【書評】『地雷を踏む勇気』(小田嶋隆)
お薦めの本の紹介です。
小田嶋隆さんの『地雷を踏む勇気』です。
小田嶋隆(おだじま・たかし)さんは、コラムニストです。
大学卒業後、食品メーカーに入社しますが、馴染めずに1年ほどで退社。
その後は、小学校事務見習いやラジオ局のアシスタントディレクターなどを勤めて、テクニカルライターに落ち着きます。
現在は、自称「ひきこもり系コラムニスト」としてご活躍中です。
今、必要なのは、「地雷を踏む勇気」
「地雷を踏む勇気」
小田嶋さんは、本書のこのタイトルについて、以下のように述べています。
コラムニストにとって、時事ネタは時に地雷になる。時間軸に沿ってその意味を変える主題は原稿の賞味期限を短くするものだし、政治的な話題を扱うためには、文章上の技巧を云々する以前に、結果を顧みない思慮の浅さみたいなものが必要だからだ。
とすると、タイトルは「地雷を踏む思慮の浅さ」でも良かったようなものだが、それではいかにも語呂が悪い。それに、今年80歳になる母親が「地雷を踏む思慮の浅さ」を出版する息子の将来について悲観するかもしれない。
なので、タイトルは、ちょっとカッコをつけた形に改めた。ご理解いただきたい。
『地雷を踏む勇気』 まえがき より 小田嶋隆:著 生きる技術!叢書:刊
日本の社会には、「見えない地雷」が、至る所にゴロゴロ転がっています。
空気を読み間違えたり、思わず口を滑らせたりして、それらを踏んでしまう。
すると、たちまち爆発して、大ダメージを受けます。
しかし、小田嶋さんは、その地雷を避けようとするどころか、密集地域の最前線に、わざと突入しているようです。
バッシングを恐れずに、堂々と言いたいことを言う。
その姿勢に、“爽快感”すら感じさせます。
本書は、ウェブマガジン「日経ビジネスオンライン」上で連載中のコラム「ア・ピース・オブ・警句」のために書いた原稿を一部編集してまとめた一冊です。
このコーナーは、スポーツから政治まで、その週に起きた出来事について、週刊で連載するコラムですが、いずれも風刺に富み、時にピリリと辛いスパイスを利かせた文章は各方面で評判です。
いくつかピックアップしてご紹介します。
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「原発問題」について
原発問題についても、かなりユニークな意見を述べています。
昨夏の電力不足の際、読売新聞社は、社説で「潜在的な核抑止力として機能している」原子力技術技術の衰退を防ぐためにも「脱・原発」は回避すべき、との論を展開しました。
小田嶋さんは、このことに噛み付いて、以下のように述べています。
原子力は男の世界だ。学者も作業員推進者も官僚もほとんどすべて男ばかりの、いまどき珍しいガチガチなサークルだ。
そういう著しく男密度の高い場所では、「怖い」という言葉は、事実上封殺される。誰もその言葉を口にできなくなるのだ。
でなくても、一定以上の人数の男が集まると、その集団は、必ずチキンレースの原理で動くようになる。
なぜなのか、理由はよくわからない。が、経験的に、必ずそうなる。
とすると、原発を止めるための理屈は、「怖い」ではいけないことになる。
マッチョな男たちの心をとらえるもっと魅力的な理屈を誰かが発明しなければならない。
その言葉を見つけるのは、とても難しい。
この度、読売新聞社は、原子力技術の将来を案ずるあまり、うっかり本音を漏らしてしまったのだと思う。
「君らは色々言うけどさ、原発を持っているとそれだけで周辺国を黙らせることができるんだぜ」
という、このどうにも中二病なマッチョ思考は、外務官僚や防衛省関係者が、内心で思ってはいても決して口外しない種類の、懐中の剣の如き思想だった。
が、一方において、中二病は、彼らの「切り札」でもあったわけだ。
『地雷を踏む勇気』 第1章 より 小田嶋隆:著 生きる技術!叢書:刊
「中二病なマッチョ思考」ですか。
なるほど、言われてみれば、そんな感じがしないでもないですね。
妙に納得させられます。
「スーパー・クールビズ」について
