【書評】『むなしさ」を感じたときに読む本』(水島広子)

LINEで送る
Pocket

 お薦めの本の紹介です。
 水島広子先生の『むなしさ」を感じたときに読む本』です。

 水島広子(みずしま・ひろこ)先生は、摂食障害、トラウマ関連障害などがご専門の精神科医です。
 5年間、衆議院議員を務められた経験もお持ちです。

「むなしさ」が漂う国で幸せに生きるために


 長引く不況、急速に進む高齢化社会、それに追い打ちをかけた東日本大震災。
 日本は、長い低迷から抜け出せず、いつ頃からか「むなしさが漂う国」となりました。

「むなしさ」は、「◯◯する意味がない」というような感覚のことです。
 水島先生は、むなしさが蔓延(まんえん)すると、社会の活気も失われ、お互いに助け合いながら気持ちよく生きていこう、という雰囲気がなくなってしまいかねないと警鐘を鳴らします。

 時代背景などを考えれば、「むなしさ」を感じるのは、仕方のないことかもしれません。
 ただ、そんな中でも、自分の力に気づき、希望を持って生きていくことはできます。

 むなしさは、「自分の中からやってくる癒し」でしか、手放すことはできません。

 本書は、多くの人が感じる「むなしさ」をタイプごとに分類し、それらを克服するためのヒントをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

スポンサーリンク           

「結果」より「過程」を大切にすること


 水島先生は、人は自分の人生をコントロールできないときに「むなしさ」を感じるものだと指摘しています。
 多くの人は、自分の努力が結果に反映されないと、大きな無力感を持ちます。

 ここで注目したいのは、むなしさをつくる、「結果に反映されない」という部分です。「頑張ったのに・・・・」というとき、そこで軽視されているのが、「頑張った」というプロセス。「むなしさ」につながるのは、成果に向けて頑張った場合です。しかし、成果を気にしながら頑張るのと、成果に向けて楽しんで頑張るのとでは、質が違います。
 そもそも、「成果」というのは他人の評価にゆだねられることが多い、予測不可能なもの。ゴッホをはじめ、とても才能豊かで高名な芸術家として現在知られている人が、実は生前には全く相手にされず、死後しばらく経ってから評価されるようになった、などという話はいくつもあります。
 その人たちは、自らの芸術活動を「評価してもらえないから、やっても仕方がない」「芸術活動には意味がない」などとむなしく感じていたのでしょうか。
 違うと思います。評価がどうであろうと、自分がやりたいことをやり続けたのだと思います。それが、後の時代になって高い評価を受けるようになったのでしょう。
 ここに、「むなしさ」を考える一つのヒントがあります。自分でコントロールできないもの(外部からの評価など)に目を向けている限り、コントロールは他人にゆだねられてしまいます。しかし、自分のコントロール内にあるもの(自分にとってできるだけよいものを作りたい、できるだけ誠実に生きていきたい、日々接する顧客の笑顔を大切にしたい、という気持ちや欲求)に基づいて生きていけば、外部の評価(たとえば給与)がどうであろうと「むなしさ」を感じずにすむと思うのです。
 もちろん、自分に共感してくれる人がいないという意味では若干の悲しさは感じると思いますが、「やって損をした」「もう何もしたくない」というほどの感じ方にはならないはずです。自分はよいものを作った、誠実に働けた、顧客の笑顔に励まされた、など、「むなしさ」を打ち消す力があるはずです。

 『「むなしさ」を感じたときに読む本』 第1章 より  水島広子:著  角川新書:刊

 外部からの評価というものは、自分でコントロールすることはできません。
 そのようなものだけを求めて頑張るのは危険です。

 同じ「頑張る」でも、結果だけではなく、過程にも楽しみを見つけること。
 そのほうが、「むなしさ」を感じるリスクは小さくなるということですね。

むなしさと「今」への集中とは共存できない


 むなしいという感情は、「価値観を変えるべきとき」と教えてくれるもの。
 ですが、それに浸ることは無益です。
 水島先生は、むなしいと感じたら、できるだけ早く「今」に集中することだと指摘しています。

