【書評】『ザ・シフト』(ウエイン・W・ダイアー)

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 お薦めの本の紹介です。
 ウエイン・W・ダイアー博士の『ザ・シフト』です。

 ウエイン・W・ダイアー博士は、世界的に有名な米国の心理学博士です。
 自己啓発分野において多くの著書もお書きになっています。

今こそ人生を「シフト」よう!


 人はみな人生に目的と意味を持ちたいと思って生きています。

 本当にやりたいことは何なのか。
 自分の人生にとって意義あることは何なのか。

 多くの人は、日々の生活で精一杯で、そんなことを考える余裕もありません。
 ダイアー博士は、そんな私たちに「野心から意義のある人生へシフトしましょう」と働きかけます。

 人間の輝かしい人生の中で、誰もが大人になりながら、何度かのシフト(移行)をしなくてはならない時期があります。

 では、ダイアー博士のいう「意義のある人生へのシフト」とは、どのようなものなのか。

 本書は、意味のない人生から、意義と目的のある人生へシフト(転換)するための私たちへの“招待状”ともいうべき一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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すべては「無」から来て「無」に帰る


 最初のシフトは、「命がなかった状態」から「命」を手にする、つまり、目に見えない存在から物質世界へ、という境界を越えるような経験をすることです。

 物理学でいう、形あるものとしてこの世に存在するものはすべて、粒子ではなく、形なき純粋なエネルギーから生み出されているという意味です。
 また、老子のいう「万物の根源は無である」に相当します。

 私たちがどこからやってきたのか、あるいはどこから生まれたのか、という時、いわゆる「私」が肉体のことだけを意味しているとすれば、量子物理学でいう純粋なエネルギーでできあがっています。
 私たちは、あの偉大な「神」や「タオ」と同じエネルギーでできていて、自らの意志で選択も自由にできるはずですが、その選択で、自分をどう表現して生きるのかということよりも、肉体そのものがなくなるところが最終地点だ、あるいは究極だと思ってしまう選択をしてしまうことがあります。
 神を自分から追い出して(Edge God Out)、エゴ(EGO)に導かれたまま一生を過ごすのではなく、この人生の旅での最大の哲学的なレッスンは、自分は生死を超えた永遠の魂の存在だと、まずは意識することなのです。
 肉体とは、精神(魂)の本質であるエネルギーが形をなしたものです。
 本当の自分とは、その形をなした肉体が人生でさまざまなことを経験し、感覚でとらえて、観察して、確立されます。
 自分の本質(本当の自分)を生きるには、エネルギーの声に耳を傾けつつ、聖なる選択として自分が何をしたいと思っているかをきちんと意識しておくことです。
 これは、一時的に住処とする体を持つ間にも、自ら「神」のようになろうと努力したり、美、目的、知恵などを形として芸術的に表現していくことだったりします。
 肉体を持って人生を送るのは、本当の自分が永遠だということとは別の事象であり、ひとつの人生を終えると、私たちは源に戻ってすっぽり包み込まれます。
 老子道徳経に書かれている「回帰するのがタオのあり方なのだ」という有名な言葉の通り、往復旅行をしているのです。

 『ザ・シフト』 第1章 より ウェイン・W・ダイアー:著 島津公美:訳 ダイヤモンド社:刊

 アインシュタインの導き出した有名な式、

 「E=mC2 (E:エネルギー、m:質量、C:光の速度)

 で示されるように、質量とエネルギーは等価であり変換可能です。

 私たちの本質的な部分は、目に見える物質的な体の部分ではありません。
 体を構成する物質をつなぎとめるエネルギー自体で、それが精神(魂)です。

 その精神(魂)が生まれた場所、そして帰る場所。
 それが、「神」「無」「源(ソース)」と呼ばれているものです。

「人の価値は所有物で決まる」という偽り


 第2のシフトは、野心を抱く時期です。
 エゴ、つまり「偽りの自分」の段階です。

 ダイアー博士は、私たちはこの世の中にパーフェクトな創造物としてやってきたのですが、さまざまな理由からこの本当の自分を捨てて、偽りの自分を受け入れるように促されると述べています。

 その結果、「人の価値は所有物で決まる」というエゴの声を信じてしまいます。

 問題は、所有物で自己評価をするようになってしまうと、「もし自分の価値が所有物で測られるなら、それを持たない自分は、自分でない」と思ってしまう点にあります。
 エゴはまるで厳しい監督のようなもので、エゴがある限り、危険ともいえる自己評価をする可能性があります。
 もちろん、自分はこの場所に何も持たずに生まれ、死ぬ時にも何も持っていけはしないとわかってはいても、生きている間はエゴに縛られているかのように、私たちは思いのままに動かされてしまうのです。
 これを受け入れてしまえば、私たちは物に支配されたまま、自分の価値も決めてしまうことになります。
 そして、自分の持ち物がなくなったり、なくなりそうだとおびえて、鬱(うつ)状態に陥ったり、自殺にまで至るのもまれなことではありません。
 老子道徳経の中の私の好きな一節に、
「得ることは失う以上にトラブルを引き起こすが、
 満足したことに失望させられることは決してない」
 という言葉があります。
 このような考え方は、エゴにはとても受け入れられません。
 なぜなら、自分の本質は所有物であり、それがなくなってしまっても満足できるなんてありえない、と信じているからです。
 にもかかわらず、もっともっと、というエゴの声に応えて努力している人が、逆に不幸や苦悩を感じ、結局どんな形で所有物が減っても、自分は失敗者だと思うのです。
 そもそも私たちがやってきて、やがて戻る場所では、幸せや満足を感じるのに所有物など必要ありません。この世に生まれた子は、この満足感、充実感を見せてくれます。

 『ザ・シフト』 第2章 より ウェイン・W・ダイアー:著 島津公美:訳 ダイヤモンド社:刊

 自分の体でさえ、つき詰めればエネルギーによって寄せ集められた「借り物」。
 ですから、自分が所有しているモノもすべて「借り物」です。

 すべてはひとつの「源(ソース)」から来て、そこに帰る。
 だとすれば、「これが自分」「これは自分のモノ」という考えは、エゴが作り出した“幻”です。

「人生の底」とは方向転換へのエネルギーをため込む時期


 第3のシフトは、「偽りの自分から源(ソース)に向けてUターンする心の段階」のこと。
「やってきた場所に帰ること」とも呼ばれています。

 この新たな段階は、エゴが支配している場所から、目には見えない神聖な源(ソース)へと戻ることを意味します。

 では、どのようなタイミングで、この「第3のシフト」がやってくるのか。

 ダイアー博士は、人生の朝から人生の午後や夕方に移る際、今までまったくなかったようなことや、驚くべき状況が起こるなど、野心から意義ある人生への転換(シフト)は、普通は思いがけない出来事とともに起こることが多いと述べています。

 私にとっても、ある意味失敗したことが、精神的な進歩につながったと思っています。
 実際に大きな変化が起こる前には、何かが崩れ去るのが普遍の法則でもあるようです。
 そういった何かが崩れ去ったどん底のような出来事とは、大きくなりすぎたエゴに影響された人生が引き金となった、すごく恥ずかしいことだったりします。そんなことが、私がお酒をやめようと決めた時にも起こりました。
 人によってはそれが、事故であったり、これまで一生懸命に働いて積み上げてきたものすべてをなくすような火事だったり、病気だったり、人間関係が壊れてしまうことであったり、心を痛めるような誰かの死や怪我だったり、何かをあきらめなくてはならない状況だったり、深刻な依存症に陥ったり、破産したり、といったものかもしれません。
 このような人生のどん底ともいえる時期は、エゴに導かれていた人生から目的にあふれた人生へ方向転換する、エネルギーを与えてくれもするのです。
 高校生の時、私は陸上部で走り高跳びの選手でした。
 棒を飛び越えるには、高く飛ぶために踏み切りでできるだけ低くかがむのですが、私にとっては、これがシフトが起こる時のイメージです。
 つまり、低く沈み込むのは、人生の方向転換に必要なエネルギーをため込んでいるようなものなのです。
「すべての不運に隠れているのは、幸運だ」というのがタオの概念であり、不運な経験は価値あるものだと言ってくれているように思えます。
 ピンチがなければ、幸運も価値がなくなってしまいます。

 『ザ・シフト』 第3章 より ウェイン・W・ダイアー:著 島津公美:訳 ダイヤモンド社:刊

 ダイアー博士は、実際には、自分が決めた目的が大きければ大きいほど、人生の底が潜んでいることが多い述べています。

 大きな試練にぶち当たる人ほど「シフト」し、大きな飛躍を遂げる可能性があるということ。

 逆にいうと、今までに経験したことがないような大きな試練やトラブルは「生き方を変えろ」というメッセージと受け止める必要があるということです。

意義ある人生を送る準備


「最後のシフト」は、新たなガイドラインに沿って、生きながらにして源(ソース)へ戻る旅を始めようというものです。

 物質世界との縛りから解放され、同時に源とつながれば、自分の持つ力を超えた導きを手にするチャンスが訪れます。

 では、どうしたらエゴのない源(ソース)に帰り、意義ある人生を歩むことができるのか。

 意義にあふれた人生では、人も自然もそれぞれそのままで完全(パーフェクト)であり、お互いにバランスのとれた状態ですが、仮にエゴが入り込めば、それは成り立たなくなります。
  源(ソース)に従って生きたいと思うのなら、すべてをゆだねなくてはなりません。たとえ残業して、やがてそれが悲惨な結果につながることがわかっていても、エゴは冷笑しかしないのですから。
  本当の私であれば、どうやって人の役に立とうか、と考えるはずです。
  それに対し、エゴは、もっと、もっと欲しい、と満足を知りません。
 エゴの声に応じていると、「ギブミー、ギブミー(ちょうだい、ちょうだい)」と乞うエネルギーを宇宙から受け取ってしまうのです。
 初めはわかりにくいかもしれませんが、よく注意すると、このエネルギーがプレッシャーや心配、ストレスを作り出しています。
 どうしてなのでしょう?
 つねに要求するエゴの声に囲まれたままでいると、そんな要求のない環境を選べるのに気がつかないからです。
「引き寄せの法則」は、どちらの選択肢を選んでも成り立ちます。自分が宇宙に何かを要求すればするほど、それだけ要求されることになり、その逆に、人に与えれば与えるほど、自分に与えられるようになっているのです。
 簡単に言えば、自分が思う姿がエネルギーになるのです。
 つねに、もっと欲しいとばかり考えていると、その分、返さなくてはならないエネルギーも引き寄せてしまいます。
 でも、いつでも与えようという姿勢でいると、自分に与えてくれるエネルギーを引き寄せることになります。
 老子の言葉に立ち返ってみましょう。

 不老をなし遂げ、絶対的な喜びを感じて、永遠に自由になれる。
 何もわけへだてすることなく、徳を積むことが、この境地に至る手段である。

 人に親切に無私無欲を実践すれば、人生に自然と必要な道が調和する。
          ブライアン・ウォーカー『老子化胡経』(HarperCollins)

 『ザ・シフト』 第4章 より ウェイン・W・ダイアー:著 島津公美:訳 ダイヤモンド社:刊

 ダイアー博士は、意義ある人生は、エゴや自己中心的な姿勢でいては決して成し遂げられず、「無私」の状態になることであると強調します。

 私たちが「自分だ」と思っているものは、すべてエゴであり自分ではないもの。
 それらに固執することは、ますます「本当の自分」から遠ざかることになります。

「すべて(の源)は一つである」という観点からものごとを考える。
 それが、エゴの声を静め、より多くを受けとるための秘訣です。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 世界全体がさまざまな深刻な問題を抱えて行き詰まり、先の見えない世の中です。

 これから先どうしたらいいのか。
 そういう不安を抱えている人も多いのではないでしょうか。

 閉塞感を感じること。
 それは、「これまで考え方を飛躍的に変えなさい」というメッセージを受け取ることです。

「一人ひとりはバラバラである」という、個人主義、自由競争主義的な考え方が限界なのは明らかです。
「すべては一つである」という、大きな視野で世界をとらえる考え方に「シフト」しないさい、 という意味なのでしょう。

 本書は、私たちを苦しめる常識や偏見を取り払い、新しい生き方を模索する上で、示唆に富んだ一冊です。


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