【書評】『勝負哲学』(岡田武史、羽生善治)
お薦めの本の紹介です。
岡田武史さんと羽生善治さんの『勝負哲学』です。
岡田武史(おかだ・たけし)さんは、プロサッカーの監督です。
選手時代は、日本代表選手としてご活躍され、引退後は、指導者として日本代表やJリーグチームの監督を歴任し、数々の輝かしい実績を残されています。
2010年ワールドカップ南アフリカ大会では、自国開催以外のワールドカップで初のベスト16入りの快挙を成し遂げられました。
羽生善治(はぶ・よしはる)さんは、プロ将棋棋士です。
19歳で初タイトル、96年には将棋界の「7大タイトル」全てを独占して話題を呼びました。
通算勝率は7割を超え、現役最高の棋士の一人です。
勝敗を分ける“紙一重の差”を生み出すものは?
結果がすべての勝負の世界。
勝者と敗者を分けるのは、ほんのわずかな差です。
その“紙一重の差”は、実際の勝負の舞台でつくのではありません。
それ以前の部分、つまり、哲学や流儀、スタイルなどにあらわれてくるものです。
日本サッカー界きっての勝負師である岡田さん。
将棋界で数々のタイトルを獲得し、「現役最強棋士」との呼び声も高い羽生さん。
サッカーと将棋。
戦いの舞台は違っても、熾烈な勝負の世界で高みを極めた者同士、共鳴するものがあります。
本書は、そんな仮説のもと、両者のそれぞれの勝負哲学、勝負どころの決断力などをテーマにした対論集です。
勝負の世界に身を置く人だけでなく、一般人の「勝負どころ」においても役に立つメッセージがふんだんに盛り込まれています。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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データなしでは勝てない、データだけでも勝てない
プロの棋士は、何百手も先まで読んで最善の一手を指す。
そんなイメージがあります。
しかし、実際には、十手先の局面の予想さえ困難とのこと。
羽生(前略)
というのは、将棋ではひとつの局面で平均80通りくらい指せる手があるといわれますが、その中から次の手の候補を3つくらいに絞ったとしても、10手先の局面は3の10乗で6万通り近くなってしまいます。しかも、相手があることですから、互いに相手の予想を裏切る手、互いの有利性を消す“意表の一手”をくり出しあいます。すると盤面は幾何級数的に複雑化していき、正確に先を読むことなど、たとえ10手先でもほとんど不可能になってしまいます。
つまり、少なくとも実戦においては、「論理」には思っている以上にはやばやと限界が来るんですね。おっしゃるとおり、理詰めでは勝てないときが必ず来ます。でも、ほんとうの勝負が始まるのはそのロジックの限界点からなんです。
岡田 プロの棋士でも10手先の局面は読めないのか。いわれてみれば、そのとおりなんだけど、名人ですら先が読めないというのは、われわれ一般人から見て、ちょっと安心するような心細いような。
羽生 心細いんですよ(笑)。いつも綱渡りをしているようなものです。ただ、データやセオリーの弁護をしておけば、それは相撲でいう立ち合いみたいなものだと思うんです。相撲で立ち合った瞬間に、相手にがっしり両のまわしをとられてしまったら、こちらがどんなに体重があろうが腕力に長けてようがどうしようもないでしょう?
