本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『信じる力』(WAKANA)

お薦めの本の紹介です。
WAKANAさんの『信じる力 あなたの人生は、あなただけのもの』です。

WAKANA(わかな)さんは、幼い頃から大人の相談に数多くのったり、人の心の動きに興味を持ち、自己啓発や心理学など“人が生きるということ”について、体験から独学で学ばれてきました。
外見、内面は深く関わり合い、人を取り巻くエネルギー全てがつながっているのだということを体感され、自分の中にある叡智を引き出す”ホリスティックファッションメソッド”を開発されました。

「信じる力」を枯らさないで!

「どうしたらもっと幸せに生きることができるか」
「どうすればもっと自分の願いに気づき、望んでいることを現実に創造しながら生きていけるか」

WAKANAさんは、そんなことを子どもの頃からずっと考え続けてきた述べています。

 すぐに、貯めてあったお小遣いやお年玉を持って旅行会社に行き、過保護で心配性の両親に反対される隙のないように旅行計画を立て、半ば強制的に3泊4日の一人旅を決行したのでした。
こうして、自分の声を聴きたくて、いままで当たり前だと思っていた私の世界である家族や学校、友達や地元から少し離れるという、初めての小さな一人旅に出ることになります。
当時の私の世界は、家族や学校生活で接する人たちの、その中でいちばん大きく聴こえる声にだけ従って選択し、生きていました。
大切な人や大切だと思うものの声は、何よりも大きく聴こえるのです。
そして、そこで伝えられていること、大切な存在が望んでいることや発している言葉は、まるで自分の声のようになっていきます。
自分が本当に望むことを知るためにどうしたらいいのかと問いかけたとき、いまいる環境やまわりの人から少し離れてみれば、おのずとそれらの声は遠ざかり、いちばん近くにあるはずの自分の声が聴こえるはずだと思ったのです。

私たちは、たとえ自分で意識していなくても、皆それぞれに一生懸命に生きているのだと思います。
そんな中で、エネルギーや気力、体力が空っぽになることは誰しも経験したことがあるのではないでしょう。
無理をしているときや自然の流れに反しているとき、切羽詰まった感じや気が張って休まらず、目の前のことに対して不安になったり、どこかいつもより批判的になったりしてしまうこともあるかもしれません。
起きている出来事が、たとえよりよい方向へ導いてくれるサインやメッセージであったとしても、自分を困らせる問題としてしか感じられなくなるのです。

こういう状態のとき、最も削られている「ある力」があります。
逆に言うと、その力が満ちていれば、多少、軌道からズレていても、調整としての出来事や助けが自然と起きるようになっていきます。

いまその出来事は、何のために起こされているのか?

それは、「ある力」がありさえすれば、すぐにわかるようになります。
そして、「いま自分は何をしたいのか」「どのように行動していくとよいのか」ということに集中することができるようになります。
その力とは、いま起きていることやその流れを自分なりに「信じる力」です。

それはどんなものかと言うと、

□ 自分はやるべきことを自然とやっている
□ 相手は相手のタイミングで必ず自分で大切なことに気づくことができる
□ 自分が気持ちよく無理なく生きていれば、相手もそうなっていく
□ すべて必要なことが起こされている
□ みんなにとって完璧な出来事が起こっている

・・・・・・だから、何が起きたとしても、焦ることはないのです。
すべてのことは、起こるべくして起こってる・・・・・・と言いますが、私はこの言葉の真意を人生の一つひとつの体験の中に見出してきました。
人生には、さまざまなことが、さまざまなタイミングで起きていきます。
それに流されてしまうのではなく、どのように流れをつかんで、唯一無二の自分と仲よく人生を歩んでいくか。
あなたの人生はあなただけのもの。それを実現するのが、「信じる力」です。

私は、子どもの頃から、生き方について強い興味を持って生きてきました。中学時代に自己啓発や潜在意識の本を読み始め、自分との対話もたくさん重ねながら、いっぱい失敗して、ときに自分や誰かを傷つけたりしながらも、自他共により幸せになれると信じることだけは、絶対に諦めずに生きる道を探してきたつもりです。
この本で私は、決して「こう生きてほしい」とか、「こういう捉え方をするといい」ということを伝えたいわけではありません。
ただ私が体験したこと、感じたこと、幾度も観察して見つけた大切なことを言葉にしていきました。
もしかしたら、あなたも、同じような体験、気づきを得たことがあるかもしれません。そして、無意識にそれをしているということもあるかもしれません。私の体験をここで書いていくことで、いままで無意識だったことを意識していただくというのは、とても大切です。誰かの体験を通じて、ご自身の人生に似たような経験や感情を重ね合わせたときに生まれる、共感や気づきという感覚はとても尊いものだと感じます。
また、同じことをしていても、人それぞれ違う体験と学びがあります。そして、感じる繊細さや受け取るタイミング、捉え方もすべて違います。
ですから、なるべくこの本に触れた方がご自身の感覚につながり続けられるように、誰かに何かを伝えたい、表現したいという思いが少しでも生じたら、何度も何度も自分の中で濾(こ)して、言葉にしていきました。

