本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『自分を愛する力』(乙武洋匡)

 お薦めの本の紹介です。
 乙武洋匡さんの『自分を愛する力』です。


 乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さん(@h_ototake)は、大学卒業後スポーツライターとしてご活躍され、その後、小学校教諭などを歴任されています。
 現在は、都内で地域との結びつきを重視する「まちの保育園」の運営に携わるかたわら、東京都教育委員にも就任されるなど、活躍の場を広げられています。

自分らしさのカギは「自己肯定感」

 乙武さんは、生まれつき両手・両足がないという障害を持って生まれてきました。
 日本では、いまなお、「障害者=かわいそうな人」という考え方が根強く残っています。
 そんな中、乙武さんは、およそ不幸とは無縁の、むしろ人生をめいっぱい楽しんで、様々なことにチャレンジをしています。
 「かわいそうな存在」どころか、周りから「羨ましがられる存在」にまでなっていますね。

 自分は生まれつき手足がないという障害を「受け入れ」「苦しむことなく」、ここまで人生を歩んでくることができた理由を考えると、“自己肯定感”という言葉にたどりついた、と述べています。
 自己肯定感とは、「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と、自分自身のことを認める気持ちのことです。
 この“自分を愛する力”が、何より、乙武さん自身の人生の支えとなってきたとのこと。

 本書は、自己肯定感を育み、自分を愛する力をつけるための考え方のヒントを、乙武さん自身の両親の子育てや小学校教師として子どもたちと向き合った経験などをもとにまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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相反する二つの考えの間で・・・・

 乙武さんのお母さんは、小さい頃から鼻っ柱が強く、ときには横暴にも見える振る舞いもする乙武さんに大変悩んでいました。

「このままでは鼻つまみ者として、みんなに嫌われてしまうのではないか……」という考えと、「この子がこうした障害とともに社会で生きていくためには、もしかしたらこれぐらいの強さを持っていたほうがいいのかもしれない」という考え。
 相反する二つの考えの間で揺れ動いていたそうです。

「目に余る〝強さ〟を削り取り、謙虚な人間に育てていくのか」
「障害をものともしない〝強さ〟を尊重して育てていくのか」
 正反対を向くふたつのベクトルのあいだで、心が揺れうごいていた。父とも何度も話し合った末に、母はようやく結論を出した。
 このままでいこう──。
 このときの決断が、いまの僕という人間のアウトラインを築いたと言ってもいい。もちろん、〝強さを削り取られた僕〟が、いま頃、どんな人生を送っていたのかを知ることはできない。だから、「どちらがよかった」などと軽はずみに判断することはできないが、それでも、僕の生まれ持った強さを否定することなく、ありのままの人格を受けいれてもらえたことは、僕にとって大きな影響を及ぼしたのではないかと思っている。
 まあ、そのおかげで、幼児期と変わらぬ「傲慢な」「鼻持ちならない」性格のまま、この年齢になってしまったのだけれど。

  『自分を愛する力』 第一章 より  乙武洋匡:著  講談社:刊

 だしや調味料をあれこれたくさん加えて作る料理より、余計なものを極力加えずに素材そのものの良さを活かして作る料理のほうが断然美味しく仕上がるものです。
 生まれ持った性格を否定せずに、ありのままの人格を受け入れることはなかなかできるものではありません。
 ましては、自分の子供に対してならば、なおさらではないでしょうか。

相談しないのは信頼の証

 乙武さんは、思いかえしてみると、両親に何かを「相談した」という記憶がない、とのこと。
 重度の障害を抱えているにもかかわらず、志望大学を決めるときも、本を書くと決めたときも、運転免許を取ることも、教師になることも、そして結婚することも、両親に伝えたのは、すべて自分のなかで答えが出てからだった、と述べています。

 もちろん、彼らのことを信頼していなかったわけではない。むしろ、逆なのだ。彼らなら、きっと僕の下した決断を尊重してくれるだろうと信頼していたからこそ、あえて相談しなかったのだ。
 そして、両親は僕の出した結論に対して、一度も異を唱えることはなかった。おそらく内心では、心の底から驚いたり、「それはやめておいたほうが……」と不安に思ったこともあっただろう。それでも、「やめておきなさい」「こっちにしなさい」と無理に道を曲げるようなことはしなかった。
「だって、あなたにそれを言ったところで、聞くような子じゃなかったもの」
 母は冗談めかして言うが、彼らは彼らなりに、やはり僕のことを信頼してくれていたのだろうと思う。
「わが子のため」を標榜しながら、じつは親の意向を押しつけてしまっているパターンは少なくない。もちろん、その思いの根っこにあるのは「わが子のため」なのかもしれないが、それを無理強いすることで、いちばん大切にしなければならない「わが子の思い」を踏みにじってはいないだろうか。

『自分を愛する力』 第二章 より  乙武洋匡:著   講談社:刊

 子どもを心配する親は、子供の意見に対して何かと物言いを付けたくなるものです。
 しかし、そこをグッと我慢して、子供の意見を受け入れてあげることが本当の親子の信頼であり、愛情なのかもしれません。

「幸せのカタチ」とは?