それと同じで、データ分析やセオリー構築なしで“素手”で土俵に上がったら、立ち合いの瞬間に勝敗が決してしまうことにもなりかねません。
とくに情報社会の進展によって、将棋の世界でも、定跡の研究や棋譜の分析が以前とは比べものにならないほど進んでいます。みんながインターネットなどを通じて、いろいろな指し方や戦法を「勉強」できる環境が整っているんです。
そういう時代には、データ分析はもはや勝負の前提条件になっていて、それなしではそもそも勝負の土俵に立てないし、むろん相手とも互角に立ち合うことができなくなっています。
しかし、よりやっかいなことには、そのデータも勝利への必要条件ではあっても十分条件ではありません。くり返しになりますが、勉強なしでは勝てないが、勉強だけでも勝てないんです。『勝負哲学』 1章 より 岡田武史、羽生善治:著 サンマーク出版:刊
実戦では、自分の予想を超えたことが必ず起こるので、マニュアル通りにいくことはありません。
データ分析やセオリー構築だけでは、勝つことはできないということ。
データが役に立たない状況で活躍するのが「ひらめき」や「直感」です。
羽生さんは、普段の対局では平均80通りの手の中から直感的に2つか3つの候補手を選び、そこから具体的なシミュレーションをします。
この場合の直感やひらめきは、経験的でとても構築的なもの。
カンを研ぎ澄ませるのは経験や蓄積で、その層が厚いほど、生み出された直感の精度も上がる
とのこと。
リスクから逃げるたびに、少しずつ、確実に弱くなる
リスクとの上手なつきあい方は、勝負にとってきわめて大切な要因です。
羽生さんは、リスクテイクをためらったり、怖がったりしていると、ちょっとずつですが、確実に弱くなっていってしまう
と述べています。
羽生 長くやっていると、過去の成功体験、失敗体験が経験則として積み重ねられてきますよね。それは危機と安全の境界を見きわめる頼りがいある測定器である反面、安全策の中に自分を閉じ込めてしまう檻にもなります。
経験を積むと、この戦法ではこのくらいのリスクがあるということがかなり正確に読めるようになってきて、リスクの程度や影響度が計算できるようになるんです。すると、どうしても危ない橋は渡りたくなくなります。
つまり勝ちたいがために、リスクをとるより、リスクから身をかわすことを優先するようになる。でも、周囲はいつも変化し、進歩もしていますから、安全地帯にとどまっていると、その周囲の変化にだんだん取り残されてしまいます。
結果、安全策は相対的に自分の力を漸減させてしまうんです。それがイヤなら、積極的なリスクテイクをしなくてはならない。だから私は、経験値の範囲内からはみ出すよう、あえて意図的に強めにアクセルを踏むことを心がけているつもりです。
岡田 リスク排除に熱心になりすぎると、勝負の勢いやスピードを殺してしまいますからね。現状維持はすなわち後退で、ブレーキばかり踏んでいても目的地へはたどりつけない。
羽生 そうです。たとえば将棋には、矢倉、角換わり、振り飛車、横歩取りといったたくさんの戦法がありますが、私にはこの戦法はやらないというものはありません。食わず嫌いは避けて、どんな手であっても、そこに可能性を感じれば試すようにしています。タイトル戦のような大きな舞台でこそ、いろんな戦法を実践したり、相手の得意な形に飛び込んでいくようなリスクを冒しているつもりです。自分で考えても、そこに必要性と可能性を感じたら、かなりの危険地帯にも踏み込んでいく決断をするほうですね。
こちらから間合いを詰めれば、相手の切っ先がこっちの肉を斬ることもありますが、同時に、こちらの刀が相手の骨を断っていれば、それでいいんです。1ミリの差でも勝ちは勝ちで、そういうぎりぎりのやりとりにこそ将棋の醍醐味(だいごみ)があると思っています。『勝負哲学』 2章 より 岡田武史、羽生善治:著 サンマーク出版:刊
自分の得意な土俵でばかり戦うと、そこでしか結果を出せなくなります。
あえて、これまで自分が踏み込んだことのない場所へ乗り込んでみること。
それが自分の実力をつける上で大事だということですね。
勝負でものをいうのは、それまでに積み上げてきた経験です。
リスクを取って負けたとしても、それ自体が貴重な体験となります。
以降の勝負に生かされることになるわけですね。
“アウェイ”に自ら乗り込む勇気をつねに持ち合わせていたいものです。
「勝てるメンタル」には何が必要か
結果を出す選手と、そうでない選手との違い。
そのもっとも大きな要素は、やはり「メンタル面」です。
羽生(前略)
優れた技術をもっているのに結果を出せない、力が伸びない。そういう人はたしかに、メンタル面で弱いところがあるような気がします。
高いレベルの戦いになると、互いにその高い技術を消しあいますから、もっている技術を練習のときのようにすんなりとは出せなくなります。お互いマイナス環境での戦いになるわけで、そのとき勝ち負けを分けるのは心の強さです。
