【書評】『「遊ぶ」が勝ち 』(為末大)

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 お薦めの本の紹介です。
 為末大さんの『「遊ぶ」が勝ち 『ホモ・ルーデンス』で、君も跳べ! 』です。

 為末大(ためすえ・だい)さん(@daijapan)は、400mハードルが専門の元アスリートです。
 トラック競技の日本人選手として初のプロ陸上選手となり話題なりました。
 オリンピックに三大会連続で出場、世界選手権では日本人としてトラック競技初のメダルを獲得するなど、日本のトラック競技の開拓者として長年活躍され、2012年6月に引退されています。

「遊び」って何だろう?


 一般的に、スポーツ選手にとって、勝つことは「究極の目標」だと信じられています。
 為末さんも、長い間「勝てなければ走る意味がない」と本気で信じていました。
 
 為末さんは、20代半ばに、走ってもハードルで良い成果が得られない時期がありました。
 どんなに周到に準備をしても、練習に工夫を凝らしても記録が伸びませんでした。

 そんなときに出会ったのが、ドイツ人の歴史・文化史家、ヨハン・ホイジンガーの「ホモ・ルーデンス」という一冊の翻訳本でした。
「ホモ・ルーデンス」は、“遊び”を哲学的に考察した本です。

 その本の中で、“遊び”は、以下のように定義されています。
 はっきり定められた時間、空間の範囲内で行われている自発的な行為もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている

 為末さんは、それを読んで、

「結果が出せるから走るんじゃない。ただ楽しいから走るんだ。」

 ということに気づき、世界の見え方が転換しました。

 本書は、「遊び」の大切さを説き、「遊び心」を取り入れることで、より充実した人生を送るヒントをまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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「仮置き」「仮決め」があっていい


 自分の中にある固定観念、思い込み、価値の枠組みを転換することは難しいです。
 為末さんも、高校時代に100メートル走をやめてハードルへ転向する際に、様々な葛藤(かっとう)がありました。

 自分の理想から「逃げ」て、「仕方なく」ハードルをやるはめになったのか。
 そう悩んでいたある時、ちょっと視点をずらして考えたことが突破口となりました。

「世界との距離」という違う視点から、自分自身を眺める。
 そうすることで、新たな価値をもってハードルに取り組むことができたとのこと。

 人生には、「仮置き」や「仮決め」という選択肢があってもいいのではないか。
 もちろん、真面目に一本の道をつきつめることも大切だろう。でも、どうしてもうまくいかない時には、少し視点をずらしてみたり、大胆に組み替えたりしてみることも、また大切な方法ではないかと思う。
 少し視点をずらして、別のところから物事を見てみると、自分のこだわりから抜け出すことができる。今自分がやっていることを、距離をもって観察することができる。引いて自分を見ると、凝り固まってこだわってきたことの矛盾が現れてくる。たいしたことではないんだとか、もっとこれができそうだという、別な道や新しい可能性が見えたりする。それで急に気持ちが楽になったり、作業がスムーズになったり、以前よりも大きな力を発揮できる自分を発見したりする。
 悩みというものの多くは、視点が固定化されていることから生まれる。
 だとするならば、悩んでいる人は特に、「引く」とか「ずらす」という遊びの感覚を駆使して距離を取り、自分の中に「余白」や「ゆるみ」や「隙間」を作っていくことが大事だと思う。

 『「遊ぶ」が勝ち』 第1ハードル より 為末大:著 中央公論新社:刊

 深刻に悩んでいるときほど、それに意識が集中して、視点が固まってしまいがちです。

「こうすべき」
「こうでなければならない」

 そういう思い込みに、無意識のうちにはまりこんでいる可能性があります。

 実際、ちょっとだけ視点を変えれば、意外とあっさり解決できることも多いです。
 違う視点から自分を見る、「遊びの感覚」を忘れないようにしたいですね。

型から外れる方法


 日本の教育は、与えられたフレームの中でいかに効率的に課題を進めていくか、いかに目標早く達成できるかを競うことが多いです。
 そのため、はめられた型を破れず、成長が止まってしまう子どもたちがたくさんいます。

 為末さんは、日本のスポーツ界も、教育と同じように選手を型にはめ込もうとすると警鐘を鳴らします。

 自分の身体感覚より、頭の知識や判断を信頼しているために、身体が感じていることに気付けなくなっているケースというのもよく見かける。
 もし、「型にはめる」教え方をするならば、絶対に必要なことが一つある。
 それは、「型を脱する」方法も、一緒に教えなければならないということだ。
 型にはまったまま逃げられずに競技人生を終えていく人が、そうではない道を進むためには、自分自身に語りかけるタイミングを持つことが大切だ。別の仕方で、同じことを試してみることが大切だ。型から一歩出るための具体的な方法を一緒に教えることが、型を習得していくためにも大切なことなのだ。
 日本人のスポーツ選手は、大学までは順調に伸びていくけれど、そこから成長が止まってしまうタイプが多い。その原因の一つは、それまでに多彩な身体経験をしてこなかったからかもしれない。