この本に紡がれた何かが、「ここではないどこかもっと明るいところがあるかもしれない」と感じて生きている誰かにとって、その道筋を照らす、小さくも揺るがない光となることを信じています。

『信じる力』 はじめに より WAKANA:著 きずな出版:刊

本書は、人生を劇的に好転させ、望みを叶えてくれる力「信じる力」を身につける方法をわかりやすくまとめた一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「自分の声」が湧き上がってくるとき

WAKANAさんは、17歳のとき、大学進学後の専攻を決められず、悩んでいました。
そんなとき、北海道への一人旅を思い立ちます。

 人生初の電車と飛行機を乗り継ぎ、いろいろなトラブルや体験を味わいながらも、17歳の私は無事に北海道に到着することができました。
新たな街と知らない人たち、どこに行くかも何をするかもすべて自分で決めていく感覚に戸惑いながらも、とてもワクワクしていきました。
最初は、話し相手もいなくて少し心細かったので、ずっとノートに今していることや感じていること、目に見える景色をそのまま言葉にして書いて過ごしました。
そして、お守りにと持っていった数冊の本から、いまの自分に必要だなというメッセージを書き出したり、イヤホンで聴いていた音楽の歌詞で、心に響く言葉を書き出したりしていました。
まだ「何をしたいか」「この先どうすべきか」ということはまったく出てこなかったけれど、ノートにそのときの気持ちをそのまま書き出すということをひたすらして、寂しさを紛らわせていました。
そのうち独り言のように、自分の中から言葉がだんだんと湧き上がってくるようになりました。
いろんな感覚や言葉が私の中から出てきます。
それを言葉にしてみると、
「私はこんなふうに感じているんだ、この景色はこんなふうに見ているんだ」
ともう一人の自分が俯瞰(ふかん)して、
「あぁ、なるほどね」
と納得するのです。
書き出したことがどんな思いでも、
「あぁなるほど、そうなのね!」
と納得すると、いままでなかった視点や考え方などがどんどん自分の中から出てくるようになることに気づいて、とても楽しくなりました。
自分の中から出てきたメッセージは、誰かの声よりも、いちばん納得できるものなのだと知りました。
その言葉やメッセージは、家族や友達の声でも、読んだことのある本からの引用でもない感じでした。
その感覚が面白くて、夢中でどこに行っても地面に座り込んでノートに言葉を綴(つづ)っていました。
日常で聴こえていたまわりの人たちの声、いったん情報から離れたことで、私の中が静かになりました。
そして、それまでも常に心のスピーカーから発せられていたであろう自分の思いや考え、感じていることの音が、やっと聴こえ出したのです。
何をしていいかわからなくなったら、自分以外の思いや考えにとらわれてしまって動けなくなっているとき。
そんなときは、いったん少しだけその場から離れてみると、本当に感じていること、大切な思い、愛しさに気づけるのではないでしょうか。
これはとてもシンプルなことですが、大変なときはそんなことも忘れてしまいます。
1ミリだけでも距離をとるだけで、見えてくる大切なことがあるということを、出来事の真っ只中にいるときほど、覚えていたいと思います。

一人旅の途中、ある雨降りの夕方のことです。
靴を濡らして散歩していたとき、灰色の地面を見ているのに飽きて空を見上げると、雨雲の奥が少しずつ明るく白くなっていくのが見えました。
そのとき、こんな言葉が浮かんできました。

「いまはまだ先が見えない雨の中歩いているようなものだよ。
けれど、この雨雲の上には飛行機の中から見たような澄み切った空がある。
何が起こるかわからないほうが楽しい。
わからないと、いろんな道に逸れたりするけど、
そのたびに自分なりの新しい道をつくっていけばいい。
いま全部わからなくても大丈夫なんだよ」
(17歳のときの旅の日記より)

まだやりたいことも見つからなくて、低いグレー色の雲の下、雨に濡れて肌寒く少し暗い気持ちでいたのですが、心にパァッと光が刺したようになって、靴が濡れているのでさえ楽しく感じました。
翌日、ちょうど街は夏祭りの最中で出店が賑(にぎ)やかに立ち並び、浴衣を着た楽しそうな人でいっぱいでした。
出店は大好きなはずだったのに、家族連れや友人同士たちの賑やかさが一人には寂しく感じました。
早々に抜け出して人のいない港に来て、静かに海を眺めているとまた言葉が浮かんできました。

「物事には限りがあるようでないのかもしれない。
ここから見えている海の景色は小さいけれど、もっと広い心で見てみると、その先もさらにその先も、ずっとつながっていて限りない。
それは、いまの私の道にも言えること。
いま私が見ている世界と思っている景色は、この海のように、実は思っているよりも、ずっと大きい。今やっていることの先には、何倍も何十倍も可能性が広がり、つながっているんだよ」

