本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『才能の正体』(坪田信貴)

 お薦めの本の紹介です。
 坪田信貴さんの『才能の正体』です。

 坪田信貴(つぼた・のぶたか)さんは、コンサルタント・教育家・起業家です。
 自ら設立した坪田塾の塾長を務められ、心理学を駆使した学習法により、これまでに1300人以上の子どもたちを「子別指導」、大きな成果を挙げられています。

「才能」は、生まれつき?

「自分には、才能がない」

 そう思いこんでいる人は、たくさんいます。

「才能」は、生まれつきのもので、一部の人にしか備わっていない、特別なもの。
 そんな考えが世の中に定着しています。

 しかし、坪田さんは、このような常識をきっぱりと否定します。

 才能は、誰にでもある。
 僕はいつもそう言っています。
 しかし、この言葉を素直に信じてくれる人は、とても少ない。「そんなのはきれいごとだ!」と思う方もいるようです。でも、そういう人たちは、非常にもったいないことをしています。せっかく「ある」のに、手に入れようとしないのですから。
 “ビリギャル”のさやかちゃんのような成績だった子どもたちが“一流大学”に合格するのを、僕はこの目でたくさん見てきました。その僕が言うことを、ぜひ信じてください。
 もう一度言います。
 才能は、誰にでもある。
 みんな、その才能をどう見つけたらいいのか、どう伸ばせばいいのかが、わからないだけ
なのです。自分の才能も、我が子や、教え子や、部下や、後輩の才能も。
 そればかりか、多くの人たちは、その才能を潰してしまうことばかりしている・・・・・。このことにこそ、気づくべきなのです。

 そもそも、「才能」ってどういうものなんでしょう?
 僕は学生時代から才能についていろいろと考えてきました。実は、自分のことを「才能研究家」と言ってもいいかなと思うくらい、いろいろなことを試みてきています。
 成績がきわめて悪かった子を、「100%無理!」と周りの全員から言われていた難関大学に合格するまで指導したり、他の会社では採用されないような変わった人を採用して、誰よりも優秀な人材に育成したり。
 “普通の人”は、成績が悪い子に「君なら難関大学に入れるよ。目指そうよ」とは言わないでしょう。“普通の会社”は、「変わった人」「扱いにくそうな人」を採りたがらないかもしれません。
 でも僕は、そんな彼らに限りない才能を感じました。彼らが、周りの人から期待されていなければされていなほど、僕のやる気には火がつきました。これこそ、「才能研究家」の腕の見せどころですから!
 結果的に、『ビリギャル』のさやかちゃんのような、奇跡的な(僕は奇跡だと思っていませんが)結果を残した子どもたちを何人も送り出してきましたし、僕が自分の会社で採用した「変わった人たち」は、その能力を伸ばし、大いに実績を上げています。彼らがどんな人たちなのか、僕がどんな課題を与えて彼らの才能を伸ばしたのかについても、じっくり述べたいと思います。また、“ビリギャルの先生”の印象が強いので意外かもしれませんが、僕は人材育成や組織改革の仕事もさていただく機会が多くありますので、そんなマネジメントの視点も入ってきます。

『才能の正体』 はじめに より 坪田信貴:著 幻冬舎:刊

 本書は、才能をどう見つけて、どう伸ばしていけばいいのか、そのためのノウハウをわかりやすくまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「才能」とは何か?

「才能がある/ない」
「頭がいい/悪い」

 そのような二元的に人を分ける考えは、間違いです。

 坪田さんは、才能というのは、結果でしかないと強調します。

 いわゆる「才能がある」と言われている人たちがいますよね。彼ら、彼女らには共通点があります。
 それは、みんな努力をしているということ
です。
 多くの人たちは、“あまり努力をしなくてもできちゃう人”のことを「才能がある」と言いがちではないでしょうか。
 でも、その考え方が根本的に間違っていることに、僕は気づいたのです。
 人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭が良くて、脳の構造から見てもとても優秀です。つまりすべての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っているのです。
 だとしたら、いったいどこで差がつくのでしょうか。
 たくさんの子どもたちを見てきていえるのは、勉強のやり方が間違っていたり、うまく継続できなかったり、動機付けができなくて意欲が湧かなかったり・・・・・など、いろいろな理由で、上達していかないことがあるんだということです。
 いきなり本質的なことを言いますが、自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身につきません。
「才能がある」と言われている人たちは、
 “その人に合った”動機付けがまずあって、
 そこから“正しいやり方”を選んで、
 “コツコツと努力”を積み重ねている。

 そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。
 周りの人たちは、その人が“努力してきた部分”をすっ飛ばし、目に見えている結果だけを見て「だって地アタマがいい人だからでしょ?」「才能のない自分にはできるはずがない」「才能は生まれつきだから」と頭ごなしに決めつけしまいます。
 しかし、それは間違いです。
「氷山の一角」という言葉がありますが、水面よりも上に出ている部分は、全体の約1割だと言われています。その下の9割に、血の滲(にじ)むような努力があってこそ、氷は浮いていられるのです。

『才能の正体』 第1章 より 坪田信貴:著 幻冬舎:刊

 結果が出たら「才能がある」。
 結果が出なかったら「才能がない」。

 そんな単純な問題ではない、ということですね。

 結果は、あくまで結果です。
 その裏に隠れているもの(やる気、やり方、努力の量など)に目を向けないと、「才能」の本質的な部分は見えてきません。

「行動」を完コピせよ!

 生まれつきの能力は、誰もが持っているものです。

 坪田さんは、能力値の高い人は、単純にそれを効果的に磨いてきただけの話だと指摘します。

「本来は誰もが持っている能力」を伸ばす。
 そのために最初にすべきは、“師となる人”の教えを守って、徹底的に真似をすることです。

 坪田さんは、「真似する」ための方法として頭のいい人の行動を完コピすることを勧めています。

 さて、完コピするときに、一番近道で効果のある方法を教えましょう。
 それは、頭のいい人、できる人の行動を、動画で撮影することです。そして、動画を見ながら、彼のどこに「うまくいくポイント」があるのかを見つけるのです。
「わざわざ動画を撮らなくても、(手帳などに)メモをしたらいいじゃないか」と思う方もいるかもしれませんが、《動画撮影》と《手書きのメモ》は、根本的に大きく違います。手書きのメモには、書く人の主観が入ってしまうので、自分が見たいところだけを見て、大事なことを取りこぼす可能性がある。そのため、メモだけでは、どんなに参考にできることがあっても、勉強でも仕事でも思ったように成績が上がらないのです。
 一方、動画だと、普段“自分の意思では見ていない”ところまで映ります。ですから、後で映像を見ながら分析することができます。映像を丁寧に見て、“頭のいい人”“できる人”が何をどうやっているのかがわかったら、今度は、その行動を完コピする。それが理想です。一番の成功の近道なのでおすすめします。
 もちろん、何時間も動画で撮るのは難しいという人もいると思うので、具体的にどれくらい真似したらいいのかを説明しましょう。
 たとえば、その人が毎朝6時に学校や会社に来るなら、あなたも朝6時に来るようにする。だいたい6時に来るけれど、2日に1回は3分ぐらい遅刻するなら、そこもコピーする。そういう、細かいところまで真似していくのです。すると、その人がやっている行動、挙動、言葉、タイミング、反復性、過剰なところ、抜いているところなど、いろんなことがわかってくる。すると、たとえば自分はちょっと姿勢が悪いかもしれない、とか、「ありがとうございます」を言うタイミングがおかしいかもしれない、といったことがわかるようになります。
 ところで、「できる人の行動を完コピしなさい」と言うと、恥ずかしいと思う人もいるし、そもそも誰かの真似をすることに対して、否定的な人も結構います。
「自分はその人より能力が低いのだから、できる人の真似なんかしても意味がない」と思う人が、わりと多いようです。また「真似をするよりも、オリジナリティを出さなくちゃ」「自分の個性で勝負しないと戦えない」といった考え方をする人もいます。
 しかし、それは間違っています。
 そもそも、人間は一人ひとり違いますよね。身長も違えば声も違う、骨格も関節も違うし今までに受けてきた教育も人間性も違う。なので、どんなに“完コピ”しようとしても、必ずズレが出てくるのです。つまり、どんなに誰かのマネをしても、“あなたらしさ”は出てしまうものなのです。
 それに、基礎がない上にただただ「オリジナリティ」を築いたって、そんなものは、見かけだおしのオリジナリティ。あなたが戦うための武器にはなりません。
 ですから、まずは完コピすべきなんです。
 完コピで、「能力を磨くための基礎」を作るのです。
 完コピを徹底的にやると、必然的にオリジナリティが出てきます。
 僕に言わせれば、それが「個性」です。

