【書評】『MEDIA MAKERS』(田端信太郎)

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 お薦めの本の紹介です。
 田端信太郎さんの『MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体』です。

 田端信太郎(たばた・しんたろう)さん(@tabbata)は、IT関係、出版関係の企業を渡り歩き、いくつもの新規メディアの立ち上げに関わられています。
 2012年6月よりNHN Japan の広告事業グループ長に就任。
 ソーシャルメディアの「LINE」や、キュレーションメディアの「NAVERまとめ」、「livedoorニュース」などの広告マネタイズを総括するなど、幅広くご活躍中です。

「メディア爆発」時代に生きる


「メディア」が、生活の隅々まで浸している現代。
 平均して、1日に4〜5時間をメディアへの接触に費やすという調査結果もあります。

 それほど凄まじい、「メディア爆発」時代を生きているということ。

 私たちの生活に、強い影響力を持つ「メディア」。
 とらえどころのない存在であり、その本質については、理解されていません。

 本書は、メディアが社会に大きな影響を与える理由を考察し、その影響力を正しく利用するための方法を解説した一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「メディア」の意味を定義する


 メディア(media)の語源は、「媒体・媒質」を意味する「medium」です。
 媒体・媒質とは、何かが伝わる際に、その介添えになるもののことです。

 メディアが成立するために必要なものは、以下の3つです。

  • 「発信者」
  • 「受信者」
  • 「コンテンツ」
 さらに、発信者と受信者が、それぞれ一つなのか、あるいは、N個あるのかによって、次の3形態に分けられます。
  • (狭義)のMedia型     (想定される送信者:1 vs 想定される受信者:N)
  • Community(&Social)型 (想定される送信者:N vs 想定される受信者:N)
  • Tool型          (想定される送信者:N vs 想定される受信者:1)

(狭義)の「Media」型は、「Yahoo! ニュース」がその典型です。「送信者」はヤフー単独で、想定される「受信者」は何百万人もいます。(この形態の特徴をユーザー目線に即して言うと、自分が見ているページと同じウェブページをたくさんの人が見ているのだろうと無意識に感じさせているサービスです。)
 ミクシィやフェイスブックなどは無数の「送信者」と、無数の「受信者」がいます。その意味では、典型的な「Community(&Social)」型のサービスと言えると思います。(このパターンの特徴をユーザー目線で言うと、自分と同じ情報を見ている人は、かなり少ない人数か、自分のみであり、もし自分以外の人が見ているとすれば、その人は、自分とかなり近い趣味嗜好(しこう)だろうな、とユーザーに感じさせているサービスです。)
 Gmail は、無数の人から送られる一人へのメールを読んでもらうサービスですから、典型的な「Tool」型のサービスと言えます。RSSリーダーもこのパターンです。(このパターンの特徴をユーザー目線で言うと、自分が見ているページは、自分だけのためのものであり、他人が同じページを見ていたらそれはセキュリティ上、問題アリだと感じさせるサービスです。)

 『MEDIA MAKERS』 第3章 より 田端信太郎:著 宣伝会議:刊

 田端さんは、ほとんどのデジタルデバイス上のメディアサービスはこの3形態がカクテルのように様々なパターンで、ミックスされたりもしつつ、ユーザーの前に出現すると述べています。

メディアという“観察者”なしに、「世界」は立ち上がらない


 メディアには、「観察者」としての側面があります。
 その立ち位置が、ビジネスの世界における市場創造の過程において、大きな力を発揮します。

 田端さんは、メディアを、夜空に輝く無数の星から新星を発見する天文学者に例えます。

 つまり、天文学者という意思を持った観測主体と望遠鏡の役割を果たす媒体(メディア)が存在しなければ、そこには星は存在しないのと同じなのです。
 同じことが、メディアの世界においても言えます。創刊された「Yogini」を見て、あるいは「BRUTUS」のシェアハウス特集を見て、初めて「あ、私もやってみたいかも」と消費者はそこに自分の欲望を発見したわけであり、ヨガ市場やシェアハウス市場が「発見」されたわけです。そして喚起された潜在的な欲望が、製品・サービスへの需要として顕在化され、さらにはメディアが介在することで、供給自体も刺激され、その好循環の結果、ヨガ業界やシェアハウス業界が誕生し成長していくのです。サーフィン、スノーボード、山ガール、あるいは初期のインターネットなど、いわゆる「ブーム」として括(くく)られるようなムーブメントの多くはこのようなプロセスを経ていると思います。
 ことほどさように、メディアという「観察者」「紹介者」と「取材対象」としての「業界」は一対の関係にあります。専門メディアと特定業界とは共犯者であり、運命共同体なのです。(これは「広告会社が作ったブーム」とか「ステマ」とかそういうことではなく、大衆消費社会とメディアとの関係性の根源的で普遍的な宿命なのだと私は思います。)

 『MEDIA MAKERS』 第4章 より 田端信太郎:著 宣伝会議:刊

 業界は、小さくとも、それを「生業(なりわい)」にするものにとって、世界そのものです。

 メディアという観察者なしには、世界は誕生しません。
 メディアという共犯者なしには、世界は成長しません。

 田端さんは、だからこそ、メディアという存在は、特殊な立ち位置にあるものであり、そこにはそれ相応のモラル・責任が求められると指摘します。

進展する「マイクロ・コンテンツ」化


 映画やテレビの2時間ドラマ。
 それらのように、初めから終わりまで、一直線に連続した形で見ることを想定したコンテンツを、「リニア(線形)なコンテンツ」と呼びます。
 リニアなコンテンツは、連続した時間を費やすことを、視聴者に要求します。

