【書評】『専門家はウソをつく』(勝間和代)
お薦めの本の紹介です。
勝間和代さんの『専門家はウソをつく』です。
勝間和代(かつま・かずよ)さん(@kazuyo_k)は、経済評論家です。
アーサー・アンダーセンやマッキンゼーなどの外資系コンサルティング会社を経て独立。
ワークライフバランスや、ITを活用した個人の生産性向上など、幅広い分野でご活躍中です。
「専門家」を疑おう!
長く金融コンサルタントとして活躍し、「経済の専門家」として様々な場面で発言する勝間さん。
自らの経験から、多くの日本人が「専門家」という言葉に弱く、専門家が言ったのだからということで鵜呑みにすることが多すぎる気がする
と指摘します。
記憶に新しいところでは、東日本大震災での福島第一原発事故が思い浮かびますね。
「原発は絶対に安全だ」という、政府や自治体、電力会社の言葉を鵜呑みにしたこと。
それが、放射能の被害を拡大してしまったことは否定しようのない事実です。
「専門家とはいえ、間違うことはある。相手の言っていることの信頼性はどのくらいだろう」
つねにこのようなチェックを行う思考を「クリティカルシンキング」といいます。
クリティカルシンキングとは、直訳すると「批判的な考え方」です。
相手の言うことを鵜呑みにせずに、「自分の頭でもいろいろな視点から考える
こと。
インターネットが普及し、「専門家」の意見があふれている今の時代。
クリティカルシンキングを身につけることの重要性は、これまで以上に増しています。
本書は、「専門家」の「専門知識」と上手につき合うことで、より豊かな人生を送るためのノウハウについてまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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「情報の非対称性」に注意!
「専門家」には、明確な定義も資格もありません。
自分で「専門家」と言ってしまえば、「専門家」になれるということですね。
勝間さんは、どの分野でも「博士号」を持っていることは、問題解決のための実務能力の高さと何の関係もないと言い切っています。
自分の専門分野に特化するほど、「視野狭窄(しやきょうさく)」に陥る危険性があります。
また、ある一分野に精通した「専門家」と私たちの間に知識差が大きくなり過ぎる。
すると、経済学でいう「情報の非対称性」という問題が起こります。
情報の非対称性とは、売り手と買い手の間で情報量に差がありすぎて、買い手が正しい売り手を判断できないことをいいます(情報量の差、ということでは、たとえばお医者さんと患者さんの情報量の差を想像してみてください)。
すると、誠実で弱気な売り手よりは、不誠実でウソつきだけれども即効性を約束するような売り手のほうが、市場では一時的に信用されてしまいます。
典型的な例が、不動産です。不動産業者は毎日不動産情報に接していますが、私たちが不動産を売買することは一生の間でせいぜい数回です。
しかも、電化製品などと違って、商品のばらつきが大きく、売り手しか知らない情報が多すぎるため、それを正直に開示するかどうかで、売り手が自分を、有利にも不利にもできる構造です。
「専門家」と素人の間には、まさしく、これと同じことが起きているのです。相手が素人なら、専門用語でまくし立てたり、小さな違いを針小棒大にさも効果があるように強調することも可能です。『専門家はウソをつく』 第1章 より 勝間和代:著 小学館:刊
薬のCMも、カタカナで難しい成分が配合されていると聞くと、それがどんなものかまったく知らなくても、何となく効きそうな感じがしますよね。
よく分からない専門用語を多用して丸め込もうとする専門家は避けたいところです。
その専門家がどれだけ信用のおける人なのか、裏づけの証拠(エビデンス)をとる。
わからない単語は、インターネット検索などで自分で調べてみる。
とれる自衛策は、しっかりとったうえで判断したいですね。
専門家の陥ってしまう「罠」とは?
専門家も、意図的に私たちを惑わそうとしているわけではなく、なるべく人の役に立とうと考えている人がほとんどです。
それにもかかわらず、「トンデモ」が広がってしまうのには、いくつかの“罠”があるとのこと。
勝間さんは、その中のひとつとして「専門家が持っているパラダイムと異なる、新しいパラダイムに対する無意識の迫害」を挙げています。
なぜ、理論的に、より整合性がとれた地動説が、教会や学者を含めた天動説派の専門家からあれだけ迫害されたのか、なぜ、いまは常識となった、傷の治し方である「湿潤療法」があれだけ当初はやらず、皮膚科の専門家ほど、そのやり方を避難したのか。
あるいは、がん治療の場で、抗がん剤に多くの副作用があるとわかっていても、有効な場面だけではなく、あまり効かないと思われる場面でも使い続けられるのか。これは、新しいパラダイムに対する無意識の迫害
というキーワードで理解できるようになります。
とにかく、専門家は自分の生き残りが最優先事項ですから、自分の専門性を脅かすような新しいパラダイムに対しては、全力をかけて迫害
を行います。
もちろん、当人たちはそれを「迫害」とは思っていません。正当性ある方法を脅かす、怪しい流布として考えているのです。そんなものが広まってしまったら、自分の顧客が「正しい方法」を受けられなくなって、困ってしまうと本気で思っています。
試しに専門家に対して、新しいパラダイムで習ったことを質問してみてください。
多くの専門家は、新しいパラダイムの考え方を「トンデモ」とか、「証拠がない」と、真っ向から否定するはずです。
たとえば、がんが「温灸(おんきゅう)」や「食事」、「吉本のお笑いDVD」で治ると聞いたらどうなるでしょうか?既存の抗がん剤を使っている専門家は困ってしまうわけです。『専門家はウソをつく』 第2章 より 勝間和代:著 小学館:刊
どんなに優れた革新的なアイデアも、世の中の革新につながるまでに長い時間がかかってしまう。
その裏には、このような仕組みがあったのですね。
医学に限らず、さまざまな分野において日々新しい研究成果が世に出ています。
「昨日までの常識が今日の非常識」に変わることもあり得ますね。
つねに最前線にいられる「本物の専門家」と、古いパラダイムの「専門家だった人」の違い。
それは、いかに顧客とともに、一緒にイノベートしていけるか
です。
私たちも専門家に頼るときには、つねに意識しておきたい知恵ですね。
プライベートレッスンの錯覚
専門家に教わる一つの方法として「プライベートレッスン」があります。
専門家に1対1で手取り足取り教えてくれるので、習うほうとしては満足度が高くなります。
プライベートレッスンには、教わる方にも“罠”があります。
やっかいなのは、プライベートレッスンを受け、手取り足取り専門家から教えてもらうことで、私たちも、専門的なことがわかったような気分になる、
できるようになるはず、という「錯覚」を生じてしまう
ことです。グループレッスンより、プライベートレッスンのほうが効果が高いように感じてしまうのです。
しかし、ほんとうに役立つ専門性を持っている人が、たとえば、1時間数千円から1万円くらいで、レッスンをして割に合うでしょうか?あるいは、ほんとうに役立つ専門性なら、ポイントを教えてもらったあとは、私たちが自習をすべきなのではないでしょうか?