 ほとんどの親が、我が子のことを愛しているし、我が子に「幸せになってほしい」と願っています。
 それが、知らず知らずのうちに「愛の押し売り」をしてしまい、結果として我が子を苦しめてしまっているというケースをよく見かけます。

 乙武さんは、この「ありがた迷惑」な状況は、多くの親が、「自分と子どもとは、けっして同じ人間ではない」という前提を忘れてしまっているから起こるのではないか、と指摘しています。
 自分の価値観における幸せが、きっと子どもにとっても幸せだろうと決めつけてしまうケースが、あまりにも多い気がする、とも述べています。

 たとえば、女性。これまでなら、「オンナの幸せは、結婚して、子どもを生むことよ」などと言われることが多かったように思う。だが、それは「そうするしかない」ということの裏返しではなかっただろうか。数十年前までは、女性が社会的に活躍できる土壌が十分に整っていなかった。家庭に入るほか、道がなかった。だから、そこにしか幸せを見いだせない人が多かったとしてもうなずける。
 だが、時代は変わった。キャリアウーマンなどという言葉が浸透してずいぶんと経つ。女性も働くことがあたりまえになった現代において、「やっぱりオンナの幸せは──」と、女性が家庭に縛りつけられていた時代の幸福論を語ったところで、いまや社会的に活躍の場を得た彼女たちには、鼻で笑われるだけかもしれない。
 もっと言うなら、いまこうして僕が語ってきたような、「男ならば」「女ならば」という性差だって、ずいぶん曖昧な時代になってきた。出世競争に明け暮れる、闘争心むきだしの女性もいれば、主夫として家事や育児にいそしむ男性だっている。さまざまな生き方がある。さまざまな幸せがある。にもかかわらず、「おまえにとっての幸せはこれだ」と決めたがる親がいる。それによって、苦しむ子どもがいる。
「この子たちにとっての幸せとは、どんなものなのかな」
 時折、息子たちの寝顔を見ながら、考えてみたりする。でも、あまりに意味のない行為だと気づき、すぐにやめる。せめて、彼らそれぞれの幸福観を否定せず、「それが君にとっての幸せなら、それでいいじゃないか」と理解を示すことのできる親であれたらいいな。

 『自分を愛する力』 第二章 より  乙武洋匡:著  講談社:刊

 乙武さんの述べている通り、時代は大きく変わってきています。
 もちろん、「幸せ」についての常識や価値観も同様に様変わりし、多様化してきています。
 自分たちの経験や体験から得た「幸せ」についての定義をそのまま押しつける親は、本当に子供のことを考えているのか、疑問に思わざるを得ません。
 自分のエゴではなく、相手の立場に立ってものごとを考え、尊重できる人間を目指していきたいものです。

「自己肯定感」とは「健全な自己愛」

 巻末に、乙武さんと精神科医の泉谷閑示先生との対談が掲載されています。
 泉谷先生は、「自己肯定感」とは「健全な自己愛」つまり、「自分を愛する」ということだ、と指摘しています。

乙武 つまり、小径に迷い込んでしまったものの、この先どう進んでいったらいいか自分で考えることもできない人が、自己肯定感を持てない人ということですよね。そういう人は、どう自分のことを考えればいいんでしょうか。
泉谷 私のところには、まさにそうした迷える人たちが、クライアントとして大勢みえます。彼らに対して私はどんなセラピーをするかというと、「あなたの感じていることはものすごく真っ当だと思う。あなたが感じている違和感も真っ当だと思う」と、まず基本的に彼らの感情や考え方を肯定します。
 そして、「あなたが恐れている多数派の人たちの言う常識とか道徳とか、そうした価値観というものを、よく見てごらんなさい。それは、ひとりひとりが自分の頭でしっかり考えたものかというと、決してそうではない。本に書いてあるからとか、みんながやっているからだとか、既存の価値観や刷り込みから思いこんでいるようなものが多い。そんなものがいくら束になってかかってきても、あなたは怖がらなくてもいいんじゃないか」ということを、伝えていくわけです。
 これがわかってくると、自分が怖いと思っていた存在が、「なんだ、あの人たちは実は弱いんだ。自分で考えて判断することができないから群れてる気の毒な人たちなんだ」というように捉え方が逆転してくる。そうやって彼らを縛っていた常識や固定観念が一つ一つ崩れていくと、どの人もみんな、とても力強い自信が自分の中から湧き上がってくるようになります。そして、他人や世間一般の価値観に簡単に振り回されたりしない、自分をしっかりと持った人間になるんです。

  『自分を愛する力』 自分を愛せない人への処方箋 より  乙武洋匡:著  講談社:刊

 数が多いと強そうに見えますが、真実は逆です。
 自分の判断や考えに自信がない人が、大勢と一緒の道を進みたがるということです。
 自信がない人ほど徒党を組んで群れたがるのも、同じ理由でしょう。

 一人でも、「小径」を進んでいける人はしっかりとした「自己肯定感」がある人。
 周りに左右されない強さを持って、人生を歩んでいきたいものです。 

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「自分を愛する」ことと「自分に自信がある」ことは、けっしてイコールではありません。
 乙武さんは、「僕は、けっして完璧な人間などではない。それでも、自分が好き。至らない自分、欠点だらけ自分、弱い自分、手足のない自分――そんなあれこれやを全部ひっくるめて、僕は、乙武洋匡という人間を、いとおしく思っている」と述べています。

「自分を愛する」ことは、どんなことがあっても自分を見捨てないこと。
 全ての人に見捨てられたとしても、自分だけは自分のことを決して諦めない、愛し続ける。そんな強い覚悟が本当の「芯の強さ」につながるのでしょう。是非、身につけていきたいところです。

「自分を愛する」ことに理由は要らない。周りと比べる必要もない。
 自らの生き方を通じてそれを実践されておられる乙武さんの、今後のご活躍にも期待しています。

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