『才能の正体』 第2章 より 坪田信貴:著 幻冬舎:刊

 どんなスキルにも、ベースとなる「型」があります。
 それは長年のノウハウの蓄積によって構築され、改良を重ねて洗練されたものです。

 まずは、その「型」を“完コピ”することが、最も効率的な上達法になります。

 いきなりオリジナリティを出そうと我流で頑張っても、うまくいかないということですね。

「信頼関係」を生むことが、才能を伸ばす第一歩

 坪田塾には、「クレド」というものがあります。
 クレドとは、ラテン語で「志、信条、約束」という意味で、坪田塾が何を目指すのか、何を目的とし、何を大事にするのかを、まとめたものです。

「坪田塾」のクレド
 坪田塾は、塾生の可能性を見出し、自主性をはぐくみ、最大限に才能を引き出す教育機関です。私達は、塾生が人生の暗闇に入り込んでしまったときに、一生涯にわたって頼りにしてくれるような灯台としての存在であるために、最高の教育環境とシステムを常に改善し、提供することをお約束します。坪田塾は現代の松下村塾であり、その塾生は世界を築き上げていく人材へと成長します。そのために、我々塾生は、常に物事を多面的に解釈し、問題の解決方法を学ぶ姿勢を持ち続けます。

 社是や社訓、経営理念はどこの会社にもあるでしょう。ですから、同じ会社に勤めている人に「うちの会社の目的ってなんだと思う?」と聞いたら、だいたいは同じような返事が返ってくるはずです。
 しかし「だいたい同じ」と「同じ」はまったく違うもの。
 僕は会社を作る際、一緒に働く人に「同じ」思いを持ってほしいと考えてこのクレドを作りました。「坪田塾の目的はなんですか?」と聞かれたら、0.5秒以内に「クレドの達成です」と言えること、そしてのその内容を理解していることを徹底させようと思ったのです。
 そもそも「会社を作る」とはどういうことか、考えてみてください。
「社会をこんなふうに変えたい」「社会においてこんな存在になりたい」といった思いが最初にあり、それを実現するために才能ある仲間を募っているわけです。だから、その思いを正確に共有しておかねばならないのです。もしそれがちょっとでもズレていたら、3、4年後に大きなズレになっている可能性が大きい。
 坪田塾では、「『塾生』ってどういう意味ですか?」「『可能性』とは何ですか?」「『見出す』ってどんな状態ですか?」といったことまですべて、定義してあります。細かな部分まで徹底的に検証し、自分たちが大切にしていることに“ズレがない状態”にする。
 そうすることで、何が生まれるのか?
 強固な「信頼関係」か生まれるのです。

『才能の正体』 第3章 より 坪田信貴:著 幻冬舎:刊

 クレドは、その組織が存在する上で「核」となる、最も大切なもの。
 だからこそ、曖昧ではいけないし、細部まで徹底する必要があるわけですね。

 多様な人材を抱える組織が、その目的のために最大限の力を発揮する。
 クレドは、そのための扇の要としての役割を果たします。

「感性を磨く」とは、どういうことか?