つまり、指導してくれる専門家というのは、私たちに考え方ややり方の道筋のポイントを教えてくれる人であって、それができるようになる、自分のやり方に合わせていくのは自分の責任
なのです。そうすると、プライベートレッスンだけでなく、たとえば、グループレッスンで人が押してもらっている様子も見ることで、自分の上達は早くなります。専門家の貴重な時間だからこそ、共同で負担することで、互いにwin-winとなる可能性があるのです。
『専門家はウソをつく』 第3章 より 勝間和代:著 小学館:刊
専門家に1対1で教えてもらうだけで満足してしまう人は想像以上に多そうです。
レッスン一回あたりの金額だけではなく、それに見合った効果が実際に得られているか。
その専門家に継続して教わるかどうかは、そのような観点から判断した方がいいということ。
レッスン一回あたりの金額が高くて、教わる回数が少なくなったとしても、その分「元を取ろう」と真剣に取り組めるというメリットもありますね。
「コーチングの専門家」選びで気をつけること
専門家から教育やコーチングを受けるときに、いちばん高いコストは以下の2つです。
- 習った時間を無駄にしてしまうこと
- 習った内容が再現できないこと
多少高くても、多少混んでいても、1.と2.が起きない専門家に習うことが正解
とのこと。
つい、近くで選んでしまう行動を「利便性消費」といいますが、この利便性消費は、「対象となる製品・サービスの品質にばらつきがないときに向く選択方法」であり、コーチング全般には、実は向きません。
また、私たちは、レストランを選ぶときに「近いから」などの利便性で選ぶことはありますが、大事な会食などは、基本的には「おいしいから」という理由で、遠くにまでも行きます。なぜかというと、私たちは、味がわかるからです。さらに言ってしまうと、同じ価格帯でも、レストランによって味のばらつきがとても大きいことを知っているからです。
なぜなら、レストランはファミレスやコンビニとは異なり、工業製品ではないため、シェフの力量に、味が大きく左右されるからです。レストランでおいしい料理を食べるためには、まさしく、「専門家を見抜く目」が必要だということになります。
同じように、私たちは、レストラン以外でも、その対象となる専門家の腕を見抜くことができれば、その遠くの専門家のところにまで行くのではないでしょうか。
結局、私たちが、なぜ、ありとあらゆる場面で専門家に頼るかというと
- 自分で、無駄な勉強をする手間を省きたい
- 何もかも、専門家に頼ることで、うまくいく魔法の杖がほしい
というような、自分の「弱さ」や「ムシのよさ」が裏側にあると考えています。
しかし、そうではなく、自分が主役であり、その結果、どこまで「自分の努力」が必要で、その上手なガイドやチェックをしてくれるのはどこの誰なのか、見きわめる必要があると考えるべきです。『専門家はウソをつく』 第6章 より 勝間和代:著 小学館:刊
「魔法の杖を持った専門家」なんていない。
よくよく考えれば分かることですが、つい頼りたくなってしまうの人情です。
「誰でもいいから、専門家の意見を聞く」
そんな受け身の姿勢は改める必要があります。
専門家を頼る場合は、「どうしたいのか」「どうなりたいのか」という目標や目的を自分の中に明確に持って、それに見合った専門家は誰なのかをしっかりリサーチすることが重要ですね。
そうしないと、まったくの見当違いのアドバイスを受けて余計混乱してしまう・・・ということにもなりかねません。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
世の中には、膨大な量の知識が蓄積されています。
しかも、その量は今も急激な勢いで増え続けています。
一生かけても、一人の人間が吸収しきれるものではありません。
多かれ少なかれ、専門家の知恵を借りなければならない場面に遭遇します。
どんな専門家の意見をとり入れるのか、困ったときに、どんな専門家に頼るのか。
勝間さんは、それらはすべてが「賭け」だとおっしゃっています。
そして、その賭けの「オッズ」が専門家によってまちまちだということです。
世の中に、絶対に確かなことがない以上、成功する確率が高い方に賭けたいですよね。
専門家選びの「目利き」となるために、ぜひとも読んでおきたい一冊です。
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