【書評】『中国の論点』(富坂聰)
お薦めの本の紹介です。
富坂聰さんの『中国の論点』です。
富坂聰(とみさか・さとし)さんは、フリージャーナリストです。
抜群の取材力と北京留学経験などで培った豊富な人脈を活かした中国のインサイドレポートには定評があります。
テレビのコメンテーター、新聞・雑誌の執筆などでもご活躍中です。
中国は、なぜ「ややこしい」のか?
かつては謎のベールに包まれた、近くて遠い国というイメージだった中国。
経済的交流、人的交流が深まるにつれて、中国との関係に関心をもつ日本人が増えてきました。
テレビや新聞でも、連日のように中国国内の話題が取り上げられますね。
富坂さんは、「量」の点だけではなく、「質」の点でも明らかな高まりが感じられるのも昨今の大きな特徴
だと指摘します。
中国に関する情報が社会にあふれている昨今。
多くの日本人が「中国ってこんな国」というイメージを持つほどの存在なのは確かです。
とはいえ、立ち止まって中国の基礎問題の一つ一つをしっかり理解できているのか。
そう問われると、かなり怪しい人も多いのではないでしょう。
中国の政治、経済、文化、外交・・・・などなど。
「なぜ、中国はああいう国なのか?」
それを理解するためには、その根本の部分を知っておく必要がありますね。
本書は、日本人の多くが漠然と感じている、中国に関する様々な疑問をQ&A形式にして、それぞれに対してわかりやすく解説した一冊です。
その中からいくつかピックアップしてご紹介します。
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中国と国交を断つことは可能か?
「日本人にとって厄介な存在である中国と国交を断つことはできないのか?」
富坂さんは、この問いに対して「現実的な選択とは思えない」と述べています。
中国との国交断絶により日本が得られるメリットはおそらく、被るデメリットよりも小さくなる
ことも考慮する必要があるからです。
富坂さんは、なぜデメリットの方が大きいのか、その理由を以下のように説明しています。
まず、日本人のなかに「国交断絶」という発想が生まれてくるのはなぜなのか?そのことから考えていきたいと思いますが「こうした意見と対で語られるのが、「中国のような厄介な国付き合うのはもううんざり、いっそのこと付き合いを断ってしまえばすっきりするのではないか」といった言葉です。この発想の裏側にあるのは、「日本が一方的に損をしている」との考え方です。政府がODA(政府開発援助)を出し続けてきたにもかかわらず感謝の言葉もなく――実際はなかったわけではないのですが日本人の多くはそう受け取っている――いつまでも歴史問題で日本を責め、民間企業が技術移転をすれば、それを利用して海外の市場では日本の競争相手になる。例を挙げれば枚挙に暇(いとま)がないといったところでしょう。
そしてもう一つが安全保障にも深く絡んだ問題で、中国の台頭が何となく将来の自分たちにとって厄介な存在になるのではという潜在的な恐れです。急速な経済発展を背景に膨張を続ける中国に対し、ぼんやりとしたプレッシャーを感じているのは日本ばかりではありません。東南アジアの国々のなかにも、中国との間に深刻な領土問題を抱える国々は、潜在的というよりも目の前の危機として捉えています。そうした国のなかでは時に大規模な反中デモが誘発されるほどです。
日本は他の国々と同じように中国との関係で悩む問題に加え、さらに戦争という複雑な事情を抱えてしまっているのですから、中国という変化にはより敏感にならざるを得ないでしょう。
国交断絶は、膨張する中国に対し日本が示す一つの意志としての選択であり、中国は国際ルールを守ることの重要性を認識し、現状の変更には慎重であるべきという考えを促す一つのきっかけにしたいとの意志でもあるのでしょう。
気持ちは理解できますが、これは最もしてはならない発想です。二国間と国際機関という違いこそあれ、それは第二次世界大戦の引き金にもなった松岡洋右(まつおかようすけ、後の外務大臣)の国際連盟脱退にも通ずる愚かな選択だからです。
狡猾(こうかつ)な大人の集まりである国際社会において弱みを見せることは禁物です。相手が気に入らないからと短気を起こせば、その幼児性は瞬く間に食い物にされることでしょう。そもそも世界経済の中で各国が羨(うらや)む地位を確保している日本の凋落(ちょうらく)を望む国は少なくありません。その日本が中国とだけの関係に拘泥(こうでい)し国際戦略を決めるような短絡に陥れば、手を叩いて歓喜する国は少なくないでしょう。『中国の論点』 第一章 より 富岡聰:著 角川書店:刊
完全に手を切ってしまうということは、相手がいつ攻めこんできてもおかしくない、一触即発(いっしょくそくはつ)の状態になるということです。
嫌いな相手でも、つながりを持っているからこそ、交渉の余地がありますね。
中国は、日本の有力な貿易相手国のひとつでもあります。
大きな経済的損失も、勘定に入れなければなりません。
「短気は損気」です。
毅然(きぜん)とした態度を取りつつも、辛抱強い対応をしたいところです。
中国は民主化を目指していないのか?