 現代人にとっては、連続した時間消費を強いられるのは、負荷が高いことだということです。

 今のメディア・コンテンツ消費の現場では、それとは真逆の、「ノンリニア化」、さらには、「マイクロ・コンテンツ化」が進行しています。

 例えば、ブラウザの画面を一定時間ジャックするようなリッチ・コンテンツの広告を全画面で展開する場合など、見たくないユーザーなどのために「スキップボタン」を用意しておかないと、かなり反発が大きいのです。映画館のような物理的なハコを持ち、そのように心理面も含めて、TPOをセッティングするならば別でしょうが、いつも使っているPCやスマートフォン上では、どんなに高品質のリニアなコンテンツを用意しても、数十分の長尺モノであれば「これからは頭のモードを切り替えて、こちらの世界に浸ってくださいよ」と呼びかけたところで「ん? なんか、ダルそうな話だな、いいや、これ見るの止めて、ちょっとツイッターのレスでも見るか」となってしまうのが、今のユーザー行動のありがちなパターンなのです。これは、アーキテクチャの影響力のなせる業であって、別に個別のコンテンツの良し悪しとは関係ありません。
 つまり、現在のメディア環境(特にPCやスマートフォンを見ているユーザー向けに)でリニアなコンテンツを用意するというのは、牛丼チェーン風のハイチェアのカウンター席にいるお客さんに、3時間もかかるフルコースのフレンチを給仕するようなものなのです。「美味(うま)い」とか「不味(まず)い」とか、「高い」とか「安い」の前に、そもそも文脈として、ミスマッチなのです。ゆえに、コンテンツの内容の品質以前に、映像業界的に言う「尺の長さ」とユーザーのコンテンツへの接触動機、閲覧TPOとの整合性が優先して配慮されるべき項目であることがおわかりいただけると思います。

  『MEDIA MAKERS』 第5章 より 田端信太郎:著 宣伝会議:刊

 デジタル化やスマートフォン化、ソーシャル化の進展。
 それらは、コンテンツのあり方を「リニア」から「ノンリニア」の方へと引っ張る力となります。

 昨今、若者を中心に「テレビ離れ」が指摘されています。
 このマイクロ・コンテンツ化の大きな波が、その理由のひとつに挙げられます。

「アンバンドリング」が進むメディア


 新聞でも雑誌でも、これまで、コンテンツはパッケージ化されていました。
 新聞社は、用紙手配から印刷、配達や代金回収まで、すべて自社の影響下に抱え、自己完結しています。

 しかし、今、事実の記録・伝達は、通信社や一般個人。
 配達・代金回収は、アップルやアマゾン。
 用紙・印刷はスマートフォン。

 と、機能別に「バラ売り」される、「アンバンドリング」が進展しています。

 一方で、グーグルやフェイスブックなど、世界規模の巨大なプラットフォームが形成されています。

 田端さんは、それらプラットフォームの存在が、「持たざる者」に無限のパワーを与える可能性を秘めている、と述べています。

 例えば、昔からフリーマガジンやミニコミみたいなものがありましたが、いいものをつくってもお金がなくなったら、ある一定部数以上は刷れなくなりますし、配布できる地域には当然のことながら、限りがあります。しかし、クラウドベースのインフラを活用して情報を配信していくなら、「これ以上は印刷代が捻出できないので作れません」ということがない。イニシャル投資は、ほぼゼロで、ほとんど無限にコンテンツを拡散させていくことができます。
 これまでは、さまざまなビジネス上の生態系をもとに産業の垣根ができていたわけですが、クラウドのインフラ上では、あらゆる境界線が溶けてなくなりつつあります。そんな状況では、メディア企業と事業会社や広告主の境界線も消失しつつあります。今や、広告主も自前でメディアを持てるようになっていますから。さらに、プロとアマチュアの境界線も、例えば、大学と書店とコンサルティング会社とビジネス・カンファレンス業と、専門出版社の境目すら消えつつあるわけです。「知識を売る」という意味では、大学も書店も、コンサルティング会社も全てフラットに同一平面上に並ぶわけです。

 『MEDIA MAKERS』 第8章 より 田端信太郎:著 宣伝会議:刊

 既存の大手メディアと個人などの小規模メディアが、それぞれ特徴を生かしながら同じ土俵で争う。
 これからのメディアのあり方は、そのような構図になるのでしょう。

 田端さんは、徹底的にアンバンドリングが進んだ後には、また別の視点からパッケージングされ、リワイヤリングされると予測しています。
 その際の主役は「個人」であるという仮説を立てています。

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 田端さんは、メディアの本質的な存在理由は、情報の縮減機能のもたらす「信頼」とそれが生み出す受け手への「影響力」にこそあるとおっしゃっています。

 社会が必要とする限り、メディアはメディアとして変わらずに存在し続けるということです。

 情報技術(IT)が発達し、「個人メディア」として、誰でも発信できるようになった今。
「メディア」について深く理解し、上手に付き合う方法を身につけたいですね。

 本書は、そのための入門書としてうってつけの一冊といえます。


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