本一冊丸かじり! おいしい書評ブログ

本を読むことは、心と体に栄養を与えること。読むと元気が出る、そして役に立つ、ビタミンたっぷりの“おいしい”本をご紹介していきます。

【書評】『なぜあの時あきらめなかったのか』(小松成美)

 お薦めの本の紹介です。
 小松成美さんの『なぜあの時あきらめなかったのか』です。

 小松成美(こまつ・なるみ)さんは、ノンフィクション作家です。
 第一線で活躍するアスリートやアーティストへの徹底的な取材に基づく人物ルポルタージュ作品に定評があります。

アスリートの魅力は、どこから生まれるのか?

 アスリートが人々を惹きつける魅力。
 それは、どこから生まれるものなのでしょうか。

 小松さんは、彼らの取材を重ねるうちに、彼らが、誰一人、自分を「選ばれし者」だと思っていなかったことに驚かされるとともに、ある共通点を見つけます。

 それは、「あきらめないこと」でした。

 私の目前に座り、静かに話す彼らは、今を懸命に生きる若者たちであり、夢や目標に向かって一途に歩み続ける誠実な人たちだった。
 それぞれ大きな挫折があった。勝利に見放されたことも、自分のミスを許せなかったことも、弱さから逃げ出したことも、人に理解されないと悲しむ日々も、彼らにはあった。
 私が触れたのは、掲げた目的を一心に見つめながら生きる人の姿であり、奇跡や魔法などあり得ない世界で挑戦を続ける彼らの心だった。ではなぜ彼らは栄光を掴み、人々に熱狂を与え、歓喜の渦を起こすことができるのだろうか。そこには、どんな選手にも共通する思いがあった。
「あきらめない」
 逆風が吹いても、挫けそうになっても、負けが込んでも、怪我をしても、孤独であっても、彼らは決してあきらめなかった。あきらめない心が、彼らの目標を、夢を、求めた感激を、その手に近づけた。
 苦しさや困難に出合い、人生の岐路に立った時、人は選択をする。その瞬間、あきらめなかった者だけが、生きる喜びと新たなスタートの瞬間を得ることができる。
 ここに登場するアスリートたちの言葉は、あきらめずに挑めば必ず好機が得られることを示している。あきらめないというシンプルな、けれど強い決意が、人生を大きく旋回させるのだ。

 『なぜあの時あきらめなかったのか』 はじめにより  小松成美:著  PHP新書:刊

 本書は、さまざまな分野のトップアスリートの挫折と、それをいかに乗り越えたのかを、詳細にまとめた一冊です。
 その中からいくつかピックアップしてご紹介します。

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境遇を言い訳にしないこと

 水泳・バタフライの松田丈志選手は、宮崎県延岡市の生まれです。
 4歳の時、地元のスイミングクラブで泳ぎ始めました。

 しかし、屋外プールのため、冬場は満足に泳ぐこともままならない状況。
 この屋外プールは、風よけにプール全体をビニールで覆っていたため、「ビニールハウスプール」と呼ばれていました。

 そんなハンデを乗り越えて出場した、2004年のアテネオリンピック。
 400m自由形で、日本人として40年ぶりの決勝進出を果たします。

 しかし、成田に着いた時、ものすごい歓声とカメラのフラッシュを浴びているメダリスト達を間近に見て、悔しさだけが残ったと言います。

 そして、次の北京オリンピックの時は、出るだけだったら行かないほうがましだとまで思うまでになります。

 メダルを獲った者と獲らなかった者。その歴然とした差を経験した松田が、人知れず抱いた敗北感こそ、彼の闘志に火をつけた。
 その言葉通り、2008年の北京オリンピックでは200メートルバタフライで銅メダルを獲得。しかも自身の持つ日本記録を大きく更新した。地元だけでなく、九州全土で「ビニールハウスプールのヒーロー」と大騒ぎになった。松田は、メダルが自分の名誉だけでなく、人々をこんなにも喜ばせることを知って感激を大きくするのである。
「メダルが取れないとどれだけ悔しいか、それをアテネで実感していたからこそ北京で力を出せたと思います。支えてくれた方々への感謝を結果に変えたかったですしね。また、大舞台を一度体験しているというのは大きいんですね。海外の実力ある選手でも、やはりオリンピックの場では緊張する。自滅してしまう選手も多いんです。その点、一度でも経験していれば、平常心で闘い、自分のベストパフォーマンスを見せることだけに集中できます」。