「中国=(中国共産党)は民主化を目指していない」
そう認識している日本人は多いのではないでしょうか。
富坂さんによると、そのとらえ方は必ずしも正確ではない、とのこと。
さらには、むしろ最も民主化を望んでいるのが共産党自身
だとも指摘しています。
共産党による圧倒的支配は当然「民主主義」のコストを排除でき、即断即決のメリットも干渉されないメリットも享受してきました。しかしその反面、結果のすべての責任を負わなければならないというデメリットがそこにはあるのです。
「アメリカの大統領は失政があっても最後にはこう言うことができる。『誰が私を選んだのか?』と」――
これは中国でよく聞かれる皮肉です。共産党の権力は大きいのですが、その支配が弱まったときには、西側のようにゆっくりとその権力から降りることは出来ません。また文革や天安門事件における責任追及が起きる可能性も高いと思われます。
現在のように経済発展の限界が見え始めたなかでは、国民の不満がいつ政権に向けて本格的に噴き出してくるのかが懸念されます。権力のソフトランディングが共産党にとっても課題となっているなか、民主化は避けて通ることがない目標になっていることは間違いありません。
ただ、問題はそのスピードです。中国の国民や西側の人々が考える民主化を一足飛びに取り入れることはできません。共産党なりの民主化を進めることになるのですが、それは現状のニーズから見ればあまりにも遅く、それが抵抗しているようにも映ってしまうものでしょう。『中国の論点』 第二章 より 富岡聰:著 角川書店:刊
党員数8千万人強を誇る中国共産党ですが、中国全土は広大です。
その中に13億人を超える人口を抱えています。
急激な経済成長を遂げることには成功しましたが、「貧富の差」という意味では、以前より広がっています。
国民の不満は、かなり高まっていることは、想像に難(かた)くありません。
彼らが、いつ、自分たちに刃を向けて襲いかかってくるのか。
共産党の指導部の人たちは、神経をすり減らしていることでしょう。
民主化の改革を急ぎたいけれど、組織や国土が大き過ぎて身動きがなかなか取れない。
今の中国は、そんな感じなのかもしれません。
中国の経済発展はこのまま止まってしまうのか?
最近、新聞やニュースなどで、中国経済の先行きに否定的な記事がしばしば流れています。
実際に中国経済は今後、発展が止まってしまうのでしょうか。
富坂さんは、この質問に対して、「発展が近く止まるのか」ではなく、「近く減速するのか」というように言い換えるのであれば、「確実に減速する」
と答えるしかない、と述べています。
その根拠のひとつに、労働者不足(生産年齢人口と所得が上がったことによって労働市場でミスマッチが起きていること)です。
もはや中国は製造業にとって魅力的な土地ではなくなりつつあるようです。
これに加えて内需転換に向かおうとする中国に立ちはだかる大きな壁があります。それが個人消費の問題です。中国の経済発展の特徴は、この個人消費が弱いということがありました。人々があまりお金を使わないという問題です。どの先進国も、それに続いて発展した国々も、国内の力強い個人消費が成長を支えていたのですが、中国にはそれがあまり期待できないのです。
その理由は社会保障がきちんと完備されていないからです。これについては細かく触れることはできませんが、中国人が老後や病気を心配していることは、将来に備えて貯金しなければならないと彼らが考えている点からも明らかで、中国ではいまだ国民貯蓄の比率がGDPの50%を占めているという状況なのです。
ここに将来的には日本以上に深刻になるとされる高齢化社会の問題が重なってくるのですから、難題山積といったことろです。
これだけ膨らんだ経済が一気にしぼむことは考えにくいのですが、小さな上下を繰り返しながらゆっくり減速してゆくことは避けられないでしょう。これは日本が経験した失われた20年以上に重いものになるかもしれませんね。『中国の論点』 第三章 より 富岡聰:著 角川書店:刊
中国は、以前から、増え続ける人口を抑えようと「一人っ子政策」を続けてきました。