昨夏、省エネ意識を高めてエアコンの設定温度を上げようという意図から、クールビズを更に進めた「スーパー・クールビズ」という言葉が生まれました。
小田嶋さんは、オヤジ連中の歓心を買わないから「スーパー・クールビズ」は定着しないだろう
と指摘します。
クールビズ問題は、ファッションの問題ではない。体感温度の問題でもない。エアコン設定温度の問題でもなければ、省エネルギーの是非でもない。オフィスにおけるあらまほしき服装をめぐる問題は、職場のヘゲモニーの物語であり、地位とディグニティーと男のプライドを賭けたパワーゲームであり、結局のところオヤジがオヤジであるためのマインドセッティングの問題だ。
(中略)
クールビズがダメなのは、地位を表現していないからだ。
表現しないどころか、無神経なカジュアルは地位を逆転させる。
Tシャツやアロハみたいな衣服は、素材感や高級感よりも、より率直に、着ている人間の体型をありのままに描写する。と、若い社員ほど魅力的に映る結果になる。こんあものを会社が公認するわけにはいかない。すらっとしていて無駄な肉がついてなくて、機敏でセクシーでしなやかな部下に対して、だぶだぶのぶよぶよでよたよたした鈍物のオレが何を命令できるというというのだ? できっこないじゃないか。
『地雷を踏む勇気』 第2章 より 小田嶋隆:著 生きる技術!叢書:刊
身も蓋もないことを、あっさりと言ってくれます。
日本の社会において、男のエレガンスは「値段」と「肩書き」。
それ以外に拠り所はない。
だから、見た目で階級が分からなくなる「スーパー・クールビズ」などもってのほか。
ごもっとも、納得です。
「男の草食化」について
近年、盛んに使われている「草食系男子」という言葉。
小田嶋さんは、これにも大きな違和感を持っています。
女性の立場から男の草食化を嘆く文脈で書かれるテキストも、この2年ほどの間にずいぶんと大量生産された。
私は、この方向からのものの言い方も、評価しない。率直に言えば浅ましいと思っている。
交際には、それぞれに固有の駆け引きが介在しているものだし、人と人との関係は、男女のそれに限らず、簡単に一般化できるものではない。その意味では、草食系男子の増加を嘆く論陣を張る女性があることは別に奇異なことではないし、その種のサービス記事を真に受けて真剣にわが身の将来を懸念する女性読者が生まれるのも無理からぬところなのだろうとは思う。
でも、そうだとしても、「あたしは羊」「あたしはおいしい肉」「男なら私を狙うべき」という自意識には救いがたい傲慢と依存が宿っている。このことはどうやっても否定できないと思う。私は気味が悪い。冗談じゃない。どうしてオレがあんたを狩らなけりゃならないんだ? それに、昨今の男子が恋愛に消極的なのが事実であるのだとして、その理由は、彼らが草食化したからだとは限らない。肉の方が腐っているからというふうに考えることだって可能なはずだ。女性の腐肉化。腐肉系女子。うん。撤回する。でも、自分が草より上等だと考えるのは思い上がりだぞ。
『地雷を踏む勇気』 第3章 より 小田嶋隆:著 生きる技術!叢書:刊
いろんなところから、批判の矢が飛んできそうな文章です。
地雷どころではありませんね。
賛否はともかく、ここまではっきり言ってくれると、読んでいるほうも清々しいです。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
たしかに、小田嶋さんの考えは、多数派に受ける、常識的なものではありません。
でも、どの文章にも小田嶋さんなりの思想があり、筋の通った一貫性があります。
ブレない芯の強さが、文章自体に説得力を与えます。
地雷くらいでは吹き飛ばない、頑強さを生み出していますね。
しっかり考えられた上での意見なので、読んでいて気持ちがいいし、納得させられるものがあります。
今の日本に必要なのは、小田嶋さんのような「地雷を踏む勇気」を持って、自分なりの価値観を表現できる人。
これからのご活躍にも期待したいです。
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