 『なぜあの時あきらめなかったのか』 第2章より  小松成美:著  PHP新書:刊

 すべての経験を武器に、3度目のオリンピックに臨む松田選手。
 どんな泳ぎを見せてくれるのでしょうか?
 楽しみですね。

プライドを捨て自分の弱点と向き合うこと

 太田雄貴選手は、高校時代に、選手だったお父さんに誘われ、フェンシングの道へ進みます。
 最初はイヤイヤやっていた練習ですが、徐々にのめり込んで、頭角を顕します。

 転機は、19歳の時。
 アテネオリンピックに出場し、世界で勝つことの難しさを実感させられます。
 同時期に、ウクライナ人のオレグ・マツェイチェクコーチと出会いがありました。

 太田選手は、今までとの指導方法の違いもあり、最初は、オレグコーチに反発してばかりいました。
 太田選手がオレグコーチのレッスンを受け始めたのは、オレグコーチが来日してから3年が経ったあとでした。

「自分のフェンシングに行き詰ってしまったんです。大学3年生の時には、負け知らずだったインカレでも負けてしまい、世界を目指しているはずなのに、日本でも勝てなくなった。不甲斐ない結果に愕然としました。それで、アジア大会が1週間後に迫った日、反発していたオレグに頭を下げたんです。『俺にレッスンをつけてください、お願いします』と」
 プライドの塊だった太田が、それをかなぐり捨てた。
「とにかく勝ちたかったんですね。自分と考え方が違ったオレグの指導を無心で受け入れて、それでダメだったら、自分には才能がないとあきらめよう、と決めていました。それから彼に何を言われてもすべて従いました。イエスマンというあだ名までついたくらいです」

 『なぜあの時あきらめなかったのか』 第4章より  小松成美:著  PHP新書:刊

 オレグコーチの指導で、結果が出るようになった太田選手。
 次の北京オリンピックで見事、銀メダルを獲得します。

 それまで大嫌いだった、自分の試合のビデオ映像。
 それらを何度も見返して、自分の弱点について分析した結果です。

 自分の中の不必要なプライド。
 それを捨てることが出来たことが、メダルの獲得に繋がりました。

気持ちを切り替えるスイッチを持つこと

 ロンドンオリンピックでも注目の、バレーボール女子。
 中でも、エースアタッカーの木村沙織選手には、多くの期待が集まります。

 若い頃から、全日本の主力として活躍してきた木村選手。
 以前は、試合中にミスを引きずり、サーブが乱れて、連続失点することがよくありました。

 しかし、全日本の眞鍋政義監督からのアドバイスによって身に付けた、以下の方法で克服することができました。

「監督からは『集中するためのルーティーン(決まった手順や習慣)を行ってみろ』と言われていました。『何か一つ決まり事を行うことで気持ちをリセットできるから』と。そのアドバイスに従い、私は、相手サーブを受ける前に、必ず両腕を前に出してレシーブのポーズをしてみることにしたんです」
 本番のサーブカットの前の小さなポーズ。この動きを毎回することで、木村は、その都度気持ちを仕切り直し、次の一瞬に集中できた。
「私自身、こんな小さなことで、気持ちのスイッチが切り替わるのかと驚きましたが、このアクション一つで、私が試合中でも平常心を保ち、プレーできたことは確かです」

 『なぜあの時あきらめなかったのか』 第6章より  小松成美:著  PHP新書:刊

 バレーボール女子は、2010年の世界選手権で、32年ぶりに銅メダルを獲得しました。
 その裏には、そんなエピソードがあったんですね。

「あきらめないこと」

 その姿勢が、さまざまなスポーツで、いくつもの奇跡を生んできました。
 そして、年月を超えて語り継がれています。

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 もう一つ重要なことは、トップアスリートと言われる人は例外なく、小さい頃から毎日欠かさずにトレーニングを行っているという事実です。

 自分の取り組んでいる競技自体が大好きであるのだから、当然でしょう。
 それでも、毎日欠かさずに行うということは、強い自律心と精神力が要求されます。

 日々のトレーニングの積み重ねが、最後まであきらめない自信を支えます。
 彼らからは、私たち一般人も、見習うべき点が多いです。

 ロンドンでもアスリート達が放つ「奇跡の一瞬」がたくさん訪れることを、期待したいですね。

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