この先もどうなるのかどうしたいのかもまったく見えなくて、どうしようという不安でいっぱいでした。
いまの自分があまりにちっぽけに感じて、その小さな自分でしか未来の可能性も大きさも測れない気がしていました。
けれど、海辺を散歩して気づかされたことは、たとえいまは何も見えなくて形になっていなくても、きっと、この「いま」という現在地点は、まだ見えていない大きな未来につながっているんだということ。そう思うと、肩の力が抜けて楽になったのを覚えています。
この世界には、見えている世界と見えていない世界が共存しているんだ・・・・・・とわかったような気がしました。
実際に、そのほうがまだ見ぬ可能性に向かっていくことができるし、それを現実にするロマンがあります。
そう考えたら、目の前の灰色の景色が鮮やかな光が灯されたように輝いて見えたのを覚えています。
「いま見えているものだけで決めなくていい」
・・・・・いまでも大切にしているメッセージです。

一人で旅をしていると、ご飯を食べているときに「おいしいね」と分かち合えるようなこともできず、寂しい時もたくさんあったけれど、だんだんとメッセージが浮かんで、その言葉に納得したり、力を取り戻したりしていくことがとても楽しくて、いつも誰かがそばにいる感覚があり、あたたかい気持ちでした。
そこで気づいたことがあります。
自分の本当の声が聴こえなくて悶々としているときに浮かんでくる言葉と、一人旅で浮かんでくる言葉の感覚や言いまわしが、違う感じがするということです。
なぜ旅のあいだに自分の中から湧き上がったメッセージは、気分が軽くなって、目の前の景色がクリアになって、気持ちがいい風が優しく吹いてくるような、自然なやる気が生まれるのだろうかと心の目をこらしてみると、その言いまわしにヒントがありました。
それは、どのメッセージも「こうするといいんだよ」という、すべてを否定することなく受け入れつつ、優しく目の前が明るくなるような言いまわしだったのです。
そんな言いまわしで浮かぶメッセージは、浮かんだ後は必ず心が楽になって、いまの自分をそのまま否定せずに受け入れられたり、不思議とパワーが生まれたりして、とても気持ちがよくなりました。
私たちの心の中や頭の中では、自分の独り言が、常に発せられています。
そのときに、何をしたらいいかわからずになかなか進めずにいるときというのは、「こうするといいんだよ」という柔らかな提案の言い方ではなく、「〇〇すべきでしょ」という語尾で終わることが多かったことに気づきます。
「〇〇すべき」という言葉になっているとき、それは今いる環境の中で、よいとされていることだったり、自分以外の他の誰かがつくった世界においての意見であったりということが多いのですね。
もちろん、今ある考えがどんな思いだとしても、何かしら現在の自分にとって大切なことだと自分自身が選んで受けとっていることなので、心の声が「すべき」と発しているからと言って、否定する必要はありません。
けれど、私の経験からの感覚ですが、本来、人生をよりよく進んでいくための指針である内側からの言葉は、できるだけ気分がよくなり、やる気が湧いてきたり、ワクワクしたりする感覚になれるもののほうが、行き先がまっすぐクリアに見えて、すべてが無理なく、スムーズに整えられていくことばかりです。
とめどなく溢(あふ)れ出る、いくつもの自分の中の声に迷ったら、「こうすればいいんだよ」というような言いまわしの声を、注意深く聴いて選ぶようにします。
感覚的には、とても穏やかで、誰かがあたたかい大きな笑顔で、そっと形に手を置いてくれるような、ぎゅっと力が入っていた背中が少し楽になるような感覚の言葉をピックアップしていきます。
生きれば生きるほど、大切だと感じる存在や事柄が増えていきます。
自分の声の他にたくさんの声が聴こえて、いつも自分が心地よく、自分らしく生きていくための声を聴き分けることが難しいときがあります。
そんなときには、耳を澄ませて、「こうすればいいんだよ」というあたたかい声のボリュームを上げて、よく聴くこと。
そして、聴こえるところに自分の身を置くこと。
これらはいつでも意識すれば、自分でできることです。

『信じる力』 第1章 より WAKANA:著 きずな出版:刊

自分の本当の声が聞こえなくなる。
それは「自分の外の声」がまわりに満ちていて、騒がしいときです。

家族や友達の言葉、テレビやSNSを通じて届く世間の声などですね。

当時のWAKANAさんにとって、「自分の外の声」から遠ざかるための手段が「一人旅」だったわけですね。

書き出すことは「声を聴くこと」

WAKANAさんは、出来事や目にする景色から自分へのメッセージとして自分の声を受けとることや、何気なく目にした本や雑誌の一言、アートや音楽なんかからも、耳を澄ませて目をこらせば、いくらでも自分の声を受け取ることができると述べています。

