【書評】『天才を殺す凡人』(北野唯我)
お薦めの本の紹介です。 北野唯我さんの『天才を殺す凡人』です。
北野唯我(きたの・ゆいが)さんは、ボストンコンサルティンググループを経て博報堂に入社され、現在、同社の最高戦略責任者を務められています。
「天才の正体」とは何か?
「あの人には、才能がある」
よく使われる言葉ですね。
では、「才能」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
働いていて 「悔しい」 と思ったことはありますか。 たとえば、 「なんで自分はあの人みたいに器用にできないのだろう」 「なぜ、言いたいことかうまく伝わらないだろう」 「どうして人は理解してくれないのだろう」 そう思うことです。
私はあります。 でも、これはなにも珍しいことではなく、仕事に真剣に向き合う人であれば、人生で一度くらいは「悔しい」「なぜこうなってしまったんだろう?」と思ったことがあるはずです。 そしてこの「悔しい」という感情は、勘違いされがちですが、実は他人ではなく、自分へ向けられた気持ちだと思うのです。言い換えれば 「自分の才能を自分自身が活かしきれていないことへの焦りや悲しみ」 です。だからこそ、人は「もっとできるはずなのに・・・・・」と悔しくなるのではないでしょうか。
だとすれば、問題はこの「才能の正体」です。具体的には、自分の才能とは一体なにか? です。 ですが、冷静に考えてみて「自分の才能はなにか?」を理解することは恐ろしく難しいことです。あなたの才能はなんですか? と聞かれ、その場でストレートに答えられる人は、相当自分自身のことを知り尽くしている人間だけです。ほとんどの人は答えに窮するのではないでしょうか。 この本は、才能を「ビジネスの世界で必要な三つ」に定義し、その才能を活かす方法を段階的に解き明かしていきます。 本書を読み終わる頃には 「どうやって、自分の才能を段階的に高めるのか」 「自分の才能を仕事で活かす、具体的な方法」 「組織が異なる才能をコラボレーションさせる方法」 のヒントが見つかることを約束します。この本に書かれている物語の中には、「天才」と「秀才」と「凡人」の三人のプレーヤーが登場しますが、これは特定の誰かではなく、あなた自身の中にもいる三人です。この三人は殺し合ったり、時に助け合ったりしながら、普段、仕事をしています。
「なぜ、凡人は天才を殺すことがあるのか」
まず、この問いを解き明かすことにしましょう。これによって第一の才能である「創造性」の謎が解けていきます。 さあ、才能を理解し、愛する旅に出掛けてみましょう。
『天才を殺す凡人』 まえがき より 北野唯我:著 日本経済新聞出版社:刊
本書は、あるIT企業に勤める主人公(青野トオル)と、その会社の創業者で社長の上納アンナ、そして、自称「CTO(Chief Talent Officer)」のハチ公(しゃべる犬)を中心とした物語形式で進行します。
才能の正体とは何か? 天才とは何か?
