【書評】『歩き続ければ、大丈夫。』(佐藤芳之)

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 お薦めの本の紹介です。
 佐藤芳之さんの『歩き続ければ、大丈夫。—アフリカで25万人の生活を変えた日本人起業家からの手紙』です。

 佐藤芳之(さとう・よしゆき)さんは、起業家・実業家です。
 ガーナ大学に留学したことがきっかけでアフリカに憧れ、32歳で単身でケニアに渡り、さまざまなビジネスを立ち上げられます。
 そのうちのひとつ、「ケニア・ナッツ・カンパニー」を世界的なマカデミアナッツ・カンパニーに育て上げたことで有名です。

「今はまだまだ」でいい!


 英語に、「Be somebody,not nobody.」という表現があります。
 日本語に訳すと、「ちょっとしたヤツになりなさい」という意味です。

 若い人はとくに、“サンバディ”を目指して努力しているけれど、「今はまだなりたい自分じゃない」と感じている人がほとんどでしょう。
 佐藤さんは、それを肯定的にとらえ、「そういう感情から目をそらさずに、大切にすることが大事」だと指摘しています。

 10代、20代の若い頃から、自分のやりたいことが明確になっている人はまれです。
 佐藤さん自身、30代までは何かになりたかったけれど、それがいったい何なのか、さっぱりわからなかったとのこと。

 実際に、ケニアでマカデミアナッツの事業を始めたのは、35歳のとき。

 若いということは、移り気で「散漫」なのです。
 人生とは、キラキラと光る破片の集まりです。
 20代、30代は破片を拾う時代。若い頃は、自分に付いているアンテナが反応するに任せていればいいのです。そうして破片を一つひとつ拾っていくうちに、だんだんとキラキラした光が形をつくり始めます。
 私自身の経験からいえば、それまでバラバラだった破片が、50歳をすぎた頃からまとまり、ボールのように丸く輝き始めた。そういう感覚です。20代、30代は目的があるような、ないような、散漫な生きかたをしていたのかもしれません。
 今だからいえますが、俳優や歌手になろうと考えていたこともありました。
 きっかけは、ケニアのシカ市で所属していた地元のラグビーチームでやった演劇。ビルマ戦線を描いた話で、「日本兵の役をサトウにやらせよう」ということになりました。やってみたところ評判になり、今度は街の劇場で上演する話が舞い込んできた。これまた好評で新聞に「あの日本人の演技がなかなかよかった」という批評が掲載されたものだから、「東洋人の役をやらせるならサトウがいい」と、次々に「俳優をやらないか」という相談が寄せられるようになったのです。でも、「東洋人の役を売りにするのははイヤだなあ」と思ったので、この道で「サンバディ」になることはあきらめましたが。
 本当に「サンバディ」になれるなら、何でもよかったのでしょう。
 どういう形で「サンバディ」になるか。
 何に情熱を傾けて生きるか。
 これはそう簡単に見つかるものではありません。運もある。ただ、情熱を傾けられないこと、どうしても好きになれないことを、ムリに理由をつけて続けるのはよくありません。成長しませんし、自分をダメにしてしまいます。私自身、最終的に追いかけるものは、自分のアンテナが反応するまま、とても散漫に物事に取り組んでいくなかで見えてきました。
 今は、「サンバディになりたい」という漠然とした欲求でいい。
 自分のアンテナに反応して、キラキラした破片を拾い集めていけばいい。
 そうすれば、やがて「追いかけたいもの」が見えてくる。
「一つのことを究めなくては」と若い頃からヘンに力んでいる必要はありません。なかには、フィギュアスケートの浅田真央さんや、将棋の羽生善治さんのように、10代から一本道を全力で走り抜ける人がいますが、あのような才能の持ち主は例外中の例外です。世の中の99%の人は、最初は何がやりたいのか自分でもわかっていません。それが、社会に出て、数々の失敗をして、30歳をすぎた頃からようやくおぼろげながら見えてくるのです。

 『歩き続ければ、大丈夫。』 序章 より  佐藤芳之:著  ダイヤモンド社:刊

「人生の出来事にはすべて意味があり、不必要なことは起こらない」という人もいます。
 短期的に見れば、無駄と思えるような経験が、後々に役に立つことは多々あります。

 自分が情熱を傾けられることは何か。それを探し出し、とにかくやってみること。
 その経験が力になります。

「自分のアンテナに反応して、キラキラした破片を拾い集める」
 まさに、そんな生き方を実践してきた佐藤さん。

 本書は、自分のやりたいことに夢中で取り組んで、自らの「夢」を実現し、社会を変えた一人の日本人起業家の生き方をつづった一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「フット・ファースト」で走り始める