「自分の声を聴く」方法として、もっとも続けてきて効果があった方法が「書き出す」ことです。

 人間に潜在的に与えられている、創造的でパワフルな力を活用して生きていくためには、自分の声がすべてのヒントになり、道しるべになります。
いつでもそばに、話を聴いてくれたり、導いてくれる誰かが実際にいなくても、ただ思っていることや考えていることを書き出すことで、起こった出来事に含まれた自分に必要な栄養を受けとり、次に何をすればもっと自然な流れに乗って、創造的に過ごすことができるのかがわかるようになるのです。
自分の声を聴き、道しるべにしていくために、私なりに見つけた、いくつかのポイントがあります。
最初のポイントは、自分との約束です。
書き出す前に、「これから書き出すことは誰にも見せないし、ジャッジしない」ということを自分と約束するのです。
自分の声を聞こうとノートを書き始めたのが、小学生くらいからだったと思います。最初は、ノートがなくて、新聞や広告の端っこに書いていましたが、両親に見つかって読まれてしまうようになりました。すると、恥ずかしい気持ちもあって、表現するということをあまりしなくなりました。
中学生くらいからは自分のノートに書くようにして、それからずっと「self talk note」を書いていますが、何でも話すパートナーにさえ、絶対に見せません。
自分とそうやって約束することで、何でも表現してもいいんだという安心感が生まれ、自分の声を発することが自己信頼につながるからです。
この、「何をどう書いて表現しても誰も自分を判断したり、評価したり、傷つけたりしない」という安心と信頼を自分でつくり出すことが大事です。
2つめのポイントは、「受け入れること」を意識することです。
ここは最初とても難しいのですが自分から出てきたどんな言葉も肯定し、自分に優しくあり、味方でいることが大事です。
自分の声と思うと、肯定して受け入れるというよりは、否定するほうが簡単かもしれません。また、反省の仕方が自分を否定する傾向がある(私は徹底的にそうでした)場合は、特にそうなりやすいです。
最初は否定しても構いません。否定した後は必ず、
「〇〇と感じるのはとても自然だね」
「〇〇と考えることで自分を守ってきたんだね」
などと、ここからはゲーム感覚で、最高のカウンセラーになったつもりでコメントするように書き出していきます。
「ダメだ、ダメだ・・・・・・」と散々思って、書き出すことをしたら、いったん「ダメなんだね」と受け入れて、ピリオドを打ちます。
ここで言う「肯定的になる」というのは、無理に「ポジティブになる」ということではありません。
本当は、そのままいいも悪いもなく、自分の声にニュートラルに向き合えたらそれでいいのですが、悩んでいたり落ち込んだりしているときには、大抵は自分の内側では、無意識に「自分なんて・・・・・」という否定的で批判的な声が強くなっています。
どんな思いや考えでも、
「ひとまず、いまはそう感じているのが自分だから、これでいいんだ」
と感じていることを許すことが、「肯定的に受けとめる」ことであり、そうすることで初めて、次のフェーズに行けるのです。
そして、3つめのポイントは、本当に望んでいることを知ることです。
受け入れた後は必ず、「本当はどうしたいのか」を自分に問いかけます。
この問いかけによって、「本当はどうしたいのか」の答えがすぐに出なてくも、あなたの目の前に、いつでも一歩進む方向を、示してくれます。
10代、20代の頃は、一気にすべての問題が解決したり、叶うということが「答え」だと思って、とても力んで生きていたと思います。
どれだけその答えが小さなことだとしても、たった今どうしたいと思っているかが見えたとき、次の道がスッと現れます。
その積み重ねで叶うということがわかってからは、いま踏み出すべき一歩とまでいかなくても、0.1歩を見つけることが「答え」なのだと思うようになりました。
「答え」とは、「こうしたい」と心の奥でただ思っているだけでなく、「その考え方を選ぶ、それに決める」ということです。具体的な行動が見えてこなくても、この選ぶ、決めること自体が大きな一歩になります。
自分のすべての考えや思いを受け入れるというプロセスを経て、「本当はどうしたいか」と問いかけていくと、グルグルと同じところをまわっていても、新しい次の景色が見えやすくなる気がします。

心や頭や体の中に溜まったものを、いったん出して整えたり、クリーニングしたりしながら、きらりと光るように感じるメッセージを受けとって、ステージを完了させ、次のステージに向かうのです。

ステップ1 「出す」

これから書き出すことは誰にも見られないと自分に約束をして、どんなことでもいいから、まず、いまの自分の中にあるものを書き出して、目に見える形にしてみます。
これは、誰かに愚痴や悩んでいる話をして、聴いてもらうような感じです。

ステップ2 「明らかにする」

自分が実際に何を思っているのか、考えているのか、悩んでいるのか、感じているのかを、そのまま何もジャッジせずに書き出してみます。
ここでは、自分の中で起きていることや、どんな声があるのかを明らかにしていきます。

ステップ3 「受け入れる」

ここでは、書き出したすべてのことを受け入れていく、ということを能動的にしていきます。
きっと、自分の中で「ああでもない、こうでもない、こうしてはいけない・・・・・」などのおしゃべりが始まるかもしれませんが、ここで大事なのは、「ああ、そうなんだね」と、いま感じていることを自分に許して、受け入れること。
思いや考えをどんな視点だと気持ちよく受け入れることができるのか、ゲーム感覚でコメントやメッセージを自分に伝えていきます。
これに慣れてくると、ふだんの日常生活でも生きることが少し楽になっていきます。