本書は、それをわかりやすく解説してくれる一冊です。 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
「天才」「秀才」「凡人」の関係
「天才」と「秀才」と「凡人」。
北野さんは、人の才能を3種類に分けています。
天才は、独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人
のこと。
秀才は、論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、堅実に物事を進められる人
のこと。
凡人は、感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人
のこと。
天才は、この世界を変革し、前進させる力を持ちます。
しかし、彼らは、変革の途中で、凡人により、殺されてしまうことも多いです。
北野さんは、その理由のほとんどは『コミュニケーションの断絶』
によるもので、これは『大企業がイノベーションを起こせない理由』と同じ構造
だと指摘します。
そう言うと目の前の犬は、三つの箱を描いた(下の図3を参照)。 「まず重要なのは、この三者の関係なんや。何がわかる?」 「天才から矢印が伸びています」 「んだ。まず、天才は秀才に対して『興味がない』。一方で、凡人に対しては意外にも『理解してほしい』と思っている」 「凡人に理解してほしい?」 僕は上納アンナを思い出した。彼女は「凡人」に理解を求めている。そういうことだろうか? ハチ公は続ける。 「天才の役割とは、世界を前進させることや。そして、それは『凡人』の協力なしには成り立たん。ほんで『商業的な成功』のほとんどは、大多数を占める凡人が握っていることが多い。さらに言うと、幼少期から天才は凡人によって虐げられ、苛められてきたケースも多く、『理解されたい』という気持ちが根強く存在しているんや」 まさに、孤独な幼少期を送る天才・・・・・だろうか? たしかに、アインシュタインにせよ、スティーブ・ジョブズにせよ、天才は多くの人から理解されなかった幼少期を送るイメージはある。 「反対に、凡人→天才への気持ちは、冷たいものや。凡人は、成果を出す前の天才を認知できないから、できるだけ排斥しようとする傾向にある。コミュニティの和を乱す異物に見えるんや。この『天才↔凡人』の間にある、『コミュニケーションの断絶』こそが、天才を殺す要因だべ」 「コミュニケーションの断絶・・・・・つまり、話しても伝わらない、と」 「そもそもやけどな、コミュニケーションの断絶は『軸と評価』の二つで起こり得る」
軸・・・・・その人が「価値」を判断する上で、前提となるもの。絶対的。 評価・・・・・軸に基づいて「Good」や「Bad」を評価すること。相対的。
「例えば、君が、サッカーを好きだとしよか。友人はサッカーが嫌いだとしよう」 「は、はい」 「二人は喧嘩した。このときのコミュニケーションの断絶は『評価』によるものや。具体的には相手の考えに対して『共感できるかどうか』で決まる。『鹿島アントラーズが好きだ』という評価に共感できれば、Goodであり、共感できないとBadやで。わかるか?」 「うーん・・・・・なんとなく」 「あかんわ、君。シンプルに、野球が好きか嫌いか。それに共感できるかどうかみたいな話や。これはわかるやろ?」 「あ、なるほど」 「だけどな、この『評価』は変わることがある。例えば、二人は夜通し語り合い、君は『鹿島アントラーズ』の魅力をパワーポイントを使って説明したとしよう。友人はその話を聞いてとても共感したとしよう。この時、GoodとBadの『評価』が変わったわけや」 「なるほど。これが、『評価は変わる』ということですね」 「んだ。こうやって『Good or Badという評価』は相対的である一方で、『共感できるかどうかで、決めること』は絶対的なことや。『評価』は対話によって変わることがあるが、『軸』は変わることがない。したがって『軸が異なること』による、コミュニケーションの断絶は、とてつもなく『平行線に近いもの』になる」
『天才を殺す凡人』 ステージ1 より 北野唯我:著 日本経済新聞出版社:刊
図3.天才・秀才・凡人の関係
(『天才を殺す凡人』 ステージ1 より抜粋)
独創的な発想をする天才の多くが、世の中に受け入れられない。 その根本の原因は、天才と凡人の間の「コミュケーションの断絶」にあるということですね。
多数決は「天才を殺すナイフ」
天才と秀才と凡人。
この三者は、『軸』が根本的に違う。