その副作用で、若年層の年代が極端に少なくなり、人口構成が歪になってしまった影響が、ここにきて深刻になっています。
日本を上回る「超高齢化社会」へ突き進む中国社会の、今後の行方には注目したいですね。
中国人とコミュニケーションをとる際に重要なこと
中国人にとって「メンツを保つこと」は、すべてにおいて優先される最重要事項です。
富坂さんは、中国社会で何か目的を達成しようとすれば注意しなければならない点
だと、その重要性を強調します。
では、このメンツの地雷がどこにあるのか。それを見分ける具体的な方法は私にも思い当たりませんが、一つのヒントになるのは、相手が「立場がない」と受け止めるようなことをしないということではないでしょうか。
これは「恥をかかせた」という分かりやすい状況だけでなく「軽視」されたと相手が感じるようなケースにも当てはまるでしょうし、一方ではその人が「責任を追及される」事態に追い込まれかねないといったケースにも適用できるのでしょう。
中国人は、例えば農民の出稼ぎ労働者など「これほどの低賃金で苦しい労働を強いられながら、なぜ文句も言わずに堪えているのだろう?」と不思議なほど大人しい人が、「バカヤロウ」の一言で突如(とつじょ)猛獣のような荒々しさで襲い掛かってくることもあるのです。その「ON」と「OFF」のスイッチの切り替わりのきっかけが、このメンツであることも珍しくないのです。
豹変(ひょうへん)する個人とは少し角度の違うアプローチになりますが、国家間の問題でも「メンツ」が大きな作用を果たすことがあります。
とくに2000年代半ばからにわかにぎくしゃくとし始めた日中外交の現場では、まさに「メンツ」をめぐる齟齬(そご)が膨らんでいったといえるのではないでしょうか。
当時の小泉純一郎首相のころには、「首脳会談を行った直後に靖國(やすくに)神社に参拝するなんて・・・・。それじゃあ主席のメンツが丸潰れだ!」という非難の言葉がたびたび中国側から聞こえてきました。
この言い方はその後、日本のメディアでも定着したため、思い当たる読者も多いのではないでしょうか。
近いところでは民主党の野田政権のとき、野田佳彦首相がやはりAPECで胡錦濤(こきんとう)国家主席と「立ち話」をして帰国した直後に尖閣諸島を国有化しました。この時の中国側の反応も凄まじいものでしたが、反発がこれほどまで強まったことの理由として「主席のメンツが潰された」ことを挙げる中国の関係者は少なくなかったです。『中国の論点』 第五章 より 富岡聰:著 角川書店:刊
同じことでも、やっていいタイミングとやってはいけないタイミングがあります。
政治の世界でも、それは同じですね。
相手が何を嫌がっているのか。
それを知った上で対処しないと、動けば動くほど問題がややこしくなり、深みにハマるだけです。
国同士でも、人同士でも、「相手のメンツを保つこと」。
それをつねに頭に入れて向き合い、適正なタイミングでの言動を行いたいものです。
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☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
正しい、間違っている。
常識だ、非常識だ。
そのような判断は、個人の主観であることがほとんどです。
自分の価値観に照らして、相手が絶対に間違っている、と主張しても、相手には相手なりの正当性があります。
お互いを理解しないまま、自分の主張を繰り返しても平行線をたどるだけですね。
富坂さんがおっしゃるように、日本と中国は、歴史的な因縁、地理的な関係、経済的な関係を考慮すると切っても切れない間柄です。
関係改善の第一歩として重要なのは、「相手を理解すること」。
巷には、過激な反中的な考え方を煽(あお)る本があふれている中、富坂さんは、できる限り客観的に、冷静に、中国の“今”を解説してくれています。
本書は、ニュースや新聞では見えてこない「本当の中国」を知るための“入門書”としても最適です。
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