ステップ4 「望みを知る」

本当はどうなってほしいかを素直に思うがままに、そのまま書き出します。
叶うか叶わないか、難しいかどうかはすべて脇に置いておきます。
悩むというのは、いまの状態が本当に望んでいるものと違っているときによく起こります。
本当に望んでいることを書き出し、気づく(そのことを選ぶ)ことで、「あぁよくぞ聴いてくれた!」と、いままで何らかのプレッシャーで、きゅっと細くなっていた心のパイプが柔らかく開いて、爽やかな風が通り、力を取り戻した気持ちになります。

人にとっては、望みを知った後に、どうしていくかなどの行動や目標を書き出したほうが楽になる場合もあるでしょう。
けれど、ここでは行動というよりは、自分の声を聴くことと自分自身の思いや在り方を意識することに集中します。

『信じる力』 第2章 より WAKANA:著 きずな出版:刊

頭の中は、自分で思っているほど整理されておらず、あやふやな状態です。

「書き出す」という行為は、頭の中をクリアにして、正直な考えを明らかにすること。
明らかにして、受け入れることで、その考えは解消されていきます。

自分にとって必要のない考えを解消していった先に、見えてくるのが「魂の望み」です。
書き出すことは、まさに本当の「自分の声」を聴くことを知ることだといえますね。

「人間関係」の前に「自分関係」!

WAKANAさんは、自分の本当の味方になったとき、まわりの人たちとの関わりが本質的に変わっていくと述べています。

 考え方や生き方には、正しい、大切だと感じることが人の数以上、星の数だけあるように感じます。
海外を旅して、いろんな文化や人の考え方に触れたり、これまでたくさんの人の人生の話を分かち合わせていただいた経験から、自分でいいと思った行動が誰かにとっては不快なものであることも、石ころが足元に転がっているようによくあることだとわかりました。
だから、せめて自分だけは、いつも感じる感情や思いに味方でいようと思いました。
あるときまで、内側では自分に厳しく、律するように生きてきて、そのクセはいまも抜けないことがあります。
けれど、人間的な成長や洞察(どうさつ)を生み出す体験はいつも、自然と生まれた感情や思いを、私自身が優しく受けとめたり、応援したりしたときに生まれました。
それに、自分が勝手に心の中で思っていることですから、そのことで、実際に誰かを傷つけたり、怒られたりすることはありません。
ですから、もし罪悪感が生まれてきても、安心してこっそり自分の味方でいればいいのです。このことができるようになるのに、私自身もとても時間がかかりました。
誰かに「味方だよ」と言ってもらうことも素晴らしいパワーとなりますが、自分自身の味方でいることは、その何倍ものパワーがあります。
自分の味方でいることができると、もし方向性が間違っていたり、もっと違う視点から見るべきときには、なんかおかしいなという違和感や滞る感じ、心が重い感覚、罪悪感などで知らせてくれます。
それでもそのサインをキャッチできなければ、もっと自分にとってわかりやすい形で教えられたり、目に見える現実がスムーズじゃなくて、いったんストップさせられるなどの形で、現実はちゃんと教えてくれます。
しかも、いまの自分が受けとることができる(判断された)形と的確なタイミングで起きるのです。
「いまの自分が受けとるべきタイミングで起きる」と捉えると、思考が悩みにどっぷり浸かっていても、「私にとって解決し、前進するべきタイミングとして起きたことならば、何らかの大事なメッセージや前進のためのヒントがあるはずだ」と視点を変えることができます。すると、灰色の雲間から一筋の日差しが放射状に広がって、本当に見るべきものが照らされて見えてくるようになります。
そう思うことで、なぜ、この出来事が起こされているのかを見つける原動力を得て、顔を上げて生きていける気がするのです。
あらゆる思いを、いろんな角度から見つめてきて思うことは、どんな思いや考えも、自分を守り、より幸せにしようとして、自分を支えてくれている愛しい存在であるということです。
表面的には不快になるような出来事があっても、自分の味方になって、その体験をじっくり見つめていくと、どの体験も自分を傷つけるどころか、守り、本来自分が生まれる前に望んできたほうへ導こうとしているのだと理解できます。
自分の味方でいることで、より一層、起こることすべてが味方として、自然とベストなタイミングで起こされていることを、数えきれないほど、身をもって体験してきました。
(中略)
誰かのことや、わからない出来事を本当に理解したくて、やっとたどり着いたのが「自分関係」という考え方でした。
「自分関係」とは、自分の中に、いくつも存在する自分同士の関わり合いのことをいいます。自分という存在は一つですが、自分の中には、いくつもの声、考え、感覚があります。
たとえば、頭では、これをやらなくてはと思っていても、体が動かないときがあると思います。頭の声である「これをやらないといけない」という声と、心と体の「それはいまではない」「もっと違うやり方をしたほうがいい」というような声が、ぶつかっているときです。
体や心、頭などの、いくつもの自分たちが、対話をしたり、ときに無視をし合って無理をしたり、ぶつかりながらも手を組んだりしながら、「私」という存在を支えています。
理解したことは、この「自分関係」がうまくいったときに、その鏡としての現実での人間関係がうまくいくということです。
「自分関係」がうまくいくとは、自分にとって理想の人間関係のような関わり合いを、自分同士でできているという状態です。
そして、それができているときは、ありのままの自分でいても、まわりの人を不快にしないどころか、むしろ、その状態を望まれ、何気なくした行為が喜ばれるということが起きています。
「自分関係」で、主に注目していくといい、二つの自分があります。
さまざまなことを感じたり、考えたり、体験したりする、性格や考え方をよく知っているような自分と、そんな自分のずっとそばにいて表には出てこないけど、見守ったり、導いたりするような内側にいる自分の存在です。
どちらも自分なのですが、性格も価値観も意見も感じていることも、同じようでいて、時にまったく異なる場合があります。
自分関係は、人間関係ほど目に見える情報が多くありません。
肚(はら)のあたりの自分の中からは、感情や感覚として、いろんなメッセージが常に発せられていきますが、毎日現実を一所懸命に生きていれば、気づかないこともあります。
そんなときは、身近な家族や友人、仕事で関わる人などを通じて起きていることを見つめてみるといいでしょう。そこには、顕在的には気づかなかった状態を知ることができたり、それによって、自分を立て直したり、最善の自分を生きるためのメッセージがこめられています。
たとえば、自分は元気に仕事をどんどんこなしていたつもりでも、一緒に働く仲間が体調を崩すことが続く、という出来事があるとします。
ここでは、なぜ体調を崩すのかを理解する必要がありますが、その理由が、本来の自分のペース以上に働きすぎていることであったり、本当はやりたいこととは少しズレていることをし続けていたからだとします。
仲間たちが体調を崩すことは、彼ら自身の問題でもあるので、まわりのことまで自分の責任として、一人で背負う必要はありません。
けれど、もし「自分関係」へのメッセージを受けとるとしたら、「実は、少し無理していないだろうか」「本当に自分のリズムで働いたり、本当にやりたい仕事ができているか」ということを、自分に見せてくれているのだと受けとることができます。
そうやって、何度も自分の声を省みて対話するきっかけを見出し、体調を崩すことも、仕事やプライベートが滞ることもどんどんなくなっていきました。
何度もいいますが、「自分関係」は、すべての人間関係と現実の創造の源であり、軸であり、素(もと)です。
いま何気なく出会っている人たちは、自分関係次第で、いつでも自分の家族のように、あたたかい大切な存在になり得るし、最適な距離感で、自他ともに助け合い、学び合い、支え合うご縁となり得ます。
ふだんから、どれだけの深さで自分を受け入れ、理解しようとし、自分と関わっているか。これと同じ深さと視点でしか、相手のことは理解できないものだということもわかりました。
誰にでも、目に見えないところに、果てしないその人が歩んできた体験や感情のストーリーがあります。