具体的には、どのような意味なのでしょうか。
「天才と秀才と凡人は、軸が違う?」 「んだ。天才は『創造性』という軸で、物事を評価する。対して、秀才は『再現性(≒論理性)』で、凡人は『共感性』で評価する(下の図4を参照)」 「この三つ・・・・・さっき言っていた三択と同じです」 「より具体的に言うと、天才は『世界を良くするという意味で、創造的か』で評価をとる。一方で、凡人は『その人や考えに、共感できるか』で評価をとる。つまり、天才と凡人は『軸』が根本的に異なるんや」 「だから永遠に話が合わない・・・・・と」 「んだべ」 「でも、そんなの悲しすぎます。きっと話し合えばわかるはずです」 「甘いわ〜。話し合いですべてが解決できるなら、なんで戦争はなくならへんねん。なんで学校のいじめはなくならへんねん。話し合えばすべて解決できるなんて大嘘や。ちゃうか?」 「うっ・・・・・」 「ほんで、本来であればこの『軸』に優劣はない。だが、問題は『人数の差』や。人間の数は、凡人>>>>>>天才。つまり、数百万倍近い差がある。だから、凡人がその気になれば、天才を殺すことはきわめて簡単や。歴史上の人物で、最もわかりやすい例は、イエス・キリストやろな。ビジネスでも同じや」 「ビジネスでも同じ?」 「職場にもおらんか? あまりに才能豊かすぎて、逆に叩かれて潰される人が」 「たしかに。います」 「そうだべ。ビジネスの世界でもそう。AirbnbやUber、iMac。なんでもそうや、革新的なサービスが一番最初に生まれたときは、常に『凡人によって殺されそう』になることがほとんどや。当たり前やな、凡人は成果を出す前の天才を理解できないから」 「でも、そんな簡単に天才が死ぬイメージってないんですが・・・・・」 「ちゃう。凡人には武器がある。天才を殺すことができるナイフを持っている。そのナイフの名は『多数決』なんや」 「多数決?」 「んだ。多数決こそ、天才を殺すナイフとなる」 僕にとっての天才は上納アンナだった。 彼女はまさに、多数決によって殺されようとしている。
『天才を殺す凡人』 ステージ1 より 北野唯我:著 日本経済新聞出版社:刊
図4.天才と秀才と凡人の「軸」の違い
(『天才を殺す凡人』 ステージ1 より抜粋)
そう言われていますが、それは実のところ、凡人の意見を優先させるためのシステムに過ぎません。
世の中から受け入れられるが、当たり障りのない無難なアイデア。
多数決が幅を利かせる今の社会では、そんなものばかりが採用されて、行き詰まってしまいがちです。
天才を『多数決』というナイフからいかに守るか。
閉塞感が漂う、今の日本でも真剣に考える必要がありますね。
「世界の崩壊」を防ぐ人たち
『軸』の違う三つの才能。
それらが掛け合わされないと、組織は存続することはできません。
「コミュケーションの断絶」を防ぎ、三つの才能を併存させる。
そのために活躍するのが、「アンバサダー」と呼ばれる人たちの存在です。
「おめ、不思議ちゃうか?」 「不思議?」 「んだ。もし、この世に三つの才能があったとして、軸が異なるとコミュニケーションが成り立たないとしよう。そしたら、会社なんて、なんで成り立つんや?」 「たしかに。言われてみたらそうです」 「んだべな、実は、コミュニケーションの断絶を防ぐ際に、活躍する人間がいる。『アンバサダー』と呼ばれる人たちや」(下の図13、図14を参照) 「アンバサダー?」 「そや、彼らは二つの才能を掛け合わせた人物や。たとえば『創造性と再現性』『再現性と共感性』というふうにな。 まず『エリートスーパーマン』と呼ばれる人種は、『高い創造性と論理性』を兼ね備えている。だが、共感性は1ミリもない。わかりやすいアナロジーで言うと、投資銀行にいるような人やな」 とにかく仕事ができまくるサイボーグのような人。そういうことだろうか? 僕は話を聞いた。 「次に『最強の実行者』と呼ばれる人は、何をやってもうまくいく、『めちゃくちゃ要領の良い』人物や。彼らは、ロジックをただ単に押し付けるだけではなく、人の気持ちも理解できる。結果的に、一番多くの人の気持ちを動かせ、会社ではエースと呼ばれている。そして、一番モテる」 後輩や周りから好かれ、人をたくさん動かせるリーダー。そんな感じだろうか? 「最後に『病める天才』は、一発屋のクリエーターがわかりやすい。高いクリエイティビティを持ちつつも、共感性も持っているため、凡人の気持ちもわかる。優しさもある。よって、爆発的なヒットを生み出せる。ただし、『再現性』がないため、ムラが激しい。結果的に、自殺したり、病むことが多い」 感性が豊かなクリエイター気質な人。だろうか? 「まず、組織が崩壊していないのは、この『三人のアンバサダー』によるところが多い。良い組織は必ず、お互いの才能を殺し合うのではなく、支え合いながら進化していく。そこで暗躍するのはこの三人や」