「将来が不安で、お金を貯めることにしか興味がなくなってしまった」
 という36歳男性へのアドバイスとして、以下のように答えています。

 将来への不安は、それが「今」を空洞化させるところに問題の本質があります。「将来が不安で、お金を貯めることにしか興味がなくなった」というのは、現在の自分を明け渡してしまって将来の不安に心を占拠されている状態だと言えます。
 将来の目標のために、今の時間の一部を投資するということはもちろんかまわないのですが、それは「今やっていること」。「今」に中心があって、それが一歩一歩将来に向かって進んで行くのです。
 しかし、「何を楽しみに生きているのかわからない」という状態は、現在が空洞化している証拠。心は将来の心配に向けられており、「今」がないのです。「今」こそが、自分が立つ土台です。
 先ほど、むなしさを手放すには「今」に集中することが必要だということをお話しましたが、不安も同じです。「今」に集中しないと、どこまでいっても安心できず、「もっと、もっと」となってしまうのです。お金が不安を解消してくれるような気がしても、いったいいくら貯めておけば大丈夫なのかがわからないので、どこまでいっても安心はないのです。
 将来に不安を持つのは、誰にとっても当然のことです。それは未知の世界なのですから、「安全が確保されていない」ことを知らせる感情である不安が働くのは、当たり前なのです。
 しかし、何かを心で感じられるのは今だけです。この一瞬、心を安らかにして過ごそう、そして、次の瞬間も心を安らかにして過ごそう、とやっていくうちに、「将来」は次々「現在」になってきますので、常に安心して過ごせる、ということになるのです。つまり、集中すべきなのは「今、この瞬間の安らぎ」だということです。
 考えてみれば、一番「むなしい」人生は、将来のことばかり気にして、ついに「現在」を生きなかった、というものでしょう。「年をとって余裕ができたら」と楽しみをお預けにする生き方は、様々なストレスを生みますし(今を楽しんでいる人を見て腹が立つ、などというのもその一つでしょう)、健康上の理由などでその「楽しみ」を結局味わえないこともあるのです。
 将来に向けて「今」現実的にできる準備をしたら、あとは「今」を生きる、というところに意識を戻さないと、人生全部が空洞化してしまいかねません。

 『「むなしさ」を感じたときに読む本』 第2章 より  水島広子:著  角川新書:刊

 不安の原因は、「今」にはありません。
 まだ起こっていない将来のことを思い悩んでいるから、不安になります。

 将来の不安に心を乗っとられた状態では、自分の人生を生きているとはいえません。
 自分自身を空虚な存在にしないためにも、「今」この瞬間を大切にしたいですね。

「同じことの繰り返し」はむなしい?


 同じことを繰り返し、刺激に乏しいと感じる人生を「むなしい」と感じる人は多いです。
 ただ、「同じことの繰り返し」といっても、厳密には違います。

 水島先生は、「同じこと」というとらえ方そのものが、実は自分が下している評価にすぎないと指摘しています。

 毎日乗る通勤電車、職場までの道のり、職場での仕事の内容、といったものは、確かに「同じこと」でしょう。
 しかし、それをこなす自分自身は明らかに前日よりも一日年をとっており、一日分知識が増えています。駅や道で行き交う人も、いつも違うはず。街路樹も、気づけば様子が変わっているもの。空気の香りも、季節によって、またその日の天候によって、ずいぶん違うものです。「同じことの繰り返し」と思っているときには、そういったものに目が向いていないという証拠でもあるのです。
「今日は昨日と違う日にしてみよう」と決めてみると、仕事の仕方も変わってくるでしょう。これも、主役を自分にするということ。実際にいつもと違うところで昼食をとってみるなどということもよいでしょうが、それ以上に、「今日は昨日よりも、集中して仕事をしてみよう」「今日は昨日よりも、誠実に人と向き合ってみよう」「今日はいつもと同じ定食でも、一つ一つの食材を味わってみよう」などと、自分が日々成長する存在なのだということを意識できるようなやり方もよいと思います。
 あるいは、「一日一善」のように、「毎日一つは与える行為をしてみる」というのも、生活に温かさと張りをもたらします。
 同じことをするのでも、「毎日同じことを繰り返し」という意識で行うのと、「大切な日常」という意識で行うのとでは、自分の気持ちが全く違うはずです。
「自分がほしいものを人に与えてみる」ということついてはこれまでにもお話しましたが、私たちは、物事に向けるエネルギーを、自分でも受け取っているものです。「どうせこんな毎日」と思いながら毎日を過ごしていると、「どうせ」というエネルギーが自分にも降りかかってしまい、「どうせこんな自分」「どうせこんな人生」という気分になってしまいます。
 でも、確実に寿命は一日ずつ減っています。死ぬまでに食べられる食事の回数も、確実に減っていきます。80歳まで生きるとするとだいたい何回、と概算できるはずです。すると、一回ずつの食事も、貴重に思えてくるでしょう。つまらないものでとりあえず空腹を満たすのが、もったいなく感じられるようになるのではないでしょうか。
 もちろん食事だけでなく、あと何日仕事に行けるのだろうか、あと何回入浴できるのだろうか、あとどのくらい家族と一緒の時間を過ごせるのだろうか、と、「人生には限りがある」ということを認識すると、ベルトコンベアみたいに感じられていた毎日が、もっと主体的なものになるはずです。
「主体的になること=むなしさからの解放」でしたね。