だから技術の根っこには精神があるべきで、メンタルの強い、打たれ強い人間は伸びます。プロの棋士は、対局中の9割は不利な局面について考えているといいましたが、その苦しさの中で粘り強く指し手を考えるにはメンタル面での強度が不可欠です。
打たれ強さとか根気強さというのは、表にはあらわれにくいのですが、それだけに勝負に欠かせない根本条件だと思います。
岡田 あとやっぱり、ポジティブ・シンキングね。「なんとかなる」という前向きな楽観。これもメンタルタフネスに大事な要素です。プラス思考の大切さは言い尽くされた感があるけど、やはり戦いには欠かせないものです。精神的な緊張や萎縮を解きほぐすのに役立つんですよ。高い技術をもっていながら結果が出ない選手は、さっきの話じゃないけど、「またダメなんじゃないか」と気持ちが縮こまってしまっていることが多い。それを解放させるのは練習と、練習に裏打ちされた楽観なんです。『勝負哲学』 2章 より 岡田武史、羽生善治:著 サンマーク出版:刊
打たれ強さ、根気強さ、そして、ポジティブシンキング。
この3つが「勝てるメンタル」には必要です。
スポーツにおけるメンタル面の重要性というと、本番での闘争心や根性などが重視されがちです。
しかし、岡田さんは、普段の心のもち方、勝負への心のもっていき方の方が重要だと述べています。
「深い集中」と「力まない集中」がある
羽生さんは、深く集中するときには段階を踏んで、だんだんその深度が増していくような感覚がある
と述べています。
その感覚を、伝説的ダイバー、ジャック・マイヨールの水深100メートルへの素潜りダイブに例えて、以下のように説明しています。
羽生(前略)
マイヨールほどではありませんが、集中力が深度を増したときは雑念が消え去って、まさに深海のような森閑とした世界にあって時間の観念もほぼ消滅している。そういう状態になることがあります。そういうときは短時間に多くの手が読め、「これだ!」という決断も早い。集中力の持続も長いし、のちの記憶も鮮明です。対局が終わった後も明確な記憶が残っているんです。
岡田 錐(きり)のように一点に向かってするどく深度を増す。そのへんは羽生さんの独壇場でしょうから、別の角度から話をすると、前もいったように、深い集中に対して広い集中もあると思うんです。一点に集中するのではなく全体に集中しているような状態ですね。
現役時代の私はそれほどたいした選手ではありませんでしたが、その「全体視」の能力はけっこうあったほうだと思います。たとえばボールを持った相手と向かいあったときに、チラッと相手の目を見る。その目の感じや動きで、パスを出す方向やタイミングが予測できるんです。そこで、その方向をわざと空けておいて、パスを出した瞬間に奪い取る。そういう「罠」をよく仕掛けました。このとき相手の目だけを見るのではないのです。体全体の動きを見ながら、その中から、ほんの小さな特徴的な動きや素振りを「情報」として拾い上げるんです。
言葉を換えていうと、そういうときの集中は「力まない集中」です。集中しているけれど、執着はしていないというか。何か見つけてやろうと力みが入ると見えなくなってしまいます。しかし、リラックスしているけれど集中もしているという状態がつくれると、相手のディテールから自然に有益な情報が拾えるのです。
これは勝負に臨むときにも必要な条件だと思います。つまり、勝ちたいと思わなくてはいけないが、勝ちたいと力んではダメだということです。『勝負哲学』 3章 より 岡田武史、羽生善治:著 サンマーク出版:刊
一点に集中して、深く掘り下げていく、錐のような「深い集中力」。
視野を広く、全体を捉えて小さな変化を見逃さない「力まない集中力」。
どちらも、勝負の際には大きな力となります。
共通するのは、執着を断ち切り、雑念をシャットアウトすることが必要だということ。
いずれにしても、日々のトレーニングから意識して身につけるしかありません。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
それぞれの分野で超一流まで上り詰め、他の人が成し遂げられなかった実績を残されているお二人。
両者に共通するのは、
- 自分の専門分野だけでなく、幅広いジャンルの話題に関心を持っていること
- つねに相手から何かを学んでやろうという向上心を持っていること。
どんな分野でも、頂点を極めるのは、とても大変なこと。
しかし、それよりも大変なことは「トップにい続けること」です。
つねに新しいものを自分の中に吸収し、成長していこうという意識の高さ。
それが彼らを超一流たらしめていることが理解できます。
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