『天才を殺す凡人』 ステージ2 より 北野唯我:著 日本経済新聞出版社:刊
図13.コミュニケーションの断絶を防ぐ「三人のアンバサダー」
図14.三人のアンバサダーのスペック
(『天才を殺す凡人』 ステージ2 より抜粋)
三つの才能の橋渡し役、まさに“接着剤”のような存在である「三人のアンバサダー」。
彼らは、まさに世界の崩壊を防ぐ「救世主」ですね。
天才を支える「共感の神」
死を選ぶ天才と、幸せに生き抜く天才。
この両者を分かつものは、何でしょうか。
「それはな、『共感の神』と呼ばれる存在が側にいてくれるかどうか、それにかかってるんや」 「共感の神?」 「んだ。凡人と呼ばれる人の中には、『あまりに共感性が高くて、誰が天才かを見極められる人』がいる。それが『共感の神』と呼ばれる人物なんや(下の図17を参照)。共感の神は、人間関係の機微に気がつく。結果的に、人間の相関図から『誰が天才で、誰か秀才か』を見極め、天才の考えを理解することができる。イメージでいうと、太宰治の心中に巻き込まれた女、がわかりやすいやろな」 「太宰治の心中に巻き込まれた女性・・・・・」 「多くの天才はな、理解されないがゆえに死を選ぶ。だが、この『共感の神』によって理解され、支えられ、なんとか世の中にい続けることができる。共感の神は、人間関係の天才であるため、天才をサポートすることができる」 「人間関係の天才・・・・・?」 「ほんで、実はこれ、人間力学から見た『世界が進化していくメカニズム』なんやわ」 世界が進化していく人間力学・・・・・?
「以前な、とある”めちゃくちゃでかい企業”のえらいさんと話したとき、面白いことに気づきがあった。それは、大企業がイノベーションを起こすために必要なのは、『若くて才能のある人と、根回しおじさんだ』という話やった。『天才と、根回しおじさん理論』やな」 「つまり、天才と共感の神・・・・・だと」 「んだ。言わずもがなやが、大きな企業のほとんどは『根回し』がきわめて重要やろ。新しいことやるには、さまざまな部署に根回ししないといけない」 「僕の会社でもそうです、根回しは大事です」 「だどもな、天才はできへん。なぜなら『創造性』はあるが、『再現性』や『共感性』は低いから、普通の人々を説得できない。骨が折れる。だから、天才がそれを実現するために必要なのは『若くて才能のある人物を、裏側でサポートする人物』。つまり『共感の神』と呼ばれる人物なんや」
僕は初めて聞く話に、足の痛みを忘れていた。 ケンは続けた。 「天才は、共感の神によって支えられ、創作活動ができる。そして、天才が生み出したものは、エリートスーパーマンと秀才によって『再現性』をもらたされ、最強の実行者を通じて、人々に『共感』されていく。こうやって世界は進んでいく。これが人間力学から見た『世界が進化するメカニズム』なんや」『天才を殺す凡人』 ステージ3 より 北野唯我:著 日本経済新聞出版社:刊
図17.天才を支える共感の神
(『天才を殺す凡人』 ステージ3 より抜粋)
凡人の考えが理解できず、根回しの苦手な天才。
『共感の神』は、そんな彼ら・彼女らの力強いサポート役になり得るということですね。
天才のもつ「創造性」。 秀才のもつ「再現性」。 凡人のもつ「共感性」。
これらの能力は、すべての人に多かれ少なかれ、備わったものです。
なのに、なぜ、日本には、天才と呼ばれる人たちが圧倒的に少ないのか。
北野さんは、その理由を若い頃の教育の過程で、自分の中の天才を殺してしまったから
だとおっしゃっています。
ペーパーテスト重視の今の学校教育は、数多くの秀才を創り出そうとするシステムです。
その中で育った私たちは、知らないうちに自分の中に眠る「天才の芽」を摘み取ってしまったということです。
世の中が大きく変わり、これまでの仕組みが通用しなくなりつつある今の時代。
これまで以上に、天才のもつ「創造性」が必要とされるのは間違いありません。
異質なものを排除し、悪しき平等主義がはびこる。
天才の育ちにくい土壌がある日本だからこそ、真剣に取り組む必要があります。
天才を殺さず、その創造性を存分に発揮させる。
本書によって、そんな可能性にあふれた、明るい未来を切り開く組織が次々と生まれることを願っています。
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