「いま目の前の人が何気なく向けてくれた笑顔の奥には、その人が流した、いろんな涙や壁があったのかもしれない。それらを乗り超えて光を見出してきた結果の笑顔かもしれないし、本当は苦しくて余裕がなくても、残っているぎりぎりのエネルギーを使って笑ってくれているのかもしれない」

「自分関係」を大切にしていくと、誰かの笑顔や何気ない優しさを尊び、感謝することができるようになります。
そして、それを育んでいくことは、暗い夜空の中に、最初は見えなかった星を一つひとつ見つけていくことのようだと感じるのです。

『信じる力』 第3章 より WAKANA:著 きずな出版:刊

私たちが顕在的に気づいている部分だけが「自分」のすべてではありません。
普段、心の奥底に眠っている「もう一人の自分」がいます。

この二つの自分の関係が、「自分関係」です。

最も身近な存在である「もう一人の自分」。
その関係が何より大事なのはいうまでもありませんね。

「こうすべき」を手放して、自分の声をはっきり聴く!

本当に大切にしたいことは、「こうすべき」と感じていることの別のところにあります。

WAKANAさんは、「こうしたい」と「こうすべき」は、つながってはいるけれど、世界が違うと指摘します。

図1 ガラス玉がみっちりついた自分 信じる力 第6章
図1.ガラス玉がみっちりついた自分
(『信じる力』 第6章 より抜粋)

 そうは言っても、いままでの選択基準や考えの軸としてきた強い価値観は、頭でわかってもなかなか取り去るのは容易ではありません。
どうすれば、頭の声でもなく、感情に流されたものでもなく、素直に感じていることや大切にしたいことを自分の中から見出せるのか。このことをずっと考えてきたときに、そこにはいくつかのプロセスがあることがわかりました。
そのプロセスを辿って、一つひとつやっていけば、自分が自然体で生きることができる世界をつくるための「声」を聴くことがしやすくなります。
過去の人生を振り返ると、「本当の私の声を聴く」ということをしていたつもりで、「こうすべき」にどこか縛られて、聴きとりきれていなかったなと思うことがいくつもあります。
だから、いつも胸のどこかで悶々としたものを抱えていたような気がします。
そのときの私をイメージすると、181ページのイラスト(上の図1を参照)のように、まるで自分のまわりがモヤのような、おばけみたいな白いベールで覆われている感じでした。