 坪田さんが、心から尊敬する大好きな方として挙げているのが、ザ・リッツ・カールトン・ホテルの元日本支社長の高野登さんです。

 好きになったのは、今から10年以上前、高野さんのセミナーに参加したのがきっかけです。
 いろんなお話をされていた中のひとつで、「まず一流に触れなさい」とおっしゃっていたことは印象的でした。「1回3000円の居酒屋に10回行くぐらいだったら、それを我慢して3万円貯めて、超一流ホテルのレストランへ1回行ったほうがいい」というようなことを話されていたときに、なるほど! と、スッと腑に落ちるのを感じました。
 一番心に残ったのは、「感性を磨きなさい」という言葉です。
「感性を磨く」。言葉はシンプルだし、何を言っているかはわかりますが、といって、どうしたらいいのでしょうか? いざ磨こうと思っても、簡単に磨けるものではありません。難しくてわからなかった僕は、最後の質疑応答で高野さんに質問したのです。すると高野さんがおっしゃったのは「毎日靴を磨いてください」ということでした。
「なんだ、よくある精神論か」と思った方もいるかもしれませんね。実は僕もそのときそう思ってしまったのですが、これは全然精神論ではありませんでした。
 帰宅したら毎日靴を磨くようにする。すると、スーツにもきちんとブラッシングしたくなる。言われてみたらまったくその通りです。靴をきれいにしたなら、それに見合うようにスーツも手入れしようと思うでしょう。そうやって毎日靴を磨いていると、自分のスーツの手入れも行き届くようになるわけですが、そこから、他人のスーツや靴にも目が行くようになる。そのうち、靴やスーツが毎日手入れされているものかどうかがわかるようになる。もし、今、目の前にいる人が、毎日手入れをしているような人であれば、その人は細やかで、気配りのできる人だから、丁寧な対応をしなければならないだろう。逆に、手入れはしていなくて無頓着のようだけれど、いいスーツを着ているという人は、見栄っ張りで細かいことは気にしないタイプだろう。「毎日靴を磨く」という、ごくごく地味なことを続けるだけで、しまいには、こんなことまでわかってくるようになる。自分で一度でも経験することで、微妙な差に気づくようになる。
 目からウロコが落ちるような思いがしました。
 こうした基礎の基礎を徹底的にやってみることで、いかにその先に大きなものを生むか、という興奮も得ることができました。
 3ヶ月や半年でも、徹底的にやると、あらゆることが見えてくるようになるものです。これが感性を磨くということの真髄でした。
「感性磨きは靴磨きだ、と覚えてね」と言われたこのときに、僕は震えるほど感動して、以来、高野さんの本を読み漁って、行動の完コピを始めることにしました。

『才能の正体』 第4章 より 坪田信貴:著 幻冬舎:刊

 才能を磨く、最も効果のある方法。
 それは、一流の人かやっていることに触れ、その完コピをすることです。

 坪田さんは、ただコピーしているだけのようですが、続けているうちにいつの間にかオリジナリティが生まれてきて、それがあなたの尖りとなっていくと述べています。

 まずは、騙されたと思って、3ヶ月徹底的に真似してみること。
 それが習慣になったとき、今までの自分には、見えなかったものが見えてきます。

「感性を磨く」とは、その繰り返しといえますね。

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「才能」「天才」「地アタマ」「運」。

 坪田さんは、これらを「4大思考停止ワード」呼んでいます。

 才能は生まれついたもの、うまくいかなかったのは、自分の(努力が足りなかった)せいではない。
 私たちは、そんな責任転嫁をしていまいがちです。

 思ったように結果が出ないとき、「才能がないから」と諦めてしまうのは簡単です。
 しかし、本当にそうなのでしょうか。

 自分の能力をすべて出し切ったのか。
 考え得るすべての方法を試してみたのか。
「できる」と、自分を100%信頼しているのか。

 失敗した原因を「才能」のせいにする前に、するべきことはたくさんありますね。

 努力なしに「天才」になった人はいません。
 自分にどんな才能があるのか、すべてわかっている人もいません。

 結果を受け入れ、さらに改善を重ねる。
 その繰り返しだけが、「才能」を磨き上げます。

「才能」や「運」を言い訳にしていいのは、すべての可能性を試み、最大限の努力を人だけです。

 誰もが陥りがちな「才能」という思考停止。
 本書は、そんな“見えないオリ“から私たちを解放してくれるアイデアに富んだ一冊です。

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2 thoughts on “【書評】『才能の正体』(坪田信貴)

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