【書評】『年収150万円で僕らは自由に生きていく』(イケダハヤト)
お薦めの本の紹介です。
イケダハヤトさんの『年収150万円で僕らは自由に生きていく』です。
イケダハヤト(いけだ・はやと)(@IHayato)さんは、ブログを中心とした情報発信活動で生計を立てる、いわゆる「プロブロガー」です。
ツイッター上での歯に衣着せない発言が物議を醸して「炎上」することもしばしばですが、若者世代のオピニオンリーダーとして注目を集めているお一人です。
「お金のために働く」は、時代遅れ?
本書のタイトルは、かなり刺激的です。
「自由に暮らしていくためには、収入は高いほどいいのでは?」
「そもそも、年収150万で普通の生活ができるのか?」
今の日本社会に慣れきってしまった人は、そう思ってしまうでしょう。
それに対し、イケダさんは、「お金のために働く」のは時代遅れになっていく
と主張しています。
年収150万円ということは、月当たりだいたい10万円程度生活しなければなりません。
しかし、シェアハウスや郊外の安い物件に住み、外食を抑えて自炊する、移動に自転車などを使うすれば、十分実現可能です。
実際にこのような生活をするかどうかはともかく、この試算結果は、私たちを「お金の呪縛」から解き放つきっかけになります。
本書は、「お金絶対主義」の今の世の中に疑問を投げ、これからの時代の幸せな生き方を示唆する一冊です。
印象に残った部分をいくつかピックアップしてご紹介します。
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「貧乏がデフォルト」の時代がやってきた!
イケダさんは、1986年生まれ。
物心ついた頃にはすでにバブル経済は終わっていて、「失われた20年」の真っ只中に放り込まれた世代です。
「好景気」とはどんなものかを、まったく感じることなく育った彼ら。
かつて経験したことのないような長く底の見えない現在の不景気も、自然と受けいることができています。
イケダさんの考え方も、世代を反映したもので、過去の時代と比較すれば、これからの時代、「貧乏」は間違いなく前提となる
と述べています。
僕らにとって貧乏は「デフォルト」である
とまで言い切ります。
今までどおり年収1000万円を目指すのもクールなのかもしれませんが、大多数にとっては、年収200万で楽しく生きる道を模索するほうが現実的になっていきます。一億総中流ならぬ、「一億総貧乏社会」がこれから訪れると思っておいたほうがいいでしょう。「思っておいたほうがいいでしょう」という曖昧な言葉を使ってしまいましたが、あくまで「貧乏」は心構えの話です。実際に右肩上がりになればハッピーで文句なしですし、日本社会にとってもそのほうがよいでしょう。
しかし、「あと10年、この会社で耐えて部長になれば年収1000万円だ」と期待して、いざリストラになんかあった日には、精神的な喪失感はかなり強烈です。
(中略)
「大企業で一生安泰」なんて非現実的な夢を見るのはあきらめましょう。これからは、「まぁ150万あれば人ひとりなら生きていけるしな」と、ある種のあきらめを常に維持し、たまたま年収500万なり1000万なりを稼げたとしても、あくまで「棚から牡丹(ぼた)餅」的なハッピーと捉え、プチ贅沢で150万暮らしを250万暮らしに「一時的に」変えてみる、という生活態度のほうがよほど合理的です。
約40年後の2050年には、日本の人口は9500万人台になり、その高齢化率は約40%にのぼるそうです。そうした長期のトレンドを鑑(かんが)みれば、日本人の年収が今までどおり右肩上がりという「妄想」を抱くほうがクレージーだと僕は思います。少子高齢化も進む一方ですし、今よりも金銭的には貧乏になっていく、ないし、どれだけよくても横ばいが続くと考えるほうが自然です。『年収150万で僕らは自由に生きていく』 1章 より イケダハヤト:著 星海社:刊
日本経済が元気だった時代を知る人ほど、このような考え方は受け入れられないでしょう。
「バブルの亡霊」に取り憑かれ、会社にしがみつき収入を上げようと必死に働いている。
そんな人はいまだに多いのかもしれません。
「草食系」とも揶揄されている、今の20代。
おとなしく見える外見からは想像できない、「寒さ」への耐性としたたかさを秘めています。
このまま「氷河期」が続くとすると、生き残るのは、間違いなく彼らの方でしょう。
知識や経験を公開して人とつながる
イケダさんは、ツイッターやブログで自分が得た知識や経験を積極的に公開しています。
その頻度と量は、半端なく多いです。
情報を発信することによって、まだ見ぬ誰かの手助けをしたいから
というのがその理由です。
自分の得た知識や情報は、自分の中にしまい込む。
そして、周りに手の内を見せないようにする。
それが、今までのビジネスで勝ち残るための鉄則でした。
しかし、イケダさんは、これからの時代、手の内をオープンにして積極的に発信していくことで、周りの人と繋がり、ビジネスが展開していく
と強調します。
不思議なことに、自分の頭の中、ビジネスの手の内をオープンにすると、人とのつながりが発生してきます。自分が何かを与え続けていくと、いつのまにか、たくさんのものを周囲からもらえるようになります。