その白い大きなおばけのようなものには、自分とそっくりな顔がついていて、『千と千尋の神隠し』に出てくる「カオナシ」に似ています。
まるでそのおばけが、自分そのものなのではないかと錯覚するほどに、自分にぴったりくっついているので、自分がおばけの白いベールをかぶっていることさえ、気がつかないのです。
そのおばけの下には、本当の自分の存在があります。
本当の自分の存在とは、どんなことが本当の喜びなのか知っている魂の自分と一体化した、パワフルで平和で、キラキラ生き生きした自分です。
じつは、その本来の自分という存在と、覆うように被さっている白いおばけとのあいだには、たくさんのガラス玉が連なって、びっしりくっついています。
そのガラス玉には何が入っているかというと、それまで自分自身が大切だと思ってきたこと、守ろうとしていること、傷ついてきたこと、悲しんできたこと、嬉しかったこと、悩んでいること、罪悪感、自分や誰かを否定する気持ち、モノや環境、情報、人の存在などです。
そして、それらが一つひとつガラス玉に入って、本来の自分のまわりにくっついているのです。

悩みが多いほど、心身が重くなるのは、自分についているガラス玉が多くなりすぎているからなのだと思いました。
もう今の自分には必要のない過去の価値観や思い、「こうしなきゃ」という自分の気持ちを抑え込むような声、恐れや空虚さを埋めるためのモノなど、生きていけば自然と溜まっていきます。
それらの価値観や思いというガラス玉は、無意識に、自分が生きていくために必要だと思ってくっつけているので、ついているものが多くなるほどに、自分では持ちきれなくなります。
ガラス玉は、自ら落ちて割れてなくなるということはなく、自分の意思でしか、自分から離すことができません。
すると、それらのガラス玉が自分から離れ落ちないように、おばけのようなベール発生して自分のまわりを囲い、すべてを持ったまま生きようとします。
その状態では、本来の自分のハートから、常にメッセージやサインが送り続けられたとしても、たくさんのガラス玉で遮断されて、その上にはおばけもいるので、日常生活を送っている顕在的な自分まで、なかなか届かなくなってしまいます。
たとえ現実でチャンスやヒントに出会っても、おばけの存在が邪魔をして、それらに気づくことができない、または、見つけられないということが起きます。
なかなか思いが現実にならなかったのは、このおばけというベール、仮面、鎧があったからだったんだと理解しました(下の図2を参照)。
現実は、自分のエネルギーや状態を映し出してくれる大切な映像です。
けれど、白いおばけでかすんだ上に、たくさんのガラス玉をつけていては、球体に反射して、本来のメッセージではなく、歪んだ情報として受け取ることになります。
だから、どれだけよい言葉や機会、必要なメッセージがすぐ目の前に差し出されても、受けとるまでに時間もかかるし、出来事が起こされている意味を素直に受けとれないので、頑張って生きているのに生きにくい、という状態になるかもしれないと思いました。

最近うまくいかないな、スムーズじゃないな、重いな、と思うとき、睡眠やリフレッシュでもなかなか改善しない場合にやるといいワークがあります。
これは実際に私がやってきてうまくいったワークの一つで、それをすると、どんどん思ったことが現実になるスピードが速くなるし、本来はすべて自分の味方で、最善のことが自然と起こされているのだ、という感覚で生きていくことができるようになります。
何となく本来の自分の感覚でないときや、いつもしないことにイライラしてしまうとき、心が尖っているなと感じるときは、そんな自分を責める前に、「私のまわりのおばけさんの仕業だ!」と思うと、少し楽な気持ちになります。
同時に、そろそろ自分の中にいろんな情報や思いやエネルギーが溜まってきたサインだから、整理するときだ、と捉えます。
私たちは、「これをしちゃ危ないよ」「こうしないとうまくいかないよ」というような価値観や過去の出来事からの感情を、自分が安全に生きるために手にします。
けれど、いろんなものを持ちすぎると、たくさんの考えや思いのガラス玉がこぼれ落ちて、自分が大変な目に遭わないように、仮の自分の姿としておばけさんが発生し、自分を守ろうとします。
そもそも、最初は自分のまわりには何もなかったわけですから、その存在にさえ気づけば、自由におばけもガラス玉も外したり、つけたりすることができます。

□おばけを外してみる

まず、自分の絵を簡単に描いてみます。絵が大変なときは、名前でもいいでしょう。そのまわりに囲うようにあるおばけを紙に書いてみて、それを自分からヘルメットを外すみたいに、パカッと外すイラストを隣に新たに描きます(想像の中でできる人は想像でやってもOKです)。すると、自分の存在のまわりに、たくさんのガラス玉がくっついています。

□ガラス玉の中を見てみよう

自分のまわりにくっついている、いくつものガラス玉に、どんなものが入っているかを見ていきます。

ガラス玉の中身を知るための問い
・いま考えていることは何ですか?
・いま感じていることは何ですか?
・大切だと思っていたことは何ですか?
・どんなことが怖いですか?
・どんなことがイヤですか?
・守ろうとしているものは何ですか?
・現在の状況、状態はどうですか?
・達成しようとしていたことは何ですか?
・カッコイイと思っていたことは何ですか?
・美しいと思っていたことは何ですか?
・正しい、間違いと思っていたことは何ですか?
・幸せとはどんな状態ですか?