 『「遊ぶ」が勝ち』 第2ハードル より 為末大:著 中央公論新社:刊

 受験戦争を勝ち抜き、有名大学に入って、一流企業に就職して定年まで勤めあげる。
 そんな一本道の人生を進むように育てられた人は、壁に突き当たると、そこで行き詰まります。

 そこで立ち止って諦めてしまうか、別の抜け道を探しだすのか。
 どちらを選ぶかで、その後の人生は大きく変わってきます。

 先の読めない、変化の激しい時代。
「型から脱する」方法を身につけることは、これからますます重要になります。

「知恵の輪」の外し方


 スポーツの世界でも、多くの選手が教科書を見て練習や競技に取り組もうとします。

 いつの間にか、教科書に書かれた課題を達成すること自体が目的になりがちです。
 気付かないうちに、手段が目的に変ってしまう危険性があります。

 為末さんが、この落とし穴に気付いたのは、20歳の頃でした。

 知恵の輪は、外そうとしている瞬間がいちばん楽しい。
 もうちょっとで外せそうだけどまだできていないあたりが、一番ワクワクする。
 僕自身がレースにおいて「勝たなければ」とこだわってきたのは、知恵の輪を外すことに熱中することにも似ている。「100メートルで10秒50を出す」と目標を定め、では、どうやったらそれが達成できるかを試行錯誤して探っていくという意味で、似ている。
 どうやって輪を外すか考えるように、どうやって100メートルを走ろうかと、知恵を働かせる。そして、挑戦する。
 もし、「輪を外すこと」をあきらめてしまったら、その時点で遊びは不成立に終わる。
 もちろん「輪を外すことができた」からといって、特別な報酬が手に入るわけではない。レースに勝つことは、輪を外すことと同じだ。
 勝利そのものには、極端に言えば、何の意味も無い。
 だから、報酬を目的にしてレースに挑戦することなど、僕には考えられないことだった。
 たとえ報酬が必要でレースに参加したとしても、果たしてそのレースは楽しいだろうか。
 僕は、ただ一番になることが面白いだけなのだ。

 『「遊ぶ」が勝ち』 第3ハードル より 為末大:著 中央公論新社:刊

 教科書通りに練習しても、その通りに上達するとは限りません。
 自分で工夫しながら改善していく、という積極的な姿勢もなくなります。

 目的に向かって、試行錯誤しながら挑戦し続けること。
 それ自体に楽しみを見出すこと。

 それがオリジナリティを生み出し、その人の持つ潜在力を最大限に引き出します。

「俳句」と「欧米スポーツ」の共通点


 高度な取り組みに挑戦するには、痛みや苦しみを伴います。
 しかし、その中に新鮮な発見や達成感がある場合は、その困難にかかわらず、自ら努力を続けて進化を続けることが可能です。

 為末さんは、「日本にも、そうした遊びが存在する」と指摘します。

 茶の湯やお花、香道などの「道」の世界に、そうした遊びの文化や要素を感じる。
 俳句や短歌も、その一つだ。
 僕から見ると、日本の俳句や短歌の世界は、ヨーロッパで楽しまれているスポーツに通じるところがある。
 たとえば、俳句作りには季語や五・七・五というルールがある。
 最初のうちは、ルールに縛られて、当然ながらうまくは作れない。
 それぞれが技を練り上げたり、知識を増やしたり、観察してきた風景を言葉に置き換える練習を続けながら、俳句の質に磨きをかけていく。できあがった俳句は、仲間同士で評価しあうので、緊張感もある。仲間の俳句と比べられ、優劣をつけられるという競技性もある。
 だが俳句は、あくまでも基本は楽しさだよ、ということが自然に共有されている。その意識が、参加している皆に浸透している。だから、うまく作れた時もそうでない時も、その場は楽しさに満ちているのだろう。
 スポーツも、そうあってほしい。

 『「遊ぶ」が勝ち』 第4ハードル より 為末大:著 中央公論新社:刊

 しかめっ面して「うんうん」うなって考えるだけでは、いい句は詠めません。

 心を自由に遊ばせて、周りの風景を楽しんでいるとき。
 名句は、そのようなときに、ふと頭の中にひらめくのではないでしょうか。

 他の「道」も同じです。
 真剣な中にも「遊び」があるから、自由な発想が浮かびます。

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☆    ★    ☆    ★    ☆    ★    ☆

 子供の頃は、誰もが遊びの達人でした。
 しかし、勉強や仕事など、目的や成果を問われるうちに、遊ぶこと自体を忘れてしまいます。

 世の中の大きな発明や技術革新は「遊び心」を持ち続けた人たちによって成し遂げられた。
 それは、まぎれもない事実です。

 為末さんは、人間とは遊びたいもので、そして遊ぶことにより、人間は人間らしくなるのだとおっしゃっています。

 これまで人間のやっていたことが、コンピューターに置き換わりつつあります。
 コンピューターで代替えできない「人間らしさ」が、より問われる時代です。

 忙しいなかにも「遊び心」を忘れずに、豊かな人生を歩んでいきたいですね。


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