 『「むなしさ」を感じたときに読む本』 第3章 より  水島広子:著  角川新書:刊

「同じことの繰り返し」というのは、本人の思い込みに過ぎません。
 その思い込みが周りへの関心を奪い、「むなしさ」を助長しています。

 日常を「退屈だ」「つまらない」と思うか、「幸せだ」「楽しい」と思うか。
 それは、一人ひとりの意識の問題だということですね。

人生に意味を与えるのは「自分」


 水島先生は、「自分は何のために生きているのだろう」という考えは、むなしさとつながりの深いものだと指摘しています。

 実は、「何のために?」という目的意識は、むなしさにつながりやすいと言えます。なぜかと言うと、すぐに答えが見出だせるものが少ないからです(「自分はなんのために生まれてきた?」などというのは、答えが見つからない問いとも言えますし、何かをきっかけに答えが出たとしても、すごく時間がかかりますね)。「何のために?」が見えないままに何かをするということは、むなしい作業になりがちです。「意味がない」という感覚と「むなしさ」はとても近いところにあるものです。
 もちろん、「何のために?」がわかれば(特に「何のために?」を自分で考えた場合は)、自分でもいろいろ工夫できますし、すっきりした気持ちで物事に取り組むことができるでしょう。しかし、組織に属していると、「何のために?」がわからない仕事も多いはずです。
 そんなときにむなしさから解放されるためには、「プロセスを重視する」ことです。
 これは、人生に当てはめてみるとわかりやすくなると思います。人間が、ただ生まれてただ死ぬ、というふうに人生をとらえると、それはとてもむなしいものです。「どうせ死ぬのに、なんのために生きるのだろう」ということになるからです。
 しかし、実際には、生まれてから死ぬまでの間には、多くの出来事ややりとり、心の動きや成長があります。そのような「人生におけるプロセス」の多くに意味があるということは、他のことにも当てはめやすくなるでしょう。
 何のためにしているのかはわからなくても、「きっと何か意味があって生かされているのだろう」と思えば、そのプロセスを楽しんだり誠実に行ったりすることはできます。そして、最終的に、そんな人生に満足して死ぬ人が多いということは注目に値します。「何のために?」はわからなくても、「自分は十分にやった。十分に愛したし愛された」と思えるからです。

 『「むなしさ」を感じたときに読む本』 第4章 より  水島広子:著  角川新書:刊

 人はいつか必ず死に、持っていたお金やモノ、社会的地位はすべて手放すことになります。
 それを「すべてを失う」と考えると、人生は意味がないもの、むなしいものに感じますね。
「何かのために生きる」ことだけが意味のある人生ではありません。

「ただ生きていること」「生かされていること」に意味がある。
 そう感じられることが、むなしさから解放される生き方の秘訣です。

スポンサーリンク           

☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

「何をしても変わらない」
「何をしても無駄だ」

 今の日本には、そんなあきらめムードが蔓延しています。

 自分の感じている「むなしさ」を周りの環境のせいにするのは簡単です。
 しかし、それではいつまでたっても「むなしさ」から解放されません。

「むなしさ」を感じることは、自分自身が空っぽになっている証拠です。
「むなしさ」からの解放に必要なのは、ちょっとした発想の転換であり、視点の変化です。

 無力感を感じて、行き詰まっている多くの人に読んでもらいたい一冊です。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ(←気に入ってもらえたら、左のボタンを押して頂けると嬉しいです)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • 15

フォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA