【書評】「響き合う関係」(マツダミヒロ、WAKANA)
お薦めの本の紹介です。
マツダミヒロさんとWAKANAさんの『響き合う関係 風の時代に育むパートナーシップ』です。
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マツダミヒロさんは、質問家・ライフトラベラーです。
「魔法の質問」を主宰され、国内外で講演・企業研修・執筆をされています。
WAKANA(わかな)さんは、感性のライフスタイル提案家・アートセラピストです。
「自分を信じて、心地よく生きること」をテーマに、五感を大切にしたライフスタイルやセラピー、ワークショップを展開されています。
「風の時代」は、感性が羅針盤になる!
著者は、誰かが決めた「正解」を生きるのではなく、自分の感覚に素直に従って生きていく。そんな時代が、静かに、でも確かに始まって
いると指摘します。
2020年12月、木星と土星という大きな星が大接近する「グレートコンジャンクション」が起き、長く続いた「地の時代」から、「風の時代」へと移行
しました。
「風の時代」へ移行し、地球全体の空気感や、私たちの価値観も、大きく変わって
いきました。
では、風の時代って、どんな時代なんでしょう?
それまでの「地の時代」では、安定した職業、マイホーム、肩書きやお金ーー形あるものを持つことが、幸せの証のように思われていました。
でも、風の時代は、違います。
風って、目には見えないけれど、感じることはできますよね。
この時代に大切なのは、まさにそんな「感じる力」。
情報、完成、共鳴、流れ、軽やかさーーそういったものが、人生の中心になっていきます。
たとえば、会社に縛られる働き方ではなく、場所や時間に縛られず、自分のリズムで働く人が増えています。
暮らし方も、「何を持っているか」より「どう心地よく過ごせるか」。
住む場所にこだわるよりも、「今ここが好き」と思えるかどうか。
モノをたくさん持つよりも、「整った空間の中で、気持ちよく呼吸できること」が大切になってきています。
人とのつながり方も、変わってきました。
「いつも一緒にいるから安心」ではなく、「たとえ距離があっても、ちゃんとつながっている」こと。
無理につながる必要はなくて、必要なときに、そっと寄り添えたら、それでいい。
しなやかで、優しいつながり方が、これからは増えていく気がします。この時代には、「こうするべき」という正解はありません。
だからこそ,「自分の感覚」がいちばんの羅針盤になるんです。
誰かの声より、自分の声。
過去の常識より、「今ここで、どう感じているか」。
その感性信じて、生きていく。
それが、風の時代を生きるということ。
私たちも、何度も「手放し」と「選び直し」を繰り返してきました。
そのたびに、少しずつ、心が軽くなっていって。
「風に乗るって、こんなに心地いいんだ」
そんなふうに感じる瞬間が、増えていったのです。風の時代とはーー
誰かの正解ではなく、自分の感性を信じて生きていく時代。
そして、その生き方を選ぶ人たちが、風のように軽やかにつながりながら、新しい時代をつくっていく。
そんな時代が、もうすでに、始まっているのです。
いま、あなたの中に吹いている風は、どんなふうですか?『響き合う関係』 第1章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
パートナーである著者のお二人も、世の中の当たり前に合わせるのではなく、私たち自身が心地よいと感じる在(あ)り方(かた)を、選び続けてきた
と述べています。
本書は、そんなお二人のライフスタイルを通して、「風の時代」の生き方、パートナーシップのつくり方
をわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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情報より「空気」で動く時代がきた!
「こうあるべき」とか「当たり前」という、これまでの古い価値観。
著者が、それらを一つひとつ手放していくようになったきっかけは、「違和感」でした。
このままで本当に、心地よくいられるだろうか?
本当に、私たちは望む生き方をしているのだろうか?そんな問いが、ふと心に浮かんだ瞬間から、風のように、人生が動き始めたのです。
風の時代に入ってから、社会のルールも、常識も、どんどん変わり始めています。
目に見えるものより、感じるもの。
持つことより、循環(じゅんかん)させること。
効率より、優しさや余白(よはく)を大切にすること。
「べき」に従って生きることが、必ずしも幸せを運んできてくれるわけじゃない。
そんなことに気づき始めたとき、私たちは、自分の人生のハンドルをちゃんと自分で握っているかどうかを、改めて見つめるようになりました。
自由であることーーそれは、誰かから与えられるものではなく、自分の感覚に従って選び取るものなのだと思います。
その自由は、わがままとは違います。
本当に心が喜ぶものを、自分の手で選び、大切にすること。
だからこそ、責任もあるし、誠実さも必要になる。
けれど、そうやって選んだ生き方は、他人の評価に左右されることはありません。「朝、どこで目覚めるか」
「誰と過ごすか」
「何に時間を使うか」
そのどれもを「選んでいい」と知ったとき、生きることがもっと優しくなって、今いる世界が広がったような気がしました。いまは、「こうするべき」というルールより、「こう在りたい」という気持ちが大切にされる時代です。
何かを達成することよりも、自分がどんな状態でいられるかが問われる時代。
“何をするか”より、”どう在るか”を選ぶことで、人生は静かに、でも確かに動き出します。
私たちも、最初から自由に生きられたわけではありません。
一つひとつ、「それ、本当に必要かな?」「いまの自分に合っているかな?」と、問いかけながら、少しずつ「べき」を手放してきました。
そうしてできた心のスペースに、新しい風が入ってきたのです。「人生の流れは、自分の心に素直になったときに変わり始める」
どこかでそう信じている自分たちがいました。
それは、目に見えるほど劇的な変化ではないかもしれません。
でも、確かに内側からやってくる変化です。
「こう在るべき」をやめたとき、初めて見えてくる景色がある。
その景色は、きっとあなた自身の心の中にすでにあるのだと思います。
いま、どんな景色が、あなたの心に浮かんでいますか?何かを決めるときには、たくさんの情報を集めることが大切だと思っていました。
比較して、分析して、効率や成功率を考えて、「より正しい答え」を見つけることが、最良の選択だと信じていたのです。けれど、旅を重ね、いろんな人と出会い、さまざまな場所で暮らすようになって気づきました。
本当に大切なことは、頭で考えより先に、心やからだが知っているということ。
「その土地に降り立った瞬間の空気感」
「そこに流れる“気配”のようなもの」
そういった見えないものが、私たちの「次の一歩」を決める鍵になっていたのです。
風の時代に入り、ますます“空気”で動くようになりました。
「情報を鵜呑みにするのではなく、自分の感覚を信じる」
「数字や肩書ではなく、その人の放つエネルギーに共鳴する」
そして、「なぜか気になる」「なぜか惹(ひ)かれる」といった理由のない引力を、大切にするようになりました。この“なぜか”という感覚は、意外と正確です。直感は、言葉よりも早く、確かな導きをくれるからです。
私たちはよく、どこかに行くときも、仕事を始めるときも、「情報が整ったから」ではなく、「空気が整ったから」動くことが多くなりました。
あなたは最近、「なんとなく、こっちかも」と感じた瞬間がありましたか?
ある場所に立ったとき、空や風や人の表情に触れて、「ここで何かを始めたい」と自然に思えたなら、それはもう十分なサインです。
反対に、どんなに条件が整っていても、なんとなく心がざわついたり、足が重く感じたりするときは、無理に進まないようにしています。
それは甘えや逃げではなく、「違和感」という自分の感性を大切にするという、静かな勇気です。
そうして、自分を信じる感覚を少しずつ育ててきました。
頭で考えすぎていた頃よりも、ずっと流れが軽やかになり、導かれるように素敵な人や場所とつながれるようになったのです。これからの時代、「正解」は誰かが用意してくれるものではありません。
何を選ぶかは、すべて自分の“感じる力”にかかっています。
たとえ言葉にならなくても、たとえ説明できなくても、「なんとなく、こっちかも」と思える方向があるなら、その感覚に、そっと従ってみてください。
空気で動くということは、自分の中にある風を信じること。
そして、その風に、ほんの少しの勇気を添えること。
そんなふうに生きる人が増えれば、きっと世界はもっと自由で、あたたかくなっていくと思うのです。「これは、本当に今の私たちに必要なもの?」
旅をしながら暮らすようになってから、何度も、そう問いかけるようになりました。
家を持たないわけではないけれど、ずっと同じ場所にいないという選択をしていると、荷物は自然と限られてきます。
スーツケースに入る分だけーーだからこそ、その中に入れるものは、自分たちが本当に必要だと感じているものばかりになりました。
最初は、手放すことが怖かったけれど、安心だと思っていたものほど、自由を奪(うば)っていたことに気づきました。
「たくさん持っていると、安心する」
「たくさん持っていないと、不安になる」
そんなふうに思っていた時期もありました。
でも、あるとき気づいたのです。
「持ちすぎていたのは、モノだけではなかった」ということに。「こう見られたい」という理想の自分。
「役に立たなければ」という義務感。
「ちゃんとしていないと」という無意識の緊張感。
「もしもうまくいかなかったら」という未来の心配。
それらもまた、私たちを重たくしていた“荷物”でした。
風のように軽やかに生きるには、モノも心も、持ちすぎないことか大切だと、私たちは思います。
持たないことは、「不足」でなく「選択」です。
見つめ、削(そ)ぎ落(お)とすことで、より大切なものが浮かび上がってきます。
いつのまにか、私たちは「もっと」「まだ足りない」と思わされるような社会に生きていました。
でも、本当はそんなに多くなくても、生きていける。むしろ、少ないほうが、感覚が研(と)ぎ澄(す)まされて、本当に必要なものがちゃんとわかる。モノを減らすと、時間にも心にも余白が生まれ、自分の内側の声が聞こえてくるようになります。
「軽くなることは、強くなること」
たくさん持っていることで守ろうとしていたものを、手放した先に、本当の豊かさが待っていることを、私たちは体験を通して学んできました。
風のように身軽に生きるということは、ただ旅をすることではなく、どこにいても、自分らしくいられる状態を持ち歩ける、ということ。
そんなふうに暮らしていると、外側に「安心」を求めなくなっていきます。
本当に必要なものは、いつも、自分の内側にある。
それに気づけるだけで、心は、ふっと軽くなるのです。『響き合う関係』 第1章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
「風の時代」は,とにかく軽やかで自由であることが重要。
それは、物理的な面でも、精神的な面でも言えることです。
風は、うまく使えば、文字通り”追い風”となり、大きな推進力となります。
逆に、抵抗したり、逆らったりすると、行きたい方向へ行けないどころか、ダメージを負うこともあります。
要らないものは手放し、身軽になって、時代の流れに乗りましょう。
「縛られない二人の在り方」とは?
著者は、パートナーシップにおいて大切なのは、形ではなく、在り方
で、「何をしているか」ではなく、「どんな気持ちでそこにいるか」
であり「同じであること」よりも、「お互いをそのまま認めていること」が、安心と信頼の土台になっていく
と感じています。
パートナーと一緒にいるとき、ふと感じたことはありませんか?
「私、ちゃんと自分でいられているかな?」
誰かと共に生きるということは、とてもあたたかく、心強いものです。
でも同時に、自分の輪郭(りんかく)がぼやけてしまったり、無意識に相手に合わせすぎてしまったりすることもある。私たちも、過去にはそんな感覚を味わったことがあります。
お互い優しくしたいと思うあまり、「これくらい我慢すればいいかな」と、自分の気持ちを後まわしにしてしまったり、いつのまにか、相手の望みにばかり応えようとして、気づけば自分のペースや感覚を見失ってしまっていたり。
でも、それは決してて相手が悪いわけではなく、
「一緒にいる=自分を抑(おさ)えること」
という、どこか刷り込まれた思い込みのせいだったのだと、あとになって気づきました。
それから、私たちはこう決めました。
「一緒にいながら、自分らしくいることを諦めない」と。大切なのは、相手のそばにいることと、自分の内側にいることを両立させること。
自分らしさを保つには、自分の声をちゃんと聴いてあげる時間が必要です。
たとえば、一人でノートに思いを綴る時間。自分の好きな音楽にひたるとき。
誰にも気をつかわずに、自分とだけ向き合う静かな朝。
そういう時間があってこそ、相手と向き合うときに余白を持てるし、「こうあるべき」ではない、素の自分でいられるのです。
風の時代のパートナーシップにおいては、“ベッタリ一緒にいる”ことが愛ではありません。逆に自立しすぎてお互いに何をしているのかわからない、ということでもありません。
一人の時間を大切にできること。それぞれが自分の人生を楽しんでいること。
そのうえで、自然に手を取り合える関係が、軽やかで美しいのだと思います。
それはまるで、二つの風が、それぞれのリズムで吹きながら、あるとき同じ方向に向かって重なっていくような感覚です。
ときには、違う方向に吹くこともあるかもしれません。
でも、それも悪いことではない。それぞれが自分の風を大切にしているからこそ、無理に同調せずに済む。相手に合わせすぎることなく、自分だけを押し通すこともなく、ちょうどいいバランスを見つけていくーーそれが、私たちの理想です。
だからこそ、対話が欠かせません。
自分の気持ちや状態を、ちゃんと伝えること。
「最近、自分を見失いそうだった」と、正直に話せる関係でいること。
そうすれば、二人の間に流れる空気は、いつも澄んでいて、呼吸がしやすい。
自分らしさを失わないことは、パートナーへの誠実さでもあります。
本当の自分でいることが、いちばん美しい関係をつくるのですから。二人で暮らしていても、ずっと一緒にいるわけではありません。
同じ空間にいても、それぞれが別々のことに集中していたり、会話のない時間が長く続くこともあります。
けれど、そんな“間(ま)”があるからこそ、二人の関係は穏やかに深まっていくと、私たちは感じています。
以前の私たちは、つながりとは「密度」だと思っていたことがありました。
「一緒に過ごす時間が長いこと」
「何でも話し合えること」
「感情を包み隠さずシェアできること」
もちろん、それらも大切です。
でも、いつもぴったり寄り添っていなければいけないわけではない。むしろ、心にスペースがあるからこそ、本当のつながりが生まれることに気づいたのです。スペースとは、余白であり、呼吸であり、信頼でもあります。
自分の内側がいっぱいになっているとき、たとえ相手がすぐそばにいても、どこか心が通わないことがあります。
逆に、自分の中にゆとりがあると、たとえ言葉がなくても、相手の気配だけで安心できたり、静かに隣にいるだけで、つながりを感じることができます。
風のような関係とは、まさにそういうものかもしれません。「ときには、話さなくてもいい」
「一緒に何かをしなくてもいい」
それでも、二人の間に優しい空気が流れている。ただ、共に一緒に生きていることを嬉しく思う。
そんな時間があるからこそ、言葉を交わしたときに、その一言ひとことがまっすぐ届くのだと思います。私たちは、お互い心のスペースを大事にするようにしています。
「いまはちょっと、自分と向き合いたい」とか、「今日は静かに過ごしたい」とか。
そんな気持ちを、ちゃんと表現できること。
そして、それを受け入れ合える関係でいること。
それは、相手に甘えるのでも、距離を置くのでもなく、お互いの“いま”を尊重するということです。
心のスペースがあると、不思議なことに、相手の気持ちにも敏感になります。
自分の状態が整っているときほど、相手の表情や声のトーンに気づけるし、必要以上に反応せずに、ただ「そばにいる」ことができる。
スペースは、感情を受けとめる器でもあります。
二人の間にそれがあると、どんな感情が流れ込んできても、急にあふれることはありません。そこには「安心して存在できる場所」があるから。私たちが目指しているのは、無理に深める関係ではなく、自然に育っていくつながりです。それは時間をかけて育むものであり、お互いのスペースを尊重し合う姿勢から生まれるものだからこそ、関係性に“静けさ”があることを今ではとても大切に思っています。
風は、すきまがあるところを優しく通り抜けます。心の中にも、その風が通う余白があることで、二人の関係は、どこまでも澄んでいけるのだと思うのです。
呼吸がしやすい関係には、いつも見えない余白があります。話さない時間も、ただ隣にいるだけの時間も、その静けさのなかに安心感が流れている。
そして気づきました。スペースとは、沈黙を共有できる強さであり、言葉に頼らす通じ合える、静かな絆(きずな)なのだと。
その関係に“言葉で証明する愛”はいりません。ただ、整った空気の中でお互いの存在を感じ合えるーーそんな関係が、何よりもしなやかで、あたたかいのだと思うのです。「相手のことが心配だから」「パートナーだから当然」
そんな言葉の裏側には、いつのまにか“コントロール”の感情が隠れていることがあります。
「どこにいるのか気になる」「何を考えているのか、全部知っていたい」
「一緒にいる時間が少ないと、不安になる」
そんな気持ちが湧いてくるのは、ごく自然なことかもしれません。でもその感情をそのままぶつけてしまうと、相手を縛る言葉や態度になってしまうこともあるのです。
私たちも、以前は「知っていれば安心する」と思っていた時期がありました。
相手の予定、気持ち、行動・・・・・・なるべく把握(はあく)しておきたくなる。
でもそれは、安心を得るために「相手をコントロールしようとする」行為だったのだと、あとから気づきました。
本当の安心は、情報量ではなく、信頼の深さから生まれるものです。
相手がどこにいても、何をしていても、「きっと大丈夫」と思える関係には、「把握しよう」とか「支配しよう」という力が必要ありません。
相手の自由を守ろうとする姿勢こそが、安心の土台になるのだと思うのです。自分にとって大切な時間があるように、相手にも一人で過ごしたい時間がある。
その時間を邪魔せずに尊重できること。
必要なときにはそっと寄り添い、そうでないときには距離を置けること。
この“静かな信頼”があるだけで、二人の関係はとても穏やかになります。
安心感というのは、「近くにいるから」生まれるのではなく、「相手を信じていられる」という感覚の中にある。
信じてもらっていると感じたとき、人はのびのび自分らしくいられます。
私たちも、
「どこにいても、心はつながっている」
「何も言わなくても、信じてもらえている」
そんな関係を育ててきました。もちろん、心配になることや、不安になることがゼロなわけではありません。でも、それを“管理”や“干渉”に変えるのではなく、「その感情をどう扱うか」を自分で選ぶようにしています。
不安になったときは、「それって本当に必要な感情かな?」と一度問い直してみる。
心配のときは、「なぜ心配しているのか」の本当の思いを自分に問いかけてみる。
すると、その感情が少しずつ静まって、「相手を縛らない愛し方」に変わっていきます。風のように生きるということは、相手の風を自分の思う方向に吹かせることではなく、それぞれが自由に気持ちのいい風を吹かせ合える空間を保つこと。そして、その空間に信頼という空気が流れていれば、二人はきっと、どこまでも自由に、どこまでも安心していられるのです。
『響き合う関係』 第2章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
人との関係も、きっちりとした固い結びつきよりも、自由度の高い緩やかな結びつきが、主流となっていくのでしょう。
パートナーシップについても、これまでのような「結婚」という法律に基づいた関係ではなく、「信頼」に基づいた関係が重視されるようになる。
根っこの部分は変わらずにつながっているけど、それ以外の部分は、状況に応じて臨機応変に変えていく。
そんな人間関係を築くことが「風の時代」を軽やかに生きていく秘訣です。
“ただ、いるだけ”で分かり合えるということ
著者は、言葉を大切にしながら、でも言葉だけに頼らない愛し方を意識して
いて、とくに、相手が疲れていたり、言葉にする余裕がないときこそ、伝え方に“工夫”よりも“空気”が必要だと感じて
いると述べています。
「いまは、ただそばにいてくれたら、それでいい」
そう思ってもらえる関係でいること。
そして、こちらもまた「ただ、いる」ことが愛になるような在り方を選ぶこと。
それが、風の時代におけるパートナーシップの一つの形かもしれません。
もちろん、「言葉で愛を伝えることが苦手だから、黙っていればいい」ということではありません。大切なのは、言葉と同じくらい“在り方”を大切にすることです。
「自分がどんな状態で相手と向き合っているか」
「どんな表情で、どんな空気をまとって、どんな目で見ているか」
それらすべてが、言葉よりも雄弁に“愛”を伝えているのだと思います。
大切にしたいのは、相手の存在そのものに敬意を持ち続けることです。
たとえ疲れていても、イライラしていても、その存在を否定しない。
ただ相手の“いま”を見ていること。
言葉にできなくても、その眼差(まなざ)しに“伝わる愛”があると信じているからです。
また、相手にしてもらって嬉しかったことを、自分から返していくということも大切です。そんな循環も、言葉ではない愛の交換の一つだと思いす。愛は、「表現しなきゃ伝わらない」と言われることもあるけれど、ときには”存在しているだけで伝わる”こともあるのです。
目に見える行動や、わかりやすい言葉ではなく、“日々の中にただ、在る”こと。
それが、二人の関係に安心や静けさを運んできてくれる。
そんなふうに、相手が何をしてくれたか、自分が何をしたかを超えた、お互いの空気を整え合える関係でいられたら、それこそが、響き合う愛の形なのだと思います。愛は、説明しなくていい。
証明しなくていい。
ただ、伝わるもの。
それが自然と伝わるような空気を保つこと、そんな空気をまとう自分でいることが、いちばんのパートナーシップの土台になるのだと、私たちは感じています。二人の間に言葉がなくても、その時間が“静寂(せいじゃく)”として心地よく流れていくーー
そんな関係には、深く静かな信頼が宿っているように感じます。
会話が弾むわけでもなく、盛り上がる話題があるわけでもない。
でも、無言のまま同じ空間にいて、その沈黙が気まずさではなく、安らぎになる。
私たちは、そんな時間を大切にしています。かつては、「沈黙=距離感」だと思っていた時期もありました。
「何か話さなきゃ」
「盛り上げなきゃ」
「わかり合わなきゃ」
でもそれは、“沈黙を埋めようとするエネルギー”であり、本当は、そこにある静けさを信じきれていなかったのかもしれません。風の時代に入ってから、私たちは“無理なく、ただある”ことを受け入れるようになりました。会話がなくても、スマホを見ていても、お互い別々のことをしていてもーーそこに流れている静けさが、二人にとっての音楽のように感じられるとき、言葉以上の安心感が生まれます。
静けさとは、言葉のない対話です。
そしてそれは、エネルギーと感情が共鳴していなければ成立しません。
どちらかが「この空気を壊さないようにしなきゃ」と気をつかっているような静けさではなく、どちらも自然体でいて、ふと気づくと時間がゆるやかに過ぎていたーーそんな静寂の共有。それは、意識してつくるというより、信頼と安心の積み重ねによって“訪れる”ものかもしれません。
ときどき、私たちは自然の中で、何も話さずにただ並んで歩く時間を持ちます。
鳥の声、風の音、葉の揺れる気配ーーその静けさに身をゆだねながら、相手の存在を感じているだけで、なんとも言えない満たされた感覚がやってきます。
沈黙のあとに交わす言葉は、ただのコミュニケーションを超えて、“響き合い”としての言葉に変わっているのです。
二人の間に“静けさを許せる余白”があること。それが、パートナーシップにおいてとても大切な土台だと感じています。
何かしていなくても、愛は育つ。
何か話さなくても、つながりは深まる。
むしろ“何もしないこと”を共有できる時間こそ、二人の関係を豊かにするのかもしれません。
静かさの中には、自分自身がいます。そして、その静けさを一緒に味わえる相手がいることは、人生における何よりの贈りものだと、私たちは思っています。「ちゃんと見てくれている」という感覚は、言葉以上に人の心をあたためてくれます。
私たちが日々の中で大切にしているのは、お互いを“どう見るか”という、眼差しの在り方です。
眼差しは、言葉を持ちません。
でも、その温度は、相手の心の奥深くに触れます。疲れて帰ってきたときに、「大丈夫?」と声をかけられる前に、その目の奥に優しさが滲んでいるだけで、心がふっとゆるむ。
また、何も言わずにただ見守ってくれる視線に、「そのままでいいんだよ」というメッセージを感じることもあります。私たちは、どれだけ近くにいても、どんなに長く一緒にいても、相手を“見ようとすること”を忘れたくないと思っています。
見慣れてしまった風景の中に、見過ごしてしまいそうな美しさが宿っているように。
慣れてしまった関係の中にも、日々新しい“気づき”や“愛しさ”があるはずだから。そのために必要なのが、観察ではなく“眼差し”。
それは、相手をジャッジするのではなく、存在そのものを尊(とうと)ぶような、静かであたたかい見つめ方です。眼差しには、意識が宿ります。
「この人のことを、まっすぐ見たい」
「言葉ではなく、存在そのものを受け取りたい」
そんな気持ちをもって見つめると、それだけで空気が変わり、相手の中にある本音や本質が、自然と立ち上がってきます。
私たちにとって、眼差しは“対話”でもあります。
言葉を交わさなくても、朝、目が合うだけで伝わる「おはよう」の温度。
ふとした瞬間に重なる視線に宿る、「一緒にいられて嬉しい」という実感。
それは、会話以上の安心感をもたらしてくれるのです。つねに完璧な眼差しでいられるわけではありません。
自分に余裕がないときもあるし、相手を見ているようで、見えていないときもあります。
でも、そんなときほど「意識して見よう」と立ち止まってみる。
すると、ただ過ぎていったはずの時間の中に、見落としていた大切なものか見えてくる。
たとえば、相手が静かに頑張っていたこと。
何も言わずにこちらを支えてくれていたこと。
少し疲れた表情の奥にある、小さなサイン。
眼差しは、感謝を生む扉でもあります。風の時代におけるパートナーシップは、「何をするか」よりも、「どんな眼差しでいるか」によって育まれるもの。
そさは、技術ではなく、心の姿勢。そして、愛の深さが滲む“光のような目線”なのだと、私たちは感じています。
見つめ合わなくてもいい。
でも、ちゃんと“見ている”という感覚を伝えること。
その積み重ねが、二人の関係に静かな光を灯してくれるのです。「わかってほしい」
「ちゃんと伝えたい」
そう願う気持ちは、誰の中にもある自然なものです。
でもその願いが強くなりすぎると、
「なぜわかってくれないの?」
という痛みに変わってしまうこともあります。
私たちも、かつては「わかり合うこと」を目指していました。
それでも、どうしても伝わらない思いや、理解しきれない感情がありました。
そんなとき、気づいたのです。
「わかる」ことには限界があるけれど、「寄り添う」ことには終わりがないーーと。
それからは「わかろうとする」ことよりも、「そばにいる」ことを選ぶようになりました。相手の感じていることを、100%理解できなくてもいい。でも、いまその気持ちに寄り添おうとする姿勢があれば、そこにあるのは“一つ安心”です。
寄り添いとは、「一緒に感じようとすること」。
「同じになる」ことではなく、「違うまま、そばにいること」。
そこには、無理がありません。
そして、深いところでの信頼が育まれていきます。
たとえば、相手が沈んでいるとき。「元気出して」と励(はげ)ますより、ただ静かに隣にいて、「そのままでいいよ」と伝えるほうが、ずっと心に届くことかあります。
自分にはどうにもできないことでも、「ここにいるよ」と示すことで、人は一人ではないと感じられる。寄り添うとは、そういうことだと思うのです。
完全に分かり合えなくてもいい。むしろ、「わからなくても大丈夫」と思える関係のほうが、もっと自由で、しなやかで、優しいと感じています。
風の時代のパートナーシップは、「一致すること」ではなく、「響き合うこと」。
だからこそ、
「理解されなくても、安心できる関係」
「説明しなくても、そばにいてくれる関係」
が、大切なのです。寄り添うことにもエネルギーが必要です。
相手を受けとめる余白がないと、寄り添うことが負担になってしまうこともある。
だからまずは、自分自身が整っていること。
自分の気持ちを見失っていないこと。
それが、相手に優しく寄り添うための土台になります。そして、寄り添ってもらった経験は、そのまま“優しさの記憶”として、自分の中に残ります。
「前に、こんなふうにしてもらったな」
「あのとき、ただ隣にいてくれたことが、すごく嬉しかった」
その記憶が、今度は誰かに寄り添う力へと変わっていく。
そうやって、愛の循環が生まれるのです。
わかり合うことに執着しなくなったとき、二人の間に静かな風が通り始めます。
そこには、“わからなくても大丈夫”という、深い安心感がある。そしてその安心こそが、長く、柔らかく続いていくパートナーシップを支えてくれるのです。あなたが大切にしたいのは、“わかり合う関係”でしょうか?
それとも、“そばにいるだけで安心できる関係”でしょうか?
この風の時代、私たちが選べる関係の形は、もっと自由で、もっと優しいはずです。『響き合う関係』 第3章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
私たちの生きている世界は、目に見えるものも、目に見えないものも、すべて「エネルギー」でできています。
人間関係も、突き詰めれば、エネルギーの交流だといえます。
言葉は、コミュニケーションの一つですが、唯一の手段ではありません。
ただ、無言で一緒にいるだけで、エネルギーの交流は起こります。
相手を思いやる温かさは、雰囲気で伝わるものです。
とくに、眼差しには、強いエネルギーが宿ります。
五感で感じられないもの(エネルギー)を感じる力。
そんな本当の意味での「空気を読む力」が求められる時代だと言えます。
仕事も人生も「風まかせ」でいい!
「やりたいことがわからない」
「好きなことを仕事にできていない」
そんな焦りや不安を抱えている人は多いのではないでしょうか。
そんな人たちに、著者は、たとえ好きなことを仕事にしていなくても、たとえ「これが天職だ」と言えなくても、あなたが満たされているなら、それは十分に素晴らしい働き方
だと指摘します。
”好き”を仕事にしなくても、
・淡々と取り組めること
・人に感謝されること
・小さな工夫や喜びが見つけられることそれらも、すべて立派な“仕事”であり、“自分らしい働き方”の一つです。
そして何より、仕事とは「人生そのもの」を満たすための一つの手段であって、人生のすべてではないということを、風の時代は教えてくれています。
「これは好きじゃないけれど、生活のためにやっている」
そんな仕事の中にだって、誰かとの出会いがあり、自分の学びがあり、想像もしなかった気づきがあるかもしれません。
そこから、“好き”が生まれることもあるでしょう。
自分の好きなことから少し離れることで、新しい視点が生まれ、もっと自分を知ることができることもあります。
また、“好きなこと”を無理に仕事にすると、本来の楽しさや自由が損なわれてしまうこともあります。
だから、「好きを仕事にしなければならない」ではなく、「いまの自分に合った形で働けているか」を大切にしたい。満たされるというのは、「仕事の内容」だけで決まるものではありません。・どんな状態で働いているか
・どんな人と関わっているか
・どれだけ自分に正直でいられるかそうした“働き方の質”が、心の充実度を決めていくのです。
私たちは、「好きなこと」よりも、「心が平和でいられること」を軸に働くようにしています。
どんな仕事でも、本当に大切にしたいことを、大切にすること。
すると、“好き”にこだわりすぎなくても、どんな仕事も喜びや新しい気づきをもたらしてくれます。ときには、静かに整える日もある。
ときには、人とつながって創造する日もある。
そのどちらも大切にできることが、働く自由につながっています。「好きを仕事にすること」がゴールなのではなく、
「どんな働き方でも、自分の喜びを少しでも満たすことができれば、それでいい」
ーーそんな視点で仕事を見つめ直すと、もっと自由に、優しく、心地よく働ける人が増えるのではないかと思います。「毎日がんばっているのに、なぜか満たされない」
そんな違和感を感じたことはありませんか?
努力することが美徳とされてきた時代。でも、歯を食いしばって走り続ける働き方が、本当に幸せにつながっているとは限りません。むしろ、力を抜いても、自然体のままでも、豊かさがめぐってくる生き方があるのです。
風に乗るように、流れと調和して動くほうが、うまくいくこともあるのだから。「もっと努力しなければ」
「人一倍がんばらないと結果が出ない」
「忙しく働いている人のほうが、立派に見える」
そんなふうに、“頑張ること”を当然とする空気が、長い間、私たちのまわりにはありました。
努力を重ね、歯を食いしばり、休む間もなく働いている姿にこそ価値があるーーそんな時代を、私たちも経験してきました。
けれど、心とからだの声を無視して、走り続けることが本当に豊かさにつながるのでしょうか?
あるとき、私たちはふと立ち止まりました。
「一生懸命に頑張っているはずなのに、なぜか心が疲れていく」
「頑張っても、どこか満たされない」
そんな自分に違和感を抱いたとき、
「努力とは何のためにしているのか?」
という問いが生まれました。そして気づいたのです。
私たちが本当に望んでいたのは、成果や賞賛ではなくーー“心地よくめぐる豊か”だったということに。そこから、「頑張る」ことをやめました。
もっと正確に言えば、「無理して頑張る」ことを手放したのです。
代わりに意識したのは、次のことでした。・自分の状態が整っているか
・心とからだが喜ぶペースで動けているか
・やりたいというエネルギーが自然に沸いているかそうした“内側の声”に正直になり、頑張る代わりに“調和”を選ぶようになりました。
すると、不思議なことに、頑張っていた頃よりも、人や機会、豊かさの“流れ”がスムーズにやってくるようになったのです。
無理に動かなくても、自然に必要なことが整い、必要な人が現れ、自然と循環が生まれていく。まるで、“風に乗って”生きているような感覚でした。
風の時代の働き方は、力で押し切るのではなく、流れと調和しながら、軽やかに動くこと。それは決して「何もしない」という意味ではありません。本当のパフォーマンスや創造性を生んでくれるのです。大切なのは、「頑張る」ことではなく、自分もまわりも気持ちよく信頼できる「整った自分で在る」こと。
自分が整っているとき、そのエネルギーは自然とまわりにも伝わって、結果的に仕事や人間関係の流れもスムーズになっていきます。
だから、頑張りすぎて心が苦しくなっている人には、こう伝えたいと思います。
「頑張らなくても大丈夫。豊かさはちゃんとめぐってくるよ」
力を抜くことは、手を抜くことでも、諦めることでもなく、信頼の形。
風のように、自然と動き、心地よく感謝して受け取りながら、豊かさに満たされた働き方を選んでいきたい。それが、私たちが日々大切にしている在り方です。朝、決まった時間に満員電車に乗る。
週5日、会社に通い続ける。
そんな”働くことの常識”に、息苦しさを感じたことはありませんか?
でも今、風の時代はこう伝えてくれています。
「どこで働いてもいい」
「いつ働いてもいい」
ーー働き方は、自分で選んでもいいのだと。働くことが、もっと自由で心地よくなる世界が、もう始まっています。
リモートワークが広がり、副業やフリーランスという選択肢も増え、
「仕事=場所や時間に縛られるもの」という前提は、少しずつ崩(くず)れ始めています。
私たち自身も、時間や場所に縛られない働き方を選んできました。
「午前中は海辺でノートを広げて原稿を書く」
「午後はお気に入りのカフェで、軽く打ち合わせをする」
「夜は予定を入れず、静かな音楽を聴きながら整える時間にする」
そんな日もあれば、まる一日、人と会わずに“感じる時間”“生み出す時間”にあてることもあります。どこで、いつ、どんなふうに働くかを“自分で選ぶ”。
それだけで、驚くほど心が自由になっていくのです。
もちろん、すべての人がいますぐ場所や時間を完全に自由にできるわけではないでしょう。けれど、たとえ制限がある中でも、「どれだけ自分のペースに寄せられるか」は工夫できるはずです。・朝のスタートを10分だけゆっくりにしてみる
・昼休みに、好きな場所で過ごしてみる
・休日に“ノー予定の日を”をつくる
・働く場所をカフェや公園に変えてみるそんな小さな選択が、自分らしいリズムを取り戻す第一歩になるのです。
私たちは、風のような働き方を目指しています。つまり、「柔軟性」と「流動性」を大切にしています。・一日の中でも、からだや気分に合わせて働く時間を変える
・集中したいときは静かな場所へ
・刺激が欲しいときは、人とつながる場所へその時々で“自分が整う環境”を選ぶことで、自然と成果も、心の充実度も変わってきます。
「いつ働くか」「どこで働くか」という“外側の条件”に意識を奪われない。
「どんな状態で働いているか」という“内側の感覚”を大切にする。
それが、風の時代の働き方において何よりも重要なのだと思います。
そしてもう一つ大切なのは、「他人の働き方」と比べないこと。
朝から夜までアクティブに動く日があってもいいし、ゆっくりと静かな一日を選ぶ日があってもいい。人と違うことに不安を感じるよりも、自分にフィットする選択を重ねることが、本当の意味での”仕事の自由”につながっていくのです。
「こんなふうに働いていいんだ」
「こういうペースが、いまの自分に合ってるんだ」
そう思えた瞬間から、働くことは“義務”ではなく、“表現”になっていきます。
風の時代は、「仕事=ライフスタイルの一部」。だからこそ、場所も時間も、自分で選んでいい。そして、その自分らしさをさらに引き出してくれるのです。『響き合う関係』 第5章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
「どんなことをするか」よりも「どんな状態でいるか」を優先する。
何をするにしても、それが大切になってきます。
決まったことを決まった場所でやるのではなく、自分が「心地よい」と感じたこと・場所で自由に選んでやる。
収入や世間的な評価などの外側の条件ではなく、自分自身の心の充実度ややりがいなどの内側の条件を重視する。
風の時代らしい、より身軽で自由度が高く、それでいて自分の心に正直な生き方がスタンダードになってきました。
安心感は「心の奥」で育まれる
二人で静かに過ごしている時間
や言葉にしなくても、相手の気持ちが伝わってくるような瞬間
。
著者は、そういう“言葉の奥”で育まれる安心感こそが、信頼という絆をしっかりと支えてくれている
と述べ、話す内容より、「どんな状態でそこに在るか」
が重要だと指摘します。
風の時代は、言葉や理屈以上に、その人の“在り方”が信頼をつくる時代です。
たとえばーー・自分に嘘がないか
・無理をしていないか
・ちゃんと自分を大切にできているかそうした“内側の整い方”が、自然とまわりに伝わり、関係の質を決めていきます。
私たちが信頼している人たちは、決していつも言葉が多いわけではありません。
でも、沈黙の中にも“信頼の温度”が感じられる。
「この人は、ここにいてくれる」
「ちゃんと見守ってくれている」
「何も言わなくても、大丈夫だと思ってくれている」
そんな感覚があるからこそ、余計なことを話さなくても、心が満たされていくのです。
信頼とは、「相手に何かをしてもらうこと」ではなく、「相手の存在を、そのまま受け取ること」なのかもしれません。そして、相手に感じる愛しさや安心感に、ただつながっていること。
そういう信頼は、意識的に“育てる”というよりも、日々の小さな“丁寧さ”の積み重ねから自然に育っていくものです。・急がない
・押しつけない
・相手のタイミングを尊重する
・自分の心に正直でいるそんなあり方を選び続けることで、言葉に頼らなくても、静かな信頼が流れてくるようになるのだと思います。
たくさん話さなくても、大丈夫。沈黙の中にある安心感こそが、信頼の土壌。
沈黙とは、言葉を超えてつながり合える、お互いに以心伝心をしている時間。
私はこれからも、言葉の数よりも、響き合う質を大切にしながら、人と優しく、しなやかにつながっていきたいと思います。「もっと相手を理解したい」
「ちゃんとわかり合いたい」
「つながりを深めたい」
そんなふうに願う気持ちは、とても純粋であたたかいものです。けれど、ふと気がつくのと、その想いが“頑張ること”になってしまっていることがあります。話すことに一生懸命になりすぎたり、相手の反応を気にしすぎたり、「ちゃんとつながれているか」を測ろうとしてしまったり。
私たちも、以前はそうでした。
関係を育てるには努力が必要だと思い込んでいて、“よい関係”を築こうとするあまり、自然な流れを見失っていたことがあったのです。
でも、あるとき二人で感じたのは、
「いちばん深くつながれたのは、力を抜いていた素の自分のときだった」
ということ。
ただ同じ空間にいて、言葉少なに過ごしていたとき。
散歩していたとき。
気負いも期待もなく、ただ“在る”ことを共有していたとき。
そこには、とても静かで、深くて、あたたかな“つながり”が流れていたのです。風の時代のつながり方には、“力み”は必要ありません。
「つながろう」とするほど、どこか不自然な圧が生まれてしまうこともある。
それよりも、自分が自分らしく、整っていること。
相手が何かを求める前に、自分自身を優しく満たしておくこと。
こうして出会えただけでも、嬉しいと感じられること。
そうやって力を抜いていくとき、つながりは“築く”ものから、“起きる”ものへと変わっていくのです。私たちは今、つながりに対して、“頑張らない勇気”を持つようにしています。
