたかった。で、観察したかった。あえて二元性世界を創造することで、いろいろややこしいことになるのは分かっていたが、それを乗り越えさせるほどに魅力的だったのだ。この世ゲームを始めることが。

この世界を生むことは、別に義務じゃないのに。本来、やらなくてよかったことなのに。なのに、しなくてもいいことを(しかも、したらしたで大変なことを)あえてやったのだ。
 根源的存在にそこまでさせたのは情的エネルギーであり、それはベタな言葉で言い換えると「情熱」である。『タッチ』という名作アニメの主題歌に、こんな歌詞がある。

 誰も愛さなければ淋しさなんて
 知らずに過ぎていくのに
 そっと悲しみにこんにちは

 そう。何もしなければ、とりあえず問題は起こらない。誰も、傷つかない。
 でも、それをどこかで分かっていながらも、人は感情ドラマを紡(つむ)がずにはいられない。リスクを承知で、愛さずにはいられない。
 それと同じことで、この世を創造した意識は、一度ゲームを開始してしまえば果てしない旅になることを承知で、冒険に乗り出した。愚かしくても、愛すべき世界での冒険旅行に。

 『宇宙からのメッセージ』 第2章 より 賢者テラ:著 日本文芸社:刊

 全てであり、完全無欠な存在である「神」。
 その神に唯一できないことが、不完全な存在となること、つまり、「神でなくなること」でした。
 私たち人間は、神の分身として生まれ、神の代わりに様々な体験、感情を経験しているわけです。

 この世は、神が描いた壮大なシナリオが演じられている、ヴァーチャルな世界。
 私たちは、文字どおりの“壮大な人類歴史ドラマ”の登場人物としてこの世に生まれてきたということですね

「◯→◎」の人生観だと面白いように報われる


「すべてはひとつである」

 その視点から眺めると、全ての人間は、存在自体に絶対的な価値があります。
 完璧なルールに従って創られた、「この世」というゲームの世界は、何一つ欠けても成立しません。

 一方、この世は、つねに変化し続けます。
 神さまが、私たちを通じて経験や感情を求めているのなら、ある意味、当然です。
 私たちがこのゲームに参加する目的は、「魂の成長」です。

 賢者テラさんは、このゲームの世界を生きていく上での心得を、以下のように説明しています。

「否定」というものを動機とした努力、というものは案外多い。
 自分には魅力が足りない。平均からすると劣っているので、努力で埋めなければならない。
 だから、エステに通ったり、スポーツジムに通ったり。何も武器がない自分を裸のように感じ、英会話スクールに行ったり資格を取るべく頑張ったり。それが、何か自分の値打ちを上げてくれるような気がするのだ。
 建物は、基礎(土台)がしっかりしているからこそ、地面から上に出ている部分は雨風や台風に耐えうる。でももし、その土台がおろそかだったら? 脆弱(ぜいじゃく)な土台のその上に建てられた建物部分は、少々の雨風には耐えても、台風や洪水などによる大きな力の干渉を受けると、たちどころにその弱さを露呈(ろてい)する。無残に倒れるか、流されるかだろう。
 自分に欠けがあり、その欠けを埋めるために努力を重ねる、という人生の在り方はーー

 ×→◯

 こう表現できる。しかし、究極な存在論的視点からすると、あなたは存在するというただそれだけで完璧なのだ。
 宇宙という偉大な叡智(えいち)があなたを存在させているのであるから。必要のないもの、価値のないものはこの世界に何ひとつ存在することができない。
 その観点からは、あなたは欠けのある存在などではない。むしろ、他と比較させてあなたの立ち位置を思い知らせてくる社会のほうに問題がある。それは、欠けのないはずのあなたに「欠けがある」という錯覚を起こさせる。
 そこで、私が皆さんに提示する「意識の在り方のモデル」は、次のようなものである。

 ◯→◎

 土台が×、つまり自己否定感や劣等感があなたの意識の根底に巣食っている場合、その上にたとえ自分をマシにするための努力(◯)を積み上げても、それは何らかのきっかけ(雨風、台風)があれば、たやすく崩れる可能性があるということである。
 一方で、土台が◯(自己肯定感、自己受容)であれば、そのしっかりした土台の上に積み上げる建物は頑丈である。あなたが積み上げる努力は、目に見えた形でどんどん積み上がっていく。
 それはもう、土台が×の時とは天地の違いで、もしそれをあなたが味わうことができたなら、きっとやみつきになるだろう。面白いように報われるような体験が押し寄せてくるだろう。もちろん、具体的成果を確約するものではないが、最低でも内的平安と充実は得られるだろう。