僕はそうして生まれる直接的なつながりの中で、ビジネスを行っています。自分をオープン化するメリットは多岐に及び、例えば僕の場合だと、
●営業をしなくても、ブログ・ツイッター経由で講演依頼、執筆依頼が舞い込んでくる
●ブログでのレビューを期待して、本や食品が送られてくる
●ブログでのレビューを期待して、市場投入前のサービスを先行体験できる
などが挙げられます。
言わずもがな、これらの仕事やモノ、サービスを自分で獲得しようとしたら、かなりの金銭的、時間的コストが掛かってしまいます。
(中略)
ただし、お金が絡まないからこそ、そのつながりは厭わしいものにもなりえます。例えば献本を頂くときも、「貰ったしレビュー書かなきゃな・・・」という意識が自分の中に勝手に芽生えてしまいます。これは自分のお金で本を買ったときには、ありえない感情でしょう。お金が介在しない場合は、「助け合い」の文脈に囚われてしまうのです。『年収150万で僕らは自由に生きていく』 2章 より イケダハヤト:著 星海社:刊
イケダさんは、人とつながるのが嫌なら、今まで通り、お金を払いましょう。お金を払いたくないのなら、自分を「オープン化」し、人と積極的につながりましょう
と提案しています。
どちらの働き方が幸せになれるでしょうか。
インターネットやソーシャルメディアを通じた空間を超えた繋がりは、今後さらに増え続けるでしょう。
これからの時代、働くすべての人がこの選択を迫られることになります。
「問題意識」に着目して働こう
イケダさんは、日本のビジネスパーソンの多くは、問題意識が欠如し、つい、自分のため(お金のため、スキルのため)にしか働かなくなり、やりがいを感じにくくなっているのでは
と懸念しています。
問題意識は、はじめはあったとしても、時間とともに問題が解決され、希薄になっていくこともあります。今のように流れが早い時代では、そうした状況はごく普通に起こりえます。皆さんの仕事はどうでしょうか?
働くモチベーションを、「お金のために働く」から「問題を解決するために働く」に切り替えましょう。僕たちは死ぬまで働かなくちゃいけないんです。金のために嫌な仕事を我慢して、一生を終えるか。低年収かもしれないけれど、やりがいを感じられる、いきいきと取り組める仕事に取り組んで一生を終えるか。後者のほうが、より人間的で、自分の人生を生きた感じはすると思います。
問題意識がうまく見つからない人は、「会社」を抜け出し「社会」に出ましょう。今なら被災地でのボランティアがおすすめです。きっと皆さんのスキルの生かしどころを見つけることができるでしょう。社内では全く評価されなかったとしても、自分が素晴らしいスキルを持っていることに気づけるかもしれません。
限られた人生、お金のためにだけに働くなんて、つまらないじゃないですか。年収半分かもしれないけれど、死ぬまで働くかもしれないけれど、自分が意義を感じられる仕事に取り組みましょう。
僕が提唱したいのは、仕事における「脱お金」なんです。『年収150万で僕らは自由に生きていく』 5章 より イケダハヤト:著 星海社:刊
イケダさん自身、「プロボノ(知識的な労働を行うボランティア行為のこと)」活動を今でも積極的に行っています。
ボランティアである「プロボノ」から、仕事上の繋がりができることも多かったといいます。
働くモチベーションを、「お金のために働く」から「問題を解決するために働く」に切り替える。
そのような発想の転換が、これからの時代を楽しく生きるために必要なのかもしれません。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
本書のタイトルは、突拍子もない奇抜なアイデアのように見えます。
しかし、実際に読んでみると、現実をしっかりと見据えたとても理にかなっている、というのが第一印象です。
イケダさんの考え方がどの程度、彼の同世代と重なるものなのか分かりません。
しかし、このような考え方に多かれ少なかれ、共感する人が多いのは確かでしょう。
30代も、インターネットやソーシャルメディアの扱いだけでは、「デジタルネイティブ」といわれる20代以下の世代には、到底太刀打ちできません。
彼らにはないもの、例えば、それまでの人生で培ってきた「経験」。
それらの財産を活用し、ソーシャルメディアと融合させて発信できないか。
そのようなことを、真剣に考えるべきなのかもしれません。
長引く不況の中でも、インターネットという武器を手に、したたかに生きる20代の若者。
デジタル化の波に乗り遅れて、「バブルの夢」から醒めることのできない、彼らの親の世代である40代以上の人たち。
両者の間の「ギャップ」の大きさは、とてつもなく大きいものだということを、改めて実感させられました。
「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」ともいわれる私たちの世代に求められているもの。
それは、その両世代のギャップを埋める役割でしょう。
そんなところに目をつけて活躍の場を自ら求めてみる。
それも、「やりがいのある幸せな働き方」を探し出すヒントになるかもしれませんね。
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