 日本人は、「考えてから走り出す」タイプの人が多いです。
 人間は、考え始めると足が動かなくなります。
 万全の安全策を練るため、計画を実行する前に多くの労力を費やすからです。
 何かをするために考えているのに、考えた結果、何もできなくなるのでは意味がないですね。
 佐藤さんは、そうならないよう、『「フット・ファースト」でいきなさい』と強調します。
 とにかく、まずは「足を出せ」ということです。

 地平線の向こうにうっすらと山が見えているところを想像してみてください。
 その山が、どのくらいの標高なのか、岩山なのか、雪山なのか、そもそも歩いていける距離にあるのかどうかも、何一つわからない。ただ、ぼんやりと山がそびえていて、その山に登ってみたいと思っている。走り始める前の気持ちはこのくらいで十分です。
 どうやって山のふもとまで辿りつくのか、どうやって山を登るのか、それは走りながらゆっくりと考えればいい。ジョギングペースで走って、地平線の山から目を離さないようにしていれば、途中で多少回り道や寄り道をしても迷子になることはないはずです。

 もしかすると、世の中には、「走りたい人」と「走りたくない人」がいるだけかもしれません。
「走りたくない人」とは、考えるのも面倒くさいから今のままがいいと、ずっと立ちすくんでいる人、走っている人を眺めて「ああいうふうになったらいいね」といっているだけの人です。また、本当は立ちすくんでいるくせに、いかにも走りだしているかのようにいう人もいます。自分は走れもしないし、走る気もない。それでも「走れ、走れ」と煽(あお)ることだけはする。
 みなさんのまわりにもきっと、そういう人がいるでしょう。私の実感では、社会のなかで実際に走っているのは1割くらい。残りの9割は立ちすくんでいます。みなさんはどちらでしょうか。無理やり「走れ」というつもりはありませんが、もし、走ろうか走るまいか迷っているのだとしたら、フット・ファーストで走り始めてみてください。きっと、あとから「こんなに簡単なことだったのか」と驚くはずです。

 『歩き続ければ、大丈夫。』 第1章 より  佐藤芳之:著  ダイヤモンド社:刊

 遠くにそびえ立つ山頂を目指して、ただひたすらに走って行く。
 どれくらいでたどり着くのか、まったく見当もつかない。
 そんな不安の中、最初の一歩を踏み出すのは勇気のいることです。
 しかし、その一歩を踏み出さないことには、何も始まりません。

自分に「次のチャンス」を与えること


 何かを続けていると、「そろそろ終わりだな」と直感するタイミングが訪れます。
 佐藤さんは、そういうタイミングをさっと捉えて、次の波に乗れるかどうか。こういう感覚は、夢を叶えるために不可欠だと述べています。
 佐藤さんの最も大きな節目は、ケニア・ナッツの創業メンバーの解散でした。

「時」を正しくつかんで次に進む。
 これを実際にやるのは、簡単ではありません。人間、新しいことを始めるよりも、今やっていることを続けるほうが楽なのです。そのせいで「時」を逃してしまう人がたくさんいます。でも、「そろそろ終わりだな」と感じたら、ぜひ躊躇(ちゅうちょ)しないで次の一歩を踏み出してほしいです。
 実は、私がケニア・ナッツを離れることにしたのには、もう一つ理由がありました。それは、「自分を使いきっていない」「このまま終わったら、自分がかわいそうじゃないか」という感覚があったから。幸い、肉体的にも精神的にも健康そのもので、次の仕事を始められる状況にありました。
「Give me another chance.」
 自分自身にもう一度チャンスをあげよう。
 ちょうど、微生物を活用したおもしろい技術があるという話を耳にしました。有機肥料にも活用できるし、トイレや家畜の臭いを取る効果もあるらしい。「これだ」と直感が働きました。これを自分に与える次のチャンスにしよう。
 ほかの日本人社員から遅れること3年。2008年12月、私は会社の株を1株だけ残してタダ同然で手放しました。最後の日には、パーティーも記念品贈呈もスピーチもいっさいやることなく、34年にわたり経営を続けてきたケニア・ナッツをあとにしたのです。未練はまったくありませんでした。
 今でも自宅はナイロビにあるので、たまに会社を覗きに行くと、社員たちが笑顔で出迎えてくれます。ただし、顔は出しても、口は出さない。
 桃栗三年柿八年という表現がありますし、企業の経営ではよく「人百年」といわれます。ケニア・ナッツは2014年で創業40年ですから、まだまだです。人も会社も、これから数十年かけて成長していくのでしょう。
 ケニア人のやりかたで経営して、潰れたら潰れたで仕方ありません。
 でも、私には見えるのです。一面ナッツの木で埋め尽くされた美しい山のふもとで、みんなが楽しそうに仕事をしている。そんな素晴らしい会社の姿が。私が「アナザー・チャンス」を今、力いっぱい活かしているように、働き盛りのケニア人もまた巡ってきたチャンスを100%使いきろうとしている。だから、きっと大丈夫でしょう。