 『宇宙からのメッセージ』 第3章 より 賢者テラ:著 日本文芸社:刊

「自分には欠けがある」
「自分は不十分だ」

 そんな私たちの意識が、この世というゲームを難しいものにしています。
 あくまで、「自分は絶対的な価値がある存在だ」という認識を持つことが重要です。

今の仕事は成長のためのメッセージ


 この世は、さまざまな困難やハードルを乗り越えながら進む、「ゲーム」のようなもの。
 その筋書きは、自分の力の及ばないところではあります。

 今、自分に起きていることは、「最善」です。
 人生は、これまでもこれからも「最高の自分」を目指して進んでいきます。

 例えば、今の仕事に不満があるのは、完璧な“神のシナリオ”が理解できない、私たちのエゴ(自我)が勝手に意味づけしてるから。

 変えるべきは、周りの状況ではなく、自分の視点です。

 あなたは、「自分が選択を誤ったから」今の仕事をしているのだ、なんて思い違いをしないでほしい。あなたはこれまでの人生において、自分に良かれと思って無数の選択・決断を繰り返してきているはずである。
 胸を張りこそすれ、決して卑屈になる必要などない。あなたのエゴがどう見るかは勝手だが、あなたの今の仕事は「最善」なのだ。どんなにあなたが騒ごうと反対しようと悪態をつこうと、そこは揺るがない。
 抵抗しても、しょうがない。あなたは、今の仕事が今の時点でのあなたの「最善」であるという絶対の事実の前に、降参するしかない。
 たとえあなたが降参しなくても、宇宙はあきらめない。永遠、という時間の流れの中で、いつまでも待つ。
 向こうさんには、「長い」という感覚はない。だから、待つことに苦痛はない。根負けするのは、時間というものを認識できる「あなた」のほうである。勝負は、最初っから目に見えている。

 たとえるならこの世は、少し変わったレストランのようなものである。
 最初、あなたが客としてテーブルについた時には、あなたは、メニューから好きな料理を選べない。レストラン側の決めた、ある料理が運ばれてくる。
 あなたは、それが好きでなかったとする。そこで、ウエイターを呼んで言う。
「すみません。これ、私好きじゃないんで、別のに取り換えてもらえませんか?」
 しかし、すまなそうにウエイターが返答する。
「お客様、申し訳ございません。当レストランでは、お客様が一番最初にこちらがお出しした料理を平らげられてから、その空のお皿と交換に、次からはお客様のお好みの料理が提供できるシステムになっております。どうかご了承くださいー」

「この仕事は今の私に最善じゃない」という判断は、百パーセント誤りである。
 あなたの今の仕事は、成長のための「あなたへのメッセージ」である。
 視点を変えてみてほしい。そのことを通してあなたに願われている「何か」があるのだ。課題、と言ってもいいもしれない。
 要するに、そういうメッセージを、あなたが受け取らないだけである。狭い見方をしているので、メッセージに聞こえないのである。だから、苦痛や「したくないことをしている」というイヤな思いばかり残る。
 視点ひとつで、あなたの向き合っている映像はガラリと見え方が変わる。荒れ地が、お花畑に変わる。
 本当に荒れ地を工事して現実にお花畑をつくるほどの苦労は必要ない。ただ、見え方だけのことである。

 ユーミンの歌ではないが、「目に映るすべてのことはメッセージ」なのである。
 あなたに「本当の意味での転職」が起きるとしたら、それはあなたが今植えられた場所で、宇宙から受け取るべきメッセージをすべて受け尽くした時だろう。そうしてこそ、次の人生ステージに移行できる。それをすっ飛ばして、今の仕事がイヤ(×)だからもっと自分の好きな仕事がいい(◯)なんて、ムシがよすぎ。そういう甘い願いは、まず大したものを生まないだろう。

 『宇宙からのメッセージ』 第3章 より 賢者テラ:著 日本文芸社:刊

 神の書いたシナリオが完璧ならば、意味のないこと、魂の成長に必要のないことは起こりません。
 つまり、自分に起こることはすべて起こるべくして起こり、すべてに意味があるということ。

 目の前の出来事自体を変えようとしても、うまくいきません。
 その出来事が起こるのにはどんな意味があるのかを考えることが、新たなステージに進むための秘訣となります。

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「この世は、神がつくった“ゲーム”の世界。私たちは、“神の分身”であり、そのゲームのキャラクターである」

 賢者テラさんの世界観は、一般的なスピリチュアルな世界観とは少し異質なもの。
 しかし、その論理は明快で説得力があります。

 果たして、賢者テラさんのおっしゃる通り、意識では現実を変えることができないのか。
 意見が分かれるところではあるでしょう。

 起こる出来事すべては「最善」であり、視点を変えることですべてに幸せを感じることができる。
 賢者テラさんの主張は、「思い通りにならない世界」を生きるための知恵として、本書はとてもためになります。
 まさに、「この世ゲーム」の“攻略本”ともいえる内容です。

「意識万能論」に懐疑的な方、スピリチュアルに新しい刺激を求めている方には、とくにオススメの一冊です。


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