・・・・・・など、出てくるだけ一つひとつ書き出して、見ていきます。
これらを書き出すとき、取り外しができる付箋などを使って書いてみるとよいです。あとで、外したり、戻したりするときにやりやすいです。
何を思っていたのか、どう感じていたのかを知ることで、ガラス玉(感情や悩み、現状)を、自分からいったん切り離すことができます。
このプロセスは、ガラス玉を自分からいったん離して、おばけもガラス玉もまとっていない本来の自分に戻してあげるというのが目的です。
ですから、持っていたのを全部捨てなくてはいけないわけでもないし、自分を責めたり、ジャッジしたりする必要はまったくありません。
絵にすると、本来の自分という存在とたくさんのガラス玉、そして、自分の顔をしたおばけさんの三つの存在がバラバラになりました。
本来の望みと恐れと現実が一体化しすぎると、身動きがとりにくくなりますが、こうして一つひとつバラバラにしていくだけで、思考も心も自然と整理されて、どんな思いがここにあるのか、何が起きているのかがわかるようになります。

□ 自分のいちばん素直でパワフルな声を聴こう

何もまとっていない自分の存在を、真っさらな紙の真ん中に自分の顔のイラストでも、名前だけでも何でもいいので、描いていきます。
そして、次のように問いかけて、答えていきます。

・何でも叶うとしたら、どうなりたいですか?
・誰も何もジャッジしないし、傷つかないとしたら、何をしたいですか?
・本当の本当に、どんな状態になったらお腹のあたりがあったかくなって、ワクワクしますか?
・昔からやりたかったことが何でもできるとしたら、何をしますか?

これまで、いろんな問いかけを自分に投げかけて答えを探してきましたが、このような問いかけをしたときに、素直な腑に落ちる言葉や答えを自分から聴くことができました。
そして、その答えが、「そっか、私はこうしたかったんだ!」となったときに、本当の自分の意志となって、頭から心に、心から肚に届いていきます。
すると、イメージ的には、何もなかった空間に、黄金色のシルクのカーペットがするっと敷かれて、いままでなかなか動けなったことも自然と行動することができたり、自分にとって最善の体験やご縁が、自然ともたらされる道ができるのです。

□ ガラス玉の選別をして、再出発!

さっきいったん外したガラス玉(書き出した付箋)をもう一度見てみます。
そして、190ページで出てきた「いま本当に大切にしたいこと」をもとに、いま持っていたいものを選んで、まだ自分のイラスト(名前)のまわりに貼りつけていきます。
いま必要な考えや思いなどの付箋は、捨てたい場合は外して手放し、まだ持っていたい場合は、捨てる必要はありません。
たとえ、今の自分にはもう必要のない価値観や考え、生き方だと思っても、いままでの自分を支えてきた考えを手放すことは、それまでの自分の人生を否定するような気持ちになることでもあるでしょう。それは、誰にとっても苦しいことです。
「こうすべき」などの、いま本当に大切にしたいこと、やりたいことを覆っている思いは、その思い自体が、プライドを持っているように感じます。
だから、「手放さなきゃうまくいかない!」と悪者にすると、ちょっとひねくれてしまうのか、もっと居座ろうとして影響を与えようとします。
手放さなくてもいいし、否定しなくてもいい。
ただ、それらが存在することに気づき、感謝しながら、柔らかい心で自分のいろんな闇や光に向き合っていくことで、いま手にしたいメッセージや答えのヒントが見えてきます。

『信じる力』 第6章 より WAKANA:著 きずな出版:刊

図2 おばけ の私 信じる力 第6章
図2.「おばけ」の私
(『信じる力』 第6章 より抜粋)

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

「大丈夫。万事すべてうまくいっている」

これは、WAKANAさんがこれまで数えきれないくらい、自分自身に伝えてきた言葉です。

この言葉は、ネガティブに感じる出来事が起こって、怒りや不安に心が傾いて、苦しくなるときも、自分を「素白」の状態に戻してくれたり、エネルギーの流れを循環させて、幸せに生きる力を与えてくれたそうです。

自分に起こった出来事や出逢った人たち。
そのすべてには意味があって学びがあります。
それらは、幸せという目的地にたどり着くまでの中継地点に過ぎません。

私たちは、自分が気づいているより、ずっと大きな存在です。

自分の中に眠っている「もう一人の自分」が、必ず望む場所に導いてくれる。
その「信じる力」が、すべての鍵を握っています。

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