・相手のペースを尊重する
・自分の感覚にも嘘をつかない
・無理につながろうとせず、自然な流れにまかせるそれはとても穏やかで、自然で、心地よい関係性かもしれません。
でもその中にこそ、信頼や安心感、そして愛が、深く息づいている気がするのです。
つながるとは、「つなげようとすること」ではなく、「すでにある共鳴に、気づくこと」。
そのためには、構えをほどき、余白を持つことが大切です。「この人と、ちゃんとつながっていたい」
そう思ったときこそ、深呼吸して、少し力を抜いてみる。
相手の中に感じる心地よさに、心の耳をすませてみる。
すると、ふとした瞬間にーー表情のゆるみや、眼差しのあたたかさの中に、言葉以上のやりとりが生まれていくのです。つながろうと力むのではなく、自分らしいリズムで、風のように響き合っていきたいと思っています。
SNSが当たり前になった今、私たちはいつでもつながれる時代に生きています。
メッセージを送れば、すぐに反応が返ってくる。
どこにいても、画面越しに顔を見て話せる。
フォロワーや友達の数が、まるで自分の影響力のように語られる。
けれど、ふと立ち止まって思うのです。
本当に大切なつながりは、どれくらいの頻度で会っているかでも、何人とつながっているかでもない。私たちが心から安心できる人たちは、毎週会っているわけでも、毎日のように連絡を取っているわけでもありません。
むしろ、会うのは数ヶ月に一度。メッセージも必要なときだけ。
でも、一言交わすだけで、心がほぐれる。
一緒にいるだけで、自分らしくいられる。
そういう関係の持つ“質の高さ”が、人生に本当の安心感と豊かさをもたらしてくれていると感じています。
前でもお話ししましたが、風の時代は、“頻度”よりも“共鳴”が大切。
「どれだけたくさん話したか」「どれだけ一緒にいたか」
「どれだけ良く知っているか」ということではなく、
「その人といるとき、自分がどんな状態になれるか」
これこそが、私たちが関係性の中で大切にしている軸です。たとえば、会って数回しか話していない人でも、一瞬で感性が通じ合ったり、深い部分で共感できることがあります。逆に、長いつき合いでも、どこか自分を偽ってしまったり、安心して話せない相手もいるかもしれません。
だから、私たちは「関係の数」を増やすことには、あまりこだわりません。それよりも、
「共鳴できる関係」を丁寧に育てていくことに、エネルギーを注いでいます。
それは、とても静かなつながりかもしれません。
でも、深いところで響き合えているからこそ、頻度が少なくても、関係がブレることがない、むしろ時間や距離があっても、根っこの部分で安心していられる。
お互いが困ったとき、素直に助けを求め合うことが自然とできる。
そんなつながりがあることが、どれだけ人生をしなやかにしてくれるかを、私たちは日々感じています。
これからの時代は、「広くつながる」よりも「深く感じ合う」つながりへ。
「誰とでも話せる」よりも、「本当に響く人と安心して穏やかに関わり合う」関係へ。
そしてそれは、きっと、人生のスピードを落としても、お互いの人生をより豊かにしてくれる選択なのだと思います。誰かとずっと一緒にいること。何かあったとき、すぐに駆けつけること。
困っていそうな相手に、すぐに声をかけること。
以前の私たちは、そういう”わかりやすい寄り添い方”を「優しさ」や「思いやり」として大切にしていました。けれど、関係性が深まるにつれて、その「寄り添い方」も、変化していったように思います。
いま、私たちがもっとも心地よいと感じるのは、必要なときに、そっと寄り添える関係です。
それは、「何かしてあげる」関係ではなく、「相手が必要としたときに、そっとそこにいる」関係です。
「焦って近づかなくていい」
「無理に声をかけなくていい」
「相手のタイミングを信じて、ただ、静かに待っていられる」
そんな”余白のある寄り添い”に深い安心感があると感じています。誰かが落ち込んでいるとき。気持ちが沈んでいるとき。変化の中で揺れているとき。
すぐに「大丈夫?」「何かあった?」と聞きたくなるけれど、本当に相手のためになるのは、その人が自分で整える時間を大切にできるよう、相手を信じて、そっと見守ることだったりするのです。
風の時代は、「寄り添いの形」も軽やかに変わってきています。
「必要なときに必要なだけ」
「無理に近づかず、でもちゃんと”感じている”」
そんな関係が、深い安心感を育てていくのだと思います。
私たちも、二人の間のそういう空気感を大切にしています。・相手が話したくなるまで、そっとしておく
・何も言わなくても、そっとお茶をいれておく
・沈黙を“気まずさ”ではなく、“ 優しい余白”として過ごす
・何も言わず、ただ背中を撫でてあげるそんな小さな在り方の中にこそ、
「この人は、自分のことをちゃんと見てくれている」
「この関係は、言葉がなくてもあたたかい」
という、深い信頼が生まれるのだと思います。
寄り添いとは、距離を詰めることではなく、相手が安心して、自分に戻れる空間をそっと差し出すこと。それは、静かだけれど、とても優しくて、強い在り方です。
風のように、必要なときにそっと吹いてくる風のように、私たちも、誰かにとって、そんな存在でありたいと願っています。『響き合う関係』 第6章 より マツダミヒロ、WAKANA:著 きずな出版:刊
主張せず、変幻自在で、繊細で、温かく包み込む。
そんな風のような存在が理想です。
お互いを縛らず、それでいて信頼で結ばれている。
風の時代らしい、新しいコミュニケーションですね。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
著者は、これからの時代に求められるのは、“役割”ではなく”響き合い”を基盤にした関係性
であり、“自己犠牲”や“忍耐”ではなく、“つねに選び続ける自由”から育つ絆
であるとおっしゃっています。
風は、自由気ままで、縛られることを嫌います。
これからの世の中は、人の在り方も、人との関わり方も、それを模したものに変わっていくのでしょう。
風の時代は、「こうあるべき」ではなく「こう在りたい」を選び取る時代
です。
もう役に立たない古いしがらみや人間関係は、すべて捨て去るとき。
私たちも、身軽になって羽ばたき、風のように軽やかに、最高の人生を駆け抜けましょう。
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【書評】「新しい階級社会」(橋本健二) 【書評】「縁」(永松茂久)