 『歩き続ければ、大丈夫。』 第2章 より  佐藤芳之:著  ダイヤモンド社:刊

 上手くいっていること、夢中になっていることほど、やめるべきタイミングが難しいです。
 それでも、「そろそろ終わりだな」と感じたら、きっぱりと身を引くことが大切です。
 自分の直感を信じて、次のステージへ飛び込む勇気はいつも忘れないようにしたいですね。

ちょっと粗野に、シンプルに!


 日本とアフリカでは、風土も気候も歴史も、そこに住む人間の気質もまったく違います。
  日本が精密な「機械時計」だとしたら、アフリカは「日時計」。

 ケニアの人たちは、朝、太陽が昇って明るくなると活動をし始め、日が落ちると家路につく。
 日本とは比べ物にならないほど、シンプルに生きています。

 佐藤さんは、人間にとって「シンプル」という時、そこには二種類のシンプルがあるのではないかと述べています。

 一つは、華美や贅沢(ぜいたく)の先にある、余計なものを削ぎ落したもの、いわば「洗練されたシンプルさ」です。もう一つは、生まれたまま、あるがままの「素」の状態、これはある意味、ちょっと「粗野なシンプルさ」。
 以前、日本で「ロハス」や「スローライフ」と呼ばれるものがブームになりました。物を大切にしたり、オーガニック野菜を食べたり、ヨガをしたりというようなライフスタイル、そう呼ぶのでしょうか。あれは、「洗練されたシンプルさ」です。確かに美しくてスマートでいいのですが、「こう生きようよ」というメッセージが含まれているようで、何となく押しつけがましく感じます。
 今の日本を見ていて何となく感じるのは、毎日がハレすぎるということ。いつでもどこかでイベントやお祭りが開かれている。いつも何か特別なことをしたり、いったりしていないと、みんなが不安になってしまうのでしょうか。普段は働いて、食べて、寝るだけいう「ケ」があるから、たまにある「ハレ」を楽しめるのに。ちょっとヘンだな、と感じます。生まれたまま、あるがままのシンプルさを生きるほうが、ずっと楽なのに、と。
 私は自分が死んだ時に、まわりの人から「あいつはシンプルに生きてたね」といわれたいものです。地面に木を植えて、実を収穫して、働いて、食べて、寝る。そして寿命を迎えたたら、騒いだり慌てたりせずちょうど老いたチーターが木陰でひっそり息絶えるように静かに死んでいけたら、それが理想です。シンプルとは、そういうものだと思うのです。
 みなさんはどうですか。シンプルに生きていますか。ひょっとすると、今の日本ほどシンプルに生きることが難しい社会はないかもしれませんが、一度、自分が草原のライオンかシマウマにでもなったつもりで、毎日をすごしてみてください。きっと、これまでみなさんの心を占めていたものが、実はそれほど重要ではなかったと気づくはずです。

 『歩き続ければ、大丈夫。』 第4章 より  佐藤芳之:著  ダイヤモンド社:刊

 日本は先進国で技術が発達し、経済的にも恵まれています。
 豊富なモノや情報は、便利で快適な生活を実現してくれるもの。
 その一方、それらはあふれ過ぎると雑音となります。

 社会が複雑になっているからこそ、生き方にはシンプルさを求める。
 それが本当に自分のしたいことに気づくことにもつながります。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 佐藤さんは、現在、ケニアの隣国ルワンダでのナッツ事業の他に、微生物ビジネスの会社を立ち上げ、微生物(菌)による土壌汚染対策などの事業に取り組まれています。
 菌の力で地球をよみがえらせるには、400〜500年かかるとのこと。
 もちろん、その頃には佐藤さんはこの世にいませんし、今存在する人の誰も生き残っていません。

 それでも、やる価値があるからやる。
 佐藤さんの言葉には、有無を言わせない説得力があります。

 全速力で走る必要はありません。ジョギング程度の速さで構わない。
 肝心なのは、前に進む足を止めないこと。
 続けていれば、必ず目的地にたどり着きます。
 いくつになっても、自分のやりたいことに精一杯の情熱を傾け続ける佐藤さんの、今後のご活躍に期待したいですね。


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